中学三年に上がってすぐの頃、人とのコミュニケーションに苦手意識が強かった俺には特別仲のいい友達はおらず、かといってクラス内でいじめられているわけでもなかったんだけど、なんとなく孤立していた。そんな時、たまたま前の席のヤツと偶然ウマが合い、いつのまにかよく話すようになった。それがAだ。
次第に俺はAと仲の良かった友達とも親しくなり、それまで一匹狼だった俺はいつのまにかそのAのグループの輪に入っていた。グループにはAの他にBとCがいた。BとCは、Aとはタイプがぜんぜん違くて、どちらかというと大人しくてオタク気質。その二人を気が強くて体もでかいAが引っ張っていってるという感じだった。
Aは運動神経がよくて、ノリもいい、誰にでもガンガン気兼ねなく話しかけるタイプだった。一方で大の漫画好きでもあったから、それでBとCとは趣味が合うようだった。俺も結構漫画を読むほうだったので、彼らと好きな漫画の話で毎日盛り上がるのは楽しかった。
二学期になると、Dという男子生徒が転校してきて、うちのクラスに入った。三年の二学期での急な転校だったから珍しがられていたけど、Dもまた陽気なキャラクターで、受験前のピリピリしたクラスの空気にもスッと溶け込んでしまう不思議な男だった。Aと好きな漫画が一緒だった事をきっかけに、俺たちも自然とDと親しくなり、卒業するまで五人でいつもつるんでいた。
ここまでが中学の頃の思い出話。
それから四年後、大学二年生の春…Aが事故死したと、Dからのメールで知らされた。
突然の事で、最初は現実味が湧かなかった。葬儀は内々で執り行われ、後日、俺とDの二人でAの実家を訪ねた。Aの両親は快く俺たちを迎え入れてくれた。仏壇の真ん中で満面の笑みを浮かべているAに線香を上げ、手を合わせてもまだ、俺はまだAがこの世のどこかで生きているんじゃないかと思わずにいられなかった。
Aの実家を後にすると、外はもう日が暮れていた。とぼとぼと帰り道を歩いていると、「久しぶりにあの神社に行かない?」とDが提案してきた。
中学の頃、学校帰りにみんなでよくたむろしていた小さな神社だ。静かな住宅街の一角にあり、人気もないので、うってつけのたまり場だった。
色褪せた赤い鳥居の奥に雑木林に囲まれた小さな拝殿…五年ぶりに行ったけど、当時とほとんど変わらない風景を残していて、俺とDは拝殿の前の石段に腰かけ、コンビニで買いこんだ缶チューハイを飲みながら昔の思い出話に花を咲かせた。
「よく、この拝殿の裏の林でエロ本呼んだな」とDが言って、二人で笑った。いま思えばバチが当たってもおかしくない話だけど。酔った勢いもあって、「まだそのエロ本、あったりしてな」とDがおもむろに立ち上がって、拝殿の裏にふらふらと歩いて行った。俺も「あるわけないじゃん」と笑い飛ばしながらも、後に続く。
裏の林は真っ暗で鬱蒼としていて、Dがケータイのライトで前を照らしてくれなければ足元すらほとんど見えなかった。神社の近くには街灯もろくにないし、中学当時はちょっと怖くて夜の雑木林にはなかなか入る勇気がなかった。
でもその時の俺たちは、酔いが回っていたせいもあったけど、子どもの頃勇気がなくてできなかった小さな冒険を、二十歳になって初めて一歩踏み出せたという軽い高揚感に、突き動かされていた。
すると突然、
「うぎゃっ!」
前を歩いていたDが、急に素っ頓狂な悲鳴を上げた。
「なんだよ、驚かすなよ! どうしたんだよ?」
「おい、見てみろよ」と言ったDの声は上擦っていた。「この木、見ろよ。なんだよこれ…」
ライトに照らされた目の前の樹木には、何か、長方形の白いものが釘で打ち込まれている。一体何だ?と俺は目を凝らした。その長方形が、人の映った写真だとわかった瞬間、背骨が引き抜かれたような恐怖が走った。
木、人の映った写真、釘。この三つから連想される不吉な所業の名が、俺の頭の中にゆっくりと浮かび上がってきた。呪いだ。誰かがここで呪いの儀式をやったんだ。
そして何よりゾッとしたのは、その写真に映っていた人物が、Aであった事。
俺たちの友達で、不慮の事故で亡くなってしまった、あのAで間違いない。さらに言うならそこに映るAの顔は、あいつの実家の仏壇の前で遺影になっていたのとまったく同じ。
