「異食症って知ってる?」
トリッキーな角度で返答がきたので、ちょっと面くらってしまった。
あなたの知ってる1番怖い話聞かせて、って聞いたときに大体の答えは「特にない」なんです。
だからこの質問って期待しないで聞くんですけど、その彼女は引きの強い言葉で返してくれて、心躍りましたね。
ボク、フリーライターしながら趣味で怪談集めと、動画配信サイトに「きなこのしんぴのよる」ってアカウントで怪談動画を投稿してるんです。
いつか有名になってバーを開くのが夢なんですよ。
そのネタ探しというか、コンパに行った時にあんまりにも女の子との会話が弾まないもんだからダメ元で聞いてみたんです。
1番怖い話ある?って。
そしたら彼女が話してくれたんですよ。
異食症のお姉さん、サキさんの話。
どうもお姉さんの奇行に対しての愚痴が溜まりにたまっていたようで、次から次へと
「こんな異食症の姉は嫌だ」エピソードを話してくれるんです。
都内でショップ店員をしてるというその子はカナちゃんといって、大きな瞳が印象的なひとでした。
「ほんっとに気持ち悪い話だよ。ヒトコワってやつ?」
後日、居酒屋に来てもらって飲みながら取材って事で話を聞きました。
「異食症って変なもの食べちゃう病気だよね?」
正面に座っているカナちゃんに向かって、おぼろげな知識で聞いてみる。
「なんか、病気ではないらしいよ。異食病、じゃなくて異食症。だから。」
そんな豆知識はどうでもいい。
「異食症に関係する怖い話って事だよね?」
サキさんは、昔から変わった子だったらしい。
「あのひと、私がちっちゃい頃からほとんど喋ったところ見たことないし、いっつも1人で遊んでたのね。」
あのひと、という言葉に不快感が混じっているように聞こえる。
「その姉が異食症で、きもち悪いの」
カナちゃんの家は、両親とカナちゃんと3つ上の姉、サキさんの4人家族だった。
カナちゃんが物心ついたころには、姉は異様であることが普通だったそうだ。
「私の1番古い記憶って、3歳くらいの時のお昼ごはんの時だったと思う。」
カナちゃんは視線をやや下に向けて、目の前のテーブルに過去の記憶を写しているかのように話し始める。
「お母さんと私はおうどんを食べてて、私、隣に座ってたあのひとのお皿の中身が気になって、その茶色のなにかをスプーンですくって口に入れたらね・・・」
味が甦ったんだろうか、顔をしかめてグラスに残っていたレモンサワーを飲み干した。
「ジャリってして、味はしないけど地面の匂いが鼻の中いっぱいになったの」
元々、小さな口を更にキュッとむすぶ。
「あのひと、土食べてた。」
「え!?味つけなしの土?」
いや、味がついてればいいってもんでもないか。
「ほんとの、ただの土だと思う。そのあとはお母さんに台所に連れていかれて、吐き出して口の中をゆすぐように言われたんだけど。」
再び、目線を落としてその光景を思い出しているようだ。
「私はその後具合悪くなっちゃって、しばらく学校も休むくらいだったんだけど。その時も、あのひとはなにも言わずにずっと土食べてたんだよ・・・」
ね、気持ち悪いでしょ?と、明るいトーンに切り替えた彼女は、テーブル備えつけのタブレットにおかわりを打ち込んだ。
「お姉さんはいわゆる普通の食べ物は食べないの?あと、お母さんとかお父さんはお姉さんについて、どう捉えていたの?」
おお、なんか取材っぽい。
「基本的には、みんなと同じものを食べるんだけど。何ヶ月かに一回、1週間くらい変なものを食べる期間があるって感じかな」
スマホのボイスメモの動作を確認しながら続きを促した。
「お父さんもお母さんもね、その時期はなにもないみたいに普通なんだよね。普通にみんなで一緒にいただきます、って。でも、あのひとの食器には土とか、草とか、なにかわからない乾いた塊がのってるの」
「お母さんが無理に食べさせてる、とかじゃないんだよね?気を悪くしないで欲しいんだけど、その、虐待とか。」
家族内で、1人を標的にするのは虐待家庭でよくあることだ。もしかしたら2人は虐待のサバイバーかもしれない。
社会の闇!母は泣く娘に〇〇を食べさせた!みたいなサムネが捗りそうだ。
「うーん。虐待はないかなー。どっちかというとあのひとがお母さんに頼んで食卓にだしてもらってたし。」
頭の中に浮かんだサムネ案に大きくバツがついた。しかしながら、興味深い話には違いない。
カナちゃんの前には、先ほど注文したレモンサワーが運ばれてきた。マドラーで勢いよくかき混ぜると、底から泡が湧き上がってくる。それを見つめながら声のトーンを落として言った。
「きなこさん、あれはあのひとにとっては儀式なんだよ。」
儀式ですって?
