「たくちゃんの脚」

投稿者:サイマン

 

たくちゃんという男の子の話
たくちゃんと私は幼稚園、小学校、中学校の同級生で、家が近かったこともあり、幼馴染というか、親友というか、兄弟みたいというか。
とにかく私にとってのたくちゃんは、他の友達よりも特別な存在であることは間違いなかった。
たくちゃんとは別々の高校に進学してからは、頻繁に会うことはなくなったが、大人になって、40を過ぎた今でも、たまたま出くわせば長話をし、年に数回は連絡をとったり、たまには飲みに行ったりもする仲だった。
そんなたくちゃんには脚がなかった。
たくちゃんは小学校3年生のときに事故で両脚を失ったのだ。
今から話すのはそんなたくちゃんから何度も聞いた「たくちゃんが脚を失った時の話」だ。

たくちゃんには2つ年上のお姉ちゃんがいた。
たくちゃんは小学校に入学してから毎日お姉ちゃんと一緒に登校していたし、帰りも時間が合うときは一緒に帰っていた。
私もその中に混ぜてもらって途中まで一緒に帰ったことは何度もあったし、帰りにそのまま遊んだりしたことも珍しくはなかった。
たくちゃんとお姉ちゃんは、時々猫ばあちゃんというおばあさんの家に立ち寄っていた。
猫ばあちゃんは、なんてことはない住宅街の中の一軒家に娘さん家族と一緒に住んでいるらしく、僕も一度だけたくちゃんたちと一緒に猫ばあちゃんの家に入ったことがある。
猫ばあちゃんはたくちゃんのホントのおばあちゃんではないのだけれど、たくちゃんの家とは家族ぐるみの付き合いがあるのだそうだ。
猫ばあちゃんは私達が下校する夕方頃には大体自宅の縁側に腰掛けていて、その傍らにはいつも大きな猫が丸まっていた。
多分いつも猫と一緒だから猫ばあちゃんと呼ばれていたのだろう。
猫ばあちゃんの存在を知ってからは、私も猫ばあちゃんの家の前を通るときは、開け放たれている門扉越しに縁側に座る猫ばあちゃんをよく見かけるようになった。
猫ばあちゃんも、もう何年も前に亡くなってしまっているが、今でも夕焼けの中で縁側に座る、オレンジ色の景色に溶け込むような老婆の姿を思い出すことができる。
猫ばあちゃんは、よくたくちゃん達に狐が人を化かす話とか、天狗に懲らしめられた話とか、不思議な話をしてくれた。
そしてそういった話で、上手くたくちゃん達の気を引きながら、最後は大体「だから人に迷惑をかけちゃダメなんだよ」とか「親の言うことをよく聞かなきゃダメだよ」というような話で閉めるのである。
たくちゃんは猫ばあちゃんの不思議な話が大好きで、何度も同じ話をせがんだそうである。
そんな猫ばあちゃんが、ある時たくちゃんとお姉ちゃんに一つずつお守りをくれたことがあった。
そのお守りはよく神社で売っているような赤とか青の布の小袋みたいなやつで、袋には難しい漢字なのか記号なのかよくわからないような文字が刺繍されていた。
たくちゃんは青色の、お姉ちゃんは赤色のお守りを貰った。
猫ばあちゃんはそのお守りをたくちゃんたちに渡すときに「あんたらは優しいから、いけないものに頼られやすい。」「だからこのお守りをいつも持ち歩くようにするんだよ。」と言われたそうである。
たくちゃんもお姉ちゃんも、普段はお守りをランドセルにくくりつけて持ち歩き、別のカバンで出かけるときは、そのカバンに括り付け、カバンがないときはズボンのポケットに入れて持ち歩くようにしていた。

たくちゃんが小学3年生の、季節が秋から冬に変わるころ、6時間目の授業が終わった後、たくちゃんは暫く学校の運動場で遊んでから帰ることにした。
その日、お姉ちゃんは自分のクラスに何かの病気で暫く登校できない友だちがいるとのことで、何人かの友達とお見舞いを兼ねて、配布物を届けに行くのだと言っていた。
なので、どのみち一緒には帰れない。
お姉ちゃんはしきりに「一緒にお見舞い行く?」と聞いてきたが、たくちゃんは大して知らない子のお見舞いに、大して知らない上級生たちと行くなんて考えただけでも嫌だったので、頑なに拒んだ。
夕方5時を過ぎた頃だろうか、友だちがポロポロと帰宅し始めたのを機に、たくちゃんも学校を出て帰宅することにした。

