「おろげの死に夢」

投稿者:神崎マコト

 

 これは私が中学生の頃に起きた、恐ろしいできごとです。

 当時中学三年生だった私――塩谷ハルミ(仮名)――は、たびたび奇妙な夢を見ていました。
 学校で授業を受ける夢なのですが、なぜか、担任が人間ではないのです。
 薄暗い教室を行き来するのは、黒い人型の影です。影は上半身だけが不気味に痙攣していて、常に何かぶつぶつとつぶやき続けていました。そのつぶやきは低く籠っていて、何を言っているのかは聞き取れません。周囲の同級生たちはみな無表情で黒板を見つめていて、影などまったく見えていない様子です。影を認識しているのが自分だけかと思うと、私は心臓が痛くなるくらい緊張してきて、そこでいつも目が覚めるのでした。
 あまりにも毎日同じ夢を見るので、私は親友のサヤカに相談してみました。するとサヤカは顔をしかめて耳打ちしてきました。
「それ、松田のせいじゃない?」
 クラス担任の高木先生が産休に入るため、数週間前に松田という男性教師が代理のクラス担任として赴任してきていました。松田は三十代前半で見た目は普通なのですが、無表情で妙に雰囲気が重く、赴任初日から第一印象が最悪でした。加えて、女生徒を文字通り舐め回すようにじっと見据えてくる様子が大層不気味で、そのためにクラス全員が松田にあまり関わらないようにする空気になっていました。
「あいつ、何かと理由をつけて女子に触ろうとするから超気持ち悪いんだよね……高木先生早く戻ってこないかな」
 サヤカがそう言ってため息をつきました。私ももちろん、同じ気持ちでした。
 そう言われてみると確かに、夢を見始めたのは松田がクラス担任になって以降です。そんな夢を見るほど私は松田が苦手なんだろうかと、自分でもよく分かりませんでした。

 そんなある日、私のクラスに転校生がやってきました。私の住む町はとても田舎なので、転校生なんて珍しいなと思った記憶があります。
 少々尖った雰囲気のその転校生は、黒板に「多賀ユウマ」と自分の名を書きました。相変わらず無表情の松田は、チョークを置いたユウマくんに話しかけます。
「ぼくも赴任してきたばかりなので、一緒にゆっくり環境に慣れていきましょう」
 でもユウマくんは、松田をじろりとひと睨みしただけで、返事どころか口も開かなかったんです。私の隣に座ることになったユウマくんは、どすんと音を立てて椅子に腰かけ、足を組んでそっぽをむいてしまいました。
『何だか怖い……先が思いやられるなぁ』
 接したことのないタイプのユウマくんが少し怖くて、私はその日一日ずっと落ち着きませんでした。
 イケメンの部類なのにぶっきらぼうで不愛想なユウマくんは、授業はちゃんと受けるものの、なぜか松田には常に反抗的でした。しかも、クラスの誰とも話そうとしないのです。その上、放課後にはさっさといなくなってしまうという不可解な行動が、転校初日から続きました。
 ユウマくんに関してあれこれと噂が立ち始める中、アカネがふと言いました。
「そういえばユウマくんって、あの香山ばあちゃんの家に住んでるってホント?」
「香山ばあちゃんの隣んちの後輩が言ってたから間違いないよ。てことは、ユウマくんも」
「もしかして、霊感……強いのかな」
 香山ばあちゃんとは、町で知らない者はいないほど有名な「霊能者」です。七十代と高齢ですがとても元気なばあちゃんで、香山ばあちゃんに霊視や除霊を依頼しに県内外から相談者が訪れるほどでした。そんな香山ばあちゃんの親族ということは、ユウマくんも霊感が強いのではないか――そんな噂が飛び交うのも当然でした。
「すごく興味あるけど、ユウマくんのあの様子じゃ何聞いてもフルシカトされそう。香山ばあちゃんは優しくて面白いのになあ」
 友達のアカネが残念そうにつぶやきます。そうだねと相槌を打ちながらも、私には少し思うところがありました。
 実は、ユウマくんが転校してきてから、あの奇妙な夢をあまり見なくなっていたのです。ユウマくんとは一度も話したことがないのに、とても不思議でした。それともやはり私の勝手な思い込みなんでしょうか。気のせいだとしても、あの夢を見ないですむのはとても嬉しかったです。

