「土下座地蔵」

投稿者:成星一

 

土下座地蔵を知ってるか?
 この話は某ネット掲示板でも有名な話だから、聞いたことがあるやつも多いだろう。そいつは青草と土の香りが充満する山奥の社のまえに忽然と姿を現すという。時間は決まって真夜中だ。訪れたやつが意図していようがいまいがそんなものは関係ない。零時きっかりに人間がそのエリアに足を踏み入れると、とたんに空気は生ぬるいものに変わり、夏を象徴する青草や土の匂いは腐敗臭に変化する。先ほどまで吹いていた風がやみ、今まで聞こえていた虫の声が闇の彼方へ遠ざかる。そうなると、もう逃げられない。目のまえにはさっきまでなかったはずの土下座をする奇妙な地蔵が現れる。あんたはそいつから目が離せなくなるだろう。金縛りにあったように足が動かなくなる。なかには腰を抜かしてその場で魂を持っていかれたなんて話まである。いずれにしても、そいつを目にした瞬間から喉がしまり声も出せなくなってしまうのだ。もっとも叫んだところで真夜中の山奥では野生のツキノワグマくらいしか現れてくれないだろう。どちらにしてもあの世行きはまぬがれない。そして、あんたは土下座をする地蔵をただただぼーっと馬鹿みたいに凝視することになる。その地蔵はたいして綺麗でもない無機質な石像だ。土下座をしていること以外、一般的な地蔵となんら変わりはない。地蔵からはギギっと音が聞こえてくる。石のかけらをポロポロ地面に落としながら、やつの首が時計まわりに回転するのだ。まばたきなんてするまもなく、したを向いた地蔵の顔がじょじょにあらわになってくる。耳が見え、頬が見え、やがてそれはどこかで見たことがある顔だと気づく。目をかっ開いたその地蔵?!
?顔は、あんたが毎日鏡で見ている顔になっている。そう、あんた自身の顔なのだ。
「イヒヒヒヒヒ!」
 あんたの顔をした地蔵は不気味に笑うと、ゴトンと首を地面に落とす。そしてその顔を見た人間は、三日以内に命を落とすという。
「……これが、土下座地蔵の話だ」
 夜のドライブの途中でハンドルを握る紘太がそんな話をした。
「きゃあ、怖ーい!」
 助手席に座っていた舞香が狭い車内で南国の極楽鳥のような悲鳴をあげる。そのまま羽ばたいて空のかなたにでも飛んで行くかと思ってしまう。おれの横では無理やりついてきた韓国人留学生のシウが先ほど知りあったばかりの女である美咲にちょっかいをかけている。
 そう、おれたちはその夜ナンパした女たちと五人であてのない夜のドライブをしているさいちゅうなのだ。
「なんだよ、甲斐。おまえずいぶんつまらなそうにしてるじゃねーか」
 バックミラーごしにおれの顔を見て紘太が茶化す。あたりまえだ。おもしろいもんか。おれたちは男三人。対して引っかけた女は二人組。必然的にひとりがあまる構図になる。そしてそれは現時点では、おれである可能性が極めて高い。
「はあ……」
 閉まりきった窓に肘をかけ窓外に視線を移す。女たちを乗せた池袋からはだいぶ離れた。あたりには目ぼしい建物もなく街灯も少ない。
「いったい、どこ向かってんだよ」
 おれは不機嫌にたずねた。
「うーん、そうだなあ」
 ハンドルを握る紘太の返事はたよりない。人数があわなければホテルに行こうという提案もしづらいのだろう。男がひとりあまっていれば、それが女たちの言い逃れの理由になってしまう。
「ひとりあまってる子が可哀想じゃん」
 げんに先ほど舞香にそんな台詞をいわれたばかりだ。それでおれたちはとりあえずあてのないドライブへと行き先を変更することを余儀なくされた。
「せっかくだからその地蔵、見に行こうぜ」
 そんなふうに言い出したのはシウだった。こいつはさっきからひとりでクライナーを二本も三本もがぶ飲みしている。
「えー、嫌だよー」
 そんな台詞を吐く美咲の口をシウが無理やり自分の口で塞いだ。
「んーっ!」
 美咲が暴れる。バサバサに傷んだ金髪が左右に揺れた。
「おい、やめろよ」
 おれは不機嫌にいった。シウは雑なキスから美咲を解放するとバカにする口調でいってきた。
「日本人、臆病でダメだ。とくに甲斐、おまえは弱虫だ。この負け犬」
 そういって再度、美咲の身体を自分の方に引き寄せた。こいつはいつもこんな調子だ。
「紘太、おまえもこいつと同じで弱虫なのか?」
 バカにする口調で運転手にまでからむ。
「誰が弱虫だって?」
 女のまえでカッコつけたい紘太が反論した。
「だって、おまえもビビってるじゃないか。やっぱり日本人、ダサいな」
 紘太の肩がわなわなと震えた。すぐに挑発にのるのがこいつの悪いくせなのだ。
「ビビってねーよ」
「嘘つき、おまえ、震えてるじゃないか。地蔵が怖いんだろ」
 酔っ払いの留学生がしつこくからむ。
「そんなもん、怖くなんかねーよ」
「じゃあ、どうして行こうとしないんだ? そのスポットはこの近くなんだろ?」
 おれはシートのあいだから車のセンターパネルをのぞいた。中央のナビには現在時刻である二十三時四十分の数字とともに、掲示板に書かれた地名が左端に表示されていた。
「こんなに近くなのに、おまえ、わざと近づかないように車を走らせてる。やっぱり臆病者じゃないか」
「くっ」
 紘太の言葉に舞香の声がかぶさる。
「ねえ、紘太くん、そんなところ行かないよね? 私、ホラーとか心霊とか、そういうの苦手……」
「行ってやろうじゃねーか」
 紘太は声を張る。そしてアクセルをおもいきり踏みこんでハンドルを左に切った。やつにしろおれにしろそのときは「そんなものはいるわけがない」とたかをくくっていた。
 だが、それがおれたちの大きな間違いだった。

