私の生まれ育った町は、周りを田んぼに囲まれた、小さな町でした。
今は過疎化の一途を辿っていますが、私が子供の頃、約40年ほど前は、それなりに賑わっており、運動会や夏祭り、カラオケ大会など、町内会のイベントが充実していました。
地域には4つの町が存在しており、全てのイベントはこの4つの町内で成績を競う形で行われるため、大人たちも自然と力が入ったようです。
まだコンピュータゲームなど無い時代、子供達にとって、町内会のイベント、特に夏祭りは一番の楽しみでした。
昼間は、「わっしょい!わっしょい!」と叫びながら、町内の小さな神社のお神輿を担ぎ、神社への奉納が終わると、屋台で焼きそばやりんご飴を食べたり、ヨーヨーやおもちゃを手に入れたりと、夢中で遊んでいるうちに、あっという間に空はオレンジ色に染まり、盆踊りを住民全員で踊り、夏祭りは終わりを告げます。
その後、4つの町の子供達は夏祭り会場で待たされ、大人達は家に帰っていきます。
きもだめしは、それぞれの町の子供同士が高学年1人、低学年1人の2人1組でチームを組み、スタートからゴールまで、タイムを測り、平均タイムが早い町が勝利です。
無事にゴールした暁には、当時ではまだ珍しかった、キャラクターの筆箱や鉛筆、匂い付き消しゴムがプレゼントされ、配られた冷えたジュースと駄菓子を、夜遅い時間に友達と一緒に食べられるため、普段そんな事を許されない子供たちは、怖いながらも、楽しみにしていました。
この町で生まれ育った大人にとって、どんな内容でも、他の町に勝つことが何よりも大事であり、子供達のきもだめしでさえ、本気で勝利にこだわっているようでした。
当時、私はまだ小学一年生、ペアの相手は、いつも遊んでくれる、小学六年生の、ナッちゃんでした。
ナッちゃんは美人で頭も良く、運動神経抜群、その上、私たち小さい子供の相手もしてくれる、憧れの存在です。
怖がりな私にとって、きもだめしは心底嫌な行事でしたが、大好きなナッちゃんと一緒に二人だけで歩ける機会なんて今まで無かったので、ナッちゃんが「一緒に歩けるの楽しみだね!」と言ってくれたことで、嬉しい気持ちでいっぱいになり、「うん!」とナッちゃんと手を繋いで、意気揚々と、きもだめしコースを歩き始めました。
祭り会場をスタートし、町内を一周、田んぼだらけで街灯などひとつも無い道を歩いて、地域に唯一ある、大きなお寺の墓地を通って、祭り会場に戻ってくるコースです。
私には年の離れた兄が2人と姉が1人いるのですが、兄達が面白がって「絶対火の玉が出るぞ~!」だの、「お化けに取り憑かれて、帰って来れねーんじゃねーの?」だの、散々言われた事をナッちゃんに話し、ナッちゃんが「酷いねー!なんでそんな事言うんだろ!」と怒ってくれるので、日頃の兄たちの悪口を夢中で話して、ナッちゃんに慰めてもらって、きもだめしだということも忘れて、暫くは楽しいおしゃべりに夢中になって歩いていました。
祭り会場からしばらく歩くと、民家が途絶え、田んぼに水を引くための小さめの川と、その川沿いに植えられた大きな木々。延々と続く田んぼの水平線が、暗闇に包まれ、ねっとりとした夏の空気も相まって、雰囲気たっぷりです。
ナッちゃんは「大丈夫だよ!怖くないよ!」と私を励ましてくれます。
けれど私は、足を進めることが出来ません。
田んぼの水平線のあちこちに、白い炎がゆらゆらと、いくつも浮いています。
やっとの思いで「田んぼの奥、なんか燃えてる…あれ、火の玉でしょ?」そう言うと、ナッちゃんは「あー!ホントだ!でもあれは毎年、大人達が田んぼの中に隠れて、火を燃やして、ああやって揺らしてるんだよ。」そう説明してくれました。
ナッちゃんは一旦私の手を離して、私の両肩に優しく手を置くと、「何かあっても、全部、大人が怖がらせようとしてやってる事だから、大丈夫だよ。私が一緒に居てあげるからね。手を繋いで、歌を歌って歩こうか。そしたら怖くないよ。?と諭してくれました。お兄ちゃんたちが意地悪な分、ナッちゃんの優しさに心を打たれた私は、また元気になり、繋いだ手を大きく振って、大声で歌いながら、真っ暗な田んぼ道を進んで行きます。
