「カエッコサマ」

投稿者:半分王

 

1980年代後半、俺の住む山間の集落にダムの建設計画が持ち上がった。

人口120人程度の本当に小さな集落で、村役場も駐在所もないそんな集落をいわゆる大地主だった俺の家系の一族が取り仕切っていた。

本家と言われるばあちゃんの家は、裏にお堂のようなものを建てて村の御神体を祀っている。
と言っても観音さまのようなものではなく、幼稚園児くらいの大きさの木彫りのミイラみたいな物だった。

それは「カエッコサマ」と呼ばれ、代々うちの家系が祀ってきたらしい。
供物と引き換えに願いを叶えてくれると言われていて、その年の初めに採れた野菜や米、イノシシを捧げる事で次の年も豊作になると言われていた。
子供が悪さをすると、

「悪い子はカエッコサマに頼んで、いい子と取り替える」

と怒られるくらい、ごく自然に生活に根付いていた。
いわゆる限界集落の土着信仰って奴だ。

本家であるうちの他に、集落で唯一の医師をやっている伯父の家系と、集落内の建物の建築や修繕を取り仕切る大工頭の叔父の家系、この三家で集落を取り仕切っていた。

そしてこの2つの親戚の家に、俺の同い年の幼馴染がいた。
気の強い褐色ボーイッシュ娘のマキ。
ガタイと気前のいい、兄貴肌のヒデ。
ヒデの家には集落で唯一のファミコンがあったが、子供の頃の俺達はいつも泥だらけになるまで自然の中で遊んでいた。

俺達が10歳の頃。
この集落一帯をダムにすると言う計画が持ち上がった。
もちろん反対運動が起きたが、その中でもばあちゃんの勢いはすごかった。
当時で70歳を越えていたが、皆の先頭に立つ姿は俺の誇りで、かっこいいと思った。

反対運動は盛り上がっていたが、説明会という名目で集落を訪れては工事の責任者や測量士を同行させて来て、勝手に集落の地盤の調査などを行うようになっていた。
重機なども入り込むようになり、計画の実行は時間の問題かと思われた。

知らない人達が出入りするようになって幼かった俺達は怖くなり、ばあちゃん達に

「集落、なくなっちゃうの?
ダムの底に沈んじゃうの?」

と泣きつくようになっていた。
不安な日々が続き、いよいよ計画の最終調整の為に責任者達が一堂に会する事になる日の前日、ばあちゃんがこんな事を言った。

祖母「心配せんでええ。
カエッコサマが、この集落を守ってくれる」

俺は子供ながらに、今の今まで何も助けてくれなかったカエッコサマを信じる事はできなかった。
それでも、俺を安心させようと神様の名前まで出す祖母に、うんと頷く事しかできなかった。

しかし翌日、大事件が起きた。

集落はダム建設に適した強い岩盤の山間に囲まれているのだが、責任者一同が集落入り口の峠に入った所、土砂崩れが起きてしまったのだ。
もちろん、集落の歴史上そんな事故が起きた事はなかった。
この事故によって、関係車両はすべて巻き込まれ10人以上の死者を出してしまった。

それだけの大事故だ。
ダム計画は一時凍結となり、集落はとりあえずの安寧を手にする事となった。

祖母「カエッコサマが、集落を乱すモンに罰(ばち)を与えてくださった。
これからもここで、ずうっと暮らせるよ」

ばあちゃんの言う通りになったと俺は驚いたが、集落は平穏を取り戻し、いつも通りの生活に戻っていった。

それからは、騒動の前に戻ったように平穏な日々が続いた。
俺には両親がいなかったが、両親が遺してくれた多額の保険金と、なにより優しいばあちゃんのおかげで何不自由なく暮らすことができた。
集落には分校のような小学校しかなかったので、中学、高校と集落から自転車で1時間半の町へ通った。

