「喰らう宿」

投稿者:平中なごん

 

 少し前まで、俺は友人のAとBと三人で心霊系某チューバーをしていた。いわゆる心霊スポットに行って動画撮影をする、まあ、よくあるタイプの月並みのものだ。

 特に怪談やオカルトが趣味というわけでもなかったが、ヤンチャしてた高校時代から心霊スポットへはよく遊びに行っていたし、怪談ブームの昨今、そんな遊びの延長線上で儲けられるなら…と、なんとなく始めたような感じである。

 とはいえ、いざ始めてみるとやはり再生回数や登録者数を伸ばしたいので、それなりに撮影には真剣に取り組んでいる。並いるライバル達に差をつけるため、穴場スポットの情報収集ももちろんかかさない。

 そんな中、いつものようにいきつけの飲み屋でその手の話を訊き回っていると、ある客の女性から少々気になる話を聞いた。

 彼女によると一年ほど前、男友達がとある温泉旅館に泊まったの最後に失踪したのだが、その直前にSNSのメッセージで「変な蔵を見つけた…」と言っていたのだという。

 しかも、そこには写真も添付されていたが、それは全面真っ黒で何も映っていなかったんだとか。

 こいつはまだ知られていない、そうとうな〝いわくつき物件〟かもしれない……さっそく俺達はネットを駆使して、その旅館についてのウワサを集めた。

 だが、いくら検索してみても、そこにまつわる心霊現象の話は何一つとして出てこない。某事故物件サイトを見てみても炎マークは付いていないようだ。

 これは偶然、その失踪した友人がそこに泊まったというだけのハズレ情報だったかな…と思った矢先、旅館自体ではないものの、俺達はある関わりのありそうな書き込みを見つけた。

 その宿のある温泉街へ行った後、行方不明になったという者が幾人もいるのだ。

 ただしニュース記事ではなく、親族や関係者がSNSで目撃情報を募る中で書き込まれたものである。事件性はないと見たのか? 別段、ニュースにはなっていないみたいだし、その書き込みをした各々の者達もお互いに関連性は認識していない様子だ。

 まあ、そこはけっこう有名な温泉街であるし、年間何十万といる旅行者の中に失踪する者がいても不思議はない。そうした所に泊まった後、どこか人目につかない山の中へ分け入って自ら命を…という話もそこそこ聞いたりなんかはする。

 これもまた、思わせぶりなだけで単なる偶然の重なり合わせなのかもしれない。

 だがもし、その失踪者達が全員、件の旅館に泊まっていたのだとしたら……。

 やはり、この話が妙に気になった……運が良ければ、バズり間違いなしの動画が撮れるかもしれない……そんな直観に突き動かされ、さっそく俺達はその旅館へ泊まり込みの撮影に行くことにした。

 無論、正直に心霊動画の撮影などと言えば門前払いされるので、仕事に疲れて湯治にやって来た映像制作会社の同僚三人…という設定である。

 一応、表向きは湯治という話だし、撮り高を上げるために三泊四日で予約しておいた。

「──ここで間違いないよな? ぜんぜんそんな感じしないんだけど……」

 だが、Aがチェックインの手続きをしている間に、玄関先の広いロビーを見回しながらBが小声でそう呟く。

 彼が言うように、その旅館はイメージしていたものと大幅に異なっていた。

 宿泊客が失踪する怪しげな宿といったら、なんというか全体的に薄暗く、お客もいなくて閑古鳥が鳴いている…というような所を想像していたのだが、実際にはむしろその真逆だ。

 小綺麗で瀟洒なロビーは明るく陽気な感じがしており、俺達以外にも大勢の宿泊客達で溢れている。

 宿泊予約サイトでも空き部屋数が限られていたし、閑古鳥が鳴いているどころかけっこう人気の宿であるらしい。

「こりゃ、やっぱりハズレだったかな?」

 和気藹々とはしゃぐ若者グループを眺めながら残念そうにBがまた呟く。

「ま、例の〝変な蔵〟の話もある。とりあえずひとっ風呂浴びて、それから調査を始めよう」

 するとそこへチェックインを終えたAが戻って来て、残念がるBを励ますようにして言う。

「ああ、そうだな。せっかくの温泉だしな」

 それにBと俺も頷き、仕事のことはひとまず置いといて、まずは温泉を楽しむことにした。

 その後、通された純和風の二間もある広い部屋も、その部屋へ行くまでに通った緋色の毛氈敷き廊下も、なんとも清潔感と豪勢さに溢れる素晴らしいものだった。

 三人とも霊感はゼロなのであくまで印象だが、まったくもって幽霊が出るような気配はしないし、一応、お約束の壁にかかった絵の裏を見てみてが、当然、お札が貼ってあるようなこともない。