田んぼ道を進むと、突然、ヒヤリ。と首に冷たいものが。私が「首になんか当たったー!冷たいー!」と叫ぶと、ナッちゃんは暗闇に向かって全力で腕をブンブン振り回し始めました。
幽霊にパンチしてるのかな?と思って唖然と見ていた私に、何かをわしづかみにしたナッちゃんがニコッと笑って、「ほら、コンニャクだよ!?と、糸に吊るされたコンニャクを見せてくれました。
ナッちゃんは優しくて頭がいいだけじゃない!すごく勇気があるんだ!と思った私は、祭り会場に帰ったら、同じくナッちゃんに憧れてる幼なじみに、このことを自慢しよう!と思うと同時に、ナッちゃんと一緒ならきもだめしも怖くないぞ!と思ったのです。
しかし、しばらく行くと、白いヒトガタのものが、道の端に突然現れて、僅かに動いたかと思うと、フッと消えてしまいました。
元気いっぱいだったはずの私の心は一気にしぼみ、「ヤダ…もう帰りたいよ…」と泣き出しそうになってしまいました。
するとナッちゃんは、私の手を掴み、「待ってて!ここで見てて!」そう言って手を離すと、白いものが見えた場所まで走っていって、「コラー!ちっちゃい子が泣いてるでしょ!?と怒鳴っています。
幽霊に怒ってる?!と、またまた唖然としましたが、消えたはずの幽霊が出てきて、「ごめんごめん。許してー。」と言っています。
しばらく待ってみましたが、ナッちゃんは幽霊に起こり続けています。
恐る恐る近づいみると、幽霊は、シーツを被った、近所のおじさんでした。私は大きな男の人が、ナッちゃんに怒られて謝ってる姿を見て、面白くなり、私のために、こんなに怒ってくれるナッちゃんのためにも、早くゴールしなくちゃ!とまた元気になりました。
さて、いよいよ、きもだめしのメイン、墓場までやって来ました。これまで大人達が色々と仕掛けてきた田んぼ道とは違い、シーン…と静まり返っていて、その雰囲気を見て、恐怖に支配された私は、「嫌だ。お墓は通りたくない。別の道を通ろう?」とナッちゃんに聞いてみました。ナッちゃんは「別の道を通ると違反になっちゃうよ。違反をしないか見張ってる大人が、お墓の中にも絶対いるから、私たち2人だけじゃないし、怖くないよ。?と言います。
ナッちゃんは曲がったことは大嫌いで、勝負事にはいつも真剣に挑む性格でした。
普段からお墓に怖いイメージを持っていた私は、もうきもだめしなんて投げ出して、家に帰りたい気持ちでいっぱいでしたが、私を煙たがる年の離れた兄や姉とは違い、いつも一緒に遊んでくれる、優しいナッちゃんに嫌われたくない一心で、「絶対に手を離さないでね!」と約束して、墓地に入っていきました。
墓地に入ると、今までのようなおしゃべりは何も思い付かず、無言で手を繋いで、何故か、2人して足をそーっと動かし、音を立てないように歩いていきます。
墓地は砂利道で、私たちが立ち止まってる時でも、「ジャリ…」という足音が聞こえて来ました。
それが「お墓にも大人が隠れてる」と言ったナッちゃんの言葉を裏付けるようで、怖さはそんなにありませんでした。
墓地の出口は小さな川に橋がかかっており、幅1.5mくらいの狭い橋を渡らなければなりません。
その橋の袂に、何やら人影があり、こちらを見ています。
見張りの係の大人かな?そう思い、近づいて行くと、軍服を来ていて、左足が無いように見えます。「ヒャッ!」っと声を上げると、ナッちゃんが「あんな格好するなんて!あとで文句言わなきゃ!」と、どうやら大人に怒っているようです。
あの軍服のおじさんには絶対に近づきたくない!と強く思いましたが、あの橋を通らなければ、この墓場から出ることが出来ません。
絶望的な気持ちで、半べそをかいてる私に「あのおじさんの事は見ちゃダメ!私の手を握って、走って通り過ぎるよ!?そう言うナッちゃんを頼もしく感じた私は、ナッちゃんの言う通りにすれば大丈夫!そう決意して、ナッちゃんと一緒に走りだしました。
