今からもう20数年前のことです。当時、私はお年寄りの福祉施設で働いていました。
まだ開所して間もない施設でしたので、ご利用者さんも多くありません。アットホームな雰囲気で、まだ始まらない通所サービス用の送迎車を使って、近くの公園やお寺に季節の花を見に行ったりすることもありました。入所中のお年寄りの生活は、正直なところ刺激がありません。お元気な方ほど退屈だとおっしゃいます。それなら今まで行っていない所に、散歩に連れ出すかということになりました。
施設がある場所から一駅ほど離れたところに、大きな公園があると地元に住んでいる職員が教えてくれました。そこは大きな高速道路が通っている、すぐ脇の高台にあります。この高速道路はひとつの山を、切通しの形で通してあるのです。たぶん知らない人はいない、有名な長距離の高速道路です。
高速道路を渡る橋を隔てた立地のせいなのか人通りも少なく、通学路でもあるのに平成になってもエロ本の自販機が置いてありました。アパートが数棟ほど建っていますが、お世辞にも住みたいとは思えない雰囲気です。エロ本販売機が設置されている道路沿いが、公園の入り口になっていました。高速道路で分断された山の半分を、まるまる公園にしているのに駐車場が見当たりません。お年寄りのお散歩なので、杖の方も歩行器の方も、車いすの方もいらっしゃいます。路肩に車を止めてというわけにもいかず、運転手の職員とお年寄りのみなさんに待ってていただき、私が公園の事務所に確認に行くことにしました。歩いて入ってみると、広場と傾斜地が交互に出てくる森でした。公園の案内図を見ると事務所は山を下った一番下とのことなので、どんどん下って行きます。遠目に細い橋があるのが目に入ってきます。案内図にあった湿地ゾーンでした。実際に近づいてくると、おとながふたり並んで歩くのがやっとくらいの細さの木製の手すりがない橋でした。そこで花なのか鳥なのか、橋のちょうど真ん中あたりに三脚を立てて、写真を撮っている年配の男性がふたり談笑していました。なにが撮れるんだろう?と思いながら見ていると、視線の先の方に人影が見えてきました。傾斜地なので逆から登ってくると、急に現れたように見えるのです。橋まで数メートルは緩い坂道でカーブになっているのもあり、本当に急に現れた錯覚に、ひとりで肝を冷やした自分が可笑しく思えます。でも、もしかしたら錯覚ではなかったのかもしれないと、距離が近づくにつれて冷汗が出てきました。着ている物?!
?破れたり汚れたりでボロボロ。身体は顔もボロ着から出ている手足も、皮膚病なのか、かさぶたなのか、爛れているのか、壊死しているのか分からないほど酷い色をしています。赤黒いというのが近いかもしれません。とても痩せていて異様に背が高く見えました。そして素足で歩いています。身体は左側に傾いていて、すれ違ったらぶつかるかもしれないと感じさせるほどです。気づいた瞬間、身体の毛穴がすべて開いたような、生まれてから一度も味わったことがない感覚に襲われました。悪寒とも違うし、鳥肌とも違う初めて感覚でした。衝撃というのが近いかもしれません。橋の上で写真を撮っている人たちは、まったく気づいていない様子で変わらず談笑しています。どうしよう。このまま立ち止まれば真横にくるだろうし、引き返してもし追いつかれたら…。それなら人がいる橋の上ですれ違うか、人と一緒に居ながら、やり過ごす方がマシだろうと腹を括りました。なにせ恐怖が近づいてくるので、時間がないのです。相手が橋に差し掛かるタイミングで、写真を撮っているふたりの真横に走りこみました。写真を撮っている方のひとりが「お姉さん、どうした?」と、慌てている私に声をかけてくれました。私は「あ、あの…。」と答えるのが精いっぱいです。その間にも赤黒いボロボロの人は近づいてきます。不思議なことに写真撮影のおふたりは、まったく気にする様子がありません。いよいよ真横を「ぼろぼろ」が通り過ぎようとしているのに、私の様子がおかしいことを気遣い、「顔色が悪いけどだいじょうぶ?」と声をかけてくれます。その横を私たちには目もくれず、「ぼろぼろ!
」は通!
