「炭鉱町の廃病院」

投稿者:幸川栞(さいかわしおり)

 

クラスの男女8人がK病院へ肝試しへ行く、と聞いたとき、私は誘われないだろうな、と思った。メンバーはリーダー格の男女。気の強い須美ちゃんがいて、クラスの女子がほぼ全員告白をしているという、豊くんがいる。
だが、私が帰る道と、彼らが肝試しに行く道は同じで、たまたまついていく形になった。
ここは、九州の閉山した炭鉱跡地。そこかしこに坑夫が暮らしていた長屋があり、そのほとんどが空き家になっていた。わざわざ心霊スポットに行かなくても夜になると、ここ一帯は不気味で例えようが無い恐ろしさがある。それでも、急に8人がこぞってK病院へ行くことにした理由は、道々、彼らが話す内容から理解することができた。
豊くんのお母さんは立ち飲み屋の手伝いをしていた。そして酔っ払いが有る事無い事面白く話すことを、夕飯の話のタネとして豊くんや姉のリリちゃんに話しているらしい。
その中で、「誰にも言ってはいけないよ。」と念押しされたのが、以下の話だ。
「K病院にはホルマリン漬けの赤ちゃんがいる」「誰も引取り手が無いために地下の倉庫に保管してある。」「K病院は廃院になって間もないから、まだあるかもしれない」
誰にも言ってはいけない、と言われれば子供は話してしまうことを、豊くんのお母さんが察してくれていたらこの話をここで書くことはなかったと思う。
ともかく、そんな経緯で8人は集まり、あと少しで病院前に着くところとなった。二つに分かれた道を直進すれば、K病院。坂を上がれば私の家だった。
「じゃ、私帰るね!」8人に手を降ると、「あ、Sさんもくればいいのに!!」と豊くんが私に声をかけた。瞬間、私は須美ちゃんを見た。私を嫌っている須美ちゃんは、良く思わないだろう。でも、彼女はにっこり笑いながら言った。
「Sさんいいよ!ランドセル置いてきて!後から追いかけてね!」とびっくりするほど優しい声で誘ってくれた。(豊くんの前だからか。)と察した私は「お母さんがいいって言ったら行く!来なかったらダメだったってことでもいい?」
須美ちゃんは鼻で笑って「頭がいい人は大変だねえ!勉強が忙しいんでしょうね!」と皮肉った。いつものことだ。
そして、踵を返して豊くんへ満面の笑顔を作り「Sさん来れないかもしれないんだって!」とスキップしながら言った。「え?普通来るだろ?ホルマリン漬けだぜ?」と豊くんは目を一瞬私へ向け、来いよ!とでもいうように手招きしてくれた。
家に帰ってことのしだいを母に言うと、驚いていた。
「遊びに行くの?」何度も聞いてくる。私が帰宅後、遊びに行くことはこの半年、皆無だった。しかもそのメンバーに須美ちゃんがいることが信じられない様子だった。
「どこに行くの?」「須美ちゃんの家の近くの空き地」完全に嘘だった。
須美ちゃんの家の近くの空き地と、K病院は反対方向。母が見送りに外へ出ない事を祈って腕時計を左手に巻き、急いでK病院へ向かった。母は来なかった。私は一気に走ってK病院へ向かった。
着いてみると一行は門柱を抜け、雑草で覆われた入り口へ向かっていた。そのドアの軋み音が大きく、大げさにキャーキャーと喚声を挙げていた。病院の周りには例の空き家となった長屋があるだけだが、子供の喚声は不似合いで、酷くそこだけ浮いているように感じていた。あと、誰か大人が見たらきっと注意しにきて大騒ぎになるのが目に見えた。
「声が大きいよ!周辺に響き渡ってるから大人が来るかもよ!」私は思わず注意した。
須美ちゃんは豊くんにぶら下がるようにキャーキャー言っていた。私の注意を無視したままだったが、豊くんの
「おい!離れろ!大人が来たらやばい!早くホルマリン漬け探すぞ!」
と言う一言で、須美ちゃんもみんなも一斉に静かになった。
豊くんの捜索案は、男子が倉庫のある地下、女子が一階にあるという手術室を探すというものだった。
私は女子グループに混ざろうとしていたが須美ちゃんが「Sさんは外の見張りをして!」と有無をいわさない命令形で告げ、私は入り口に立った。
