俺が大学生の頃、不用品買い取り業のバイトをしていた時の話。
手っ取り早く稼げるからと友人に誘われ安易に応募したものの、不用品買い取り業は思った以上にハードだ。引っ越し業者顔負けの大荷物を運び出すのは日常茶飯事、しかもそれらがキレイとは限らない。ホコリまみれはまだいい方で、ヒドイ時にはネズミやコウモリのフンだらけなんてこともある。ましてや汚部屋に当たった日には、マジで飯が食えなくなるくらい鼻の奥にいやな匂いがこびりつくし。俺を誘った当の友人は「ゴメン俺やっぱ無理」とか言ってさっさと先に辞めやがった。根性なしめ。
汚い、きつい、キモイと三拍子揃った日にはさすがにげんなりするが、毎度そういうわけじゃない。とにかく時給がいいので、大抵のことは俺は我慢できる。それに、雇い主の所長とスタッフさんがいい人なので、特に辞めたいとも思わず何となくそのバイトを続けていたんだ。
そんなある日。
まだ残暑が厳しい九月はじめの土曜日に呼び出された俺は、所長とスタッフの大塚さんの三人で大きめのトラックに乗り、車で一時間ほどの田園地帯へ向かうことになった。古い家を解体するので不用品を処分したい、という依頼だそうだ。
「男性のひとり暮らしで家財道具はそんな多くないし、今回は割とスムーズに終わると思うよ」
ちょっと禿げあがったぽっちゃり体型の所長が、人当たりのいい笑顔を見せる。しかしこの笑顔には結構な確率で騙されているので、俺はトラックを運転しているスタッフの大塚さんに話を振った。
「ホントですか、大塚さん」
「契約書を見たけど、男性のひとり暮らしってとこだけは嘘じゃないよ」
「あれれ、ぼく全然信用ないねえ。あははは」
笑い声をあげる所長をよそに、大塚さんはトラックのウインカーを上げてバイパスを降り、市街地とは反対の方向へとハンドルを切っていく。のどかな町並みはやがて山間の田園風景に変わり、数えるほどしかない民家がひっそりとたたずむ、静かで寂れた地域に到着した。
その地域のいちばん奥、山のふもとにある新築らしき家の前でトラックが止まる。
「え、ここすか?」
「いや、この奥」
大塚さんが指差す先を見ると、広い庭と緑豊かな畑の奥にもう一軒、小さな二階建ての古い家があった。新しく家を建てたので、古い家を取り壊すということだろう。
そこでふと、奥の家の横に目がいった。
二階建ての家の横にも家庭菜園があり、その茂みの中に、細身の男性が突っ立っているのに気付く。腰から下を緑の茂みに覆われた白髪交じりの男性が、俺たちが乗っているトラックをじっと見つめていた。
「あの人が依頼人ですか?」
「え、どこどこ?」
所長が軽く振り返り、俺の指差す方向を見る。
「二階建ての家の横に、男性が立ってますけど」
すると所長はまじまじと二階建ての家の方を眺めたのち、首を傾げた。
「あっちの家は空家で、今は誰も住んでないんだよね。依頼主の渡辺さんは女性で独り暮らしだし」
「えっ」
そんな会話の間に、大塚さんはトラックをバックさせて新築の家を通り過ぎ、敷地内の奥にある二階建ての家の前に停車した。
「やだなタカくん、何見たの?」
タカくん、てのは俺のことね。
大塚さんに笑われながら、俺は急いで二階建ての家の横を確認した。
「あれ?」
そこには、誰もいなかった。
その上、家庭菜園らしき茂みも、何もなかった。
男性の上半身しか見えないくらい緑が生い茂っていたはずなのに、家の横は土がむき出しになっている空き地があるだけだった。
「おかしいな、さっき確かに」
「はいはい、んじゃそういうことで、ぼくは依頼主の渡辺さんに顔出してくるから、ちょっと待っててねぇ」
俺が言い終わるのを待たずに、所長はさっさとトラックを降りると、てくてくと新しい家の方へ歩いて行ってしまった。わけが分からず首をひねるしかない俺は大塚さんに促され、一緒にトラックから降りて二階建ての家の前に立った。残暑の陽射しが、次第に強くなり始めていた。
「こっちの家には、渡辺さんの弟さんが住んでたんだって。新しいあっちの家には渡辺さんが独りで住んでるらしいけど、姉弟が一緒に住んでなかったってことは、何か色々事情があったんだろうね」
