中の中の小仏(こぼとけ)
なーんでうしーろ向いてやぁる
雨の日に父(とと)喰って
そーれでうーしろむいてやぁる
うしろの正面だあれ
「きなこ!あったあった!あそこだよ発信源!」
鳶島(とびしま)先輩、ちょっと黙って。
この唄、先輩に聴こえてないの?
かごめかごめの節で唄ってるじゃん!!
「おい、どうした?顔色イカついぞ」
腰くらいまである雑草を掻き分けたままの姿勢でこちらを振り向いて、先輩はボクに聞いてくる。
「気持ちが悪いんです。はっきり言って帰りたいです」
ボクはしっかりとトゲをまぶして言葉を返したが、鳶島先輩はバカなのでその意味に気が付かない。
「バカだなぁ、おまえ。ここまで来て帰れるわけないべ」
全くこちらの意図を解さないこの人は、ボクの家の近所の10個上の先輩だ。
普通なら、小中高でひとつも被らないこの人とボクに接点などないはずなんだけど、ボクの父が営んでる空手道場の生徒であったという不幸な巡り合わせで、彼はボクの先輩という事になっている。
「先輩、ボクは、本当に、具合が悪いです。いったん、離れましょう」
あんたでもこれなら分かるか。
唄は止まらない。頭が痛い。何も考えられなくなる前に、逃げないと。
先輩は、ようやくボクが真剣に言ってると分かったらしくすぐさまボクを抱えて、今登ってきた斜面を器用に滑り降りた。
先輩が掻き分けていた雑草の間から覗いたもの。アレはなんだったのか。
「鳶島先輩、さっきのアレがその発信源ってヤツです。そんで、触ったらダメなヤツです。ボクはもう見んのもイヤです」
アレからかなり離れて、やっと普通に呼吸が出来るようになって一気に言葉を吐き出した。
ああ、やっぱり鳶島先輩(バカ)の頼みなんて受けなければよかった。
よく考えたらまともな話じゃないんだよ。
人を殺す「小仏アプリ」なんて。
とりあえず、頭を整理しないと。
先輩が最初に話を持ってきたのが、1ヶ月前。
「今日は非番だからそんなに構えんな」
他人の家にズカズカ上り込んで勝手にお茶を飲んでる鳶島先輩を、襖の隙間から見ていたら手招きされた。
起きぬけに会いたくない人No.1の向かいに渋々腰をかけると、先輩が深刻な様子で両手を組みわざとらしくため息をついた。
「いやぁ、まいったなあ。所詮オレは国家の犬だ!国家権力の末端じゃ限界があるなぁ」
絶賛質問募集中の顔をしてチラチラこっちを見ているが、ため息をつきたいのはこっちだよ。
「先輩はほぼ野良犬でしょう。まぁ、末端の不良警官っていうのはその通りでしょうね」
「俺は不良刑事だよ。警官より少し偉いんだぞ」
不良はいいんだ。
どうも。ボク、フリーライターやってます、きなこと申します。
動画共有サイトで怪談チャンネルをやってまして、最近少し観ていただける方が増えてきました。
「あれだろ?お前のチャンネル、最近人気でてきたんだろ?」
あからさまにおだてているのがミエミエだけど、言われて悪い気はしない。
「で、今日はどうしたんです?ボク今週中に書き上げなきゃいけない記事があって忙しいんですけど」
嘘だけど。言いたい事があるならさっさと言ってもらって帰ってもらおう。
そんなボクの思惑なんて少しも配慮できない先輩は、かかったなとばかりに話し始めました。
曰く
ここ最近、異様に不審死事件が増えている。
自殺というには状況がおかしい。他殺の疑いもあるが断定は出来ない。偶然の事故が重なっているのか。
とある共通点を持った不審死が全国各地で起きているのだそうでした。
共通点は、亡くなった全員が体の後ろ半分が無くなっていること。
「それは気味悪いですね。じゃあ、捜査がんばってください!」
「待て。今日は非番だから、俺はお前の先輩としてここに来てる。先輩命令だ、席につけ」
さっさと逃げようと腰を浮かせたボクに、ムカつく笑顔で言ってくる。小さな空手道場の上下関係をいい大人になっても引っ張っているイタいヤツだ。
そして、子供の時から刷り込まれているその関係をボクは無視できない・・・
「本当に忙しいんです。話に付き合ったら帰ってくださいよ」
ダイニングの椅子にドサッと座り、テーブルに突っ伏す姿勢になったボクに対して、先輩は椅子の上にあぐらをかいて上から見下ろしてくる。
「それでな、この連続不審死にはあと2つ共通点があるんだ。これは俺が見つけたとっておきのトップシークレットだ」
そんなの一般人のボクに話していいの?