実は、この病院の中に入ってすぐから悪寒で鳥肌が立ち実は帰りたくなっていた。その命令には素直に従ったが本当はこのまま帰りたかった。途方に暮れながら、入り口から改めて中を見ると、午後3時ほどなのに、暗い。玄関から中と外で、違う時空のような、澱んだ空気が中にあった。時間ばかりが過ぎ、大人に見つかるかもと言う不安感もあって私は病院にいる事が我慢できなくなった。
「須美ちゃん!!もう帰ろう!暗くなってしまうよ!」
すると、返事の代わりに「きゃーーーーー!!!!!」と女子が悲鳴を上げた。
みんなが玄関入り口の私のところへ来る。
「どうしたの!?」聞くと、「あったのよ!ホルマリン漬け!」と口々に答えた。
「え!本当に!赤ちゃんの?」と聞くと4人は含み笑いをしつつ、顔を見合わせて、
「うんうん、赤ちゃんやったよ!」「赤かったねえ」「黒じゃなかった?!」と笑っている。腕時計を見ると、午後3時50分。15分くらいは経っている。「須美ちゃんそろそろ帰ろうよ。ほんとに暗くなるよ。」それが面白くなかったのか須美ちゃんが私に言った。「ねえ、Sさんお願い!手術室見てきて!本当にあるかどうか確かめてきてよ。」
「え!1人で!?」「無理だよ!」「行ってきてよ!」「いやだ!」押し問答していると、「うわああああああああああ!!!!!!!!」と男子が地下から帰ってきた。
豊くんが地下の探検をしていて、何かにつまづいて転んだというのだが、足がテープのようなものに引っかかったのだという。運動神経抜群の豊くんが転んだことで、男子もパニックになり、一気に階段を上がってきた。左膝にガラスらしきものが刺さっていたのを抜いて、豊くんがもう帰るか、ホルマリン漬けはなかったからな、と力なく言うと、
須美ちゃんもそうしよう、手術室にもなかったよ、と言った。私を騙して一人で行かせようとしていたのだとわかって、顔が怒りで火照って来るのがわかった。
「でもね。手術室のドアを開けたら、なんかテープみたいのが貼ってあって、ゴールテープみたいだ!ってみんなでわーい!って切りながら入ったんだ!」
「それって、」豊くんがポケットから紙を出した。「こんなやつ?」
シゲシゲとみんなで見るとそこにはお経のようなものが書いてあった。全員が一瞬沈黙いして、「何これ!」気持ちわる!」「捨てたほうがいいよ。」「え、持って帰ろうよ。」
記念品がいるよね、という須美ちゃんの一言で、みんなでそれを分けることになったが、私にそれは渡らなかった。内心ほっとしていたのを覚えている。そして、豊くんの怪我もあり、みんな各々家に帰ることになった。男子のうちの2人が「八つ墓村の祟りじゃー!ヒェー!」と病院玄関に散らばっていた薬袋を、帰り道に投げ散らかしたことで、この肝試しが多くの大人の知ることになった。翌朝、学級会では行った全員が怒鳴られつつ怒られ、その動機を話してまた怒られた。何年も経ったらそれは懐かしい思い出話になっていく、はずだった。しかし、このことを30年ぶりに思い出している「S」、私は、懐かしむ思いなど持てないほどの事実を知ってしまった。
あの小6の肝試しを思い出すきっかけになったのは、とある新聞記事。九州のある県で起こった多重交通事故のものだった。大型トラックを運転していた男性、42歳が死亡。それはあの、豊くんだった。見通しの良い高速道路、脇見運転。遺体は誰だかわからないほどだったため、DNA鑑定で本人と断定したと書かれていた。
同級生の死に動揺した私は、母に電話をした。「豊くんが事故で亡くなったんだって。」母の耳にも入っていて、一言、私に言った。「やっぱり、K病院のことやろうね。」「え!何?K病院って。何も関係ないんじゃない?」
母は、暫く沈黙して、「やっぱり話しとこうかね。」と切り出した。
「K病院はね。そもそも坑内で怪我した人のためのものだったんよ。それから、その坑夫の家族も面倒を見てくれるものになった。あそこで診てくれるのは、怪我した坑夫とその家族。そして、坑内で亡くなった人の家族だけやったんよ。だから、会社が全部無料で診ていた。怪我で苦しんでいる人たちが、組合に補償を申し出ないことを前提にしてね。」