 そんなある日の午後の授業中のことです。
 松田が私の席の真ん前に立ち、問題を解くよう名指ししてきました。難しい応用問題でしたが、前日に予習をしていたので何とか答えることができました。
「正解ですハルミさん。ちゃんと予習してきたようですね」
 そう言いながら松田が私に手を伸ばしてきました。褒めるついでに松田はいつも女子の頭を撫でようとするのです。女子に大変不評で、私も心底嫌だったのですが避けるわけにもいかず、唇を噛んで我慢しようとした、その時でした。
 突然、ユウマくんが私の机を思い切り蹴飛ばしたのです。
 机は大きく揺れて松田の足にぶつかり、松田は私に伸ばしていた手を引っ込めました。唖然として言葉を失う松田を尻目に、ユウマくんはいつものように無言で席を立ち、教室を出て行ってしまいました。
 休み時間に親友のサヤカとミナ、アカネの三人が、私へ駆け寄ってきて言いました。
「びっくりしたけどザマぁって感じ。松田に触られなくてよかったねハルミ」
「うん、ユウマくんもしかして、助けてくれたのかな」
 私がつぶやくと、ミナが大きくうなずきます。
「絶対そうだよ。ユウマくんのことただの不愛想な奴だと思ってたけど、めっちゃ見直しちゃった」
 調子のいいミナの言葉に、私たちは笑い合ったのでした。

 その晩。私は数日ぶりに夢を見ました。
 相変わらず、暗い教室で授業を受ける夢ですが、その日は少し違いました。
 例の奇妙に痙攣する影が、ひとりの女生徒の頭を撫でていました。いえ、よく見ると撫でているというより、こすっている、に近い動きです。こすられている女生徒は私の友達の、ミナでした。
 一心不乱にミナの頭をこする影は、上半身がいつも以上にびくびく痙攣しています。ミナは影にこすられてみるみるすり減っていき、あっという間に頭の半分がなくなってしまいました。鼻の先から下だけになったミナの頭部は、それでも無表情のままです。やがて影が手を引くと、ミナの半分の頭からどっと鮮血があふれ、暗い教室の床が真っ赤に染まりました。
「ひッ!」
 悲鳴を上げそうになった瞬間、私は目を覚ましました。
 ひどく寝汗をかいていて、とてもいやな気分でした……暗い気持ちで学校へ向かうと、教室が何やら騒がしい様子です。ドアをくぐるやいなや、サヤカが私に飛びついてきて声を上げました。
「ハルミたいへん! ミナが、ミナが……!」
「えっ!?」
 泣きじゃくるサヤカが私に告げたのは、あまりにも唐突な、ミナの訃報でした。
 今朝がた、時間になっても起きてこないミナを心配して母親が様子を見に行くと、ミナはベッドに横たわったまま、鼻や口から大量の血を吐き出して亡くなっていたのです。大きな病気などしたこともなかったミナがそんな異常な死を遂げるだなんて、とても信じられませんでした。
 その時ふと、夢の中で影に頭を削られたミナの姿が頭をよぎりました。偶然なのか、それとも――私の頭の中は疑問でいっぱいになり、涙が出る余裕もありませんでした。
 朝のホームルームで、松田は淡々とミナの死をクラスに報告しました。通夜や葬儀についても興味なさげに短く説明しただけで話を切り上げ、重い空気を意に介さず普段通り授業を始めました。松田の冷たい態度に、クラスの皆が違和感と憤りを覚えました。
 ちらりとユウマくんの方を見ると、ユウマくんはいつもより険しい、威嚇するような顔で松田を睨んでいる風に見えました。
 その日の放課後、ユウマくん以外のクラス全員でミナの自宅を訪ね、通夜に参列しました。男子は暗い面持ちで、女子は皆泣きながら、級友との悲しい別れを終えました。私もハンカチで目を押さえてずっと泣いていたのですが、ミナの家を出て固くまぶたを閉じた、次の瞬間。

