俺はH県に住む精神科医だ。本当は都会の大学病院に勤めていたが教授の娘に惚れられ、火遊びが教授にバレたせいで左遷された。
妻と息子と娘を残して単身赴任している。実際に会えるのは3ヶ月に1回で、普段はLINEのやり取りばかりだ。
妻と子供達は何か欲しいものがあるとLINEで連楽してくる。俺はまるでAmazonか楽天だ。
俺はこのままこんな田舎でくすぶっているなんて嫌だ。学会に論文を送り名誉挽回して大学病院に返り咲いてやる。
俺は早く戻りたいから興味深い患者を積極的に治療研究している。多少強引なやり方をしたかもしれず、患者の家族から逆恨みを向けられた事があった。将来の治療の礎(いしずえ)になれるんだから、むしろ感謝して欲しいくらいなのに。
今、俺は論文を書くのに丁度良い研究対象の患者を持っている。言っている事は意味不明だ。何かを隠しながら話しているからだろう。しかし、ある条件と引き換えに全てを話すと言われた。
誰か、この先を聞いて何か分かる事があれば意見してくれ。参考になったら論文の最後に“協力者”として名前を書いてやるから。
その患者Mの事を書く前に資料を開示しておこう。それはMが持っていたもので、ネットのニュース記事をわざわざプリントアウトしたものだ。どうやら今回の件に関係があるもの、らしい。
(1)2000年 S県カルト宗教の教祖怪死事件
S氏が自宅で亡くなっているのが発見された。三日前に信者に元気な姿が目撃されていたのに、発見時S氏の体は完全にミイラ化していた。
(2)2008年 F県汚職政治家殺人事件
演説中のI氏がボールペンで刺殺された。容疑者KはI氏に恨みは無かったと供述している。
(3)2018年 T県ロマンス詐欺師飛び降り事件
複数の女性から総額三億一千万円を騙し取っていた容疑者Nがマンションの27階から飛び降りた。現在動機を調査中である。
Mから出された条件にも関係があるらしい。でも俺には意味が分からなかった。これを読んで何か分かった人が居たら教えてくれ。
私(M)は20代半ばで結婚し、男の子を産みました。夫と一緒に息子を愛して育てていましたが、息子が3歳の時に夫は事故で他界してしまいました。
息子を育てる為に私は必死で働きました。でも生活は全然楽になりませんでした。忙しくてママ友も作る余裕がありませんでした。そんな孤独に苦しんでいた時、Jという男性に出逢いました。
Jはとても優しく、息子を自分の子供の様に可愛がってくれ、私達は間も無く結婚しました。生活に余裕が出て、心にも余裕が生まれ、ご近所付き合いもそこそこ上手く出来ていました。
私が31歳の時Jとの子供を妊娠しましたが、運悪く流産してしまいました。息子と公園で遊んでいた時にお腹が痛くなり、ママ友が救急車を呼んでくれたのに……。
退院して家に帰ると、空気が変わっていました。Jは怒っているような雰囲気で、息子は何かに怯える様にビクビクしていました。息子をお風呂に入れた時、体のあちこちにミミズ腫れを見付けました。
虐待だ……。私の入院中にJが息子を虐待していたのだと思いました。
「ねえ、〇〇に何かした?」
「はっ? 何もしてねえよ」
「〇〇の体にミミズ腫れがあったよ。ねえ、もしかして、叩いたりしたんじゃない?」
するとJのこめかみに血管が浮かび上がりました。
「やったよ。でもそれが何なんだよ。お前があいつと公園で遊んだから、俺の子供は死んだんだろ。俺の子供は痛かったし、苦しかったんだ。あれぐらい我慢出来るだろ」
Jは自分の子供が流産してしまった事で、行き場の無い怒りを息子に向ける様になりました。最初は厳しい躾程度でしたが、その内クローゼットに閉じ込めて外から鍵をかけるとか、平手で息子を叩いていたのが拳になるとか、どんどんエスカレートしていきました。
小学1年生になった息子が学校から虐待を疑われましたが、私は何も言えませんでした。何でも学校に相談する時代でもありませんでしたし、何よりJが怖かったんです。
幼稚園の頃は明るかった息子は暗い性格になり、学校でも孤立しているみたいでした。息子は孤独に苦しんでいたのだと思います。息子は学校行き帰りで色々な物や生き物を拾ってきて、“おしおき小屋”と呼ばれる息子の部屋に隠していました。どうやら閉じ込められている時話し掛け、孤独から逃げようとしていたのだと思います。
それらが何か分かりませんでしたが、息子はその一つ一つに名前を付けているみたいで、私に教えてくれました。あまりにも多くて覚えられませんでしたが、多分100個前後だったと思います。その頃に子供達の間で流行っていたポケモンみたいだと、今になって思います。