高校卒業が間近になると、将来の事で悩む事がになる。
それと言うのも、俺とマキとヒデは集落を取り仕切るそれぞれの家を継ぐ事になっていたからだ。
郷土愛が強く、共に幼い頃に兄弟を亡くしているマキとヒデはもちろんそのつもりでいたが、俺は違った。
あの8年前のダム建設計画。
あの時法律に強い人間がいなかったせいで、感情論で反対しても計画は着実に進んでしまっていた。
あの事故がなければ集落は確実にダムに沈んでいただろう。
だから俺は、法律を学ぶ為に大学に行きたいと思っていた。

これにはマキやヒデはもちろん、叔父達からも猛反対があがった。

本家筋のくせに、カエッコサマとこの集落を捨てるのか。

確かに大学に通うには一人暮らししなくてはならないし、距離的にもすぐに帰って来る事は難しくなる。
しかし然るべき資格を取ったら、必ず集落の為に戻って来るつもりだ。
それでも集落の人達は聞く耳を持ってくれなかった。

それらの声を抑えて、唯一賛成してくれたのは、なんとばあちゃんだった。
1番反対するだろうと思っていた人の後押しに、俺は嬉しさよりも何で?と言う気持ちが湧いた。
素直に喜べずにいる俺に、ばあちゃんは真っ直ぐに俺の目を見つめ、いつもの優しい声で言った。

祖母「あんたの両親が生きていたら、きっと同じ事を言ったはずだよ。
あんたは、やりたいようにやりなさい」

ばあちゃんは、集落をまとめる立場にありながら俺の背中を押してくれた。
俺を抱きしめながら、大丈夫、わしがなんとかするからと繰り返し言ってくれた。
集落の人達もその様子を見て、しぶしぶ諦めてくれたようだった。
ただ、一マキとヒデだけは納得いかなかったようで、俺達は疎遠になってしまった。

結局2人との溝は埋まらないまま、俺は集落を出た。
俺は寝る間も惜しんで勉強した。
両親の遺してくれたお金のおかげでバイトなどもしなくて済んだので、必ず6年で帰ると言う思いを胸に勉強に打ち込んだ。

そんな時、俺が出てすぐの集落に不報が届く。
約8年の時を越え、ダム建設計画が再始動したと言うのだ。
この数年で集落を通る新しい道路が完成していたのだ。
集落の人達も道路建設は知っていたが、町へ降りるのが楽になるくらいにしか考えていなかった。
それが、蓋を開ければダム建設の為のものだったのだ。
件の峠さえ通らなければ、強固な地盤は約束されている。
まるで俺が集落を出るのを待っていたかのように、また事業者達が集落にやって来るようになった。

俺がそれを聞いたのは大学に入って少し経ってからだったが、その頃から俺はおかしな夢を見るようになっていた。

暗闇の中から何かが聞こえて来る。
遠くから聞こえるその声は何を言っているかわからない。

止まないその声に目を開くと、俺は集落に立っていた。
子供の頃から見慣れた、のどかな風景だった。
しかし、何かがおかしい。
周りを見渡して、その違和感に気付いた。
人が1人もいない。
土地は広いが、ぐるりと見渡せば全ての家が見渡せるくらいの集落なのだ。
それなのに、民家の軒先にも、小さな商店にも、畑にも田んぼにも、誰の姿もなかった。

それだけでも異常な事なのに、鳥の声も木々が風に揺れる音も何の音もしない。
聞こえるのはただ一つ、あのゴニョゴニョと何を言っているかわからない声だけ。
それは遠くから聞こえて来る。
声のする方向を探すと、俺の家の方から聞こえて来るようだった。
声の主も言葉の意味も、何も知りたくないと思いながらも俺の意識は自宅の方へと誘われていく。
足が勝手に、自宅の方へ向かって歩き出す。

嫌だ、行きたくない!

