「座る側」

投稿者:NAKAMA

 

第1章:招かれざる再会
あれは、いつだったか。
確か、梅雨明け前の蒸し暑い夜だったと思う。

スマホの通知音が鳴ったのは、深夜2時を少し回った頃だった。
何の気なしに画面を見ると、知らない番号から一通だけメッセージが届いていた。

「7月12日 午後10時 旧・春日小学校に来い。覚えてるか、“アイツ”のこと──」

読んだ瞬間、手が止まった。
“アイツ”。その言葉に、胸の奥に沈めていた記憶が、泡のように浮かび上がってくる。
…15年前。あの廃校で起きた出来事。

誰も名前を口にしなかった。
いや、できなかった。あれは、クラス全体の“空気”だった。忘れたフリをするのが一番安全だった。

俺は、すぐに昔のグループチャットを開いた。
中学卒業後、誰からともなく作られた同級生グループ。今はもう、誰も使っていない。

けど、その時にはもう、既読が4つついていた。
「これ…お前らにも来たのか?」
「マジで“アイツ”の話?」
「冗談だろ、こんな時間に…」
「……行くしかないな」

こんな流れだったと思う。
まるで何かに導かれるように、俺たちは再び“あの場所”に向かうことになった。

7月12日、午後10時。
廃校になった春日小学校は、今でも町外れの森の中に残っている。
草は伸び放題で、入口には錆びた「立入禁止」の看板がぶら下がっていた。

風はないのに、妙に空気が重い。
月も雲に隠れて、懐中電灯の光だけが頼りだった。

「……ほんとに来たのかよ、加藤」

最初に声をかけてきたのは村井だった。
あの頃から変わらない、口だけは達者な奴。でも今は、懐中電灯を持つ手がわずかに震えてる。

「来ないと、ずっと後悔すると思ってな」

俺がそう答えると、奥の方からもう二人、足音が聞こえてきた。

佐伯と藤木。
佐伯は教師になったらしい。真面目で、クラスの中心だった女の子。
でも、どこか遠くを見るような目をしていた。記憶の奥にまだ“アイツ”のことを残してる、そんな顔だった。

藤木はあの頃と変わらず気丈な態度だったけど、ポケットに突っ込んだ手がぎゅっと握られてるのが見えた。

「で、結局誰が呼んだわけ?」

藤木がそう聞いた瞬間、俺たちの背後で──

ギィ……。

誰も触ってないはずの正門が、きしみ音を立てて、ゆっくりと開いた。
風はない。ただの偶然にしては、あまりに“できすぎ”てる。

「……開いたな」

誰かが小さく呟いた。

その時、ふっと思い出したんだ。
教室の隅で、いつも一人で絵を描いていた“あの子”の後ろ姿。
顔は思い出せるのに、名前だけが、なぜかどうしても出てこない。

けど、あの夜、確かにいたんだ。俺たちのクラスに、あの子は──。

「行こうか」

そう言って、俺はゆっくりと門をくぐった。
後ろからついてくる3人の足音が、やけに大きく聞こえた。
その奥で、もう一つ、誰のものとも分からない“足音”が聞こえたような気がしたけど、きっと気のせいだったと思いたかった。

…まだ、この時は。
第2章:封印された教室
廃校の正門をくぐった瞬間、急に空気が変わった気がした。
言葉にしづらいけど、湿っぽくて、重くて、胸の奥にズシンとくる感覚。
まるで、校舎そのものが、俺たちの帰りを待ってたみたいだった。

校庭は荒れ果てて、草が膝の高さまで伸びてた。
遠くに見える鉄棒やブランコも、すっかり錆びついて、まるで墓標みたいに佇んでる。
懐中電灯の光がそこに当たるたび、何かが動いたような錯覚に襲われて、村井が何度も後ろを振り返ってた。