こっちが思案しているのを、大人しく聞いていると解釈したらしい先輩は続けて言った。
「被害者は全員《自分の娘を虐待していた父親》だ。そいつらがあっちこっちで同じ死に方をしてる。」
は?そんなピンポイントな共通点ってあり得るの?
「もう一つ。被害者全員の名前が、あるスマホアプリの中で見つかった。」
先輩が手に持ったスマホの画面をこちらに向ける。
【小仏アプリ】
〈スタート〉
だけが黒地バックに白文字で書かれたシンプル極まりない画面だった。
思わず、〈スタート〉を押そうと指を近づけると先輩は大げさにスマホを自分の胸元に引き寄せる。
「お前、そういうところあるよな!無造作にクビ突っ込もうとするなよ!」
あんたが巻き込もうとしてるんでしょ。
「その画面だけ見せられても分かるわけないでしょう。そのアプリが何かの鍵なんですよね?」
「ちょっとまて、中の画面をスクショしてプリントしてきたから」
ゴソゴソとカバンを漁る先輩を見て、完璧に準備してきてる事に腹が立ちました。
渡された数十ページのスクショ画面を見て大体内容が掴めてきた。
このアプリは、日本全国に伝承されている子供の遊び『小仏』を再現してるみたいだった。
かごめかごめと同じ節まわしではやしことばを唄いながら、手をつないだ子供たちのアバターが輪を作り、くるくるとかごめかごめをポップにアレンジしたBGMに乗って輪を回転させるらしい。
その中心に据えられている小仏のキャラクター。
輪の中心の小仏は両手で顔を覆い、しゃがんでいる
その後ろの正面、つまり真後ろに1人の人物が立たされていて〔田中 太郎〕というカーソルが彼に重なっている。
先ほどの子供たちとは絵のタッチが明らかに違う、陰気なテイストの男性が猫背で立っているイラストだ。
顔の部分は細いボールペンで何度も何度も、真っ黒く塗り潰したようになっているが、体格や服装で男性とわかる。
子供たちの輪が動きを止めて、田中太郎は小仏に向かって一歩進む。
後ろの正面だあれ
小仏は顔を覆う手を離し、田中の方に振り向く。画面の中で膝から崩れ落ちた田中の上に
クリアー!!
《ネクスト ゲーム》
の文字が浮かんでいる。
ホッチキスで留められてる別紙の詳細によると、田中は再婚相手の連れ子の娘を中学生の頃から日常的に暴行していた。
ある日、その現場を目撃した再婚相手の女性の通報で田中は逮捕され、拘置所に収監された。
その収監中のある朝、田中は体の後ろ半身を無くした姿で発見されたそうです。
資料の他のページも、似た様に不審死事件の被害者たちの名前が小仏の後ろに立たされている人物にカーソルで重なっていた。
共通点は、小仏アプリにその名前が登場すること。そして、娘という存在に対して非道な真似をする人物であり、体の後ろの正面を削り取られたように失って絶命しているってことだった。
まるで小仏アプリが命を奪ったかのように。
「よくここまで調べましたね。さてはヒマなんですね」
嫌味を言ったつもりだったが、先輩は気にしない様子でこちらを見つめてくる。
「子供がひどい目にあってるって事件は全部目を通すようにしてる。俺だから気づいたんだ」
先輩は昔から弱いものの味方だった。
街一番の不良のくせに雨の日に捨て猫たちをこっそり拾ってあげるような人だ。
それで、次の日には子猫たちを抱きながら街中を駆けまわって飼い主になってくれる人を探すようなお人好しだった。
自分が施設で育ったからだって先輩はいうけど、それはこの人の生まれ持ったものだ。
「今週末のボクの締切までは手伝いますよ。何か目星はついてるんですよね?」
鳶島先輩は、ボクの霊感ってヤツを肯定してくれた初めての人だった。
警察では、当たり前だが心霊捜査なんてする変人はいない。
でも、先輩は何に縋ってでも事件解決を諦めたりしないから、こうしてボクにたまに声をかけてくる。
公になったって、鳶島先輩が狂人扱いされるだけ。だから、力貸してくれ。なんて言われると断りずらいんですよね。
