「お気持ち表明」

投稿者:猫科狸

 

 祖父が死んでからのことです。
 こんな話、人様に話すべきではないと思いますが、どうか話だけでも聞いてください。 お願いします。
 出来るだけお目汚しのないように言葉を選んで伝えます。気分を損なう表現もあるかと思いますが、お許しください。

 私の祖父は、綺麗な死に方をしていませんでした。私の言う綺麗な死に方というのは、家族に見送られながらだとか、安らかに逝くとかそういうことです。
 祖父は朝七時に居間で倒れているところを祖母に発見されました。九時には救急隊や警察に連絡が行き、両親と私がそのことを知ったのは昼前、十一時を過ぎてからでした。
 思いますよね、倒れているのに救急だとか家族への連絡が遅くないかって。仕方がないんです。祖母はしばらく前から認知症を患っているんですよ。
 不穏になることは少なく、穏やかではありましたが、日常生活は祖父の協力が無ければできないくらいに進行していたし、電話のかけ方なんてもう覚えていないんですよ。電話をかけたところで、方言で喋り倒す祖母が救急隊に上手く状況を伝えられるとは思いませんし。
 救急車を呼んでくれたのは、祖母が通うデイサービスの職員なんです。祖母を迎えにきて気が付いたそうなんですね。
 祖父母は二人暮らしでしたから、祖父がいつも祖母の準備を手伝ってくれていたんですけれど、全く準備が出来ていない祖母を見て異変に気が付いてくれたようです。
 私と両親が祖父母家に着いた頃には、祖父の遺体を警察の方々が調べておりました。
 そこでちょっとした騒ぎがありました。どうも両親が言うには倒れていた祖父は両目と両耳、鼻が無 かったそうなんですよ。そうだとしたら明らかに普通ではないですよね。
 ですが警察は祖父の死を事件性のない自然死として処理しました。高齢でもあり、病気のため病院にも通っていましたし、健康とは言い難い部分もありましたので。
 外部から侵入された痕跡が無いことや部屋の状況からも、誰かが祖父の死に関わっているということはないだろうと、そう判断されたんです。
 両親は必死に警察に訴えていました。遺体に目も耳も鼻も無いんだぞ、普通じゃないだろうって。
 でも警察は言うんですよ。いや、目も耳も鼻もありますよって。
 何度訴えても埒が明かないし両親も憤慨していたんですけれど、遺体を改めて確認したらちゃんとあるんですよ。目も耳も鼻も。
 両親は首をかしげていました。確かに無かったはずだけどなって。でも私、一緒にいたから分かるんですけれど、両親二人共、いきなりそれを言い始めたんです。祖父の遺体には両目と両耳、鼻が無かったって。
 十一時頃、車で祖父母宅について警察から話を聞いて、祖父の顔を確認しているはずなんですよ、父も母も。
 そのときは何も言わず悲しんでいただけだったんです。検視が終わる頃に、いきなり血相を変えてまくしたてていたんですよ。
 私は、何も言えませんでした。両親の変わりようにも驚きましたし、言っていることも気持ち悪いじゃないですか。
 そのあとのことは省きますね。そこまで重要じゃないので。あとは淡々と祖父の葬儀が終わったってだけです。
 葬儀中、遺影に写る若い祖父の姿は凛々しく精悍な微笑みを浮かべていました。

 祖父の死から一か月ほどたった頃です。祖母は一人で暮らすことが難しいため、私達の家にきて暮らしていました。
 そんな祖母が両親を見て言うんですよ。

「あり、あったーたい、みぃもはなむみみんねーらんたん」

 悲しそうな顔をしながら指をさしてずっと言うんです。
 祖母はいつも方言で喋るもんだから何を言っているのか理解できないんです。なので愛想笑いをしてやり過ごしていました。
 その頃からです。祖父の遺影から両目、両耳、鼻が見えなくなってきたのは。
 じわーっと黒いシミのようなものが広がって、両目、両耳、鼻を見えなくするんですよ。両親が何度写真を変えても、すぐにそうなってしまうんです。

