「祀られたもの」

投稿者:半分王

 

オカルトに興味はないし霊感なんかもちろん無い。
でも自分には関係ない世界だと思っていても、自然と巻き込まれる事もある。
俺の場合はまさにそれで、ただ真面目に働こうと思ってただけなのに選んだ会社がまずかった。
ありえない出来事を目の当たりにして人間不信にもなった。
そんな俺から、これから社会人になる人にひとつだけ言わせてもらいたい事がある。
それは、わけのわからないモノを祀っている会社は絶対にやめとけって事だ。

高校時代はあまり家に帰らず友人と遊び歩いていて両親には本当に苦労をかけた。
だから、周りはとりあえずで大学進学を選ぶ奴が多かったが俺は高卒で就職する事にしたんだ。
そう思い始めたのが卒業間近の事で、学校に来ていた求人案内もほとんど無くなっていてどうしようかと悩んでいると、担任が掲示板に貼り出されていない企業を紹介してくれた。
そこは成績が悪かろうが高校時代の生活態度が悪かろうが、やる気と体力さえあれば雇ってくれると言う体育会系の企業だった。
選り好みできる立場でもなかったし、なにより高卒にしてはかなりの給料が提示されていたので俺は面接を受ける事にした。

そこからはトントン拍子に話が進み、すぐに面接・即日採用という事になって晴れて4月から就職と言う運びになった。
両親に話すと凄く喜んでくれて、これでやっと親孝行できるな、なんて思っていた。

社会人としての初日。
面接や契約手続きは市民会館で行った為本社に出向いた事がなかったので、車のナビに会社の住所を打ち込んで向かった。
割と山の方にあるらしく、通勤には40分ほどかかった。
周りが田んぼだらけになってきてやっと会社が見えてくると、俺は言いようのない不安感に包まれた。
きっと緊張してるからだ、そう自分に言い聞かせて会社の駐車場に車を停めた。
今日からお世話になるこの「幡野工務店」は社長と専務の幡野兄弟が立ち上げた会社で、木材の製材所と建築までを一社で行い急成長を遂げている会社だ。
正面入り口に向かうと、見知った顔があった。
面接の時にいた俺と同じ18歳の篠田だった。

「川崎、お前も受かったんだな!
って言っても、面接受けたのは俺らだけだったけどな」

見た目は赤茶色の坊主でヤンキーあがり丸出しだが、人懐っこい笑顔で声をかけてきた。
1人での初出勤にならなくて良かったと心の中で篠田に感謝し、俺達は受付へ向かった。

総務の高橋さんと言う女性に入社初日の説明を受け、ロッカーに荷物を置いてから2人で社長室に挨拶へ向かった。
篠田は相変わらずテンション高く話し続けているが、社長室に近づくにつれて俺はある違和感を感じていた。

…くさい。

生ごみとか腐敗臭がする物を甘ったるい芳香剤とかでごまかそうとして、余計に気持ち悪い香りになるあの感じ。
篠田は気付いていないのだろうか、緊張する!とか独り言を言っている。

俺は気持ち悪くなってうずくまりそうになったが、そんな事おかまいなしに篠田がドアをノックした。

「おはよーございます!
本日からお世話になります、篠田と川崎です!」

すると中から低くドスの効いた声で「入れ」と聞こえた。
とりあえず匂いの事を気にしないように気持ちを切り替え、ドアを開けた。
その瞬間廊下で感じたのとは比べものにならない異臭が俺を襲って来て
、思わず口元を押さえてしゃがみ込んでしまった。

「臭かったか?
すまんな。
世界中の香(こう)やアロマが好きで集めててな、鼻がいい奴にはちとキツかったか」

顔を上げると、部屋の奥に2人の男性がいた。
立派なデスクの向こうにいるのは、腕まくりして見えている部分や顔中に切り傷の跡がたくさんあるコワモテの男。
その横に立っているのは面接と手続きで顔を合わせた専務だ。
どちらも年齢は50代と言ったところか。

「俺が社長の幡野だ。
主に製材所の方が俺の管轄だ。
横にいるのは弟で、建築関係の業務全般を任せてる。
この業界ではかなり景気はいいぞ!」

見た目は恐いが気持ちのいい人のようだ。
隣に立つ専務は穏やかに笑っている。
俺と篠田は順番に挨拶し、部屋を後にしようとした。

「あー待て待て、ウチに入社したらまずこいつに手ぇ合わせてもらわないとな」

社長はそう言いながら自分の背後の壁にかかる神棚を指差した。
随分立派な神棚だが、真ん中の扉が閉まっている。
手を合わせるって一体何に?と思っていると、専務が脚立に登り扉に手をかけた。
…嫌な予感がする。
俺には霊感なんかないが、あそこに入っているのは神聖な物なんかじゃないのが何故かわかった。
しかしそんな俺の気持ちなんかお構いなしに扉が開けられた。

