「時が止まった日」

投稿者:小金井

 

 私が中学3年生のときの話です。当時私はソフトテニス部に所属しており、毎日夕方遅くまで練習していました。私の中学校にはテニスコートがなかったので、私たちテニス部は、中学校からやや離れた小山の麓にある市民公園のテニスコートを使わせてもらっていました。田舎の弱小校なので自慢でも何でもないのですが、私は当時、部のキャプテンを務めていました。ちなみにその頃は、某テニス漫画の影響でテニス部員が一気に増えた時期で、うちも総勢50人くらいはいました。
 キャプテンというと華々しそうですが、実際の仕事は地味なものです。練習の運営、ボールの管理、球出し……など。その代わりといってはなんですが、うちの部には「キャプテン退治」というキャプテンの特権練習がありました。
 「キャプテン退治」では、キャプテン1人と、キャプテン以外のレギュラー5人で、ひたすら一対一の勝負方式の乱打をします。レギュラーは5人が1球ごとに入れ代わるのに対して、キャプテンは1人で出ずっぱりです。形式上はレギュラーたちでキャプテンを退治するゲームなわけです。練習嫌いであれば地獄でしょうが、キャプテンになるような人間はだいたいテニスが好きなので、この練習は一種のご褒美であり、私も好きでした。
 そしてこの「キャプテン退治」のときには、本当に時々ですが、私はランナーズ・ハイのテニス版のような状態に陥ることがありました。どれだけ左右に振られても全く疲れず、足取りがとにかく軽い。疲れないだけでなく、あらゆるプレーがキレキレで、どれだけ強打してもボールは吸い込まれるようにコートに入る。私はこの状態になるたびに、もっと大舞台でこの状態になれたらなぁと思っていました。当時はランナーズ・ハイという言葉も概念も知らなかったので、「ゾーンに入った」みたいな言い方をしていました。

 6月の中頃。まだ日は落ちていないけれど、コートの照明が点き始めた時間帯。そのときも私は「キャプテン退治」をやって、例のゾーンに入っていました。
 清々しい気分の中、ボールを追っているときに、一瞬、地面が揺れた気がしました。震度でいえばせいぜい2くらいの一瞬の地震です。珍しいものではなかったので、私は気にせずそのままプレーを続けました。
 チャンスボールが来ていたので、私は全力で強打しました。ボールは向かって左サイドの端に吸い込まれ、コート内でバウンドしてから、後ろのフェンスに音を立てて当たりました。
「?」
 私はそこで異変に気がつきました。センターラインより左にいた相手が、ボールを全く追っていないのです。逆サイドにいたなら見送ることもあるでしょうが、普通はボールを追う場面です。
 相手はその場で立ち尽くしています。疲れて足が止まってしまったのでしょうか、まさか不貞腐れてしまったのでしょうか、とにかくその部員は私の方を見て止まっています。私は相手の様子を探ろうと、ネットに近づきました。
 そこで私は気がつきました。止まっているのはその部員だけではありません。後ろに並んでいる4人も全く動かないのです。
 私はそこで、ドッキリを仕掛けられているのだと思いました。この5人の中にはそういうことが好きなタイプの部員もいます。私はラケットのヘッドでネットを強めに2回叩いて、「付き合う気はないぞ」という意思表示をして、踵を返し、バックラインに戻りました。
 バックラインまで戻ったところで、私はふと気がつきました。練習中の掛け声が聞こえないのです。私は慌てて隣のコートに目を向けました。なんと、残りの部員たちも止まっていました。
 私はさすがに唖然としました。その日の練習に参加していたのは総勢40人くらいでしょうか、みんなその場でピタッと止まっているのです。
 私は「手の込んだことをするなぁ」と思いながら、ボールを数個持ち、自分のいるコートの対面いる部員と、隣のコートにいる何人かの部員に向けて、ボールを軽く打ちました。これにはさすがに反応するはずです。乱暴な方法だと思われるかも知れませんが、ソフトテニスのボールなので、軽く打った程度では、もし身体に当たっても怪我などをすることはありません。
 私の期待は裏切られました。誰もボールに反応することはなく、ボールはそれぞれの部員の身体に当たって跳ね返っていきました。

