「俺には霊感がなかった」

投稿者:半分王

 

死んでしまった人と、また一緒に暮らせたら。
大切な人を亡くしてしまった時、誰もがそう思うだろう。
たとえそれが、幽霊と化してしまった相手だとしても。
しかし、もちろん現実はそんなに都合よくはいかない。
霊感がある人なら亡くなった人を見ることもできるかもしれないが、世の中の大多数の人間にはそんな事はできない。
誰もが、2度と会えない大切な人達の事を想いながら生きていくものだ。

しかし、何かのきっかけで霊感が目覚めると言う話は往々にして聞く。
俺の友人だった男も、あるきっかけで死んだ人が見えるようになった。
これは俺がその男から聞いた、奇妙な共同生活の記録だ。

ここからは、情景が伝わりやすいようにその男の主観で書こうと思う。

「おはよう、あなた。
もう起きる時間ですよ」

聞き慣れた声に、いつも通りの朝が来たことを感じながら目を開く。
リビングからは、いつも通りの香ばしいトーストとお気に入りのコーヒーの香りが…
して来なかった。

男「夢じゃ、ないのか…」

気だるい体をベッドから起こし、ベッドサイドに座り直してカレンダーを見る。

男「これで3日目か…」 

そう言うと、俺は2人が待つリビングへと向かう。
その間もずっと、

「おはよう、あなた。
もう起きる時間ですよ」

「おはよう、あなた。
もう起きる時間ですよ」

壊れたラジカセのように、同じ感覚でリビングから声が聞こえてくる。
わかってる。
リビングに行かないと、この声は止まないんだ。
急ぐ事もなく、ゆっくりと歩みを進めてリビングの扉を開く。
そこには、見慣れた顔があった。

「あなた、おはよう」

「おはよう、パパ」

俺の妻と3歳の娘。
いつも通りの席で、2人とも食卓についている。
しかし、食卓にはトーストもコーヒーもない。
2人は、何もないテーブル越しに俺を見てニコニコしている。
これがもう3日も続いている。
俺は辟易しながら、同じ質問をぶつけた。

男「マユミ、リカ。
何か俺に伝えたい事があるんだろう?
それならちゃんと言ってくれ」

この2日の事を考えると答えが返って来ない事はわかっている。
しかし2人が目の前にいる以上、何か意味があるとしか思えない。
俺の目の前にいる妻と娘は、もうすでに亡くなっているのだから。

その夜もいつも通り、勤務後の同僚との時間を過ごしてから帰宅した俺は、玄関の前で異様な雰囲気を感じた。
時間は夜の23時。
小さい子供がいるのですでに眠っているのはわかるが、いつもついている玄関灯や2階の寝室の常夜灯の灯りも見えない。
異様な雰囲気を感じつつ鍵を差し込むと、開錠側に回るはずの鍵は動かない。
玄関の鍵は開いていた。
そのまま扉を開けると、誰も風呂に入っていない時は開け放たれている洗面所のドアが閉まっている。
手を洗うついでもあり確認しようと思いドアを開けると、何故か浴室の扉も閉め切ってある。
なんとなく人の気配を感じ、こんな時間に?と疑問を持ちながらも浴室の扉を開けると、そこには…

練炭自殺だった。
俺たち家族はうまくいっていると思っていたから、現実を受け入れる事ができなかった。
何故なんだ、マユミ。
何故娘まで…。

警察と救急に連絡を入れ到着まで現場保存するようにと言われたが、俺はじっとしていられるわけもなく辺りを調べてみた。
リビングに置いてあったマユミのスマホには、特に変わった連絡などは見つからなかった。
日記なんかが見つかれば何かわかると思い、寝室にあるマユミのドレッサーを調べた。
次々に引き出しを開けるが、アクセサリーや化粧品があるだけで目ぼしいものは見つからない。
遠くからパトカーだか救急車のサイレンの音が近づくのに気付き、少しだけ急ぐ。
もし、自殺の原因があれだったら…
何か、妻にそれを勘付かせてしまった物があるはずなんだ。
最後の引き出しを開け、その中に小物入れを見つけた。
俺が付き合ってる時に贈った、可愛らしい黒猫の模様のブリキの小物入れ。
俺とのプリクラや手紙やらが入れてあると言っていたその箱を開けると、確かに入っていたそれらの上に1つの茶封筒があった。
切手も消印も無いところを見ると、誰かが直接ポストにでも入れたのだろう。
中には1枚の手紙と数枚の写真が入っていた。