何故かそう思ってぎゅっと目を瞑ると、急に俺の足が止まった。
いや、正確には後ろから「何か」がお腹の辺りに手を回し、俺をその場に押さえつけているのだ。
恐る恐る下に目をやると、がっちりと俺を掴む手が見えた。
その手は影のように真っ黒で男か女かもわからないが、明らかに人の手の形をしているのがわかった。
その手の主は、ものすごい力で俺を押さえつけながら耳元で何かを囁いている。

「か…く…
え…るな…」

同じ事を繰り返し呟いてる。
相変わらず実家の方からも何か聞こえてくるが、耳元からの囁きに身を委ねていると、フッと目が覚めた。

ダム計画の話を聞いてから、よくこの夢を見るようになった。
最初のうちは勉強によるストレスか、集落を離れた事への罪悪感から来るものだと思っていた。
しかしその考えとは裏腹に、夢を繰り返し見るたびに遠くから聞こえる声ははっきりと聞こえるようになっていった。

その声はかすれた子供のようで、甲高い老人のようで。

「タリナイタリナイタリナイタリナイ…」

と言っていた。
言葉としてわかるようになってくるに連れて、夢の中の俺は着実に実家へと近づいていった。
俺を掴む手は増え今は2人分の「何か」が俺を押さえつけてくれていたが、あと数回夢を見たら声の主に辿り着いてしまうのは明白だった。
そしてこの時点で、俺を呼ぶものがなんなのか、なんとなくわかっていた。

…カエッコサマだ。
きっと本家の跡取りである俺が集落を出てしまった事で、集落にとって、そしてカエッコサマにとっての決定的な何かが欠けてしまったのだろう。
俺は、それまで単なる土着信仰の類だと思っていたカエッコサマが、得体の知れないものに思えてならなかった。

そんな事があったせいで、俺は集落に帰れないまま半年が経とうとしていた。
呼ばれていると気付いてしまった今、帰る事が不安でたまらなかった。

そんなある日、こっちに来てから持ち始めた携帯電話に見慣れない番号からの着信があった。
携帯の電話帳には実家とマキ・ヒデの家の電話番号しか登録していないのだが、写し出されている番号は090で始まるものだった。
この頃は知らない番号に対する警戒心も薄かったので、俺はすぐに通話ボタンを押した。

「あ、ナオか?
久しぶり、俺だよ」

懐かしい声だった。
俺をナオと呼ぶのは2人しかいない。
俺はすぐにヒデだとわかった。
しかし、集落を出ると話してからまともに話せていなかったので、変に緊張してしまう。

ナオ「あ、ああ。
久しぶり。
携帯、買ったんだな」

とりあえずそんな当たり障りない事しか言えなかったが、当のヒデは久緊張する様子もなく話し始めた。

ヒデ「俺は親父の跡を継ぐ為に大工の修行中だからな。
あちこち顔を出さなきゃならねぇから、親父に携帯持たされてんだよ」

ヒデ「そんな事よりお前、なんで一度もこっちに顔出さねぇんだよ?
またお国の奴らがここをダムにしようって毎日のように出入りしてんだぞ!」

そんな事はわかってる。
でも、怖かった。
小さい頃は毎日のように見て拝んでいたあの小さなミイラが、恐ろしかった。
帰れば俺は「何か」の代償として取り替えられてしまうんじゃないかと。
俺が言葉を発せないでいるのをおかまいなしに、ヒデは捲し立てる。

ヒデ「今回は奴らも用意周到だった分、以前より早く決着がついちまうだろう。
お前が弁護士先生になる頃には集落はダムの底だろうよ」

耳が痛かった。
故郷を守りたいと思い選んだ道だったが、最短でも6年はかかる道のりだ。
今でも、少しでも気を抜けば振り落とされてしまうようなレベルだ。
現実にはもっとかかってしまう事だってある。
色々と考えを巡らせていたが、ヒデはさらに続ける。