所長の右腕である大塚さんは、俺よりも背が高く強面で、パッと見はヤク……いや、取っつきにくい雰囲気だが、実際は物腰が穏やかで頭が切れる人だ。面倒見が良くて優しいし、時々飯をおごってくれるし、大塚さんがいるからこのバイトを続けていられる、と言ってもいいくらいだ。
「それにしても、この場所は何だろうね。こっちの家はもう取り壊すんだから、新しい土を盛っても意味ないだろうに」
大塚さんが腕組みをして、土の乾いた空き地に目をやった。確かにこの暑い時期、雑草が一本もないまっさらな地面はとても目立つ。
「俺、さっきここに畑があるのを見たんですよ。もっとこう、鬱蒼と生い茂ってて、その真ん中に痩せたおっさんが立ってたんです。俺視力はいいし、見間違いじゃないと思うんですけど」
「……所長に詳しく聞いてみた方がいいかもね」
そんなことを話していると、新しい家の向こうから所長が小走りに戻ってきた。
「困ったな、渡辺さん、何か留守っぽいわ。何度呼びかけても反応なくてさ……この時間に来るって打合せしといたんだけどな」
渡辺さんのものらしい車がカーポートに入ったままなので、近所へ用事をすませに歩いて出ているのかもしれない、と所長は言う。とはいえ、近所と言ってもこの辺りは、隣の家までデカイ田んぼ三つ分くらい離れている。渡辺さんが戻るのを待っていたら時間がもったいない。
「事前に話を通してるんですし、作業してても問題ないでしょう。ていうか所長」
大塚さんが渋い顔をして所長を見た。
「何か、俺たちに話してないことがありませんか?」
大塚さんの問いに、所長は笑って頭を掻く。
「うん、まあその、ちょっとだけね。相場よりだいぶ上乗せされたもんで、つい」
「つい、じゃないですよ、まったく……ちゃんと説明して下さい」
所長は大塚さんにうんうんとうなずき返し、二階建ての家を指差した。
「ほんじゃ、さらっと教えとくね。渡辺さんの弟さん、先月ここで亡くなったんだよ」
「事故物件、てことですか?」
「んにゃ。家の中じゃなくて、外でね。詳細は聞かなかったけど、大体わかるでしょ」
俺と大塚さんは同時に空き地を見た。思わず固まる俺たちに、所長は続けて言った。
さっき大塚さんが俺に教えてくれた通り、手前の新しい家には依頼主の渡辺さんが、こっちの二階建ての小さい家には渡辺さんの弟が住んでいたのだが、やはり姉弟仲がよくなかったのだろう、互いの家を行き来することはほとんどなかったらしい。
弟が畑の中で倒れた時も、渡辺さんはしばらく気付かなかったのだそうだ。
「ようやく異変に気付いた時には、死後数日が経過してたって話だよ。お盆の前って言ってたから、猛暑の屋外で死後数日でしょ。かなり大変なことになってただろうねぇ」
大塚さんが大きくうなずいた。
「なるほど、だから畑を根こそぎ処分して、新しい土を盛って隠したわけか」
「ちょ、所長も大塚さんも勘弁して下さいよ! 想像しちゃうじゃないですか!」
裏返った声のまま、俺は所長と大塚さんの顔を交互に見た。急に周囲の匂いが気になってきて、思わず鼻をこすってしまう。所長は笑って俺の肩を叩いた。
「まあ、家のもの全部トラックに積めばそれでおしまいだからさ。家の中は全然何ともないんだし心配ない……って、言いたいとこなんだけどねぇ」
「ま、まだ何かあるんすか?」
びくびくしながらたずねると、所長はタバコに火を付けながら俺を見た。
「そういう死に方したせいか、出るらしいんだわ。弟さん」
煙を吐き、意味ありげににやりとする所長。さっき見たでしょと言わんばかりの視線に、俺は血の気が引いた。
弟が亡くなってからというもの、渡辺さんが住む新しい家に奇怪な現象が頻発するようになったという。怯えた渡辺さんは、残された二階建ての家に弟の念が今も残っていると感じたらしい。一刻も早くこの古い家を取り壊したいから、弟の荷物をすべて処分したいと所長に話したのだそうだ。
「何でも買い取る不用品回収業でも、さすがに幽霊はいらんのよね。だから、もし次に視えたとしても無視してね」
「そそそそんな簡単に」
慌てふためく俺を見かねて、大塚さんがフォローを入れてくれる。