呪いの儀式?召喚の儀式!?昂るなぁ。オカルトに儀式はつきものだよね!
ボクは好奇心を抑えつつ、追加の生ビールを頼んだ。
そこから彼女が話してくれたのは、気味の悪い儀式の話でした。
ぜんぶあのひとの妄想だけど、とカナちゃんは端々に挟みながら語りました。
サキさんは、ほとんど喋らない。
学校などには普通に通っていたが、今日なにがあったと話すこともないし、友達を連れてくることも全くない。
いつも帰るなり部屋に引きこもってしまうそうだ。
「だけどね、あのひと、部屋の中ではなにか喋ってるの。いつも。」
そして、彼女はその部屋の中で呪文のようなものを唱えたり、誰かと会話していたようだという。
そして、決して誰も部屋にいれない。
カナちゃんはそんな姉の姿を見て、儀式と表現したらしい。
お姉さんは日常的にそんな儀式めいた行動をとり、数ヶ月に一度くらいのサイクルで異食を繰り返すのだそうだ。
「両親もあのひとの儀式に口を挟んでも無駄って思ってたんだろうね。とりあえずあのひとの気が済むようにさせてあげてたから。」
ボクは、この部分に違和感を持った。
カナちゃんは、お姉さんのことを精神に異常をきたした厄介者であると認識しているが両親はどうなんだろうか?
愛する娘が、なにかの理由で心を病んでしまっている。
だから、望んでいる通りに土を食わせよう。
病気なのだから仕方ない。
果たして、そんな風になるだろうか。
単純に体に良いとは思えないし、なんとかそういった症状を抑える努力をするもんじゃないだろうか。
なんというか、儀式に対して協力的すぎる。
まるで、両親もその儀式に参加しているように。
「お姉さんの儀式は何が目的なのかわかる?」
カナちゃんは結露したグラスをおしぼりで拭いている。ちらっとこちらに視線を向けて、小さくため息をつく。
「私のためなんだって。」
カナちゃんが生まれてまもなく初めて家に帰ってきた時、サキさんは小さな妹に悪いものが憑いてしまっているのを見た。
サキさんは、幼いながらに妹を守りたかった。
ある日、サキさんは神さまから妹を救う方法を教えてもらう。
大事な妹に憑いている悪霊を祓うために、部屋にこもって何事か唱えつつ、土を食べる日々。
これをカナちゃんが物心ついたころから今まで続けているということだ。
「ね?ヤバいでしょ。だから私、あのひとのことずっと嫌いなんだ。」
確かに、そんな奇行を自分のためにやっていると言われてもありがた迷惑ではある。
放っておけば無害そうだが、恩着せがましい感じが嫌悪感を増大させるのか。
サキさんが本当に妄想に囚われてそんなことをしているなら。
純粋に妹のために頑張っているのに、妹から疎まれ、それでも妹を救う幻想に溺れているんだとしたら悲しい話だ。
カナちゃんも、ボクみたいな他人にこの話をするって事は、姉への複雑な想いがあるはずだ。
ここで取材はやめよう。
これ以上は家族のプライバシーに乱暴に立ち入る行為だ。
動画の再生数よりも、人として大事なものを、ボクは大事にしたい。
「あのひとはね、マジでおかしくなっちゃってるの。お父さんが死んだ時も、私の身代わりになったとか訳わかんない事言って・・・」
「え!?え!?お父さん、亡くなってる・・の?身代わりで?」
あれ?言ってなかった?ときょとんとしている。
「お父さんは事故で。お母さんはその3年後に病気になっちゃって、入院してすぐに死んじゃった。」
さらりと説明をして、次の話を始めるカナちゃんは酔っているのかやや早口になっている。
いい感じで締めようとしたんですけどね。
道徳心は好奇心には勝てない。
面白そうな話なら不謹慎でもなんでも聞きたい!って勢いで更に前のめりになる。
「お母さんのお葬式で、すっごい久々にあのひとが話しかけてきたと思ったらね。」