り過ぎて行きました。
しばらく写真撮影のおふたりのところで息を整えてから、一目散に山の下の公園事務所に駆け込みました。当時、携帯電話やPHSが出始めたころで、運転手の職員のPHSに事務所の公衆電話から連絡し、下の駐車場まで誘導して散歩は傾斜のない事務所近くで無事に終わりました。
あまりにもおかしな出来事だったので、誰に話すこともなく、あまり思い出したくもなく今に至ります。それでも、こうして思い出してみても、ボロボロからは臭いが一切しませんでした。そして、あの異形を目の当たりにして、驚かない人間はいないだろうに、なぜ写真撮影のおふたりは、気づきもしなかったのかと不思議な思いしかありません。真昼の緑豊かな公園での出来事でした。
あの公園で「ぼろぼろ」に出会ったあと、私は体調を崩すことが増えていきました。蛍光灯であれ日光であれ、眩しい物を見ると激しい頭痛に襲われ、酷いときには嘔吐してしまうこともありました。勤務中でも通勤途中でも、容赦なくやってくる体調不良に悩まされるようになります。「ぼろぼろ」に出会ったせいなのか?という考えが、頭を過ることもありましたが、なぜか関連付けてはいけないという気持ちが働きます。お散歩に行った公園が心霊スポットという噂も聞きませんでした。病院にかかっても、片頭痛ですという診断しかおりません。鎮痛剤や吐き気止めを飲みながら、施設での勤務を続けていました。
そんなある日、認知症の専門棟に入所されている女性から、廊下で呼び止められました。「あのね、ほかの人には言わないで。絶対だよ?」と切実な顔で話し始めます。
居室の中に招き入れ、窓の外にある外灯を指さします。「あのさ、夜になると、あそこで毎晩、変な柄の浴衣を着た男と女が踊ってるんだよ。こんなこというと、またおかしいって言われるから内緒にしてね。窓が見えないベッドに替えてくれないかい?」と一気に話しは終わりました。認知症の方幻視や幻聴など様々な症状が出るので、そういったひとつかと思い「今、反対側に空いてるお部屋があるから、そっちにお引越ししようか?」と答え、安心するのを確認してから、すぐに居室を移っていただきました。その後も「エレベーターのところにいる、朝顔柄の浴衣の女は誰だ?」と訊ねてくるお爺ちゃんや、「ナースステーションの椅子に、お面をかぶった子どもがいるけどお祭りでもあるのかい?」というお婆ちゃん。みんな違う世界が視えているのか?と疑うほど、鮮明にあれこれ語ってくれます。
そして、あながち幻視や妄想ではないのでは?と思うのは、それが私にも見えていることがあるからでした。
そんなある日、新しい入所者さんの、事前面接をすることになりました。認知症を持っているという情報は、事前の書類にはなく、そういった診断書もありません。待って頂いている面接室に、ノックをして入って行きました待っていたのは車いすに座った、品の良い笑顔が可愛らしいご婦人でした。ご挨拶のあと、ご家族への説明、ご本人のご希望などを一通り伺ったあと、居室にご案内しますと席を立った私に、ご婦人は「座って。」と言います。そして同行されているご家族には、部屋の外で待っててと伝えています。どうしたのか?なにか失礼があったのか?私は慌てて椅子に座り直しました。ご婦人のご家族は。当たり前のように部屋の外に出て行かれます。
二人きりになった面接室で、今度は私が面接をされるとは思いもしませんでした。
ご婦人は「あなた、酷い頭痛持ちじゃない?」と、穏やかな笑顔で訊ねてきます。私は驚くばかりで「はい…。」としか答えられません。「あなたは、ここで働くのは無理だと思うわよ?つらいでしょ?」と、質問は続きます。私はしどろもどろになるばかりで、答えらしい答えを返せません。焦る私の様子に気づいたご婦人が続けます。「嫌な気持ちにさせたのなら、ごめんなさいね。あなた、最近、変な感覚を感じたことはなかった?今まで経験したことがないようなものよ。」。そういわれて思い出したのは、公園でぼろぼろを見た瞬間の、あの衝撃のような、なんとも言い難い感覚でした。私はあの日の公園での出来事を、そのままご婦人に話してみました。ご婦人は顔を曇らせて、「気の毒な経験だわ…。」と私をみつめてきます。「他には?」そう訊ねられて、認知症の専門棟でのあれこれを話してみます。黙って耳を傾けて下さったあと、ご婦人がひと言ぽつりと「蓋が開いちゃったのね…。」と、ため息交じりに呟きました。蓋が開く…。なんの蓋?どこの蓋?と私は混乱するばかりだし、自分が話したことと、蓋の関係性も理解できません。ご婦人は「変なことばかり訊いて、ごめんなさいね。不安にさせてばかりね、私。」そういって穏やかに、ほほ笑んでいます。「落ち着いて聴いてね。」そう前置きしたあと、こんな話をしてくださいました。