つまり遺影に使われた写真の原物って事だ。
すっかり酔いも醒め、俺たちはガタガタと震えながらしばらく呆然と立ち尽くした。一体誰がこんな事を? Aはただの事故じゃなく、呪いで殺されたのか? そんなバカな。
俺たちは写真に触れる事すら恐ろしくてできず、雑木林を走って抜け出した。痛いほど胸を打ってくる鼓動に吐き気を覚えた。
「どうする? Aの親御さんに言うか?」と俺が息も絶え絶えに言うと、額に汗をかいたDが「言えるわけないだろ…」と呟いた。「Aが亡くなったばかりでただでさえ親御さんもショックを引きずってるだろ。これはまだ、俺たちの秘密にしよう」
確かにそうかもしれないと思い、どこかで複雑な気持ちを抱えながらもその日は解散した。
後日、Dと「Aを偲ぶ会という題目でBとCに久しぶりに連絡を取ろう」という話になった。俺とDは地元近くで一人暮らししているが、BとCは都内へ進学している。みんなで久しぶりに集まって、そしてAを呪った人物に心当たりがないかを聞き出すことした。
場所は新宿。Aを除いたメンバー四人が集った。Bがずいぶん垢ぬけていて、金髪で現れたのには驚いた。聞けば大学の軽音サークルに所属しているという。Cは、身長が低くて体つきも華奢、色白で女の子みたいなのは相変わらずだった。そしてあまり表情を変えないクールな性格なのも、昔から変わらなかった。
最初は「久しぶりだなーおいー!」って感じで互いの近況を報告し合っていたのだが、次第にAの事は驚いたし寂しいな…という流れになったあたりで、俺は例の、神社での出来事を切り出した。
すべてを話し終えると、BとCは驚きを通り越して、「はあ?」「それ本当?」と訝しげだった。いや、それはそうだろう、中学時代の友達の死因が呪いのせいかもしれないなんて簡単に信じられるわけがない。俺も二人の立場だったら同じような反応をしたに違いない。
「いや、でも」と、ぽつりと声を発したのはBだった。「Aだったらあり得るかもしれない。Aってサッカー部でさ、日常的に後輩をコキ使ったりしてたっていうじゃん? そんで部内では地味に嫌われてたって」
その話は俺も知っていた。
後輩だけではなく、Aは、サッカー部の気に入らないチームメイトに対して嫌がらせや無視をしていた事もあったらしい。クラスでもその悪評は知られていて、実は三年生で俺と仲良くなった当時、Aは、BとC以外のクラスメートたちから軽くハブられていたのだ。
だが、実際接してみるとAは想像していたよりも悪い奴ではなかった。多少強引なところはあったけど、ただただ表裏がないってだけなんだな、と当時の俺は好感を持ったのだが…。
「今だから言うんだけどさ」Bが急におどおどし始めた。「俺とC、二年でもAと同じクラスだったんだけど。そん時からちょっとな…」
「あー、アレだろ」と言ったのはDだ。「結構、パシリに使われたりしてたんだって? 三年のクラスメートから聞いた事あるよ。大変だったよなお前ら」
「まあ、そうなんだよな。二年の時は、Aは違う友達と仲が良かった。俺やCはずっと地味だったからさ。たまにいじめられたりしてたんだよな」
俺は驚き、同時に戦慄した。つまりAは、元々の友達にハブられたから、自分に従順なBやCとつるむようになったのか。
「だよな? C」とBが同意を求める。
「昔の話でしょ」とCは答えた。「Aが死んじゃったっていうのに、こんな話してたらAが可哀想じゃん。やめようよ」
Cの言う通りだ。いくらAに嫌な一面があったとしても、俺たちにはAと過ごした楽しい一年間の思い出がある。Aがもういないからって、それを台無しにするような事はしてはいけない。それっきり、Aの素行の話も、俺とDの神社での出来事が掘り返される事もなかった。
けどやっぱり神社の写真がどうしても気になった。
Aの友達として、あそこに釘に打たれたAの写真をそのままにしてていいのだろうか。でも警察に通報すれば、Aの親御さんにも連絡がいくだろう。呪いで、本当に人を殺せるわけない。Aは呪いで死んだんじゃない。だから親御さんに余計な心配をしてほしくない。俺はAの写真を回収しようと決意し、大学の講義を終えたあと、一人で神社に向かった。