 荷物を置き、一息吐いてから入った源泉かけ流しの露天風呂も広くて綺麗で申し分のないものだ。

 これならば、人気のある宿なのも頷けるというものだろう……反面、ますます〝いわくつき物件〟からは遠退いてしまったが。

 しかし、温泉を充分に堪能した後、部屋で調査の方針について話し合おうということになった時のこと。

「──あれ? まだA戻ってないのか?」

 風呂から上がり、浴衣に着替えて部屋へ戻ってみると、先に出たはずのAがまだ帰ってきていない。

「探検してくるって行ってたけど、外まで行っちまったのかな? まあ、鍵は預かってるし、先に入ってよう」

 そこで部屋の鍵を開け、Bと二人、中でしばらく待っていると。

「おい! 見つけたぞ! 〝変な蔵〟ってたぶんあれのことだ!」

 興奮した様子で駆け込んで来たAが、開口一番、そんなことを言い出した。

「それって失踪した男友達が見つけたってやつか? いったい何が変だったんだ?」

「まあ、まずは実物を見てくれよ。こっちだ」

 尋ねるBに、言うが早いかAは踵を返すと、今入って来た引戸をまた出て行ってしまう。

「あ、おい待てよ!」

 よく話が見えないまま、俺とBも慌ててその後を追った。

 Aについて早足に歩いてゆくと、彼はぐんぐんと旅館の中を進んで、関係者以外立ち入り禁止の一番奥まった場所にまで到達する……すると、そこには真新しい白壁の立派な土蔵が一棟、ひっそりと隠れるようにして建っていた。

 宿の建物とは屋根のある外廊下のようなもので繋がっており、下足がなくとも行くことができる。白壁は汚れ一つないが新しく建てたものではなく、どうやら最近になって塗り直したみたいである。

「蔵か。さすが儲かってる旅館だけあって立派だな……でも、この蔵のどこが変なんだよ?」

 二階建ての家くらいはあるその蔵を見上げながら、Aがそう疑問を呈する。

 確かに立派な蔵ではあるものの、だからといっておかしな点は特に見当たらない。隠されるように奥まった場所に建っているのも、防犯の面から見れば至極当然だ。

「まあ、外見はそうなんだけどさ。変なのは中身だよ。でも、おかしいな。さっきは扉が開いてたのに……」

 そんな俺達の疑問に答えるかのようにして、さらに蔵へと歩み寄ったAは、漆喰を塗った防火用の分厚い扉へと手を伸ばす。

「あれ? 鍵もかけてある。さっきは開けっぱなしだったんだよ。宿の人が閉めたのかな?」

 だが、観音開きのその扉に付けられた南京錠をカチャカチャ弄りながら、Aは小首を傾げて不思議がっている。

「なんだ、じゃあ、さっきは中へ入れたってことか? で、どんな感じだったんだよ?」

 Aの言葉から状況を察し、Bが質問を変える。

「うーん…平安貴族のお屋敷みたいっていうか……御簾みたいなのとか、屏風みたいなのとかがあって、奥の一団高くなってる所には厚い座布団や漆塗りのお膳が置かれてたりして……そう! 実寸大のお雛さまが座ってる台って感じ?」

