「あとしまつ」

投稿者:半分王

 

ここに来ると、あの日の出来事を昨日の事のように鮮明に思い出す事ができる。
どこまでも広がる青い空、青々とした山の木々のざわめき、四方から聞こえる蝉の声の合間に聞こえる鳥や動物たちの鳴き声。
生まれ育ちから今に至るまで都会で過ごして来た俺には、何もかもが新鮮だった。
しかしあの頃の俺はまだ何も知らない若造で、限界集落と呼ばれる地域の歴史に深く根付く闇に気付くことはできなかった。
自分のした事が正しかったのか、この景色を見つめていると今だに自信が持てない。
あの頃とはだいぶ変わってまった景色を眺めながら、俺は胸ポケットから取り出したタバコに火を付け、あの頃に思いを巡らせた。

山々が秋の色に染まり始める中、俺はタクシーである場所へ向かっていた。
俺がこんな山奥へ向かっている理由。
それは、1人の友人に会う為だった。
大学で出会ったそいつの名前は、山代 直人(やましろなおと)。
その大学はそこそこ発展してる地方都市にあって、その時の俺の友人は親が法曹界の人間だったり企業の役員をしている家庭が多かった。
コネで入れるような所じゃないので確かに真面目で勤勉ではあるんだろうけど、ある種の余裕を持ち合わせている人間が多かったように思う。
勉強も人付き合いもうまくこなす、そんな奴らが多い中ただ1人で黙々と勉学に励んでいるのが山代だった。
常に余裕がなく追い詰められているような、一種の危うさが見てとれた。
俺も他の奴らに比べたら家庭が裕福な訳じゃなかったから、バイトをしながら必死で勉強をしていたのでなんとなくシンパシーを感じていた。
自習室で一緒になる事も多く少しずつお互いの事を話すようになり、山代にとって俺は大学で唯一の友人と呼べる存在だったと思う。
実家が遠く離れた限界集落である事。
いずれは集落に戻り、そこを治める立場になる事。
外部からの圧力等から集落の存続を守る為に、自分は絶対に失敗できないという事。
それを聞いて彼の必死さの根源を知った俺は、素直にすごいと感じ、一緒に努力して負けないように頑張っていきたいと思えた。
そんな中、会う度に山代の顔色がどんどん悪くなっていっていくのに気付いた。
体調でも悪いのかと聞いても、大丈夫と言って何も話してくれなかった。
日に日に憔悴し、それでも大学を休む事がなかった山代が9月の終わり頃からぱたりと大学に顔を出さなくなってしまった。
あれだけ熱心だったのにと心配になったが、ただの友人である俺にできる事はなかった。
そんな時、教授から声をかけられる。
教授も同じく山代を心配していたようで、よく2人でいる俺に様子を見て来てほしいと頼んで来た。
山代から大学からほど近いタバコ屋の隣のボロアパートに住んでいると聞いていたので早速その日向かうと、簡単に見つけられた。
2階建てアパートの部屋を1通り確認すると、203号室に手書きで「山代」と書いてあったのでインターホンを鳴らす。
足元を見るとドアポストに入りきらない新聞が落ちていた。
何回か試したが反応がないのでドアノブに手をかけると、鍵がかかっていなかった。
ゆっくりとドアを開くと、中は殺風景で山代の姿はなかった。
テーブルに置かれた携帯電話、手紙、謎の冊子。
冊子は漢字とカタカナで書かれていてタイトルは聞いた事のない呼称があったが、おそらくダイゴ集落の歴、と書かれていた。
パラパラとめくるがどうやら集落の成り立ちとなにやら怪しい土着信仰について書かれているようで、そこが〇〇山地にある山代集落と呼ばれている場所だと言うことがわかった。
その集落の名前には聞き覚えがあった。
数週間前に政府関係者がそこで土砂崩れに巻き込まれて、数名が亡くなったとニュースで見たからだ。
手紙の方は封筒に「直人へ」と書かれていたが、中身は入っていなかった。
おそらく山代が持って行ったんだろう。
俺は何かすごく嫌な予感がした。
山代があれだけ必死に守ろうとしていた故郷。
そこで行われてきた謎の土着信仰。
その場所で大きい事故が起きていて、その直前から大学に来なくなり今でも音信不通な事。
次の日、俺は教授に山代の実家に行く旨を伝えてすぐに山代集落へ向かった。
大学のある都市から集落の最寄りの駅まで電車を乗り継いで1時間半、そこからタクシーで1時間と言う長旅になった。
急いで出発した為他に荷物もなく手持ち無沙汰になってしまったので例の冊子をじっくり読んでみた。
後悔した。
ただでさえこれから行く場所には不安しかないのに、そこに書かれていた内容は生贄や祟りといった恐ろしいものばかりだったからだ。
げんなりとして顔を上げると、ルームミラー越しに運転手の老人と目が合った。
今までお互い話すことはなかったが、気まずい空気でも感じたのか運転手がこんな事を話し出した。

