親父が肺炎で入院したのをきっかけに、田舎の実家に戻ってきた。
現在は退院して自宅療養中だが、お袋も大変だろうと残る事にした。
仕事はパソコンで作品を造り、そのデータを送るだけなので問題はない。
パソコンとにらめっこばかりしていると、度々息が詰まる。
自然に囲まれたこの環境は非常にありがたい。散歩するだけでも気晴らしになる。
30過ぎても独身貴族の俺は、お気楽なもんだ。この生活に十分満足している。
小川のほとりで子供たちがはしゃいでいる。何をしているかと思えば…蛇か…。
マムシか?ヤマカガシか?なんにせよ危険な事に変わりはない。
「おーい!蛇さんイジメると祟られるぞー!」
俺の声を聞いた子供たちは、キャーキャーと騒ぎながらその場から離れた。
子供の頃から蛇にはよく遭遇するような環境だ。蛇をのぞき込んでみると…。
威嚇するでもなく俺を見つめている。可愛い目してんじゃねーか。
「早く逃げな…もうガキどもに見つかんなよ」
俺の言葉を理解したかのように、スルスルと茂みの中へ入って行った。
それにしてもあいつらよく噛まれなかったな…蛇もなぜ噛まなかったんだ…。
さてさて、帰ったらもうひと踏ん張りして酒でも飲むか…。
親父の容態は変わらずかんばしくない。たまに大きく咳き込み苦しそうだ。
仕事の合間にお袋がスイカを切ってくれた。縁側でスイカを食っていると…。
庭に蛇が入ってきた。昨日助けた蛇か…まさかな…。
家の敷地に蛇が入ってくるのは、縁起がいいと聞いた事がある。
「おーい!蛇さんよ、親父の病気直してやってくれよ」
なに言ってんだか俺は…蛇は微動だにせず俺を見つめている。
やっぱり昨日の蛇なのだろうか…付いてきた?蛇に好かれてもなぁ…。
まぁ、蛇の神様だと思って拝んでおくか。目を開くと蛇の姿はなかった。
それから蛇は毎日来るようになった。決まって一服で縁側に来ると現れる。
そう言えば、蛇って蛙が好きなんだよな。蛇に睨まれた蛙って言葉もある。
今日はもういいや。仕事を止めて小川に蛙を捕まえに行こう!。
麦わら帽子を被り、虫かごと網を持つ。水浸しになりながら蛙捕りに夢中になる。
俺はガキかっ!いい年こいたおっさんが…でも楽しい!本当、子供に戻った気分だ。
一時間程がんばったか…悪戦苦闘の結果、収穫は…二匹。蛇さん…すまん…。
翌日、やはり俺が縁側に来ると蛇が現れる。昨日捕った蛙を蛇の方へ投げると…。
丸飲みにしてこちらに寄って来た。近寄ってきたのは初めてだ。
もう一匹の蛙も投げると、丸飲みにしてまた更に近寄ってきた。
「ごめんな…もうないんだよ。また今度な」
しばらく蛇は俺の顔を見つめていたが、蛙がもうない事を察したのだろう。
スルスルスルと敷地から出て行った。さてと…明日の分の蛙を…。
ムリ!猛烈な筋肉痛…仕事に戻ろう…。
それからも蛇は現れ続け、色に変化を見せ始めた。
始めは真っ黒だった蛇だが、焦げ茶、茶色、薄茶色へと色が変わっていく。
もしかしてアルビノの蛇なのか…。将来的には白蛇になるかもしれない。
そんなある日の事。
隣の斉藤の婆ちゃんの家から悲鳴が上がった。慌てて外に出る。
すると、斉藤の婆ちゃんが返り血を浴び、ナタを手に家から出てきた。
その異様な光景に警戒しながら…。
「婆ちゃん…どうした!」
「蛇が庭に入ってきたっけ、殺虫剤かけて首落としてやったわね!」
もしかして…毎日うちに遊びに来ていた蛇かもしれない…。
俺は婆ちゃんの家の庭に入らせてもらった。間違いない…うちに来ていた蛇だ…。
まだ少し動いている蛇を手に取り、庭を出る。不機嫌そうな婆ちゃんに。
「婆ちゃん…亡骸は俺に任せてくれ…」
すると婆ちゃんは嫌味ったらしく。
「まったく…善人ぶりおって…」
その言葉にイラっときた俺は。
「一応、人の心は持ち合わせてるんで」
