本日十二月二十日も残り一時間。
あと一時間で、ついにお酒を飲める年齢になりまーす!
つーわけでえ、すでにけっこうできあがってまーす!
は? なんでもう飲んでるのかって? よく言うぜ、お前らだけ先に二十歳になりやがって、見せつけるみたいに飲んでたくせによー。一時間ぐらいいいだろうが。
あ、悪い、うち回線弱いから、ちょっとラグってるかも。映像はアレでも声は聞こえてるっしょ? 平気平気、お前らもちゃんと酒持ってきたんだろうな。うわ、土屋はワイン持ってるのか。ほんとにうまいのかそれ? あ、三田はウイスキーか。いいね、かっこいいし、俺も試してみたい。『黒後家蜘蛛の会』って知ってる? まあアシモフを知らずに文学部にいるようなけしからんやつは、ここにはいねえよな。その小説のなかでさ、トーマス・トランブルってやつがさ、いつも食事会に遅刻してきて、給仕のヘンリーに向けてこういうんだ。「ヘンリー! 死にかけの男にソーダ割のスコッチを!」ってさ。子どもだからさ、ソーダっていうだけで、なんかうまそうな気がしてたんだ。実際スコッチのソーダ割ってうまいのかな。
もう、試せる歳になるんだよな。何の気兼ねもなく、俺はそれを試していいんだ。
本当はさ、一緒にスコッチのソーダ割を飲んでみようって言ってた友だちがいたんだ。
小学生の頃はずっとそいつとつるんでて。親友なんて面と向かって呼んだことはもちろんないんだけど、でも、そう思ってた。酒井ってやつでさ。別に苗字に酒って入ってるからってわけじゃないけど、ちょうど、そいつと『黒後家蜘蛛の会』の話をしてたんだ。
酒井は本が好きだった。俺が大学の文学部に来て、将来小説家になりたいだなんて管を巻くようになったのも、結局その酒井ってやつが原因なんだ。あいつが俺に本の面白さを教えてくれた。五年生のときだ。あいつが転校してきてさ。俺の後ろの席に来たんだ。それで話すようになって、いつも読書してたから、何の気もなく、おすすめは、って訊いてみたんだ。
そしたら、何を勧めてくれたと思う?
そう、『黒後家蜘蛛の会』……だと思うじゃん? 違うんだな。初めて勧められたのは『十角館の殺人』だったよ。ヤバくない? 小学五年生、当時十歳、一発目であんな刺激的な体験させられたらもう駄目でしょ。
それから俺は酒井とよく話すようになった。いろんな本を貸し借りして。あいつがいたから俺の世界が広がったんだといまでも思ってる。でも、たぶん逆もそうだったんだと思うぜ。俺は小学生のときはバスケやってたから、酒井を誘ってグランドで一対一で遊んでたんだ。酒井は思いっきりインドア野郎だったから、俺に付き合わされて少しは丈夫になった、はず、いや、わからん、やっぱ怪しいかも、あいつ結局ガリガリなままだったし、気弱っていうか、引っ込み思案だったなあ。
なーんて取り留めない話ならいくらでも出て来るくらい、仲が良かったんだ。だけど、中学から別になっちゃってさ。あいつが引っ越しちゃって。親父の仕事の都合だって言ってた。それさえなければずっと親友だったのかもしれない。やっぱさ、距離が離れると、どうしても疎遠にはなっちゃうよな。
いまでもあいつから教えてもらった本は読み返すんだ。俺も酒井もミステリー系が好きでさ。推理物とか、ホラーとか。俺はそこから推理系に傾いていったけど、酒井はホラーに傾倒してた。でもどっちも根っこの部分は似てるから、普段の会話も差し支えなかった。二人で探偵団みたいな遊びもしたな。近所の竹藪で、ありもしない伝説の宝を探したり、教室でなくなった物を探してみたり、流行りの都市伝説にあれこれと推理をしてみたり。ネットで洒落にならないほど怖い話を検索して二人で一緒に読んだりもしたっけ。
楽しかった。なにをやっても、酒井となら楽しかったんだ。出不精なあいつを、あっちこっちに引っ張り回してさ、幼稚な冒険ごっこばっかりやって。しょっちゅうお泊り会もやって、夜は怖い話で大盛り上がり。あんな毎日、もう帰ってこないのかな。
え? ケンカ?