 うわさの山道にはものの十分で到着した。道路は舗装されておらず、左右に巨木が生い茂っている。葉と葉のあいだからわずかに月明かりがこぼれるていどで、あたりは真っ暗闇だ。もちろん街灯なんてありはしない。ここが東京だということさえ忘れてしまうほどの静けさだった。
「ここから先に車は入れない。歩いて行くしかないぞ」
 サイドブレーキを引いて紘太がいう。女たちはぶーぶーいっていたがシウが強引に黙らせる。
「嫌ならここで降りて歩いて帰れよ。それとも肝試しをやめて、ここでおれたちにまわされて捨てられる方を選びたいか?」
 初めから選択肢なんかあたえるつもりはないようだった。美咲と舞香はしぶしぶ車の外に出る。おれも後部座席のドアを開いて土の地面に足をつけた。
「あはは、日本の女は流されやすくてちょろいな」
 不満なムードがただようなか、シウだけが上機嫌だ。美咲の肩を抱きながら歩き始める。舞香が不満げな顔でおれと紘太をにらみつけた。それはそうだろう。あんなことをいわれては、恨む以外に感情など出せるはずもない。おれは内心うんざりしていたが文句をいう気力もなかった。たいして仲の良くない韓国人留学生が、おれたちのナンパに無理やり合流して好き放題にやっている。これでもおれたちはルールを決めてナンパをしていた。それなのに、やつの一存におれたちをふくまないでいただきたい。スマホのライトを明かり代わりにして紘太が歩き出し、そのあとを舞香が続いた。しんがりをつとめるのはおれだ。
「おい、本当にこっちであってるのか?」
 けんか腰にシウが叫ぶ。おれも紘太も怪談の場所に足を運ぶのは初めてだ。土下座地蔵どころか社があるかどうかすら定かじゃない。
 おれたちはしんと静まり返った深夜の山道を奥へ奥へと向かって進んだ。途中何度か転びそうになったが、しばらく歩いていると闇に目が慣れてきたようで、その回数も激減した。
「ねえ、もう帰ろうよ」
 それから十分ほど歩いたところで舞香が紘太のジャケットの裾を引っ張った。この女は先ほどからずっと紘太の服を握っている。シウはシウで美咲をがっちりホールドして離さないし、そういう意味では今回のナンパは成功したといえるのかもしれない。だが、この手の肝試しは韓国人留学生以外、誰ひとり望んじゃいなかった。いつまでもこんな山道をあてもなく歩いていてもうわさの社にはたどりつけそうにもない。それにただの肝試しにしても、これだけの時間歩いたのだから、もうそろそろ切りあげてもいいころあいだろう。おれは先頭のシウたちに向かって声を張る。
「なあ、そろそろ——」
 その台詞にシウの声が重なった。
「うおっ。本当にあったぞ。おまえたち、早くこい!」
 そこはわずかに開けた場所だった。うっそうと生い茂る巨木がそこだけなく五メートル四方の空間ができあがっていた。そしてその一番奥にはぼろぼろの社が月明かりに照らされてぽつんと一柱たたずんでいた。
「本当にあるのかよ……」
 おれは紘太と顔をあわせる。信じられない。そんな視線を送ると、やつも同じ視線を送り返してくる。
「あはははは!」
 シウが上機嫌に両手をぱちぱちと叩いた。小さな社に足を乗せて嬉しそうにリズムを刻む。ホールドされた状態から解放された美咲が数歩あとずさりしておれたちと合流する。舞香は両肩を抱いてぶるぶると震えている。信じられない。社は神々しさとはべつの様相を呈しているが、かといって禍々しいという雰囲気があるわけでもない。無機質でただ静かにそこにあるだけだ。なぜその場所にたたずんでいるかということはべつにしても、その普通さがせめてもの救いだと思った。これは怪談話の社じゃない。そんなものはあるはずがないんだ。おれは自分の心にいいきかせようとした。
「おい、今何時だ?」
 命令口調でシウがたずねる。やつの目に舞香の細い腕が映ったようだ。そこに時計がはめてある。シウは手を伸ばし彼女の腕を引っ張った。
「ラッキー、ちょうど零時になるところだ。あと七秒、六秒……」
 社を泥だらけのスニーカーで踏みつけながら楽しそうにカウントする。
「三秒、二秒、一秒……ゼロ」
 そういったときだった。とつぜん、その場の空気が変わった。涼しかった山の空気がとたんに生温かくなる。あたりを静寂がつつみ、腐敗臭が鼻をつく。
「おえっ……」
 思わずしたを向いてえづいてしまった。のどの奥から酸っぱいものがこみあがる。それを無理やり押し戻す。
「うそだろ……」
 わずか上空から紘太の驚く声がする。顔をあげると、おれと紘太のあいだでは美咲が喘ぐようにのどの奥から声を漏らしていた。キーンと耳鳴りがしてあたりを静寂がつつむ。そしておれは驚いた。いつのまにか社のまえに土下座をする地蔵が一体、姿を現していた。
「おいおい、本当に出ちまったじゃねーか」
 シウは興奮とも恐怖ともとれる口調でいった。その地蔵は、土下座をして顔をしたに向けている。腰をかがめているおれの位置からでは、それがうわさどおりの顔をしているのかそうでないのか、判断ができない。
「帰ろうよ……」
 美咲が言葉を漏らす。さいわい、おれたちのなかの誰ひとりとして金縛りにはあっていない。身体の自由がきく。それならば、こんな場所からはいち早く立ち去るべきだった。
「よーし、さっそく顔を拝んでやろうぜ。こいつ、首がまわるんだろ?」
 そういったのはシウだった。韓国人の彼にとって、地蔵はただのキャラクターものの石像かフィギュアくらいの認識でしかない。「やめろ」という紘太の言葉を鼻で笑う。
「あははっ。おまえたち日本人は本当に臆病で情けないな。こんな土下座をしているような情けないゴミの石像にビビってる」
 そういうと、おれたちの制止をきかずに地蔵の頭に手をやった。その瞬間、地蔵の首がぐりんとまわった。
「ひいっ」
 シウが悲鳴をあげる。おれの位置からではシウと舞香の陰になって地蔵の顔が目視できない。
「きゃあああっ」
 舞香が悲鳴をあげた。ぐわんと空気が揺れた気がした。身体が重い。上下左右から見えないなにかにとらえられる。
「イヒヒヒヒヒ!」
 笑い声がきこえた。その声は地蔵から発せられているようだ。
「うわあああああ」
 シウが舞香を押しのけてきびすを返す。おれたちの方へと走り出した。つられておれたちも走った。真っ暗闇の山道を記憶のかぎり走り続ける。車がある場所まではそれほど遠くないはずだ。それまで身体が動いてくれ。そんな気持ちでおれは走り続けた。
 山の奥からは地蔵の奇妙な笑い声が響き続けていた。