ヒデ「明後日だ。
8年前のあの日と同じ、最終調整の為にお偉いさん方が来る。
今度は補償金もしっかり提示されてると来たもんだ。
俺ら以外の集落の人間は、懐柔されちまうだろう」

大切な人達が、ばあちゃんがいるあの場所が、ついに無くなってしまう。
俺は、この半年の努力が崩れて行くのを感じた。

ナオ「なあ、ヒデ。
俺はどうしたらいい?
俺に何ができると思う?」

この時ばかりは夢の事なんかすっかり忘れていた。
狼狽している俺に、昔のような頼りがいのある口調でヒデは言った。

ヒデ「明日、最後の話し合いをしよう。
もちろん本家のお前がいなきゃ話しにならない。
明日、必ず帰って来てくれ。
集落を守ろう」

ナオ「わかった、必ず帰るよ。
それと、今までごめん。
俺達3人で集落の未来を守るって言ったのに、あんな風に険悪にしてしまって」

俺がそう言うと、ヒデはガハハと豪快に笑った。

ヒデ「当たり前だろ。
俺もマキも、本気で怒っちゃいないよ。
何も相談してくれなかった事に、少しムカついたけどな」

よかった、いつものヒデだ。
集落へ帰れば、マキも昔のように俺を迎えてくれるだろう。
夢なんかに怯えて集落へ帰らなかった事が不思議に思えるくらい、俺の意思は集落へと向いていた。

ナオ「ありがとう。
明日、朝1で帰るよ。
みんなにもよろしく言っといて」

気分もすっかり晴れ、気持ちよく帰る気持ちにしてくれたヒデに感謝した。
もちろん楽観視できる状況じゃないけど、きっとなんとかなると不思議な高揚感があった。

しかし、そんな俺の気持ちをヒデの最後の言葉が打ち砕いた。

ヒデ「ああ、必ず伝えるよ!

カエッコサマも、きっとお許しになる」

ツーツー

冷たい電子音が流れる携帯電話を握ったまま、俺は固まった。
なんだって?
カエッコサマが、許してくれる?

いきなり出たその名前に、夢の恐怖が再び俺を襲った。
なんでそこでカエッコサマの名前が出るんだよ。
ダム建設の事を話し合う為に俺達は集まるんだろう?
カエッコサマが、なんの関係があるんだ?
許すって何をだよ?
わからない事だらけだ。
おかしくなりそうだった。

ナオ「ばあちゃん…」

自分でも何故かわからないが、誰かに助けて欲しくて呟いていた。
その時、再び携帯が鳴った。
俺は大袈裟にビクッとしたが、すぐに鳴り続ける携帯の画面には

ばあちゃん

と表示されていた。
俺は急いで通話ボタンを押す。

ナオ「ばあちゃん!
今、ヒデから電話があってさ、ダム工事、大変なんだって?
それで話し合うから戻って来いってて言われたんだけど、カエッコサマがどうとか言われて!
もう訳わかんないよ…」