(お父さんとお母さんは、カナを呪いから守ってくれたんだよ。これからは私が絶対守るから。)
「だって。親の葬式で何言ってるのって思ったよ。ぜーんぶ妄想。妄想の中で勝手に生きてるひと。全然理解できない私の1番怖い姉の話!」
気づけば、グラスを数杯空けていたカナちゃんは口調が怪しくなってきていた。
今日はもうお開きにしたほうが良さそうだが。
両親の身代わりの死。私が守るというサキさんの言葉。
気になる事が多すぎる。
頰杖ついて半分寝ているようなカナちゃんが呟いている言葉が、ボクの耳を貫いた。
「あのひとは、狂ってるの。本当の異常者。骨なんか食べて・・・」
「・・・骨?それって誰の?」
肘をついて両掌の上にアゴを乗せた姿勢で、カナちゃんがボクを見ている。
こんな話の途中じゃなきゃ、かわいいな〜なんて思うような仕草だけど今はその姿こそ不気味に感じる。
「あのひとのワガママで、お父さんとお母さんのお骨は家で供養してるのね。それで、たまに夜中あいつがゴソゴソしてるからこっそりみてみたんだけどね。」
電気もつけずに暗い仏間の中。
音がしないようほんの少し空けた襖の隙間から覗くと、姉がこちらに背を向けて正座している。
位置的に陰になってはいるが、おそらくサキさんは両親の遺骨の入った骨壷を目の前に置いているようだ。
カサカサと乾いた音を鳴らしながら、蓋に被せた半紙を剥がす。
蓋を開けると、静かな空間に陶器のぶつかるカチャンという音が響き、消えていく。
何事かを呟くぶつぶつというか、ぼそぼそという声が聞こえる合間に。
・・・。
カリッ・・
ゴリゴリ・・パキンッ!
カリンッ!パキパキ・・・
背を向けたサキさんの首の辺りから、ある種小気味の良い、それでいて本能的に不愉快な音が聞こえてくる。
その音に混じって、微かな咀嚼音。
その音に合わせて、小刻みに揺れる背中。
「私、なんかすっごいムカついちゃって。あのひとに怒鳴ったんだよね。き〇〇〇って・・・」
やはり酔いがまわっているようだ。
語尾がムニャムニャと怪しくなっている。
「だからね、あのひとに会ってみてくれない?」
え!?ムニャムニャ言ってる間にどうなったらそうなるの?
「きなこさん、お化けとか詳しいんでしょ?あのひとが言ってる私に憑いてる何かとか全部妄想だって言ってやってよ。」
遺骨を喰らう女に、会う?
そもそも、まともに会話ができるのかしら?
「あのー、サキさんって意思の疎通は可能なの?」
「最初に言ったでしょ。あのひとは病気じゃないの。話しかければ反応はするわ。別に廃人って訳じゃないから。」
思ったより強い調子で反論めいて返されたから意外だった。
確かに、ボクの発言も身内の正気を疑うような物言いで不用意だったと反省したけど。
あんなに嫌っているサキさんのことでも、貶されたと感じて怒るんだな。
「あれ?カナちゃん?ちょっと起きて!」
カナちゃんの反応が気になって考え事をしていた隙に、本人は横になって寝息を立て始めている。
まいったなぁ。
なんとかカナちゃんを担いで外に出ると、ちょうど目の前に空車のタクシーが停まっていた。
助手席側から運転手に合図を送ると後部座席のドアが開く。
「カナちゃん、住所言える?」
タクシーにカナちゃんを詰め込んで、開いたままのドアに手をかけて問いかける。
「んん・・そちらの金魚はサイズが、S、M、おっきい、となっております。」
どんな夢見てんの?なんでLじゃないの?
「お客さーん、あんまり酔っ払ってるようだと降りてもらいたいんですけどー。」
アワアワしてたら、カナちゃんがグイッとボクの腕を引っ張る。
「一緒にきて」
必然、彼女の横に座る形になるとドアが閉まって、タクシーは出発した。
仕方ない。
虎穴に入らずんば虎子を得ずともいうし、こうなったら骨を喰う女に直撃インタビューだ!