 私は部員たちをじっくりと観察しました。見れば見るほど、本当に「止まっている」としか言いようがありません。練習中だったのに呼吸で肩が動いている様子もないし、瞬きすらしません。
 私は、自分のダブルスの相棒であり部のエースである部員に向かって、強めのボールを打ちました。私がここで想定しなければならないのは、次の3パターンです。演技をやめて打ち返してくる、演技を貫いてそのままボールに当たる、本当に止まっているのでそのままボールに当たる。彼に向けて打ったのは、動けるなら確実に打ち返してくれるだろうという信頼と、そのまま当たったとしても許してくれるだろうという甘えからの人選でした。
 エースはボールに反応することなく、ボールは彼の太ももに当たって大きく跳ね返りました。私は大きな溜め息をつきました。

 私は止まっている部員たちに近づく気はありませんでした。ボールを打って確認するのも、近づかずにリアクションを確認するためです。まず演技をしているとして、近づいたところで突然動き出してビックリさせられるのは絶対に嫌でした。私はいわゆる「ビックリ系」にとても弱いのです。またもし演技じゃなかったとして、つまり何らかの理由で本当に「止まっている」としても同じです。なぜ止まったのかがわからないのだから、逆に何をきっかけにまた動き出すのかもわかりません。近づいてあれこれ詮索している内に突然動き出したら、ものすごくビックリさせられるでしょうし、また相手にどう言い訳したら良いかもわかりません。あるいは、動けないだけでみんな五感は働いている可能性だってあります。
 よく漫画などで、時間が止まっている間に登場人物が好き放題するような展開がありますが、全くそういう形にはなりませんでした。上で述べたように、様々な可能性を考えなければならないのだから、ヘタな行動などとれないのです。普段より慎重にさえなります。
 また私が部員たちから距離をとり続けたのには、もう一つ理由があります。こんな言い方は部員たちに悪いのですが、とにかく気味が悪いのです。人は普通、止まりません。ぐっすり寝ているときだって、呼吸によって顔や胸が必ず動いています。ましてや目を開けたまま止まることなんてありません。止まっている状態のその人を見るのは、良い表現ではないですが、その人の屍(しかばね)を見ているような気分になるのです。

 埒が明かないので、私はとりあえずコートから出ました。市民公園のテニスコートは、通路を挟んで、コートが6面並んでいるエリアと2面並んでいるエリアに分かれており、強豪で大所帯の女子テニス部が6面の方を、弱小の男子テニス部が2面の方を使っていました。
 6面のコートを囲むフェンスにはブラインド用の網が掛けられているので、外から中の様子を見ることはできません。しかし私は既に嫌な予感がしていました。そちらからも声が聞こえないのです。本来、練習中の女子テニス部ほど騒々しいものはありません。
 別に禁じられているわけではないので、私はそのまま6面コートのエリアに入りました。
 予想していたとはいえ、やはり衝撃的な光景でした。総勢70人くらいでしょうか、6面を使って贅沢に練習していた女子テニス部員たちが、やはりみな止まっているのです。何ともいえない異様な光景でした。私は思い切ってコートの中へ進みました。
 例によって私は、止まっている部員たちに近づくことはしませんでした。ましてやこちらは異性です。ヘタに誤解されるようなことをすれば、私はテニス部をやめなければならない事態になるかも知れません。
 私は慎重に部員たちと距離をとりながら進んでいき、女子テニス部のキャプテンのいるコートの対面にたどり着きました。
 うちの女子テニス部は昔からの強豪です。そのキャプテンは、地方大会では優勝、県大会ではベスト4入りしているかなりの実力者です。飛んでくるボールはどんなものでも打ち返すテニスマシーンのはずです。私は僅かな期待を胸に、そこそこの力を込めて、彼女に向けてボールを打ちました。しかしというか、やはりというか、地方最強のエースも、ボールに対して何のリアクションをとることもなく、ボールは彼女の右腕に当たって跳ね返りました。