 私は、あの教室に、座っていました。

『えっ……』
 薄暗い教室にクラス全員が無表情で座っているのを見て、私はぞっとしました。
『まさか私、夢を見てるの? 今の今までミナの通夜にいたのに? ね、寝てもいないのに、どうして!?』
 しかも、夢とは思えないほど何もかもがリアルでした。ぬるく澱んだ空気、教室の独特の匂い、まるで現実そのものです。
 静まり返る教室に、やがて非現実な存在――あの影が、姿を現しました。
 影はいつものように上半身を奇妙に痙攣させ、微動だにしない下半身ですべるように教室を移動しています。今まで以上に強い恐怖を感じて逃げ出そうとしますが、金縛りになっていて指一本動かせません。目だけは動かせたので見える範囲を確認すると、頭が半分になった血まみれのミナの体が椅子にもたれたままになっていました。血の海の床も昨日のままで、私は恐ろしさで息が詰まる思いでした。
 影は教室内を移動しながら、またぶつぶつと何かをつぶやいています。その低く重たい言葉が、ようやくはっきり聞こえました。
『みんなしねみんなしねみんなしねみんなしね』
 全身に鳥肌が立ちました。
 金縛りになっていなかったら、絶叫を上げていたと思います。
 影は痙攣しながらゆっくり振り返り、私の座る方へ滑り寄ってきます。
『来ないで、来ないで!』
 必死に心の中で叫んでいると、影は、私の前の席で足を止めました。親友のサヤカの席です。
 その時なぜか、自分が正気だということを影に悟られてはいけない気がしました。私は必死に無表情を装い、口を引き結んで恐怖に耐えました。
 私の目の前で、影はサヤカの肩を両手でつかみました。
 そしてゆっくり、容赦なく、ねじり始めたのです。
 無表情のサヤカがゴキゴキと体中から音を立て、あらぬ方向へねじられていく――あまりのことに、私の意識は一気に遠のきました。

「ハルミ? 聞いてる?」

 ハッとして顔を上げると、私はミナの家の前に立っていました。
 白昼夢と言うにはあまりにもリアルすぎて、混乱した私はその場にしゃがみ込んでしまいそうになりました。そんな私をサヤカとアカネが慌てて支えてくれました。
「大丈夫? 家まで送ろうか?」
 サヤカが心配そうに私の顔を覗き込んできます。でも私は、サヤカの方がずっと心配でした。
「う、ううん、平気……お願いだから、サヤカも気を付けてね」
 サヤカは不思議そうな表情で、分かったと言ってうなずいてくれました。

