「落とし物」

投稿者:KUMAO

 

 小さい頃から落とし物をすることが多かった。財布や鍵、ケータイなど、ありとあらゆる物をすぐにどこかに落としてきてしまう。でも不思議なことに、落としたものはなんであれ必ず返ってくるのだった。
 財布を拾った人が免許証の住所を見て届けてくれたり。定期券が最寄駅で見つかったり。トイレの個室に置き忘れたリュックが、次に入ったときにそのままそこにあったり。まるで落とした物が、持ち主である僕の元に吸い寄せられてくるかのようだった。
 不注意な性格は何とかしたかったが、返ってくるならいいかと楽観していた。それどころか、特殊能力のようで自慢気にすら思っていたのだ。そう、あの女に出会うまでは。
 そのとき僕が落としたのは好きなバンドのライブキーホルダーだった。
 会社へ向かう途中、リュックに付けていたのが落ちたらしい。女性が拾って声を掛けてくれた。
「落ちましたよ」
「ああ、ありがとうございます」
 いつものことだったので、軽くお礼を言って立ち去ろうとしたのだが、
「このバンド素敵ですよね。私も大好きなんです。キーホルダーもほら」と、女性は自分のバッグに付いている色違いのものを見せてきた。どうやら女性もバンドのファンらしい。
「そうなんですね」
 時間もないし少し面倒なので受け流して行こうとしたとき、女性は言った。
「なんだか、運命みたいですね」
 ギョッとして女性の顔を見た。長い黒髪が目にかかっていて表情は窺い知れない。気味が悪いなと思いつつ、そそくさとその場を後にした。
 それからだ。ことあるごとに誰かに見られているような視線を感じるようになったのは。会社にいるとき。昼休憩で同僚とご飯を食べているとき。休日に友人らと飲んでいるとき。自宅にいるときですら、なんだか近くに人の気配を感じるようで居心地が悪かった。
 嫌な視線を感じるたびに女のことが頭に浮かんだ。「運命ですね」と言われたときの不穏な感覚が蘇ってくる。もしかしてあの女にストーカーされているのではないか?
 時間をずらし、いつもより早めに退社することにした。オフィスビルを出ようというとき、ロビーで女の姿を捉えた。
 件の女だということは異様に長い髪からすぐにわかったし、バッグのキーホルダーが何よりの証拠だった。
 怖いというよりも腹立たしい感情の方が強かった。たまたま僕が落としたキーホルダーを拾い、それがお揃いだったというだけでなぜこんなに付け回されなければならないのか。僕はまっすぐ女の元に向かった。
「あの」
 声をかけると女は悠然と立ち上がった。表情は相変わらず読み取れない。
「僕に付きまとわないでもらえますか。どういうつもりか知りませんが、これ以上僕に関わってくるようなら、警察に通報しますよ」
 なるべく丁寧な口調で、でもこちらの主張が伝わるよう、強く言い放った。女は酷くショックを受けた様子で、無言のまま固まった。
「そういうことなので。失礼します」
 女を残し、僕は逃げるように立ち去った。
 毅然とした態度が功を奏したのか、それ以来視線を感じることはなくなり、平穏な日々が訪れた。
 女のことなど忘れかけた頃、ポストに大きな茶封筒が届いていた。不自然なほど膨らみがある。宛名も差出人も書かれていない。不審に思ったが、中身が気になり部屋まで持ち帰った。
 封を開けると、タオルの上からガムテープが何重にも巻かれている何かが出てきた。気持ち悪かったが、好奇心の方が僅かに勝った。テープをほどくと現れたのは、刃渡りが三十センチを優に超えるサバイバルナイフだった。
「わ!」
 驚いて手を離すと、ナイフはくるくると落下し、乾いた音を立てて床に突き刺さった。さあっと血の気が引くのを感じた。
 突如あの女が頭に浮かんだ。宛名がないということは、直接ポストに入れたということだろう。すぐ近くにいる可能性がある。
 急いで戸締まりを確認する。念のため家を出る前と変わったところはないか、部屋中をくまなくチェックした。おかしなところはなさそうだったが、その夜はゆっくり眠ることなどできるはずもなかった。
 次の日から通勤以外、なるべく外に出歩かないようにした。出るときは常に前後左右に警戒した。ナイフは気味が悪いので捨ててしまった。
 数日が過ぎ、何も起きなかったことで少し緊張の糸が緩んでいたのかもしれない。背後に迫る人の気配に気づくことができなかった。
「落としましたよ」  
 振り返ったその刹那、腹部に鋭い痛みが走った。見ると服が血で赤く染まっていた。
「このナイフ、落としたでしょう? 私、落とし物を返しにきたの」
 あの女だ。落とし物を返しにきた? こいつ何を言っているんだ。女がナイフを抜くと、どっと血が溢れ出た。僕は力無く跪く。
「財布を落としたときも、スマホを落としたときも、手帳だって傘だってなんでも返してあげたじゃない! なのにあなたは私を拒絶し、私の気持ちを踏み躙った」
 返してあげた? どういうことだ。それじゃあ今まで僕が落としたものは全部この女が?
「スズキアキコ。中学で同じクラスだったの、覚えてない? 最初に拾ったのはあなたが大事にしていた、名前入りの四色ボールペン。あなたは落としたものが返ってきてすごく喜んでいた。私は暗くて誰も話す相手がいなかったけど、あなただけは私に優しくしてくれた。私にはこの人しかいないと舞い上がったわ。それからはどんなものでも全て、あなたが落とした物は私が拾って返してあげると決めたの」
 スズキ……アキコ……。たしかにそんな名前の、無口で地味な女子がクラスにいた気がする。
「ねぇ、それがどれだけ大変だったかわかる? 私にはあなたしかいなかったの。あなたに人生を捧げていたの。でも、あなたにとって私は邪魔者だったのね」
 女は僕の胸の辺りを突き刺した。刃が肉を貫く。多量の出血と強い痛みのせいで抵抗する力が出ない。女は刺しては抜き、刺しては抜きを繰り返した。
 何度目のことだっただろう。僕は気を失った。