「うっ…!」

社長の前という事も忘れ、俺は顔を歪めた。
開かれた神棚、そこにあったのは拳大の大きさの赤黒い石。
そこから部屋中の甘い香りを消し飛ばす程の強烈な悪臭が漂ってくる。
血生臭いような、腐敗臭。
俺が必死で吐き気を我慢していると、まるで品定めするようその様子を社長と専務が見つめていた。

「大丈夫かね、川崎くん。
顔色がすぐれないようだが」

専務が無表情なまま聞いてくる。
俺の反応を伺ってるようだ。
込み上げてくる胃液を必死に飲み込み、俺は平気ですと答えた。

「篠田くんはどうだい?
これを見て、何か感じたかい」

同じように篠田にも声をかける。

「いやー、なんつーか…
神秘的っつーか、不思議な感じの石ですね!
なんかご利益がありそうと言うか」

篠田はこの匂いに気付いていないのか、あっけらかんと答えた。
その答えを聞いて社長達はお互いに頷き合い、俺達の方へ向き直り優しく微笑んだ。

「と言うわけで、これがウチの会社が祀るものだ。
これに手を合わせるのが入社の儀式みたいなモンだから」

とりあえず2人で目を閉じて手を合わせる。
その間も石から悪臭が漂って来たが口呼吸をしてなんとか我慢した。
俺達が目を開けると専務は扉を閉めた。
それから業務内容と会社の歴史なんかを説明され俺達は社長室を後にした。
歩きながら篠田に聞いてみる。

「社長室で変な匂いしなかった?
特にあの変な見せられた時とかさ」

「匂い?
別に俺は何も感じなかったけどな」

どうやらあの匂いを感じたのは俺だけだったようだ。
今思えばおかしな事だけど、よっぽど鈍感なのか鼻が悪いかそんなとこだろうなとその時は深く考えなかった。

そこから1週間俺と篠田は見習いとして担当の職人さん達について様々な作業を見て回り、次週からはいよいよ配属先が決まる事になった。

「いやぁ、疲れたけどなんとか最初の1週間乗り切ったな!
体力勝負の仕事だけど優しい職人さんばっかでマジでこの会社選んでよかったよ」

俺もそう思うと答えて2人で帰る準備をしていると、更衣室に各部署の上司達が入って来た。

「おう、お疲れさん!
明日は土曜だし今夜時間あるか?」

「これからお前らの歓迎会するぞ!
もちろん無礼講だから安心して呑もうぜ」

本当はクタクタで早く帰りたかったが断るのも悪い。
それに俺達はまだ18だから酒は飲めないけど、先輩達と親睦を深めるにはいい機会だと思ったので快諾した。

社長と専務は不参加だったが、30人程いるほとんどの社員が歓迎会に参加してくれた。
皆がいい感じに出来上がって来た頃、先輩達がこんな事を言い出した。

「それはそうと、今年はどっちが社長のお気に入りになるかな?」

「パッと見た感じ、篠田がお眼鏡にかなってそうだったけどなー」

「おい篠田ー、お前これから覚悟した方がいいぞ」

口々にこんな事を言われ篠田は少し不安になったのか、笑顔だが目が笑っていない。

「それってどう言う…?」

篠田が恐る恐ると言った感じで聞いた。

「そんなビビんなって!
社長、毎年気に入った新人にはベッタリなんだよ。
期待の表れってやつじゃねえか?
その期待が重くて辞める新人もいるから、そう言う意味で覚悟しとけって話だ」

それを聞いて少し安心したのか、篠田もいつもの調子に戻ったようだった。

それから皆の予想通り篠田は社長の管轄の製材所の方に、俺は現場での建築作業に配属された。
俺は俺で先輩の足を引っ張らないように必死で仕事を覚えようと、日々は目まぐるしく過ぎていった。
この会社は完全定時制で、どの部署も18時までには必ず帰ると言うルールがあった。
おかげで部署が違っても篠田とは毎日話す時間があり、一緒に帰るのが日課になった。
そんなある時、篠田が社長室の清掃を任されている事を聞いた。
清掃は部署ごとにあるが、社長室の清掃を誰が割り振られているかは知らなかった。
よっぽど気に入られてるんだなと言うと篠田は少し困ったような顔をした。

