「私には、双子の姉がいるんです。正確には、いたんです、かな。もう長いこと会ってなくて、いまは生きているのかさえ、わからないので……」
そう言って、落ち着いたトーンで語り始めたのは、神奈川県内で会社勤めをしている高梨佑子さん(仮)という二十代の女性だ。
以下は、佑子さんが話してくれた内容を、なるべく忠実に書き起こしたものである。
私の姉は佐織といいまして。
私たちは双子ですが、二卵性なんです。だから、あまり似ていなくて。
いえ、あまりと言うか、まったく似ていないんです。
目元も、鼻筋も、耳たぶの形も、くちびるの厚さも、顔の輪郭も、まるで異なっていました。
顔だけでなく、身長や体型も全然違っていて。
私はご覧のとおり、小柄で痩せっぽちなんですが、佐織は背が高く、肩幅も広く、骨格もがっしりしていて。
佐織は母によく似ていました。低い鼻とか、垂れ目なところなんか、母にそっくりでした。誰が見たって、すぐに親子とわかるくらいに。
でも、私は母にちっとも似ていなくて。だからと言って、父に似ていたわけでもないんです。どちらの面影も、なかったんです。
そんな私は、母から差別されて育ちました。
例えば、誕生日のプレゼント。佐織はすごく可愛いお洋服なのに、私はノート一冊だけとか。
見たいテレビ番組も、食べたいおやつも、いつも佐織のリクエストだけが通って、私が何か頼んでも「我がまま言わないの」って叱られて。
それに、幼児の頃から、佐織より私の方が怒られることが多かったんです。
オモチャの片付けをし忘れた時も、食べ物を床にこぼした時も、おねしょをしてしまった時も。
佐織がそういうことをしても、母は、仕方ないわね、みたいな感じで。もうしちゃダメよ、なんて言って、優しくたしなめる感じで。
でも、私がすると、かなり強い口調で長時間に渡って叱責するんです。もちろん、頭やお尻を叩かれることも、しょっちゅうでした。
姉妹ゲンカをした時なんかは、これはもう100%、必ず私が怒られました。
何だか不公平だなぁという不満はもちろんありましたが、それでも、母に抱っこしてもらったり、おんぶしてもらったり、普通に可愛がられていた記憶も少しはあるんです。
だから、なるべく母を怒らせないようイイ子でいようと、心掛けていたんです。
でも、ある事件があって。
それ以降、私は決定的に母から嫌われることになりました。
あれは、私が小学三年生の夏休みでした。
私は、遊んでいた公園でカエルの死骸を見つけたんです。
そのカエルは、車か自転車にでも轢かれたらしく、首から上がない状態で、横たわっていました。
そんなの気持ち悪いですよね。
でも、子どもの時って、なぜかそういうの好きじゃないですか? 特に私はそうだったんですよ。
私は頭部のないカエルの死骸を拾い、家に持ち帰りました。それを、ほんのイタズラのつもりで、冷蔵庫に入れておいたんです。
いまでも、どうしてそんなことをしたのか、よくわからないんです。衝動的に、そうしたくなってしまって。
母が夕飯の支度に台所へ向かいました。私はそっと、様子を伺っていました。
母が冷蔵庫を開けました。
カエルの死骸を見つけた母は、顔を真っ青にして。
そのあと、冷静な声で私に言ったんです。
『これは、おまえのしわざか?』
聞いたことのない冷たい声音で話す母に、私は何も答えられず、固まってしまいました。
母は、さらに私を問い詰めてきました。
『私を同じ目に合わせるつもりなの? 復讐のつもりなの?』
母は狂ったようにわめき散らし、私を蹴り飛ばしました。倒れた私の上に馬乗りになって、握りこぶしで顔面を殴打しました。
私は歯が何本も折れて、鼻血があふれ出ました。
騒ぎに気付いた父が、あわてて仲裁に入ってくれて、それでようやく、母も冷静さを取り戻しました。
もし、あの時、父が在宅していなければ、私は母に殺されていたでしょうね。
次の日から、母は私を徹底的に虐待するようになりました。
三度の食事は残飯同然のものになり、私の衣服は洗濯もしてくれず、小学校で必要なものすら用意してくれなくなりました。