 目を覚ますと、僕は病院のベッドで横になっていた。周りを家族や医者、看護師たちで囲まれているのがわかった。
 少し頭を動かすと、横から「ひぁあ」という悲鳴にも近い声が漏れた。
「正直、信じられません。あの状態から息を吹き返すなんて」
 医者は驚いた顔でまじまじと顔を覗き込んできた。家族たちは泣きながら僕の体をさすった。
「よかった! 本当によかった!」
 僕は段々と状況を理解し始めた。そうか僕はあの女に刺されて、瀕死の状態から一命を取り留めたんだ。
 話を聞くと、体の刺し傷は数十箇所にも及び、助かったのは奇跡としか言いようがないという。女は僕を刺した後、自らの首を切り死亡したらしい。
 僕は心の底からほっとした。元凶であったあの女はいなくなったのだ。落とし物はもう返ってこないかもしれないけれど、そんなことはどうでもよかった。
 歓喜の雰囲気の中、僕はふと思った。そういえば死ぬことを「命を落とす」ともいう。
 もしかしてあの女が最後に、落とした命さえも返してくれたのだろうか。いや、まさか。考えすぎだろう。
 重症ではあったが幸い後遺症などもなく、少しして退院することができた。
 無事に職場復帰を果たし、数ヶ月が経った。会社からの帰り道、後ろから声を掛けられた。
「落としましたよ」
 その声に体がビクッと反応した。まさか。僕は素早く後ろを振り返った。そこにいたのは、ベビーカーを引いたショートヘアの若い女性だった。僕は相当怖い顔をしていたのだろう、女性は拾ったハンカチを差し出すと、軽く会釈するなり目線も合わせず足早に行ってしまった。
 物を落として拾ってもらう、そんなよくあるやりとりに恐怖した自分に苦笑した。もうあの女はいないんだ。
 体の傷は治っていったが、心の傷は簡単に癒えるものではない。女はいないと頭では分かっているつもりでも、ありもしない亡霊に怯える日々は続いた。
 女が死んでからも、僕が落としたものは依然として必ず返ってきた。そのことが益々僕を不安にさせるのだった。女の言葉が蘇る。
「どんなものでも全て、あなたが落とした物は私が拾って返してあげると決めたの」
 どんなものでも全て拾うなんて可能だろうか。落としたものが返ってくるのは、やっぱり僕自身の特性なのではないか。何度もそう思い込もうとした。しかしそう考えれば考えるほど、塞がったはずの傷口が疼くのだった。
 はっきりしたことはわからないまま数年が経った。
 シルバーウィークの連休が長く取れたので、そのうちの二日を使って、僕は高校時代の友人AとBと、雪山に遊びにきていた。早々にスノボに飽きてしまい、スノーモービルをすることにした。
 皆はじめてだったが、乗るのに特別な免許はいらないということで、面白そうだしやってみることにした。
 はじめにインストラクターの人が三十分ほどレクチャーをしてくれて、その後は一人一台ずつ乗って自由にコースを走った。運転には三人ともすぐに慣れ、競争をしようということになった。
 結構な速度が出ていたと思う。ガンガンと鍔迫り合いをするように走っていた僕とAは、カーブに差し掛かったときに激しくぶつかった。
 Aがハンドルを取られ横に逸れて行ったかと思うと、雪の傾斜がジャンプ台になり、Aのスノーモービルは宙高く飛び上がった。そしてそのまま僕の顔目がけて迫ってきた。
 人は頭部を切断されても、少しの間意識があるという。衝撃を受けたその刹那、僕は視界に自分の首から下の部分が倒れていく様を捉えた。ああ、僕は死んだのか。
 雪に沈んでいくように、意識は白くぼやけていった。