男「やっぱり…
誰がこんなもの…」

写真には、俺と同僚の女性が写っていた。
誰が見ても間違いなく家庭を裏切っているであろう証拠がそこには写っていた。
そして、肝心の手紙にはパソコンで打たれた無機質な文章でこう書かれていた。

「貴女のご主人は私の婚約者と付き合っています。
2人は会社の同僚です。
関係は1度や2度ではありません。
八つ当たりなのは重々承知していますが、私と同じ苦しみを貴女にも感じていただきたいと思い、この手紙を送ります。
恨むなら、ご主人を恨んでください。」

目の前が真っ暗になった。
俺は、うまくやっていたつもりだった。
世間一般で言ういい旦那だったし、いい父親だったはずだ。
あいつとの事は、ただの息抜き。
少々硬すぎるマユミとの生活の息抜きのつもりだったんだ。
知られないように努力したし、鈍感なマユミに知られるはずもなかった。
こんな手紙がなければ。

パトカーが家の前に到着し、何人かが車を降りる音が聞こえる。
俺は封筒をポケットに突っ込み、応対の為に玄関へ向かった。

マユミとリカは到着した救急車ですぐに病院に運ばれたが、一酸化炭素中毒での死亡が確認された。
マユミがリカを抱くように亡くなっていたので、練炭を焚く前に睡眠薬を飲んだのだろうと言う事だった。
実際に2人の体内からは睡眠薬の成分が見つかったそうだ。
現場に遺書がなかった事と、マユミのスマホからも自殺の意思を表す内容の物が見つからなかった為、自殺の原因は不明だが俺が疑われる事はなかった。
手紙の事はもちろん話さなかった。
結局子育ての悩みや保育園の保護者関係の悩みなど、マユミの心の弱さによる自殺であると片付けられる事になった。

それからは会社に忌引きの届けを出し、5日間の休みをもらい通夜、葬儀とこなさなければならなく、落ち着く間もなく日々は過ぎていった。
死亡内容が自殺と言う事で世間に知らせづらい事と、両親を亡くしていたマユミは親戚付き合いも希薄だったので、葬儀は家族葬で行った。
俺の方も両親との関係がよくなかったので、参加してくれたのは仲の良かった俺の兄だけだった。
兄にも本当の理由を話せなかったので、休みの間は俺を心配して毎日会いに来てくれて心苦しかった。

俺には霊感なんかなかったので、幽霊を見た事もなかった。
もちろん、亡くなった2人を見る事もなかった。
なかったのに、忌引き明けの出勤日の朝、突然その声は聞こえた。

「おはよう、あなた。
もう起きる時間ですよ」

最初は罪悪感と疲れによる幻聴だと思ったが、その声は一定の間隔で聞こえ止む事がない。
寝ぼけているのか?と思いながらリビングへ向かうと、今と同じ光景が広がっていたと言う訳だ。
いきなり霊感が目覚めたのか、死んだはずのマユミとリカの姿がそこにはあった。

ニコニコと笑いながら俺を見てくる。
何度目を擦っても消えない2人の姿に、夢や幻覚じゃない、これは2人が霊となってここにいるんだと何故か腑に落ちた。
自分に落ち度がある事もわかっているので、きっと俺に言いたい事があってそれが未練となってここにいるんだろうと、そう思った。
それでもこうやって目の前にいるマユミに、俺はどうしても聞かなければいけない事があった。
果たして幽霊から返答があるかはわからないが、俺は聞いてみる。

「マユミ、言いたい事はたくさんあるだろうけどまずは教えてくれ。
なんで、リカまで連れて行ったんだ?
俺が遺ったリカを大切にしないとでも思ったのか?
お前にもわかるはずだよな、リカは俺たちにとって何よりもかけがえのない存在だって事が」

そう言われ、ニコニコとしていたマユミの表情が一瞬曇る。
幽霊にも感情がある事を初めて知った。
そんな事よりも、やはりマユミにも俺の言わんとしている事がわかっているようだ。

「あんなに苦労して授かった、俺たちの宝物じゃないか。
お前がこうなった原因は俺にあるかも知れないが、リカまで連れていく事はなかったんじゃないのか…」

さらにマユミの顔が曇る。
と言うより、泣きそうな、困ったような表情になっていた。
何から説明したらいいものか、考えあぐねているようにも感じる。
俺がそう思いたかっただけかも知れないが。

