あれは……今からもう五・六年前になるんですね。
当時私は葬儀会社に勤務していました。遺族の方と葬儀の進行についての確認であったり、参列者の出欠席の確認であったり、要望があれば弁当の手配をしたり……そんなことをしていました。
御葬式となりますと、まあ大体が雰囲気はしんみりとしていて、こちらとしても失礼のないように仕事をこなすわけです。
ただ、自分で言うのも何ですが、私は結構口達者(くちだつしや)で誰とでも上手(うま)く話を合わせることが出来るんですよ。一種の特技とでも言うのでしょうか、遺族や参列者の中には葬式の雰囲気が苦手な人もいて、そういったときは気を紛(まぎ)らわすお手伝いとして話し相手になることもしばしばありました。
秋も終わろうとしていたその日は生憎(あいにく)の曇り空で、今にも雨が降りそうなどんよりとした日でした。
それはごくごく身内の者だけで行われた密葬でした。
葬儀は火葬場も併設されている斎場(さいじよう)で行われて、私は棺桶に入れられた御遺体を安置室から斎場に移動させていました。
葬儀の開始時間にはまだ早いのに、既に御遺族の方(かた)がちらほらと見受けられて……
生前はきっと慕われていたんだろうなあ……
私はそんなことを思いながら仕事を続けていました。
集まったのは全部で二〇人くらい。
葬儀が始まって、最後に火葬する前に、一人一人仏様と顔を合わせてお別れの挨拶(あいさつ)をしました。
棺桶に納められた仏様の顔は、痛みに苦しんだのか、それはもう鬼の形相だったんですよ。生前は一九〇センチ近い体格で体重も一〇〇キロはあった巨漢の方だったらしいんですが、棺桶に納められた御遺体は五〇キロあるかないかくらいにまで痩せ細って……話を聞くと末期の癌だったらしく、壮絶な最期だったんでしょうね。
ただ、今思えば、癌で亡くなったと言うのも怪しいのではないかと……
その時は何か変だなって思った程度だったんです。
何が変って、故人を見る一人一人、ニコニコ笑いながら仏様を見ていたんです。
地域や宗教によっては、楽しく賑(にぎ)やかにあの世に送ってあげようという風習や教えもありますから、気にはなっても特別におかしいとは思わなかったんです。
でも……
最後の一人となった男性が棺桶の前に来ると、不意に私に向かってこう言ったんです。
「ここに、カニとエビを持ってきたんですが、入れても良いですか?」
遺族の方(かた)が別れを惜しんで棺桶に何かを入れるときって、故人が愛用していた物……遺族の想いを込めたいわゆる『副葬品』と呼ばれる品物を入れることは必ずと言っていいほどあるんですよ。でも、生(なま)ものはちょっと記憶になくて……
勿論(もちろん)、入れてはいけない物もあるんですよ。プラスチック製の物は燃焼時に有毒ガスを発生させる可能性がありますし、革製品なんかも同じ理由で入れてはいけないことになっています。
でも、生ものに関しては特に規定はなかったので、私は何も気にすることなく、
「どうぞ」
と言いました。
すると、その男性は、
「ありがとうございます」
と、穏やかに言われ、私に一礼しました。
礼儀正しい人だなあと思いながら、私はその男性がクーラーボックスを開ける様子を見ていました。中にはそれはもう立派なタラバガニが一杯、伊勢エビが一匹入っていて、お金にすると幾らするんだろうと、下世話なことを思いましたが、そんな事までしてあげるくらいですから、故人は余程世のため人のために尽くされたんだと思いました。
火葬には結構時間が掛かりますから、その間(あいだ)は暇なんですよ。
大抵は控室でお弁当を食べたり、世間話をしたり、スマホをいじったり……
しかし、ここで異様な光景を目(ま)の当たりにしたんです。
さっきも言いましたが、遺族の中には葬儀の雰囲気が苦手な人もいますので、そんな人がいたらお話し相手になってあげようかと、御遺族の様子をちょっと見に行ったんです。
この葬儀に参列していた約二〇名全員、控室でお弁当を食べていたんですが、おかずが牛肉のステーキだったんです。それも骨付きのTボーンステーキ。
