「フットインザドア」

投稿者:でんこうさん

 

友人であるミキさんが経営するイタリアンレストランに行った時の事だった。
ミキさんは高校で所属していた吹奏楽部の2つ先輩で、卒業した後もミキさんが東京に行くまでは定期的に連絡を取って遊んでいた仲だった。
ミキさんは東京の有名なレストランでも働いていた事があり、年老いた母が心配なため地元に戻ってきていた。
たまたま地元のスーパーでミキさんとばったり会い、レストランを経営している事を知った私はミキさんのレストランに昼食を食べに行く事にした。
その日は訪れていた客が私1人だけだったので、私はミキさんと一緒に食事をしながら会話を楽しんでいた。
すると突然ミキさんが
「最近ちょっと悩み事があるんだ」
と切り出した。
「お客さんが少ない事?」
と冗談混じりに返すと、
「それとは別の悩みがあるのよ」
と可愛い笑顔を見せて、こんな話を聞かせてくれた。

幼稚園の時、ミキさんは明るくみんなの中心にいる子だった。
先生達からもできる子と認識されていたミキさんは幼稚園に通うのが大好きだった。
そんなミキさんが通う幼稚園では奇妙な声が聞こえる事があった。
遊んでいる時や歌っている時、食事中の時に突然「アァー、ウゥー」と赤ちゃんのような声が聞こえるのだ。
この声はミキさん以外の同級生も聞いており、みんな慣れていてあまり気にはしていなかった。
何故かこの声は先生や保護者等の大人には聞こえないようだった。
いつもは大勢の友達と校庭で鬼ごっこやかくれんぼをして遊んでいるミキさんはその日は久しぶりに1人でお絵かきをする事にした。1枚目の紙に絵を書き終え、2枚目を書き始めた時だったミキさんのすぐ背後から
「ねぇ名前を教えて」
と舌足らずな声がした。
絵を描くのに夢中だったので無視をしていると何度も何度も名前を聞いてくる。
あまりにもしつこいので
「ミキだよ!」
と怒鳴って後ろを振り向くと、離れてお絵かきをしていた友達が不思議そうにミキさんを見ていた。
友達はミキさんに近づいて来ると
「どうしたの急に?」
と聞いてきた。
「今名前を教えてって声がしなかった?」
と聞くと、そんな声は聞こえなかったと答えた。
怖くなったミキさんと友達は泣きながら先生の所に走って行った。
その日から幼稚園では奇妙な声が聞こえる事はなくなった。

「ふーん気持ち悪い話だね、そんな体験したって事が悩みなの?」
とパスタを食べ終えた私が尋ねると、
彼女は食器を片付けながら
「この話はまだまだ続きがあるの」
と答えた。
「長くなるからそんなに身構えて聞かなくていいよ」
ミキさんは笑ってそう言うと、続きを話し始めた。

ミキさんが中学生の頃、深夜に目を覚ますと金縛りに合うことが時々あった。
そんなある日、深夜に目を覚ますと子供部屋の隅に誰かが立っていた。
金縛りで身体が動かないミキさんがその人物を見続けているとその人物はこちらに近づいてきた。
ミキさんは必死で叫ぼうとしたが、声が上手く出ない。
近づいて来た人物を見てミキさんは驚いた。
部屋の隅にいたので暗闇でそう見えると思っていたのだが、その人物は全身真っ黒で人の形をしているだけだった。
黒い服を着てるとか黒塗りとかそんな質感は無く、まるでモヤモヤした暗闇が人の形を保っているような感じだった。
真っ黒な人は「ミキ、見えているでしょ?」と聞くとしばらくして消えた。
その声はまだ幼い女子の様な声でとても恐ろしく感じた。
消えると同時に身体が動くようになったミキさんは母の部屋に駆け込んだ。
母は優しく抱きしめながら
「夢でも見たんでしょう」
と言ってくれてその夜は母の部屋で寝た。
次の日、また深夜に目が覚めたミキさんは子供部屋の隅に目をやった。
そこには人影は無く、身体も自由に動いた。
ホッとしたミキさんが真上を見ると真っ黒な人が顔を覗き込んでいた。
それを見たミキさんがあっ!と思わず声をあげると
「やっぱり」
と真っ黒な人は言葉をなぞるだけの感情の込もっていない声でそう言うと消え、それ以降部屋の中に現れる事はなかった。

