「オレンジ色の道着」

投稿者:ひげ

 

生まれも育ちも札幌の中心部だった私は
子供の頃、夏休みや冬休みを
お婆ちゃんの住む富良野の田舎で過ごす
のが大好きでした
トム・ソーヤーの冒険宜しく
毎日が冒険の連続であり
本当に楽しい思い出です。

時は過ぎ、自分が親になる年代になり
子育ては絶対に田舎が良いと思った私は
札幌から車で1時間程の田舎町に
離農した農家の一軒家を中古で買い
念願の田舎暮らしと子育てを両立させ
充実した毎日を過ごして居ました
そんなある日の不思議な出来事でした…

暑い夏の日の夕暮れ
いつもより早めの風呂に入って
昼間の汗を流してサッパリした私は
パンツ一丁の姿で玄関先で涼んで居ました
くわえ煙草でベンチに腰掛け
なんとな〜く玄関前に広がる畑や
その先にある単線だけの
ローカル線の線路なんかを
眺めて居たのです
妙に心地よく何本目かの煙草に火を付け
辺りも大分暗くなった頃、
家からは『お父さん晩御飯だよ〜』と
子供達の声『はぃよ〜』と返事をして

……ん?
あれは何だ?
線路の横を這いつくばって居る人の影、
線路を挟んだ向かいのお婆ちゃんか?
それとも我が家の前の畑をやってる
近所の農家のお婆ちゃんだろうか?
え!
まさかギックリ腰にでも
なったかな?と、
パンツ一丁な事も忘れ
慌てて駆け寄る私だったのだが……

『違う!』
砂利敷きの道を
サンダルで走った上での
急ブレーキで思い切り転ろぶ
『いてててて』擦り切れて
血がにじむ膝を見ながら
流した目線、その先には……
老婆としか思え無い真っ黒な人影が
四つん這いのまま
踏切の前に差し掛かる所でした
転んだ痛みと異様な人影の恐怖で
飲んだ息を吐く事も忘れ
ただただその場で固まってしまった

後日、近所の親しい方に話しを聞くと、
踏切を挟んだ向かいの家のお婆ちゃんは
実は後妻さんであり、
最初に貰った奥さんは旦那の
酒癖の悪さや暴力を悲観して
その踏切近くで、走る列車に飛び込み
自ら命を断ったのだそうです。
『腰の悪い人でねぇ
畑でもギックリ腰になって
よく畑から家まで運んだもんだよ』
そう付け加えられた

『せっかくあんたら若い夫婦が
買った家だから、余計な事は
言わんつもりだったんだけど…
アンタがそこまて聞くから』
と、少々気まずそうな顔で
答えてくれたのでした…。

と、ここまでの話し
『なんか聞いた事あるぞ』って
方も居られるかと思います

それもその筈、
実はここまでの話しは
2022年の秋頃に
ナナフシギのチャンネルに
BBゴローさんがコラボ出演した際
にBBゴローさんによって
語られた私『ひげ』の投稿で
この投稿が読まれた後に
ゴローさんやナナフシギの2人から
この後に障り(サワリ)の様な事
とか無かったのか?
その後は無事に過ごす事が
出来てるのか?等
考察と心配が語られる事となった…

そして今回、
そのアンサーとして
その後の私『ひげ』と
その家族が
どんな目にあったのか……。

その全貌を
この怪奇宴に記したぃと思い
ペンを取った次第です。

この『四つん這いの老婆の影』
の体験から数日後の事
家族揃って日中の
車で買い物した帰り道
いつもの様に問題の踏み切りを
渡ると我が家に到着!
と言う時だった…
『お父さん、アレ何?』
と、下の娘の声がする
指し示す指の方へ目線をやると
恐らく十数名位の人影の様な
モヤの様なハッキリと
しない姿の集団が
モヤモヤっと蜃気楼の様に
見えて来た
まだ昼間なのに……。

『なんかさ、ドラゴンボールの
クリリンみたいなの着てるよね』
続けて下の娘が言った、
どうやら娘には
あのアニメに出て来る
オレンジ色の道着の様な
格好をした集団が見えて居る様だ
小さい頃から俺以上に感の鋭い
下の娘には割りとハッキリと
人の姿に見えて居る様だった。