十年近く葬儀会社に勤めていましたけど、あんなお弁当を食べているのは後にも先にもこの時だけでした。これも故人を見送る一種の作法なんでしょうか。
タラバガニと伊勢エビを食べているのであれば、まだ話は分かるんですよ。故人を偲(しの)んで同じ物を食べる。
でも、そうじゃない。いくら資産家とは言え、ひとつ一万、二万、いや三万円は下らない豪華なお弁当を、それも葬儀の場で……
それだけでも異様なことなのに、何一つ話すことなく、ただ黙々と、しかし顔はニコニコ笑いながら食べている。
そうして、ようやく食べ終えたと思ったら……
急に骨をしゃぶり、ガリガリ音を立てながら骨を囓(かじ)り出したんです。
カニバリズムって聞いたことないですか。
人間が人間を食べる行為、つまり食人のことです。
私はなぜかそれを思い出して、見ていて吐きそうになりました。
骨を囓り倒すと、遺族の人達は皆容器に蓋をして、熨斗(のし)も戻して、弁当箱をボックスに仕舞ったんですが、その礼儀正しさが却(かえ)ってまた不気味に思えて……
勿論、その間もずっとニコニコしてるんですよ。
何なんだ、こいつら?
胸がムカムカするのを覚えつつ、その様子を見ていると、今度はポケットや鞄から小さな紙袋のようなものを取り出したんです。
あれって、多分昭和の時代に使われていた薬包紙(やくほうし)だと思うんですが、その中に入れられている粉末状のものを水と一緒に飲み始めたんです。
何かの薬?
一人や二人なら分かりますが、全員が同じ物を飲みます?
あれもこれもが気持ち悪くなって、私は急いでその場から立ち去ろうとしました。
すると、思わずくしゃみが出てしまって……
あっ、と思って遺族を見たら……
全員、私を見ているんですよ。特に、故人の奥さん、息子さん、それから故人の弟さんのその目力たるや……何て言えば良いんでしょう、悪魔に取り憑かれたような……そう、そうですよ、故人の形相に似てるんですよ。でも口元にはずっと薄ら笑いを浮かべてニコニコしてる……
どうすれば、こんな表情が出来るんだろう……
とても人間業(にんげんわざ)とは思えず、私は鳥肌が立つのを覚えました。
「もう間もなくしたら荼毘(だび)が終わりますので、準備をしておいて下さい」
とにかくそれだけを言うと、一刻も早くその場から離れたかった私はそそくさと退散して斎場の外に出ました。
外は空一面ねずみ色に変わっていて、時々ゴロゴロと音がしました。
雷自体はそんなに苦手ではないんですが、斎場で聞く雷はやっぱり嫌いでした。不気味ですし、斎場では変なことがよく起きるんですよ。しかも、今日は心霊的なものではなくヒトコワの類(たぐ)い。
やだやだ、拘(かか)わりたくない。
そう思いながら、たばこを吸わない私は一服替わりにコーヒーを飲もうと思って自販機に向かいました。
缶コーヒーを取り出して蓋を開けると、一口飲んでからiPhoneを上着のポケットから取り出しました。
すると、iPhoneが、
「Hey Siri」
と言ったんです。
体が凍り付いたように、私は身動き出来ませんでした。
あり得ないんですよ。どう考えたっておかしいんですよ。私はSiriが嫌いなんです。だからずっとオフにしてるんです。それなのに「Hey Siri」ってiPhoneが言ったんです。
そもそも「Hey Siri」って言うのは、質問者が言う言葉ですよね。質問される側のSiriが言うことじゃないですよね。しかも音声がSiriじゃないんですよ。聞いたことのない男性の低い声だったんですよ。
金縛りに遭ったかのように、いや、今思えばあれは金縛りだったんですよ。私の体は全く動かず、目だけをギョロッと動かしてじーっとiPhoneを見ていたら、
「貴様ら、貴様ら」
と、iPhoneから声が聞こえてきたんです。低くかすれた、殺意に満ち満ちたような声で……そしたら、突然画面がブラックアウトして……
もう怖くて怖くて、私はiPhoneを投げ捨てようとしました。でも、金縛りに遭っている体は硬直してしまって、投げ捨てるどころか自分の意志に反してぐっと力を入れ小刻みに震える手でiPhoneを握りしめるんです。
