皆さんには、「子供の頃の記憶」はどのくらい残っているだろうか。
人それぞれだと思うが、たくさんの思い出に溢れている人もいれば、あまり小さい頃の記憶がないと言うか人もいるだろう。
家族で初めて行った遊園地。
名前も覚えていない、しかし今でも覚えている初めての友達。
幼いながらに感じていた、近所のお姉さんへの淡い恋心。
夏休みの、突然の夕立ちのむせかえるような夏の匂い。
昨日の事のように思い出せる出来事もあれば、忘れてしまっている思い出もたくさんあるだろう。
それでも人は、記憶と共に生きていく。
しかし、小さい頃の記憶が全く無いと言う人物が目の前に現れたら、あなた方はどう思うだろうか。
忘れっぽい人間でも、何も覚えていないと言う事はほぼありえないだろう。
しかし、彼は真剣だった。
ふざけている感じなど全く無く、私の目を真っ直ぐ見て、こう聞いてきたのだ。
「俺が、どんな子供だったか教えて欲しい」
これは、今から20年ほど前の話。
私がまだ中学1年生だった頃、新しい環境にも少しずつ慣れて来た頃。
小学生の時にはなかった部活を始めた事で、ただでさえ勉強が難しくなる中、私は日々やらなければいけない事の多さにヘトヘトになっていた。
私の家は父子家庭だったのだが、そのせいで帰ってからも家事などをしなければならなく、いつも疲れ切っていたように思う。
それでも日々の生活を頑張れたのは、心を開ける友人の存在があった。
私が疲れや悩みを表に出さない性格なのもあって、周りの人々は私がごく普通の生活を送っていると思っていたことだろう。
その2つの要因があり、私の学校生活は無難に過ぎていった。
夏休みも目前に迫ったある日。
その日も私は遅くまでバスケ部の練習に勤しんでした。
20年以上前なので、日が伸びれば部活の時間も比例して長くなり、その時期は帰るのが夜の7時を過ぎる事もあった。
1年生は片付けやモップがけがあるので、その日も学校を出たのはもうすぐ19時になるところだった。
中学校は徒歩圏内だったので、一緒に歩く友人もいなかった私は、暗くなった田舎道を1人歩いていた。
距離にして2kmもなかったので、ゆっくり歩いても15分くらいだ。
しかし近辺には中学校を出てすぐにコンビニがポツンと1つあるのみで、そこを越えると街灯もなく帰路は真っ暗だった。
慣れた道とは言え、夜は怖い。
特に、途中にある寂れた公民館が苦手だった。
本当に小さな公民館で、敷地内に小さなブランコだけがあり、帰路に唯一ある薄暗い街灯がそれを照らしている。
子供が遊んでいる所は見た事がなく、まるで現実から取り残されたように照らされたそのブランコが本当に怖かったのを覚えている。
その日もそちらの方を見ないように足早に通り過ぎようとしたが、いつもと違う雰囲気に立ち止まってしまった。
誰かいる。
まだ私は下を向いたままだが、明らかに右手側の公民館から人の気配がする。
先程も言ったが、この公民館は本当に寂れている。
近くに新しい公民館ができてから、ここでは何年も、年寄りですら見たことがなかった。
だから人がいるなんて考えた事がなかった私は、全身の毛穴から嫌な汗が吹き出すのを感じた。
初夏の生ぬるい風のせいではない事は確実だ。
私がそちらの方を見れないでいると、その人影は私の名を呼んだ。
「川崎くん、だよね」
名前を呼ばれた事で時間が動き出したように、私はその声のした方へ顔を向ける。
そこには、私より少し小さいくらいの、小学生5、6年生くらいの少年が立っていた。
なぜ私の名前を、と思って近づくと、その少年の顔が少しずつ見えて来た。
その少年は、同級生の少年だった。
正確には、同級生「だった」だが。
「川崎くんだよね」
少年は再びそう言った。
私は記憶の糸を手繰り寄せ、彼の名前を思い出そうとする。
川崎「ひ、久しぶり!
君は、確か、えーと…」
私がしどろもどろしていると、彼は小さな声で
「…カズオ」
と言った。
川崎「そうそう、カズオ!
山田カズオくんだよね!