「ただし、ネタにはなってもらいますよ。先輩の事は警察関係者Bにしといてあげます」
「おお、お前の配信か!俺、顔出しNGだからそこんとこよろしくな!」
顔をあげた先輩は、両手を顔の前にヒラヒラさせてモザイクをかけろと要求してくる。
動画とるのは許可するのかよ。
そして、先輩がまた根拠のない言葉を吐く。
「お前のことを信じてる。絶対上手くいくから心配すんな」
1ヶ月前にそう言われて、
なんだかんだあってボクらは今「小仏アプリ」が発信されているらしい原因からおよそ数百メートルの所で、それぞれ腕を組んでうんうん唸っている訳ですが。
正直な話、今撮ってる動画を皆さんにお見せする事は出来ません。
たぶんちょっと敏感な人は影響うけるので、ムリです。
どうせ何も撮れてないからだろw
っていうお叱りは甘んじて受けます。
画面を通して、行き来できるくらいのヤツは本当に悪い影響を出したりするので、今回は残念ですがボクの語りでお届けします。
「先輩、あそこ何がありました?」
鳶島先輩は、さっき滑り降りた時に器用にズボンを引っ掛けたみたいでお尻の部分が破れている。
「あぁ、パンツ丸見えだよこれ。ホッチキスとか持ってない?」
しきりにズボンの穴を気にかけているけど、そんなのはどうでもいい。
「何がありました?あの草むらの中に。」
「スマホ。たぶん壊れてたと思うけど、画面が光ってるように見えたんだよなぁ」
ああ、間違いない。
通常あり得ない電気信号を壊れた電子機器が受信してるならあそこに視えたのは本物だ。
空気に人間大の氷砂糖を溶かしているようなモヤ。
その場の空気は歪んで、変色していた。
暗闇と極彩色を混ぜ合わせたような、存在してはいけない存在。
そして、そこから微かなのに耳を塞いでも聴こえてくる小仏のはやし唄は、近寄るな。という警告にしか感じられなかった。
「お前にはシズカが見えたか?」
先輩は腰元にジャケットを巻きつけて尻の穴を隠している。
「アレは藍原シズカじゃないですよ」
2週間前。
小仏アプリを追いかけ始めて2週間が経っていた。
被害者たちと、その家族の負の部分を追いつづける毎日でした。
父親からの暴力に耐えかねて、夜の街でその身を売っていた少女
覚醒剤中毒の両親の元、虐待を重ねられてきた少女
ボクは克明に記録しながら、全てに共通する陰惨な結末に慣れ始めていた。
どの事件も本当に、似通っている。
第一の事件と言える藍原聡事件を除けば。
藍原の妻は一人娘であるシズカを産んだのち、しばらくして病に倒れ亡くなったそうです。
それでも父1人、娘1人助けあって暮らしていたようだった。
定期的に個展を開く程度に名の売れた画家だった藍原のライフワークは、愛娘のシズカの裸の成長記録を描き残す事だったそうで、時たま売りに出されるそのシズカシリーズは現代美術蒐集家の間で評価が高かった。
小さな少女だったシズカは、女性らしく丸みを帯びてゆき、そして藍原の最後の作品では子を宿した姿が描かれていた。
その時のシズカはまだ14歳でした。
シズカシリーズは藍原シズカのありのままの姿を描くのだから、当然シズカの相手は誰だ?と噂になった。
藍原の娘なんだから奔放だろうとか、
藍原に認められた許婚がいるだのと様々な憶測を呼びましたが、結果は藍原が実の娘であるシズカを暴行していたのでした。
幼い頃から、藍原の支配下に置かれていたシズカは自身の境遇を客観視する事ができなかった。
絵のモデルをしている最中に父親が身体に触れてこようとも、夜にベッドに忍び込んでこようとそれが当たり前だと思っていたんだ。
そして、中学2年生になったシズカは生まれて初めて恋をした。
その人を思うと、胸が苦しいけれど温かい。
感じた事のない想いに戸惑いながらも年相応の少女らしく恋心を育んでいた。
藍原はその姿が気に入らなかった。
自分の作品であるシズカが、どこの馬の骨ともしれない小僧に誑かされている。
下衆な凡人に俺の作品を汚させるものか