『ドラゴンボールの服なの?』
と聞き返すと、
『うん、あんな感じの
オレンジ色の服着た
オジサン達が歩いてるよ!』
『なんか変なの』
悪びれずに答える姿に
違う意味で恐怖を感じる俺w

『ソコの親子、気持ち悪いから
早く家に帰って』と
当時の嫁の声と
冷ややかな上の娘の目線に
『あ、ゴメンそうだなw』と
踏み切りの左右を確認する

右、異常無し
左、助手席の嫁の姿が目に入った
と、同時にその後ろに何か気配が…
『お母さん、後ろに誰か居るって』
下の娘が大声で叫んだ
『キャッ!イヤだ、怖い』
突っ伏した嫁の背後
助手席の窓の外に大柄な男の影
が見えた…
『あ、ドラゴンボールの服!』
下の娘のが叫ぶ

俺にも一瞬だが薄汚れた
柔道着の様な
着衣が見て取れた、
恐怖心で一気にアクセルを踏み
踏み切りを渡って
我が家へと到着したのだが
恐怖の現場となった踏み切りが
我が家の目の前と言う事もあり
家族揃って重苦しい空気に
なって居たのは言うまでも無い

今になってではあるが、
あの時に下の娘が言った
『ドラゴンボールの服』
と言う言葉にもう少し深く
考えを巡らせて居れば……

その後に起こる不幸は
もしかしたら、
防げて居たのかもしれないが、
この時には単に怖い体験と
言うだけで、アレが一体
何だったのか?
どんな集団だったのか?
などと考える気持ちの
余裕は無かった…

その後も何度となく
四つん這いの老婆の影と
オレンジ色の道着を
着て居るであろう集団の影
を見ては恐怖を感じる日々

初めて姿を見た時から
2、3ヶ月が
経った頃だったろうか
姿を見る事は出来無いが
一番恐怖を感じて居たであろう
当時の嫁がこの件が銃爪に
なったのか、鬱の症状を訴え出し
やがて入退院を繰り返す様になり
家事や育児もロクに出来無い程
重い状態になってしまった…。

2人居る内の下の娘は
自分が変なモノを見た事を
つい口に出して
しまったせいなのでは?
と子供ながらに自分を
責めて居る様子で
依頼、見えるモノの話しは
親の顔色を見ながら言う様に
なってしまった

そんな中、
当時の嫁の母親が
せめて子供達の面倒くらいは
と言う事で、泊まり込みで
家事全般を嫁に代わって
やってくれる様になり
かつての明るく楽しかった
家庭も、少しよそよそしい
空気が流れる事となる

この間何度かの嫁の自殺未遂
騒動がありながら
3年が過ぎた頃だった…

またも自殺行為を
繰り返した嫁に対して
『頼むから失敗しないで
死んでくれや』と、思わず
心の声が口をついて
出てしまう俺…
この頃は
俺も心が限界だったのだ

それを聞いて居た
嫁の母親が、さすがに
もう元の夫婦に戻るのは無理と
判断し、
離婚する事に同意してくれ
子供を嫁に渡すと言う条件で
俺の家庭は終焉を迎える
事となってしまった。

いよいよ家族として
最後になる晩餐を迎え、
嫁が久々に料理を作ってくれた
気を利かせたのであろう
嫁の母親は嫁と子供達の
引っ越し先の掃除に出掛け
久しぶり、
そして最後の親子4人での
水入らずとなった

『沢山食べてねぇ』
久しぶりに見る嫁の笑顔
『いただきま〜す』と
出されたシチューを
口一杯に頰張る俺……

『ブハ〜ッ』
口に含んだシチューを
思わず吹き出す俺
味がおかしい
変な苦みがあり
ガソリンや灯油の様な臭いもした
子供達に『食うな!』と
手を止めさせた途端
『食べてよ〜』
『お願いだから全部食べて〜』
と、号泣しだす嫁、