 するとBは貧しい知識と語彙力を駆使して、その質問にそう答えた。

「そうそう! スマホで動画も撮っといたんだ……」

 続いてAは思い出したかのようにそう付け加え、慌てて浴衣の袖の中からスマホを取り出す。

「どれどれぇ……」

 特ダネを拾ったジャーナリストででもあるかのように、たいそう自慢げなAの様子に俺とBも期待して画面を覗き込んでみたのだが。

「あれ? 変だな。なんだこれ?」

 そこには真っ黒な画面以外何も映ってはいない。

「なんだ。なんも映ってないじゃん。撮影失敗したな?」

「いや、そんなはずないって。もしかして、よく聞く電子機器の不具合ってやつか?」

 文句をつけるBに対し、そんなベタな霊障を思い出してAは言い訳をする。

 まあ、心霊スポットではよく聞く話だが、こんな綺麗で雰囲気のない旅館で霊障が起こるとは俄かには信じられない。

「それとも夢でも見たのか? 鍵かかってて入れそうにないし、蔵ん中にんな平安貴族の部屋があるとも思えないしな」

「いや夢じゃないって! 確かにさっきは中に入れたんだって!」

 さらには見たことすら疑うBにAは思わず声を荒げて反論をする。

「シー! ここで騒いでるのもなんだ。続きは部屋に戻ってからにしよう」

 ここにいるのを宿の人に見咎められては大変だ。俺は二人を促すと、ともかくもこの場を離れることにした。

 その後、俺達は話し合い、とりあえず部屋に定点カメラを仕掛けると交替で夜通し監視することにした。

 本当なら宿のあちこちに仕掛けたいところではあるが、許可を得ていないのでそれもできない。この部屋で何か起こるとも限らないが、まあ、運が良ければ心霊現象的なものが映ってくれるかもしれない。

 それに加えて、監視役はこっそり旅館内を見回って、例の蔵もできたら見に行くようにした。

「じゃ、まずは俺が起きてるよ。二人はゆっくり寝ておきな」

 夕食を終えて夜も更け、ちょうどよい頃合いになると、まずはAが監視役をやることになった。

 旅館内を探検して蔵を見つけたこともそうだし、意外とAは仕事に関して真面目だったりする。

「そうか? んじゃ、お言葉に甘えて。寝酒でも飲んで一眠りするか」

 一方、遊び半分くらいの感覚で来ている俺とBは、せっかくなのでAに任せて休むことにした──。

「──ううん……あれ? もう朝か?」

 だが、ふと目を醒ますと部屋の中が薄明るくなっている……寝たまま横へ視線を向ければ、Bがすやすやと気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 傍のスマホに手を伸ばしてみると、すでに時刻は七時を回っている。どうやらニ、三時間で起きてAと交替するつもりが、二人ともすっかり朝まで寝入ってしまったようだ。

「Aのやつも起こしてくれればいいのに……」

 なんだかあの蔵を見つけて張り切っていたし、もしかして俺達に気を遣って寝かしておいてくれたのかもしれない。

「おい、B起きろ。もう朝だぞ? すっかり寝過ごしちまった」

「……う、うーん……ん? もう朝か? 今、何時だ?」

 とりあえずBを揺すって起こすと、寝惚け眼ながら彼もすぐに状況を理解したようだ。

「あれ? Aのやつは?」

「ああ。起きたらもういなかった。まだどっかフラフラしてるんじゃないか?」

 半身を起こして室内を見回してみたが、そういえばそのAの姿がどこにも見当たらない……また宿内の見回りに行っているのか?