そこからの藍原の思考なんて理解出来るわけないけど、シズカは藍原の子を身籠ってしまい、ほのかな初恋を踏み躙られたシズカは漸く自分の置かれた状況の異常さに気がつき、父親への復讐を果たした。
藍原の屋敷はその日、蜂の巣を突いたような騒然とした様子でした。
大きな毛布をかけられてパトカーに乗せられるシズカ。庭が見えないように警官たちが慌しく塀の隙間をブルーシートで囲っている。
その喧騒の中心に、藍原聡はうつ伏せになり血だらけで倒れていた。
体の背中側を数百回に渡り金槌で砕かれ、ナイフで突き刺されて、およそ原型を失った半身。
まるで、ひとつの芸術作品にされたような醜悪な遺体。
その後、藍原シズカは収容された医療少年院の自室でお腹の子供と共に自らの命を絶った。
それから小仏アプリはいつのまにかシズカと同じような境遇の少女のスマホにある日突然現れるようになったんだそうだ。
「科学的に考えて在り得ませんよ」
スマホに本人が知らないうちにアプリがインストールされる訳がない。
「だから、ウチらは手が出せないんだよ。証拠がねえ。でも、小仏アプリを使って子供たちが親を殺しまくってるのは間違いない」
普通の刑事はこんな結論には至らない。
不審なアプリの存在に気づいたとしても、事件と直接の関係を疑うなんてありえないと思う。
そこが鳶島先輩のヤバいところである。
「このアプリは検索にも引っかからないし、現実には存在しないはずなんですよね」
我が家の応接間はいつの間にか「小仏アプリ特別対策室」に模様替えされており、テーブルの上には、アプリのスタート画面が表示されたスマホが現実に存在している。
🎵〜〜
スマホが着信音と共に震える。
「あ、友達からメッセかも〜」
スマホを取り上げて、ツンツン突いている少女。
先日、先輩がボクに見せてきた小仏アプリがDLされたスマホの持ち主、戸田すみれだ。
「おい!すみれ!捜査会議中に証拠品を勝手にさわんじゃないよ!」
先輩がスマホを取り返そうとするが、すみれはひらりとかわしながら操作を続けている。
「ウザ。これあたしのだし。アプリは使わないんだからいいじゃん、別に」
さすが現役の女子高生だ。先輩から逃げ続けながら器用にスマホに何かを打ち込みつつ、悪態をついている。
「すみれちゃん、終わってからでいいからスマホ見せてくれる?」
彼女は、画面に視線を落としたまま「おけ」と言って先輩の腹に蹴りを入れる。
「ゲホッ!お前、なんできなこの言うことは聞くんだよ!」
腹を抑えてうずくまっている先輩を無視して、すみれがボクにスマホを手渡す。
「きなこくんはトビーと違って優しいから〜。おうちでお世話にもなってるし」
彼女も小仏アプリがいつの間にかスマホにDLされていた1人だ。
先輩に夜の街で補導された際に、小仏アプリの存在を明かした事が今回の捜査が始まったきっかけになったのだ。
まだすみれの父親は存命だ。
しかし、だからこそ家に帰す訳にいかないということであの対策室発足の日からボクの家で保護している。
どういう手を使ったのかは知らないけど、ボクの両親が身元を引き受ける形で、先輩が緊急保護としてすみれを我が家に連れてきた。
「お前のお世話してるのはオヤジとオフクロさんだろ!きなこは別になんもしてねぇじゃん!」
失礼な。ボクは歳の離れた兄の気持ちでちゃんと遠くから見守っているのに。
「きなこくんは、うるさくかまってこないからいいの。パパさんもママさんも優しいし。トビーは、ウザい」
言い争う二人から離れて、すみれのスマホで小仏アプリを開く。
無機質なメイン画面のスタートをタッチすると、これまた飾り気のない人名の羅列が表示される。
いくつかの名前には削除を意味すると思われる2本線が雑に引かれている。
適当にタップすると、小仏のBGMが呑気に流れ始め、画面内で子供たちが輪を作りそして、「被害者」が崩れ落ちる。
元の画面に戻り、線が引かれていない名前の中から「戸田幸司」にカーソルを合わせてタップする。が、何も起こらない。
