「乙女のはにかみ」

投稿者:きみちゃん

 

これは去年の夏に俺が体験した話。

木造二階建ての築50年の古いアパート。錆びれた鉄階段を上がった突き当たりの角部屋が俺の家。これといって秀でた才能がある訳でも無く、ただ都会に憧れて上京してからもう10年になる。何者にもなれず、日々淡々と仕事をこなし食い繋ぐそんな生活。唯一誇れるとするならば、つい最近彼女が出来た事くらいだ。

カンカンカンカン‥、ガチャ
俺「あれ?来てたんだ。」
彼女「うん。どこか出かけてたの?」
俺「あ〜。そこのコンビニ。アイスあるけど食う?」
彼女「かき氷が良かったかな(笑)」
俺「そっか。ごめんごめん。」
馬鹿みたいだが、こんな何でもないただの日常が本当に幸せだと感じる。

彼女と出会ったのは、近所の稲荷神社の夏祭りだ。薄紫色の夕顔柄の浴衣を着た色白の彼女が一人、ベンチに座っている所に声をかけた。
俺「何してるの?」
自分でも何故声を掛けたのか不思議だった。
驚く彼女はこう言った。
彼女「待ち合わせしてたんだけど、すっぽかされたみたい‥。」
落胆する訳でも無く、仕方無さそうにニカっと笑う彼女の笑顔に一瞬で俺の心は奪われた。
俺「暇なら、俺と一緒に祭り回らない?」
コクリと小さく頷く彼女の手を取り俺は歩き出した。
焼きそば、射的、綿飴、金魚すくい昔からある屋台を横目に彼女が立ち止まった先は、かき氷屋だった。
彼女「ここ‥。」
俺「かき氷好きなの?」
頷く彼女。
店主「お兄さん何にする?うちのお勧めはね。杏子(あんず)かな。」
俺「杏子(あんず)って珍しいですね。」
店主「昔はよくあったんだけど、今はもう屋台で出してる店は少ないな。美味しいよ。」
俺は店主のお勧め通り杏子にした。口いっぱいに甘味と酸味が広がり、初めて食べたけどハマりそうな美味さだった。
そんな俺を見て彼女は相変わらずニコニコ笑っていた。
俺「この後予定あるの?もし良かったら家近いんだけど来ない?」
彼女「うん。」
予想外の答えに驚きと喜びを隠せなかった。

アパートをボッーと見つめる彼女。そんな彼女を尻目に俺は
(こんなボロい所に住んでるんだ)ってがっかりしてるんだろうなと思った。
俺「先に部屋上がってて、階段登って右手の突き当たりが俺の部屋。まぁ汚いけど気にしないで。俺大家に用があるからさ。」
彼女「うん。」
そう言って俺は大家の部屋のドアを開けた。
「爺さんいる?」
爺さんは、アパートの一階に住む80近い大家だ。独身で隣県に歳の近い妹さんが住んでいる。
爺「おぅ。どうした?」
曲がった腰を押さえながらゆっくり玄関に迎えでてくれた。
俺「これ今月の家賃と、お土産の焼きそば。近くで夏祭りやっててさ。」
爺「悪いなぁ。もうそんな季節か。昔はよく行ったが、最近はどうも身体がな‥。」
俺「無理すんなよ。爺さんが倒れたら俺家無しになるんだから(笑)」
爺「それもそうだ。はっはっは。」
豪快に笑う爺さん。このアパートは爺さんが若い頃建てた物で、跡取りがおらず、年々借り手も減っていく一方で、爺さんが亡くなったら取り壊す決まりとなっている。
爺「ところで、なんかいい事あったんか?」
ニヤニヤと聞く爺さんに、鋭いなと思いながらも彼女の事を話すと根掘り葉掘り聞かれそうなので
俺「今度話すよ」
とだけ伝えた。