「……なあ、これ、マジで大丈夫なのか?」

ぼそっと言ったその声が、逆に怖さを引き立てる。

「ここまで来たんだ。確かめないと終われないだろ」

自分で言いながらも、鼓動が早くなってるのを感じてた。
足が勝手に、あの“教室”のある棟へと向かっていく。

春日小の旧校舎は、3階建ての木造。
15年前、“アイツ”が最後にいたのは──2階の一番奥の教室だった。
5年2組。俺たちの教室だった。

その扉だけ、閉じたまま誰も開けなかった。
いや、開けられなかった。

階段をゆっくり上がるたびに、ギシ…ギシ…と木がきしむ音が鳴った。
誰もしゃべらない。呼吸の音と足音だけが、やけに大きく響いていた。

2階に着くと、廊下の突き当たりに、あの教室の扉が見えた。
他の教室の扉はみんな開いてるのに、そこだけ、まるで時が止まったようにピタリと閉まってた。

「やっぱさ、やめないか……。これは、良くないって」

村井がうわずった声で言った。
けど誰も返事をしない。俺も止めなかった。
理由は分からない。ただ、進まなきゃいけない気がした。

ゆっくりと扉に手をかけると、意外にも軽く、スッと開いた。

カラリと音を立てて、懐かしい、でもどこか異様な空間が広がる。

埃の匂い、古びた木の床、落書きの残った黒板。
教卓の上には、誰かが置いた花瓶がそのまま残っていた。
枯れた花が、今もそこに立っている。

「……嘘、これ…誰か、最近まで来てたの?」

佐伯が小さく呟いた。

いや、そんなはずはない。あの事件のあと、この教室は“封鎖”されたんだ。
地元の人間も、子どもも、大人も、誰一人として近づかなかったはずだ。

なのに、まるで誰かがずっとここにいたかのように、教室は保たれていた。

黒板に目をやった瞬間、俺の背筋がゾクリとした。

「おかえり みんな」

白いチョークで書かれたその言葉が、今でも鮮やかに残っていた。

誰も何も言わなかった。
佐伯が一歩、黒板の方に近づく。目を凝らすようにして、じっと文字を見つめていた。

「……見たことある、これ……夢で、何度も……」

「夢?」

佐伯は小さく頷いた。

「中学生の頃から、時々見るの。誰もいない教室で、黒板に“おかえり”って書いてあるの。…何も話せないけど、誰かがそこにいる感じがして……」

そのとき、窓ガラスが、パリ…と小さく音を立ててひび割れた。

誰も触っていない。風もない。
けれど割れたガラスの向こうに、教室の外に、ふと誰かが立っているように見えた。
細くて、小さな背中。

俺は反射的に走り出して、廊下に飛び出した。
けど、そこには誰もいなかった。

ただ、廊下の隅に、ぽつんと一冊のノートが落ちていた。
拾い上げると、表紙にはこう書いてあった。

「にっき ◯◯◯」

名前の部分は、擦れて読めなかった。けど──

その書き方は、間違いなく、“アイツ”の筆跡だった。

第3章:15年前の沈黙
そのノートを開いた瞬間、指先が冷たくなった。
ページの端は茶色く変色して、所々に黒ずみが浮かんでいた。カビか、それとも――何か別の“痕”かもしれない。

中を覗いた俺は、一瞬息を呑んだ。

「きょうは また ひとりだった」
「せんせいは ぼくがいないことに きづいてくれなかった」
「みんなのこえが とおくで ひびいていた」

ひらがなばかりの拙い文章。けど、それだけに、胸に刺さる。
これは、“アイツ”が、俺たちと同じ教室で過ごしていた頃に書いた日記だ。
どのページも、ほとんど同じような内容が続いていた。

