家族に捨てられた老人と逆五芒星の呪符の話をしよう。1980年代後半、当時私は、勤務する電話系IT会社の独身寮があるK県M市に住んでいた。当時はバブル末期で、私は基本給より残業代が高くなるほど馬車馬のように働かされていていた。そんな冬のある日、他部署のトラブルが原因で仕事が進まなくなった私は、定時に帰るこを珍しく許された。定時で帰れることが嬉しかった私は、何を食べようか、寮に帰ったら友人の部屋に行ってゲームでもしようかとウキウキしていた。
独身寮の最寄り駅を降りた私は、改札の人混みの中に白杖(はくじょう)を突いた老人がいることに気が付いた。老人をAとする。Aは独身寮と同じ方向に住んでいるらしく、過去に何度か歩行のお手伝いをしたことがあった。私の母が障碍者(しょうとくしゃ)を積極的に手助けする人で、その背中を見て育ったからだ。Aは重度の弱視で準盲(じゅんもう)にあたり、文字や物の形を識別するのが難しいため、主に視覚以外の感覚を頼りに生活していると以前Aに聞いたことがあった。私はAに近づき声をかけた。
「こんばんは、Aさん。ご帰宅されるのであればお手伝いしますよ。」
「ああ、私さんでしたか。それじゃぁ、またお願いできますか?」
Aは瞼を閉じたままの笑顔で私を振り向いた。私はAの左側に立つと、右肘を張った。Aが肘に掴まったのを確認した私は、私が車道側になるようにAを誘導しながら歩き始めた。駅から独身寮は徒歩10分ほど離れている。私とAは世間話や季節の話をしながら歩いた。だが、歳が離れていることや日常生活での接点がないこともあり、共通の話題を見つけるのが難しかった。Aも積極的に話題を振ってこないため、早々に気まずい沈黙が訪れていた。まばらな街灯で薄暗い道を歩いていると、ようやく独身寮に着いたので私は立ち止まった。
「じゃあAさん。寮についたんで、私はここで失礼しますね。」
私がAをお手伝いする時は、独身寮と駅や商店街までの間だけだった。いつもならここでAがお礼を言って別れるのだが、なぜかAは私の右肘を掴んだ手を離さなかった。いつもと違う反応に私が戸惑っていると、瞼を閉じたままの笑顔をAが私に向けた。
「私さん。いつもお世話になりっぱなしですから、お礼させてください。お礼したいので家まで送ってください。お茶出しますから、飲んでいってくださいよ。」
障碍者に対する私の考え方はこうだ。私にできる範囲であればお手伝いするから、お礼は『ありがとう』だけでいいし、可能な限り自分自身だけで生活してほしい。お手伝いではなく介護を頼みたいのであれば、家族か自治体の福祉に頼るべきだ。正直に言うと、私がAの家を知ることで、Aの送迎を依頼されるようになっては溜まったもんじゃないと考えていた。なので私はAの申し出を断った。しかし、Aは何度も食い下がってくる。冬の寒空の下で拘束されるのはイヤだし、せっかく定時に帰れたので早く自分の時間を満喫したかった私は、面倒ごとは早く終わらせたいという思考になって行き、Aの家に行くことを渋々承諾した。Aは嬉しそうに「こっちです」と私の右肘を掴んだまま歩き始めた。
歩いていると街灯の数がさらに減り、だんだんと木々が目立ってくる。Aは黙ったままだし、私も話題がなかったので沈黙に耐えていた。しばらくして「着きました。ここですよ。」とAが言った。独身寮からさらに10分ほど遠方だった。私の目の前には、築50年は超えていそうなアパートが建っていた。アパートは木々に囲まれており、全ての部屋に灯りがない。周囲の民家にも灯りがない。街灯以外、周囲に灯りがないのだ。たまたま全の住人が帰宅していない、なんてことがあるのか? 私が得体の知れない不安を感じていると「こっちです」とAが慣れた様子で階段を登り、2階角部屋に私を誘導した。Aがスムーズに鍵を開けると、私は部屋に案内された。