暫く友達等とワイワイ騒ぎながら歩いていたが、一人また一人と友達が別れていき、同じ方向に帰る友達がいなくなったので、たくちゃんは1人線路沿いの道を歩くことになった。
日は既に落ち始めてずいぶんと暗い。
何だかすごく遅くなってしまったような錯覚を覚え気持ちが焦った。
この当時、たくちゃんが住んでいた田舎町の電車は、高く盛られた土手の上の線路を走っていた。当然線路の土手は柵で仕切られて入れなくなっていた。
ただその柵は、今のように頑丈で高いフェンスではなく、あくまでも「こんなところに入る者はいない」という前提の下に作られたとしか思えない、大人の腰くらいの高さしか無い簡素な柵だった。
たくちゃんはそんな夕暮れ時の線路沿いを1人とぼとぼと歩いていた。
やがて等間隔に設置された街灯が灯ると、それを合図にさらに日暮れは加速し、町はあっという間に夕方から夜に様変わりした。
そんな夕暮れの景色と日没後に急に下がった気温がたくちゃんの気持ちをさらに焦らせた。
たくちゃんが若干歩くスピードを上げて家路を急いでいると、前方に何か大きなモノが落ちていた。
たくちゃんは「何だろう」くらいには思ったが、特に気に留めるほどのことではななかった。
ところが、それは近づくにつれて、モノではなく人であることが分かってきた。
コートなのかマントなのか、ボロのような布を頭から被ったそれは老婆で、線路の柵の傍、街灯の真下辺りにうずくまり、たくちゃんの方をじっと見ているようだった。
本当なら、道にうずくまる老人を見つけたのだから、そこは「大丈夫かな?」「体調が悪いのかな?」等と思うべきところなのだろう。
でもこの時のたくちゃんは、なぜだかこの老婆を「怖い」と思った。
たくちゃんと老婆の間にはまだいくらかの距離があった。
たくちゃんは「立ち止まって別の道から帰ろうか
」「道の老婆と反対側の端を一気に走り抜けようか」等と考えたけれど、そんな気持ちとは裏腹にたくちゃんの足は歩を止めることはせずに、一歩、また一歩と老婆に向かって進んでいった。
老婆に近づけば近づくほど、たくちゃんの不安は高まり、老婆から目を背けようとしているのに、たくちゃんの目は老婆の方を見てしまう。
まるでたくちゃんの目も脚も、たくちゃんのものではないかのように、その意志とは無関係に動くのだ。
老婆まであと数歩の距離になったとき、老婆は顔を上げて、自分の顔をたくちゃんによく見せるようにして、たくちゃんに向かって「坊、坊よ」と呼びかけた
その顔はオレンジがかった街灯の灯りに照らされてなお白く、骸骨に皮を貼り付けたようにガリガリで、その表情は如何にも嘘くさい、顔面の隅々にまで力を込めて何とか作り上げたかのような笑顔を浮かべていた。
老婆はたくちゃんを見上げて、しわがれた声で言った。
「防よ、探し物を手伝ってはくれんか?」
相変わらず老婆は満面の笑みを見せてはいるが、たくちゃんにはその笑顔から感じる強烈な違和感が気持ち悪くて仕方なかった。
その老婆の笑顔を見ていると、頭がふわっとして、眼の前が歪んで倒れそうになる。
何だろう?たくちゃんは老婆の表情以外にも何か強烈な違和感を感じているような気がするのだが、それが何か判らない。
老婆はその場で立ち上がることはせず、うずくまったまま這いずるようにしてたくちゃんの方に寄ってくる。
「防よ、坊は優しいから手伝ってくれるな?」
老婆はまるで、たくちゃんが断ることができないのを見透かしてでもいるかのような言い方で「探し物」を手伝うことを要求しながら、尚、たくちゃんの方に這いずり寄ってくる。
ここでたくちゃんはようやく老婆の表情以外の違和感の正体に気が付いた。
それは老婆の顔の位置だ。
異様に低い。
老婆は地面擦れ擦れと言っても良い高さからたくちゃんを見上げている。
どんなに体勢を低くして這いつくばっても、そんな高さに顔は来ない。
折りたたまれた足があって、その上に前傾姿勢の上半身があって、さらにその上に顔が、、、とすればそんな位置に顔があることはないのだ。
この地面すれすれから、見上げてくる、嘘で固められた笑顔がたくちゃんを余計に怖い気持ちにさせている。
たくちゃんは恐怖で頭が混乱しながらも、変に冷静にそんなことを考えた。
しかしそんなたくちゃんの考えなど意にも介さないように尚も老婆はすり寄ってくる。
たくちゃんに媚びるような、それでいて見下すような、そんな気持ち悪い笑顔を顔面いっぱいに貼り付けて、ズリズリとにじり寄ってくるのである。
程なくして、老婆は動けなくて立ちすくむたくちゃんの足元まで辿り着いた。
すると老婆はそのまま半ズボンから伸びるたくちゃんの脚にすがりつき、両手の指をたくちゃんの脚にめり込ませるかのような力で掴み、更には半ズボンを、ジャンパーを、目一杯の力で鷲掴むようにして這い上ってきた。
老婆のカラカラに枯れたような質感、骨ばって硬い老婆の身体が太腿に纏わりついてくる気持ち悪さ。