 数分後、おれたちの目のまえに乗ってきた車が現れた。一本道だったので迷う心配はなかった。
「おらっ、早く出せ!」
 シウがせわしく助手席のドアハンドルをがちゃがちゃする。紘太が電子キーでロックを解除。おれたちは車内になだれこんだ。
「早くエンジンかけろ、のろま!」
 紘太の運転で車が急発信。山道を抜け舗装された道路に出たところで美咲が叫ぶ。
「待って! 舞香が乗ってない!」
 そこでおれも気づいた。車内には運転手の紘太の他には、おれとシウと美咲しかいない。
「大変だ、戻ろう」
 おれの台詞にシウの声が重なる。
「ふざけんな! さっさと逃げるぞ。あんな女いなくたって問題ない」
「おまえ、なんてこというんだよ」
「うるせえ。この偽善者が。本当は怖くてたまらないくせに、弱虫がカッコつけてんじゃねえ」
「なんだと」
「やめてよ!」
 美咲が甲高い声をあげた。ハンドルを握る紘太がいう。
「大通りに出たらシウをおろす。そうしたら、おれたちはすぐに戻ろう」
「ふん。どいつもこいつもバカだな。気持ち悪い友情ごっこにはつきあいきれない」
 そういってシウはふんぞり帰る。
「タクシーがいるところまではちゃんと送れよ」
 命令口調でいう。
「おい、おまえ、まさかタクシー代までおれたちに払えというんじゃないだろうな」
 そういうとシウは鼻で笑った。
「今回は勘弁してやるよ。あの社のところに落ちていた金を拾ってきたからな」
「落ちてたって、それ……」
 どうやらやつは賽銭を盗んできていたようだった。
「おまえ、そんなばちあたりなことを……」
 そういおうとしたとき、近くに客待ちのタクシーが停まっているのが見えた。車が大通りに出たのだ。
「早くおろせ。おれは帰って寝たいんだ」
 そういうとさっさとシートベルトを外した。安全のための警告音が車内に響く。紘太が路肩に車を停めるとシウはなにもいわずに外に出ていった。
 やつの背中に嫌悪感を覚えつつ、おれたちはふたたび山道に戻った。