「ちょっと長くなるからコーヒーでも淹れるね」
とミキさんはここまで話し終えると立ち上がった。
話を聞き終え、コーヒーを待っていた私は少し考えて
「ミキさんの名前を呼んだって事は幼稚園のお化けの正体が真っ黒い人なの?」
と尋ねると、ミキさんは淹れてくれたコーヒーを目の前に置いて
「うーん、多分そうだと思う、もしかしたら幼稚園の時から憑いてきちゃってるのかもしれない」
とまた席に着くと話し始めた。

大学を卒業し料理の修行のため家を出たミキさんが、東京で1人暮らしを始めて3ヶ月程経った時の事だった。
部屋に戻ると何か奇妙な臭いがした。
他人の家に入った時のような、生活感を感じる臭いだった。
別に不快な気持ちになる臭いでは無かったのだが、消臭剤のスプレーを部屋中にかけると部屋は消臭剤の香りに包まれた。
それからは帰宅時に消臭剤のスプレーを部屋中にかけるのがミキさんの日課になった。
ある夜、ミキさんが目を覚ますと部屋中の奇妙な臭いが強くなっていた。
消臭剤のスプレーを取りに行こうとミキさんがベットから降りた時の事だった。
ぐにゃり、と泥を踏みつけたような感触がした。
驚いたミキさんが足を上げると、そこには仰向けに寝ている真っ黒な人がいた。
真っ黒な人の腹部はミキさんが踏みつけた真新しい足の形がついていた。
中学生の時見た時とは違い、真っ黒な人の顔には目鼻の凹凸があった。
真っ黒な人はスゥー、スゥーと音がなるぐらい部屋中の臭いを嗅ぐとそのまま消えた。
すぐ電気を点けて足の裏を見たが、足の裏には何も付いていなかった。

話を聞き終えた後、私は言葉を発する事ができなかった。
BGMだけが店内に響き渡っていた。
手に持っていたコーヒーカップがカチカチと鳴る音で私は身体は小刻みに震えている事に気づいた。
ミキさんは窓の外で手を繋いで歩いている親子をぼぉーっと眺めていたが、沈黙を破る様に
「さぁ続きを聞いてもらおっか」
と伸びをしながら言った。

ミキさんが東京から実家に戻った初日にその出来事は起こった。
その日中学生の時使っていた部屋で寝ていたミキさんは真夜中金縛りに合った。
かつての事を思い出したミキさんが部屋の隅に目をやるとそこには人影があった。
しかしそこにいたのは真っ黒な人では無かった。
そこには女性が立っていた。
一見すると普通な女性なのだが、女性の顔は真っ黒で目鼻の凹凸があるだけだった。
その女性は声も出せず身体の動かないミキさんの所にゆっくり近づいて来た。
女性は仰向けに寝ているミキさんの横に立つと、真っ黒な顔を近づけてきた。
ミキさんは押しのけようと精一杯腕に力を込めたが、全く動かない。
それならばとミキさんが必死で声を出そうとした時だった。
ミキさんの口の中に綿の様な感触が広がった。
気づくとその女性はミキさんに顔をくっつけて、口の中に何かを入れ込んできていた。
綿の様な物は舌にまとわりついてとても気持ち悪い感触だった。
無我夢中でそれに耐えていると口の中から綿の様な感触が抜けていくのを感じた。
身体を起こしていく女性の顔は真っ黒な顔ではなくなっていた。
その女性の顔はミキさんそのものだった。
女性はしばらくミキさんの顔を見つめ、
「あーはっはっはっは!」
と無表情のまま大声で笑うと姿を消した。
その声は間違いなくミキさん自身の声だった。

「私になりたいんだろうね」
ミキさんはコーヒーを入れ直すため、席を立ちながらそう言った。
何も言えずにミキさんを目で追う私を見ながら
「でもまだアレは私になれていないよ、多分」
と言った。
「なんでですか?」
私は絞り出す様な声で聞いた。
「私の顔になったアレが笑った時の声も顔も何かおかしいのよ、なんか良くできたマネキンみたいな感じがして」
私の前にコーヒーのおかわりを置いてくれながらそう答えた。
「心とか魂とかそう言われている物が無いんだと思う」
そう言うとミキさんはコーヒーを1口飲んだ。
「そのお化けはその後も現れたんですか?」
私がそう聞くと1口コーヒーを飲んだ。
「うぅんそれ以来は見てないよ、声も臭いも何もない」
と頬杖をつきながら答えた。
しかし、その顔はどこか浮かない表情をしていた。
「まだ何かあるんですか?」
私が不安気に聞くと
「ここからが本題なんだけど」
と最近の悩み事を話してくれた。