苗字は覚えてたんだけどなー、あはは」
正直その名前はしっくり来なかったが、私は場を取り繕うように笑って言った。
カズオはため息をついている。
気まずい…と思って白々しく笑っていると、カズオはふいに振り返ってブランコを指差した。
カズオ「少し、懐かしい人に話を聞きたいんだ。
よかったら座らない?」
正直な話、私は気が乗らなかった。
カズオと最後に会ってから、3年以上経っていたからだ。
私がすぐに名前を思い出せなかったのも、それが理由だった。
正直気まずい。
私がどうしようか考えていると、カズオはさっさと歩いて行ってブランコに座ってしまった。
無言でこちらを見てくる。
断ると言う選択肢を奪われた気がして、私は仕方なく隣のブランコに腰掛けた。
川崎「で、俺と何を話したいの?」
この時間なら父は呑みに行っていると思うが、家に帰ってからもやる事が山積みの私は早くこの時間を終わらせたかった。
少し距離のある言い方になってしまったが、カズオは私の目をまっすぐ見つめて言った。
カズオ「俺がどんな子供だったか教えて欲しい」
川崎「えっ」
どんな話をされるか予想はしてなかったが、それでも予想外の質問に私は素っ頓狂な声を上げた。
カズオ「だから、俺の小学4年生より前の事を教えてくれないか」
カズオはもう一度、少し噛み砕いて言ってくれた。
物覚えが悪いとか、そう言う話ではなさそうなのはカズオの顔を見ればわかった。
川崎「それって、君が…」
カズオ「そう、まだ学校に通ってた頃の事だよ。
川崎くん、君ならきっと話してくれると思って待っていたんだ」
普通なら意味のわからない話だったが、カズオの家庭環境の事を考えるともしかしたら…と感じるものがあった。
カズオの家は母親と2人暮らしで、ものすごいポロアパートに住んでいた。
朧げな記憶だが低学年の頃のカズオは痩せていて、着ている洋服もいつも同じで薄汚れていた。
腕やふくらはぎによく傷を作っていて、学校の先生や周りの大人達が虐待されているんじゃないか、と話しているのをよく聞いた。
それでも何もわからない子供だった私やクラスメイトは、カズオと普通に遊んでいた。
小学4年に上がると、カズオは学校に来なくなった。
さすがに私達も世の中の事がわかって来ていたので、きっと母親が虐待を隠すために学校に行かせないんだ、と考えるようになった。
あの時代、まだ児童相談所や役所はこう言う問題に積極的ではなかったので(私の地域ではそうだった)、何度かの訪問のみで法的な行動は何も起こさなかったらしい。
何より、カズオ本人が
「お母さんが好き」
「お母さんに何もされてない」
と言うので、動けなかったようだ。
それから今までずっと、カズオは学校に来なかった。
真実はわからないが、きっとつらい思いをしていたんだろう。
だから、自分を守る為に、小さい頃の記憶を閉ざしてしまっているんじゃないか?
私はそう思った。
川崎「どんな事を話せばいいの?」
私が聞くと、
カズオ「なんでも。
君が知っている俺の事を、なんでもいいから教えて欲しい。
どんな性格で、どんな食べ物が好きで、
…母親の事をどう思っていたか、とか」
最後の一言を言った時の、鋭い視線に気づかないよう、私は話した。
カズオは、とにかく優しかった。
虫も殺せないような少年。
体が小さいが、走ったりボール遊びが大好きだった。
好き嫌いはなく、給食を本当に美味しそうに食べていた。
私が話すのを、カズオは黙って聞いている。
ここまでは、表面上の無難な話。
ここからの話は、話すべきか迷った。
忘れたい程の記憶だったとしたら、私が掘り起こしていいのだろうか?
次の言葉が出ない私を、カズオが促した。
カズオ「家の事や、お母さんの事はどう?
何か知っている事はない?
大丈夫、俺の事は心配しないで。
俺は、ちゃんと向き合わなきゃいかないから」
その言葉で、やはりカズオはつらい過去を忘れていて、前に進む為に向き合う為、私の元へ来たのだと思った。
家はすごく貧乏で、いつも見窄らしい格好をしていた事。
あちこちに傷があったので、きっと虐待されていたんじゃないかと言う事。
それをしていたのは、お母さんじゃないか、と言う事。
言葉を選びながらだが、私は自分の知っている限りの事を話した。
カズオ「でも、母親にも優しい所があったんじゃないか?