 そして、その頃から私は妙な夢を見るようになりました。
 その夢っていうのは祖父母の家で私が昼寝をしている夢なんですけれど、妙にリアルなんです。
 蒸し暑い夏の畳間で横になっているのですが、暑くて暑くて居心地が悪くて眠れないんです。溢れ出る汗で服もじっとりしてきて、みいいんみいいんと頭に響くセミの鳴き声がさらに嫌悪感を際立たせてきて。
 それでも必死に眠ろうとしているうちに、誰かが私の顔を覗き込んでいることに気が付くんです。
 表情は黒くてよく見えないのですが、少年だという事だけは分かります。その少年はじいっと私の顔を覗き込み、何かを呟き続けるのです。
 そこで目が覚めます。起きたときには汗もびっしょりで胸の奥底に嫌な気持ちだけが残っているんです。
 夢をみた日は祖母が切ない顔をして言うんですよ。

「うり、やーあたがとーさ」

 何を言っているのかは分からないので無視するのですが、夢を見た日には祖母が毎回これを言うもんだから気味が悪くて。
 私には何も言うことはありませんでしたが、恐らく両親も妙な何かを感じていたと思います。いつも口数が多くお喋りな母は無口になり、笑い上戸だった父も浮かない顔をする 日が増えてきていたのですから。
 祖父の死を境に、私も含め家族が鬱屈した空気を纏うようになっていたんです。祖母以外。
 祖母は気分の浮かない私達を横目に、いつも楽しそうに独り言を呟いたり、笑顔でどこかを眺めていました。認知症ではありましたが、そんな穏やかな祖母の空気感に何となく私は救われていたんです。

 私は徐々に夢を見る頻度が増えてきていました。そして夢の内容も少しづつ変化してきたんです。
 祖父母の家に居て、蒸し暑い畳間で寝ている。寝苦しくて悶えているうちに奇妙な少年に顔を覗かれる。その少年の表情は黒く見えない。それは同じです。
 その顔を覗く少年が、私の顔に手を伸ばしてくるようになったんです。私はそれがとても怖くて嫌なのに、動くことが全く出来ない。そしてその手が顔に触れる寸前で目が覚めます。夢から覚めたときにはねっとりとベタつく汗をかいており、恐怖で動悸も激しくなっているのです。
 私は眠ることが怖くなり、精神的にも不安定になっていきました。両親も明らかに疲弊しているのが分かりました。父も母も食事を全く食べなくなったんです。家事もおろそかになり家の中もどんどん汚れていきました。
 気が付かない間に家の中には、黒いシミが広がっておりました。祖父の遺影は真っ黒でもはや誰の写真なのかも分からない状態になり、その遺影からはみ出るように黒いシミは広がっておりました。
 家族全員が何かがおかしい、どうにかしなければと思うのですが、何をして良いかも分からないし何かをする気力も湧かない状態だったのです。
 そんな中、祖母が私に言ったんですよ。