ケンカはしなかったか、って、妙なことを訊くなあ。
まあ、ケンカくらいはしたことはあったよ。どっちかっていうと俺が原因だったけどさ。ご存知のとおり、俺ってこんな感じじゃん? 我が強いっていう自覚はあるんだけど、特にガキの頃なんて、その自覚さえなかったからさ。俺が遊びたいからって、強引に遊ぼうとして、あいつの都合を考えてやらなかったこともあったよ。
それに……あんま思い出したくないけど、ちょっと怖い思いをしたこともあった。いや、怖いって言ってもそれこそホラーとかミステリーみたいな話じゃなくて。俺がやらかしちまったって意味でね。
さっきから言ってるとおり俺も酒井も本が好きだったから、貸し借りしてたんだけどさ、俺がうっかりあいつから借りてた本をなくしちゃったんだ。
それも、よりによってあいつが大好きだって言ってた本でさ。忘れもしない。スティーブン・キングの『ミスト』が収録されてた短編集なんだよ。ほんとにあいつはあの本が大好きで、自分が読んだ本のなかでも最高傑作だって言ってた。俺なんて青い鳥文庫読んでた頃だってのに、末恐ろしい話だよな。
で、その『ミスト』をなくしちまったんだ。どこでなくしたのか、マジで見当がつかない。気づいたらなかったんだ。まさに霧の中。不思議な力で消滅したんじゃないか……なんて無理やりホラーっぽいこと言うつもりはないけど、まー俺は本当に青ざめたよ。
酒井は『ミスト』が大好きだった。それはもちろん本の内容が素晴らしかったっていうのもあるけど、実はその本、誕生日プレゼントで人からもらったやつだったらしくてさ。
しかも、その贈り主っていうのが、酒井が好きだった女の子だったんだ。
その女子、俺たちの同級生だった。苗場って子。酒井とすごく仲が良くてさ、その子は別に読書が好きとかではなかったみたいなんだけど、酒井が本が好きだって知ってたから、誕生日にこっそりプレゼントしてたみたいで。表立ってつき合ってたわけじゃなかったけど、お互い特別な思いを持ってたのは、まあ少なくとも俺にはわかりやすかった。
な、気まずいだろ?
よりにもよって、好きな女子からもらった本で、しかも内容も最高傑作だと思ってる本をなくされたなんて、傷つかないわけがない。
俺はもう、まさに青息吐息。取り返しがつかないことをしたって自覚はもちろんあった。どうやって謝ろうってそればっかり考えてた。
でも、ふと、考えついた。同じ本を買って返せばいいよな、って。別に作者のサインがあったわけでもないんだ。新しく買えば同じことだろ? なんなら酒井は『ミスト』を大事に大事にしてたんだ。それこそ新品と変わらなかった。ということは、新品を渡せばバレないって寸法よ。
俺は迷った。正直に言うか、それとも黙って新しい本を返すか。
いずれにせよ『ミスト』は買った。有名な作品だったし、本屋に行ったら一発で見つかった。
あとはどうやってそれを返すかが問題だった。ぎりぎりまで迷った。いや、怒られるのが怖かったわけじゃない。それは俺が悪いんだから仕方のないことだと思ってた。それよりも怖かったのは、酒井が悲しむことだった。俺が黙ってれば、酒井が事実を知ることはない。だったら、その方がいいんじゃないかと思ったんだ。浅ましい保身のためじゃなかったっていうのは、まあ、信じられないかもしれないけど、本当にそうだったんだよ。俺はほんとに、ただ酒井が悲しむのがつらかっただけだったんだ。
要するに、俺は黙って本を返した。酒井も最初は気がついてなかった。
でも、なぜか気がついたんだ。何がきっかけになったのかはわからない。とにかくあいつは、俺が返した本が、新しく買ったものだって気がついた。もしかして版数が違ったのかなとも思ったけど、いくらなんでも自分が持ってる本が第何版のものかなんて、さすがに覚えてないだろ? そりゃ初版なら別だけど、スティーブン・キングの『ミスト』だぞ。何べん重版してるんだか。
そのとき初めてあいつは俺に対して本気で怒った。軽い喧嘩みたいなものはそれまでもあったけど、それは気楽なもんだった。このときのあいつの怒りだけは本物だったんだよ。それも当然だと思った。だから俺はこころの底から謝った。何かで償えるなら、その方法を教えてくれって何度も頭を下げながら頼んだ。
それでも酒井の怒りは収まらなかった。
それで……ほんとによくないけど、俺も逆ギレしちまったんだ。どう考えたって俺が悪い。隠そうとしたのも、結果から言えばよくなかった。