授業参観に来てくれたり、運動会にはお弁当を作ってくれたり」
きっと、真実はカズオにとってつらい話だ。
それでも私は真実を言った。
川崎「いや、俺の記憶では君のお母さんを学校行事で見た事はないよ」
噂では、入学式にもカズオの母親は来ていなかったらしいが、これは伏せた。
私が話した事でどうなるか心配だったが、カズオは何度もぶつぶつ何かを呟きながら頷いていた。
カズオ「やっぱりな…
そうか…
やっぱりな…」
心配して声をかけようとすると、カズオは淡々と話し出した。
カズオ「俺の記憶は、いつもこのブランコから始まるんだよ。
小学4年生からの記憶だ。
夕方から夜中にかけて、このブランコに座っているんだ。
そして、隣のブランコにはいつも先客がいた。
そいつは俺と同じ歳くらいで、すぐに打ち解けたよ。
自分の事を覚えていない俺に、そいつは色々話してくれた。
学校にはたくさんの友達がいる事。
今は行けてないけど、また学校に行ってみんなとまた遊びたいって言ってた。
給食がとても好きだった事。
お母さんは厳しいけど、優しい所もあるって事。
そいつは、俺がブランコに乗っているといつも隣にいて、色んな話をしてくれたよ。
いつも俺たちは夜通し話した。
朝になるとさ、いつの間にかいなくなっちゃって。
で、また夜にブランコにいるんだよ」
…イマジナリーフレンド。
その頃はまだ有名な言葉ではなかったが、私は知っていた。
空想、妄想、仮想の友達。
つらい現実から逃れる為に、自分で作り出した仮想の存在。
ブランコにいるその少年は、きっとカズオが生み出した、理想の友達だったんだろう。
記憶に蓋をする程につらい子供時代を送った、自分の心を守る存在。
カズオ「俺たちはいつも一緒だった。
毎日、このブランコで話したんだ。
他の事はなんにも覚えてないけど、そいつとの時間のおかげで、今の俺があると言っても大袈裟じゃないかな」
イマジナリーフレンドは、成長と共に消えるとされている。
作り出した本人が精神的に安定してくると、必要なくなるからだ。
カズオの場合も、きっと最近まで見えていたのだろう。
しかし成長と共に現実と向き合い、何かしら前に進むきっかけを見つけたんじゃないか。
それで、自分を守る為に封印して来た子供時代の記憶を聞きたがっているんじゃないか。
私はそう思って、少しだけ気を抜いてしまった。
川崎「その友達のおかげで、前向きになれたんだね。
軽はずみな事は言えないけど、きっとこれから色々いい方に…」
私が言いかけると、カズオは遮って続けた。
カズオ「ある時、そいつが家に呼んでくれたんだよ。
昼間、誰もいない時間帯に僕の家に来ない?って。
俺は、もちろん、と言った」
ん?家?