でもここに来て、たくちゃんには老婆の違和感の理由が一つ解決した。
たくちゃんの太腿にまとわりつく老婆の身体、それには両脚が無かったのだ。
脚が無いからだろうか?ガリガリに痩せているからだろうか?老婆は異様に軽かった。小学生のたくちゃんでも、老婆にしがみつかれた状態で普通に立っていられる。
多分「重たい日のランドセル」とそれ程変わらないだろう。
たくちゃんは、怖くて怖くて仕方がないのに、何故自分がそんな事を考えているのか理由が分からなかった。
老婆は尚も身体をクネクネと蟲のようによじらせて、たくちゃんの身体を這いずり上がろうとしながら
「坊、ワシをおぶってくれ。」
と要求してきた。
年寄りに有りがちな、人の気持ちなど意に介さないような物言いだった。
老婆はたくちゃんの胴体に片腕を廻してしがみつきながら、もう片方の手でたくちゃんのランドセルを押したり引っ張ったりして「邪魔じゃ、これは邪魔じゃ。」「こんなもんまでぶら下げてからに。」と憎々しげに、たくちゃんの背中からランドセルを引き剥がそうとしていた。
老婆は乱暴にランドセルを掴んで左右に揺するが、ランドセルの側面にぶら下げられたお守りに身体が触れる度に、まるで熱せられたフライパンに触ってしまったかのように、弾かれ、身をよじるのがたくちゃんには感覚で分かった。
しばらくたくちゃんのランドセルと格闘していた老婆だったが、やがて老婆は苛立ちを隠しもせず、たくちゃんに「早うコレをどかして、ワシをおぶれ。」と命令してきた。
その声は口調も言い方も不快の極みであったが、それ以上に逆らったら何をされるか判らないという恐怖の方が強かった。
たくちゃんは下手に逆らうよりもサッサとこの異様な老婆の探しものとやらを終わらせたほうが良いのではないかとさえ思い始めていた。
それで、たくちゃんは老婆に言われるがままにランドセルを地面に下ろした。
その時、猫ばあちゃんから貰ったお守りが目に入って、一瞬ランドセルを手放すことを躊躇したが、結局たくちゃんはお守りごとランドセルをその場に置いてしまった。
たくちゃんがランドセルを下ろすと、老婆は器用にたくちゃんの身体を登り、背後からたくちゃんの首に片腕を回し、もう片方の腕でたくちゃんの肩を掴み、おぶさるような体勢でたくちゃんの背中に収まった。
たくちゃんの首に回された老婆の腕からは、枯れ枝に小便でも染み込ませたかのような、異様な臭いがして気持ち悪かった。
そんなたくちゃんの気持ちを知ってか知らずか、老婆は背後から顔を覗かせ「ほな探しに行こか。」とこれまた臭い息と共に身勝手な言葉を吐き出しながら、柵の向こう、線路が走っている土手の上を指さした。
たくちゃんはギョッとした。
まさか探しものの場所が土手の上の線路だとは思ってなかったからだ。
たくちゃんはこれまでお母さんやお父さんから「線路に近づいてはいけない」ときつく言い聞かされていたし、たくちゃん自身、時折土手の上を電車が通るたびに聞こえる轟音とふわっと吹き下ろしてくる風を感じるたびに「怖い」と感じていたのだ。
そんな線路に上がって、探しものをする。
この老婆は正気だろうか?
たくちゃんが拒否の言葉を出そうとした時、それを察したかのように老婆がたくちゃんの言葉を遮る。
「坊は優しい子やから、坊は探してくれるな。」
老婆の声は優しげであったが、その語気からは絶対に拒否などさせないという強い意志が感じられたし、その時にだけ、まるで脅すようにたくちゃんの首に回したカラカラの腕に力を込めるのだった。
拒否の言葉を絞り出そうとするたくちゃんの口から出たのは、全くその意志に反するものだった。「探しものって、一体何なの?何を探してるの?」
そんなことを聞きながら、たくちゃんは知らないうちに土手の柵を乗り越えていた。
四つん這いになって土手を登るたくちゃんの背中から老婆が答える。
「脚じゃ。」「あの上にわしの脚があるはずなんじゃ。」
それを聞いたたくちゃんは心臓が止まりそうになった。
線路の上に生々しい脚が落ちている映像が頭に浮かんでしまったからだ。
その反面、「脚が見つかったらすぐに終わる」等と半ば他人事のように考えもした。
たくちゃんは何一つまともに思考が纏まらないまま、土手を這い登った。
背中では老婆が上機嫌に何かを語っているが、全く頭に入ってこない。
間もなく線路が見えようかという時、たくちゃんはふと我に返った。
「こんなところに脚なんてあるわけ無い。」
今日だってたくさんの電車が通っている。
脚なんか落ちてたらもう大騒ぎになってる。
老婆の様子からしても、老婆の脚がなくなったのは相当前のことだろう。
あるわけがない、、、。
それでもその時のたくちゃんには他の選択肢は思いつかなかった。
老婆を振り落として逃げることも、説得して開放してもらうことも。
いや、どのみちどちらも無理である。感覚がそう訴える。
たくちゃんは考えれば考えるほど頭がドロドロになって気分が悪くなるのを感じた。