加えて、何の理由もなく私を殴るようになって。
『おまえは呪われた子だ、汚らわしい』
母はそのようなことを口走りながら、父がいない時、私を激しく折檻しました。
フォークで手の甲を刺されたこともあるんですよ。
ほら、これがその時の傷です。いまでも痕が消えなくて。
暴力だけじゃありません。
時には、ランドセルにたくさん文字の書かれたお札が貼られていたり、背後から塩を投げ付けられたりもしました。
私は、ただじっと耐えていました。
身の回りの世話は、ほぼ父がやってくれました。その父も、母の行為そのものは止めてくれませんでした。
もちろん、姉の佐織にも相談しました。でも、佐織は、
「佑子の味方をしたら私も怒られちゃう」
と言って、何の力にもなってくれませんでした。
ついには、母に佐織と会話すること自体を禁じられてしまって。部屋も別々に離されて。
ある時、私は我慢の限界に達しました。
母をどうにかして困らせてやりたいと、心の底から思うようになったんです。
それで、何をしたかって言うと……。
あのイタズラをもう一度、試みたんです。
ええ、首のないカエルです。
近所の公園や田んぼで、小さなカエルをたくさん集めてきて。
そのカエルの首を、ナイフで一つ一つ、斬り落としました。
そうして作った首なしガエルを、冷蔵庫や浴槽や電子レンジの中や、とにかく、家中にバラまいておいたんです。
母の悲鳴を聞きたい、母が真っ青な顔で、怯え、震えている姿を見たい。
私は、なぜかそういう気持ちになっていたんです。
けれど、母が出先から帰ってくる前に、佐織が先に帰宅して、カエルに気付いてしまったんです。
佐織はパニックになって、気絶しました。口元から泡を吹いていたのを覚えています。
そのあと、父も職場から戻ってきました。
叱られるだろうな。そう覚悟しました。これからは、父も私を殴るようになるのかなと思いました。
でも、父は私に手を上げず、倒れている佐織を介抱することもせず、ただ、私を強く抱きしめました。
「ごめんよ、ごめんよ、俺たちが悪かったんだ。もう許しておくれ。もう成仏しておくれ」
そう言って、泣きながら私を抱きしめました。
そうしたら、私、眠ってしまったんです。そのまま、丸一日、ずっと眠り続けて。
気が付いたら、リビングのソファーに寝かされていて、枕元には優しく微笑んだ父がいました。
父は、私に向かってぽつりと一言、
「母さんと佐織は出て行ったよ。これからは二人で暮らそう」
そう言ったんです。
それからは、父と二人暮らしです。
父は仕事と家事の二刀流で大変だったと思いますが、とても穏やかな暮らしでした。
私は、母の暴力から解放されて、とても幸せでした。
母にも、佐織にも、また会いたいとは微塵も思いませんでした。
一体、母はどうしてあんなにも私だけを虐待していたのか。
たびたび考えてみましたが、当時の私には、どうしてもわかりませんでした。
父に尋ねても、もうそのことは忘れなさい、と言うばかりで、何も答えてくれなくて。
だから、母は精神の病に冒されていたのだろうと結論付けて、それで自分を納得させました。
先日、その父が亡くなりました。
亡くなるにはまだ若い年齢でした。きっと、たくさん苦労を抱えていたんでしょうね。
父が私に遺した最期の言葉は、
「ごめんなさい」
でした。
そこまで話し終えると、佑子さんは手元のコーヒーカップを持ち上げ、すっかり冷めてしまっているであろう中身を一気に飲み干した。
それから、ふうっと大きく息を吐き、姿勢を正して、また続きを話し始めた。
「前置きが長くなってすみません。ここからが、私の話の本題なんです」
父の葬儀を終えて、しばらく経った日のことです。
私は仕事の関係で、田口さんという小料理屋のおかみさんと出会いました。たまたま、飛び込み営業で入ったお店の方です。
戸を開けて、のれんをくぐると、カウンターの中にいらした田口さんが、私の顔を一目見るなり、すごく驚いた顔をなさったんです。それこそ、目をまん丸くして。
私、顔に何か付いてるかな? って不安になって。
だから、名刺を出すのも忘れて、