私はJの愛を失うのが怖くて何も言えませんでした。いえ、今思うとJに家を追い出されたら生活が出来なくなるのが怖かったのかもしれません。
Jの虐待はどんどん酷くなっていきました。息子が何もしていないのに、横を通る時に殴ったり蹴るようになりました。
一度息子がテーブルの角に頭をぶつけて気を失った事がありました。さすがに私はJに止めるように言いました。その時の、血走ったJの目が今も忘れられません。
「お前は! 俺よりも、このガキの方が大事なんだな!」
突然怒鳴り、ガラスの灰皿で私を殴ってきました。奥歯が1本折れました。
Mは口の端に指を掛けて引っ張った。未だMの奥歯は欠けていた。
それ以来、Jの暴力は私にも向くようになりました。Jは何処からか特殊警棒というものを手に入れてきて、少しでも苛つくと私や息子、家の物を滅茶苦茶に殴りました。
私は、目には眼帯口にはマスクと付け、腕は夏でも長袖じゃないと外に出られませんでした。
とても暑い夏の日、Jは息子を“おしおき小屋”に入れて仕事に出掛けました。中はとても暑かったらしく、息子は『助けて』、『出して』、『暑いよ』と助けを求めてきました。でもJが鍵を持っていってしまったので、私には助けられませんでした。
Jはその日帰ってきませんでした。友達と飲んでいたか、浮気をしていたのかもしれません。
夕方位から息子の声は聞こえなくなっていました。私は“おしおき小屋”を開けようとしましたが、鎖がガチャガチャ鳴るだけで南京錠は全く外れようとしませんでした。やっぱり鍵がないとダメだったんです。
「ガン。ガン。パリパリ。クチャクチャ」
次の日の朝、“おしおき小屋”の中から小さな音が聞こえてきました。息子が生きているのが分かり、私はホッとしました。
「大丈夫? 今、開けるからね」
私は必死に鎖を引っ張りました。
「オイ、何やってんだ!」
慌てて振り向きました。そこには怒りで顔を真赤にしたJが立っていました。何か言おうとした瞬間警棒で殴られました。私はテレビにぶつかりました。
気が遠くなっていきました。Jは“おしおき小屋”の戸を蹴り『死ね!』等と叫んでいました。
目を覚ました時、窓の外を見ると夕方になっていました。かなり長い間気を失っていたと思い、部屋の中を眺めました。Jは居ませんでした。気配もありませんでした。
息子は一日半も閉じ込められているのだと思って、私は慌てて体を起こしました。
「キャッ!」
私は驚きました。私の横に息子が立っていました。“おしおき小屋”を見ると、鎖が切れて落ちていて、戸が開いていました。
「良かった、大丈夫だったのね」
息子は頷きました。息子はお気に入りの赤い野球帽、白いTシャツ、ジーパンの半ズボンを履いていました。
Jは帰ってくると、勝手に“おしおき小屋”から出ている息子を見て怒り狂いました。警棒や拳で殴ったのですが、息子は今迄の様に泣いたりはしませんでした。
“おしおき小屋”に閉じ込めてもいつの間にかに脱出していて、殴っても反応しない、ケガをしても翌日になると跡形も無く治っていました。不気味に思ったのか、Jは遂に息子を殴るのを止めました。
その代りJの暴力は私に向くようになりました。私の顔は常に腫れが引かず、いつでも微熱でだるかったのを覚えています。
「ママ、ママ……」
気を失っていたのでしょう。私は息子に起こされました。あの時以来毎日同じ格好をしている息子に声を掛けられて目を覚ましました。
「ああ、ごめんね。もう夜なのね。すぐ、ご飯作るわね」
何故かあの時以来息子は食べ物をほとんど口にしなくなっていました。それでも私が息子に出来るのはそれだけなので、毎日必ず作るようにしていました。
「ママ、ボクになにかしてほしいことない?」
こう言われたら私はいつも『ご飯食べて』と言っていました。でもその日私は限界だったのだと思います。
「ママを、あの人から助けて……」
7歳の子供にそんな事出来る訳ありません。やっぱり私は限界だったのだと思います。
「わかった」
息子はそれだけ言いました。いつもこれだけしか言いません。
夕方になってJが帰ってきました。この日もJは怒っていて、玄関から真直ぐ私の方へ向かってきました。目を瞑り、私は訪れる痛みに耐えようと奥歯を強く噛みました。30分位我慢していれば、いつも終わっていましたから。
「何だ! 邪魔するな!」
私は目を開けました。
私とJの間に息子が立っていました。いつもの格好で、手を横にダラリと垂らしていました。
「気持ち悪いガキだな。どけよ!」