 最低限の確認作業を終えた私は、6面コートのエリアからも出て、園内通路を公園の出口に向かって歩き出しました。”屍”だらけのところから離れて、とりあえず部外者に会いたかったのです。
 公園の駐車場に差しかかったところで、見慣れた車が停まっているのに気がつきました。テニス部の顧問の先生の車です。ちょうど着いたところだったようで、運転席にその先生が座っているのが見えます。先生も止まっているのかを確認しようと、私は車に近づきました。そこで、駐車場に鳩がいることに気がつきました。私はふと思いつき、太ももを高く上げ、勢いよく振り下ろし、地面に足を叩きつけました。
 意外に思われるかも知れませんが、私はここに至ってもまだ、頭のどこかではドッキリ説を採用していました。中学生が総勢100人以上でこんなに徹底したドッキリをやるだなんて全く現実味がありませんが、本当に止まってるという話に比べればまだ現実的です。私が一般部員だったらさすがに脈絡がありませんが、「キャプテンにドッキリを仕掛けよう」みたいな企画が持ち上がったとすれば、全くあり得ない話でもありません。そして私が思っているより、彼ら・彼女らは優れた役者なのかも知れません。
 しかし鳩たちがそんな考えを粉砕してくれました。至近距離で地面を踏み鳴らしても微動だにしない鳩なんているわけがありません。もちろん、鳩たちがドッキリに参加しているわけもありません。
 私はラケットを近くのコンクリートの壁に立てかけ、夕方の空を見上げました。
「時が止まっているんだ」
 この結論に至ったことで、私の中で迷いがなくなりました。

 私はそのまま駐車場の脇から「山道」に入りました。「山道」というのは一般名詞ではなく、公園の駐車場から小山の頂上に続く道を私たちが呼んでいた名前です。道中はほぼ全て木組みの階段になっているので、「山道」とはいっても、勾配のあるハイキングコース程度のものです。男子中学生の足なら15分もあれば登り切ることができます。
 私がその「山道」に入ったのは、小山の頂上に行くためです。小山の頂上を目指したのは、そこにとある建物があるからです。

 私が住んでいた街には当時、「開かれたカルト」とでもいうべき宗教がありました。一般的にカルトといえば閉鎖的なものであり、地元住民も近づかないものですが、その宗教は少し違いました。小山の頂上にはその宗教の施設があるのですが、私もそこには、幼稚園の頃にも小学校の頃にも遠足で行った覚えがあります。地元の子どもたちがごく普通に遠足で行っていたわけですから、場所としても宗教としても、地元住民は少なくとも強く忌避していたわけではなかったのでしょうし、宗教側も受け入れていたわけです。以下、その宗教をX教とします。
 X教をカルトと呼んでいるのは、今の私の視点からであって、当時の私にそういった認識があったわけでは全くありません。神社とお寺の違いさえわからなかった当時の私にとっては、小さな頃から馴染みのある場所だったし、一般的な宗教との区別などついていませんでした。だから「時が止まる」という超常的な現象に巻き込まれた私は、とりあえずそのX教の施設を目指したのです。市民公園で起きた出来事だからといって公園の管理事務所などに行ってもどうにもならないでしょう。こんなのは完全に、神様・仏様の領分なのです。

 私は「山道」をどんどん登っていきました。まだ「ゾーンに入った」状態が続いているようで、体力的な問題はありませんでした。そうはいっても、まだ真っ暗ではありませんが、もう子どもが一人で山に入るような時間ではありません。それにこの小山には、野犬が出るだとか変質者が出るだとかいった噂もありました。それでもそのときの私には、恐怖心は全くありませんでした。何がいたとしても、どうせ止まっているのですから。

