「母性」

投稿者:半分王

 

私には、普通の人にはない変わった能力があった。
それは対象に向かって意識を巡らせる事で、相手の前世がわかるというもの。
この前世と言うのは今生きている人生の1つ前の人生の事で、それがまるでビデオ映像のように脳裏に流れて来る。
見ることができる映像はその人の今世に関わりが深い事柄である事が多く、映像が鮮明に見えるほどその人の今の人生に与える影響が大きい事も多くの相談を受けるうちにわかってきた。
そのほとんどは自覚がなく影響を受けているケースが多く、高所から落ちて大怪我をした人が今世で高所恐怖症だったり、前世で食物アレルギーで苦しんだ人が病院の検査では異常がないのにその食品を口にすると蕁麻疹が出るとか、

「よくわからないけどこうなっちゃうんだよね」

と言うレベルのものは日常茶飯事で、今を生きるほとんどの人に前世と言うものは何かしらの影響を与えている。
大抵は「ちょっと嫌だけど、まあしょうがないか」と思って流してしまえる内容がほとんどだが、中には今世への影響が強すぎる記憶も存在する。
大きいくくりになってしまうが、それは罪と、愛。
罪とはそのまま殺人や暴行などがわかりやすくあり、加害者も被害者も等しく忘れられない記憶になりやすい。
愛の記憶の方は恋人や片想いの相手、親や子など執着の気持ちが強く残ってしまう為に後世に影響が現れやすい。
私は人生を通して大勢の前世の記憶に悩む人達の話を聞く事になるのだが、これは私がそうなる「きっかけ」となる出来事の話だ。

「あなた、前世が見えるってほんと?」

高校に上がった私は、クラスで数人いた中学の時の同級生と集まっている時に知らない女子から話しかけられた。
登校初日、いきなり前世なんて言葉を切り出された私にクラスの注目が集まる。
私がなんと答えればいいか思案していると、

「ねぇ、どうなの?
知り合いから聞いたんだけど。
前世が見えるの?見えないの?」

彼女は畳み掛けて来る。

「と、とりあえず廊下に行こうか」

私は慌てて彼女を促して廊下に出た。
彼女は無表情のままついて来る。
クラスの注目が痛い。
この頃はなるべく人に能力の事を言わないようにしていた私にとっては迷惑な話だ。
HR前のわずかな時間の為、私は核心に切り込んだ。

「君は前世の記憶があるの?」

私に前世の事を聞いて来ると言う事はどこからか私の能力の事を聞いて来たのだろう。
だから私は前世を見る事ができる事を認めた上で聞いてみた。
少しだけ目を伏せた後、彼女は答える。

「…少し、困ってる事があるの。
それが前世の記憶なのか、ただの夢なのか、私にはわからないの。
あなたには何か見える?」

試されている。
そう感じたが、先ほどから流れ込んで来ている映像が彼女の今世に影響を与えているのだとしたらあまり良くないと感じたので、見たままを伝える事にした。

「若い母親と、赤ん坊」

私が答えると彼女は悲しそうに一瞬目を瞑った後、ふっと笑った。

「驚いた、本当に見えてるんだね。
少し疑ってたけど私を見てその情景が見えるなら、本当に前世の記憶なんだね。
今は時間がないから、放課後に話を聞いてもらってもいい?」

私がああ、と答えると彼女は

「1年4組、早瀬マコト。
よろしくね」

それだけ言うと自分のクラスへ戻って行った。
正直言うと、重たそうな記憶が見える相手にはあまり関わりたくない。
けれど、彼女の目を見た時から私は断る事など考えられなかったように思う。
今思えば初恋ってやつだったかもしれない。
そしてこれが、私にとって人生初の過去に取り憑かれてしまった人間との出会いだった。

放課後、友人達に適当な言い訳をして早瀬の元へ向かった。
自分のクラスの廊下にいた彼女に声をかけると、あまり人に聞かれたくない話だからと屋上への階段の踊り場に向かった。
別に彼女に特別な感情はない…少なくともこの時の私はそう思っていたが、なんだか妙に緊張しながら彼女の言葉を待った。

「今日はごめんね、いきなりあんな事聞いて。
でも、あの夢を見始めてからだいぶ時間が経って、このままだと何かよくない事が起こりそうで…怖いの。
この夢が前世の記憶なら、あなたならどうすればいいかわかると思って」