Aの部屋を一言でいうと、「簡素」であった。6畳一間に小さな冷蔵庫と小さなキッチン。1つだけあるタンスとテレビの代わりだろうか年代物と思われるラジオ、そして黒電話。ほとんど目が見えないためか、飾り物はない。何より目を惹いたのが壁だ。全面むき出しのベニヤ板になっていた。少ない家財と壁の色が部屋全体を寂しいものにしていた。Aは私を畳の床に座らせるとキッチンへ向かった。自宅では距離感がつかめているのか、白杖は使っていなかった。
「いや~、いつも私さんには助けられていますよ。」
そう言いながらAはカルピスを作って出してきた。一口飲んだが、とても薄味で、これなら水を飲んだ方がマシだった。そして訪れる何度目かの沈黙。Aが何も喋らなくなったので、話題を探そうと思った私は「部屋を見てもいいですか?」とAに尋ねた。Aは無言で頷いた。私は飾り物はないと思っていたが、冷蔵庫の上にフォトスタンドを一つ発見した。近づいて見ると少し色あせたカラー写真で、5人ほどの集合写真だった。この際、話題になれば何でもいいと思った私は、フォトスタンを見ながら質問した。
「この写真、Aさんのご家族ですか? ずい分前の写真ですね。」
「家族か・・・。家族だったころの写真、かな。」
もし家族と死別していたとしても『家族の写真』と答えるのが普通だ。『だったころの写真』とは言わない。今現在も生存しているが、Aとは家族ではないと言う意味だろうか。
「まだ目が見えていて、猛烈に働いていたころの写真ですよ。」
私は背後の気温が下がった気がした。私は勝手な想像をした。私が生まれてすぐぐらいに「オー、モーレツ!」というCMのフレーズが流行った。そのころ大人だった人は、好んで『猛烈』という言葉を使った。ということは、約20年前にAは事故か病気で弱視になり、家族と縁を切ったか、切られたのではないか? それ以来、弱視に苦しみながら孤独に生きてきたのではないか? そんなことを考えていると、Aが無理して明るく振舞っているような声で言った。
「カルピス、もう一杯どうです?」
Aがそう言うと「チッ」と短い舌打ちのようなものが聞こえた。
「いえ、もうお暇します。ごちそうさまでした。」
反射的にそう返答しながら私が振り向くと、私が一口だけ飲んだコップを手にAが固まっていた。Aはしばらく黙った後で、悲しそうに笑うと「美味しくなかったですか?」と言った。コップの重さで、ほとんど飲んでいないことを知ったのだろう。
「実はカルピス苦手なんです。飲むとタンみたいなものが喉にからむじゃないですが。あれが苦手で・・・。」
私はとっさに嘘をついたが、すぐに後悔した。視力に難がある人は、微妙な抑揚から相手の感情を読み取る。きっと嘘だとバレただろう。Aは無言で立ち上がると玄関へ向かった。帰る私を見送ってくれるつもりなのかと思っていると、Aは玄関のカギをかけ、さらに南京錠を追加でかけた。Aのアパートは築年数が経っているだけにドアの鍵が閂式(かんぬきしき)と古く、セキュリティ的に南京錠も併用していたのだろう。だが、なぜ鍵を閉めた? 驚いた私が、どういうつもりか聞こうとした時、Aがキッチンで何かごそごそしながら呟いた。
「・・・のに。」
声が小さくて私には聞き取れなかった。
「・・・だけなのに。」
Aが背を向けたまま肩を震わせていた。
「友達になってほしかっただけなのにぃぃぃ!」
そう叫びながら振り返ったAの手には、包丁が握られていた。これは面倒なことになったと思いながら、私は状況を確認した。数年前、別件でトラブルに巻き込まれたときに包丁を突き付けられたことがあったのが幸いしたのか、パニックにならずに済んでいた。南京錠をかけられたドアから逃げ出すのは無理だ。周囲の住人はいなさそうだし、大声で助けを呼んでも効果はないだろう。窓に柵は見当たらないので、窓から脱出するしかない。窓は私の左手側1.5mぐらい。正面のAとの距離は2mぐらい。