「それがさぁ、なんか変なんだよな、あの社長室。
お前も前、変な匂いがどうとか言ってただろ?
俺は匂いは気にならないんだけど夕方1人で掃除してるとさ、変な声が聞こえんだよ」

「声?」

「ああ。社長室の裏って製材所の設備室と繋がってるらしいんだけど、そこから猫みたいな鳴き声がするんだよ。
絶対に入るなって言われてるから中を覗いた事はないんだけどさ。
なんか不気味じゃねぇ?」

それを聞いて俺は何故か、初日に感じたあの悪臭の事を思い出していた。
あれ以来社長室には入ってないが、社長室の近くの廊下を歩くと相変わらずあの匂いはして来ていた。

「でもせっかく社長が大切な部屋の掃除を任せてくれてるからさ、やりたくないですなんて言えなくてさ。
別に幽霊とかお化けとかも信じてないし、ただ不思議だなーと思ってさ」

そう言うと篠田はいつもの明るい顔に戻ったが、俺は嫌な予感がしていた。

翌日、俺は休憩中に先輩に篠田の事を話した。
この先輩も高卒でこの会社に入って今年で7年目になるらしいので、社長室のあの匂いの事や裏から聞こえる声の事を何か知っているんじゃないかと思ったからだ。

「そっか、篠田もあの声を聞いたんだな。
それなら近いうちに飛んじまうかもな」

タバコの煙を吐きながら答えた先輩にどう言う事ですか?と聞くと少し言いづらそうに話してくれた。

「俺が入社した時、新入社員が5人いたんだよ。
その中の1人と俺は気が合ってよく話す中になったんだけど、そいつが社長に気に入られてさ。
仕事に慣れて来た頃に社長室の掃除を任されるようになって、少ししてから仕事に来なくなっちまったんだよ。
仕事がキツくて飛んだって事になってるけど、そんな事する奴じゃなかった。
盆の連休空けにいきなり音信不通だ。
おかしいだろ?
それに、いなくなったのはそいつだけじゃないんだ。
俺が入社して7年間、必ず毎年1人新入社員が飛んでるんだよ。
みんな社長のお気に入りだった奴ばかりさ」

嫌な予感がした。
篠田が感じてる違和感はきっと偶然とか気のせいなんかじゃない。
先輩達が歓迎会で覚悟しとけよって言ってたのは冗談じゃなかったんだ。
俺は他にも聞きたい事があったが、休憩が終わってしまい仕事に戻らなければならなくなった。

「俺から話せるのはこれくらいだ。
不安にさせたくなかったんだけど、黙っててごめんな」

そそくさと立ち上がる先輩背中に俺は1つだけ質問をぶつけた。

「あいつはなんで社長に気に入られたんでしょうか。
あの神棚の石と関係あるんですか?」

先輩は俺の方を振り返らず答えた。

「お前は感じたんだろ?
沢山の甘ったるい香りの中から襲ってくるあの悪臭を。
社長に気に入られるのはそれを感じない奴だけなんだよ」

その日は仕事が手につかなかったがそれどころじゃなかった。
早く篠田にこの事を話さないといけない。
作業を終え会社に戻ったのは17時を過ぎていた。

「川崎〜!
頼む!
一生のお願いだぁ〜!」

急に後ろから話しかけられギョッとして振り返ると篠田だった。

「今日だけでいい、社長室の掃除変わってくれ!」

理由を聞くと、どうやら受付の高橋さんと飯に行く約束を取り付けたらしい。
初日に出会った高橋さんはドンピシャでずっと狙っていたようだ。
受付の女性陣は17時半の定時ぴったりで帰ってしまう為、掃除をしてると一緒に帰れないと言う事らしい。

「お前な、そんな事言ってる場合…」

そこまで言いかけて俺は考えた。
これはチャンスだ。
こいつの代わりに掃除に行けば、部屋を調べる事ができる。

「わかった、今日だけだぞ」

「マジで助かる!
今日は社長と専務は客先から直帰だって言ってたから、掃除終わったら勝手に帰って大丈夫だと思うから頼んだぞ!」

そう言うと篠田は鼻歌を歌いながら更衣室に入っていったので、俺は急いで社長室に向かった。
廊下を進んでいくと、初日に感じた生臭さが漂ってくる。
俺は吐きそうになるのを必死で堪え部屋に入り、神棚へ向かった。
神棚の扉は閉じているが、匂いは初日の時よりも濃く漂って来ているように感じる。