と言い返してやった。
婆ちゃんは憤怒し、実家に入るまで鬼の形相で俺を睨み続けた。
多分うちに来る途中だったんだろう。これも何かの縁だ…庭の端に埋めてやろう。
穴を掘り、底へ丁寧に蛇を置いて砂をかける。何故か不思議と涙が出てくる。
元々変わり者で、偏屈な斉藤の婆ちゃん。別に蛇を殺した事を怨んじゃいない。
俺の偏見からそう感じるのか…婆ちゃんの顔が少しずつ変わっていくような気がする。
やたらと目が小さくなったような…。俺の気のせいだろうか…。
とある日…俺は酷い寝汗で目が覚めた。嫌な夢でも見ていたのだろう。
しかし夢の内容が思い出せない。気分転換も兼ねて、朝の散歩に出かける。
斉藤の婆ちゃんが玄関前を竹ぼうきで掃除していた。
「おはようございまーす」
婆ちゃんからの返答はない。横目で婆ちゃんの顔を伺うと…。
やはりそうだ…明らかにアンバランスな目の大きさ。
それと…婆ちゃん小さくなってねーか…。まるで手足が縮んだのかのように…。
散歩から帰ると台所にいるお袋に聞いてみた。
「ねぇ、斉藤の婆ちゃん小さくなったよね」
「そりゃ年だもん…身体も縮むでしょうよ」
いや、そりゃそうなんだけど…意味が違うんだよなぁ…。
それから斉藤の婆ちゃんは姿を見せなくなった。
体調でも崩したのだろうか…。嫌な事を考えたくはないが…。
蛇さんのお陰とは信じがたいが、俺への作品依頼が急激に増え始めた。
そして、親父の病状が回復の兆しを見せ始めた。大きく咳き込む事もなくなった。
蛇の墓には生卵をお供えしている。それもこれもお供えのお陰だろうか。
そしてその数日後、俺は悪夢に襲われた。目の前には斉藤の婆ちゃんがいる。
顔が歪むと元に戻る。それを繰り返しながら、どんどん目が小さくなっていく。
終いには、黒目だけの小さな目で俺を睨みつける。起きたら朝を迎えていた…。
その夢の内容とは裏腹に、親父の体調は良くなる一方だ。
軽く散歩も出来るようにまで回復した。親父の散歩に付き合うと。
「斉藤の婆さん生きてんのか?」
まるで生活感を感じさせない婆ちゃんの家。
しばらく様子を伺っていると、窓の向こうに映る人影…。
どうやら無事ではいるようだ。
散歩から帰ると、いつものように蛇のお墓に生卵をお供えする。
その時だ…確かに聞こえた。優しい女性の声で…。
「気を付けて…」
と…「気を付けて…」何に対してだろう…この女性は誰なんだ…。
今後、俺の身に何かが起きるのか…不安が募るが、気にしないように心掛けた。
秋も深まる11月。俺はまた悪夢に襲われた。目の前には斉藤の婆ちゃんがいる。
小さな黒目で俺を睨みつける。顔が歪み元に戻ると鼻がズレている。
それを何度も繰り返し、終いには鼻がポロっと取れてしまう。
骸骨の鼻のように、穴が二つ空いているだけ…。起きたら朝を迎えていた…。
そう言えば、どれ程になるだろうか…斉藤の婆ちゃんの姿を全く見ていない。
その事を親父に話しても、面倒臭そうな顔をしただけだ。少し心配ではある。
しかし、あんな夢見ちまってるし…まぁ、安否の確認だけしとくか…。
婆ちゃんの家の玄関を開けた瞬間、強烈な異臭が鼻を突いた。
「婆ちゃん!居るか!」
返事がないので上がらせてもらう事に。
「婆ちゃん!入るぞ!」
靴を脱ごうとしたその時、婆ちゃんの声だろうか…うめき声が聞こえてきた。
「あぁ…あぁぁぁぁ…ぐぅう…るぅう…だぁあ…」
慌てて靴を脱ぎ、部屋に入ると…婆ちゃんは信じられない姿になっていた。
夢の中に出てきた婆ちゃんそのもの…小さな黒目に鼻は取れてしまっている…。
そして…。
「びぃい…だぁあ…だぁあ…あぁぁぁぁ…だぁ…ずぅ…げぇ…でぇぇぇぇ…」
婆ちゃんの皮膚がボロボロと剥げ落ちる。皮膚の下から現れたのは…鱗…。