仮想の存在には、家なんてない。
気を抜いていた私の額に、再び嫌な汗が滲んだ。
カズオ「初めて行ったそいつの家は、ひどいポロアパートだったよ。
廃墟同然だったね。
本当に人なんか住めんのかって。
4室しかないそこの1階の101がそいつの家だった。
入ったら、また驚いたよ。
ゴミ屋敷。
生ゴミの腐った匂いが部屋中に充満してた。
四畳半くらいの居間には、なんとか寝転がれるくらいのスペースがあったから、そこに2人で座ったんだ。
ごめんね、汚くてなんて言ってたな。
なんでこんな有様なんだ?って聞くと、そいつは少しずつ語り出した」
母親に虐待されている事。
学校に行かせてもらえない事。
食事もろくに与えられず、ひもじい思いをしている事。
そこまで聞いて、私の頭はますますこんがらがっていった。
だって、これではまるで…
カズオ「それでも、母親には愛されている、愛されたいって思ってたんだ。
子供にとって親は神、家は世界だ。
だから…
カズキ
は、ありもしない母親の優しい思い出にすがってたんだ」
それを聞いてハッキリと思い出した。
目の前にいる、私の記憶の奥に忘れ去られていたこの少年の名前。
山田、カズキ。
カズオじゃない。
最初からしっくり来なかった。
彼がカズオと名乗った時に感じた違和感。
川崎「カズキって、君の名前じゃないか。
思い出したよ。
カズオじゃない」
私がそう言うと、カズオと名乗った少年はふっと息を吐いた。
カズオ「そうだよ。
この体はもともとカズキのもんさ。
俺は、借りているだけだよ。
それに…
俺はカズオなんて言ってないよ」
嫌な間を空けて、カズオは言った。
カズオ「俺は、
仮想
って言ったんだ。
君が勝手に勘違いしただけだよ」
そうか。
あまりにも現実離れしているが、私には理解できた。
カズオの方が、カズキが生み出した仮想の友達だったのだ、
カズオ「カズキに生み出された俺は、仮想の存在に他ならない。
名前なんかないんだよ」
寂しそうにカズオは言って、少しだけ言葉を詰まらせた。
カズオ「とりあえず、最後まで聞いてくれ。
俺とカズキはそれからも一緒だったけど、それも去年までだった。
小学6年生の夏。
暑かったよ。
エアコンもない、扇風機もない。
食べ物もろくにない。
あの頃は、水さえ止められてたっけ。
それで…」
聞きたくなかった。
ここから先は、私でも予想できる残酷な答えしかないのはわかりきっていた。
カズオ「カズキは死んだよ。
栄養失調、脱水症状、その他諸々。
信じられるか、この時代に餓死だぜ?
カズキが死ぬ前も死んだ後も、母親はしばらく帰ってこなかったよ」
カズキが、死んでいた。
でも、今目の前にいるこの少年はカズキに他ならない。
動いて、話している。
カズオ「カズキは死ぬ直前に、俺に言ったんだ。
僕は、もうすぐ消えてなくなってしまう。
だから、君にお願いがあるんだ、と。
俺はなんでも聞いてやる、と言った。
そしたらアイツ、なんて言ったと思う?
僕の体を君に使って欲しい、って。
そして、僕がいなくなった後も母親の側にいてあげて欲しい、って。
そう言うんだよ」
母親に虐待され、自身が死ぬまでほっとかれても、母親から愛されていると信じたかったのだろう。
私にはその気持ちが痛い程わかった。
そうしないと、自分がこの世界に存在した理由が無くなってしまうからだ。
カズオ「俺は即答したよ。
任せとけって。
カズキには俺だけ、俺にもカズキだけが全てだったから。
俺の答えを聞いて、安心したように笑って、カズキは逝ったよ。
次の瞬間、俺の意識はカズキの体の中にあった。
体中の痛みと共に、カズキの記憶の断片が雪崩れ込んできたよ。
友達との楽しかった思い出が少しだけあったけど、ほとんどが信じたくない程の凄惨な虐待の記憶だった。
でも1番驚いたのは、それでも母親に愛されてると信じてる事だった。
だから、俺は待った。
母親が帰ってくるのを。
カズキの願いを叶える為には、絶対に母親に会わなければいけないから。
カズキが死んで、4日くらい経った頃かな。
帰って来た母親の第一声はこうだ」
「まだ、生きてたの」
カズオ「長い髪に痩せ細った体。
濃いめの化粧は、臭いくらいだったよ。
深夜の道端に立ってたら、幽霊と間違えられるんじゃないかな。
そんな印象だった。
それでさ、俺には親はいないけど、この女がカズキを愛してなんかいないってのは俺でもわかったよ。
けど、俺にはカズキとの約束が全てだ。
それだけが俺の存在意義だ。
だから、この女を理解しようと努力したよ。
