「向かいの住人」

投稿者:かめ

 

私の実家はN市内にある。
地下鉄終点の駅から歩いて10分ほどのところにあり、車の往来が多い道路に面した、
わりと賑やかなところだ。
実家周辺は昭和の新興住宅地だった名残の一軒家が立ち並び、少し古くなったマンションも林立している。
私の実家は築45年の二階建ての一軒家。
周囲も同じような家ばかりで、そのいくつかは幼馴染の家だった。
私は20年以上前に家を出て、今は実家から少し離れた町で妻と暮らしている。
実家には年老いた両親がいて、月に数回、様子を見に行っていたのだが、
昨年末に親父が他界し、葬儀後も遺品整理や母親の相手をするために頻繁に泊まり込むことが多くなった。
実家に泊まる時は、昔自分が使っていた二階の部屋に寝ることにした。
秋も深まったある週末、親父の遺品整理をしていたが、夕日が差し込んできたので区切りを付けようと手を止め、ふと窓の外を眺めた。
道路を挟んだちょうど向かい側に二階建ての一軒家があるのが見えた。
何の気なしにその家を眺めていたら、いつの間にかその家の玄関に若い女性が大きな竹ぼうきを持って佇んでいることに気が付いた。
「こんな夕方に玄関の掃除かぁ」
少し変わってるな、と思いつつその女性をしばらく見ていた。
女性はこちらに背を向けていて、顔はわからなかったが細身で黒髪を結って上げている感じ。女性の髪形に詳しくないが、良く和服の女性がやっている髪型っぽかった。
服装は淡い色のブラウスに長めのスカート、エプロンを付けているような感じで若い女性だな、と感じた。
向かいの家とは言え、交通量の多い広い道路を挟んでいるので割と離れており(歩行者が横切るのは危ないくらいの広さ)、細部までは見えなかった。
数分も見ていなかったと思うが、その日は作業をやめて母親と夕飯を食べるために階下に降りた。
翌日の朝、自宅に帰ろうと車に乗り込むと、ちょうど正面に昨日見た一軒家があったのだが、その家を見て少し違和感を覚えた。
昨日は夕方で気付かなかったが、その一軒家の外壁にはびっしりとツタが貼りついており、離れているから良くわからないものの、玄関にある小さな門にもツタが絡みついているように見えた。
「玄関を掃除するならアレも何とかすれば良いのに・・・」と思いながら車を発進させ、バックミラー越しにもう一度その家を見た。
すると、いつ出てきたのか、昨日見た女性がまた竹ぼうきを持ってその一軒家の玄関先に立っているのが見えた。
不思議なことにその姿は昨日見たのと同じ“後ろ姿”だった。
家に帰るころには、その家と女性の違和感もすっかり忘れており、実家から持ち帰った荷物の一部を自分の部屋に持ち込み、整理を始めた。
持ち帰ったのは、家族のアルバムやアルバムに貼っていない写真、手紙やハガキ、手続き書類などである。
アルバムを開くと、私がまだ小さかった頃のモノクロの写真が貼ってあった。
今は駐車スペースになっている玄関先に大きなタライを置いて、2歳くらいの私が満面の笑みでタライに入って水遊びをしている写真だった。
私の後ろにはまだあまり舗装されていない道路が写っており、その向こう側に・・・

私は少しゾッとした。

その写真には、私の後ろに小さく、昨日見た女性が昨日見たのと同じ、“後ろ姿”で写っていた。
「え・・・?」
何かの偶然なのだろうとも思ったが、あまりにも嫌な感じがして、私はアルバムの他のページをめくっていった。
自宅前で撮っている写真はそんなに多くは無かったが、それでも数枚は同じような構図で撮られた写真があった。
見つけた数枚はカラー写真になっていて、私も小学生低学年だったり、中学生だったり、成人式に行く前に撮ったものだったりしたが、そのどれにも「あの女性」が“後ろ姿”のまま写っていた。
見つけた写真をアルバムから剥がし、数枚並べると、その異様さが際立った。
女性は写真の端に小さく写っているのでわかりづらいが、姿勢や服装、竹ぼうきは全く一緒に見えた。さらに不気味だったのは、写真の構図がそれぞれ若干違うのにも関わらず、女性の“後ろ姿”が全く同じ角度に見えたことだ。

何十年も変わらずにあそこに立ち続けている・・・。
「たぶん人間じゃない」そう思わざるを得なかった。

もう写真をじっくり見るのも怖かったのだが、一つ、変わっている点を見つけて、再度写真を見比べてみた。

一番古いモノクロの写真だけ、写っている「家」が違うのだ。

女性が立っている正面のその「家」は、私が昨日見た家とは“形”が違う。
私が見たツタだらけの家は、四角い形、屋根も含めて四角い、割と新しいタイプの家だったが、一番古い写真の家は、昭和にあったような三角屋根の二階建ての家だった。
写真の何枚かは家が見切れていて端の方しかわからなかったが、新しい方の写真の一枚に全体が見えるものがあり、それを見ると家にツタは這っていなかった。