朝の凛とした彼女とは違い、今は不安に押しつぶされそうになっているようだ。
確かに私が朝見た映像を夢として見ているとしたら、彼女の精神は相当疲弊しているだろう。
きっかけは様々だが、ある日突然前世の記憶を夢と言う形で思い出してしまう人は稀にいる。
しかし私の経験上、思い出してしまうと言う事はそれだけ影響の強い記憶と言う事になる。
さらに気が重くなるのを悟られないようにしていると、彼女が私の顔をじっと見ている事に気がついた。
見えているものを全部話せ、という事らしい。

「俺に見えているのは、若い母親と泣き続けてる赤ん坊。
父親は見えないな。
それで…」

「母親はひどい顔をしてるね。
げっそりして、髪も乱れてて…
実際見た事はないけど、多分…」

育児ノイローゼ、と言うやつなのだろう。
彼女が同じものを見ていると思うと言いづらい。
すると彼女から口を開く。

「育児ノイローゼだよね、あれって。
赤ちゃんをすごく怒鳴ったかと思えば、泣いてても無視してボーっとしたり。
あの母親は、うまく赤ちゃんを愛する事ができなかったんだと思う。
父親が夢に出る事がなかったから、きっとずっと1人でつらかったんだよね。
だけど…」

同じ女性として、夢の母親に思う事もあるんだろう。
だけどその先、母親が進んでしまう道は決して許されない事だ。
私に見えていた親子の末路は、母親による心中。
彼女はそんな夢をある時から見るようになったのだ。

「去年、弟が生まれたの。
すごく可愛くて、お母さんもすごく幸せそうだった。
だけどその後すぐお父さんの浮気がわかって、離婚しちゃって…
それからお母さん、変わっちゃった」

なるほど、きっかけはそれか。
夢の母親はシングルマザーで頼れる人もいなくて、孤独によって病んでしまった。
それで自分の子供を愛する事もできなくなって…
偶然にも状況が重なってしまい、早瀬のお母さんは前世の記憶を思い出してしまったんだろう。
そして、その夢を早瀬も見ているという事は。

「あの殺されちゃう赤ちゃん、私だよね。
何回も何回も夢を見てるうちにわかったんだ。
お母さんと私、前世でも親子だったんだね。
だから、このままじゃ同じ事になっちゃう。
そうでしょ?」

早瀬は泣きそうになっていた。
こんなひどい偶然があるだろうか。
前世と同じ苦しみをまたこの親子に与えると言うのか。
私は初めて、理不尽な前世の因縁に怒りが湧いていた。
そして、早瀬とお母さんを前世の繋がりから助けたいと思った。
だから早瀬を、自分を奮い立たせるように言った。

「早瀬とお母さんが前世の事で苦しんでるのは事実だ。
だけど、それに囚われてしまってはダメだ。
今のお母さんには早瀬がいるだろう?
早瀬には可愛い弟がいるだろう?
孤独な悲しい結末を繰り返してはダメだ。
君が、お母さんを支えるんだよ。
お母さんも弟も、独りにしちゃダメだ」

自分でもびっくりするくらい、言葉がスラスラと出た。
それは全部私の本音で、過去に負けて欲しくないと言う心からのエールでもあった。
そして、この親子が健やかに今世を生きられるように本気で願った。
泣きそうなっていた早瀬もキョトンとした顔になっていて、その後ぷっと小さく吹き出した。

「あなた、思ってたより熱いやつなんだね。
なんだか意外。
あなたの事を教えてくれた人から聞いた印象とだいぶ違うんだもん」

勢いで言ってしまったとは言え、そんな風にに捉えられたのかと少しだけ恥ずかしくなった。
今日会ったばかりの相手にこんなに肩入れするなんて、自分でも不思議だった。
そう言えば私の能力の事を知り合いから聞いたと言っていたが、一体誰から聞いたのだろう。
この能力の事はやはり嘘つき呼ばわりされる事も多かったので、基本的には仲のいい友人など心を許した人にしか教えていなかったから。
さっきの熱弁の照れ隠しもあり、私は話題を変えてみる。

「そう言えば、知り合いって誰から俺の事を聞いたの?
あまり人に言う能力でもないし、今はもう本当に信頼してる人にしか話してないんだ。
自分で言うのもなんだけどだいぶ胡散臭い能力だしね」

胡散臭い、と言う部分に2人て笑った。
少しだけ彼女に笑顔が戻った事で、俺は安堵した。

「私がこの夢を見るようになってから、お母さんと一緒に弟の検診について行った時よ。
その頃はもうお母さんも私もだいぶ疲弊していて。
2人が診察室に入った時に1人でボーっとしていたら、1人の看護師さんが話しかけてくれたの」