 「山道」の終わり、階段の一番上にたどり着きました。頭上には大きな鳥居が聳えています。鳥居から奥には石畳の道が続いており、その左右には整備された芝生が広がっています。そして道の奥には、教会が建っています。教会は尖塔のついたゴシック建築のものです。また教会の正面の入口、大きな扉の上部の壁には、長方形の窪みがあり、そこに仏像が置かれています。その部分だけ見ると、仏舎利塔に似ています。扉の手前の左右から螺旋階段のようなものが伸びており、それを昇ると仏像の前にアクセスできる構造になっています。
 入口に鳥居。建物はキリスト教的な教会。そこに仏舎利塔のような構造が加わり、仏像が安置されている。なぜ私がX教をあくまでカルトと呼ぶのかというと、色々な理由があるのですが、X教はまずこのように、メジャーな宗教をごった煮にした新興宗教だったからです。少しでも宗教の知識があれば、その混合具合に辟易するはずです。ちなみにX教の正式名称は、明らかに神道系でした。

 教会の正面まで来た私は、入口の巨大な扉を押しました。予想していた通り開きません。遠足で来たときも、我々が遊び回ることを許されたのは、周りの芝生や螺旋階段の部分だけであり、教会の中に入ったことは一度もありませんでした。「開かれている」のは周りだけで、この扉の先はこの宗教の「内部」であり、部外者は入るものじゃないという感覚が、当時からありました。私は別に期待していなかったので、特に落胆することもありませんでした。なぜかはわかりませんが、私の中では「本丸は仏像だ」という直感が働いていました。

 私は軽い足取りで、向かって左の螺旋階段に入りました。割と急で、幅が狭く、左右の壁も高いので、この状況でいうのもなんですが、ちょっとした異空間に入った気になりました。
 10秒もしないうちに昇りきり、頂上にたどり着きました。位置としては正面の扉の真上、高さとしては10mくらいでしょうか。私から見て向かって右、扉側には低い欄干がついています。そして向かって左、教会の壁には長方形の窪みがあり、そこに仏像が埋め込まれるように安置されています。私はそちらに目を向けました。
「あっ」
 仏像が前に倒れていました。
 その仏像は、仏様が座っている像なのですが、それが前に倒れているのです。どっかり座っているはずなのにどうやって倒れるんだろうと思い、私は近づいて、倒れている仏像を観察しました。どうやら仏像は直に座っているわけではなく、台座の上に座っており、その台座の下部が丸みを帯びているようです。一般的な仏像がどうなっているのかは知りませんが、少なくともこの仏像は、一定の揺れが加われば、台座ごと倒れ得るような構造をしているのです。私は時が止まる直前に小規模な地震があったことを思い出しました。
 私は屈みこんで、倒れている仏像の正面を覗き込みました。仏像の前にある先の尖った装飾物が、仏像の鳩尾から胸の辺りに当たっています。私は「痛そう、苦しそう」と、まるで人間に対する感想のようなものを抱きました。
「……よし」
 起き上がらせよう。それしかありません。
 仏像は大きさとしては、本来の起き上がった状態で、少なくとも私の身長より高さがあるはずです。決して小さなものではありません。材質は金属です。子どもの力で起こすことなどできるのか、普段の私であれば試みる前から諦めていたでしょう。しかしそのときは、例によってまだゾーンに入っていたので、私は何だかいける気がしました。
 私は屈み、両手でそれぞれ仏像の両肩を持ち、自分の肩を仏像の胸の辺りに当てました。そしてさぁ持ち上げようという段階で、私はとても不思議な感覚に襲われました。
 何だか人に触れているような感じがしたのです。思っていたよりずっと温かく、柔らかさや懐かしさのようなものまで感じました。6月だったので仏像の表面温度が上がっていただけかも知れません。それにしても想像していた感覚とあまりに違ったので、私は戸惑ってしまいました。しかしその戸惑いは、すぐに別の感情に置き換わりました。仏像が少し浮いたのです。これはいける。
「せーのっ!」
 私は一息ついた後、一気に仏像を持ち上げました。何度もやると力を使い尽くしてしまうと思い、最初の一回で決めるつもりで、全身全霊の力を込めました。すると、想像していたより遥かに容易に、仏像は起き上がりました。
 起き上がった仏像は、そのままの勢いで後ろに傾きました。私は慌てて支えようとしましたが、後ろにはすぐ壁があるので、壁に当たって戻ってきました。その揺り戻しで、今度はまた前に傾きました。私はまた慌てましたが、そのまま前に倒れるほどの勢いはありませんでした。前に後ろに何度か揺れた後、仏像は一応、直立した状態で静止しました。