私は心の整理がつかないまま、写真を茶封筒に入れ机の引き出しに仕舞った。
次に実家に行くのは、また週末だ。
「あの家」に近付くのは気味が悪いが、近くまで行ってみたくもあった。
しかし、週末までにできることは何もないので、それ以上は深く考えないことに決めた。

月曜日からは「あの家」のことを考えないようにしていたが、仕事をしているときに、ふと「ストリートビュー」を見ることを思いついた。
「あの家」は当然ストリートビューにも写っているだろう。
そう考えると、怖さよりも好奇心が勝ってしまって、すぐにデスクのPCから検索してみることにした。
実家の住所を入れてマップを表示させ、「あの家」のあるところにカーソルを合わせる。
写真が表示される瞬間、「あの後ろ向きの女性が写っているかも」と嫌な予感がしたが、幸い画像には「あの家」しか映っていなかった。
画像で見ると、やはりその外壁はびっしりとツタに覆われていて、玄関についている小さな門もツタで開けることが出来ない感じだった。
庭木が上に無造作に伸び、表札もポストも色褪せて白くなっていた。
玄関の様子を見ても、誰も住んではいないのは明らかだった。

あの「後ろ向きの女性」は何者なのか?

「あれは人間じゃない」と一度は思ったものの、日常生活が始まると「そんなわけない」という気持ちも湧き上がってくる。
どこかモヤモヤした気持ちのまま数日を過ごし、また週末が近付いて来た。

金曜日の午後になって、スマホに妻から「お母さん連れてきているからね」と連絡が入った。
母が一人で寂しいだろうと妻が気を利かせて連れてきたようだった。

仕事を終え、自宅に帰ると妻と母が夕飯の支度をして待っていてくれた。
食事を終え、私は母に「あの家」のことを知っているか聞いてみることにした。
もちろん不思議なことは伏せてだが。

私が「母ちゃん、うちの道路を挟んだ向かいの家って知ってる?」と聞くと
母は少し考えて「ああ、あそこね~」と何か思い出したようだった。
「あそこはね、〇ちゃん(私のこと)が小さかった頃、火事になったんだよ」と話し、
「もう名前は忘れたけど、あそこの若い奥さんは〇ちゃんのこと“かわいい、かわいい”って言ってお菓子とかくれてたんだよ。あんたは覚えてないだろうね、2歳くらいだもん。」
と教えてくれた。
私は全く覚えていなかったが、「ああ、あの女性はその人なのか」と思って、母にどんな人だったか聞いてみた。
「その人って、スラッとした髪を上げている女性だったんでしょ?」
私がそう言うと、母は、キョトンとした顔で「え?違うよ。ふっくらした人で明るい人だったのよ。」と答えた。
私は母の予想外の答えに戸惑いながら、「え、そうなの?でも火事で亡くなったんだよね?その人、かわいそうだったね。」と言うと、またまた母は「違う違う、火事で家が燃えちゃったから家族で引っ越していったんだよ。どこに行ったかは知らないけど。」と笑って答えた。
私は掴みかけた手掛かりがあっさりなくなってしまって、訳が分からなくなっていた。
そして、私は母に今の「あの家」のことを聞いてみた。
すると母は、「あそこは火事の後、新しい家が建って若いご夫婦とお子さんが越してきたんだけど、しばらくして夜逃げか何かで誰もいなくなっちゃったみたいで、ずっとそのままなのよ。夜逃げするくらいなら売ればよかったのに、不思議よね。」と教えてくれた。
母が教えてくれた「夜逃げ」の話は、「近所の噂」で聞いただけということだった。

私は母の話でますます混乱しつつ、翌日は「あの家」に行ってみようと思い床に就いた。

翌日の朝、私と妻、母の3人で車に乗り実家に向かった。
実家に近付くと「あの家」が見えてくる。
私はドキドキしながら「あの家」の前に居るであろう「後ろ向きの女性」を見ることを覚悟した。