次に正気に戻った時、たくちゃんは土手の上に立っていた。
土手の上はたくちゃんが思っていたよりもずっと広く、線路までも少し距離があった。
線路は2本走っていた。
、、、それ以外には何もなかった。
所々に数字が書かれた立て札とか、鉄柱みたいなのが建っているけれど、その他には何もなかった。
線路は、たくちゃんの左手側には何処までもまっすぐに伸びていたし、右手側は暫く真っすぐ伸びた先は大きく曲がって建物の影に見えなくなっていた。
でも、もちろんその何処にも脚は無い。
たくちゃんは一応暫く土手の上を探すような素振りを見せてから、背中の老婆に「脚、無いよ。」と話しかけた。
背中の老婆はまるでサボっている生徒を叱る教師のような高圧的な感じで「無いはずがないわい。もっとよう探せ。」と命令した。
探すと言っても探す場所がない。
たくちゃんが、途方に暮れて土手の上をウロウロしていると、老婆は苛立ったように「わしの脚は見つからんか。」「坊は真面目に探しとるのか。」と憎々しげに問いかけてくる。
勿論腹立たしさもあるが、恐ろしさが先にくる。
「このまま脚が見つからなかったらどうなるのだろう?」そんなことを考えていると、突然それを見透かしたかのように老婆はズイッと顔をたくちゃんの顔の横に突き出しながら「見つからんかったら坊の脚をもらおうか。」と言ってきた。
それはあたかも、たった今とんでもなく素晴らしい提案を思いついたとでも言うような言い草だったが、老婆の表情や言葉から伝わる悪意のようなものから、たくちゃんは、それが老葉の当初からの目的であったことを確信した。
それを聞いた瞬間、たくちゃんは全身に電気が走って固まったようになってしまった。
頭が真っ白になり、暫くしてたくちゃんは自分の脚の内側に熱いものが流れるのを感じた。
失禁していた。
老婆はたくちゃんのジャンパーを掴みながら器用にたくちゃんの脚の方へ降りていき「おうおう、漏らしてしもうとるやないか。」「わしの脚を汚したらいかんのう。」と、喜々としながらたくちゃんを嗜めた。
そうしてたくちゃんの太腿を濡らす小便を自分の手で拭い去るように拭くと、そのまま再びジャンパーを掴んでおんぶの位置まで戻って来て、たくちゃんの耳元で「もう脚は見つからんのじゃあないか?」と嬉しそうに言った。
老婆は自分の脚を探すことに一切の興味を失っている様子だった。
片方の腕でたくちゃんのジャンパーの襟元を掴みながら、もう片方の腕でたくちゃんの脚を愛おしそうに撫でながら「もうすぐこれがわしの脚になるんじゃなあ。」「ツルツルして、はち切れんばかりのええ脚じゃ。」等と言っている。
それを聞いたたくちゃんは自分の頭の中で完全に何かが弾けるのを感じて、理由もわからないまま涙を流し続けた。
そうして、あるはずがないことが分かっている老婆の脚を求めて、線路の周辺を闇雲に歩き回った。
その間も老婆は嬉しそうにたくちゃんの脚をなでたり頬ずりしたりしながら、時折たくちゃんの顔の横に自分の顔を近づけては「もう見つからんぞ。」「これだけ探して見つからんのやから、もう見つからんわ。」等と嬉しそうに言うのである。