…んにゃあ。

時が止まったように感じた。
設備室に続くドアからはっきりと猫のような声が聞こえた。

んにゃあ。んにゃあ。

その声をは間を空けずに聞こえて来た。
猫じゃない。
それは人間の赤ん坊が泣いている声のようだった。
しばらく固まったままその声を聞いていると、泣き声の合間に何か言ってるのが聞こえた。

んにゃあ。んにゃあ。
…ホシイ…ホシイ…
んにゃあ。
…ホシイ…ホシイホシイ…

全身がぶわっと総毛立った。
一刻も早くこんな所を離れたいのに、何故かこの声が気になって仕方ない。
何を思ったか俺はそっとドアを開けて中を覗いていた。
中は薄暗くて何かの機械が点々とある広い空間だった。

んにゃあ。んにゃあ。
ホシイホシイホシイホシイ…

その声をが聞こえる方に目を凝らすと天蓋付きの巨大なベッドのような物が置いてある。
そこで泣きながら何かを欲しがっていたのは、3メートルくらいの大きさの肉の塊だった。
俺は息を止め、気付かれないようにそっとドアを閉めて社長室から逃げるように走り去った。
心臓がバクバクと鳴り脂汗が止まらない。
更衣室に逃げ込み息を整え、今見た事を思い出す。
アレがなんなのかはわからないが、間違いなくまともな生物ではない。
欲しい欲しいと赤ん坊の声で泣く肉塊。
毎年突然いなくなる新入社員。
そして、腐敗臭を放つ祀られたもの。
これらが無関係とは到底思えなかった。
篠田に話さなければ。
そう思い篠田に電話をかけたが何度かけても繋がらない。
仕方ないので緊急の用事があるとメールを送り、俺は家に帰った。
その夜から俺は体調を崩し寝込む事になった。
鼻の奥にはあの生臭さが、頭の中にはあの泣き声がこびりついて離れない。
この体調と関係があるかはわかないが、一向によくならず数日会社を休む羽目になった。
お盆の連休前だというのに建築部の部長は嫌味の1つも言わず、このまま有給使ってお盆明けまでゆっくり休めと言ってくれた。

篠田からメールの返事や電話が来ていたが、連絡を取ろうとすると鼻の奥にあの匂いが蘇ってひどい目眩や吐き気に襲われてしまう。
何日経っても体調は戻らず、満足に動く事ができないので何もできないままお盆を迎えようとしていた。

明日から連休と言う日の夕方、篠田からメールが届いた。

「大丈夫か?
今日帰りにお前んちに寄るよ。
連休前に大事な話があるって社長から呼び出しくらったからその後な。
俺最近めきめき成長してるし、臨時ボーナスもらえたりして」

ダメだ!
ずっと寝ていたせいできしむ体を無理やり起こし、フラフラしながらも車を飛ばし会社へ向かった。
おそらく篠田は、あの肉の化け物の生贄かなんかにされてしまうんじゃないか。
何の為にそんな事をするのかはわからないが、毎年新入社員が消えている事とあの化け物が無関係とは思えない。
篠田は、あいつはいい奴だ。
バカっぽい所はあるけど底抜けに明るくて、新しい世界に踏み出す俺の不安を軽くしてくれた。
このまま会えなくなるなんて絶対に嫌だった。

なんとか事故らないように会社に着いた時には19時を過ぎていた。
駐車場には篠田と社長、専務の車しか残っていてない。
俺は急いで社屋へ向かうと、正面入り口は鍵とセキリュティがかけられていた。
俺はもちろん鍵など持たされていない。
仕方なく製材所の方へ回ると、こちらも入口やシャッターは閉められていたが外の喫煙所と繋がるドアだけ鍵が開いていた。
そこから中へ入ると、木材の香りに混じって血生臭い匂いが鼻をついた。
そして聞こえる赤ん坊の泣き声に混じって、悲痛な叫びが聞こえた。

「うわあぁぁぁぁ!」

「もう嫌です、勘弁してください!」

「これ以上は無理です!」

篠田の声だ。
俺は壁に手をつきながら奥の設備室へ向かった。
半開きになっている鉄のドアを開くと、そこには俺の予想とは全く違う光景が広がっていた。

あの天蓋付きのベッドから身を乗り出して欲しい欲しいと泣く肉塊。
その前で上半身裸で椅子に座る社長。
その社長の顔や体を小型のナイフで泣きながら切り付けている篠田。
社長の体から吹き出る鮮血を、50㎝はあるでかい盃に集めている専務。
俺が予想とは違ったが、まさに地獄絵図だった。