だけど、俺なりに考えたうえで、こっそりと新しいものを返そうとしたんだ。そのあとだってできる限りの謝罪をした。そこまでしてもなお、激しい言葉で責め立てられたら、俺だって言いたいことのひとつやふたつは出て来る。つまらないことでも、普段の不満みたいなものが口をついて出てきた。
大喧嘩になった。いま思えば絶交になってもおかしくなかった。
でもそうはならなかった。俺は、やっぱり親友と仲直りしたかった。どうしたら許してもらえるかって考えに考えて、ネットでも検索かけたりしてさ。
必死だった。そんな状況になって初めて、俺は本当に酒井と友だちでいることに固執してたんだって気がついたよ。なんとか元どおりにしたくて、暗い気持ちでネット検索してた。なにかうまい方法は転がってないかって。
さあ、そんな風に精神が摩耗したとき、不思議なことが起きるもんだ。
ネット検索しててさ、変なの見つけちゃったんだよな。たまたま目についたサイトを開いたら、都市伝説がまとまってるところでさ。そこにこんな記事があった。
「仲直りの贈り物」
有名な都市伝説に交じって知らないものがあったから、元々ミステリー好きの俺としては自然に興味を持った。そうでなくたってまさに知りたい内容だ。まさか本当に役に立つ内容があるだなんて思わなかったけど、ついつい記事を読んだ。
まあありふれた嘘の都市伝説だった。
「タイトルに『繋』という字が含まれている小説を十種類集め、その七十九ページ目を破り取り、びりびりに引き裂いてお守りのなかに入れて相手の誕生日に渡すと、その相手と仲良くなれる」
なんじゃそら、って感じだよな。もちろん俺もそう思ったし、いまでもそう思ってるよ。
だけど、ものは試しで、やってみた。
どうせこのままじゃ絶交。打つ手のないまま卒業……なんてこともある。
俺たちは六年生になって、酒井の誕生日も近かった。
だから俺は本屋という本屋を回って、『繋』っていう字が含まれている小説を本当に十種類集めた。その七十九ページ目を破り取って、神社で買ってきたお守りのなかに詰め込んだ。ぱんぱんになってたな。
そのお守りを、酒井の誕生日に、あいつの机のなかに入れておいたんだ。手紙も添えてさ。
誕生日おめでとう。
大事な本をなくして、本当にごめん。
そんなようなことを手紙に書いた。
心臓ばっくばくだった。大喧嘩をしてからけっこう時間も経ってたし、いまさら俺からそんなことされるなんて、酒井も思ってなかったと思う。
でも、結論を言えば、やってよかった。その日のうちに俺の机に返事が入ってた。
こっちこそごめん。
ってさ。
まあ、おまじないのおかげってわけじゃないだろうけど、奇しくも成功したわけだ。だから俺は嬉々として、その都市伝説が書いてあったサイトをもう一回観に行った。そしたらほかにもいろいろと知らないネタがいっぱいあった。『道路で死んでる動物に対して絶対に思っちゃいけない言葉』とか、『風呂桶に張った水に未来を映し出す方法』とか。もちろんデマばっかりだけど、デマはデマだってわかってれば面白いもんだ。ましてそのときの俺は、そのサイトで見かけた方法が結果的にうまくいった状況だった。楽しくサイトを閲覧してた。
もちろんデマなんだけど、気になるものも少しあったよ。
実は俺が見た「仲直りの贈り物」もそうだったんだけど、誕生日プレゼントに関する都市伝説がテーマ的にまとめてあったんだ。そのなかには、好きな相手を振り向かせる方法、なんていうベタなおまじないもあってさ。
「恋の霧」
っていうタイトルだった。めちゃくちゃシンプルな内容で、
「好きな相手に『霧』という字が含まれた小説を誕生日にプレゼントする。その小説の表紙カバーの裏に自分の経血をつけておく」
だって。
俺がやった「仲直りの贈り物」に比べると、ちょっと気持ち悪いよな。
ただ、まさか、とは思ったよ。だって『霧』だぜ? その漢字が含まれていないから、まあ偶然だったんだとは思うけどさ。苗場が酒井に誕生日プレゼントした小説、『ミスト』だったんだぞ。
そんで、酒井はなぜか、俺が買って返した『ミスト』が新しいものだと気がついた。
それって、実際のところ、どうしてだと思う?
何を根拠にそれに気がついたんだと思う?
酒井から指摘されたときにすぐに観念して白状しちゃったけどさ、もしも俺がしらばっくれたら、あいつは何を根拠に俺を問い詰めたと思う?