Jが拳を振り上げました。私が『マズイ』と思った瞬間、Jが気を付けをしました。そして、そのままぎこちない動きでベランダへ向かっていきました。Jが横を通る時、怖くて私は体を縮めました。でも、Jの目に私は映っていない様でした。
Jは全く躊躇いを見せず、手すりを乗り越えて5階から飛び降りてしまいました。私は驚き、気を失ってしまいました。
私を起こしたのは警察でした。事情を訊かれましたが、Jが自分で飛び降りたとしか言えませんでした。
私は頭にケガをしていたのでJに殴られて気絶していたと判断された事、Jは足から落下していたという事で警察はJが自殺したと結論を出しました。
でも私は分かっていました。どうやったのか分かりませんが、息子がJを殺したんだと。私は息子が不気味で、とても怖く感じるようになりました。
ある日息子が言いました。
「ママ、ボクになにかしてほしいことない?」
「こ、ここから出ていって。……もう、私の前に姿を現さないで」
私は自分の子供にそんな酷い事を言ってしまいました。
すると息子は家を出ていきました。それ以来息子には会えていません。
息子が居なくなって、私は“おしおき小屋”の中を覗きました。そして驚きました。
息子が大事にしていた物が壊れていて、生き物の姿はありませんでした。
考えたくはありませんが、長い間閉じ込められて孤独に怯えていたあの日、息子は自分の宝物を使い、可愛がっていた生き物を殺し、それを食べて命を繋いでいたのだと思います。
あまりにも信じられない話だった。妄想を話しているにしては正気を保っているようにも見える。現実と妄想が完全に一つとなっているのだろう。やはり俺はとても良い研究材料を手に入れたみたいだった。
3年前、インターネットであるサイトを見付けました。女性の恨みをはらしてくれる、呪いの座敷童が居るらしいというものです。
噂では32~33歳の女性が強い恨みを持っている人を、無償で殺してくれるそうなんです。
もちろん私も信じられませんでした。でも、そこには呪いの座敷童に対するお礼がいくつも書き込まれていました。その中で3人、恨みがはらされたといってニュース記事を貼り付けていました。
「それが、あなたが持っていたニュース記事なんですか?」
俺は興奮と好奇心を悟られない様に訊いた。Mは無言で頷いた。
「でも、何でそれが……、その呪いの座敷童がやったって分かるのですか?」
Mはニュース記事を見つめた後、写真を一つずつ指差していった。どの写真にも同じ様な少年が写っていた。
「同じ……、子供の様に見えますね。これがあなたに何か関係があるんですか?」
「息子なんです。あの時家を出ていった時の格好そのままなんです」
俺は有り得ないと思った。Mはカルテに60歳と書いてある。こんな小さな子供が居る可能性は、無い訳ではないが、とても低い。
いや、それよりも2000年、2008年、2018年のどの写真に写っている少年は確かに同じだった。大人ならまだしも、子供の背がほとんど変わらないなんて有り得ない。
息子は私に、母親に拒否されてこの世を彷徨っているんです。
私は2年間必死で息子を探しました。でもどうしても見付けられませんでした。あの時『私の前に姿を現さないで』と言ったので、私の願いを叶え続けているのだと思います。
それで1年前、息子に似ている子供に声を掛けたら不審者として逮捕されました。そしてこの精神病院に入院させられました。
先生、この話を多くの人に知らせて、息子を見付けてください。
「約束します。でもMさん、その少年が見付かったらどうしたいんですか?」
「私の前に連れてきて欲しいんです。それで、あの子に謝罪して、もういいから楽になりなさいって言いたいんです」
「分かりました。Mさん、今日は終わりにしましょう」
Mは病室に帰っていった。
その時スマホが鳴った。この音は家族からだ。また何かをねだられるのだろう。
≪妻:元気~!?
今△△(息子の名前)の友達が来てるのよ。みんな楽しそうです♡≫
ウサギのスタンプ後に、写真も添付されていた。
俺はそれを見てゾッとした。そこには赤い野球帽、白いTシャツ、デニムの半ズボンの少年が写っていた。目がブラックホールの様に真っ暗だった。
そう言えば、最近引っ越してきた近所の子供が居ない夫婦から、子供がうるさいとクレームをつけられたと妻が言っていった。その女は、前に帰った時に見た限り、30歳をちょっと過ぎた位だった。俺は憎しみと嫉妬が混じった目で睨まれて背筋が寒くなったのを思い出した。
ここから家まで車をとばして2時間半。
間に合うか?
俺は車の鍵を握り、診察室を飛び出した。