鱗が剥がれ落ちると、更に黒ずんだ鱗が現れた。まるで脱皮を繰り返すように…。
婆ちゃんの顔が真っ黒な鱗に覆われ、四つん這いでゆっくりと俺に近付いてくる…。
不自然な手足の短さに、俺は後ずさりながら思わず絶叫してしまった。
「あぁ…あぁぁぁぁぁぁぁあっ!!」
慌てて家を出ると、実家に駆け込む。俺は急いで警察を呼んだ。
パトカーが駆け付けると警官に事情を聴かれる。動揺を隠しきれないまま…。
「婆ちゃんが…婆ちゃんが…蛇…蛇になっちまった…」
二人の警官は顔を見合わせると。
「あの…我々で確認してきますので、こちらでお待ち下さい」
まるで俺の言う事を信じていない様子だ。
しばらくすると、二人の警官は絶叫しながら家から飛び出してきた。
どうやら婆ちゃんは既に息絶えていたようだ。
それからは、救急車や数台の警察車両が来てちょっとした騒ぎになった。
落ち着きを取り戻した俺は、改めて婆ちゃんを見る事になってしまった。
四肢がない…もしかして、蛇のように退化してしまったのだろうか…。
あの時に聞こえた「気を付けて…」とは、この事を意味していたのだろうか…。
婆ちゃんは、蛇の祟りであのような姿に変ってしまったのだろうか…。
医学的にはどのように結論付けられるのか…。何も分からない…。
斉藤の婆ちゃんには一人娘がいた事を覚えている。
しかし、婆ちゃんとは折り合いが悪く出て行ってしまったようだ。
まったく帰省する事もないので、恐らく連絡も取れないだろう。
結局、婆ちゃんの家は取り壊される事なく残ったままだ。
この家を通り過ぎる度に、あの時の事がフラッシュバックしてしまう。
横目でチラ見すると…えっ!?…窓の向こうに黒い人影がいたような…。
気のせいだろうか…仕事に打ち込んで忘れる事にしよう。
その夜、また嫌な夢を見てしまった。目の前には斉藤の婆ちゃんがいる。
蛇の姿に変わる前の、普通の婆ちゃんの姿だ。俺を睨みつけている。
ただそれだけ。襲い掛かってくるでもなく、ただただ俺を睨みつける。
起きると朝を迎えていた…。嫌な予感が脳裏をよぎる。
親父も順調に回復し、少量の晩酌も出来るようになった。
いつものように親父の散歩に付き合うと、斉藤の婆ちゃんの家の異変に気が付く。
「親父…なんか聞こえねーか…」
親父と二人耳を澄ますと…婆ちゃんの家の中から音が聞こえる…。
カサカサカサと…なんの音だ…。そして、窓にハッキリと映った黒い人影…。
親父は大きくため息をつくと。
「もうこの家には関わるな」
俺はうんうんと小刻みに何度かうなずき、実家へと戻った。
そして親父から聞かされた、この地域の歴史と過去の斉藤家で起きた事件。
「お前も多少は聞いた事があるだろ…この地域に根付いた蛇神信仰について…」
江戸時代中期、この地域の上流にある河川が氾濫して大洪水に見舞われた。
高台にある神社の神主は、押し寄せる水の中に一条の光輝くものを見つけた。
神様のお告げかと船を出してみると、その光輝くものは溺れていた白蛇だった。
すぐさま助けだし、船を漕ぎ高台の神社に戻ると、境内の老松の枝に乗せた。
すると、白蛇は美しい姫へと姿を変えた。美しい姫は神主に感謝し…。
「この地の守り神となり、末永く繁栄と難病苦難の人々を守るために祈ります」
と言い残し、姿を消した。
そして、老松の幹の皮は蛇の鱗のように変わり、雨が止んだと言う。
雨が止むと水は引き、土壌もすぐに生き返り豊作が続いた。
霊験あらたかな老松には、多くの人々がお参りに訪れるようになった。
老松には延命除災、健康長寿に加えて、巳成金「みなるかね」で信仰された。
つまり巳「蛇」は「身」に通じるので、金運や福が身に付く。
そして商売繁盛にご利益があると考えられ、信心され続けた。
「だけどな、斉藤さんのご主人は…巳成金だけに執着しちまったんだ」