 しかし、お茶を煎れて目を醒しがてら待っていても、Aはなかなか戻ってこない。

「いくらなんでも遅いな。ちょっと見に行くか……」

 そこで俺とBも手分けして宿内を探してみたが、Aの姿はどこにも見当たらなかった。

 やむなく俺達はフロントへ行って、そこにいた若女将らしき人物に訊いてみる。

「ああ、それでしたら朝早くに出て行かれましたよ? なんだかやけに慌ただしい様子で。お荷物は他の方に預けていくと仰ってましたけど?」 

 すると、若女将はどこか怪訝な様子で、細い眉根をひそめながらそう答える。そのことを知らない俺達にむしろ疑念を抱いているといった感じだ。

「先に帰った? いや、なんも聞いてないぞ?」

 若女将のその返答に俺もBも面食らってしまう。昨夜はそんな素振りまったくなかったし、何か急用ができたらなら俺達に断ってから帰るはずだ。

「……あ、いえ、どうやら行き違いがあったみたいです。どうもありがとうございました」

 無論、納得はいかないものの、いろいろ勘繰られては困る身の上である。

 俺は若女将に頭を下げると、不服そうなBを引っ張り、部屋へと戻った。

「おい、どういうことだよ!? なんも言わずに帰るなんてありかよ?」

 部屋へ入るなり、マッチポンプの如くBが激昂する。確かにこんなこと今までに一度もなかった。

「……ダメだ。ぜんぜん出ない」

 怒れるBの傍ら、ともかくもスマホを取り出してAに電話してみるが、ずっと呼び出し音が鳴り続けているだけだ。

「もしかして、夜に何か怖いことあったとか?」

 このいつにない異常な状況に、俺はそんなことを考えてしまう。

「……そうだ! 仕掛けといたカメラ見てみよう。なんか映ってるかもしれない」

「ああ、それがあったな!」

 俺は定点カメラの存在を思い出し、さっそくBとともに確認してみることにした。

「なんだよ。これも真っ黒じゃねえか!」

 しかし、Bが声を荒げるように、昨日のスマホ同様、漆黒の画面しかそこには映っていない。

「まさか、ほんとに霊障ってんじゃないだろうな?」

 二度も続くと、さすがのBもその手のオカルト的な疑いを持ち始める。

「一応、メッセージも送っといたけど既読にならないな」

 また、電話が通じないのでSNSでの連絡を試みてみるも、やはり返事が返ってくるような気配はない……〝変な蔵〟があったというのも符合するし、こうなると飲み屋で聞いた〝失踪〟の話が俺達の脳裏を過ぎる。

「け、けど、若女将は帰るの見たって言ってたし、まさか失踪なんてことないだろ? どうせカノジョに別れ話切り出されるかなんかして、そんで俺達に断るのも忘れて帰ったんじゃないのか?」

 だが、基本、心霊現象に対して懐疑的なBは、そう自分に言い聞かせるようにして強引に失踪の疑いを払拭しようとする。

 まあ、確かに若女将の証言もあるし、自分で出て行ったのならば超常現象で姿を消したわけではない。

「そのうち電話くるかもしれないし、あと三日も宿泊予約してるしな。とりあえず俺達は撮れ高上げることだけ考えよう……」

 スッキリとしない心持ちではあるものの、俺達はAからの連絡を待ちつつ、湯治客を装っての調査を続けることにした──。

 何事もなかったかのように朝食を食べた後、ずっと宿にいるのも怪しまれるので周辺の観光なんかもしつつ、俺達はそれとなく地元の人間にあの宿についての聞き込みも行った。

 だが、失踪者のウワサはもちろん、やはり心霊的な話は皆無である。

 けっきょく聞き込みも徒労に終わり、落胆した俺達は宿に戻ったのだが……。

「──おい! 蔵の扉が開いてるぞ! マジで平安貴族のようなのあった! ほんとリアルお雛さまだ!」

 宿に帰った後、お互い別行動をとって過ごしていると、不意に部屋へ駆け込んできたBがそう告げる。まさに先日のAと同じようなシチュエーションである。

「じゃ、Aの言ってたことほんとだったのか!? よし! すぐ行こう!」

 AばかりかBも見たとなれば、これはもう夢や幻じゃないだろう。俺も跳び起きるとBについて、例の蔵のある場所へと急いでとって返した。

「あ! 扉が閉まってる! いつの間に……鍵もかけていやがる……」

 ところが、Bがその場を離れてからさほど時間は経っていないというのに、漆喰を塗った分厚い扉はすでにしっかりと締め切られている。これもAの時と同じ状況だ。

「もしかして、宿の人が気づいて閉めたとか?」

「いや、誰にも見つかってないと思うんだが……そうだ! 撮った動画見てみよう……」

 そんな心配をする俺に、Bはスマホを取り出すと画面をタップして撮影したものを見せようとする。

「クソっ! またなんも映ってねえ!」

 だが、やはりAのスマホ同様、そこには真っ黒な画面しか映っていなかった。

「でも、これはもう逆になんかあるっていう証拠だよな? よし、今夜こそ徹夜して正体突き止めてやる!」

 しかし、それをむしろ怪異の証明と捉えた俺達は、再度、深夜の撮影に挑むことにした──。

「──ううん……ハッ!? しまった……」

 だが、勢い勇んで夜通しの検証を始めたはいいものの、俺はなぜか強烈な眠気に襲われ、またしても朝まで眠入ってしまっていた。

 それに、Bの姿もまた室内には見当たらない……嫌な予感がして電話をかけてみるが、Aと同じようにやっぱり出ることはなかった。

 しばらく待っても戻ってくる気配はなく、そこでまたフロントへ行って若女将に尋ねても……。

「もう一人のおつれの方ですか? やっぱり慌てた様子で早くに出て行かれましたよ? お聞きじゃないんですか?」 

 と、訝しげな顔をして言われてしまう。

 何からなにまでAの時と同じだ……いったい何が起きてるっていうんだ?