俺たちの結婚は、順風満帆ではなかった。
両親を亡くし孤児だったマユミとの結婚を、俺の両親は祝福してはくれなかった。
唯一の味方は、マユミとの仲を取り持ってくれた俺の兄だけ。
マユミのいた孤児院は俺の両親が経営しており、年の近かった俺たちは小さい頃からお互いを意識し、成人を迎える頃に結婚を決めた。
しかし両親は猛反対、兄だけが味方をしてくれ、俺たちの住む場所の手配をしてくれた。
俺は両親と疎遠になり、兄とだけたまに会う程度になった。
そんな事もあり俺たちは2人の子供が早く欲しかったが、なかなかうまくいかなかった。
そして長い不妊治療の末に授かったのがリカだったのだ。
だから俺たちにとっては、リカは何よりも大切な存在だった。
それなのに。
俺の不貞が原因だとしても、子供に何の罪があるんだ?
俺を苦しませる為だけにリカを道連れにするなんて、マユミがそんな事をするなんて考えられなかった。

しかし、マユミは何も答えない。
対照的に隣で笑みを崩さないでいるリカに違和感を感じたが、その日はそれ以上2人に何かを聞く気にはなれなかった。
幽霊と話すのは初めてだったが、やたらと疲れる。
まるで自分の体じゃないような疲労感に、出勤する事もその日は諦めて眠る事にした。
会社への連絡を忘れていたが、妻と子を失ったと言う事で考慮してくれるだろう。
そして、そのまま何も変わらないままこの3日目を迎えた。

相変わらずニコニコと笑いながら同じ言葉を繰り返す2人を見ていると、やはり妙に疲れる。
2日間休暇を延長して寝ていたのに、疲労感は溜まる一方だ。
これがマユミの、幽霊の復讐なのか?と思うほどに、頭が、肩が、足が重い。
気がつくと出勤時間はとうに過ぎていた。
そう言えば、今だに会社からの連絡はない。
と言うか、スマホが見当たらない。
どこかで失くしたのだろうか?
この時の俺は、色々な事が一気に起こり過ぎて冷静に思案する事ができないでいた。

今日も寝るか…
そう思っていた時、玄関に人の気配を感じた。
誰だ?と思っていると、カタンと鍵が開く音がして誰かが家へ入って来た。
何故うちの鍵を?
考えているうちにその誰かは廊下を歩き、このリビングのドアを開けた。
兄だった。
俺を心配して来てくれたのだろう。
兄は俺の姿を見ると、驚いたような顔を見せた。

兄「お前、なんでまだここにいるんだよ」

会社から兄に連絡が行ったのだろうか。
出勤時間を過ぎても家にいるのでびっくりしたのだろう。

「その言い方はないだろ。
あんな事があったんだ、さすがにまだ仕事に行く気にはなれないよ…」

本当は仕事に行こうとしたけどマユミとリカの幽霊が出た、なんて言えるはずもなく最もらしい言い訳を言った。
幸いな事に、2人は兄がドアを開けた瞬間に消えてしまっていた。
しばらく何か考え込んでいた兄が口を開く。

兄「気持ちはわかるけどな、いつまでもここにいても何も変わらないだろう。
今はもう俺がしてやれる事はないが、どうするのが1番いいかよく考えてみろよ」

それだけ言うと兄はそそくさと帰ってしまった。
勝手な事言いやがって、とも思ったが2人からのアクションが何もない以上、このまま家にいても仕方がないとも思えた。

「会社、行ってみるか…」

すでに大遅刻で気は進まなかったが無断欠勤を続けてしまった事の謝罪もあるので、とりあえず会社に顔を出そうと思った。
それに、会社に行けばこの状況について相談できそうな奴がいる事も思い出していた。
いつの間にかまた現れた妻子の笑顔に見送られながら、俺は重たい体を引きずりながら会社へ向かった。

8日ぶりの出勤。
そう言えば髭を剃るのを忘れていたが、こんな状況なら皆も許してくれるだろうととりあえず自分の部署を目指して歩く。
すれ違う同僚達の反応がおかしい事に気付いたが、それも仕方のない事だった。
話しかけて来ないどころか目も合わせない人がほとんどで、たまに目が合った人もギョッとするか、気まずそうに目を伏せるばかりだ。
妻子を自殺させたと言う不名誉がそうさせていたんだろうが、それだけではない。
俺の社内不倫も、少し前から社内で噂になっていたのだ。
それに今回の事が重なり、腫れ物に触るように俺に声をかけて来る者はいなかった。