俺は半泣きになりながらばあちゃんに捲し立てた。
我ながら支離滅裂だったと思う。
ばあちゃんは一呼吸置いたあと、ゆっくりと話した。

祖母「そうかい、ヒデ坊がそんな事を言ったんかい。
大丈夫、なんも心配せんでええ」

いつもの、安心するばあちゃんの声だった。
少しだけ気持ちが緩んで、もう一つの不安を口にした。

ナオ「ずっと変な夢を見るんだ。
カエッコサマが、俺を呼ぶんだよ。
足りない、足りないって」

俺がそう言った途端、受話器の向こうの空気が変わった。
ばあちゃんが息を呑むヒュッと言う音と共に、緊張感が増したように感じた。

祖母「…その夢は、いつから見てるんだい?」

ナオ「ばあちゃんからダム工事の話を聞いてからだから、もう何ヶ月も前だよ」

祖母「その夢で、お前はどこにいるんだい」

ナオ「最初は集落の入り口にいたけど、今はうちまで目と鼻の先の所まで来てる。
嫌だけど、足が勝手に動くんだ。
2つの黒い影が俺を引き留めてくれてるけど、もう…」

俺がそこまで話すと、ばあちゃんは
何か覚悟を決めたように厳しい口調でこう言った。

祖母「帰ってくるな。
ええか、絶対に帰ってくるなよ。
わかったな」

それだけ言うと、ばあちゃんは電話を切ってしまった。
呆然として電話を掛け直す気にもなれず、俺は携帯をテーブルに置くと畳の上に寝転がった。
考えがまとまらない。
今日1日でいろんな事が起こりすぎた。

何も考えたくなかった。
だけど、ばあちゃんの最後の言葉。
あれを聞いて、とても大丈夫だとは思えなかった。
いつも俺の事を1番に考えて、俺の背中を押してくれたばあちゃん。
そんなばあちゃんが、帰ってくるなって?

俺は、帰らない訳にはいかなかった。

その夜、俺は夜中に目を覚ました。
いつもなら眠りに落ち、悪夢にうなされる所だがそうはならなかった。
ただ、俺の体は夢と同じように何者かにがっちりと押さえつけられていた。
これが噂に聞く金縛りかと思っていると、耳元にいつもの囁きが聞こえて来た。

「え…るな…
かえ…く…な…」

その日は、はっきりと聞こえた。
その声は

かえってくるな

と言っていた。
ばあちゃんと同じく、帰ってくるなと言っていた。
そこでわかった。
夢の中で俺を押さえ付けていた2つの影。

ナオ「とう…さん
かあ…さん」

そう口にすると俺を押さえ付ける力は更に強まり、俺は気を失った。

翌朝目覚めると、頭痛と体のだるさが俺を襲った。
どうやら、熱があるようだ。
これが昨晩の出来事と関係あるかはわからなかったが、起き上がれない程のひどい体調だった。
テーブルの上の携帯にも手が届かず、俺は布団に寝ている事しかできなかった。

寝ている間も、ずっとあの声が聞こえていた気がする。
帰ってくるなと言う、母さんの声。
どのくらい経った頃だろうか、部屋に誰かの気配を感じ俺はゆっくりと目を開けた。

マキ「あ、やっと起きた!
ナオ、大丈夫?」

ヒデ「全く、心配かけさせやがって

気分はどうだ?」

目の前には半年ぶりに見るマキとヒデの顔があった。

ナオ「お、お前ら、どうして…」

張り付いてしまった喉から、我ながら情けない掠れ声が出た。
ずっと眠っていたからだろうか。

ヒデ「どうしてってお前、帰って来ないから心配で来たんだよ!」

ヒデの口調は荒かったが、俺を心配してくれているのが伝わって来た。

マキ「そうだよ。
こっちに帰って来るって聞いてから、もう5日だよ?
ずっと待ってたんだから」

体中痛いしまだ頭はボーっとしていたが、2人が来てくれた事は素直に嬉しかった。

ナオ「2人とも、ありがとう…
ごめん、約束守れなくて。
集落の方はどうなった?」

約束の日に居合わせられなかった手前、聞かない訳にはいかなかった。
しかし俺の心配をよそに、ヒデはにっと口角を上げ親指を立てた。

ヒデ「心配すんな、全員追い返してやったよ!」

俺は、違和感を感じた。
最終調整に来たって事は、向こうだってここで決めたいって算段で来てたはずだ。
それが、あっさりと引き下がるか?
俺が訝しんでいると、それを察したようにヒデが言う。

ヒデ「また来るかもしれないけどよ、何回でも追い返してやるぜ!