ミキさんの母が亡くなって、四十九日を終えた後の事だった。
ミキさんの家庭は母子家庭で幼少期から母1人、娘1人の2人で日々励まし合い過ごしていた。
料理の修行をするために東京に行く時も母を快く送り出してくれた。
地元でレストランを始める時も母は大いに喜んで、手作りのチラシを知り合いに配ってくれた。
母は優しいだけではなく、厳しく強い部分も持っていた。
高校受験で勉強が上手くいかず志望校を諦めようとした時も、東京での料理修行が辛くて地元に帰ろうとした時も母は
「1度始めた事を途中で辞めたらダメだよ、最後までやり遂げなさい」
と叱咤してくれた。
そんな母の死をミキさんは中々受け入れる事ができず、夜になると母の事を思い出して泣いて過ごしていた。
そんなある日、いつもの様に泣き疲れてリビングに突っ伏して寝てしまったミキさんは夢を見た。
夢の中でミキさんは子供の姿に戻っていた。
自分の周りは光が少しも見えない暗闇だった。
真っ暗な暗闇の中でミキさんが泣いて怯えていると、死んだはずの母が現れた。
母はミキさんとの思い出を話し始め、1通り話し終えた後
「ミキは良く頑張ったよ、もう休みなさい」
と笑顔で言い両手を広げた。
その声は感情が込もってなく、笑顔はまるでマネキンのようだった。
「もう休みなさい、もう休みなさい」
母はそう言い続けて笑顔で両手を広げて、ミキさんが来るのを待っていた。
「やめて!」
ミキさんは自分の声で目が覚めた。
夢だと気づいたミキさんがため息をつくと、
「もう休みなさい」
背後から声が聞こえたので振り向くとそこには誰もいなかった。
その声は母の物ではなく、ミキさんの声だった。

「多分アレがまた来たんだと思う」
そう言うとミキさんはため息をついた。
「今もその夢を見るんですか?」
歯をガチガチ鳴らしながら、やっとの事で言葉にして聞いた。
「母の命日になるとその夢を毎年見るんだ」
と俯きながら言った。
「まぁ私って幼稚園の頃から人気者で可愛かったし、今も美人じゃん?だから憧れているのかもね。」
ミキさんはわざとらしく明るい声でそう言った。
私が黙ってうつむいていると、
「そんなわけないか、たまたま名前を呼んだのが私だったんだろうね」
と静かに言って黙り込んだ。
私が何か話そうと考えていると、ミキさんが
「返事」
と一言だけ言った。
私が俯いたまま目だけミキさんの顔に見ると
「返事しなきゃよかったな」
ミキさんはテーブルを見つめながら言った。
しばらく沈黙が続いた後
「ヨシ!16時から予約が入ってるお客様を迎える準備を始めなきゃ!」
とミキさんは大きな声で言い、両手をパンと叩くと席から立ち上がった。
「今日は話を聞いてくれてありがとう、今度は恋バナでもしよう」
そう言いながらミキさんは店の出口まで見送ってくれた。
私はミキさんに
「今日はありがとうございます!また来ます!」
と無理に大きな声でお礼を言った。
ミキさんは可愛い笑顔で手を振ると店の中に引っ込んだ。

その後私は仕事が忙しくなり、ミキさんのレストランに行く事がないまま2年の月日が過ぎた。
その日たまたまレストランの近くで仕事を終えた私は、久しぶりにレストランで昼食を食べる事にした。
レストランに着くとすでに店内は満席で、入口では何人か列を作って並んでいた。
私が最後尾に並び、店内に入った時は到着して20分の時間が経っていた。
レストランは以前と違って大盛況しており、従業員も2人雇っているようだった。
その内の1人が運んできたパスタを
「ミキさんやるなぁ」
と独り言を言いながら食べて見ると、以前と少し味付けを変えたのかハーブが効いてとても美味しかった。
パスタを食べ終え食後のコーヒーを待っていると、コーヒーはミキさんが持って来てくれた。
忙しくて余裕がないのか、ミキさんはぎこちない笑顔でやってきた。
「はい、お待たせしました」
淡々とそう言うとテーブルにコーヒーを置いた。
「ありがとうございます」
とお礼を言った後、振り向いて歩いていくミキさんの背中に
「パスタ美味しかったです!」
と声を掛けたが聞こえなかったのか、スタスタと厨房に戻って行った。
久しぶりに飲んだコーヒーの味は2年前より少し酸味が強く感じた。

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計
毛利嵩志121515151572
大赤見ノヴ141515151574
吉田猛々181817161786
合計4448474647232