自分のデスクに着くと、机の上は物置のように書類が山積みにされていた。
無断欠勤の報いか、汚らわしい行為をした事への嫌がらせか。
身から出た錆とは言え、さすがに今の精神状況にはこたえる。
そのまま上司の元へ行く気にもなれず、とりあえずもう1つの目的を果たす為喫煙所へ向かった。
奴はそこにいるはずだ。

果たして奴はそこにいた。
何かにつけて喫煙休憩によく行くそいつは2つの意味で社内で煙たがられていたが、俺にとっては大学からの親友。
まあ、悪友ってやつかもしれないが。
若い頃はよく心霊スポットなる所へも散々行ったが、その時に奴がよく言っていた言葉。

俺には霊感があるんだよ。

その時はハイハイ、と受け流していたが、今は奴のその言葉だけが唯一の頼りだった。

「おい、浅野。
またサボりか」

いつもの感じで話しかけると浅野はビクッとしてから振り返り、俺を怪訝な顔で見つめた。

浅野「お前…」

俺はそんなに酷い顔をしていたのだろうか。
それとも、もう会社に顔を出さなくなるとでも思っていたのか。
軽いノリが取り柄の浅野にしては、珍しく慎重に言葉を選んでいるようだった。
さすがに親友がこんな状況ではさすがのこいつも気を使うのだろう。
そんな風に思っていると、浅野は思いもよらない事を言った。

浅野「お前…
何でこんな所にいるんだよ」

兄と同じ事を言われてしまった。
家にいれば会社に行けと言われ、会社に行けばみんなに無視され親友には何故来たと言われる。
いつの間にか、俺は皆に嫌われてしまったようだ。
親友の言葉にさすがにショックを受けたが、俺には聞かなければいけない事があった。
霊感があると言う、こいつにしか相談できない事。

「頼む、教えてくれ。
どうしたら幽霊の真意を引き出す事ができる?」

もっとちゃんとした聞き方があったかもしれないが、今の俺には簡潔に、すぐに正しい答えが必要だった。
そしてマユミとリカが葬儀の後から現れ、核心に触れる事がないままずっと笑っていると伝えた。
浅野は少し考え込んだ後、

浅野「とりあえずここは人目につく。
非常階段に出て話そう」

そう言うと喫煙所の横にある扉をあけ非常階段へと出る。
そこでタバコをひと吸いすると、ふぅ〜っと深く煙を吐いて俺に向き直った。

浅野「色々聞きたい事はあるけど、とりあえずお前の話を全面的に信じよう。
だいぶ切羽詰ってるみたいだからな」

「…悪い、助かる」

普段はこう言う時にふざけたりする奴だが、やはりそこは長い付き合いだ。
俺の様子を見て、事情などは二の次に信じてくれたようだった。
俺は、言いたい事があるから俺の前に現れているはずなのに、なぜ何も言って来ないのか。
どうすればマユミの未練を断ち切ってやれるのか。
今思うと、酷く自分本位な質問ばかりしていたと思う。
そんな情けない姿の俺にも嫌な顔もせず、浅野は答えてくれた。

浅野「幽霊は家に入れないって聞いた事ないか?
家って言うのは、生者が住む場所だ。
生きているってのは、それだけですごいパワーなんだ。
そんな生者がいる場所には自動的に結界のようなものが張られていて、霊と呼ばれる者たちは弾かれて入って来れないんだよ」

突然何の話しかと思ったが、浅野は続ける。

浅野「で、霊が家に入るには生者からの許可が必要ってのも聞いた事あるだろ?
中にいる俺たちがどうぞ、と招き入れれば結界は解かれ霊が入って来られるようになるんだ。
個人の対話でも同じ事が言える。
わかるか?」

「えっと…」

いきなりのオカルト話に俺がついていけないでいると、浅野はやれやれと首を振る。

浅野「個人でも、霊からすれば生きている限りすごいパワーがあるんだよ。
勝手に結界を張っているから、よっぽどすごい悪霊とかでもない限り向こうは言いたい事が言えないんだ。
マユミさんとリカちゃんが悪霊になったとも思えない。
それならまず、お前から心を開いて伝えなきゃならない事があるはずなんだ。
そうしなきゃ、マユミさんはいつまで経っても自分の想いを話せないままだ」