この家は離農した農家を
買い取った家、
除草剤を始め殺虫剤や殺鼠剤などが
物置に仕舞ったままになって居た
事を一瞬で思い出した

何を入れたのかは不明だが
一家揃って無理心中を計ろうと
した嫁の計画は
間一髪で食い止められ
翌日の予定だった引っ越しを
急遽、その夜の内に行い
嫁と子供達を引っ越し先に
送り届け、帰宅出来たのは
既に深夜だった

下の娘をずうっと見守って来た
大型犬のロットワイラーが
『娘は何処?』
と言わんばかりに
家の中のあちらこちらを
せわしなく探し回って居たのが
印象的な夜だった…

『チビ(下の娘)はもう
居ないんだぞ』と頭を撫でて
慰めるも
諦めきれずにスウ〜っと
下の娘の部屋へ行き
守るべき者が居なくなった
ベッドの下で、
まるで帰りを待つ様に
横になる愛犬
結局、眠れぬ夜を過ごした俺が
朝に様子を見に行くと
そのままの姿勢で冷たくなって居た

冷たくなった愛犬の
バスケットボールより大きな
頭をギュ〜ッと抱き締めながら
俺の中の一つの歴史と言うか
家族の歴史が終わって
しまったんだな〜と思ったら、
思わず泣けて来た。

その後
例の踏み切り近くの
老婆やオレンジ色の道着の集団
は勿論だが、別れた
嫁の生き霊が毎夜の様に現れる
様になり、
さすがに耐えられ無くなってしまい
自宅の近くに1R(ワンルーム)
の部屋を借りて
そこで寝泊まりする様に
なったのだが、
結局は地元である札幌へと居を
移す事になってしまった。

やがて、
現在の嫁と知り合い
現在に至るのであるが、
2人共、郷土資料館などが好きで
たまに見学に出掛ける事を
楽しみの1つにして居た、
そんな中でかつての自宅の
近くにある郷土資料館を見つけ
見学に行った時、驚きの
展示を見掛ける事になってしまう

そこは
◯◯◯◯博物館
(月形樺戸ツキガタカバト)博物館

元◯◯集治監、◯◯監獄
(樺戸集治監カバトシュウチカン、樺戸監獄)
と呼ばれた場所の事務所だった
部分を資料館にした場所との事
その名の通り昔の刑務所で
犯罪者と言うよりは
主に明治政府に反目して
幕府側へ味方したり
反明治政府運動をして居た
犯罪者と言うより政治犯と
言うべき人達が
主に収監されて居た場所で

後に屯田兵達が入植し
開拓を進める際に通ったであろう
道を先に切り開いたのが
ここの囚人達であったとの事

更にこの様な場所が他にも
北海道内に複数存在し
当時の北海道の礎(イシズエ)と
なったのだと言う事だった。

そんな集治監跡を見学して居る中
ハッと息を飲む光景…
展示物を発見する事になった

それは、当時の様子を再現した
ジオラマだったのだが、
当時の囚人達の生活や作業の
様子が再現された模型で
その囚人達が着て居る囚人服
あるいは収監服が……

なんと!
オレンジ色だったのだ!
当時は朱(シュ)と
呼ばれたらしぃのだが…
それはまるで
オレンジ色の柔道着の様に見え
あの時、娘が口走った
ドラゴンボールに出て来る
『クリリンの道場着』
そのまんまだったのだ。

看守に先導され
10数名のオレンジ色の
囚人服の男達が行列して歩く姿、
あの時のイメージとダブった…

『この人達だったんだ〜!』
思わず口を付いて出た言葉に
訳が判らず口をポカ〜んと開き
俺の顔を覗き込んだ
今の嫁に当時の出来事を伝えながら
資料館の資料や展示を読み漁り
帰ってからもネットを始め
付近に住む年配者達への聞き込みと
出来る限り調べてみた

その中で
そもそもこの辺りの道路は
現在の国道の部分では無く
それよりも少し山側の部分で
鉄道、つまりは線路付近
では無かったか?と言う事だった。

加えてこの◯◯集治監
(樺戸集治監)
のスグ近くには◯◯◯囚人墓地
(篠津山囚人墓地)
と言う集治監の囚人達の
眠る墓地があり
そこにはなんと千人を超える
囚人達の名前が刻まれて居り
元々は合葬されて居たものが
比較的最近になって
墓石に名前を入れ整備された物
なのだが、千人を超える人数を
目の当たりにすると、
改めて圧倒される