戸田幸司はすみれの父親である。小仏アプリに名前があるのだから、当然戸田も鬼畜の所業に手を染めている人物だ。
すみれは今は明るく振舞っているが、時折ボクの母の所で声を殺して泣いているのを知っている。
「やっぱり幽霊の連続殺人ってセンはないか?藍原シズカの幽霊が父親だけじゃ飽き足らず、似たような変態を殺して回ってるとか」
先輩がすみれに背中を蹴られながら、ボクの隣の丸椅子に腰かける。
「状況からすればそう見えるけど、そんな事あり得ると思います?」
腕を組んで、ボクの手の中のスマホを覗き込んでくる先輩に訊ねる。
「動機と状況証拠は揃ってるからなぁ。相手が幽霊じゃなきゃ追い込んで吐かせるんだけど」
あからさまに問題発言をする公僕に呆れて笑っちゃうけど、先輩の勘は異常なほど当たる。
ボクもこのアプリが起因となって、一連の「連続殺人」が起きていると今は確信してる。
だけど、何かが引っ掛かる。
アプリの中の小仏。
シズカを表すと思われるキャラクターからは悪意を感じないのだ。むしろ恐怖、そして哀しみ。
「あたしがそれやってみる?」
先輩と同時にすみれの顔を見る。
画面に表示された戸田幸司の名前を無表情に見つめている。
「もう、それしか手がかりないんでしょ?」
先輩は立ち上がって威圧するようにすみれを見下ろして短く言う。
「ふざけるな。」
すみれは俯いて小さく「ごめん」と呟いて黙った。
ボクたちは、小仏アプリで父親を殺害した後の少女たちの末路を知っている。復讐の代償としては重すぎる結末ばかりだった。
シズカは自分と同じ境遇の少女達を救うのではなく、道連れにする為にこのアプリを撒き散らしてるのだろうか。
「きなこ、もし俺がクビになったらオヤジにここで雇ってくれるように頼んでくんねぇか」
明らかな作り笑いを浮かべて言ってから、先輩はスマホを構えて部屋を出ていく。
あの表情をする時は、無茶苦茶をする前のサインだ。少しすると、外から先輩の怒鳴り声が聞こえてくる。
「てめえのやってきた事全部ぶちまけてやろうか!!ああ!?違法だろうがなんだろうが知るか!とっとと今言った事調べて情報渡せ!!」
ボクは目を閉じて思考をやめた。
あの時先輩が誰に何を言ったのかは知らないけど、ボクらは小仏アプリの発信源に辿り着き連続殺人の真犯人まであと一歩の所に来たわけだ。
「アレは藍原シズカじゃありません。正確にはシズカだけじゃありません」
やっぱり先輩にはあの唄が聴こえてなかったみたいだ。アプリを媒介して、はやし唄に偽装された呪詛を撒いていた元凶は、
「難しい言い回しすんなよ。俺に分かるように言え」
本当に察しの悪いひとだ。
正体は、シズカを飲み込んだ父親の醜悪な魂だ。
「本体は小仏じゃないんです。シズカは囚われてるだけで本体は殺された藍原聡の方だ」
遠くの茂みから、よりはっきりと唄と共に声が聴こえてくる。
中の中のこーぼとけ・・・
『シズカ・・シズカ・・・!』
なんで後ろ向いてやある
『コッチヲムケ』
雨の日に父喰って
『オマエニコロサレタ』
そーれでうーしろむいてやある
『オマエガコロシタ』
うしろの正面だあれ
『ズットイッショダ』
唄の聴こえる方に視線をやってしまって、ボクは立っていられずにへたり込んだ。
そこに視えた地獄を言葉で表すことは出来ない。
命を絶たれてなお娘に執着した藍原聡は、シズカに取り憑き彼女を死に至らしめたんだろう。
最悪なことに、お腹にいた子供の魂を触媒にして藍原自身を新たにシズカに産ませたんだ。
囚われたシズカは藍原の母として、小仏アプリを通じて少女達の魂を集めて藍原に喰わせる。
殺された父親たちは怨みの念をシズカに向けて、より強く彼女を縛りつける。
クソみたいな呪いの永久機関が完成していた。
「それで?どうすりゃいい?」
先輩が穏やかに聞いてくる。
本当にキレてる時の先輩だ。
「たぶん、媒介してるスマホを破壊すれば」
先輩が駆け出そうとするのを、なんとか足に縋りついて止める。