「視えたからってパニックになると、意識が霊に全振りするから余計に波長が合っちゃうらしいよ。視えても無視、は鉄則だよタカくん。俺は視たことないけど」
事故物件に片足突っ込んでるタイプの仕事場は初めてで、マジで泣きそうになる俺に、所長はぐっと親指を立てた。
「ほらほらタカくん、ここ終わったらごはん奢るからさ。ちゃちゃっと済ませて三人でうまい焼肉食べにいこ。ねっ」
「……ハイッ!」
大塚さんがため息をつくのが聞こえたが、貧乏学生にとって焼肉は最上のパワーワードだ。ここは覚悟を決めて頑張るしかない。
「はいどうもどうも、ちょっとお邪魔しますよぉ」
所長が二階建ての家の玄関ドアを開けた。なぜか鍵はかかっていない――渡辺さんが開けておいてくれたのか、それとも元々開けっ放しだったのかは分からない。持参した使い捨てスリッパにはき替えて家の中に入っていく所長の後に続こうとすると、大塚さんが小声で俺を呼び止めた。
「タカくん、俺の予備貸しとくから、念の為に持っておいて」
大塚さんは俺に、黒い数珠を手渡した。こういうことがたまにあるから、数珠は常に持ち歩いているのだと、自分の数珠を懐に押し込みながら教えてくれる大塚さん。
「タカくんは初っ端から弟さんと波長が合っちゃったみたいだから、手を打っておかないとね」
「あざっす……や、やっぱり俺が見たやつって、そうなんすかね」
数珠をポケットにしっかり収め、探るように大塚さんを見る。大塚さんもどこか嫌そうな顔をしながら、軽く目でうなずいた。
「あの人、たまに変な仕事請け負うから困るんだよな。特別手当もらわないと割りに合わないよ」
所長は笑顔の裏に一癖も二癖もあるひとなので、右腕の大塚さんも大変だ。特別手当の件をぜひ交渉お願いします、と言っておいた。
所長を追って家の中へ入る大塚さんに続き、俺も急いで靴を脱いでその後についていく。
古く小さな家の中は暗く、窓を閉め切っているせいでかなり蒸し暑い。しんとした空気がやけに重く感じるのは、事前情報が衝撃的すぎたせいだろうかと思っていると、すぐに四畳半ほどの居間にたどり着いた。禿げあがった頭にタオルを巻いた所長が、作業用のゴム手袋を装着しながら肩をすくめる。
「家財道具は少なめだからすぐ片付きそうだね。でも全体的に古いから買い取りはちょっと厳しいかなぁ」
ふと見ると、小さな居間は例の空き地の真ん前だ。最初に見た畑とおっさんを思い出して気が重くなるが、忙しく動いていればすぐに気にならなくなるはずだ。
俺は所長と大塚さんの指示に従い、まずは家中の窓を開けて風を通す。山が近いのでセミの鳴き声がかなり賑やかだ。次いで居間のサッシを全開にし、トラックとの動線を確保する。狭い玄関を行き来するより、居間から外へ搬出した方が断然早い。
先に重い家電や戸棚を三人で運び出し、しっかりと積み付けをしてから、他の荷物をどんどん外に運び出していく。陽射しは次第に強くなり、家の中の温度も上がっていって、汗がだらだらと首を流れていった。
そうして三人で家とトラックを行き来しつつ、ようやく家の中の荷物がもう少しで片付く、という段になった頃。
「あつい」
「そっすね、めっちゃ暑いっす」
タオルで汗を拭いながら、細かい雑貨や衣服などをそれぞれ段ボールに詰めていく。窓を開けているが風が通ったのは最初だけで、今はほとんど無風だ。
「あつい」
「九月だってのに、今日も真夏日確定っすねえ」
ただただ蒸し暑い。部屋の中にまぎれこんできたハエの羽音が鬱陶しい。
「あつい」
「風がないからなおさらっすよね。冷たいビール飲みたいなあ」
脳死状態で答え、段ボールを閉じようとガムテープに手を伸ばした俺は、ふと、手を止めた。
伸ばした手をそのままに顔を上げる。セミの鳴き声が、いつの間にか止んでいた。
静けさの中、じりじりと横を向き、外を見る。
トラックの荷台に荷物を積み付けている――所長と、大塚さんの姿があった。
『 あつい 』
蒸し暑い部屋の中、全身に鳥肌が立った。誰の声かなんて、考えたくもなかった。