たまたま出会ったと思っていた公園の「ぼろぼろ」は、たまたまではなかったこと。ここで働いている間に、閉じていた「勘」の蓋がゆるんでいたところで、「ぼろぼろ」に出会って蓋が完全に開いてしまったこと。この施設が建っている地域は、ある種の人には副作用のように様々なことが起きてしまうこと…。私の場合は蓋が緩むだったこと。
「頭痛も蓋のせいですか?」と、私は思い切って訪ねてみた。ご婦人は「気の毒だけど、開いた蓋は戻せないのよ。私もそうだったから。」と静かにおっしゃいました。ご婦人は若い頃は健脚で、大学では登山部に所属していて、日本で有数の高い山も制覇してきた方でした。その山で私が出会った「ぼろぼろ」のような、蓋をこじ開けるような物に出会ってしまったと話してくださいました。ご婦人のお祖母さまは、東北で口寄せをされる方だったそうで、可愛い初孫の女の子には、自分のようなことはさせまいと産土神さまにお百度参りをして、赤ちゃんのころに蓋を固く閉じてもらったと聞かされて育ったそうです。登山部に入るとお祖母ちゃんに報告したとき、絶対やめてくれと懇願されたのに、お祖母ちゃんが止める意味が分からず山登りに明け暮れ、その中で「おかしなもの」に出くわしてしまったのだそうです。それは、ご婦人いわく伸ばしたお餅にっ絣の着物を着せて、人間の脚を一本つけた生き物で顔はなかったそうだ。その山は今でも登山者には人気があり、誰でも知っている東北地方の山だ。「あなたも自分の家系に、私の祖母のような人がいるのかもしれないわね…。」そういって寂しそうに微笑まれました。この方を、そんな地域にあるこの施設に入所させて良いのか?いや、ダメだろという自分のアタマの中の声で我に返った気がします。「あなたは、この施設に入ってはダメじゃないんですか?今なら取り消せますし、他の施設をご紹介することもできます。止めましょう。」そう告げると、「心配してくれて、ありがとうね。でもね、今となっては、どこに行っても逃れられ?!
?いの。開いた蓋は死ぬまで閉じないから。その代わり、こんな自分とのつきあい方が身についたわ。だから大丈夫。あなたにも、きっと自分とのつきあい方がみつかるわ。とにかく、ここからは離れるのよ。じゃあ、お部屋に案内してくださる?」そういってテーブル越しに私の手を握ってくださった。その手は、とてもやさしかった。
ご婦人が入所された一か月後、私はこの施設を退職しました。もちろん、ご婦人には退職のご挨拶と報告は済ませて。その時も、そっと手を握って下さいました。それから蓋が開き切っている自分とのつきあい方を、本気で模索し始めた私。色々な霊能者と呼ばれる人にも会ってみたりしました。その度に出家しろだの、弟子入りしろだの、ろくな話にはならなかったのです。あのご婦人は僧侶でもないし、霊能者でもない。自分とのつきあい方は、そういうものではないのだろうと漠然と感じるけれど答えが見えてはきません。職場を離れてから頭痛は少しマシにはなったものの、行く先によっては動けなくなることもありました。「ぼろぼろ」を目の当たりにしてから、私はなるべくなら姿を見ないように努めてきました。もしかしたら、目を反らすというのが、良くないのかもしれないと気づくのは、退職してから数年先のことになるのです。出家もせず修行もせず、頭痛から解放されたのは、そこに在るものを否定せずに受け入れるようになってからのことでした。そこに何が存在していても、別にいいんじゃないのか。怖がる必要もない。関わりたいものならアクションを起こしてくるし、「ぼろぼろ」のように通り過ぎるだけのものもいるのですから。それに気づく自分がいる。それが蓋が開いてしまった、私自身とのベストなつきあい方なのでした。