「お客さん、あんなとこに行くなんて物好きだね。
事故に興味でもあるのかい?
それとも、集落に興味があるのかい?」

俺がなんと答えようか口篭っていると、運転手は更に続けた。

「あの集落の連中は外界から隔絶され続けたせいか、外から来たモンには冷たいぞ。
近隣のモンも昔からよくいわれたもんだ。
カエゴ集落には近付くな、とな」

どうやらあの冊子の代護と言うのはダイゴ、ではなくカエゴと言うらしい。
それにしてもますますきな臭くなってきた。
外界と隔絶された集落。
山代はそこにいるのだろうか。
考えているうちにタクシーは山に入るトンネルの手前の路側帯に駐車しようとしていた。
何かあったのかと戸惑っていると運転手の老人が申し訳なさそうにこう言った。

「いやぁ、すんませんね。
このトンネルの先の集落の入り口で2週間くらい前に土砂崩れがあって、中ではUターンできないもんでここからは歩いてもらうしかないんですわ」

どうやらニュースで見た事故はこの先で起きたようだ。
トンネル自体は全長が1.2キロ程らしく割と新しい為歩けなくはなさそうだったが、ここで俺のテンションはだいぶ下がっていた。
しかし、運転手の次の一言で気合いを入れ直す事になる。

「あの事故の2日後くらいかね、お客さんくらいの年の兄さんも乗せて来たんだよ。
なんだか思い詰めていたようだったけど、あの兄さんどうしたかなぁ」

料金を払ってタクシーを見送ると俺はトンネルに向き直った。
トンネル内は明かりが少なく、昼間でも少し薄暗い。
俺は慎重に歩き出した。

歩いてみると割と時間がかかる。
そろそろ中腹かなと思った頃、変なものを見た。
少し先のオレンジ色の明かりの下に誰かいる。
恐る恐る近付くと、浴衣のような寝巻きを着たボサボサの髪の老婆のようだった。
なんだか不気味だが幽霊を信じていなかった俺はその横を通りすぎた。
その時老婆が耳元で

たすけて…

と小さく呟いたように感じ、すぐに振り返ったがそこには誰もいなかった。
俺は出口を目指して走った。
怖い怖い怖い。
初めて幽霊を見てしまったかもしれない。
外の光が見えて来てやっと安心し、歩調を緩め土砂で塞がれていない対向車線の方からトンネルの外へ出た。
一体さっきのはなんだったんだろうと考えながら、左手に見える大量の土砂の横を通り過ぎて一本道を進むとすぐに畑や田んぼが目の前に広がった。
どうやら集落に着いたようだ。
ポツポツと農作業をしている人がいたが、余所者の俺を一瞥してすぐ作業に戻る人ばかりだった。
居心地の悪さを感じながら歩いていると、少し先の電信柱の元に立つ先程の老婆を見つけた。
全身に鳥肌が立って思わず足を止めたが、老婆らすーっと腕を上げ集落の奥を指差すと陽炎のようにゆらゆらと消えた。
戸惑いながらも老婆が指差した方を見ると、小さな商店の軒先に老婆が立っていてさらに奥を指差している。
恐ろしい事が起こっているはずなのに、その時の俺は導かれるように老婆が指差す方へ歩いて行った。
現れては消え、現れては消えを繰り返す老婆の姿を追って少しずつ人気のない集落の奥地へと向かうと、そこには古いが立派な日本家屋があった。
なぜかその家から不思議な荘厳さを感じ圧倒されていると、気がつくと老婆は玄関の前に立っていてそのまますぅっと玄関の中へ消えた。
ここに何かある。
そう確信して、恐ろしいが勇気を振り絞って玄関の引き戸に手をかけた時。