好奇心は猫をも殺す、とも言いますけどね・・・。
元々カナちゃんの自宅の最寄り駅で集まっていたから10分もかからず彼女の家に到着した。
かなり大きな日本家屋で、敷地をぐるりと囲む塀には「天道道場」の看板を掛けたら似合うような立派な門を構えている。
「カナさん、お嬢様だったんですね。あ、お荷物持ちましょうか?」
「なんで敬語?家見た途端に態度変えるなし!」
少し休んで回復したのか、元気に突っ込んでもらえて、緊張感が和らいだ。
通用門を通りぬけ、石畳の先に大きな母家が見える。その周りは照明で明るく照らされていて拍子抜けするくらい普通の家だった。
もっとおどろおどろしい雰囲気を期待してたのに、これじゃただの建もの探訪だ。
「いやぁ、いい家ですねぇ〜。」
「そう?広いだけの古い家だけど。」
灯篭や倉らしき建物の風情を褒めちぎりながら母家の前まで来て、ふと縁側の正面にある池が気になった。
池の真ん中に朱い鳥居と御社が鎮座している。
「あの御社って、家神さま?」
ボクが指差す方向をカナちゃんは見ないで、やや苛立った様子だ。
「アレが、あのひとの神様だよ」
なるほど。サキさんの異常行動の根源はこの神様からのお告げってことか。非常に興味深い。
近づこうとしたボクの腕を引っ張って、カナちゃんは家の中へ招き入れてくれた。
これまた明るい玄関を上り、応接間に通されると。
「じゃ、私シャワー浴びてくるからゆっくりしてて。」
と、言い残しカナちゃんは部屋を出ていってしまった。
手持ち無沙汰で部屋の調度品を眺めながら
「良い仕事してますねぇ〜」なんて鑑定士ごっこをしていたら、背後から声を掛けられた。
びっくりして、持っていた高そうな壺を落としそうになりながら振り向く。
「驚かせてしまってすみません。カナのお友達ですか?」
肩口までの黒髪は烏の濡れ羽色、と言うんだろうか艶めいている。
カナちゃんより切長の目をしているけど、輪郭や造りが似ている。
「あ、あの、すみません。夜分に急にお邪魔しまして。あ、カナちゃんはシャワーを浴びるっていっちゃいまして。」
しどろもどろで壺を置き、改めて自己紹介をする。
「フリーライターのきなこと申します。今日はカナさんに取材をしてたんですが、流れでお宅に押し掛ける形になってしまって、ホント
遅くにすみません。」
弁明がましい言葉を聞く彼女は、柔らかな佇まいを崩さず、妹がご迷惑を・・とボクを気遣うように言ってくれた。
サキさん、だよな?
話から想像していた姿とは似ても似つかない姿。
「あら、気づかずにすみません。今お茶を持ってきますので楽にしててください。」
パタパタとスリッパを鳴らして女性は廊下の奥へ消えていった。
常識人だ。ボクなんかよりずっと。
見た目も普通、と言うか綺麗だ。
顔の造形ではなく、立ち振る舞いや仕草から気品を感じるような。
どういうこと?
あの綺麗な女性が、何年も奇行を繰り返して妹から蛇蝎の如く嫌われているとは想像がつかない。
いや、だとしてもここまで来て手ぶらで帰れるか!直接対決で遺骨ボリボリ女の真相にせまってやる!
気合いを入れ直して、座椅子の上で背すじを伸ばす。
「いやー。それでね。ボクもね、分かってるんですよ。このまま細々とライターと動画配信してていいのかって・・・。」
サキさんが入れてくれた昆布茶とお茶請けの梅干をいただきながら、気づけばボクは人生相談をしていた。
対決する意気込みは、何処へやら。
すっかりサキさんに慰められ、籠絡されてしまった。これって、霊障?