「ちょっと待って!いくらなんでもノープラン過ぎます!」
「はなせ。俺は体が半分になろうがあいつをブン殴る」
先輩はボクの手を捻り上げて、また駆け出そうとするが離すわけにはいかない。
「先輩、藍原の姿見えてませんよね!?行った所でどうやって殴るんですか!?」
クルッとこっちを向いた先輩はいつものマヌケ面に戻った。落ち着いてくれたみたいだ。
「ボクが行きます。あいつを避けてスマホをとってくるんで、サポート頼みます」
生まれたての仔鹿みたいにブルブル震える足になんとか力を込めて立ち上がって、藍原のいる茂みに向かう。
小仏の唄は止み、藍原の言葉が頭に響いてくる。
「クルナ・・クルナ・・」
ボクだって行きたくないよ。でも、お前はこの世に存在してちゃいけない。
何度も転んで、這うようにしながら斜面を登っていく。
先輩が後ろから支えてくれるが、気を抜けば2人で転がり落ちそうだ。藍原の言葉はいつの間にか耳元で聴こえるようになっていた。
「シネ、シネ、シネ、シネシネシネシネシネ」
頭がおかしくなりそうだ。
一瞬、背中を押す先輩の手から力が抜けたように感じて振り向こうとすると、
「きなこ!こっち向くなよ!もう少しだ!前だけ見てろ!」
先輩が絶叫する。
振り向くと先輩が耳から血を流していた。
「お前は本当に言うこと聞かねぇなぁ」
先輩が、ドンっとボクの背中を押してそのまま倒れ込んだ。
既に目の前で揺らめいている藍原は、暗く濁ったビビットカラーの腕をこちらに伸ばしてボクを掴もうとしていた。
先輩に押された拍子に方向が変わって、その腕をくぐり抜けてスマホに手が届いた。
近くの石にでも叩きつければ、そう思って振り上げた瞬間、画面を視てしまう。
藍原が目を見開いて叫んでいた。
「シネ・・・・!!!!」
ボクの頬を生暖かい液体が伝うのを感じた。
目の前が真っ赤に染まって、視界がぼやける。
先輩、ごめん。ボクには無理だった・・
スマホを振り上げたまま、意識が遠くなる。
ガァァァン!!!
大音響と同時に手にあったスマホが吹っ飛んでいった。
草むらに倒れて、音のした方を見ると先輩が拳銃を構えていた。銃口からは白い煙が立ち昇っている。
「目に見えるもんなら、ぶち抜いてやらぁ」
顔面を血だらけにしながら笑う先輩の声を聞き終えるまえに、ボクの意識は途切れた。
暖かく真っ白な空間で目を覚ますと、目の前に赤ん坊を抱いた少女が立っていた。
彼女はボクに深くお辞儀をしてから、背中を向けてその先に続く階段を降りていった。
その姿を見てボクは泣いてしまったけど、シズカが赤ん坊に優しく微笑みかけているのが見えたから、これでよかったんだと自分に言い聞かせた。
「きなこくん!大丈夫!?きなこくん!!」
もう一度目覚めると、すみれがボクの体をゆすっていた。
その後ろでボクの父が先輩を肩にかついでいる。
「お父さん!先輩は?」
父が手拭いで先輩の顔をゴシゴシ拭うと、先輩は顔をあげてニッと笑った。
「大丈夫だ。踏ん張りが効かないのと、ケツがスースーする以外は」
ボクも自分の体をあちこち確かめてみたけど、特に問題はないようだった。
「小仏アプリ、消えたよ。シズカちゃん成仏出来たんだよね?他の女の子たちも」
すみれが目に涙を溜めて、スマホの画面を見せてくる。
「みんな、解放されたよ。」
嘘をつきたくはなかったけど、真実を伝えるにはすみれはまだ幼すぎる。
どちらにしても、小仏は終わってみんな還るべきところへ還っていったんだ。
「きなこ!ひとつやばい問題が残ってるんだよ。」
先輩がとんでもないことを言い出した。これ以上何があるんだ。
「銃弾ってさ、勝手に使っちゃダメなんだよね。始末書どころじゃすまないんだけどさ、お前なんとかしてくんないか?」
「知るか!!座薬でも詰めといたらいいんじゃないですか?」
草むらに放り投げられた先輩は、お父さんに縋りついて道場で雇ってくれとなしついている。
やっぱりバカの頼みなんて聞かなきゃよかった、と思ったお話でした。