まだ秋だというのに夕方の雑木林は凍えるような冷たさに満ちていて、なのに異様に喉が渇いた。一瞬、来なければよかったという後悔に駆られたが、いやひょっとしたらすでに誰かが通報していて、Aの写真はもうなくなっているかも、という期待も頭を掠めた。とにかくあの写真の事で、俺もDも気が気じゃない毎日を送っている。なんとかしたい。
それに夜じゃない分、怖さは前回よりもない。はずだった。
夕闇の雑木林の奥に、化け物のように現れた、凄まじい量の写真を見るまでは。
今度はAだけじゃない。BやC、D、そして俺…。ざっと五十枚はあったのではないか、下から上のほうまでびっしりと写真が釘で打たれている。全部を見たわけではないが、恐らく、すべて俺たち五人が映った写真だった。そして五人の顔や体を突き刺す無数の釘、釘、釘、釘、釘、釘、釘。
俺は声も出なかった。腰を抜かしてしまい、生きた心地がしなかった。なんとか這うようにして明るい場所へ逃げたけど、正直、どうやって家へ帰ったかも記憶がない。自分もAと同じように呪われ、Aと同じように死ぬのだ、という恐怖だけが頭の中をぐるぐると回り続けた。毎日眠れなくて、しばらく大学も休んだ。
やっと少し落ち着いてあの光景を振り返る事ができたのは、それから二週間経ってからだ。
中学時代のアルバムを引っ張り出し、一通り見てみたが、神社にあった写真たちはどうもアルバムの写真とは違う。でも神社の写真に映っていた俺たちは、明らかなカメラ目線でピースしていたり、笑顔だったりした。隠し撮りされたものではない。じゃあ誰が撮った写真なのか。
…Cは写真部ではなかったか?
そういえばCは趣味でカメラを持っていて、五人で遊びに行くとよく撮ってくれた。確か誕生日プレゼントで親に買ってもらったという、一眼レフで。
しかし奇妙なのは、そのCの顔も釘に打たれていた事だ。むしろAよりも集中的に貫かれ、Cの顔面がほとんど見えなくなっている写真すらあった。
もしかして呪いの一番のターゲットは、Cだったのか?
Cを憎む誰かが、Cの所持する写真を盗み、ついでにCと仲が良かった俺たちも一緒に呪われた。じゃあAは、とばっちりで呪い殺された?
いや、そもそも俺は呪いを心から信じていたわけじゃなかった。でも笑顔の俺たちが満遍なくぶら下がったあの木を思い出すたびに、気が遠くなりそうになる。アレをやったヤツは完全に正気じゃない。
考えているうちに別の恐怖が沸き起こってきた。じゃあそんなヤツにあそこまで恨まれるCは、一体何者なんだ?
それで俺はなんとなく、Cに連絡できずにいた。
しばらくして、Dと二人でBの見舞いへ行った。Bは都内に暮らしていたから当然都内の病院だ。Bはまだ安静にしていなければならない状態だったが、元気そうだった。
「よー久しぶり。見てよこれ、まったく災難だよ。バンドのライブも延期になってさあ」
無邪気に笑うBを見て、やっぱり、せめて二人にはすべてを話しておいたほうがいいと判断した。呪いを信じていない俺だけど、これ以上友達に悲劇は起きてほしくない。
神社の拝殿の裏で見た事、写真の内容、俺たちを呪ったのはCに恨みを持つ誰かの仕業ではないかという俺の憶測。それらを聞いてBとDは最初ぽかんとしていたが、Bがゴクンと一つ息を呑み、口を開いた。
「なあ、確かにあの神社にはよくたむろしてたけど、Aって途中からほとんど来なかったんじゃなかった?」
するとDが、「ああ。俺が転校してすぐの頃は、Aも一緒に来てたよな。でもそれ以降は、受験が終わったあとでさえ、あいつは神社に一切寄りつかなかった。あの話を聞いたせいで…」
「あの話?」俺は聞き返す。
「神社の近くの川…確か〇〇川だっけ? あそこに猫の死体が流れてんの見ちゃったんだって、俺、こっそりAに聞かされた事があるよ」
「うわ…」
「だからもうあのへんには行きたくないってAが突然言い出してさ。いや別に猫の霊が出るわけじゃないし大丈夫だろ、って俺は言ったんだけど。嫌だ、気持ち悪いから、の一点張りで…。でもさ俺、それ以上に引っかかる事があったんだ」
「何?」
「秋の終わりぐらいからかな。Aの、Cへの態度が悪化した」
ピンと来なかったのは、どうやら俺だけだったらしい。悪化した? 夏以降って事は、二学期ぐらいから?