そう言うことか。
あのおせっかいめ。

「私、ひどい顔をしていたのね。
少しまいっていたのもあって、初対面の人なのに夢の事、家庭の事を話してしまったの。
そうしたら、是非息子に聞いてみなさいって言われたの」

やっぱり母さんだ。
この能力の事を知っていて、人の為に役立てろっていつも言っていた。
見るだけで助言くらいしかできないし、信じてもらえない事も多いのでなるべくこの能力で他人と関わるのを避けていたこの頃の俺にはいい迷惑だったが。
それで名前を聞いて、同じ高校だと言う事を聞いて俺に話しかけて来たと言うわけか。

「あまり積極的に関わろうとはしないけど、きっと話は聞いてくれるって。
朝話した時もそんな印象だったけど、他人の事にあんなに真剣になれる人なんだね」

そうなのだろうか。
きっと、前世の因縁が今世の生き死ににまで影響を与えようとしているのが許せなかったんだと思う。
彼女も母親も、そんなものに囚われずに幸せになっていいはずだと。
だから私は、彼女を支える事に決めた。
いつでも話を聞き、彼女に寄り添おうと思った。
若造だった私にできる事はそれだけだった。

それからは学校でも話すようになったし、家にいる時も電話で話すようになった。
友人達は変に勘繰ってニヤニヤしたりしていたがからかってくる事はなかったし、母さんは私が誰かの支えになろうとしている事が嬉しいようだった。

「私が家の事や弟の面倒をみるようになってから、お母さんが少しずつ元気になってきたわ」

「夢を見るようになってから話すのが怖かったけど、少しずつお母さんとの会話も増えて来たよ」

「今日は私が1人で弟を見ているの。偉いでしょ」

彼女は本当に立派だったと思う。
高校生になったとは言え、自分もまだ子供だ。
それなのに、過去の通りにならないように必死に家族がうまくいくように頑張っていた。
俺には話を聞いてあげる事しかできなかったが、早瀬にとってそれは大きな支えになっていたと思う。
彼女が夢を見なくなるまで、私はずっと支えて行こうと思っていた。
彼女の頑張りで、少しずつお母さんの状態も良くなって来た頃。
早瀬がよく疲れた顔を見せるようになった。
話を聞く限り家庭環境は良くなっていってるようだったので、私は不思議に思いある日彼女に聞いた。

「なぁ早瀬、最近何かあったのか?
随分と疲れた顔してるけど」

すると彼女は疲れた顔に無理矢理笑顔を作り、こう言った。

「何もないよ、大丈夫!
お母さんも元気になって来て、まえにみたいに普通に話せるようになったし。
私が弟を見ていられる時間はパートにも行くようになったんだよ」

えっへんと得意げに話す彼女だったが、やはりどこか無理をしているように見えた。
それに、いくら数時間だとしても16歳の彼女が1人で赤ん坊の世話をするなんてかなりの無理をしているはずだ。

「でもそれって、早瀬にかなりの負担がかかるんじゃないの?
お母さんとの関係が改善する前に、早瀬が倒れたら意味ないよ」

我ながら意地悪な事を言ってしまったと思った。
彼女が前世の不幸をなぞらないように頑張っているのは、私が応援するなどと言ってしまったからなのに。
支えると決めたんだから、彼女が過去から解き放たれるまで見守らなければならなかったのに。
その時の私は目の前のやつれた彼女が心配でそこまで気が回らなかった。
彼女が少し困ったように言う。

「でも、私が頑張らなきゃ。
赤ちゃんの面倒を見るのは大変だけど、この先みんなで幸せに生きたいから、頑張らなきゃ」

何かしてあげたいと思うが、私には無理しないで、と言うくらいしかできなかった。
彼女はいつも話を聞いてくれてありがとう、と優しく笑った。

それからは今まで以上に彼女を気にかけて話しかけたり、いつでも彼女からの電話に出られるように家にいるようにした。
周りからは2人は付き合っていると噂がたったが、そんな邪推は気にならなかった。
過去に苦しむ人を救ってあげたいと言うこの思いの崇高さに、自分で酔っていたんだと思う。