言われてハッとする。
俺は自分の聞きたい事ばかりで、自分がまずしなければいけない事を忘れていた。
マユミがこうなった原因。
それは全て、俺にあるじゃないか。
俺から全てを話し謝罪する事で、やっとマユミを受け入れらるんだと気付く事ができた。

浅野「わかったか、鈍感野郎。
すべき事がわかったなら、早く行ってやれよ。
こんな所にいる場合じゃないだろ」

吸っていたタバコを携帯灰皿へ入れ新しいタバコに火を付けながら、浅野は俺にしっしっと手を払う。

「ありがとう、浅野。
俺、行くわ」

俺がそう言って踵を返す為に振り向くと、後ろから浅野が言った。

浅野「どんな結果であれ、報告に来いよ。
色々聞きたい事もあるしな」

俺は片手を上げて応えると、上司への挨拶も忘れ家路を急いだ。

家に帰ると2人は朝と同じようにテーブルに向かって座り、ニコニコしながら

「おかえりなさい」

と言った。
俺は覚悟を決め2人の対面に座り、深呼吸をしてから口を開く。

「すまない、マユミ。
俺はお前を裏切った。
俺にとっては軽い息抜きのつもりだったが、お前がそれを知った時どう思うかまで考えが至らなかった。
本当に浅はかだった。
ごめん」

テーブルに額を擦り付ける。
どれくらいそうしていただろうか、何も言って来ないので言葉を続けた。

「お前達を死なせてしまった事は、全て俺の責任だ。
どんな罰でも受ける。
どんな話でも受け入れる。
俺の前に現れてまで伝えたかった事、教えてくれないか」

心からの言葉だった。
思えば、ここへ来て俺は初めて自分の心を曝け出して気持ちを伝える事ができていた。
それでも何の反応もないのでゆっくりと顔を上げると、相変わらずニコニコしているリカとは対照的に、マユミは氷のように冷たい視線を俺へと向けていた。
俺は心臓が、全身が凍りつく思いだった。
だけど、受け入れると決めたからには目を逸らずにその目を見つめ続けた。
それが今の俺がマユミにできる最後の誠意だからだった。

マユミ「私は、悲しかった。
とても苦しかった。
何故こんな酷い事をするの、と最期の瞬間までそんな気持ちでいっぱいだった」

語り出すマユミの口調は今まで聞いた事がない、冷たく抑揚のないものだった。

マユミ「でも、私にも罪がある。
だから、恨む気持ちはなかった。
それは本当。
だけど…

命が消える最後の最後に思ったの。
悔しいって。
これが、人間の本質なのね。
悔しくて悔しくて堪らなかった」

口調こそ淡々としているが、その瞳は炎を宿したように血走っていく。
恐ろしい。
しかし、受け入れなくてはならない。

マユミ「だからね、強く願ったの。
貴方にこれだけは伝えなければって。
たとて霊体になっても、貴方に伝えなければって。
あなたにも苦しんでほしいから」

そう言うと立ち上がりテーブルごしに俺の眼前まで顔を寄せながらマユミは言った。

マユミ「私達の葬儀が終わって最後の休暇日、貴方はあの女に会ったわね。
こんな事があっても貴方は、あの女に会う事をやめなかった。
本当バカにしてる。
薄っぺらい謝罪なんか反吐が出るわ」

さっきまでと違い、怒りに任せてマユミは捲し立てる。
リカは不気味に笑っていた。

マユミ「なんで急に私達が見えるようになったかわからないの?
貴方ね、最後にその女に会った日に事故を起こしたのよ。
2人とも緊急搬送されたみたいだけど、今でも並んで昏睡状態みたいね。
急に私達が見えるようになったんじゃないのよ。
自分が死にそうになってんのに気付いててない間抜けなあんたが、霊体だけでここにいるのよ!」

最後の方は叫びに近かった。
俺が、事故?
死にかけている?
信じたくなかったが、数々の腑に落ちる原因が思いあたる。
急に霊が見えるようになった事。
自分の体が自分の物ではないような感覚。
兄と浅野の、何故ここにいるという驚きの表情。
会社の人々の、まるで俺がそこにいないような対応。
恐らく、霊感を持ち合わせていた者だけに俺が見えていたんだろう。
俺がそれでも信じられないとばかりに俯いていると、マユミは顔を話し見下すように言った。