 目を開けると、そこには泣き出しそうな表情の友人たちがいた。
「おい! 起きたぞ!」
「まじで死んだかと思った」
「顔のあたりにぶつからなかったか? よく生きてたな。大丈夫なのか?」
 首はちゃんと繋がっている。体中、所々小さな傷がズキズキと痛んだが、致命傷はなさそうだった。
「大丈夫そうだ」
 そう言うと、AとBは安心したように僕に抱きついた。彼らとは裏腹に、なんだか複雑な心境だった。
 命が助かったのは何よりも喜ばしいことだ。しかし、明らかに首が吹き飛んだ感覚があった。それを見た記憶もある。生きているはずがないのだ。
 数十箇所を滅多刺しにされ生還。あれも考えてみればおかしな話だ。あの長さのナイフで刺されたら内臓はぐちゃぐちゃになる。溢れ出る大量の血もはっきりと覚えている。あれほどの血が流れて人は無事でいられるものか?
 また、落とし物が返ってきた。
 僕は怖くなった。そんなことはないだろう。でも、もしかしたら。
「……おい、ちょっと殺してくれないか」
 友人は耳を疑ったようだ。
「は? 今なんて言った?」
「だから殺せって、平気だから!」
「何が平気なんだよ! 頭打っておかしくなったか?」
 こいつらじゃ話にならない。いや、話にならなくて当然だ。おかしいのは僕の方なのだから。
 コースの横にはロープが張ってあり、立入禁止の貼り紙が見えた。僕は一番近くにあったスノーモービルに飛び乗ると、ロープに向かってエンジンを全開にした。
「おい! なにしてんだ!」
 友人の声が遥か遠くに聞こえる。ロープの先は断崖絶壁。僕は真っ逆さまに落下した。
 次の瞬間には、僕は雪山の救護室のような場所にいた。救命隊員らしき男性二人と、A、Bの姿がある。友人らはもはや恐怖の眼差しでこちらを見ていた。
 やはり生きている。否、死ぬことができない。これは、あの女の呪いだ。落としたものが必ず返ってくるという、呪い。

 途方もない年月が経った。
 家族は皆、死んだ。友人も知人も全員死んだ。それだけではない。僕よりも後に生まれてきた人が死に、その子供も、その子供も死んだ頃だろう。
 老衰し、筋力などほとんどない。身動きひとつ取れず、横たわり辛うじて息をしているのみ。ここには誰もこない。誰もここに僕がいることを知らない。死んだも同然。それでも僕の心臓は動くことをやめない。
 腹が減った……喉が渇いた……体中が痛い……呼吸が苦しい……辛い……助けてくれ……
 早く死なせてくれぇぇぇぇ!!!!
 僕は死ぬ。そしてすぐに生き返る。
 死にたくて死にたくて仕方がなくても、死にきれない。必ずこの世に戻ってきてしまう。 
 だって僕が落とした物は必ず返ってくるのだから。

 死ぬのは怖いですか? 
 そうでしょう、怖いでしょう。
 しかし、永遠に死ねないというのもまた、怖いものです。
 ところで、あなたが落とした物は返ってきますか?
 あなたは本当に死ねますか?

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計
毛利嵩志121215121566
大赤見ノヴ171817171685
吉田猛々191918171891
合計4849504649242