「だから、あの病院に近寄るな。あの病院へ行く人にも近寄るなってお父さんもうるさかったやろ。病院の医者もヤブが多くてね、破傷風を見逃して、切断した人がおったり、ガス中毒(一酸化炭素中毒のことと思われる)の人が何人も運ばれてるのに、一切治療をせんかったとかもあった。家族の依頼ってこともあったけど、医者やったら助けるやろ?今ならありえん話やけど、家族の中には会社からの補償金が亡くなった方が大きいからという考えの人もおってね。医者も家族も無茶苦茶でとにかく、あの病院には独特の人たちしかいない、行かない、働かないというところやった。炭鉱が閉山しても、しばらく病院は畳めなかった。この病院が無くなったら、無料で診てくれるところがなくなる。一生働かずに、医療も保障して貰うつもりやった人達の反対がすごくてね。でも、潰れた会社が病院を運営できる訳がない。程なく廃院になった。ここからが問題なんよ。坑内で怪我したり、亡くなった方たちは、殆どがこの辺の人じゃなかった。他の国の人たちや、県外がら流れてきた人たちが多かったんよ。ガスがあるかどうかわからない坑道で、一番に発破をかけさせられるのはそういう人やった。だから、怪我した、亡くなったっていうのもその人たちやった。それで、呪いをかけてやる、と息巻いている人がいてね。母国で呪術師をしている親戚からお札を送ってもらってね。会社は最初は取り合っていなかったのだけど、その呪術がかけられたという時期に、合併話がちゃらになったり、取締役が事故で亡くなったりして、いよいよ無視できずに、あの病院のありとあらゆるところを祓ってお札を貼ったらしい。でも、その国の呪術は抑えきれず、闇には闇、ということで取られたのが、ここに恨みを持って亡くなったであろう、かの国の人の遺体のホルマリン漬けやったんよ。その人の遺体は引き取り手がなく、ガスで亡くなっていて綺麗なままで、内臓とかを調べるために解剖した。そしてそれを荼毘に付すわけもいかず、長い間病院の地下で保管されていたんよ。それを使って、京都から坊さんが来て、結界を貼ったらしい。」
ホルマリン漬けは、あった。その結界のやり方までは母は知らなかったが、バラバラになった体全てを使ってのことだったらしい。そして、その結界を私たちが肝試しで破ってしまった。廃病院があんなに綺麗だったのは、どんな荒くれものでも浮浪者でもK病院だけは行かない、行ってはならないと知っていたからだ。そして、あの時、肝試し自体を激しく怒られはしたが、学校が早くなかったことにしたがっていたように見えたのも勘違いではなかった。呪いとは、なんなのだったのか。聞くのが怖かったが、母に尋ねた。
「死霊になっても祟ってやる」というものだったらしい。ぼんやりとしたものすぎて、私達の肝試しとは関連がないように思えた。母の話は続く。「日本人ではなかったから、お札の文字が書けなかったみたいでね。『死霊』なんて日本人でも書ける人少ないと想う。どうしても呪文というか、その国の呪術的に「死霊になるまで祟る」という言葉が重要だったのかね、依頼者は呪術師に数字で書くようにたのんだんだよ。呪術師本人が書かないと意味がなかったらしいね。」
「数字?」私は理解できず、母にといかけた。「紙とペンあるかい?いうとおりに描いてみて。」用意して受話器を耳に挟んで、母に聞いた。
「漢字の死が、数字の4。同じように漢字の霊が、数字の0。つまり、お札には40になるまで祟ると書いてあったらしいのよ。」
「40になるまで、祟る、、、、」
「こじつけだってみんな最初は笑っていたよ。でも実際に起こったことを考えたら笑い話では無くなってね。呪われたのは会社であって肝試しをした子供達ではない。あの頃、大人たちはすがるような気持ちでそう結論したんだよ。」
「そうだったんだね。お父さんが激しく叱ってくると思ったのに、何も言わないから変だと思ったよ。」「心配だったから、あんたにはありとあらゆる所にお祓いに行って、毎年形代を川に流して祈っていたんだよ。40を過ぎて、呪いも気にしなくていい、と安心した矢先だった・・・。」母が泣き出したので、この時は電話を切った。後日、改めて実家に帰ってことの詳細を聞いた。