「あの家」の前に、「あの女性」はいなかった・・・。

ホッとしたと同時に「何でだよ!」と少し心の中で怒ってもいた。ある種、安心感から来たツッコミだったのかもしれない。

実家に車を入れ、妻と母が家に入るのを見て、「ちょっと散歩してくる」と言って私は「あの家」の前まで行ってみることにした。

思い返せば、子供のころから(記憶のある範囲では)通りの向こうの地域まで行くことは無かったように思う。通学路とは反対方向だし、友達が住んでいるわけでもなかったからだ。
「あの家」に向かうには、直接横断するのは危ないので、50mほど離れた場所にある信号まで歩かなくてはならない。
少し肌寒くなったのを感じながら横断歩道を渡り、向こう側へ着いた。
右手を向けば「あの家」が遠くに見えている。「あの女性」もいない。

周囲も明るく、人通りもそれなりにあって車も良く通るので、不安感や恐怖心はなくなっていた。明らかにおかしな写真のことなどは、すっかり忘れてしまっており本当にただの散歩の気分で「あの家」に近付いていった。

着いてみてわかったのだが、その「家」の両隣は割りときれいな一軒家で人も住んでいるようだった。ちょうど真ん中に挟まれた形のその「家」は、やはり1階から2階までびっしりとツタに覆われていて、ツタは玄関先まで這っており門も開けることは出来そうになかった。
表札はかすれて読めず、子供用の自転車も門の向こう側に見えているがそれにもツタが絡みついている。全体的にやはり異様な光景だった。
ただ、家自体はしっかりとした作りで清潔感さえ漂っている。
あまりじろじろと見るのも変だったので、最後にそこから私の実家の方を見てみた。
私の実家は本当に真正面に見えていて、2階の私の部屋の窓もしっかりと確認できた。
カーテンが無ければ部屋の中まで見えるかもしれない。
特に意識せず、記念にと思ってその「家」と私の実家をそれぞれ1枚ずつスマホのカメラで撮影し戻ることにした。

実家に戻り、その日は何事もなく終わり、翌日の夕方に妻と自宅に帰った。
帰りしなに「あの家」をバックミラー越しに見たが「あの女性」を見ることは無かった。
あれは何だったんだろうか、思い違いなのか。帰ったらもう一度茶封筒に仕舞った写真を見返してみようと思いながら車を走らせた。

自宅に帰り、妻と遅めの夕飯を済ませて自分の部屋に戻ってから机の引き出しに仕舞っていた茶封筒を取り出し、中に入れていた写真を確認する。

「あの女性」はやはり写っていた。勘違いや見間違いじゃなかったことでまた心に何か嫌な感覚が戻ってきた。
そういえば、今朝スマホで撮った写真は見返していなかった。撮る時には何も変なものは見えていなかったからだ。

スマホのアルバムを開いてみた。

「あの家」は今朝みたままの姿で、別段変わったところはない。
次に道路越しに撮った実家の写真を見た。
「背筋が凍りつく」というのはこういうのを言うんだろうか。

実家の手前に「あの女性」が立っていた。
私が初めて見た時と同じように“後ろ姿”のままで・・・

ただ違っている点が一つあった。
彼女の顔は若干上を見ている感じだった。
私の部屋を見ているようだった・・・。

何かとてつもない不安に駆られ、気が付くと実家の母に電話をしていた。
「何も変わったことはないか?」と聞く私に母は困惑したようだったが「別に何も変わったことは無い」と普段通りに答えてくれた。
内心はすぐにでも母を私の自宅に連れてきたいと思っていたが、もう日曜の深夜になるところだし、妻にも言えるわけもなく、ただただ母が心配で「しばらくうちに来てくれないか」と言うのが精いっぱいだった。

明日は職場に電話をして休みをもらおう。
母は高齢だし、妻は同居も嫌がらないだろうから、すぐに連れてきてしまおう、と決心した。
全ては明日だ。今晩だけは何も起こらないでくれ。

以上が夫のシステム手帳に書かれていた手記をまとめたものです。
夫はしばらく前に自室のドアノブにコードを巻いて頸をかけ、命を絶ってしまいました。
遺書らしいものを探すよう警察に言われ、この手記を見つけました。
夫が精神を病んでいたのか、心が疲れていたのか、私の目からは感じることは出来ませんでした。
この手記は、日記だったのか、創作だったのか、少し読みやすいように手を加えて投稿します。
夫に日記をつける習慣はありませんでした。

手記にあるスマホの写真も確認しました。
ツタだらけの家は写っていましたが、実家を撮影した写真には誰も写っていませんでした。

ずいぶん探しましたが机の中の茶封筒を見つけることは出来ませんでした。
ただ、机の上にモノクロの、夫の小さい頃を写した写真が1枚だけありました。

その写真には、道路の向こう側にたしかに小さく女性が写っていました。

でもそれは手記に書かれたように「後ろ姿」ではありませんでした。

夫を見つめるように、こちらを向いて立っていたのです。

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計
毛利嵩志151515121572
大赤見ノヴ151516151677
吉田猛々181716161784
合計4847474348233