2階の自室に戻り、彼女と他愛無い話をしてその日は解散した。
帰り際
彼女「また来てもいいかな?」
俺「勿論。」

それから暫く経ったある日の夜、いつものようにあの古びた鉄階段を上がり、自室に入ろうとドアノブに手をかけたその時、左目の端に何か黒い塊が一瞬横切ったのが分かった。
俺「ゴミ袋?」
アパートの長い廊下の端に黒くて丸い塊が置いてある。
俺「誰だよ、あんな所にゴミ袋置いたやつ。」
半分怒りながらも片付けようと近づく。
だが何かがおかしい‥。
いや、違うあれはゴミ袋なんかじゃない。
人の頭だ。
長い髪を前に垂らし、四つん這いでゆっくりとこちらに這いながら近づいてくる色の白い女。女はびっしょり濡れている。目は見えず、爪は剥げ血も滲んでいる。まるで化け物だ。女は何かをしきりに呟いている。
かろうじて聞こえるその声に、俺は耳を傾けた。
女「返し‥て‥。ゆ‥か‥。」
声にならない声で俺は叫んだ
俺「うわぁぁぁ。」
必死に部屋の扉を開けようとするが、情けない話腰が抜けて動けない。女が近づく度に、女の髪から雫が垂れる。段々近づいて来る。女との距離はもう1メートルも無い。
もうダメだと思ったその時
爺「おい!どうした?!」
アパートの下から大声で叫ぶ爺さんの声がした。
その瞬間女は消えた。俺はおぼつかない足を必死に動かし、階段を駆け下り爺さんの部屋になだれ込んだ。
爺「何があった?」
息が切れ心臓の鼓動は激しく、上手く話が出来ない。
俺「女…女が這って…爪が。」
そこまでいいかけた時、爺さんが
爺「そうか、お前もあの女を見たのか。悪い事をしたな、あれは元々俺のせいだ。」
俺「???」

ここからは爺さんが俺に話してくれたあの女の話。

約50年前、このアパートを建てた頃から、お盆の近くになると毎年出るようになったそうだ。その女はいつもしきりに「返して‥。返して‥。」とそう訴えかけて来るが
「お前に返す物は何も無い!」
そう答えるとスッと消えて行くとの事。
爺さん「心当たりはある。だが詳しく話す事は出来ん。話せば大切な物を失う。悪いが許してくれ。この通りだ。」
そう言って爺さんは俺に頭を下げた。
俺はそんな馬鹿な話があるかと思ったが、申し訳なさそうに、いつにも増して小さく見える爺さんにそれ以上何も聞けなかった。

2週間後爺さんが死んだ。
元々心臓が悪かったようだが歳もあっての事だろう。俺は突然の事にショックと驚きを隠せなかった。それと同時に、これから何処に住もうか、地元に帰ろうか頭の中がパニックだった。

爺さんが亡くなってすぐ、爺さんの妹と名乗る年配の女性が俺を尋ねて来た。
妹「生前は兄が大変お世話になりました。ありがとうね。若い子が住んでくれて活気が戻ったみたいだって貴方の事を嬉しそうによく話してくれていたのよ。」
そう話す妹さんはどことなく爺さんに似ていた。
妹「今から、兄さんの部屋を片付けなきゃいけないのだけれど、そうだわ!もし欲しい物があったら貴方に差し上げたいの。是非持って行って。」
正直形見分けなんて面倒だとは思ったが、世話になったのも事実だし、渋々妹さんと一緒に片付けをする事にした。

片付けの最中
妹「あらっ!」
何かを見つけた様に驚く妹さん。
妹「兄さんまだこの浴衣を持っていたのね…。」
それは見覚えがあるあの浴衣。
薄紫色の夕顔柄、初めて彼女と出会った時に彼女が着ていたあの浴衣だ。
俺は驚きを隠せなかった。
思わず
俺「この浴衣の事知ってるんですか?」
妹「知ってるも何も、これは杏子(きょうこ)の浴衣よ。」
俺「きょう…こ?」
ここからは妹さんが俺に話してくれた話。

約60年前の夏祭り。
妹「いたいた!杏子ー。ごめんね遅れちゃって。待った?」
杏子「もぉー。すっぽかされたかと思って心配したわ。それより見てみてー。お母さんの浴衣内緒で着て来ちゃった。」
少し大人びたその浴衣は、杏子にとてもよく似合っていた。
妹「よく似合ってるわ。ねっ!兄さん。」
兄(爺さん)「まぁ似合ってるんじゃねーの?あんずにしては。」
妹「兄さんたら照れちゃって。それにあんずじゃなくてきょうこでしょ。」
杏子「いいのよ。私あんずって呼ばれるの好きよ。」
彼女ははにかみながらそう答えた。

「杏子(きょうこ)と私と兄さんは幼馴染でね。いつも一緒に遊んでいたの。毎年近所の稲荷神社の夏祭りには必ず3人で参加していてね。そこで「あんず」のかき氷を食べるのが好きだったわ。
お祭りの最後にはいつも
「また来年も必ず一緒に来ようね。」
って約束したの。でもね、その年の冬に杏子が急に亡くなったの。亡くなった‥いや、殺されたのよ。それも自分の母親にね。」

俺は息を飲んだ。

妹さんは話を続ける。

「杏子の母親は元々精神的に不安定でね。そこに加えて、杏子の父親が他所に女を作ったの。昔はよくあった話よ。頭がおかしくなった母親が杏子が寝ている隙に、彼女の喉元目掛けて包丁を突き刺したの。酷い話よね。杏子はそのまま…。その後その母親は冷たい冬の川に飛び込んだの。でも水の中でもがいたのね、引き上げられた遺体には爪が一つも無かったそうよ。
その時母親が着ていたのがこの浴衣。杏子が一番好きな浴衣だったわ。ご主人(杏子の父親)からプレゼントされた物で当て付けの意味もあったのかもしれないわね。
それに…」