まあ、そもそもあまり家に帰って来ないから交流する事自体大変だったけどね」
カズオの話が本当だとしたらこの1年、一体どれだけの絶望を味わって来たのか想像に容易かった。
明らかに息子を愛していない母親。
それでも、カズキとの約束が呪いのようにこのカズオをこの世界に縛り付けているのだ。
本来なら、カズキの死と共に消えるはずだった存在。
私はカズオが不憫でならなかった。
カズオ「それでも少ない触れ合いの中で母親の、カズキへの愛の頑張って探したよ。
気持ち悪いとか、消えろとか、散々言われたよ。
殴られても、蹴られても、食事を与えて貰えなくても。
カズキの唯一の拠り所だった、母の愛の欠片を探し続けたよ。
けど、そんなもんないんだよ。
どんなに寄り添っても、どんなに追い縋っても、どんなに愛してると伝えても。
母親が俺を見る目は、クソにたかるハエを見るような目だったよ」
胸が苦しい。
私が、心の奥底に押し込んでいる感情が顔を覗かせているのがわかった。
私には、カズキの気持ちがよくわかる。
だからこそ、カズオは私に話を聞きに来たのだろう。
カズオ「この女に、カズキへの愛はない。
この1年で確信に変わった。
そうなると、俺には別の感情が湧いて来たんだよ。
こんな奴のせいで、カズキは死んだのかと。
死ぬべきなのは、この女の方じゃないかと。
けど、カズキの心に優しい母親の姿がほんの少しでもあるうちは、俺はカズキを裏切る事はできないんだ。
だから、君の元へ来た。
君なら、本当の事を話してくれるだろうと思った。
だって君は、カズキと同じなんだろう?」
私とカズキが仲良くなったのは、お互いの境遇が似ていたからだった。
私の家も父子家庭で、小さい頃から父親から虐待を受けていた。
殴る蹴るは当たり前。
けど、誰にもそんな事は話せない。
そんな時話しかけてくれたのが、カズキだった。
その傷、僕とおんなじだね。
長袖で隠していた、父親からの根性焼きの跡。
先生や友達に見つからないようにしていたが、カズキは何か感じたようだった。
自分の服を捲り上げ、お腹に無数にある根性焼きの跡を見せてくれた。
私たちは、2人の時だけお互いの親の話をするようになった。
数少ないカズキの記憶の中から、最後の望みをかけて私に会いに来たのだろう。
カズオ「けど、やっぱり予想通りだったよ。
カズキの思い出の中の優しい母親は、全て妄想だったんだな。
ありがとう。
俺がカズキの為にできる事は、もうこれしかない。
君なら、わかってくれるよね」
そう言ってブランコから立ち上がったカズオは、迷いが吹っ切れたような、晴々とした表情だった。
彼がこれからする事は、きっと世間一般では許されない事だろう。
友達なら、止めるべきだったかもしれない。
けれど、そんな薄っぺらい建前じゃその決意が揺らがない事は、私が1番わかっていた。
私も、自分がいなくなるか、父親を消してしまうか、その2つの思考しか持てなくなった事がある。
親と言う「呪縛」から逃れる為に、最終的に行き着く先はそこしかないのだ。
カズキは、母親の為に自分が消える事を選んだ。
カズオは、カズキの為に母親を消す事を選んだ。
なら、もうどうしようもないじゃないか。
小学4年生の、カズキが学校に来なくなったあの時。
私はあの時と同じように、動くことも声をかけることもできずにいた。
カズオ「俺は、間違った選択をするのかもしれない。
俺が消えてもカズキには会えないかもしれないけど、もし会えたらちゃんと謝るよ」
そう言うとカズオは、まだ顔を上げられずにいる私に向かって、
カズオ「君は、間違うなよ。
まだ、1人じゃない。
わかるだろ?」
そう言って、立ち去って行った。
また、私は何もできなかった。
数日後、近所のボロアパートで2人分の遺体が見つかった。
母親と、中学生くらいの歳の息子の遺体。
母親は土下座をするように頭を地面に付けながら、胸に刺さった包丁を掴んだまま絶命していたそうだ。
その包丁には、息子であるカズキの指紋があった。
しかし、母親の前で横たわるカズキの遺体は、死後1年以上は経っていたかのように干からびて、ミイラのようだったと言う。
これが、私が助けられなかった友人の話だ。
この独白を聞いたあなた方は、どう思っただろう。
荒唐無稽だと思うだろうか?
虐待によって精神を病んだ少年の、単なる復讐劇の話だと思うだろうか?
しかし、カズオの話は全て事実なんだ。
なぜならあの頃。
父親との地獄の日々の中で壊れそうだった私の心を守り支えてくれた、私そっくりの少年がいつも側にてくれた事を。
私はいつまでも覚えているから。