「お前はたぶん、ちゃんと知らないよ」Dが、少し皮肉めいた笑みを俺に向ける。「Aは、お前の事結構好きだったんだよ。だから、正義感の強いお前に見限られるのが怖かったんだろうな。お前の見えないところでやっていた」
「やっていた?」
「Cの教科書盗んだりノート借りパクしたりテストのカンニングに協力させたり」
「カンニングに協力って、一体どうやったんだ」
「知らないよ。俺はよく知らない。成功したのか失敗したのかすら。先生に怒られた様子もなかったから、そもそも実行しなかった可能性もあるけど」
「お前、他人事すぎるだろ。AとCのそういうの、ずっと見てみぬフリしてきたのか? そんで、俺にバレないように?」
Dは沈黙し、代わりにBが「ごめんよ」と今にも気絶しそうな真っ青な顔で謝ってきた。俺はDに聞いているのに、Bが急に追い詰められたかのように一人で喋り始める。「Aの嫌がらせが、全部Cに向かったから俺もホッとしちゃったんだよ俺がまた何か言ったらまた嫌がらせされるまたAに苦しめられるって怖くて怖くて怖くてそのままにしちゃったんだよAが死んだって聞いた時もやっぱり誰かに呪い殺されたんだって正直ちょっとせいせいしたんだごめんごめんごめんごめんごめんごめん」
…Bはずっと、Aに怯えながら俺たちと一緒に過ごしてきたのか? 能天気な俺は気づかなかった。自分の中にあった大切な何かが、少しずつ崩れ落ちていくのを感じた。いや、本当は最初から、中学三年生のあの頃からずっと壊れていたのだ、俺たちは。ただ自分だけが何も知らなかっただけだったのか。Dの言うとおり俺はどうやら人より正義感が強いせいで、いつも余計なこと言って、孤立するタイプだった。今思えばそういうところでもAにシンパシーを感じていたかもしれない。だからあの当時はどこかで、一人ぼっちの寂しさがなくなり、また友達ができた現実に、浮かれていた。
忌々しい写真の大群と、昔から大人しかったCの姿を、やはりうまく結びつける事はできない。けど今のDの話を聞いて、何か嫌な気配が脳裏を掠めた。そうだ…俺はあの写真の中で、釘で打たれまくった俺たちの写真以上にさらに奇妙なものを、見ていなかったか?
「さっきの、川に打ち捨てられた猫の死体」
Dが、暗い目を上げた。
「Aが知ってるって、言ってた。誰があれをやったのか」
「え?」
「だからAも、ああやってひどい事を」
Dが何を言おうとしているのか、だんだん理解できてしまう。ただ感情が何一つ追いついてこない。
「言い訳するよ。俺も、転校生のくせに図に乗るな殺すぞとかAに言われた事あってさ。何もできなかった」
「だとしても、だよ。誰か、Aを止められなかったのか」と俺が泣きそうになりながら詰るとDは、
「俺はお前みたいになれない。だからこの件ではあの頃と同じく、何もしない」
俺は、布団を頭からかぶって嗚咽をもらすBと、血の気の失せたDの顔を見た。それからAの遺影と、居酒屋のCの大人びた顔を思い出して、一人病室を出た。
そしていろいろ考えたけど、地元に戻ってもう一度、例の神社へ行ってみた。
心臓がバクバクと暴れながら胸の中でどんどん膨張していっているようなそんな苦しさだった。大量の呪いの写真をまとった木は、変わらずそこにあった。遠目から見ればカラフルな着物に身を包んだ巨人のようだが、近づけば近づくほど、この世に存在しちゃいけないおぞましい怪物へと変貌する。
吐き気を必死でこらえながらもう一度くまなく写真を確認して――見つけた。
頭の片隅に残っていた違和感の正体が、俺の背丈より頭一個分くらいの高さのところにあった。不幸にも俺の視力は当時両目で1.0あったので、目をこらすと鮮明にわかってしまった。わかった瞬間に、木の根元に嘔吐した。