「私さんもそうか? 太郎と同じでオレを拒絶するのか!」
太郎なる人物に心当たりはない。私はジリジリと窓に近づいた。Aにはほとんど私が見えていないはずだ。
「私さんもそうか? 太郎と同じでオレを捨てるのか! ・・・ん?」
Aが何を言っているのか判らなかったが、Aがキョロキョロしだしたのを見て、移動したのがバレたと判った。その瞬間、Aが短く「チッ」と舌打ちした。Aはなぜか正確に私の方を向き、一気に私との距離を詰めると包丁を突き出した。私は身を躱しながら思わず「うわっ!」と叫んでいた。するとAが「チッ! チッ! チッ!」と高速で舌打ちを連打しだした。そして再び正確に私の方を向き、包丁を突き出した。私は包丁を躱しながら、なぜAが私を追尾できるのかとパニック状態だった。後年、テレビを見て当時Aが何をしていたのかが判った。テレビではアメリカの弱視の人が取り上げられていた。その人は連続した舌打ちをすることで、その反響音をコウモリのように捉えて周囲の状況を把握していた。その人は杖なしで歩き、机に置かれたものが何なのか、手を触れずに判別していた。恐らくAは同じことをして私を追尾していたのだろう。なぜAが日常で舌打ちを使わなかったかは謎だが、恐らく、無駄に舌打ちをする変人と見られるのを嫌ったのかもしれない。
正確に私の方へ包丁が突き出されるので、悠長に窓の鍵を開けて逃げる時間はない。私は体当たりして窓を破ることを決意した。ここは2階だから落ちて怪我をするだろうが、そんなことに構ってはいられなかった。何度目か包丁を躱した後、私は全力で窓にぶつかった。が、映画や漫画のように窓が破れることはなく、私は体勢を崩してよろめいた。私がしまったと思っていると、右腕前腕部に鋭い痛みが走った。Aの包丁で切られていた。
「どうしてだ? みんなでオレを邪魔者扱いしやがってぇぇぇ!」
その後もAが訳の分からないことを喋り続けた。私の右腕は痛み、出血していたが、傷は深くはないようで動かすことはできた。万策尽き、負傷して体力的にも後がない私は、何とか脱出する方法はないかと部屋を見回した。今まで気づかなかったが、むき出しのベニヤ板の壁に異物が貼ってあることに気が付いた。お札だ。手を伸ばせば届く高さに、お札のようなものが貼ってある。お札にはサンスクリット語(梵字)も漢字も書かれていない。逆五芒星だけが書かれている。装飾品には見えないし、家内安全などのお札とも異なる。ほとんど目の見えないAが、わざわざ『そこ』に札を貼るだろうか? そんなことを考えていると、Aの高速舌打ち連打が再開された。多少オカルトの知識がある私は、Aの包丁を躱しながら逆五芒星の意味を思い出そうとした。六芒星が力の放出で、五芒星は力の蓄積だったはず。では、逆五芒星は何だったか? 力の漏出や枯渇で、西洋では悪魔の象徴ではなかったか? だとすると、あの札は呪符ではないか? Aが重度の弱視だから、呪符を貼っても見えないと知って貼られたものではないのか? Aの生命力か運か正気か、何がしかのものがあの呪符に吸われて、どこかに漏れ出しているのではないか? Aの包丁を躱しながらでは考えがまとまらなかった。
「あんたもそうか? あんたもオレを邪魔者扱いするのか? だったら、なんで何度もオレを助けた! オレは、オレは友達になってほしかっただけなのにぃぃぃ!」
Aが叫んだため、舌打ちが途切れた。今なら追尾できないと思った私は、逆五芒星の呪符に飛びつき、剥がしてビリビリに破いた。もう何でもよかった。何か起きなくても無駄な足掻きをしたかった。
「ん? 何をした? まぁ、いい。太郎や近所の奴らにはできなかったが、あんたにはオレの悔しさをぶつけられそう・・・だ・・・」