「あんただけは私がどうにかするから」

方言ではなく標準語ではっきりと。

 その日、私はあの夢を見ました。ただ、今までとは様子が違っていました。
 畳間で横になっているのは同じなのですが、部屋の中は暗くて涼しいのです。
 身体を起こしてみようと試みたのですが、指一つ動かすことはできませんでした。
 真っ黒な部屋の天井を眺めていると、誰か人がいることに気が付きました。
 暗くてよく見えないのですが、どうやら一人ではなく、何名かで私を囲むように見ているようでありました。
 そのうち、ひとつの影が私に手を伸ばしてきました。
 身体を動かすことが出来ない私に向かってゆっくりと迫ってきたその手は、私の頬を優しく撫でてきました。
 ひんやりとした手の感触が頬を伝わると同時に目の前が真っ白に輝き、今まで感じたことのないような痛みが全身を駆け巡りました。
 温かい何かが私の頬を伝い、畳に広がっていくのが分かりました。
 ゆっくりと顔から離れていく手には、ねとりと糸を引く目玉が握られておりました。ひどい痛みに苦しみ悶えていたので左右どちらかなんて事は分かりませんが、私の目だということだけは分かりました。
 ガラス片で頭の中をかき乱されているような痛みの中、また別の手が私の顔に伸びてくるのが見えました。
 同じように一瞬目の前が真っ白に輝いたあと、脳内をぐちゃぐちゃ回されるような痛みが襲ってきました。痛みで混乱する脳でも、両目をもぎ取られたんだと理解することが出来ました。
 ただ不思議なことに、両目をもぎ取られたはずなのに私を囲む数名の人影が見えるんです。先ほどまでと変わらず部屋の様子も見え続けているんです。
 また別の影から手が伸びてきて、優しく頬を撫でてきました。そして冷たく鋭い痛みが 頭の左側に広がりました。
 喉が剥げるのではないかというほどに叫びました。鉄の臭いが顔の内側から全体に広がるような気がしました。しかし実際には叫んだつもりなだけで、身体は全く動こうとはしませんでした。
 ぼやける視界に耳を握った手が見えると妙に冷静になり、もう片方の耳も取られる覚悟をしたのです。
 どこが痛いのかも既に分からないほど痛み続ける私の顔面に、また手が伸びてきてそのまま私の残ったもう片方の耳を取り上げていました。
 鋭い痛みが脈打つように全身を駆け巡り続け、もはや耳を取られたのかそうでないのかも分からない状態でした。両耳を取られても、音は変わらず聞こえ続けているのでした。
 また別の影が私に手を伸ばしてきてゆっくりと顔の真ん中に手を添えました。
 私が息を呑むのと同時に焼けた鉄棒を顔面に押し付けられたかのような凄まじい熱さが顔じゅうに飛び散り、私は内臓を吐きだしそうなほどに感情の全てを絞り出しました。影は私の鼻を握りしめ、立ち尽くしていました。
 ふと、痛みの中で感じたんです。凄く懐かしいような感覚。
 今ここでそれを知りたくない、この感覚の正体を知りたくないと思ったのですが霧が晴れるように私を囲む人影の顔が露になっていきました。
 私を取り囲んでいたそれらは、私の家族でした。 父母は私の両目を持ち、祖父母が私の両耳を持ち、そして私、鼻を握っていたのは私自身でした。
 あれほどまでに脈づいていた痛みはいつの間にか消えており、私は横たわった姿勢のまま家族を見上げていました。
 暗い部屋にはいつの間にかぼんやりと橙色の明かりが灯り、家族と私を照らしていました。
 横たわる身体は冷たく、何も感じなくなってきていたのですが、口だけを動かすことが出来ました。私はその口で、問いかけました。

「それを、どうするんですか」

 しばらく沈黙があった後、祖母がゆっくりと諭すように答えました。

「うさがいびさ」

 目が覚めたときには水を浴びたかと思うほどに布団が濡れており、時計の針を見てまだ夜明け前だということを認識しました。
 夢だったと少し安心して一息ついて布団から身体を起こしたとき、部屋の中に人影が居ることに気が付いたんです。嫌な汗が背中を流れるのを感じながら動けずに固まっていると、その人影がゆっくりと近づいてきて言いました。

「これはね、報いなんだよ」

 そこにいたのは祖母でした。いつもの優しい微笑みは無く、険しい顔をして祖母は続けました。

「おじーはね。しちぶんはちぶんをああして糧にしてね。仕方がないことではあったんだよ。あんただけは外すからね」

 祖母はそう言って手を合わせ何やらぶつぶつ呟くと、そのまま部屋から出ていきました。
 祖母が部屋をでると同時にものすごい眠気が襲ってきて、私はそのまま泥のように眠ったのです。