だから私は、彼女の見ている夢の本質に気付いてあげられなかった。
若かったとは言え、本当に無能だったと思う。

その頃から彼女の言動にネガティブなものが多くなっていた。

「赤ちゃんって本当に大変なの」
「何しても泣き止んでくれないの、さすがにまいっちゃうわ」
「少しうとうとしても、赤ちゃんの泣き声が聞こえた気がして起きちゃうの」
「何をしてあげても泣き止んでくれないから、しばらく無視しちゃった。
ひどいお姉ちゃんよね、わたし」
「…ほんとに、ほんとに少しだけよ。
あの夢の母親の気持ちがわかるなぁ…なんて」

私には兄弟がいなかったので赤ん坊のいる生活がどれほど大変かは一般的に聞く程度しかわからなかったので、とにかく私は彼女をはげました。
無理はいけないけど、頑張って。
お母さんとの関係も良くなってきている、きっともう少しで前のように戻れる。
そして、俺がそばにいるよ、と。
多分私は、彼女の人生に寄り添っているうちに彼女自身に惹かれていたのだと今では思う。
そして、私の事だけを拠り所としてくれていた彼女に多少なり浮ついた気持ちがあったんだろう。
だから、気づけなかった。
この頃の彼女が、最後に必ず言うこの言葉の本当の意味を。

「…まだ、夢を見るの。
弟の面倒が大変だと思う日は、いつもよりもずっとひどい夢。
あの母親も、きっとこんな思いをしていたのね」

今は疲れているから、それに引っ張られてそんな夢を見るんだよ。
私はそんな気休めを言った。
彼女の見る夢は、前世の記憶なのだ。
現在の状況がその記憶に影響を与えることなど、ありえないのに。

その日は、いつもとは違う深夜に家の電話が鳴った。
両親と私がほぼ同時に気付いて目を覚ましたが、なぜか胸騒ぎを感じた私はいち早く電話へと向かい受話器を取った。

「もしもし?」

相手は何も言わない。
しかし、ふぅ、ふぅと肩で息をするような音が聞こえる。

「…早瀬?」

私がそう言うと、受話器の向こうの空気がピタッと止まるのを感じる。
私は彼女の言葉を待った。

「ごめんね、こんな夜中に。
でも、あなたには最後にちゃんと伝えなきゃと思ったの」

背中に冷たいものが走る。
この時間、彼女の母親は0時くらいまで夜勤のはずだ。
つまり、彼女と赤ん坊の弟の2人。
最近彼女の頭を悩ませていたいつも泣いていると言う赤ん坊の声は、しない。

「最後って、何のことだよ?
それに、こんな時間にどうしたの?
赤ちゃんの声しないけど、何かあったの?」

湧き上がる不安を振り払うように、私は捲し立てた。
彼女はまた、スゥーっ、と深呼吸をしてから語り出した。

「私たち、勘違いをしていた。
けど、それはあなたのせいじゃないわ。
私も気付かなかったし、お母さんは母親、赤ちゃんは娘って普通思うものね。
でも、違ったの。
お母さんと弟との幸せな日々の為だと思って自分を犠牲にしてきたけど、違ったの」

少しずつ語気が早くなる。
私は口を挟めなかった。

「あの子がね、泣くのよ。
何してもダメなの。
怒鳴っても、優しく抱きしめても、ほったらかしにしても。
愛しているから、がんばったわ。
でも、私にはどうにもできなかった。
そんな日々が続いて、夢の中の母親の気持ちが私の中に流れ込んでくるのよ。
愛しているから、憎い。
だから、こんな母親との人生なら終わらせてあげた方がいいって、そう思ったの。
だから…!」

次第に感情的に、大声になって行く彼女。
しかし、それだけ騒いだ後に受話器の向こうから聞こえるのは、静寂。
彼女以外の声は、何もしなかった。
こうなって初めて、私は自分の見ていたものが間違っていた事に気づいた。
それなのに勘違いしたまま、幼い正義感で彼女を前世の記憶へと歩み寄らせてしまっていたのだ。

「あなたは間違っていたけれど、ずっと私の話しを聞いてくれたね。
この過去の因縁から私を解放してくれようとしたよね。
ありがとう。
あの母親には誰もいなかったけど、私にはあなたがいた。
もう少し早く本当のことに気付いて相談できていれば、こんなことにならなかったかもしれない。
だから…ごめんね」