だからさ、帰ってこいよ、ナオ。
カエッコサマも、待ってる」

俺は一気に鳥肌が立った。
追い返せたなら、俺が帰らなくてもいいじゃないか。
そもそも、こいつらはいつここへ来たんだ?
色んな疑問が湧き上がったが、霞がかったように意識がぼやけている。

マキ「そうだよ、早く帰ろ?
ナオがいないと始まらないよ!

カエッコサマも、ずっと待ってるんだから」

マキが急かすように言う。
あまりに2人の言葉が不気味で、まだ少し体調が…と言い訳をしてその場を濁す事しかできない。

ヒデ「じゃあ、お前がよくなるまでいてやるよ!
キッチリ集落まで送るからよ」

マキ「そうだね、1人だと心配だから、帰るまでは一緒にいよう!」

やけにテンションの高い2人に促されて寝かせられてしまい、まだ本調子でない俺はそのまま眠りに落ちてしまった。

ここはどこだろう。
いつもの夢とは違う。
何もない暗闇に俺は立っていた。

また、あの声が聞こえる。
母さんの声だ。

帰ってくるな。

振り向くと、暗闇の中に輪郭がぼうっと光るふたつの影が佇んでいる。
顔は見えないが、両親に違いなかった。
俺は泣いた。
子供の頃のように、わんわんと泣いた。
両親と会うのは8年前のあの土砂崩れの起きた日、両親が事故死したあの日以来だった。
あの頃は、なんの疑問も持たずにただ事故で亡くなったと思っていた。
2人は今もなお、何かに囚われて成仏できずにいるんだ。
2人の元へ行きたい、今すぐ触れたいと言う思いとは裏腹に、俺の体は動かない。
もどかしく感じていると、あの声が響いた。

それは今までよりも大きく威圧感のある、掠れた子供のような、甲高い老人のような声で。

「タリナイタリナイタリナイタリナイ!

かえっこして!かえっこして!かえっこして!」

両親との再会の余韻もどこかへ吹っ飛んでしまうくらいの、恐ろしい叫び。
気がつくと目の前の両親の姿は消え、代わりに赤黒い色に染まった巨大な子供のミイラが俺を見下ろしていた。
俺はガタガタと震え、

ナオ「カエッコサマ…」

と呟いた。

目が覚める。
朝になっていたようだ。
俺の布団の両脇には昨日と同じくヒデとマキが座り、俺の顔を覗き込んでいた。

ヒデ「お、目が覚めたか!
気分はどうだ?
今日は帰れそうか?」

マキ「顔色もよさそうだし、もう大丈夫そうだね!
みんな待ってるよ、さあ」

顔色がいい?
いや、きっと俺の顔色は死人のようだったに違いない。
そんな事お構いなしに、2人に脇を抱えられ布団から起こされる。
まだフラフラすると言っても、聞く耳を持ってくれない。

行きたくない、行ってはいけない。
でも、それを悟られたら無理矢理にでも連れて行かれてしまうだろう。
俺は時間をかけて支度をするふりをして2人の隙をうかがっていたが、もう2人とも玄関に立ちニコニコと笑っている。
ダメだ、とてもじゃないが逃げられない。
この部屋はアパートの2階だが、この体調では窓から飛び降りる気にもなれない。
着替えも終わってしまい、外に出てから逃げるしかないと覚悟を決めて玄関へ向かった、その時。

テーブルの上に置き忘れていた携帯が鳴った。
玄関にいる2人が険しい顔をした気がしたが、俺は振り返ってテーブルに向き直り、携帯を手に取る。
後ろから「やめろ!」と声がしたが、俺は構わず通話ボタンを押した。

電話の向こうは、静まり返っている。
何故かこちらから話しかけてはいけない気がした。
数秒の後、ふぅっとため息をつくような音のあと。

祖母「帰ってくるな。
ええか、絶対に帰ってくるなよ。
わかったな」

あの時と同じばあちゃんの声だった。
それだけ言うと電話は切れてしまった。
ハッとして玄関の方を振り返るとそこに2人の姿はなく、握り締めた携帯は電源が入っていなかった。