「もうこんな時間か。そういえばカナちゃん遅いですね」
昆布茶を注ぎ足してくれているサキさんに聞いてみると、彼女はボクに視線を向ける。
「そうですね。でもきなこさん。カナがいない方が聞きたいことが聞けるんじゃないですか?」
そうだった。目の前にいるこの女性は取材対象だった。ボクの将来への不安を慰めてもらってる場合じゃないのだ。
「カナから私の話を聞いて、会いにいらしたんですよね。」
サキさんから水を向けてくれたのはありがたい。
「カナちゃんからは、サキさんはほとんど一言も発さず自室に篭っている、と聞いていたんですが。」
これまで散々会話した後に聞くのも奇妙だけど、そこの食い違いがまずわからない。
「カナにとっては、そうなんでしょう。確かに出来るだけカナとは接しないようにしてますから。」
という事は、サキさんは話さないんじゃなくて、カナちゃんとは話せないってことか。
「カナちゃんの最初の記憶は、サキさんの食べていた土を食べたことだそうです。なんで土やら草やらを食べるんですか?」
「我家の祀る家神は不浄を嫌います。近づきすぎる事のない様に、祭祀の際には不浄のものを体に入れてこちらとあちらを分けるんです。」
短い時間だけど、サキさんと話していて確信したことがある。彼女は異常ではない。
しかし、カナちゃんが嘘をついているとも思えない。
それぞれが真実を語っているのに話が食い違うなら、そこには原因となる異物が混入しているはずだ。
「カナは私のことなんて言ってました?」
まっすぐにこちらを見つめて問うその目は、やっぱり妄想に囚われ錯乱しているようには見えない。
「カナちゃんに取り憑いてる悪霊を祓うために奇妙な儀式を繰り返している、と。」
もし話が逆転するとしたら。
「サキさんには本当にソレが視えているんですよね?」
初めてサキさんは視線を外して、宙を見つめた。思案する彼女の眉間に僅かに皺がよる。
「アレは蛻(もぬけ)と呼ばれています。」
庭に見えるあの御社に目をやって、呟いた。
「私たち一族はここで蛻の内空(ないくう)を祀り納めています。カナに憑いているのは外空(げぐう)と呼ばれる蛻の荒み魂です。」
おかしな言い方をする。それじゃまるで・・
「内空は家に繁栄をもたらします。一方で、外空は贄を求めます。蛻は空虚の神です。」
じゃあ、カナちゃんは神の生贄なのか。いや、流石にこれはサキさんの妄想なんじゃないだろか。
キシ・・
キシ・・・
廊下から足音が聞こえてきた。
カナちゃんが風呂から上がってきたようだ。
サキさんがハッとした様子で、半紙に包んだ何かを取り出しボクの顎をガッとつかむ。
「口を開けて」
ポカンと開けた口の中に、ジャリジャリしたものを流し込まれる。土だ。
「絶対に吐き出さずに、出来るだけ呼吸を抑えてください。蛻が近づいてきたら息を止めてください。」
あまりの剣幕に、黙ってカクカク頷く。
サキさんは身を固くして、部屋の入口を睨んでいる。恥ずかしながらボクはサキさんの後ろに隠れていた。
「ゔるぅるるるる・・」
獣のうなりのような声をあげながら、カナちゃんがゆっくりと部屋に入ってくる。
お風呂上りの良い匂いと共に、濡れたままの髪をダラリと垂らして大きな目を更に見開き白眼を向いている。
「るるるるる・・・」
キョロキョロと何かを探す様に部屋の中を彷徨くカナちゃんには、ボクたちが見えていないようだ。これが神様?化け物だよ、こんなの。
「ピーヒョロ〜」
恐怖で涙が溢れて、詰まった鼻から妙な音が出てしまった。
グルンとこちらに顔を向け、舌を出してハッハッと歓喜の表情を浮かべたカナちゃんがボクの目の前まで顔を近づけてくる。
両手で鼻と口を抑えて必死に息を止める。
舐め回すようにボクを見るカナちゃんの白眼には黒い小さな蛇が無数に這い回っている。
それは時たま呪詛の文字となり白眼の中で踊り狂う。
怖い怖い!土が喉に詰まっちゃう。耐えろボク耐えろ。無理無理。土、吐く・・・
シャリン!
庭から鈴の音が響いてきた。
シャリン!シャリン!シャリシャリシャンシャンシャン・・!