「なかよくしたいけど こわい」
「しずかにしていれば いじめられない」
「でも たまに おおごえがきこえる」

書かれているのは、まるで教室の隅に張りついていた影のような日々だった。
そして、最後の数ページだけ、字が急に乱れ始めていた。

「もう だれも みてくれない」
「ぼくは いないのに みんなは たのしそう」
「つぎは ぼくが みてるばん」

最後の行だけ、他のどのページよりも深く、チカラがこもっていた。

俺はそのページを閉じて、そっとポケットにしまった。
理由なんてない。ただ、置いていったらいけない気がしたんだ。

「……加藤、なにしてた?」

教室に戻ると、村井が少し青ざめた顔で聞いてきた。
さっきまでの軽口は完全に消えていた。

「廊下にノートが落ちてた。……“アイツ”のかもしれない」

「は? お前、拾ったのか? おい、それ、絶対やばいやつだろ」

「うるさい。だったら置いておけってのか?」

俺が言い返すと、教室の奥で静かに座っていた佐伯が、ポツリと呟いた。

「……私、覚えてる。アイツのこと」

全員が黙った。

「放課後、よく一人で残ってた。窓際の席で、ノートにずっと絵を描いてて……私、何回か声をかけようとしたの。でも……怖くてできなかった」

佐伯の声は震えていた。けど、それ以上に痛みを含んでた。

「“怖くて”って……なんでだよ」

村井がぼそっと口にした。

「だって……私、見ちゃったんだよ。あの日──」

その瞬間、パチンと何かが弾けたような音がして、教室の蛍光灯がチカチカと点滅し始めた。

一瞬、暗闇。

その間に、黒板が――書き換わっていた。

「ぼくは ずっと ここにいる」

誰も書いていない。誰も近づいていない。
なのに、その文字は、まるで今、目の前で誰かが書いたみたいに生々しかった。

藤木が顔をしかめた。

「ふざけすぎ。これ誰の仕込み? 加藤? あんたでしょ?」

「違う」

俺は即答した。そんな芝居、する気にもならない。

「私じゃないよ」と佐伯も言った。

誰もが目を逸らした。けれど、内心では皆、分かっていた。

――これは、“アイツ”が書いたんだ。

そのとき、ガタッ、と誰かが机を倒した。

村井だった。

「もう無理だって! こんなの、マジでやばいって! お前ら、正気かよ!」

村井は大声を上げて、廊下に飛び出した。
その直後、学校中に響き渡るような、放送室のスピーカー音が鳴った。

「ピ――……」

無音のはずの校内放送。通電もしていないはずなのに、スピーカーからノイズが流れていた。

そして次の瞬間、あの声が聞こえた。

「みてるよ……ずっと……」

声は幼かった。か細くて、くぐもっていて、けれど確かに、どこかで聞いたことがある声だった。

「今の、聞こえたよな……?」

俺の問いに、誰も答えなかった。
ただ、佐伯が唇を震わせながら、ぽつりと言った。

「……アイツだよ。やっぱり……アイツは……」

廃校に響く沈黙の中で、俺たちは初めて、本当の意味で“15年前”と向き合うことになった。

第4章:“あの子”の席
放送が鳴り止んだあと、教室の中は沈黙に包まれていた。
誰も声を出さない。出せなかった、というのが正しい。

「みてるよ……ずっと……」

その声が、まだ耳の奥に残っていた。
俺たちがあの声を最後に聞いたのは、15年前。
“あの子”が消える、ほんの数日前だった。

村井の叫び声が、廊下の奥から響いた。

「おい、村井っ!」

俺が慌てて教室を飛び出すと、薄暗い廊下の突き当たり、旧放送室の扉が中途半端に開いていた。
村井の姿はなかった。けど、足元には彼のスマホが落ちていた。

俺はスマホを握りしめて放送室の扉を開けた。

……誰も、いない。

中はホコリまみれで、機材も壊れていた。
けど、マイクだけが、ぽつんと教卓の上に置かれていた。

“今も誰かが話してるみたいに”。

ぞくっとした感覚が背筋を走る。
これは、もう「雰囲気が怖い」とか、そういう次元じゃない。
何かが、本当にここにいる。

戻ると、佐伯と藤木が黒板の前に立っていた。
そのすぐ隣──“あの子”の席だった場所に、誰かが座ったような形跡が残っていた。

埃の中にだけ、椅子の形がぽっかりと抜けていたんだ。

「ねえ……これ、さっきまではなかったよね?」

佐伯が、消え入りそうな声で言った。

「……アイツ、いたんだな。ここに」

俺の口から自然とその言葉が出ていた。

“あの子”──名前を呼べば何かが壊れる気がして、やっぱり俺たちは誰も、名前を口にしなかった。

「……覚えてる?」

佐伯がふいに俺の顔を見た。

「アイツ、最後にみんなの前に出てきた日、みんなの机をぐるっと一周してたの、覚えてる?」

「ああ……あれ、学芸会の練習のときだったか」

「うん。なんか、“おにごっこ”みたいにして。最後、ぴたりって止まって、先生の後ろに立ったまま動かなくなった」

その話を聞いて、当時の光景がまざまざと蘇ってきた。
“あの子”が教壇の隅でじっと立っていたあの姿。
先生が気づかないまま授業を進めて、俺たちは笑ってた。
けど、“あの子”の顔は笑ってなかった。
泣いてもなかった。ただ、感情の抜けた目で、何かをじっと見つめてた。

「その日からだよ。アイツ、学校に来なくなったの」

佐伯の言葉に、誰も反論できなかった。
俺たちはみんな、知ってた。
アイツが来なくなった理由も、クラスで何があったのかも。
けど、誰も言葉にしなかった。
それが、あのクラスの“掟”みたいになってた。