「そうだ、定点カメラは……」

 若女将に事情を説明することもできず、部屋へ戻った俺は一縷の望みを託して録画映像を確かめてみる。

 きっとまた真っ黒だろうな…と、あまり期待はせずに見てみたのだが、するとかなりノイズは入っているものの、辛うじて今度は映像らしきものが残っていた。

 早送りしながら見てゆくと、そこに映るBは何かに怯えているのか? 異様にキョロキョロと周囲を見回している。

 音声がないのでよくわからないが、Bはひどく恐れ慄いているように感じる……と、そんなBの背後で、奥の間へと続く襖がスー…と開いたように見えた。

 怯えきったBは、そちらをゆっくりと振り返る……と、そこでまたノイズがひどくなり、以後、画面は真っ黒になってしまった。

 なんだ? いったい何があった? あの後、Bはどうなったんだろう? まあ、自分で帰ったという話だから無事ではあると思うのだが……。

 もしかして、Aも同じ体験をしたから怖くなって逃げ出したのか?

 やはり、この旅館には何かある……同じこの部屋に泊まるのは恐怖しかないが、A、Bとの連絡もつかないし、まだ一日予約も残っている……二人の安否を確かめるためにも、俺は独り調査を続行するようにした──。

 朝食後、怪しまれぬよう細心の注意を払いつつ、やはり気になるあの蔵へとこっそり向かってみる……すると、ついに蔵は秘密のベールを俺の前でも脱ぎ去ってくれた。

「あ! 開いてる!」

 これまでとは違い、鍵はもちろん分厚い漆喰の扉も開いていたのだ。

 多少、恐怖心もなくはなかったが、この機を逃す手はない……俺は傍まで近づくとスマホのカメラを回し、その扉の内側へと恐る恐る足を踏み入れた。

 中は、まさにAやBが言っていた通り、平安貴族の邸宅のような調度品が並び、一段高くなった畳の上にはお膳と座布団が据えられている。

 まさにリアルお雛さまだ……それに、人が住んでいる形跡はまったくないのだが、なんだか誰かが暮らしているような、そんな空気が漂っているようにも感じる。

「……!」

 と、その時、外で誰か女性の話す声が聞こえた。おそらくは宿の女中さん達だろう。

 無断で蔵に入ってるのを見られては事だ。俺は周囲を確認しつつ、静かに蔵を出ると急いでその場を後にした。

「──やっぱりダメか……でも、定点カメラは多少映ってたしな……」

 部屋へ戻り、さっそく確認してみるが、案の定、スマホの映像は真っ黒だった。だが、それしきでは諦めず、夜を待つとまたも定点カメラを部屋に仕掛け、今度は独りで夜通しの番をすることにする。 

「…………ん?」

 それから永遠にも感じられる長い時間、恐怖心に苛まれつつもグローランプだけを付け、薄暗くした部屋の中でじっと身を潜めていると、不意に何か物音のようなものが聞こえる。

 耳を澄ませてみると、それは「…ハァ……ハァ……」と、リズミカルに息を吸っては吐き出している、自分ではない誰かの息遣いのようである。

 薄闇の中に不気味に響く「…ハァ……ハァ……」という人の息遣い……誰か部屋の中にいるんだろうか?

 恐怖に身体を硬直させつつ、否が応にもその呼吸音に意識を傾けてしまう俺だったが、しばらく聞いている内にさらに恐ろしいことに気づいてしまう。

 ……いや、違う……これは部屋にいる誰かの息遣いじゃない……この部屋自体が息をしているんだ!

 その事実に気づくのと同時に、今度は「…ドクン……ドクン…」と、心臓が脈を打つような音も聞こえ始める。

 それも誰か人間大のサイズのものではない……部屋全体が「…ドクン……ドクン…」と脈打っているのである。

 そう……この部屋全体がまるで生物であるかの如く、息をして脈を打っているのだ!