 ミナの死は偶然。あの夢は白昼夢。
 突然のことで精神が疲れていたんだと無理やり自分を納得させ、憂鬱な夜を迎えました。その晩は眠るのが怖かったのですが、疲れには勝てずいつの間にか寝てしまいました。
『ま、また……!』
 私は絶望しました……再び、静まり返った暗い教室にいる夢を見ていました。
 すぐさま、ごきん、と鈍い音がします。
 サヤカが今まさに私の目の前で、影にねじられている途中でした。
 例の影が強引にサヤカをひと回りねじると、ゆっくり手を離しました。ねじられたサヤカの体がぶるんと半分ほど戻り、ごぱっと大きく血を吐いて動かなくなりました。血しぶきが机に弾けて真っ赤に染まったのを見て、白昼夢の続きを見ているのだと確信し背筋が冷たくなりました。
『みんなしねみんなしねみんなしねみんなしね』
 影はいつもより上半身の痙攣がひどく、声も同じく奇妙に跳ねていました。私はただただ恐ろしくて今すぐ逃げ出したかったのですが、また金縛りになっていて動けません。
 影はねじれたサヤカの隣、私の斜め前の席の女生徒――アカネの横に立つと、おもむろに両手を振り上げました。
『アカネッ……!』
 ごきん、とどこかの骨が折れるのが聞こえて、私はまた体をすくませました。両の拳をアカネの頭目がけて叩きつけた影は、何度も何度も、凄まじい勢いでアカネの頭を叩き潰していきました。
 どれくらいそうしていたでしょうか。アカネの頭と肩が同化するまで叩き潰したところで、ようやく影の手が止まりました。飛び散った血しぶきで、周囲の生徒が真っ赤に染まっています。それでも、彼らは無表情のままでした。
 私はあまりの恐怖で全身が震え、机と椅子がカタカタと鳴っていました。
 影は、ゆっくりと私の方を向きました。影に顔はないのですが、睨まれた気がしました。
 見つかった――全身から冷汗が吹き出しました。
『お願い覚めて、目を開けて私、早く!』
 影ががくがくと痙攣しながら、私へ近づいてきました。くぐもった低い声がじりじり迫ってきます。
『おまえもしねおまえもしねおまえもしねおま』
『いや、いや! 来ないで!』
 必死に覚めろと念じますが、何事も起きません。いつもなら強く意識すれば夢から覚めるのに。
 影が目の前にやってきました。まるでヘドロのようなひどい匂いがします。影の手が伸びて、私の頭をつかもうとした、その時でした。
「おい」
 私の隣に、誰かが立ったのが分かりました。同時に体がふっと軽くなり、金縛りが解けていました。
「いい加減にしろよ、クソ先公」
 急いで隣を見ると、立っていたのは何と、ユウマくんでした。
「ゆ、ユウマくん!?」
 ユウマくんは私をちらりと見ましたが何も言わず、少しずつ後ずさっていきます。
「根暗のロリコン野郎がコソコソ下らねえことしやがって。ウザすぎんだよ」
 影は、一瞬痙攣を止めたかに見えました。が、すぐにまた激しく上半身を震わせ、後ずさるユウマくんの方へ向きを変えます。座っていた無表情の生徒たちが一瞬でかき消え、教室には私とユウマくんと影だけになりました。
『おまえしねおまえしねおまえしねしおましえねしね』
 ユウマくんは影を誘導するかのように、ゆっくり後ずさっていきます。呪いの言葉を吐き続ける影は��ウマくんを追ってすべっていきます。その時、影の注意は完全に私から逸れていました。
『ハルミちゃん、音を立てないように席を立って教室の外へ出なさい』
 頭の中に、少し甲高いおばあさんの声が響きました。ハッとして周囲を見回しますが、私とユウマくん以外に人の姿はありません。
『今のうちに早く。香山ばあちゃんを信じて』
『か、香山ばあちゃん? ホントに?』
 影を引き付けているユウマくんが、私を見てうなずくのが見えました。
 何もかも訳が分かりませんでしたが、私は急いで席を離れ、ドアへ向かって静かに移動していきました。ユウマくんはその間、椅子や机を蹴飛ばして影の行く手を遮りながら、暴言を吐いて挑発を繰り返していました。その頃には影の放つ声は人の言葉ではなくなり、腹の底に響く吠え声に変わっていました。ユウマくんが気がかりで声を上げそうになりますが、頭の中にすかさず香山ばあちゃんの声が届きます。
『しっ、声を出しちゃいかんよ。ユウマなら大丈夫、ワタシがちゃんと守っとる。急いで、ハルミちゃん』
 私はとっさに両手で口を押さえて涙目のままうなずき、震える手でドアに手をかけました。そのドアは現実の教室のものよりずっと重く、私は目いっぱいの力を込めて引き開けます。
【ぼおおおおおお】
 ドアの軋む音に気付いたのか、影は吠え猛って私の方に向き直りました。私がドアの隙間に無理やり体をねじ込もうとすると、影はユウマくんに背を向け、猛烈な勢いで私に突進してきました。
「急げ塩谷ッ!」
 ユウマくんの声に押され、私は教室の外へ全力で転がり出ました。その間際、影が伸ばした手が私の左足の靴をもぎ取りました。すっぽ抜けた私の靴を取り込んだ影をそのままに、教室のドアは音を立てて閉じてしまいました。