「どうかなさいましたか?」
と聞きました。
そうしたら、田口さん。初対面の私に向かって、
「ねぇ、あなた、もしかして文恵さんの娘さん?」
そう尋ねてきたんです。
私、何のことだかさっぱりわからず、ぽかーんとしちゃいました。
だって、母の名前は文恵ではないし、親戚にも、文恵なんていう人はいなかったはずです。
いいえ違います、と正直に答えて、文恵さんってどちら様でしょうかと聞き返したら、
「文恵さんは、私の大学時代の後輩なのよ」
田口さんはそう答えました。
そのあと、カウンターから出てきて、私の手を強く握りしめて、
「あなた、文恵さんにそっくりなのよ。もう生き写しと言ってもいいくらい。もし、文恵さんに子どもがいたなら、年齢もちょうど、あなたくらいのはずだし」
興奮気味にそうまくしたてたんです。
そこまで言われたら、こっちも次第に興味が沸いてくるじゃないですか。赤の他人なのに、生き写しとまで言われたんですから。
だから、私、
文恵さんという方のお顔、拝見してみたいです。
と、失礼かと思いましたが、正直に田口さんにお願いしてみました。
そうしたら、田口さん。店舗の二階にある自宅へ上がって、一冊の古びたアルバムをわざわざ取ってきてくれたんです。
そのアルバムをめくって、一葉の写真を私に見せてくれました。
それは、二十人ほどの若い男女が、旅館の大広間で、浴衣姿になって食事をしている写真でした。
その写真を見て、私はハッと息を飲みました。
いたんです。
その中に、自分と瓜二つの外見をした女性が。
田口さんに確認するまでもありませんでした。見た瞬間、この人が文恵さんだってわかりました。
時代が違うから、髪型やメイクは全然違いますけど、それでも、本当に生き写しと言えるレベルで似ていて。
まるで、鏡を見ているような気分でした。
田口さんによると、これは大学のサークル合宿の際の記念写真だそうで、言われてみれば、文恵さんの真後ろに、若かりし日の田口さんも写っていました。
でも、それだけじゃなかったんです。
その写真の中に、文恵さんのすぐ隣に座って微笑んでいる男性がいたんですけど。
その男性、若い頃の父にそっくりだったんです。
私は戸惑って、もう一度、集合写真に写っている人物を一人一人、丁寧に見直しました。
そうしたら、一番右端に写っていた女性にも、見覚えがあって。
その女性、母だったんですよ。
母には、父の葬儀の時も連絡しなかったので、もう十年以上も会っていませんが、その女性の低い鼻や垂れ下がっている目は、記憶にある母の顔と完全に一致していました。
私、なぜか妙な胸騒ぎがしてきて。
それで、田口さんに聞いたんです。
これはどこの大学の何というサークルですか、って。
ぶしつけな質問でしたが、田口さんは気を悪くせずに答えてくれました。
大学名は、たしかに父と母の出身大学でした。
それから、そのサークルは写真サークルだったんですけど、亡くなった父の唯一の趣味が、一眼レフカメラで草花を撮影することだったんです。
それで、私は確信しました。
この写真の二人は、父と母だと。
いまから約三十年前、両親は、私に生き写しの女性と友人関係にあった。
こんな偶然があるのだろうかと、奇妙な感覚に襲われました。
私のそんな内心に気付かず、田口さんはアルバムのページをさらにめくっていきます。
次から次へと見せてくれた写真の中に、気になるものがありました。
父と文恵さんのツーショット写真です。
父は、文恵さんの腰に手を回し、もう片方の手には、一輪の真っ赤なバラを持っていました。
文恵さんも、やはりバラを手にして、はにかんだような表情で、顔を赤らめていました。
私は、田口さんに尋ねました。
この男性と文恵さんは仲良かったんですか、って。
田口さんの返答はシンプルでした。
「ええ。文恵さんと高梨君は、恋人同士だったわ」
それを聞いて、私の頭に一つの考えが浮かびました。
私は、実はこの文恵さんの子なのではないか?
父と文恵さんの間に出来た私を、何らかの事情があって、父と母が育てていたのではないか?