そしたら、真っ黒な画面にあの鬼の形相が浮かんできたんです。
ブルブル震える手のせいで、左手に持っているコーヒー缶からは中身が零(こぼ)れて……
動け、動け。
心の中で念じながら、何とかiPhoneを離そうとしても、執念の権化(ごんげ)のような故人の顔が私を睨んで、
「貴様ら、貴様ら」
と、低く唸るような声で言うんです。
関係ない。俺は関係ない。
心の中で何度もそう念じました。しかし、声は静まるどころか、どんどん強くなってくる……
その時でした。
ポンと肩を叩かれたんです。
私の体はビクンと震え上がり、でも、それで金縛りが解けて、それまで抑えつけられていた力が一気に解放されてiPhoneと缶コーヒーを勢い余って空中に放り投げてしまいました。
私は空中に舞い上がったiPhoneを見ると、地面に落ちるまで見続けました。
地面に落ちたiPhoneはブラックアウトしたままでした。
ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ……
私の耳に聞こえてくるのは、大きく乱れる私の息のみ……
何だったんだ、今のは?
そう思った途端、今度は急にバッと火が噴き出して、物凄い勢いで燃え始めたんです。
私はもう呆然と、ただ燃えるiPhoneを見ることしか出来ませんでした。
と、その時でした。
ガシッと何か大きな手のようなものが私の体を掴んで、またしても身動きが出来なくなったんです。
「ううっ、ううっ」
私は助けを呼ぼうにも唸り声しか出せず、更に燃えさかるiPhoneからは、
「貴様ら、貴様ら……」
と、再びあの声が聞こえてきたんです。そして、勢い噴き出す炎はあの故人の顔になり、恨めしい鬼の形相で私の顔を睨み付けてくるんです。
その場から逃げたい一心が私の体を反(そ)らせ、歯を食いしばらせる。
しかし……
その顔も次第に勢いを失っていく炎とともに段々と崩れ、声も弱々しくなり、そうして炎の顔が完全に消えると、声も聞こえなくなりました。
「申し訳ありません」
体がビクッとしたと同時に、私は思わずヒッと声を上げてしまいました。
振り返ると、そこにはあの男性が立っていたんです。
そう、カニとエビを入れても良いですかって言ったあの男性ですよ。
「すみません。そんなつもりじゃ……」
と言いながら、男性は燃えカスとなったiPhoneを見下ろしました。
「弁償します」
「いや、いいです」
「どうされたんですか。手、震えてますよ」
「あっ、いや、別に」
「顔色、悪いですよ」
「うるさい」
耐えがたい恐怖が怒りに変わって、私は思わずその男性の顔を睨みました。
すると、その男性はニヤッと笑って、
「心配しないで下さい。私はあなたの味方ですよ」
味方?どう言う意味だ?この男は一体何を言ってるんだ?
「iPhoneは弁償します。それから、今はまだ戻らない方が良いですよ。遺族も故人もまあどうしようもないクズですから」
「……あなたは遺族の方ではないんですか」
息も絶え絶えに尋ねると、
「違いますよ」
「じゃあ、誰なんですか」
「コーディネイト、とでも言っておきましょうか」
「どう言う意味ですか」
「文字通りですよ。遺族と故人を上手くまとめるのが私の仕事です」
「弁護士の方なんですか」
「まあ、そんなものです」
「何の新興宗教ですか」
「それは違います。遺族は至って普通の人達ですよ。それはもう普通の人達です」
とは言うものの、その言い方には妙に含みがあり素直に受け取ることは出来ませんでした。
「ただ、もし言えることがあるとすれば、人は生きているうちに良い行いをしておかないとね……そう言うことです」
慕われていたなんてとんでもない。故人は嫌われていた。いや、憎まれていた。それも今日参列している全ての人達に……
「ちょっと聞いても良いですか」
「何です?」
「あの人達が飲んだもの、あれは何ですか」
「……ああっ、弁当を食べた後に飲んだあれですか?」
「そうです」
「あれは水晶を砕いて粉末にしたものです」
「何でそんなものを?」
「水晶には浄化作用があるんですよ」
浄化?何を浄化するんだ?