 翌朝、祖母がどこにもいない、と両親の騒ぐ声で目が覚めました。認知症ということもあり、すぐに警察や地域ネットワークの方に連絡をして捜索をしたのですが、すぐに祖母が見つかることはありませんでした。
 その日の夜、リビングで頭を垂れる両親に、私は昨日の話をしたのです。夢の話、祖母の話を。
 話を聞いた両親は一瞬怯えるような表情をして、言ったんです。

「それ、俺たちがずっと見ていた夢と同じだよ」

 両親も祖父の死後から妙な夢を見ていたそうなんです。その夢は昨日私の見た夢とほぼ同じだというのですが、両親は横たわっている側ではなく、手を伸ばしてもぎ取る側だったと話していました。
 横たわる子供のような人影に手を伸ばして、何かを取る。いつの間にか手には人体の一部が握られているそうなのですが、それを気持ち悪いと思うわけではなく「美味しそう」と感じ、堪え切れずにそれを口に入れる、目が覚めたときには物凄い罪悪感と気持ちの悪さに襲われてしまい、食欲もなくなっていたということでした。

「しちぶんはちぶんというのは確かあまり良くない言葉だよ。所謂気がふれているというか、少しおかしい人のことだよ」

 父は顔を俯けたままそう話していました。
「親父は、そう言っていた」
 あの時の父の複雑な表情は今でも忘れることができません。

 話し終えた頃、警察から祖母が見つかったとの連絡がありました。祖母は自分の家におり、畳間で倒れていたとのことでした。どこからか拾ってきた生ゴミを食べていたようで窒息死していたそうです。遺体の鼻にも耳にも腐臭がするゴミが詰まっていたとのことでした。

 祖母が亡くなってから、私達家族が妙な夢を見ることは無くなりました。体調も徐々に戻ってきて、家の雰囲気も以前の明るくなってきたのです。
 家に広がっていた黒いシミもいつの間にか綺麗に無くなっていました。
 祖母の葬儀も終わり、今は妙な出来事もおきることなく平穏な日常が続いています。

 ただ、全てが終わり平穏な日常が戻ったのかは分かりません。私は不安なのです。だからこそ胸の内に仕舞えずにこうして悩んでいるんですよ。
 時折、ふとしたときに気が付くんです。両親の両目、両耳、鼻が無いことに。私にだけ、そう見えてしまうときがあるんですよ。
 祖父の遺影もまだ真っ黒なままなんです。それに、遺影だけでなく両親が写る写真なども真っ黒になってきているんですよ。スマホの写真も、昔のアルバ厶も。
 祖母は言っていました。私だけ、あんただけはどうにかするからって。
 近頃両親がまた食事を摂らなくなってきています。でも以前のように暗い雰囲気などは無く、むしろ元気に見えます。痩せてきて、身体からは顔をしかめたくなるような臭いがするようになっているんですが、気にする様子はありません。 
 両親はあの奇妙な出来事は終わったものだと信じています。
 絶対に終わっていないんですよ。何も終わっていないんです。
 私だけは祖母がどうにかしてくれたのか、私だけが終わったのかなんてことも、分からないんですよ。祖母も死んでしまい聞くことも出来ないし。
 なぜ私だけが不気味な姿の両親を見てしまうのかも分からないし、夢で見ていた少年がなんだったのか、あの夢はなんだったのか、祖父母は何を知っていて何を隠していたのか。とにかく何も分からないことだらけで不安なんですよ。
 私だけがこんな気持ちを抱えて、これから生きていくだなんて。これからずっと囚われて過ごしていくだなんて。何をしていても不安で怖くて安心することなんて無いまま人生を過ごすだなんて、理不尽だとは思いませんか。ねえ。
 そんなんなら、私もそのままで良かったと思うんですよ。

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計点
毛利嵩志151515101570
大赤見ノヴ171617171784
吉田猛々181717171786
合計5048494449240