それからどれくらいの時が経っただろうか、何十分も探したような気もするし、ほんの数分だったような気もする。
たくちゃんは考えることも動くこともできなくなって、遂にその場にへたり込んでしまった。
もう自分が泣いているのかどうかすら分からなかった。
老婆は何ごとか声を弾ませながら話していたが、その内容はたくちゃんの耳には全く入ってこない。
放心状態で座り込むたくちゃんは、やがて尻から伝わってくる軽い振動に気づいた。
同時にたくちゃんの耳に、自分名前を呼ぶ叫び声が聞こえた。
「たくー!たくー!」
お姉ちゃんの声だ。
「あかん!間に合わん!」
もう一人、年寄りの悲鳴。
自分にまとわりつく老婆とは別の声、あぁ、猫ばあちゃんだ。
コトコトコトコト、、、
たくちゃんの尻に伝わる振動が確実なものとなりだすと同時に、周囲の枕木も軽い音を立て始めた。
ゴトゴトゴト、、、
振動が重く大きくなってきた。
たくちゃんは迫りくる強烈な威圧感と自分をかき消さんばかりに照らしてくる光、怪鳥の雄叫びのような警笛に突然こちらの世界に引き戻された。
黒い塊がこちらに迫ってくる。
目だけを爛々と光らせた怪物みたいだ。
たくちゃんは「動かなきゃ」と思ったけど、全身が重だるくて、脳の命令が身体に伝わらない感じだった。
その瞬間、ジャンパーの襟元が凄い力でぐいっと引っ張られた。
Tシャツが喉や脇の下に食い込み、全く力が入らないたくちゃんの身体が無理やり線路から引き出されようとしている。
引っ張られて仰向けにのけぞったたくちゃんの目に飛び込んだのは、見たこともないような怖い顔をしたお姉ちゃんだった。
ギュグォーッ!!!
たくちゃんに近づいてきた電車は、急ブレーキをかける。
お姉ちゃんはたくちゃんの身体を線路の外に引っ張り出そうと変な雄叫びを上げながらたくちゃんを引っ張るのだけれど、たくちゃんの身体がレールに引っかかって中々線路の外に出せない。
グォオウオウオウ、、、電車はたくちゃんの直ぐ側まで迫りながらも何とか止まろうともがいている。
「死ぬ!」そう思った。
その瞬間、ジジーイッとジャンパーのナイロンの生地が裂けていくような感覚とともに、たくちゃんの身体を線路の外に引っ張ろうとしていた力がふっと抜けた。
一瞬、体制を崩して線路脇の土手に倒れ込むお姉ちゃんが見えた。
熱い!
最初に感じたのは痛みではなく強烈な熱さだった。
焼けた巨大な鉄の塊をギュウっと押し付けられたような強烈な熱さ、その後、一瞬何も感じない瞬間があって、その後強烈な痛みが全身を駆け巡った。
電車は止まりきれなかったのだ。
その大きな鉄の塊は、たくちゃんの両太ももを押し潰して、通り過ぎたところで止まった。
あまりに痛くて熱くて、脚がどうなっているとかそんなことは分からなかった。
そのあまりの痛みに意識がまともを保てなくなるのが分かり、たくちゃんの意識は薄れていった。
まるで精神の危険を察知して誰かが電源を切ったかのような感じだった。
意識がなくなる瞬間、たくちゃんの耳にしわがれた老婆の「ええ脚じゃ」という嬉しそうな声が聞こえた。