 あまり気は進まなかったが先ほどと同じ場所に車を停め、真っ暗闇の山道を四人で歩いた。もう先ほどの奇妙な笑い声はきこえない。それどころか、違和感もなく空気も澄んでいるような気さえしていた。
 五分ほど歩いたころにわずかに開けた場所に出た。そこが土下座地蔵の社がある場所のはずだった。しかし、そこにはなにもない。
「どういうことだ?」
 紘太が驚きの声をあげる。その場所には先ほどまで存在していたはずの社もなければ、首の落ちた土下座地蔵の姿もない。それどころか、舞香の姿さえどこにもなかった。
「そんなはずは……」
 おれも紘太もわけがわからなかった。美咲がスマートフォンを操作して舞香に連絡を入れる。すぐに既読はつくが返事はない。電話をかけても出ることはなかった。
「私たちがおいて逃げちゃったから、怒ってるのかな?」
 それは希望をこめた台詞だった。舞香もぶじに逃げて今ごろは安全なところにいる。土下座地蔵がいなくなっていることに理屈はつけられなかったが、それでも甘い希望を見出したかった。
「既読がついてるってことは、安心ってことだもんな」
 とくにあたりは崖になっているわけではない。道も一本だし、迷っているということも考えづらかった。舞香はぶじである。おれたちはそうたかをくくってもときた道を戻っていった。
 だが、そのときにはすでに舞香はこの世からいなくなっていたのだ。