マユミ「あんたがどう思おうが私には関係ないわ、それが真実。
今は霊体だけど、まだ生きてるからあんたの心に入り込めなくて苦労したわ。
やっと対等になれたんだから言わせて貰うわ。

私達、不妊でたくさんつらい思いをしたわね。
不妊治療も上手くいかず、ノイローゼにもなった。
けど、リカを授かる事ができた。
あんたは本当に嬉しそうだったわね。

不妊の原因が、自分にあるとも知らずに」

マユミは口角をこれでもかと釣り上げ、今までで1番いやらしい笑みを浮かべながらこう言った。

マユミ「この子はあんたの兄さんの子よ。
あんたの子じゃないの。
だから、連れて行くわね」

そう言うとマユミはリカと共にけたたましく笑いながら消えていった。
リビングには俺1人が残される。
裏切る奴は、裏切られて当然って訳か。
兄だけが俺達を目にかけてくれ、うちの鍵を持っていた理由もこれで納得した。
傲慢な俺は初めから何も持っていなく、偽りの幸福さえも自分で捨ててしまっていたんだ。
住人を失ってしまった家のリビングで、男の乾いた笑いだけが響いた。

浅野「よう、来たのか」

俺は約束通り、浅野の元へやって来ていた。
もうこの世に未練はないが、最後まで俺を見捨てなかったこいつだけには挨拶しておきたかったから。

「ごめんな、浅野。
俺、ダメな奴だったよ。
誰の気持ちも理解できない、本当にダメな奴だったよ」

俺にはそんな権利もないが、涙が止まらなかった。
生きようとする力は、何よりも強い。
それを無くしてしまった俺は、このまま体に戻らずに消えて行くだろう。
からっぽだった自分の人生に、最期に初めて涙していた。

浅野「もう、消えちまうんだな。
最後に俺の所に来てくれて、嬉しかったよ。

なあ、なんで不倫なんかしたんだ?
社内でなんて、すぐバレるだろう。
リカちゃんの事も本当に大切にしていたのを知ってるし、俺には理解できないんだ。
最後に教えてくれないか?」

浅野に言われ、俺は全て話そうと思った。
浅はかな理由だけど、こいつならバカだなぁと笑ってくれるだろうと思ったから。

「相手から何回も誘って来たんだよ。
最初は断ってたけど、息抜きくらいしてもバチは当たらないって言われて、つい、な」

浅野「相手から誘われたのか?
断ったのに、何回もか?」

「ああ、死ぬ前に嘘なんか付かないよ。
本当にしつこく誘って来てさ、俺も段々まんざらでもなくなって…

ってもういいだろ、最後にこんな情けない事言わせるなよ」

浅野は悪い、と一言言った後に押し黙ってしまった。
なんだか気まずくなってしまって、俺は言った。

「とにかく、ありがとう。
お前だけは俺を見捨てないでくれた。
もう会う事もないけど、お前は俺みたいになるなよ」

浅野はハッと顔を上げて、下手な作り笑いを浮かべる。
泣いていたのだろうか。

浅野「ああ、元気でな、ってのも変か。
あっちに行ったら真面目になれよ」

浅野の言葉で、少しでも笑って逝けるのが嬉しかった。
沢山のごめんなさいと、親友へのありがとうが、俺の最後の記憶となった。

あいつが運ばれて行って少し経ってから、俺はまたICUへと戻って来ていた。
もう2度と会う事もないだろう、俺の友達「だった」奴の冥福を祈る事もなく、静かに眠る婚約者の枕元に立つ。

浅野「お前から何回も誘ったんだってな。
とんだアバズレが。
あいつは潔く逝ったぞ。
お前も…」

あいつの不倫相手が俺の婚約者だと知っている者は社内にはいない。
社内恋愛禁止だったからな。
奔放な女だったが、俺は愛していた。

浅野「更生の余地も残してやろうと思ってたが、あいつの奥さんまで死なせちまってはな。
もう、何もかも手遅れさ」

俺は、婚約者「だった」女の首に手をかける。

浅野「霊感なんて、面倒なだけさ。
願わくば、お前は化けて出るなよ」

誰にともなくそう呟き、俺は両の手にグッと力を込めた。

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計
毛利嵩志151515151878
大赤見ノヴ151715161679
吉田猛々171717171886
合計4749474852243