そのとき、教室の後ろのロッカーが、ギィ…と勝手に開いた。

藤木が咄嗟に振り返って、俺の腕をつかんだ。

「今……誰か入ってたよね? 今の、絶対誰かいたよね?」

恐る恐る近づいて、中を照らす。
中には、小さなランドセルがひとつだけ入っていた。
まるで、今日のためにそこに置かれていたみたいに、埃もついていない。

俺はそのランドセルの前にしゃがみ込んだ。
中には、色鉛筆のセット、ちぎれたノート、そして──一枚のプリント。

「わすれものチェックひょう」

そこには、子どもの字でこう書いてあった。

「なまえ ◯◯◯」
「ぜんぶ もって かえりました」
「せんせい、ありがとう」

最後の行だけ、涙でにじんでいた。

佐伯が静かに泣いていた。
藤木も、黙ったまま窓の外を見つめていた。

そして俺は、なぜか急に息が詰まりそうになった。

たぶん、このランドセル、“あの子”はずっと取りに来たかったんだ。

なのに、誰も、何も言わなかった。

ふと、教室のスピーカーから、小さくまた声が流れた。

「つぎは だれの ばん?」

その声に、今度は誰も否定しなかった。
怖さ以上に、何か大きな罪悪感が、教室中に満ちていた。

俺たちは、“次”があることを確信していた。

……きっと、次は“見て見ぬふり”をした誰かの番だ。

第5章:告白と償い
もう、誰も“これは偶然だ”なんて言わなかった。
あの教室に流れている空気は明らかに変わっていた。
俺たちはただ、静かに座っていた。まるで、自分が“指名”されるのを待っているように。

「……私、話すね」

佐伯がぽつりと口を開いた。

誰も止めなかった。
止められなかった。
それが、ここに来た“本当の意味”だったのかもしれない。

「私ね、あの日のこと、全部覚えてるの」

佐伯は、まっすぐ前を見ながら話し始めた。

「アイツが最後に来た日、休み時間、机の中に絵が入ってたの。私が描いたのとは全然違ってて……すごく丁寧で、細かくて……でも、なんか怖くて」

「“怖い”って、どういう?」

「その絵の中に、私がいたの。私が笑ってて、その隣にアイツがいたの。なのに……私の顔だけが、ぐしゃぐしゃに黒く塗りつぶされてたの」

俺たちは息を呑んだ。

「……それで、私はその絵を破った。みんなの前で、わざと」

「……それって……」

藤木が低い声を漏らした。

「そう、わざと。みんなが笑ってくれたら、安心できた。自分が“そっち側”にいられるって思った。あのときの私は、それしか考えてなかった……」

佐伯の目から、ぽろぽろと涙が落ちた。

「アイツが、黙って拾って……机に戻っていったの、忘れられない。あの背中が、今でも夢に出てくる……」

俺は黙って聞いていた。
目を閉じると、そのときの教室のざわめきが、なぜかリアルに蘇ってくる。

「……俺も、ある」

無意識に口が動いていた。

「アイツ、ある日俺にだけ声をかけてきたことがある。“放課後、一緒に絵を描いてほしい”って。…けど、俺、断った。周りに誰か見てたから。気味悪いとか思われるのが、怖かったんだ」

黙って聞いていた藤木が、膝に置いた手をきゅっと握った。

「みんな、そうだったんだよ。私もそうだった。何かあったとき、誰かが笑えば、自分が笑われないって……そんな安心感に、みんな逃げてた」

その時、教室の窓が、ひとつだけカタンと開いた。
冷たい風が、そよそよと中に流れ込んでくる。
けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。

「なあ……あの日、“アイツ”がいなくなった理由……もしかして、私たち全員、知ってるんじゃないか?」

俺の問いに、誰も否定しなかった。

「“アイツ”は死んだわけじゃない。消えたんだ。自分の存在を、この教室ごとごっそり忘れさせた。……俺たちの記憶から、名前まで全部」

「でも、なんで今になって戻ってきたの?」

佐伯が言った。

「戻ってきたんじゃない。……俺たちが、来たんだよ」

沈黙。

「ずっと、“アイツ”はここにいた。ランドセルも、ノートも、席も、黒板も、ぜんぶそのまま残ってた。たぶん、“帰ってくるのを待ってた”んだよ。…俺たちが、自分のしたことを思い出すのを」

俺は、ランドセルに入っていた“忘れ物チェック表”をそっと取り出した。
あの文字、あの言葉。
「ぜんぶ もって かえりました」
最後に書き残したあの一文が、どうしても頭から離れない。