姉の佐織は母の実子で、私はもらい子。
だとすれば、母が私を差別した理由も、少しだけわかるような気がしたんです。
私、会ってみたいと思いました。
この文恵さんという女性に。
私の本当の母かも知れない女性に。
だから、私は田口さんに尋ねました。
文恵さんという方は、いまも御存命なんですか?
どちらにお住まいか、知ってらっしゃいますか?
でも……。
それに対する田口さんの答えは、あまりにも意外なものでした。
「わからないの。文恵さんは、このサークル合宿の直後に行方不明になっちゃったから」
行方不明。
不穏な言葉を聞いて、私の心臓はドクンと跳ねました。
「文恵さんね、突然、いなくなっちゃったの。警察は、文恵さんが自分の意思で家出したって言うの。でもね、文恵さんは高梨君と婚約して、とても幸せそうだった。自分から失踪なんてするはずないのよ」
田口さんは、早口に喋り続けます。
「当時ね。噂があったの。高梨君に横恋慕している女の子がいて。その子が、文恵さんのことを邪魔だと思って、殺しちゃったんじゃないか、なんて」
私は田口さんの話を途中で制して、尋ねました。
その女の子って、どの人ですか?
田口さんが指差したのは……。
ええ、母でした。
結局、私は自分の名前を名乗らずに、田口さんのお店を出ました。
身の上を明かす気には、どうしてもなれなかったんです。
それで……。
ここから先はすべて、私の嫌な妄想なんですが。
もし、田口さんが言っていた当時の「噂」が本当だったとしたら。
つまり、私の母が、三角関係の痴情のもつれで、文恵さんを殺してしまったのだとしたら。
そうすると、すべてのことに辻褄が合うんですよ。
文恵さんは、強い恨みを抱いて死んだ。
成仏できなかった。
だから、父の子を身ごもった母に、取り憑いた。
その怨念は、母が生んだ双子のうちの一人を、自身と瓜二つの姿にした……。
母は私を差別し、虐待しました。
当たり前ですよね。私が年を重ねるに従って、自分が殺した女と生き写しに育っていくんですから。
そりゃ、不気味ですよね。呪われてますよね。
お札を貼って、塩をまいて、除霊したくもなりますよね。
父だってそうです。
父はたびたび、泣きながら私に謝っていました。
あれは、私じゃなくて、文恵さんに謝っていたんじゃないですかね。
父は、母が文恵さんを殺したことを知っていた。
もしかしたら、父も共犯だったのかも知れない。
だから、供養のつもりで、私を一生懸命、育てた。
子どもの頃、首のないカエルの死骸を冷蔵庫に入れた話、しましたよね?
あの時、母に言われた言葉を、いまだに忘れられないんですよ。
『私を同じ目に合わせるつもりなの? 復讐のつもりなの?』
ひょっとして、母は、文恵さんの首を斬り落として殺したんじゃないでしょうか。
だから、首のない死骸を見て、あんな台詞を私に吐いた。
それに、私が一時期、首のない死骸に異様に執着していたのも、文恵さんの祟りだとすれば……。
ほらね。全部、つながっちゃうんですよ。
そこまで一気に話し終えると、佑子さんはさびしそうに力なく笑った。
「結局、私という人間は、誰の子なんでしょうね。私はそもそも、何者なんでしょうか?」
空のコーヒーカップをもて遊びながら、佑子さんはなおも話を続ける。
田口さんとの会話を終えて帰宅した私は、父の手帳に記されてあった母の電話番号にコールしてみました。
もちろん、そんなことをしたのは、人生ではじめてのことです。
けれど。
「この電話番号は使われておりません」
スマートフォンの向こうからは、無機質な機械音声が響いてきただけでした。
その翌日でしたか、二日後でしたか。
不思議なことが一つ起きました。
庭の片隅に、突然、一輪のバラが咲いたんです。
いままで、我が家にバラなんて咲いたことないのに。
もしかしたら、ちょうどそのあたりに、首のない文恵さんが埋められていて、
『私はずっとここにいるよ』
そう言ってるのかも知れないですね。
まさか、そんなことあるわけないか。
あはは。
愉快そうに笑って、佑子さんは長い独白を終えた。