「なにしてるのぉ?」

女性の声だった。
恐る恐る振り返ると、俺と同い年くらいの男女が立っていた。

「おまえ、だれだぁ?
このへんのもんじゃないなぁ。
もしかして、ナオのだいがくのともだちかぁ?」

「そうなのぉ?
ナオにあいにきたのぉ?」

2人ともやけにもったりと間延びした話し方をする。
この集落の人達は皆んなこんな話し方なんだろうか。
俺がそうだ、しばらく顔を見ないから心配で会いに来たと言うと2人は顔を見合わせた後自己紹介してくれた。
女性の方が山代 真希恵(まきえ)で、男性の方が山代 秀樹(ひでき)。
2人とも山代の親戚らしく、同い年の幼馴染との事だった。

「そのいえはあきやだぁ。
とりあえずおれのいえにこいぃ」

そう言って2人に手を引かれ、俺はその家を後にした。
歩いている間も2人は色々な事を話したり聞いて来たりしたが、とにかく話し方が気持ち悪くて手を引かれて歩いているだけなのに俺は頭がクラクラしてきていた。
しばらくすると先ほどの家に似た立派な家に着いた。
広い庭には軽トラや木材などがあり、玄関の横には大きな木の1枚板に「山代工務店」と掘ってあった。

「おやじをよんでくるぅ、ここでまってろぉ」

秀樹がそう言うと、2人は玄関を開け広く暗い廊下の奥へ消えた。
少し待っていると奥の襖が開く音がし、どすどすと足音が聞こえた。
玄関まで歩いて来た50代くらいのがっしりとした男は、タバコを咥えたまま訝しげに俺を見てくる。

「あ、あの俺、山代直人くんの大学の友達で…。
しばらく大学に来ていないもんで心配になって顔を見たいなって思って…」

男の風貌に萎縮してしどろもどろでそう言うと、男は俺が手に持つ例の冊子をじっと見つめたあとこう言った。

「お前、ここに来ることを誰かに言ったか?」

俺が教授に伝えてあると答えると、男は厳しかった表情を崩し豪快に笑った。

「そうかそうか、まぁよく来てくれたなぁ!
直人は今やらないといけない事があってな、すぐには会わせられんが心配する事はないぞ!
とりあえず今夜はここに泊まってけ!」

会わせられないとはどう言う意味かわからないが、勢いに押され断れずタクシーもない為今夜はその言葉に甘える事にした。

その夜、その家の広間に10人くらいの大人達が集まりどんちゃん騒ぎが始まった。
俺は居心地が悪かったが、泊まらせてもらう以上作り笑いを浮かべる事しかできなかった。
すぐに酔っ払いの自慢大会みたいになったが、大人達の話の中には興味深いものもあった。
この集落のではカエッコサマと言う土着信仰があり、それを祀る本家が山代の家だと言う事。
この家は分家で男は山代の叔父にあたり、本家と共にこの集落を取り仕切っているという事。
そしてこれが1番驚いたのだが、2週間前の土砂崩れはそのカエッコサマが集落を守る為に起こしたものだという。
亡くなった政府関係者はこの集落をダムにしようと動いていた人達で、それに罰を与えたと言う事だったらしい。
にわかには信じられないが、話す叔父さんの目は真剣そのものだった為それ以上追求する事はしなかった。

夜も深くなった頃、男が急に真面目な顔でこう言った。

「兄さん、その冊子なんだけどな。
一体どこで手に入れた」

さっきまで酔っていたと思えない鋭い眼光で見つめてくる。
気がつくと周りの大人達を静まり返っていた。
俺が山代のアパートにあったと告げると、さらに男は続けた。

「そうか。
それなんだけどな、この集落にとって大切なものなんだ。
俺に渡してくれんか」

確かに嘘は言っていないようだったが、俺は何故かこれを渡したら山代に会えなくなるんじゃないかと思い断った。

「すみません、ここに来たのは山代にこれを渡さなきゃならない気がしたからなんです。
できれば直接渡したいので、会えるまで持っていてもいいですか」

俺がそう言うとしばらくの静寂のあと、はぁっとため息をついて男は再び表情を崩した。

「なかなか芯がある男だな。
わかった、とりあえず今日は休め。
明日以降に直人に会えるように手配するから」

そう言われ、釈然とはしないが俺はあてがわれた部屋で休む事にした。
畳に布団で寝る経験がなかったので眠れるか不安だったが、心身ともに疲弊していたせいかすぐに寝に入った。