たくちゃんが目を覚ました時、そこは病院の一室だった。
脚が引きつって痛いようなむず痒いような感じがしたが、身体が動かない。
モゾモゾしていると、ベッドの脇に置いたパイプ椅子で居眠りをしていた母親が目を覚ました。
たくちゃんは脚が痛いことを母親に伝えたが、母親は泣くばかりで、何もしてくれなかった。
やがて病室に来たお医者さんから、たくちゃんは既に両脚が無くなってしまっていることを聞かされた。
嘘だと思って見てみたら本当に無かった。
悲しかったし、辛かったけど、それ以上に脚の感覚はあるのに、そこに自分の脚がないのがとんでもなく気持ち悪かった。

あの日、お見舞いの帰りに猫ばあちゃんの家に立寄ったお姉ちゃんは、猫ばあちゃん「たくが危ない」「悪いもんに魅入られとる」と言われ、一緒にたくちゃんを探していたそうだ。そうして線路の下で街灯に照らされるたくちゃんのランドセルを見つけるや、猫ばあちゃんに「上や、たくは上におる!」と教えられ、慌てて線路の土手の上に駆け上がってきたのだそうだ。

これが私がたくちゃんから聞いた、たくちゃんが脚を失った時の話だ。
妙にディテールが細かったりするところがあると思うけど、それはたくちゃんがいろんな友達に話しているのを聞きながら、毎回少しずつ違ったりする部分を僕なりに再構築したり、実際たくちゃんから「上手く伝わらない」と相談されて、話し方などを一緒に考えてきたというのもあるし、今回文章にするのに、伝えやすいように表現を変更したりしているからだと思う。
特にここ最近はたくちゃんは狂ったように僕にこの話を何度も聞かせてきた。
そうして、もう40年近く経つのに、最近になってやたらと「老婆に脚をとられて悔しい」とか「なんとかして奪い返したい」等と言うようになっていた。
その様子は日を追うごとに鬼気迫るものとなってきて、正直最近は私自身もたくちゃんのことが気持ち悪いと感じていたほどだった。

今回私がこの話を投稿したのは、たくちゃんの四十九日法要が済んだからだ。
あの一件以来、狂人になってしまったたくちゃんのお姉さんは、通夜や葬式は元より、結局四十九日法要にも顔を出さなかった。

今年の冬もようやく終わろうかという日の夜、たくちゃんは、隣町の踏切に侵入して車椅子ごと轢かれてしまった。
警察はたくちゃんの自殺と判断した。
防犯カメラに1人で遮断機を持ち上げ、踏切内に侵入するたくちゃんの姿が映されていたからだ。
たくちゃんは脚を取り返しに行ったのだろうか?
それとも残りも取られてしまったのだろうか?

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計点
毛利嵩志121212121260
大赤見ノヴ161516151779
吉田猛々181718181889
合計4644464547228