「ふぅ……」
 達成感からなのか、疲労からなのか、私は全身から力が抜けて、その場に座りこんでしまいました。同時に、全身の筋肉が痛み始めました。どうも、ゾーンに入ってる状態が終わってしまったようです。息も切れてきたので、私は深呼吸して呼吸を整えました。
 私は座ったまま仏像を見上げました。思っていたよりずっと高さがあります。それにしても、ぱっと見た限りでは、本来の状態に戻ったように見えます。しかし元がどういう状態だったのかわからないので、果たしてこれが”正解”なのか、私は判断しかねました。RPGであれば、正解なら、起こしたときに何らかの視覚エフェクトやサウンドエフェクトが入るところでしょうが、もちろんそういったものは何もありませんでした。
 私は立ち上がり、仏像を周りから眺めました。私は変に完璧主義的なところがあり、しっかり元に戻してから帰りたかったし、何より、もしこれがこの異常な状況に対する解決策なのであれば、ちゃんと戻さなければ解決に至らない可能性もあります。
 しばらく眺めているうちに、仏像が何だか少し斜めを向いている気がしてきました。私は仏像のお腹の辺りを抱きかかえて、向きを直そうとしました。
「あれ……?」
 しかし仏像は全く動きませんでした。どれだけ力を入れても、ピクリともしないのです。さっきの自分はこんなものを抱えて起こしたのかと、信じられない気持ちになりました。 
「んじゃあ……これで良いのかな?」
 私はまるで仏像に尋ねるように言いました。もう動かすことができない以上、良くも悪くもこれ以上できることはありません。私は自分の中で衝突していた完璧主義と達成感のうち、達成感の方を尊重して、とりあえずその場を後にすることにしました。

 階段を降りようと振り返ったとき、私の左頬に髪の毛がふわっと触れました。というとややホラーめいていますが、そういう話ではありません。私は当時、男子中学生にしては髪を長めにしていたので、自分の髪が風になびいて頬に触れたのです。私は何だか懐かしい感じがしました。そこで私は気がつきました。風が吹いている。いや正確にいうと、風が吹いていることに気がついたのではありません。風が吹いていなかったこと、時が止まってからついさっきまで風が全く吹いていなかったことに気がついたのです。私は顔にかかる髪を手で除け、木々のざわめきを聴きながら、ようやく実感することができました。
「時が動き出した」