なまじ自分が似たようなことをしただけに、妙な現実味があって。もしかして苗場も、俺みたいに、駄目で元々みたいな気持ちでこの記事を読んでたりして……なーんてな。仮にそうだとしても、まあ、ちょっと気持ち悪いだけで、別に何が悪いってことでもないんだ。そんなおまじないに縋りたくなるくらい、真剣だったって話でもあるし。
ほかにも誕生日プレゼントのシリーズはまだまだあった。どれも共通してたのは、なんらかの字がタイトルに含まれた小説を使う、っていう点だった。『繋』だったり『霧』だったり。『空』だったり『目』だったり。『暗』だったり『病』だったり。そういう小説をプレゼントしたり、破り取ってみたり、あるいは繋げて小冊子にしたりすると、望みの結果が出せるんだ。
俺の知る限り、成功率は100パーセントだぜ。
なんつって。当たり前だけどさ。あの一回してやってないんだから。
最後にちょっともやもやするようなこと言っちゃったけど、とにかく酒井とは仲直りできてさ。残念なことに中学生になるタイミングであいつがまた引っ越しちゃって、そこから自然に疎遠になっていっちゃったけど、いまも年末年始にはメッセージ送り合ったりしてるんだ。だからあいつがいまも元気なことは知ってる。さすがに苗場とはもうつき合ってないみたいだけど。変なもんだよな。順調に恋愛してた関係はなくなって、喧嘩したりした友人関係はいまも続いてるんだから。もっとも俺が知らないところで苗場と酒井も喧嘩とかしてたのかもしれないけどな。
もし喧嘩してたら、苗場はまた俺と同じようにお守りをプレゼントしてたのかもしれないけど。そしたらさすがに酒井も何か変だって思うだろうな。
……いやー、実はさ。
酒井の話をしてるのは、思いつきのことじゃないんだよ。
ここまで全部、前フリなの。
なんと、酒井から誕生日プレゼントが届いてるんだ。
ほら、見えるか、このダンボール箱。
二十歳になる直前に開けてくれ、って手紙がついてた。
直前ってのがちょっと不思議だよな。なんで当日になってからじゃないんだろうな。
けっこうぺらぺら喋ってたつもりだけど……まだ誕生日三十分前か。
まあ、そろそろいいか。
なあお前ら。
これ、何が入ってると思う?
小説の切れ端とか入ってたらと思うと、ゾッとするよな。
え?
そんなわけない?
くっそー、勘がいいな。そりゃあ気がつくって? そりゃそうか。箱の大きさ的に、小説とかお守りってわけないもんな。せっかく散々、誕生日プレゼントの話したのに。誰かひとりくらい、嫌な予感でぞくぞくっとくるやつがいてくれてもよかったのにな。さすがに無理があったか。
はいはい、悪趣味なホラー展開を匂わせてすみませんでした。確かにもらいもんを使ってホラーやろうなんて趣味悪かったな。
素直に、親友からのプレゼントをよろこぶことにするよ。
さてさて、何が入ってるかな。ちょっと振ってみるか。お、こつこつ言ってる。なんか硬いものが入ってるな。
ん?
っていうか、なんかかさかさって音もするな。
紙も入ってる。
いや、さすがに小説の切れ端とか、そういうことじゃ、ないとは思うけど。
ないとは、思うけど。
はは、自分で冗談だって言っておいて、なんか自分で気味が悪くなってきた。バカみたいだな。誕生日になる直前なのにフライングで酒飲んだのがいけなかったか。
ま、いいよな。
あとほんのちょっとで、俺も待ちに待った二十歳だ。
ちょっと緊張するけど、プレゼント、開けてみるぞ。
そう言って、画面に映る今池君はダンボール箱を開封した。ひどく緊張しているようだったけど、なかを見てほっと溜息をついていた。私も目を細めて、彼が取り出したものを見た。
薄い紙の包みに入った固形物だった。不思議なかたちをしている。平べったく、円形のような本体に、取っ手のような部分がついていて、薄い紙の包み越しに、うっすらと紫色が見えている。彼は包みに入ったままのそれを、こつこつと叩いていた。一緒に手紙もついている。どうやら彼が語ったようなオカルト染みた小説の切れ端などではないとわかり、彼だけではなく私まで肩の力を浮いた。彼自身も言っていたけど、わざわざこんなタイミングであんな話をするなんて、趣味が悪い。親友からの贈り物をダシにして、気味の悪い話をするなんて。いくらミステリー好きとはいえども呆れてしまう。一応、お酒のせいということにして、許してあげるけど。
彼は自分で語った話を忘れたように、うれしそうに手紙を持ち、うきうきしながらこちらにも見せてくれた。
「なあ、なんて書いてあるか、中里、読んでくれよ」
急に指名されて驚いたけど、私は承諾した。今池君は自分では見ないようにして、手紙をこちらに向けて広げた。そこにはただ一言「死ね」と書いてあった。私が絶句している間に今池君はプレゼントの包みを解き、なかから紫色の鏡を出していた。