あわててポケットに押し込んだ数珠を確かめ、ガムテープを引っ掴んで闇雲に手あたり次第荷物をまとめていく。
無視だ、無視するんだ。もう少しで片付け終わる、それまでの辛抱だ。
『 あつイ アツイ 』
所長と大塚さんは戻ってこない。大急ぎで荷物を片付け続け、早くどっちか戻ってきてくれと全力で祈るしかなかった。耐え切れなくなって、すがる思いでトラックの方を見ようとした時、開け放してあるサッシに目が吸い寄せられる。
ハエが、うごめいていた。
十指に余るほどの、大小様々なハエが――
「いつの間に……」
ハエを認識した途端、そいつらの羽音が急にうるさく聞こえ始めた。
『 アツイ アツイ アツイ 』
得体の知れない声とともに、ハエが瞬く間に増えていく。
鬱陶しい羽音が何重にも重なって、部屋の中がみるみる騒々しくなる。普通に生活していればまず見ることのない大量のハエが、いつの間にか部屋中を飛び交っていた。
同時にうっすらと漂い始める、吐き気をもよおす――腐敗臭。
「……しょッ、所長ぉ! 大塚さぁぁん!」
我慢の限界に達した俺は大声を張り上げ、まとわりついてくるハエを必死に振り払って外へ飛び出した。ポケットから数珠を取り出そうとするが、手を抜いた途端に黒い珠が居間にばらばらと散らばった。
数珠の紐が、切れていた。
そして、居間を出てすぐの空き地の前で、俺は思わず立ち止まってしまった。
「……う、そ」
土を盛っただけの空き地を埋め尽くす、鬱蒼とした緑の畑が、そこにあった。
畑の真ん中から伸び上がる、首を真横に倒した人影――目に沁みるほどの腐敗臭をまとい、白く濁った眼球で俺を見据えている。
無数のハエの群れに真っ黒に覆われ、ぼとぼとと液体を吐き出しながら、それは唸るように言った。
『 ア゛ヅ イ゛ィィィィィ 』
腹に響く低い声に追い立てられ、俺は転がりそうな勢いでトラックへ走った。真に怖い時は声が出ないと聞くが、それはガチだ。声なんてかけらも出やしなかった。
一目散にトラックに駆け寄り、前のめりで荷台に手をついた俺は、薄暗い荷台の奥を見て絶句する。
「……あつい……」
所長と大塚さんは、荷台の真ん中に並んで突っ立っていた。
二人は、さっき見たものと同じく首を真横に傾けて、焦点の合っていないうつろな目をしていた。どれくらいそうしていたのか、真っ赤な顔でだらだらと大汗をかきながら、
「あつい……」
「あついぃ……」
ぼそぼそと、ただそれだけを繰り返していた。
二人の異常な様子を目の当たりにした俺はその時、自分の恐怖やら何やらがすべて消し飛んで、とにかく二人を何とかしなきゃと思った。急いで荷台に飛び乗り、二人の肩を思い切り揺すった。
「二人ともしっかり! 所長! 大塚さんってば!」
大声で呼びかけながら二人の背中を叩き続けると、突然大塚さんがその場にがくんと座り込んだ。
「た……タカくん……?」
「大塚さん、早く外に出て! トラックのエアコン全開にして水分とって!」
そんなやり取りの合間に、所長もその場に崩れ落ちて尻もちをついた。ふらつく大塚さんが荷台から降りるのを手伝い、次いで所長を引きずって二人がかりで荷台から下ろす。大塚さんがトラックのエンジンをかける間に、ぬるくなってしまったペットボトルのお茶を所長の手に握らせる。
「飲んで、所長! 水分とらなきゃ死んじゃいますよ!」
地面に座り込む所長は少しの間ぼんやりしていたが、やがて意識がはっきりしてきたのか、ペットボトルのお茶に口をつけた。ひと呼吸のあと、所長はペットボトルを大きくあおって残りのお茶を一気に飲み干してしまう。
「はあ、はあ……ありがとねタカくん、生き返ったぁ……」
「早く前に乗って休んで下さい、エアコンで体を冷やさないと」
ふらふらの所長を引っ張ってトラックの助手席に押し込み、俺は二階建ての家へ振り返った。
家の横には、何もないただの空き地があるだけだった。鬱蒼とした畑も、どろどろの人影も、もう何もない。強烈な陽射しの下、数匹のハエが忙しなく飛び回っているのを見て先程の恐怖を思い出し、吐き気がこみ上げる。今さらながら、見たものすべて、何もかもが信じられなかった。
居間のサッシが開けっ放しだが、ひとりで閉めに行く勇気はなかった。