そう言って、電話は切れた。
最後の方の彼女は、泣いていたように思う。
うろ覚えなのは、電話が切れると同時に私は走り出していたからだ。

彼女の家へ走る。
彼女の前世は、あの母親の方だった。
彼女のお母さんが独りになり赤ん坊とうまく向き合えなくなったのを見て、思い出してしまったんだろう。
それを俺は、勘違いして。
彼女に無理をさせ、また独りで赤ん坊に向き合わせてしまった。
いつも明るく話してくれた彼女。
きっと、夢の内容はどんどんひどい方向へと向かって行っていたに違いない。
それなのに、俺の言葉のせいで彼女は独りで向き合い続けていたんだ。
最後の最後、それが前世と同じ道を進んでいると気付くまで。

「馬鹿野郎…!」

私は走りながら自分は頬を強く張った。
彼女を支えると言って、追い詰めていたのは私だったんじゃないか。
情けなくて涙が出た。
けど、今はそんなちっぽけなプライドなんかどうでもいい。

間に合え、間に合え、間に合え…!

彼女の住んでいるアパートに着くと、深夜と言うこともありどの部屋の明かりも消えていた。
私は騒音も構わずに彼女の住む部屋へ向かい、ドアを開けた。
鍵はかかっていなかった。

「早瀬!」

私は叫んだ。
暗い。
上がったことのない部屋での暗闇。
どこに何があるかわからなかった。

「早瀬‼︎」

もう一度叫び、手探りで1番近くにあった部屋の襖を開けた。
窓から月光の入るその部屋の真ん中に、動かない子犬くらいの物体を見つけた。
恐る恐る近づいて確認すると、それは人間の赤ん坊だった。
静寂の中なのに呼吸音などは聞こえない。
何故だか急に泣きそうになって、鼻を摘む。
落ち着け、今は取り乱してる場合じゃないと自分を奮い立たせ、横たわる赤ん坊の胸に耳をつける。

「…生きてる!」

私はすぐに電話を探す為、部屋を出ようとした。
しかし暗くて方向もよくわからないのでおそらく押入れ方向に足を出した私は何かに躓いた。
大きくて、柔らかい、何か。
私は叫び出しそうになるのを必死に堪え、それを抱き上げた。

「早瀬!」

彼女は月明かりに真っ白な顔をしていた。
その手からは、何かの薬の瓶が転げ落ちたが、中身は空のようでなんの音もしなかった。

「なんでこんな…!」

彼女を強く抱きしめ、自分の無力さを呪った。
何が彼女を支えるだ。
馬鹿野郎、馬鹿野郎。
私は大粒の涙を流していた。
するとかすかに、何か聞こえた。
彼女の唇に耳を近づけると、小さな小さな声で、

「来て、くれたんだ」

彼女はそう言った。

それから2人とも病院に運ばれ、私は両親や彼女の母親から色々聞かれる羽目になった。
両親にはもちろん本当のことを話したが、彼女のお母さんには1人で頑張りすぎたんじゃないかと伝えた。
お母さんは泣いていた。

彼女も弟も一命を取り留めすぐに家に戻れることになったが、元の生活に戻る事はできなかった。
彼女は自分のした事をしっかりと受け止め、お母さんと弟と離れる事を選んだ。
お母さんの方も娘に無理をさせていた事を悔い、弟の事をしっかり見ると約束して、彼女を信頼のおける親戚の家に預ける事になった。
地元から遠く離れてしまう為、彼女にはもう会えなくなる。
私は寂しい気持ちと、これからの彼女の人生が健やかなものになる事を祈っていた。

あれから数十年が経ち、私は大勢の前世の因縁に苦しむ人たちの話を聞いて来た。
結果的に救われることもあったが、大半はつらい思いをする事の方がが多かった。
しかし私は、そんな人たちの声を聞き続け、話をした。
それが前世を見る事ができると言う、私にできるたった一つの事だったから。

今年も手紙が届いた。
いつもと同じ、飾り気のない白い便箋。
私は老眼鏡をかけ、手紙を開いた。

「お久しぶり、元気にしていますか。
私の方は相変わらず、自由奔放に生きています。
この歳になっても、街中や公園で仲の良い親子を見かけると、心がざわつく事があります。
けど、大丈夫。
私は今、幸せよ。
あの時、あの子を死なせなくてよかった。
あの時、あなたに会えてよかった。
だから私は、1人でも大丈夫です。
あなたは、今でも誰かの話を聞いてあげている事でしょう。
つらい事もあると思うけど、あなたに話を聞いてもらえた人は、きっとそれでよかったと思っていると思います。
あなたは、間違っていません。
いつまでも、あなたの健やかな人生を祈っています。

早瀬マコト」

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計
毛利嵩志121212121260
大赤見ノヴ161516161679
吉田猛々161717161682
合計4444454444221