……本当は、全部持って帰れなかったんじゃないか?
想いも、後悔も、名前すら。

「じゃあ、償いって……どうすればいいの?」

藤木の言葉に、俺はゆっくりと教壇へ向かった。

黒板の前に立って、そっとチョークを取る。
白い粉が指につくのが懐かしかった。

そして、静かに書いた。

「ごめん」

たった3文字。
でも、その瞬間、教室の空気がふっと軽くなった気がした。

佐伯も、藤木も、それに続いて、黒板に言葉を書いていく。

「気づいてあげられなくて、ごめん」
「怖くて、逃げた。ほんとにごめん」

ひとつずつ、ひとつずつ、俺たちは“自分の罪”を言葉にしていった。

書き終えたとき、突然スピーカーから最後の放送が流れた。

「……ありがとう。やっと、みんなに、みつけてもらえた」

その声は、不思議と暖かくて、少し笑ってるようにも聞こえた。

そして、教室の奥、あの子の席に──

ほんの一瞬、誰かが座っているように見えた。
細い背中、うつむいた顔。
でも、今度はちゃんと笑っていた気がした。

それを見届けた瞬間、蛍光灯がパッと明るくなり、空気が変わった。

誰かが、ようやく“卒業”できたような、そんな気がした。

けれど、まだ終わっていなかった。
この夜は、俺たちの中で“誰が本当に償いを果たしたのか”、
……“誰がまだ許されていないのか”を、試すように続いていく。 

第6章:最後の灯り
あの夜、黒板に「ごめん」と書いた瞬間――何かが終わった気がした。
いや、終わったと思いたかったのかもしれない。

教室の空気は少しだけやわらいで、スピーカーから流れた「ありがとう」の声は、確かに救いだった。
けど、それでも“全てが終わった”とは思えなかった。

俺の胸の奥に、妙なざわつきが残っていた。

「……そろそろ、帰らない?」

藤木がぽつりと言った。

その声に、佐伯が頷いた。
「もう十分、向き合った気がするよね」

けれど俺は、なぜか動けなかった。
教室の窓の外を見つめたまま、身体が重たくて仕方がない。

「……村井、まだ戻ってないよな」

思い出したように口に出したその名前に、全員が一瞬黙った。

「……スマホだけ残してたんだよね。本人、どこにもいないまま」

俺は立ち上がった。
「探そう。まだ校舎のどこかにいるかもしれない」

3人で校舎をまわることになった。

まず向かったのは体育館。
埃の積もった床板。掲げられたまま色褪せた校歌の垂れ幕。
誰もいない、はずなのに、なぜかどこかでボールが跳ね返るような音がした。

「聞こえた?」

「……うん、聞こえた」

耳鳴りにも似た不自然な音は、すぐに止んだ。

次に理科室。
薬品の匂いが残る棚。割れた試験管。骸骨模型の空洞の目。
薄暗い中で、その骸骨がこっちを見ている気がして、藤木が肩をすくめた。

どこにもいない。
けど、確実に“何か”はいる。

そして、旧図書室。

扉を開けた瞬間、妙に生温かい空気がふわりと流れてきた。

「……ここ、覚えてる?」

佐伯が言った。

「アイツ、よくここにいたよね。誰もいない昼休みとか、放課後とか……」

確かにそうだった。
“アイツ”はいつも、図書室の一番奥で本を読んでいた。
誰にも話しかけられず、話しかけようともされなかった。

「ねえ、見て……」

藤木が指さした先に、開いたままのノートがあった。

そこには、こう書かれていた。

「ぼくのことをわすれたひとから さきにけす」
「わすれてないひとは さいごにみとどけて」

手書きの、震えるような文字。

その瞬間、背筋が凍った。

「村井……“忘れてた”って言ってたよな。アイツの名前も、顔も」

「……“けす”って……なに、どういう意味……?」

藤木の声が震える。

そのとき、校内放送がまた鳴った。
ノイズの中から、どこかで聞いた声がした。

「ひとり、けしたよ」

走った。全力で、階段を駆け上がった。
さっきまでいた5年2組の教室。
扉を開けると――

そこには、さっきまでいたはずの佐伯が、いなかった。

「佐伯!? ……真理!!」

声が虚しく反響するだけだった。

藤木が、無言で立ち尽くしていた。
呆然と、何もない教室の中を見つめていた。

そして、黒板に新しい言葉が書き加えられていた。

「ふたりめ、けしたよ」

俺は崩れそうになる心を必死で支えながら、チョークを手に取った。

震える手で、黒板にこう書いた。

「俺は、忘れてない。ずっと思ってた」