「篠田、何やってんだ!」

俺がなんとか声を振り絞って叫ぶと、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を向けて篠田が叫んだ。

「俺だってこんな事したくねぇよ!
でも、やらないと社長が…」

訳のわからない事を言って尚も続けようとする篠田を止めようと近づくが、それを制したのは社長だった。

「川崎、こっちへ来るな!
もうすぐ終わる。
終わったら全部説明してやる、黙ってそこで見てろ!」

社長の怒気に威圧され俺は足を止めた。
理由はわからないが、社長の傷だらけの顔や腕はこうやって切り付けられたものだったんだ。
よく見ると盃の中が半分くらい社長の血で満たされている。
いつからこの行為が始まったのかわからないが、篠田も社長も憔悴しているようだ。
専務がもう十分だと篠田を静止し、盃を運び肉塊へと捧げるように持ち上げた。
篠田はナイフを落としてその場にへたり込んでいる。
いつの間にか肉塊の泣き声は止んでいて、その体の左右からカタツムリの触覚のように2本の腕をにょろにょろと伸ばして盃を受け取った。
そのまま上の方に付いている小さな赤ん坊のような顔で盃の血をゴクゴクと飲み干した。
目の前で起こっている事が理解できない。
肉塊はでかいゲップをして盃を床に落とし、のそのそと体の向きを変えている。
そして顔と反対側、尻の方をこちらへ向けたかと思うと、まるで排泄するように肉が折り重なった部分からボトンと何かを落とした。
それは艶々に赤黒く光るあの石だった。
満足したのかもう泣く事もなく、その肉塊はベッドにゆっくりと深く沈んで動かなくなった。
専務はぐったりと動かない社長の体にガウンを被せ、ゆっくりと立ち上がらせて社長室へと歩いていく。
俺は篠田に肩を貸し専務について行った。

社長はソファに腰掛けている。
専務はそんな社長の傷口の血を拭き取りながら包帯を巻いていた。
社長は俺と篠田に対面のソファに座れと言った。

「今からここで何があったか説明してやる。
お前らとはここでお別れだからな」

社長の意図が分からず困惑していると、社長はゆっくり話し出した。

「この会社が建つこの山はもともと爺様の所有する土地だったんだ。
いい木材になる林も多いし、広いから整地して事業をしようと何度も相談したんだが爺様は決して首を縦には振らなかった。
この山は先代から受け継いだ大事な土地だからってな。
そして、うちの一族に反映をもたらしてくれるものを祀っている山だから絶対に手を加えてはならないと言って聞かなかった。
けど俺たちには野心も自信もあったからどうしてもこの土地が欲しかったんだよ。
そんな時、爺様が脳梗塞でコロッと逝っちまった。
俺たちはチャンスとばかりに親族の反対を押し切ってこの土地を開発したんだ。
本当にバカだったよ。
年寄りの言葉はちゃんと聞くべきだったんだ」

そこまで言うと社長は痛みに顔を歪め、ウイスキーを煽った。

「重機で山を整地する中で、木々に覆われていた祠に気付かず潰してしまったんだ。
親父に聞くと、それが爺様が祀っていたものらしい。
しかし俺は迷信なんか全く信じないタチでな。
山は思った通りいい材質の木が多かった。
腕のいい職人も集め、いよいよ会社が開業するって時にあれがやって来たんだ。
あの、赤ん坊みたいに泣くデカい肉玉がな」