そう言うと、Aが嘔吐(えず)き始めた。嘔吐く度に口から灰色の液体だが個体だか判らない何かが吐き出されそうになるが、すぐにAが飲み込んでしまう。そんな状態でも私を刺そうとしていたAだが、嘔吐きで高速舌打ち連打ができないせいか見当違いの場所を切りつけだした。チャンスだと思った私は、黒電話に飛びついた。当時はダイアル式の電話だ。ダイアルの回転は遅いため、電話をかけるのに時間がかかる。電話系IT会社の技術者だった私は、素早く電話をかける方法を知っていたので、それを実行した。受話器を乗せる白い部分を1回、1回、10回と高速で連打した。電話が110番につながると、私は黒電話本体の場所を移動させ、次いで受話器を遠くに投げて叫んだ。オペレータの返答がAに聞こえると、受話器や黒電話本体の位置がバレて電話を切られる可能性があったためだ。
「返事はしないでください! 繰り返します、返事はしないでください!」
何かが起きたと気づいたAが、嘔吐きながらも私の声がする方へ包丁を突き出し続けていた。私はできるだけ黒電話の反対側でAの包丁を躱しながら叫び続けた。
「監禁され、刃物で襲われています! 住所は〇×(独身寮の住所)から徒歩10分圏内で、林の中の古いアパートの201号室。ドアは南京錠で施錠されていて開けられません! 犯人は弱視なんで今のところ避けられていますが、部屋が狭いのでいつまで持つか判りません!」
警察を呼ばれたと悟ったのか、Aが意味不明な叫び声をあげた。だが、通報を終えた私が黙ると、嘔吐きが止まらないAは私を追尾することができなくなった。後はAが近くに来た時だけ避けて警察を待った。窓から逃げなかったのは、窓の鍵を開けて飛び降りるまでに、鍵を開ける音に勘づいたAに背中を刺される可能性が高いと踏んだからだ。
体感で20分ぐらいたっただろうか。電柱の工事などで使われる高所作業車を使い、窓を破って防刃チョッキを来た警察官が突入して来た。Aは取り押さえられた。
私が警察で事情聴取される中で、Aは迷惑行為で度々通報されていたと聞いた。ボロアパートに彼しか住んでいないのも、周囲が空き家だらけなのもAが原因だそうだ。警察が私の通報に即応できたのも、通報した大体の住所と弱視というキーワードで特定できたからだそうだ。
Aは前科があったのか、執行猶予がつくことはなく、監禁致傷罪として実刑判決を受けた。法廷でのAは憑き物が落ちたように静かだった。証人として私が出廷した際、Aの家族は誰一人として傍聴席に現れなかった。
あくまで私の感想だが、Aは何らかの理由で家族に疎まれていたのだろう。疎まれながらも経済的理由から家族は離れることができなかった。しかし、Aが事故か病気で弱視になり、働くこともままならなくなったとき、家族は遠慮なくAを切り捨てたのだろう。切り捨てたとは言え、Aの住む家の保証人にならざるを得なかったり、自治体から経済的にAを支援するよう言われただろう。いつまでも切れない悪縁にAの早世を願う家族が出てもおかしくないが、それを大っぴらに行動に移すと家族の方が世間に叩かれる。Aに早世してもらうには、家族の関与が疑われない原因不明の死か、自爆的な要因の死が望ましい。逆五芒星の呪符がAの運も正気も少しづつ枯渇させ、孤独と自爆へ追い込んだのではないか? Aは年齢的に獄中死する可能性が高い。刑務所にいる間は経済的負担もしなくてよくなる。逆五芒星の呪符を貼った者の意図は達成されたのだ。逆五芒星の呪符をAの家に貼ったのは誰か。Aにアパートをあてがった際に、Aを切り捨てた後に家族の大黒柱になったであろう太郎が貼ったのではないか? そして私は顔も見たことがない太郎に、Aが自爆するために利用されたのではないか? そう思うと私は陰鬱な気持ちになった。
私は現在でも障碍者を見かけると、積極的にお手伝いをしている。お手伝いはするが、必要以上に仲良くなるのは避けるようにしている。第二の逆五芒星の呪符を使う者に利用されないために。