謎めく思いにまだまだ尋ねたい気持ちに駆られましたが、この男性の落ち着いた雰囲気を見ていると、そのオーラに弾(はじ)かれると言うのか、これ以上は聞いてはいけないように思えてなりませんでした。
外では雨が降り始めて、斎場を強く激しく打ち付ける音が室内に響き渡りました。
ようやく火葬が終わり、遺族は火葬炉から出された故人の遺灰を囲むようにして立ちました。副葬品として入れられたカニと伊勢エビも故人が綺麗に平らげたように無くなっていました。そして熱い空気がヒシヒシと伝わってくる中で、いよいよ最後の作業である違い箸を使っての拾骨(しゆうこつ)をすることになったんですが……
火葬された骨は、子供や体の小さい人など一部の例外を除けば、完全に灰になることはまずありません。大人であれば、形を留めた骨が幾つかは残るものなんですね。だから拾骨が出来るわけですが、この故人は体格が良かったせいか、大腿骨や骨盤、それから頭蓋骨など、大きな骨の部分は結構な塊(かたまり)として残っていたんです。この故人のように体の大きい人にはそれはありがちな事なんですが、ただひとつだけあり得ないことが……
焼け残ったその全ての骨に噛み千切ったと思われる歯形が幾つも、しかもくっきりと残っていたんですよ。見間違いじゃない。確かに、歯形だったんですよ。
嘘だろ。あれって、まさか……
火葬の熱は体中にガンガン伝わってくるのに、私の体の中ではゾワゾワと悪寒(おかん)が駆け巡りました。
そんな私が気になったのか、例の男性が私の耳元に顔を寄せて、
「大丈夫ですよ」
と言うと、その男性は何もない空間を見始めて、ある一点で目を留(とど)めたんです。
すると、奥さん、息子さん、弟さん、遺族全員、その男性が見詰めているある一点を、歯を食いしばって睨(にら)み殺すかのように見始めたんです。誰も骨なんて拾わない。両目が零(こぼ)れ落ちるんじゃないかって言うくらい目を見開いて睨(にら)み続けるんです。
そうして少し経ってから、その男性は私を見てまたニヤッと笑うと、遺族に向かって、
「おめでとうございます」
とだけ言ったんです。
何言ってるんだろう?
ガタガタと体の震えが止まらない私は、それを悟られまいとして両手を握り合わせ必死に堪(こら)えてました。
しかし遺族はそんな私を全く気にすることなく、
「大丈夫ですよね?」
と、喪主である奥さんがその男性に尋ねると、
「はい。跡形も無く消えました」
すると、誰もが呪いから解放されたかのように晴れやかな顔になって、取り分け奥さんは嬉々として、
「ありがとうございました」
と、お礼を述べたんです。
そして、息子さんは、
「やっと、終わった」
と一言だけ……
何なんだ、この人達は?
私は叫び声を上げながらその場から逃げたかった。
でも、怖くて足が動かなかった。
すると、おもむろに奥さんが私に近づいてきて、
「骨はそちらで処分して下さい。追加料金がいるのなら遠慮無く請求して下さい」
と言うと、ぞろぞろと全員出て行ったんです。
そうして、その場に残ったのは、私とあの男性の二人だけ。
「大丈夫ですか」
誰もいなくなって少しは恐怖が収まったからなのか、
「何なんですか、あいつらは?」
と、何とか口に出すことが出来ました。
「気にしないことです。お金はしっかり請求して下さい」
そうして、その男性も帰っていったんですが、帰り際に言った最後の一言が今も頭に焼き付いて消えないんです。
「どんなに恨(うら)みに満ちた顔をしても、本当の御臨終を迎えたら何も残りませんからね」
私はこれがきっかけとなって葬儀会社を辞めたんですが、噂で聞いた話では、あの故人は甲殻アレルギーでカニやエビなど口にしたくても出来なかったそうなんです。
あっ、それから……
残されたあの資産家の一族はその後破産、一家心中したとニュースを見て知りました。
終わり