そこまで言って妹さんは口篭った。

「これは夏祭りの後、杏子から直接聞いたんだけど、夏祭りに杏子がお母さんの浴衣を内緒で着て来たって言ってたでしょ?その事でお母さんかなり激怒したみたいなの。
母親「人の物を勝手に取るなんて!あの憎い女と同じだ!返せ…。返せ…。私の大切な浴衣を返せ。」って。
あの憎い女っていうのは旦那さんの不倫相手の事ね。
恐ろしい事だけど、杏子のお母さんは杏子と不倫相手を重ねてしまったのね。
それから、兄さんたら杏子の葬儀で、この浴衣を自分に譲って欲しいなんて言い出してね。皆必死で止めたわ。だって不謹慎だもの。でも兄さんは引き下がらなかった。最後は根負けした杏子の父親が兄さんに浴衣を譲ったの。
それから兄さん、やっぱり辛かったのね。翌年から夏祭りには行かなくなったわ…。」

そこまで話を聞いた時、俺は彼女との出会いから今までの記憶が走馬灯のように頭に浮かんできた。
今思えばおかしい点はいくつもあった。屋台の店主はまるで彼女が見えていないかの様だったし、初めて部屋に連れて来た時、部屋の鍵なんか渡してない。なのに彼女いつも先に部屋に入っていた。一体どうやって?何より一番不思議なのは、

『俺は彼女の名前を知らない』という事。

出会ってから一ヶ月以上も経ち、それまで何度も会っていたのに。それを疑問にすら思わなかった。

気付いたら俺は浴衣を持って走っていた。遠くの方で妹さんが何かを叫んでいたけど耳に入らなかった。向かう場所は決まっている。
彼女と初めて出会ったあの稲荷神社だ。
俺「はぁ…はぁ…。」
息を切らして目を凝らす。
居た!あのベンチに彼女が座っている。
俺「きょうこ…さん?」
にっこり微笑む杏子。俺が持っている浴衣を指差し安堵したかように
杏子「見つけてくれてありがとう。」
そう言って彼女は微笑みながら静かに消えていった。
あまりにも呆気ない別れだった。

ここからは俺なりの解釈だけど聞いて欲しい。杏子さんは亡くなってからも60年前に交わした約束「また来年も必ず一緒に来ようね。」を一人守り続けこの神社で爺さん達を待っていたのだろう。
そしてこの浴衣をずっと探していた。この浴衣を持っている限り、あの化け物のような女は現れる。彼女の母親の呪縛からは決して逃れられない。今も尚、自分から浴衣を奪った者を道連れにしようとしてるのだ。杏子さんは、そんな母親から爺さんを守る為、唯一夏祭りで自分の存在に気付いた俺を利用した。爺さんはあの女が杏子さんの母親って気付きながらも、この浴衣を処分できなかった。爺さんが言った「大切な物を失う」って言葉…身勝手な母親に杏子さんを殺され、死後も尚、杏子さんとの思い出まであの女に渡したく無かったのだろう。これは爺さんなりの意地だ。

その後爺さんの葬儀が執り行われた。
俺は「あの世で杏子さんに会えたかな?爺さん60年前の約束すっぽかした事ちゃんと謝ったかな?
もうあの女の呪縛から2人は解放されたから安心しな。」そんな事を考えてた。
爺さんが亡くなり、住まいもこれといってやりたい事も無かった俺は、この地を離れ地元に帰る事にした。この夏は、俺にとって特別だった。唯一の心残りがあるとするならば、初恋がたった数ヶ月で終わってしまった事…(笑)それも生きている人との恋じゃなかった。
俺「まぁ。地元で心機一転するか。」
そんな決意を胸に俺は新たな一歩を踏み出した。

そういえば、爺さんの葬儀の少し前、妹さんが
妹「この浴衣、兄さんの棺に入れてあげようかしら?本当なら60年も前に、杏子の為に供養しなきゃいけなかったものね。遅くなってごめんね杏子。」
そんな事を言っていた。

でもごめんな爺さん。爺さんがこの事知ったら「勝手な事するな!」って怒るかな?
でもこれは俺の意地なんだ…。爺さんと杏子さんの幸せの為に、あの女はまだ暫くこっちに居てもらう。

もうすぐお盆だ。

爺さんの墓参りに行こう。
あんずのかき氷と『あの浴衣』を持って…。

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計
毛利嵩志101210151259
大赤見ノヴ161616151679
吉田猛々171716171784
合計4345424745222