足元だけ見て、軍服のおじさんは見ないようにしているのに、すごい顔で睨みつけて来るのが、雰囲気で伝わってきます。繋いだナッちゃんの手も、ブルブルと震えています。頭の中で睨んでくるおじさんの視線を振り払うように、必死で走って、おじさんの脇を通り過ぎました。
安堵感から泣き続ける私の頭を優しく撫でて、「もう大丈夫。もうすぐゴールだからね。」そう言うと、ナッちゃんは怒ったような顔で、私の手を強く握り、早足で歩いて行きます。
初めて見る、ナッちゃんが本気で怒った様子に、私は自分が嫌われてしまったのではないかと、悲しい気持ちになった事を覚えています。
もちろん、ナッちゃんの怒りは私ではなく、きもだめしを企画した大人へのものでした。
ゴールして、ご褒美をもらって、すっかり機嫌を良くした私は、同い年の幼なじみを見つけ、ジュースを飲みながら、ナッちゃんってすごいんだよー!と、一緒に歩けた自慢話をしていました。
すると、何やら奥の方が騒がしい。ナッちゃんが係の男の人に怒っています。
「兵隊さんの格好して墓場に立つなんて、ありえない!あんなことしちゃダメだよ!」ナッちゃんのおじいちゃんは、戦争に行ったことのある人で、おじいちゃんから色々と聞いていたナッちゃんは、きもだめしにふざけて兵隊さんの格好をした大人に、すごく怒っていました。
「ナッちゃん、怒らないで」と慌てて駆け寄る私に、大人達が怖い顔をして、「一緒に周った子か?」と聞いてきます。怖い顔に萎縮して、コクコクと頷くのが精一杯でした。
「兵隊さんはいたか?」コクコク。
「どこにいた?」……「お墓の、出口…」
いつの間にか集まってきていた大人達は顔を見合せて、押し黙っていました。
やがて、塗装屋のおじさんが出てきて、ナッちゃんに「お墓には、幽霊役の大人はいなかったんだよ。お墓は行くだけで充分怖いからな。でも…。そうか……。ごめんな。怖い思いさせたな。」そう謝っていましたが、ナッちゃんは納得がいかない様子で、「うちに帰ったら、お父さんに話すからね!」と捨て台詞を吐いて、お家に帰ってしまいました。
私は帰りは大人に手を引かれて、家まで送ってもらいました。
家の裏口から入ると、父が「ゴールできたか?!」と聞いて来たので、頷くと、「よくやったな!」と珍しく私を褒めて、頭をくしゃくしゃと撫でてくれました。
父が風呂へ入ると、祖母が部屋から出てきて、「大丈夫だったか?怖かったろー?」と私を抱きしめてくれました。父はとても厳しい人でしたが、その分、父の目を盗んで、祖母が優しくしてくれました。
私は父に見つからないよう、祖母と祖父の部屋に入り、祖母の膝の上に座って、火の玉やコンニャク、シーツのお化けの話をすると、「そうかそうか、偉かったな。?と言って頭を撫でてくれました。
「お墓で、左足の無い兵隊さんの格好をしたおじさんが、すっごく睨んできて怖かったんだよ!!?と言うと、祭り会場の大人と同じように、場所を詳しく聞かれます。
「お墓の出口の、ちっちゃい橋の手前だよ。」と言うと、小さく頷いて「あそこに、観音様の像が立ってるだろ?あれは、戦争で死んだ人のためのもんなんだよ。夜うるさくしたから、怒ったんだね。明日、朝になったら一緒にごめんね。しに行こうね。?祖母がとても落ち着いた様子でそう言うので、あれはお化けだったの?と思いながらも、おばあちゃんがびっくりしてないんだから、夜、お外に出るとお化けを見るのは、普通の事なのかな?と思い、明日、謝りに行こう。と素直に眠りについたのでした。
翌日、祖母と一緒にお墓に行くと、他の町の人たちが集まり、観音様の前で、拝んだり、お供えしたりしています。
そこには、昨日の塗装屋のおじさんもいました。おじさんは膝を着いて私の目線まで腰を下ろすと、「ナッちゃんから聞いたけど、火の玉も見たのかい??と優しく聞いてきました。
どうやら、数年前から、田んぼに火がついたら危ないと苦情が来ていて、安全のため、その年以降、火の玉の仕掛けはやっていなかったとのこと。
祖母が隣で「お盆だから、みんな帰ってきてるんだなぁ…。」と静かに頷いていました。