訳のわからない現象の連続に俺の精神は限界だったが、確かめなければならない事があった。
ドアポストにねじ込まれた数日分の新聞を全て広げて読み漁る。

そこには、俺が求めていた答えがあった。
8年前と同じく、集落でまた原因不明の土砂崩れが起きた事。
それに巻き込まれ、集落を訪れていたダム計画の関係者が何人も亡くなった事。

そして同じ日に、うちの裏のお堂の前で3人の住人の遺体が見つかっていた事。

その3人は、
マキ、ヒデ、

ばあちゃんだった。

俺はよろよろと押し入れまで歩き、下の段にポツンと置いてあるせんべいの缶を取り出した。
集落を出る時にばあちゃんから

どうにもならんくなったら開けなさい

と渡されていた物だが、軽いのでお金だろうと思っていた。
預金には余裕があるが、緊急時に使えと言う意味なのだろうと。
蓋を開けると、古文で書かれている分厚い冊子とばあちゃんからの手紙が入っていた。

冊子の表紙には「代護集落歴(カエゴシュウラクノレキ)」と書かれている。
読破するには時間がかるので、今の状況に関係ありそうな所を探す。
書かれていた内容を要約すると、

カエッコサマの正式な名称は代護(カエゴ)と言い、この土地を納めていた一族によって造られた即身仏。
願った者の依代として願いを叶えるが、対価が必要。
人々の願いの依代となるには穢れていてはいけない為、一族の中から5歳の少年が選ばれた。
集落に住む者は豊かな生活を手に入れたが、カエゴの呪いによってこの土地から出る事は許されない。

対価は、平穏な暮らしには作物や動物の肉で済むが、災害や疫病など集落存続の危機を回避したい場合は、一族の中から生贄を出さなければならない。
当時より集落を納めていた、3家からそれぞれ後継の命を差し出す事。

動機が激しくなり、目眩もする。
それでもある事を確かめなければならない俺は、ばあちゃんの手紙を開く。
全てを理解する余裕はないのでこちらも要約すると、

8年前のダム計画は、集落にとっての存続の危機だった。
いつもより多くの供物を捧げたが、カエゴから「足りない」と要求が始まった為生贄が必要になったと理解する。
うち以外の家は分家という事もあり、人一倍血筋にこだわっている為喜んで差し出すと言った。
しかしばあちゃんと両親は、俺を死なせたくなかった。

8年前の土砂崩れはカエゴの力で、その時の生贄は俺の両親とマキとヒデの兄達だった。

それからすぐ、ばあちゃんにはカエゴからの要求が始まった。
毎日毎日必死で信仰する事で、なんとか俺を守ってくれていた。

しかしダム計画が再開した事で、再び対価が必要になってしまった。
俺が集落を離れてしまっていた事も重なり、カエゴの要求がついに俺の方へ向いてしまったのだ。

俺は何も知らなかったとは言え、ずっと守ってもらっていた。
前回は両親が、今回はばあちゃんが
俺の代わりに生贄となってしまった。
死して尚、俺に帰って来るなと言ってくれていた。
今回の事故で、きっとダム計画も白紙に戻るだろう。
集落は、平穏を取り戻す筈だ。
俺の、何よりも大切だったものと引き換えに。

暗闇の中に誰か立っている。
両親とばあちゃんだ。

3人「帰って来るな」

ナオ「ありがとう、いつも守ってくれて」

3人とも、泣きそうな顔で言う。

3人「帰って来るな」

ナオ「ありがとう、でも、ごめんなさい」

目を覚ますと、タクシーは峠道に入る所だった。
集落へ近づくにつれ、俺を呼ぶ声はどんどん大きくなって行く。

今、帰るからね。

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計
毛利嵩志121515121569
大赤見ノヴ171717161784
吉田猛々191917171789
合計4851494549242