五年後に残酷な未来が待ち受けている事など一つも疑わない中学生の俺たちの無垢な笑顔、それに囲まれて、暗い川に浮かぶ白いかたまりが一本の釘によってぶら下がっていた。しかし俺がショックで嘔吐した木の根元にはそんなのより更に恐ろしいものがあった。不自然に土を掘られた後があり、中に何かが埋まっているのが俺の目に入った。表面にかかっていた土を手で払うと、そこに埋まっていたのは、俺の頭だった。もちろん写真だ。他にも切り刻まれた腕や脚や身体の胴体やAの頭Bの頭Dの頭……。俺たちの身体がバラバラに切り刻まれたものが土を掘れば掘るほどどんどんどんどん出てくる。シールかと思った。思い出グッズみたいなの勝手に作られているのかと思った。いや笑えない。中には両目や口の中が真っ赤なペンに塗りつぶされているものも――。
俺はとにかく悲鳴を上げて放心した。ただただ地獄だった。そして背後に急に、気配を感じた。全身が張り詰め、振り返るな、と頭の中で声がした。たぶん僅かに残っていた自分自身の理性の声だったのだろう。でも俺は振り返るしかなかった。だって、逃げる事もできなかったから。
ほぼゼロ距離で一眼レフのレンズとかち合った。眼前でフラッシュが焚かれ、目が焼けるかと思った。ヂカヂカする視界がやっと晴れてくると、カメラを胸元に下げたCの、能面のような顔が現れる。
「……お前どうしてここに」と声を絞り出した喉から、血の味がした。「お前が、やったのか? この写真も、猫を殺したのも」
Cは、落ち窪んだ爬虫類みたいな目でこっちを見ていたかと思うと、いきなり地面のAの倒れている写真を掴んで俺に投げつけ、「見なよ。これAの死体。Aの死体! あははははは!」ラリったように笑い出した。俺は確信した。こいつが本物の怪物だ。もう昔の穏やかで優しいCじゃない。いや、もしかしたらCはずっとこうだったのか。いつから?
「でも猫を殺ったのは俺じゃないよ、Aだよ」
耳を疑った。
「Aに頼まれて写真撮ったのは俺だけど。俺は猫殺ってない。全部Aのせい」
「え…」
「あいつクソ野郎だもん、当たり前でしょ」
「Aも一緒にその場にいたっていうのか?」
「そうだよ」
「ど、どういう事…」
「あいつ人に見えないところでヤな事ばっかりやってたんだ、Bの事もDの事も、お前の悪口をぼやいていた事あったよ、実は。ほんと最低で、死んで然るべき存在だったんだ。だからお前もあいつが死んで嬉しいだろ、え? だから、昔の話はそろそろこれくらいにしようよ。ねえ、死んじゃったってのに、こんな話してたらAが可哀想だからやめようよ」
総毛立った。意味わからん。会話がかみ合わないし、こっちの話聞いてない。Cはおそろしく他人事で、こっちが口を挟む間も与えないくらい断定的な言い方で、自分がやった所業が少しもおかしくないというような口ぶり。
だけど、「Aは猫殺しの犯人を知っている」というDが言っていた。少なくとも猫を殺した際に、もしかしたらAとCは二人とも居合わせていたのかもしれない。
でも猫殺しの犯人は本当にAか? あのとき、Cの想像を絶する狂気に飲まれて、全部をAのせいにしてしまえば俺もここで助かるんじゃないかと一瞬思いかけた。思いかけたところで、Aの人懐こい笑顔が脳裏を過ぎった。そしてAが俺の悪口をみんなに言いふらしている姿ももはや普通に想像できてしまったが、なんかもう、ショックですらなくなっていた。
熱の入ったCがまだ早口で、「でも、まあ、猫はちょっと可哀想なことしたかな。まるまる太って真っ黒で、Aにそっくりな猫だった」と続けた瞬間に、俺はハッとした。
「黒?」
背後の木に打たれた写真の猫は黒じゃない――白猫だ。
「お前、どの猫の話をしてるんだよ!」
Cがじっと俺を見る。興醒めしたような無表情になっている。