 その息遣いと脈打つ音の発生源を探し、俺は薄闇の中であちこち視線を泳がす……傍から見れば、それはあの動画の中のBと同じ動きだったのかもしれない。

「……っ!?」

 と、その時。背後で何か嫌な気配がする……恐る恐る振り返ってみると、奥の間へと通じる襖が静かにスー…と開いた。

 いや、そればかりではない……その襖と襖の間に開いた闇の中に、人の何十倍もあろうかという巨大な口が見える。

 紅をさしたように真っ赤な唇と、ぼんやり蒼白く浮かび上がった大きな人間の歯……さらにその上下の歯の隙間から、突如、バカでかい舌が俺の方へ向かって伸びてきた。

「…う、うわあああぁぁぁーっ!」

 瞬間、俺は絶叫すると四つん這いのまま慌てて逃げ出す。

 その時、無意識に脳裏を過ったのは、鞄に入れてある御守りの束だった。

 AやBに比べて多少なりと信仰心のあった俺は、霊験あらたかとされる寺社の御守りをいくつも持ち歩いていたのだ。

 蛇のように蠢きながら、巨大な赤い舌が背後へと迫り来る中、必死に這いずって鞄にしがみついた俺は、咄嗟に御守りの束を引っ掴んで強く握りしめる。

「ひっ……!」

 御守りを握るのと、舌が俺の脚に絡みつくのは同時だった。

「ウウウウウウ…」

 しかし、その瞬間、刺激物を舐めたかのように舌は弾き上がり、部屋も苦しげな呻き声を低く響かせる。

「くっ……!」

 その後も舌は幾度となく俺の脚を絡め取ろうとするが、その度に弾かれて巻きつくことができない……どうやら幸いなことにも御守りの効果があったようだ。

 すがるように御守りを抱きしめると必死に目を瞑って身体を丸め、迫り来る舌との攻防を繰り返してどれほどの時が経った頃だろうか? ふと目を開けてみると辺りが薄明るくなっている……いつしか朝になっていたらしい。

 それに、気づけば背後に迫る気配もいつの間にか消えている……振り返ると、襖はなおも開いているものの、あの舌も巨大な口もすっかりなくなっていた。

「……ハァ……助かったぁ……」

 どうやら俺は、辛くも命の危機を脱したみたいである。

 しかし、こんな所にはもう一秒たりとも長居はしたくない。予約はその日までだったし、俺は朝食も辞退すると、早々にチェックアウトして宿を出ることにした。

 チェックアウトの際、一応、若女将にカマをかけてみたが、相手もなんだか不機嫌な態度で知らぬ存ぜぬである。

 それでも勝手に蔵へ入ったり、無断で撮影しようとしていたのでこちらも強くは出れない。仕方なく、うやむやなまま俺は独り、三泊四日の温泉旅行を終えた。

 だが、その後も今に至るまで、AとBは行方不明のままであり、生きてるのかどうかもわからない。

 俺を襲った〝巨大な口〟のことも気になるし、あのおかしな〝蔵〟には呪術めいたものを感じる……そこで、俺はまたネット世界や図書館に入り浸り、何かそれらを結びつけるものはないかと調べまくった。

 すると、ごくごくわずかながら、自費出版のオカルト系書籍の中に関係ありそうな記事を見つけた。

 それは、家の敷地内に神を住まわせる建物を造り、その神に生贄を捧げることで家運を上げるという禁断の呪術についてのものである。

 もしかして、あの蔵がその神の住処だったとしたら……そう考えると、いろいろ妄想が広がってゆく。

 脈打ち、息遣いをしていたのはその神であり、あの巨大な口は生贄を求めるものだったのでは……あの旅館は、宿泊客をその生贄にしているんじゃないだろうか? これまでに失踪した者達もその生贄にされた客達だったんじゃないのか?

 では、生贄にするかどうかはどうやって選別している? 俺やA、Bに共通していたことから推理するに、もしかしてあの蔵へ入り、神に目をつけられることがトリガーになっているんじゃ……。

 俺は御守りのおかげでギリギリ助かったが、ほとんどの体験者が喰われてしまっているとすれば、この話が表に出てこないのも不思議ではない。

 また、神に生贄を捧げることで家運が上がるとすれば、あの宿の繁昌ぶりも妙に納得できる……もっとも、それが本当に〝神〟と呼べる存在であるかどうかははなはだ疑問だが。

 まあ、すべては憶測であり、AとBは自分で出て行ったと若女将は言っていたので、失踪の原因は他にあるのかもしれない。

 しかし、もしも若女将が嘘を吐いており、蔵の扉が開いていたのもわざと誘い込むためのものだったとしたら……。

 自身の妄想に背筋の冷たくなるのを感じ、俺はそれ以上調べるのをやめると、心霊系某チューバーも廃業した。

 一方、その旅館は今も普通に営業しているし、むしろますます繁昌しているというウワサである。

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計
毛利嵩志121212121260
大赤見ノヴ151516161577
吉田猛々171716161682
合計4444444443219