「はっ……!」

 私は目を覚ましました。
 部屋にはすでに朝陽が差し込んでいます。
「お、起きれた……!」
 安堵のあまり深く息をついたのも束の間、すぐに私は異常に気付きました。左足が、ひどく痛むのです。布団をめくって左足を見ると、真っ黒な痣が左足の甲に残されていました。靴を持っていかれただけでこんな痣ができるなんて――触れられたらどうなっていたか、想像するのも恐ろしかったです。
 すると、ノックと共に私の母が部屋のドアを開けました。
「ハルミ、香山ばあちゃんから電話よ。何かあったの?」
 心配そうな母に返事をするより早く、私はベッドからはね起きました。痛む足を引きずりながら電話へと急ぎます。
「もしもし、ハルミです!」
『おはようさんハルミちゃん。朝っぱらからごめんねえ。足は大丈夫?』
「は、はい、何とか」
 答えながら息が詰まりそうでした……香山ばあちゃんには私の状態が視えているのです。
『今日は学校をお休みして、うちにおいで。ユウマと二人、もう少し清めなきゃならんから』
「ゆ、ユウマくんは無事ですか?」
『大丈夫、ここにおるよ。詳しいことは後で教えたげるから、待ってるよ。ああ、お母さんと代わってくれんかな。軽く事情を説明するから』
 母は私から受話器を受け取ると、見る間に真っ青になっていきました。何度もうなずき、必死な様子でよろしくお願いしますと繰り返していました。香山ばあちゃんとの通話を切ると、母は特に私を追及することもなく、体調不良で休む旨を学校に連絡してくれました。
 それから急いで支度をし、母の車で香山ばあちゃんの家へ向かいました。呼び鈴を押すと、中から元気な声がします。
「はいはい、待ってたよハルミちゃん。入っておいで」
「お、お邪魔します」
 広い玄関から中へ上がると、廊下の先から香山ばあちゃんが手招きしていました。呼ばれるままに廊下を進むと、奥の座敷にたどり着きました。立派な神棚があり、陽射しが差し込む明るい部屋です。
「よう」
 そこにはユウマくんもいて、座布団に正座していました。
「よかった、ユウマくん無事だったんだね!」
「当たり前だろ。いいから早く座れ」
 ユウマくんに急かされ、私は慌てて隣の座布団に正座しました。香山ばあちゃんが数珠を手にして、私たちの目の前にちんまりと座りました。
「昨日は大変な目にあったね。二人にはまだ奴の残りカスがくっついとるから、それを綺麗に消しちまおう」
「残りカス、ですか?」
「ああいうのはね、執念深いんだよ。ひとりでも多く道連れにしようとするから」
 ぞくりとして唇を噛みしめる私。香山ばあちゃんが数珠を鳴らし、朗々と呪文のようなものを唱え始めます。目を閉じてそれを聞いていると、体が徐々に軽くなっていく気がしました。最後に小さな盃で清めの水を飲むよう言われ、背中を軽くとんとんと二度ほど叩かれて、儀式は終了したようでした。
「ふう、やっと軽くなった」
 ユウマくんが足を崩してあぐらをかき、深く息をしました。香山ばあちゃんがうなずき、ため息をつきました。
「ミナちゃんたちも助けてやりたかったが、こればかりはどうしようもない。おまえたちだけでも無事でよかった」
「……ミナちゃん、たち?」
 香山ばあちゃんは数珠を懐にしまい、うろたえる私をじっと見ました。
「残念だけど、サヤカちゃんとアカネちゃんは、助からんかった」
「……そ、んな……!」
 サヤカとアカネは、ミナと同じく大量の血を吐いて亡くなっていたそうです。愕然とする私に、香山ばあちゃんは静かにつぶやきました。
「あの松田って教師な。何があったか知らんけど、この世のすべてを呪う勢いで、とんでもねえもんをくっつけてきたんだよ」
 私は拳を握りしめ、香山ばあちゃんの話に聞き入ります。ユウマくんは頭を掻いてうつむいていました。
「あの影は【おろげ】といってね。恨みつらみをこじらせた人間が、魂をすべて悪意と呪いに振り切った時に現れる。最初に赴任してきた時はすでに、松田は魂のほとんどをおろげに食われて死人同然だったんだ」
 おろげは「怨濾化」と書き、文字通り怨念を濾してより純度を増した恨みの塊なのだそうです。松田の赴任初日、あれほど雰囲気が暗く重かったのはそのせいかと納得がいきました。
「災難なことに、ハルミちゃんは奴に目を付けられたんだよ。多分、いちばん大人しく見えて、御しやすいと思ったんだろうねえ」
 仲良しの友達が死ぬところをわざと私に見せて恐怖を植え付け、夢から逃げられないようにしていたのだと、香山ばあちゃんは言いました。
「俺が転校してきた日、何が起こってるのかすぐに分かった」
 私の横で、ユウマくんがぼそっとつぶやきます。
「クラスの連中も、もちろんおまえも、あれの影響で顔が真っ黒だったんだ。だからみんなと話せなかった。言葉をかわすと俺もあいつの影響を受けちまうから」
 香山ばあちゃんはうなずいた。
「急いでおろげの怨念の矛先をクラス全体から逸らす必要があった。だからユウマに協力してもらって、松田にわざと悪い態度を取って反抗するよう言ったんだよ。ユウマに憑くならワタシがすぐさま祓ってやれるからね。でも」
 香山ばあちゃんはちらりとユウマくんを見ました。
「途中、ユウマがハルミちゃんを助けたろう。奴に直接触れられるとますます影響が濃くなって命の危険があった。とっさのことで仕方がなかったとはいえ、あの瞬間、ユウマに向いていたおろげの怨念は、ハルミちゃんたちにまた集中してしまったんだ。ユウマが女の子たちと仲良くなるのが気に食わなかったんだろうね。夜を待たずに手を出してきたから、こりゃいかんとなったわけだ」
「香山ばあちゃんには、全部視えてたんですか?」
 震える声で私が聞くと香山ばあちゃんはうなずき、軽く数珠を鳴らしながら続けました。
「昨日、ハルミちゃんとユウマからおろげを引き離したあと、何とか奴を祓おうとしたんだけどね。もう少しってところで姿を消してしまった。松田はおろげの呪い返しを受けたんだろう、部屋中を血の海にして死んでいたそうだよ」
 おろげを生み出した張本人の松田が死んだことで、おろげもまた徐々に消えるだろうと香山ばあちゃんは言いました。人々の怨念や嫉妬などを伝って強さを増すおろげだが、この平和な田舎町ではろくに大きくなれないだろうから心配いらない、とも。
 ユウマくんはため息をついて腕を組みました。
「明日からやっとみんなと会話できるから、明日は噂を訂正して歩かないと」
「うわさ?」
「俺が転校してきた理由とか、色々噂してただろ? 父さんと母さんが海外出張になって、俺は日本にいたかったからばあちゃんちに来た、それだけなんだよな」
 私は苦笑いしました。噂話はやはり当てにならないものです。
 友達たちを亡くしたのは哀しいことですが、彼女たちの分まで生きなければと私は気持ちを新たにしました。香山ばあちゃんにお礼を言い、ユウマくんに別れを告げて、私は自宅へと戻りました。