これはCが警察に保護されたあとにわかった話だが、Cという男は小学生の頃から(つまり俺たちと出会う前から)近所の動物を捕獲しては殺していたという。猫を殺したのがAだなんてウソをついたのは、死んでもまだAを陥れたい執念深さと、自分の異常性が俺にバレると自分にとって都合が悪いと思ったからではないか。つまりCに責任能力は十分にあった。
なんにせよCにとっては、猫の命も、そして失われたAの命も、なんとか生き延びたBの命も、すべてヤツにとっては同等の玩具でしかなかったのだ。
俺はもう、殺される覚悟でCに訴えた。「確かにAはほんとクソ野郎だった。みんなあいつに裏切られていたなんて、思ってもいなかった。呪いとか関係なく、天罰が下ってもおかしくなかったんだ、あいつは。でもこれだけは言わせてくれ。あいつは人の見えないところでしかコソコソ悪い事できない、腰抜けのビビリだ。猫を捕まえて殺すなんて、あのクソ野郎にそこまでできると思えない。それができるのは、悪魔だけだ。だけどその悪魔にも俺、悪い事した。お前の事、なんにも気づいてやれなかった」
Cの顔から表情が消し飛んだ。しばらく波風すら立たない穏やかな海のように、ヤツはそこに佇んでいた。そして、不意ににっこりと微笑んだ。
「そうやって正義感チラつかせて、結局お前は傍観者なんだよな。全部遅いよ」
そうかもしれない。俺は自分を責めずにいられなかった。BもDも中学の頃から苦しんでいたのに俺だけが呑気でいたのだから。
「そんなに悪いと思ってるんなら、お前の写真もっと撮らせろよ」
おそらく次の呪いに使われる。呪いを犯罪として裁けるなんて聞いた事ないし、俺たちの背後にあるCが作り上げた怪物の木が、今後も消えてなくなる事はないのだと、俺は絶望に打ちひしがれた。でもこの場から解放されるにはもうそれに応じるしかなかった…。
その時だった。
「警察だ! Cくんはいるか?」
Cはその瞬間、カメラを投げ捨て、誰に言うわけでもなく「死ね!」と大声で叫んだ。
突然雑木林に駆け込んできたのは三、四人の警察官たちだった。一緒に、なんとDも現れた。警察官は一斉にCを取り囲み、Dが俺に走り寄ってきた。
「さっきはごめん、俺、やっぱりお前が心配で、警察に通報したんだ。Aの親御さんにも連絡した。これから、ここに来てくれる」
俺はその場に座り込んで、しばらく泣いていた。
あれから十五年――俺は現在、東京に住んでる。Cはもうとっくに釈放されているが、今どうしてるかは、まったくわからない。
ちなみにこれも後から聞いた話だが、Aの遺影用の写真を提供したのももちろん、Cだった。実はCとAは幼稚園の頃からの幼馴染で、家も近所だったことから親同士も仲がよかったそうだ。だから、俺たちの中で一番最初にAの訃報を知らされたのはCだった。
Cはそれを知るや否や、早速Aの実家へ行って「よかったら俺の撮った写真を使ってください。俺が撮った中で、ナンバーワンのAの笑顔です」などと言って遺影に選ばせた。CとAには俺たちが把握していた以上の深い関係があったため、最近も時々地元で会っていたそうだ。その時にたまたまカメラに収めていた…いや、それも計画的だったのかもしれないが、大人になった最近のAの写真の数々を、Cは所持していたということだ。
そしてその遺影になった写真の全貌は、CとAの、満面の笑みでのツーショットだった。
Cは最後に俺に、「一緒に写真を撮ろう」と言ったのは、おそらく俺もAと同じ目に遭わせてやろうという魂胆からだったのだろう。
俺とDは今でもたまに飲みに行く。
「俺が殺られてたら、最後にお前が狙われたとき誰も助けてくれなかったな」
と言うと、Dは決まって「それキツいって…」とくたびれた様子で笑う。俺たちは今でも結局怯えて生きている。いつ、また、Cや他の誰かに呪われてしまうのではないかと。俺以外の誰かが巻き込まれる時が来るのではないかと。本当に怖い。
だから俺たちは三十五歳になった今も独身です。