作業中の事故や病死は勿論、
更に驚くのは看守による
斬殺も含まれると言う事だったが

各地に人柱として埋められたり
現場に遺棄されたり
して居る囚人達も
多数居るであろう事は
近年になってからも
北海道内の
JRのトンネル等から人柱が
見つかったりして居る事からも
想像に難くないのである。

そんな事を踏まえれば
ある意味、想像を絶した数の
人間達の怨念が籠もった
『忌み地』と言えるのでは無いか
自分勝手な考察かもしれないが、
そう思わざるを得ない
資料や展示そして史実の数々だった

あの時、
下の娘が口走った
『ドラゴンボールの
クリリンみたいな服』
見て居たのはこの囚人達が
当時は通り道であった線路沿いを
行列して歩いて居る姿を
見て居たに違い無いと思った

『忌み地』
そう考える理由は他にもある
冬場は一緒に働く事も゙あった
当時の所謂(イワユル)パパ友が
何の前兆も無く
自宅納屋で首を吊り突然の自殺

ちょっと前には
スグ近くの商店の息子が
店舗部分で首を吊って自殺
スグ向かいの家の息子が
酔ったまま田んぼのあぜ道に
転げ落ちたまま死亡と
スグ近所だけでも
これだけの不幸があった

後にわかった事だが、
この3人にはそれぞれ
程度の差はあるが、
鬱の症状が出て居たと
言う事だった。

今にして思えば俺も当時の家族も
命が無事だった事をむしろ
喜ぶべきなのかもしれなぃ…
とさえ思えて来る
10数年を経て
そんな気持ちに
やっと切り替える事が出来た。

失ったモノは帰っては来ない
ただ、あの時に
この史実に気が付いて居れば…
何らかの供養等を行っていれば
あるいは……
そう考えると
悔しい気持ちがや後悔が
無い訳では無いが

そんな気持ちを押し殺して
囚人達の墓に手を合わせ
自身の
悲しい記憶に蓋をする事にした。

その後、踏み切りや線路は
最近になって廃線になり
撤去されてしまったが
あの四つん這いの老婆
そして、
オレンジ色の囚人服の集団達は
それぞれかの地に
縛り付けられる様に存在して
居るのであろうか?

今、文末を締めくくろうとする
私の耳元で、少し野太い
男の寝息の様な呼吸音がしている
部屋には私と嫁の2人しか
居ないのだが……。

これが
更なる因縁の始まりで
無い事を祈り、
私とかつての家族達の話しを
締めたいと思う。

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計点
毛利嵩志101515101060
大赤見ノヴ181817181687
吉田猛々181616161783
合計4649484443230

 

書評:毛利嵩志
「クリリンのようなオレンジの服」というフレーズといい、改行の感じといい、長文を書き慣れた方ではないと思いますが、そこから歴史の闇に触れていくリアルな手触りを評価しました。

書評:大赤見ノヴ
読み終えた後に心から前妻とお子様の幸せを願わざるを得なかったです。実体験なので作品と称するのは心苦しいのですが…あえて踏み込むと、これですこれ!真の恐怖というか無差別に来る問答無用な不幸。そこに、住んだだけなんですよ。私はその理不尽なところが霊の怖さだとも思ってるのでこの話は怖かったですね。それでいてユーモアさもしっかりあります。一つだけ…言わせてもらうと冒頭の我々のチャンネルで…の件のとこを無くしてしっかり作品として初めて貰えれば私の中でトップでした。

書評:吉田猛々
とてもリアルな独白、胸に迫ってくる内容でした。ひとつの家族生活の終焉、そして忍び寄る怪異の正体。コミカルな表現と実際の悲しい歴史のギャップにも驚きました。光の当たりづらい史実はきっとたくさんあり、読書後に歴史を学べる事は、こういった怪談のとてもよいところだと思いました。