俺が生まれてまだ間もない頃の話だと言う。
斉藤家のご主人と婆ちゃんは当時40半ば。毎日のように高台の神社に詣っていた。
独自で蛇神信仰について調べていたらしい。ただ、ご利益に預かった訳ではない。
全部が全部正しい情報だったとは限らない。してはならない事もあっただろう。
超自然的な力…または、何かと引き換えに金銭的後利益を得ようとしていた…。
そんな可能性も否定できない事件が起きたと言う。
「ご主人のご遺体だよ。肌は黒く変色…いや、あれはもう蛇だ…あの鱗は…」
事件が起きて、一時は斉藤の婆ちゃんによる毒殺ではないかと噂された。
しかし親父を含め、ご主人のご遺体を見た者は皆、人のなせる事ではないと言う。
それから斉藤の婆ちゃんは気がふれてしまい、村の厄介者として扱われ始めた。
「婆さん…一人でも何かやってた可能性がある…だからもう関わるな」
斉藤家にそんな過去があったなんて…。親父も色々と見てきたんだな…。
蛇神を信仰しているのに、簡単に蛇を殺してしまうなんて…矛盾にも程がある。
婆ちゃんの死は、殺したあの蛇の祟りではない可能性もある訳だ。
おかしなまじないでもしていたのだろうか…もう関わるのは辞めにしよう。
蛇のお墓に生卵をお供えする。蛇さんのお陰だ…親父が元気になったのは。
そしてまた聞こえるあの声…「気を付けて…」全身に鳥肌が立つ。
まだ何かが起きるって言うのか…正直もう勘弁して欲しい…。
そしてその夜、また悪夢だ…。目の前には黒い人影がいる…。
遠くからウネウネと波打つ影が俺に迫ってくる。夢の中の俺は身動きが取れない。
大量の黒蛇…一体何匹いるんだ…。一匹、また一匹と俺の身体に絡み付いてくる。
全身顔までを黒蛇に覆われると息が出来ない…苦しい…誰か…助け…。
「な…さ…なぎ…なぎさ…渚!起きろ!おい!」
親父に揺さぶり起こされた。全身汗でびっしょりだ。
いつもなら夢から覚めるのに…相当うなされていたらしい。
師走の忙しさで疲れていたのは確かだ。あの黒い人影は…。
その日は一日仕事を休んだ。「気を付けて…」の意味。
そして、今朝見た夢の内容…。斉藤の婆ちゃんが関係しているのだろうか。
蛇を丁寧に弔った事がそんなに不愉快だったならば、逆恨みもいいところだ。
婆ちゃんの怨念が原因なのであれば、決着を付けなければならない。
もう関わらないと決めたが…俺は婆ちゃんの家に入ってみる事にした。
婆ちゃんの家の前で「よしっ!」と気合を入れる。窓に人影はない。
カギは開いている。土足のままで構わないだろう。
田舎とは言え、不法侵入に変わりはない。なんて言い訳を考えてしまう…。
そもそも婆ちゃんの怨みの念なんかと、どう対峙したらいいんだよ…。
正直怖くて怖くて仕方がない…。チクショウ!もうヤケクソだ!。
玄関を開けると、異臭はまだ残ったままだ。中に入ると誰もいない。
台所、トイレ、浴室と一通り見て回ったが、おかしな所は何もない。
やはり俺の気のせいか…と、小さく息を吐いたその時…。
「ナニ…シニ…キ…タ…」
身体が硬直する…心臓の鼓動が急激に早まり、息が上手くできない…。
声のした方向へゆっくりと振り向く…確かに死んだはずだ…蛇の姿で…。
そこには人間の姿の斉藤の婆ちゃんが立っていた。そんな…馬鹿な…。
両手には黒蛇を握りしめ、こちらを睨んでいる。恐怖で身体が動かない。
婆ちゃんが口笛を吹くと、大量の黒蛇が茶の間に入ってきた。夢を思い出す…。
カサカサカサ…と聞いた事のある音は、蛇が畳を這いずり回る音だったのか…。
そして黒蛇が俺の身体に絡み付くと、足元から全身を覆い始めた。
すると婆ちゃんは、手に握っている黒蛇を頭から喰い出した。
嘘だろ…生きた蛇だぞ…。喰われた黒蛇は大きく身体をうねらせる。