 舞香の遺体が発見されたのは翌朝だった。彼女の遺体は昨夜おれたちが足を踏み入れた山道から四十キロ以上離れた川越の自宅で首がねじ切れた状態で発見された。発見したのは彼女の母親だったという。母親の証言では舞香は深夜に帰宅したそうだ。もっとも母親自身その時間は眠っていたため、玄関が開き部屋に入る物音だけで帰宅を確認しただけらしい。そして、朝、彼女を起こしにいこうとしたところ部屋の中央で土下座をした状態の舞香の遺体を発見したそうだ。もちろん首は血まみれの状態で床に落ちていた。白濁した目がなにかを訴えているようだったとおれたちはあとからきかされた。
「ううっ……ううっ……」
 翌日の夕方、おれと紘太は駅まえで美咲と合流した。舞香の母親から連絡を受けた美咲が紘太に連絡を入れたのだ。美咲はおれたちの顔を見たとたん顔を崩して泣き出した。
「そんなことは、あり得ない」
 おれの意見も紘太の意見も同じだった。だが、じっさいにその「あり得ない」事態が起こっている。
「土下座地蔵を見たからだよね」
 美咲の声は震えていた。
「そんなわけ……」
「でも」
 美咲は続ける。
「あのとき、首の落ちたお地蔵さん、私の顔をしていた。暗かったし一瞬だけだったけど、あれは間違いない。でも、どうしてそれなのに舞香が死んじゃったんだろ? あれってお地蔵さんと同じ顔をした人が死んじゃうんだよね」
「ちょっと待てよ」
 紘太が声をかぶせた。
「あの地蔵の顔は、おれの顔だったぞ。暗かったが少なくともあれは男の顔だ。見間違えるわけがない」
「え?」
 美咲は本気で驚いている。おれにはどちらもうそをいっているようには思えなかった。少なくとも、このことに関しては。
「なあ、甲斐、おまえはどうだった?」
 紘太がおれにたずねてくる。
「悪い」
 おれはシウや舞香の身体が邪魔をして地蔵の顔を確認できなかったことを伝えた。ふたりは自分たちがそれぞれに見た光景のどちらが正しいのかを確認したくてしかたがないようだ。だがそうなると、あとはシウが見た顔がどちらのものだったのかを確認する必要があった。
「嫌だけど、連絡するか」
 おれはスマートフォンからシウの連絡先をタップした。アプリ特有のきき慣れたコール音が響くが相手は出ない。代わりにおれたちの横を通りすぎた男から着信音が聞こえた。
「あ、あれ」
 美咲が気づいた。それはシウだった。シウがおれの横を通りすぎて歩いていった。
「おい、シウ」
 慌てて声をかける。きこえていないのだろうかシウは足を止めない。おれは追いかけてやつの肩に手を伸ばす。
「え?」
 その瞬間、強烈な違和感を覚えた。身体が石のように冷たい。
「え、石……?」
 そう思った瞬間だった。シウの首がギギギと音を鳴らしながら回転した。身体はまえを向いたまま、首だけがうしろにねじれていく。
「あわわわわ……」
 すぐうしろで美咲が声をあげたのがわかった。シウの耳の穴がおれの目のまえにきたかと思うと、次に頬が目のまえにきて鼻が目のまえにやってくる。そのころになると、骨が砕ける音が響いていた。
「うわああああっ」
 おれはその場で尻もちをついた。首を百八十度回転させたシウは目や鼻や口から血を流している。
「ごぼ、ごぼごぼ」
 真一文字に結んだ口がぶるぶる震えて、泡立った血液が滝のように流れる。シウの首はそれでも回転をやめない。やがてやつの首が一周回転したと思うと、そのままごとりと地面に落ちた。
「きゃああああああああ!」
 周囲から悲鳴がきこえる。これは夢じゃない。現実だ。おれとシウのまわりから人が捌ける。ぽっかり空いた空間に尻もちをつくおれと首をねじ切り土下座をした体勢のシウの死体だけが残った。
 そこに警察がくるまで時間はかからなかった。