 その後。
 哀しみから立ち直り、私は平凡な学生生活に戻りました。ユウマくんもあっという間にクラスに溶け込んで、和気あいあいと授業を受けながら、お互いに充実した毎日を送っていました。
 そうして、産休を取っていた担任の高木先生が復帰してくるという話になりました。慕っていた先生が戻ると聞いてクラス中がその日を楽しみに待っていました。
 そんな、ある夜。

「え」

 また、夢を見ました。
 薄暗い教室。無表情の同級生たち。そんなバカな――
 扉の向こうに暗い影が近づいてくるのが見え、私は悲鳴を上げました。
「ごめんね塩谷さん」
 ハッとして横の席を見ると、高木先生が座っていました。げっそりと痩せて生気の失せたその顔に、背筋が凍り付きます。

「私の赤ちゃんね。生まれてすぐ、死んじゃったの」

 夢。
 これは夢。こんなの嘘。早く覚めて。早く。
「私の赤ちゃんは死んだのに、どうしてあなたたちは生きてるのかな?」
 大きく見開いた目が私を射抜きます。恐怖で息もできません。
「何もかも許せないの。あの子がいない世界に生きてる奴は、みぃんな死んでしまえばいいの」
 私は、歯の根が合わないほど全身が震えていました。
「それと同じくらい……あの子を無事に産んであげられなかった自分のことも、許せないの」
 だから、教卓ではなく生徒側に座って……
 教室のドアがじんわりと開き、おろげが上半身を激しく痙攣させて近づいてきます。絶叫する私に、高木先生は青黒い顔で微笑みました。
「じゃあね」

 私は、はね起きました。
 時刻は、深夜二時。遠くで消防車のサイレンが聞こえました。

 その後、高木先生の自宅が全焼し、焼け跡から高木先生が遺体で発見されたと聞かされました。自殺だったそうです。
 おろげは、人々の怨念を伝って強さを増す――怨念を自分に向けた高木先生は、おろげに魅入られてしまったのでしょうか。おろげは、今も誰かに憑りついて怨念を増しているのでしょうか。
 今となっては、謎のままです。

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計点
毛利嵩志181510101568
大赤見ノヴ181717161785
吉田猛々192018181893
合計5552454450246

 

書評:毛利嵩志
ライトノベル調、と表現して失礼ではないでしょうか。「おろげ」と呼ばれる謎の物の正体、悪夢の描写、最後の意外な展開など非常に読み応えがありました!

書評:大赤見ノヴ
まず言わせてください。おろげってなんやねん!?そこから掴まれあっという間にエンドへ。二転三転する恐怖に、難しくない文章がマッチしており単純に「怖さ」の演出が1番うまいです。また学園内で起こる怪異なので、読み手のそれぞれで見た事がある学園物のホラー映画やホラーゲームを思い描きながら読めるというバフ効果があるなと思いました。前作に続き、これは新たに怪談作家スター誕生の予感。

書評:吉田猛々
おろげという禍々しさを含んだ言葉が脳裏に焼き付くようなお話でした。ひとつの怪異がおさまり、やっと解決と思いきや、平和な結末を許さない展開。学園内で展開されるその内容、アニメ化してほしいなと思いました。そして個人的には頭を撫でるようにこすってその人を減らし、死にいたらしめるという部分に新しい恐怖を感じました。