カナちゃんは舌を垂らしたまま、庭の方へと降りていく。池の御社から聞こえる鈴の音に操られているみたいだった。
人差し指を口にあてて「しー」のジェスチャーのままボクを起こしてくれたサキさんに手を引かれて、廊下の奥の部屋に避難する。
たぶん、ここがサキさんが誰も入れないという部屋だろう。
「外空はここには入れません。内空の祭祀を行う場所なので」
広くて清潔な部屋の中央に白木造の祭壇が置かれている。飾りもない質素なものだ。
祭壇の脇に、白い陶器の壺が見える。
「あの、カナちゃん。カナちゃんどうなっちゃったんですか?」
「外空は空虚を埋めるために人から魂をすすります。私たち一族は、蛻を祀り贄を捧げて繁栄してきたんです。」
切羽詰まった様子のサキさんの言葉に黙って聞き入る。
「私は幼い頃から、蛻の巫女として内空を祀っていました。そして、カナが生まれた時に、あの子が贄なんだって分かったんです。外空の贄の役割は、人の魂をすすり腑をすすり、内空に捧げる事です。」
サキさんが、祭壇に向かって座る。
「今は外空の祭祀の時間です。今のうちに逃げてください。これを。」
手のひらにのせられたもの。骨ですね。
「先ほどと同じ様に口に入れて、噛み砕きながら外空に見つからない様に」
「ちょっと待ってサキさん!このまま、何もわからないままで帰れませんよ!カナちゃんは大丈夫なんですか?アレが神様なんですか?化け物の力で繁栄って何?もうやだよ!この骨なにぃぃ・・・?」
めちゃくちゃに怒鳴った後、泣きながら渡された骨の欠片を投げようとした。
サキさんはボクの手を握り、骨を摘んでボクの口に入れる。
「ごめんなさい。きなこさんは巻き込まれただけなのに。でも、全ては話せません。」
ボクは思い切りサキさんを睨む。が、それよりも何倍も強い決意を込めた視線を返されて黙るしかなかった。
「カナは何も知らないんです。贄の子は、外空に操られて人を誘い内空に捧げる。きなこさんは今日選ばれてしまった。もう次は私かあの子の番なんです。」
つまり今日カナちゃんはボクを殺して魂と腑すすろうとしてたって事ですか?
言おうとして、言うのはやめた。
凡人のボクが神事に口出しは出来ないと、思ってしまったから。
「私が全て滅します。それが最後の当主の務めです。」
シャン。
シャン!
シャン!!
シャリシャリシャリシャリン!シャシャシャシャシャン!!
サキさんの言葉を賞賛する様に、蛻の社から鈴の音が鳴り響く。それは巫女が自らの命を捧げる事への祝福なのか、死刑宣告なのか。
サキさんが固めた決意。彼女の一族が続けてきた因習、他所から他人を連れてきて邪神に捧げる儀式を終わらせるつもりなんだ。
「父も母も、吸われて失くなってしまったんです。腑も魂も。カナに他人を手にかけさせないようにと。」
口の中はカラカラに乾いているのに、舌の上の骨はしっとりと濡れている。
「蛻の加護を受けた者の骨は、外空から姿を隠せます。噛み砕いて」
ボクの両頬を爪が食い込むほどにサキさんが掴む。
パキッ、ガリ、ジャリッ・・・
「そのまま走って。この事は忘れてください。」
背中を、パンと叩かれた勢いで走り出していた。
石畳を駆け、門を抜け、ただがむしゃらに走り続け、涙と鼻水まみれで最寄りの駅に辿り着いた時に、へたり込んで口の中のものを吐き出した。
欠片で切ったみたいで、少し血の混じったそれはピンクがかって肉塊のように見えた。
この話は、これ以上の詳細は分かりません。
真相を知る人は誰もいなくなっちゃいましたので。
あの後、サキさんは蛻の社と母家に火をつけて、儀式の間で亡くなっていました。
あの家から飛び出すボクが監視カメラに映ってたらしく、警察に何度か取り調べを受けたけど捜査の結果サキさんが妹との無理心中を計った放火だったと結論付けられた。
カナちゃんは、蛻の社の前で気を失っていたらしく、病院に運ばれ命に別状はなかったんですけど。
一度だけ、入院していたカナちゃんに会いに行ったんです。
カナちゃんはベットに横たわって、何も言わず何も反応せず。
病院の話では、極度のストレスにさらされたからか、脳が萎縮してスカスカになってしまってると。
後味の悪い話ですみません。
骨食べるとか、放火で無理心中とか、動画にしにくい話なんですけど、今日は聞いてくれてありがとうございました。
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最後に、
「蛻は魂と腑をすする」
サキさんの言葉が思い出される。
カナちゃんは外空に魂を吸い尽くされたのかもしれない。
それとも、サキさんが命を賭けて蛻を滅っした事で、蛻の半身となっていたカナちゃんは魂を失ったんだろうか。
どちらにしても、救われない話ですよね。
だって、カナちゃんのあの姿。
本当に「もぬけの殻」って感じだったんです。