 そうなると、急いで戻らなきゃならないことになります。私は慌てて螺旋階段を降りました。ゾーンに入った状態はやはり完全に終わっているようで、膝が笑いに笑いました。階段を降り切ったところで思わず前屈みになり、肩で息をしながら少し休みました。
 さぁ行こうと顔を上げたところで、驚くべき光景が目に飛び込んできました。
 教会から鳥居までの道の両側に、幾人もの人々が、道側を向いて深々と土下座して整然と並んでいるのです。人数は両側合わせて30人くらい、みな真っ白い着物を着て藍色の袴をつけています。恐らくX教の信者なのでしょう。教会の扉が少し開いていたので、別に降って湧いたわけではなく、時が動き出してから中から出てきたようです。
 それにしても、私が近づいても、彼らは全く動きません。まるで止まっているようです。もう勘弁してくれと思いながら注意深く見ていると、呼吸に合わせて身体がわずかに上下しているのがわかりました。止まっているのではなく、本人たちの意思で、土下座した状態でじっとしているのです。私は変に安心しました。
 光景としてはかなり不気味でしたが、私は身の危険を感じることはありませんでした。状況から考えて、この人たちは私に感謝しているのだろうと推測できたからです。あるいは謝罪の意味も含まれていたのかも知れません。いずれにせよ、私に害意を持って何かをしてくる様子はないし、私も少なくとも悪いことをした覚えなどなかったので、私は堂々とその真ん中を歩いて進みました。さすがに少し気になってしまい、歩きながら、土下座している人々を横目で伺いました。老若男女……といえるほどバリエーションがあるのかはわかりませんでした。顔が手で隠れていて全く見えないのです。一人だけ髪の色が明るい、恐らく若い女性がいたのが、如何にも場違いだったので印象に残っています。

 鳥居をくぐって「山道」に入ったら、私は大急ぎで階段を駆け降りていきました。時が動き出しているのだから、麓は騒ぎになっているはずです。顧問の先生も、既に駐車場に着いていたのだから、もう部員たちに加わっているはずです。
 暗くなり始めた山の中で、途中何度か転びそうになりながらも、私は無事、麓に着くことができました。

 案の定、麓は「キャプテンがいなくなった!」と大騒ぎになっていました。私は急いでみんなのもとに駆け寄り、とりあえず無事な姿をみんなに見せました。そしてポケットから、1球だけ持って行っていたボールを取り出し、「山道」を駆け降りながら考えていた言い訳を口にしました。ソフトテニス部の人だったらわかると思いますが、ラケットのY字の空間になっている部分にボールを挟んで思いっきり振ると、ボールは強烈なバックスピンが掛かって遥か遠くまで飛んでいきます。私はそれをやって、ボールがフェンスを越えて小山まで飛んでいってしまったのでそれを探していた、と説明しました。私はこの言い訳を、みんなの前で話しながらも、ほとんど顧問の先生に対してのみしていました。というのも、部員、特� !
�レギュラーメンバーからしたら、私は「キャプテン退治」の最中に忽然と姿を消し、いきなり山道から現れたことになります。これを納得のいく形で説明する理屈など、私の頭では思いつきませんでした。顧問の先生には「3年生にもなって何をやってるんだ」ともっともなこと言われ、頭に軽くチョップされただけで済みました。釈然としない様子の部員たちを余所に、私はキャプテンとして、そのままその日の練習を〆ました。

 帰り道。いつも一緒に帰っているダブルスの相棒は、明らかに私に本当のことを話して欲しそうにしていました。私は目を逸らし、話題をどんどんズラしていくことで、彼の無言の追及をかわしました。あのときの私と彼の間に流れていた何ともいえない緊張感は、あれだけ色々あったあの日の出来事の中でも、とりわけ生々しく記憶に残っています。
 私は本当のことを話そうかとも思いましたが、すぐに自分の中で却下しました。信じてもらえないと思ったからではありません。問題が起こるのはむしろ、信じてもらえたときです。これほど悪用できる知識もありません。相棒本人がそういうことをするとは思いませんでしたが、他言するということは、その相手以外にも話が広まっていくリスクを抱えるということです。
 私は彼の目を真っ直ぐ見て、敢えて全く関係のない話をして、「その話をする気はないんだ」と意思表示しました。長い付き合いなので、彼はすぐに察してくれて、それ以上詮索してくることはありませんでした。そのまま今日まで、この話は私だけの秘密になっています。

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計点
毛利嵩志101215121564
大赤見ノヴ151517171680
吉田猛々161718181887
合計4144504749231