俺はそれを聞いてさっきの光景を思い出して身震いした。
つまり、社長のお爺さんが祀っていたものって…

「開業直前、俺と弟は最後の点検を行っていたんだ。
すると裏の山からあの赤ん坊が泣きながら降りて来たんだよ。
欲しい欲しいって言いながらな。
金縛りみたいに固まってる俺を掴んで、鋭い爪がなんかで俺の体を切り裂き始めた。
骨までは行かないが、血が沢山溢れるように深く切られたよ。
そして俺の体から流れる血をゴクゴク飲んで、満足したように俺を地面に降ろした。
それでさっきと同じように、ケツの穴からあの石を捻り出してぐうぐう寝ちまったのさ。
訳がわからなかったが、命だけは助かった。
治療を受けた後、あの化け物をどうしたらいいか腕のいい祈祷師を呼んで聞いたんだ。
そしたらよ、あれは神に近い存在だから手出しできないって言うんだよ。
その石もおそらく爺様が祠に祀っていたものだからそれを祀れって言い出した。
開業も迫ってから仕方なくフォークリフトで肉塊を設備室に運んで隠し、あの臭え石を神棚に祀ったんだよ。
そしたらやる事業やる事業全部上手くいく。
本当にご利益があったんだよ。
だけどあれは1年に1回、必ず俺の血を欲するんだ。
もちろん逃げようともした。
だが、この土地から離れようとすると体中の傷跡から血が吹き出して倒れちまうんだ。
俺はもうこの土地から離れられない。
成功と引き換えに俺は死ぬまでここを離れられないのさ」

そう言って自虐的に笑う社長に、俺はずっと気になっていた事を聞いてみた。

「新入社員が毎年音信不通になるってのは、あんな事をやらせていたからなんですね。
あんなのトラウマになって2度とこの会社へは来れないでしょう。
でも、なんであんな事やらせる必要があったんですか?」

すると社長は急にガタガタと体を震えさせながら言った。

「痛いんだよ。
痛くて痛くてたまらねえんだ。
あんなに血が出るまで自分で自分を傷付けるなんて、もうごめんなんだよ。
だから人にやってもらうことにしたんだ。
だが、弟にもこんな事やらせられねぇ。
でもあいつは毎年毎年俺の血を欲しがるんだ。
逃げられないんだよ。
だから、必要なんだよ」

そこまで話すと体の震えは止まり、再び不気味な笑顔を俺たちに向けた。

「あの石の臭ぇ匂いにも気付かないくらい、鈍感でバカな奴がよ。
もちろんそれ相応の金は払うよ。
お前ら下っ端が手にできないような大金をな」

俺は社長の自分勝手な話を聞いて、恐怖よりも怒りが湧いて来た。
夢を持ってこの会社に来た人もいたはずだ。
こんな事をさせられたら、いくら金があってもトラウマになって社会復帰できない人もいるだろう。
それなのにこの人は篠田や辞めていった人達を、まるで入れ替えのきく部品みたいに扱っていたんだ。
色々な感情がぐちゃぐちゃになって俺が何も言えないでいると、篠田が口を開いた。

「俺、本当に嬉しかったんですよ。大人に認めてもらえたのなんか初めてで…
でも、確かに俺はバカで単純かもしれないっすけど、これはないでしょ。
ケンカはたくさんしてきたけど、誰かに騙されたり刃物で人を傷付けた事なんか1度もなかったんです。
今日の事はきっと、一生引きずると思います。
それだけは忘れないでください。
4ヶ月、世話になりました。

…川崎、もう行くぞ」

そう言うと篠田は俺の腕を掴んで歩き出した。
もちろん俺もこの会社に残るつもりはない。

「お前らみたいな取り柄のない若造を俺は再利用してやってるんだ!
ありがたく思え!」

そんな社長の捨て台詞を無視して俺達は会社を出た。
駐車場まで来た時、何故か無性におかしくなって2人でひとしきり笑った。

「マジでありえねぇよな、あんなの。
訴えてやりてーけど、誰も信じてくれないよな」

篠田の言う通り、そうやって今までの人達も泣き寝入りしてきたのだろう。
と言うよりもうこんな所には関わりたくないと思ったんだと思う。

「あの化け物のおかげで相当儲かってるみたいだから、口止め料とか結構期待できるんじゃないか?」

俺の言葉にもう一度2人で笑い合った後、俺たちは会社を後にした。
週が明けて制服一式を宅急便で送る為にコンビニへ行った時にATMで口座を確認すると、会社名義で500万円が振り込まれていて思わず2度見してしまった。

あれから半年くらい経ったが篠田とは連絡を取り合っている。
俺も篠田もあの出来事が忘れられず、今も無職のままだ。
けど日常生活は送れているし、いつかちゃんと働きたいとも思えている。
辞めていった先輩達は、たった1人であのトラウマを抱えて生きているんだろう。
俺と篠田はお互いにその事を話せるだけ運が良かった。
あの会社はこれからも毎年、新入社員が1人消えるのだろう。
でも、もう俺たちには関係のない話だ。

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計
毛利嵩志121212151566
大赤見ノヴ161615151678
吉田猛々171616171884
合計4544434749228