あの肝試しメンバー全員に不幸があったのは不定期だったことと、30年という時の流れもあり、で母が全ての繋がりに気付くのが遅れてしまった。私が何事もなく達者だったことも理由の1つだったと思う。
そもそもの発端は、女子メンバーのわこちゃん。36で第三子を妊娠、妊娠中毒症で出産時に出血多量で亡くなった。あの時「ホルマリン漬けの赤ちゃんは赤かった」と言った子である。次は、男子メンバーのかっちゃん。新築の家を建ててすぐに、炭鉱の坑道の地盤沈下で全壊。保険に入っていなかったため、家族は離散し、本人は行方不明。お札のかけらを踏んで喜んでいた子である。その歳は37。次は、女子メンバーの二人、さっちゃんと、ゆんちゃん。大人になっても二人は仲が良く、年に一度は温泉旅行などに行っていたのだそうだ。38になって、独身だった二人は海外に旅行しようと、アジアのある国へ行った。
そこで流行り病にかかり、異国で帰らぬ人になったと言う。毛穴という穴全てから血を流し、変色して皮膚は黒くなったかのようだったとのこと。二人は、「ホルマリン漬けの赤ちゃんは、黒じゃなかった?」とはしゃいだ子たち。
須美ちゃん。須美ちゃんは40歳になる年、インフルエンザ脳症で亡くなった。
大人がかかる事は稀、ということで治療が遅れ、発見時には朦朧とし、誰のこともわからなくなっていたらしい。「ホルマリン漬けの赤ちゃんの脳みそグチャグチャにしてやるんだー!」あの時、はしゃいでいた須美ちゃんの声は今もはっきり思い出せる。
男子メンバーの二人は県外に引っ越ししていたので健在だと思われていた。しかし、この度の豊くんのことで当時の担任の先生から連絡があり、聞いたところによると、彼らは高層ビルの建設作業中、足場から落ちて亡くなっていたという。薬袋を祟りじゃー!と喜んで撒いていた二人である。二人が、紙のようにひらひらと落ちていったとのちに調べた過去の新聞でコメントされていた時、私は頭を抱えた。
そして、豊くんも亡くなった。
あの時の結界を破った全員が、もうこの世におらず、生き残っているのは私だけということだ。両親が必死にお祓いをしてくれたからなのか。
形代を川に流してくれたからなのか。
母が言う。「豊くんが最後に逝ってしまって、次はあんたかと・・・。怖くて仕方ないんだよ。」
私は結界を破ってはない。帰ろうと諭し、薬袋は拾ってまとめていた。
私は生きている。生きているが、あの8人を思うと安泰に暮らせるとは思えない。
そして、最近喘息発作を起こすようになり、夜眠れないことが増えた。
あの時、K病院は酷くホコリっぽかった。咳を何回もして早く帰りたいと思っていたのだ。本当に帰ればよかった。そしてなぜ、あの肝試しに着いて言ったのだろうかと後悔しかない。
K病院の跡地は、現在、一般の住宅街になっている。
あの禍々しい死霊、40の呪いは終わったのだろうか。
確かめる勇気は、ない。

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計点
毛利嵩志151510101060
大赤見ノヴ181717171685
吉田猛々201817171890
合計5350444444235

 

書評:毛利嵩志
ありふれた肝試しものでありながら、呪いの内容やメンバーのキャラ立て、その後が克明なのが良かったですね。ランドセルが出て来て初めて小学生だとわかるので、早い段階で明かした方がいいかもです。

書評:大赤見ノヴ
救いようのない自業自得のバッドエンドパターン。絶対に禁忌を犯してはいけないんですよ。そんな注意喚起を軸に全員が不幸になるお決まりの流れが文章の綺麗さで何故か新しくも感じました。幽霊が出てこないのに怖さと嫌さが読み終えた後に残っている秀逸な作品だと思います。オーソドックスが故に意外性が無いので非常に勿体無いです。

書評:吉田猛々
とても怖かったです。廃病院という定番の心霊スポット話でありながら、呪術的な事に話が及び、その歴史的背景も話に深みを増しているように感じました。数字にまつわる連鎖的な不幸、幼い頃に破ってしまった禁忌により亡くなっていった友人達。Sさんの無事を祈りつつも、非常に良質な怪談だったなというのが率直な感想です。