ムニャムニョと咀嚼すると、ゴキュっと音を鳴らしながら飲み込んだ。
そしてペッっと骨を吐き出すと、うねる黒蛇にまた喰らいつく…。
口から血とよだれを垂らしながら、ムニャムニョと咀嚼を繰り返す…。
丸々一匹の黒蛇を喰い終えると、ゆっくりと俺に近付いてきた。
来るな…来るな…無表情で、ただただ俺を睨みながら近付いて来る。
俺の目の前まで来ると、もう一匹の黒蛇を俺の口元に近付けてきた。
「ウマ…イゾ…ク…エ…」
食える訳ねーじゃねーか…。来るんじゃなかった…来るんじゃなかった…。
黒蛇の舌が俺の唇を舐め回す。もう勘弁してくれ…絶望に打ちひしがれる。
すると…薄暗かった部屋が明るくなる。一条の光輝く黒蛇がこちらに向かってきた。
その黒蛇は、艶のある黒から少しずつ色を変え、白蛇へと姿を変えた。
そして姿を大きくさせると、怯んでいる婆ちゃんを一気に丸飲みにしてしまった。
元の大きさに戻ると、こちらに向き俺の目を見つめる。そして聞こえる声…。
「もう大丈夫…」
そして、どこへともなく消え去ってしまった。あの白蛇って…もしかして…。
あれだけ大量にいた黒蛇も姿を消していた。とにかく…助かった…。
一刻も早くこの家から出たいのに…腰が抜けて暫くは動けないだろう…。
そして俺は悪夢を見なくなった。全てはあの白蛇…謎の女性の声のお陰だ。
仕事も順調に進み、仕事納め。気が付けば大晦日だ。久々の実家での年越し。
親父も全快とまではいかないが、よくここまで回復してくれたもんだ。
親父と酒を飲みながら紅白を見るなんて何年振りだろう…。
紅白を見ながら刺身やのっぺをつまむ。この大晦日の雰囲気が好きだ。
紅白が終わると、鐘の音と共にゆく年くる年が始まる。
そして、お袋が用意してくれた年越し蕎麦。
親父は美味そうに蕎麦をすすると、上機嫌で床についた。
お袋も片付けを済ませ寝室へ。茶の間には俺一人だ。
縁側で星を眺めながら酒を飲んでいると…雪かぁ…。
ゆっくり優しく振りそそぐ雪を眺め、エモーショナルな気分に浸る。
頭の中ではジョンレノンの〈Happy Christmas〉が流れている。
もう一杯飲むか…と庭に視線を落とすと…。
若くて綺麗な女性が立っていた。何故か全く恐怖を感じる事はなかった。
白い着物を身にまとった彼女は、優しく微笑みながら涙を流していた。
色白の肌を伝うその涙は、穢れを全く感じさせない美しさだ。
彼女が立っているのは…蛇さんが眠るお墓のある場所。そして聞こえてきた声…。
「あなたの為に祈ります…そして…さよなら…」
そうか…やはり蛇さんが助けてくれたのか…。
「気を付けて…」「もう大丈夫…」同じ声だ。
そんな彼女の声に俺は…。
「またいつでも遊びにおいで。待ってるよ」
彼女はにっこり微笑むと、高台の神社の方角を指さした。
俺は彼女の気持ちを察しながら。
「たまにだけど…会いに行ってもいいかな…」
彼女は嬉しそうにコクンとうなずき、ゆっくりと姿を消していった…。
彼女は…親父から聞かせてもらった神話の姫様なのかもしれない…。
子供から助けてやった事、蛙捕りに夢中になった事、弔ってやった事。
そして俺は悪夢から解放され、斉藤の婆ちゃんの悪霊から助けてもらった事。
短い間だったけど、色々あったな…。さてと…雪を眺めながらもう一杯飲もう。
翌朝、蛇さんのお墓に生卵をお供えしようとしたら…。
透明で美しい、水晶のような結晶が大量に落ちていた。それを全て丁寧に拾う。
そう言えば…彼女泣いてたなぁ…。
この美しい結晶は…蛇さんの涙…。俺と蛇さんとの繋がりの一つだ。
早速で申し訳ないけど、初詣も兼ねて会いに行くよ…姫様…。
苦しい時、辛い事があった時、この蛇さんの涙を見ると心が洗われる。
また聞かせて欲しい…あの優しい声を…。
いつまでも忘れない…彼女の優しい、あの微笑みを…。