その後、少し調子を取り戻した大塚さんと一緒に、二人で二階建ての家に残りの荷物を取りに戻った。作業を切り上げて早く帰ろうとゴネたのだが、依頼は最後まできちんとこなしたいと言って譲らないマジメな大塚さんには勝てなかった。
二人でおそるおそる二階建ての家に近づく。横の空き地は土がむき出しのまま普通の地面で、あの時の強烈な匂いも一切残っていなかった。
ちらちらと空き地を見ながら、サッシを開け放ったままの居間に近づく。俺がまとめた段ボールが数個、サッシの近くに置いてある。
「……ハエが、いない」
大量に渦巻いていたハエの群れは、嘘のようにいなくなっていた。
あの出来事は現実だったのか、それとも幻覚だったのか、俺には分からない。とにかく、残りの荷物をトラックに放り込むことだけを考え、大塚さんから離れないよう急いで作業した。幸い数回往復するだけで残りの荷物をすべて積み終えたので、俺は大塚さんを急かしてトラックに乗り込み、ようやく恐怖の現場を離れることができた。
「何だったんだろうねえ、三人ともちゃんと数珠を持ってたのに」
トラックに揺られながら、所長がぼんやりとつぶやく。俺のだけじゃなく、所長と大塚さんの数珠も紐が切れていたそうだ。
「さすがの幽霊も、連日の猛暑で頭にきてるのかもね。いや、まいったまいった」
「んなわけないでしょ……それより、依頼主の渡辺さんは結局戻ってきませんでしたね」
所長にツッコみながら大塚さんが指摘する。所長はすぐにスマホを取り出し渡辺さんに連絡を入れてみるが、やはり繋がらなかった。留守電にメッセージを残し、ため息をつく。
「請求書をまとめたら、また連絡してみるよ」
所長は大塚さんにコンビニ寄ってと頼んでから、静かに言った。
「……無事だといいんだけどね」
大塚さんも、いつもの嫌そうな顔をして小さくうなずいていた。
二人の会話を聞きながら、俺は思った。
もしかして渡辺さんの弟は、畑で倒れてから亡くなるまでの間、多少なりとも意識があったのではないだろうか。畑の中、動けない状態で炎天下に放置されたまま亡くなったのだとしたら、ずっと「あつい」と繰り返していたのもうなずける。
そして、不仲とはいえ同じ敷地内に住んでいる姉の渡辺さんに気付いてもらえず、見殺しにされたと思ったのではないか。渡辺さんの家で霊障が頻繁に起きていたのは、やはり弟の恨みの念なのではないか、と。
手遅れかもしれない。
漠然とそう思った。
……
そんな恐怖の一日から、数日が経ったある日。
バイトに行くと、大塚さんが俺を見るなり開口一番、
「依頼主の渡辺さん、昨日見つかったよ」
一瞬であの日の出来事がフラッシュバックし、俺は思わず身震いした。
渡辺さんは、広い庭の片隅で倒れているのが発見された。
寂れた田舎で独り暮らしだったため発見が遅れ、死後数日が経過したその亡骸は、弟と同じく目も当てられない惨状だったらしい。
「俺たちが訪ねたあの日、渡辺さんは……庭に、いたんだ」
トラックを止めた位置からは死角になっていて、俺たちは誰一人、渡辺さんに気付かなかったのだ。
「あの日にはすでに倒れてて、見つかったのが昨日……弟と同じ死に方ってことは、やっぱり引っ張られたのかな」
静かにつぶやく大塚さんの横顔を見ながら、俺は嫌なことを考えてしまった。
もしや渡辺さんは、俺たちがいた日には、生きていたんじゃないのか?
弟の怨霊は俺たちをおどして追い出し、倒れている渡辺さんに気付かないよう遠ざけたのでは?
自分と同じ死に方を、させるために――
「邪魔するなって、ことだったんですかね」
「……そうかもね」
大塚さんと二人でしんみりしていると、所長が事務室からひょいと顔を出した。
「お、二人ともちょうどよかった。次の土曜開けといて、仕事の予定入ったからね」
「また事故物件もどきの依頼じゃないでしょうね」
大塚さんがじろりと所長を睨むと、所長は笑って頭を掻いた。
「今回は大丈夫! だと思う! 多分!」
だめだこりゃ。俺と大塚さんは同時にため息をついていた。
所長はきっと何に呪われても、禿げあがった頭で跳ね返すんだろうな。