 おれが警察から解放されたのはそれから六時間後。二十三時をまわるころだった。事情聴取ではなにが起こったのか詳しくきかれたが、そんなものはおれの方がききたかった。
 さいわい駅まえで目撃者も多かったため、おれがなにかをしてこうなったわけではないということはすぐに証明された。駅まえの監視カメラの映像もそれを裏づけてくれた。監視社会もこういうときには便利だと思った。
「大変だったな」
 警察署のまえで待っていた紘太がぐったりしているおれの肩に手をおいた。美咲はがたがた震えている。
「どうした?」
 おれがたずねる。
「もしかしたら、シウは土下座地蔵に自分の顔を見たのかも」
「どういうことだ?」
 美咲は自分の想像を語ってくれた。
「たぶん、私も紘太くんもシウもそれぞれべつべつのものを見たんだよ」
 彼女がいうには土下座地蔵の顔は見る人間によって異なるのだそうだ。
「だって、そうじゃなきゃつじつまがあわないもん。舞香もシウも自分の顔を見たから死んじゃった。そして、私や紘太くんも……」
「やめろよ! そんなわけ……」
 そんなわけない。おれは心の底からそう思った。そんなことがあってたまるか。
「でも、そうじゃなきゃ説明できない! 謝りにいかなくちゃ。許してもらわなくちゃ……」
 頭をかかえて泣きじゃくる。完全にパニック状態だった。
「落つけって。謝るってなにをだよ?」
 おれがいうと地面につっぷした美咲が答える。
「お賽銭、盗んじゃった。それに社を足で踏んで……」
「それは全部、シウがやったことだろ? おまえには関係な……」
 その言葉の途中で異変が起こった。目のまえの美咲の目がぐりんとひっくり返って白目をむいたのだ。
「おいっ、大丈夫か、美咲っ」
 美咲は半開きの口から舌をのぞかせている。
「おい、しっかりしろ!」
 騒ぎを聞きつけ警官が飛び出してきた。
「どうしたんだ?」
「この子のようすが急におかしくなって……」
 そんな説明をしているさいちゅうに美咲の首が時計まわりに回転していく。
「お、おい、きみ……」
 警察が声をかけるが美咲からの反応はない。ごきっと一度大きな音がしたと思うと、美咲は口から血を吐き出した。首の回転も止まらない。骨が砕ける音が続き、美咲の首がねじ切れ、地面に落ちた。
「離れろ!」
 警察の叫びでおれたちは美咲から離れた。おそらく、変に容疑がかからないようにしてくれたのだろう。その後、規制線が張られ現場検証が行われた。美咲の死の瞬間にはその場を離れていたため、おれたちは部外者としてその場を離れるように指示された。車のなかに戻ってから、おれと紘太は話しをした。
「あり得ない」
 そうはいっても現実に首がねじ切れた人間をふたりも見たのだ。そして見たわけではないが、舞香も同じように死んだという。
「もう一度、行ってみる必要があるよな」
 紘太の言葉に返事をする。
「行ってどうする?」
「謝る。美咲が言っていたように、謝って踏んだ社を拭いて、お賽銭を返却する」
 そうすればあるいは、助かるかもしれないと思った。おれは見ていないが、紘太は地蔵の顔を目にしているのだ。可能性のあることをしたいのだろう。
「わかった。それならつきあうよ」
 そうして紘太の運転でふたたび山奥の社に向かった。

 社がある場所に到着したのは、二十三時五十分をすぎていた。しんと静かな山奥に昨日は見つからなかった社が倒れている。
「逃げるときに誰かが蹴飛ばしたんだろうな。暗かったから」
 そういうと倒れた社を立てなおす。土汚れがひどい。
「こんなになってたら、怒るのも無理はないか」
 そういって紘太は丁寧に社をハンカチでこする。
「ごめんよ、ごめんよ」
 そういいながら拭き続けた。どれほどそうしていただろうか。急に耳から音が遠ざかった。生ぬるい風が身体をなでる。続いて腐敗臭が鼻をつく。
「まさか……」
 スマートフォンの時計を確認する。零時きっかり。顔をあげると土下座地蔵がおれたちのまえに現れていた。
 ぎぎ、と音がする。地蔵の首が回転した。
 まずい——そう思った。
「ごめんよ、本当に」
 紘太が声を張る。
「おれたち、悪気はなかったんだ。この通りだ。あやまる。賽銭だって返す。だから許してくれ」
 地蔵の首はごりごりと音を立てて回転していく。
「お願いします!」
 紘太が必死で叫ぶ。地蔵の首は回転をやめない。
「許してください!」
 地蔵の耳が上空を向き、さらに回転していく。
「たのむ! こんなのうそだ! おまえなんて存在してないはずだ! だから……」
 その言葉で張り詰めていた空気が弛緩した。正面から強い風が吹いてきた。
「うっ」
 おれは一瞬、目を閉じてしまった。ふたたび目を開けると空気が変わっていた。
「あっ……」
 声を漏らす。そこにはもう社も土下座地蔵の姿もなかった。
「助かった……」
 おれはその場にへたりこんだ。もう禍々しい雰囲気も、その場の異常な空気感もなく夏の虫が穏やかに鳴いているだけだった。
「さあ、帰ろう」
 紘太が手をさし出して、おれを引きあげてくれた。それでおれたちは帰路についた。

 その二日後に紘太が死んだ。
 やつの遺体は土下座をしたまま首がねじ切れた状態で自宅で発見されたそうだ。
「うそだろ……」
 その知らせを受けたときも、おれはまだなにひとつ信じられなかった。だって、土下座地蔵の話はおれと紘太がナンパした女を怖がらせてホテルに連れこむための作り話なのだ。そんなものは現実に存在するはずがない。
 なあ、あんた、土下座地蔵の話を知っているか?
 その姿を見たものは三日以内に首がねじ切れて死ぬ。
 だからいずれ、きっとおれも……

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計
毛利嵩志151215151269
大赤見ノヴ151516161577
吉田猛々161616171782
合計4643474844228