けれど、スピーカーから返ってきたのは、短い一言だった。

「うそ」

気がつけば、教室の明かりがひとつ、またひとつと消えていく。

藤木が震えながら言った。

「……これ、たぶん、試されてるんだよ。“どこまで本気で向き合ってるか”って。……私も、謝ったけど、内心じゃまだ怖くて、逃げたいって思ってた」

「だったら、ここで終わらせよう」

俺は言った。

「せめて、あの子が、ほんとうに“終われるように”」

そのとき、教室の床がぎしりと鳴った。

何かが、目の前に立っていた。
姿は見えない。けど、わかる。そこに“いる”。

俺はそっと目を閉じた。

「……名前、思い出したよ。君のこと。あの日のこと。全部、もう忘れない」

すると、すうっと空気が静かになった。

そして、最後の灯り――教室の蛍光灯が、ゆっくりと消えた。

闇の中、誰かの笑う声が、たしかに聞こえた気がした。

第7章:教室の窓から
──目を覚ましたとき、教室にいた。

窓から差し込む光は、まるで夜明け前のように青白く、ぼんやりしていた。
蛍光灯は切れて、空気はじっとりと湿っていた。

時計を見ようとしたが、なぜか腕時計がなくなっていた。
スマホも、ポケットの中から消えていた。

気づけば、教室の中は――誰もいない。

藤木も、佐伯も、村井も。
黒板に書いた“ごめん”の文字すら、きれいに消えていた。

なのに、**“あの子の席”**だけは、変わらずそこにあった。

そして――そこに“誰か”が、座っていた。

俺は息を呑んだ。

窓際の席。机に伏せるようにして座るその小さな背中。
間違いようがなかった。

「……君、なのか?」

声は震えていた。
けど、“あの子”はゆっくりと顔を上げた。

笑っていなかった。

無表情のまま、俺の目をじっと見つめていた。

目の奥に、深い深い闇があった。
15年前のすべてを飲み込んだ、無言の怒りと、哀しみと、恨みがあった。

そして、ゆっくりと口を開いた。

「まだ、ゆるしてない」

その言葉が教室に響いた瞬間――

ドン、と背後の扉が閉まった。

振り返ると、出口が消えていた。

教室のドアが、黒板ごと壁になっていた。
まるで最初から、出入口などなかったかのように。

足元がぐらりと傾く。

床板の隙間から、無数の手が伸びてくる。
細い、冷たい、子どもの手。

引きずり込まれる。

叫んでも声にならない。

頭の中に、あの声が響く。

「わすれたくせに、なにが ごめん なの?」
「みつけてもらえなかった ぼくのことを」
「いま ぜんぶ おしえてあげる」

次に目を開けたとき、俺は教室の“席”に座っていた。

窓からは、淡い光が差し込んでいた。
だが、何も聞こえなかった。

外の音も、風も、セミの声も。
世界から音が消えたみたいだった。

俺は立ち上がろうとした――けれど、身体が動かなかった。

指一本すら。

足元を見ると、机にくっついたように、自分の身体が“貼りついていた”。

まるでこの席が、自分の体の一部になったみたいに。

そして黒板に、一文字ずつ、勝手に文字が浮かび上がっていった。

「つぎは きみの ばん」

それから、時間の感覚がなくなった。
太陽は昇らず、夜も来なかった。
誰も来ない教室で、俺はずっと座り続けている。

毎日、誰かが訪れるのを待っている。
誰かが、この席に向かって「ごめん」と言ってくれるのを。

だけど、誰も来ない。

俺が忘れたように、みんなも俺を忘れたんだろう。

“あの子”がそうだったように。

そして、ふと思った。

もしかして、“あの子”も、俺と同じようにこうして座っていたんじゃないか?
あの時代、あの教室で、ただずっと――

**“見つけてくれるのを待ち続けていた”**んじゃないか?

でも誰も来なかった。
だから、“取り替えた”のかもしれない。

今度は、**俺が「座る側」**になる番だった。

外の窓には、今も変わらず青白い光が差し込んでいる。

ここは、あの廃校の一室。
だけどもう、誰もこの学校には来ない。

俺は知っている。
きっと、次の“誰か”が来るまで、ここでずっと――

待ち続けることになる。

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計
毛利嵩志121212151566
大赤見ノヴ151516151576
吉田猛々171717161784
合計4444454647226