「…きろ」

夜中に何か聞こえて目が覚めた。
何かが、いや誰かが俺の上に乗っている。

「おきろおきろおきろおきろおきろ」

その声に驚いて目を開けると、昼間見た老婆が馬乗りになって俺を見下ろしていた。
起き上がって逃げ出したいが、体が動かない。
老婆はどんどん顔を近付けてくる。
もう額と額がくっつくと言う所で俺は死を覚悟した。
しかし、老婆は俺の顔を両手でガッと掴むと、消え入りそうな声で言った。

「なおとを…
たすけて…」

老婆は泣いていた。
そして、あっけに取られている俺の上からすぅっと消えた。
途端、俺は起き出していた。
冊子を手に取り、あの家へ向かう為に。
あそこに山代がいる。
それが直感でわかった。
廊下に出ようと障子を開けた時、いきなり声をかけられた。

「どこえぇ、いくのぉ」

真希恵と秀樹がいた。

「ねてなきゃあ、だめでしょお」

相変わらずもったりとした話し方。
先程飲み会で集まった大人達の中に、こんな話し方をする人は1人もいなかった。

「それぇ、ちょうだぁい」

秀樹が俺の持つ冊子を指差す。
渡してはダメだ。
これは、絶対に山代に渡さなきゃならない。
どうもこの2人は俺を山代に会わせたくないようだ。

「ねぇ、ちょうだぁい」

真希恵が言う。
俺は踵を返して走り出したいが、昼間のように頭がクラクラしてきてうまく動けない。
その場にへたり込んでしまいそうな時、後ろから誰かに支えられた。
振り返ると先程まで誰もいなかった部屋に2人の中年の男女が立っていた。
その2人を見ると真希恵と秀樹は後退り、ぎりぎりと歯を食いしばり悔しそうな目でこちらを睨んでくる。

「じゃまをぉ、するなぁ…」

はっきりと見て取れる憎悪に俺が萎縮していると、中年の女性が優しく囁いた。

「だいじょうぶよ。
なおとのところへいって」

俺は急に体が動くようになり、男女へ1礼すると真希恵達の方を見ないように走り出した。

件の屋敷にはすぐに着いた。
引き戸に手をかけるとやはり鍵はかかっていない。
カラカラカラ…と屋内の静寂に戸を開ける音が響く。
どこまでも続く廊下に音が吸い込まれていくようだった。
失礼だとは思ったが、何かあったらすぐ逃げられるようにする為に土足で家に上がった。
とにかくずっと1本道の廊下が続いていて、左右にいくつもの部屋があり障子で区切られている。
山代はどこだ。
障子から入る月明かりしかなく、どこにいるのかわからない。
そもそも会ってどうするかも考えていなかった事に今更ながら気付く。
どの部屋も開けられないままギシギシと廊下を進むと、突き当たりの右の部屋から微かだが人の気配を感じた。

「山代?
ここにいるのか?」

小声で声をかけると、数秒の後に小さいがはっきりとした声が耳元に聞こえた。

「…誰だ?」

間違いなく山代の声だった。
ここにいる!
興奮した俺は捲し立てる。

「俺の声がわかるか?
大学でよく話した…」

「…ああ、お前か。
なんでこんな所に…
いや、そんな事はどうでもいいか。
来てくれて助かった。
お前に頼みたい事があるんだ」

声は弱々しかったが、俺の耳にははっきりと聞こえていた。
早速その部屋に入り話を聞こうとすると、山代に強く止められてしまった。

「絶対に開けないでくれ。
俺のこの姿を見たら、きっとお前は正気でいられなくなる。
ここに来るまででも、きっと大変な思いをしたはずだ。
だから、今は俺を信じて頼みを聞いて欲しい。
もう、時間がないんだ」

俺は障子を開けるのをやめ、山代の言葉に耳を傾けた。

「この家の裏手に回った所にあるお堂へ向かってくれ。
そこを開けると赤黒い小さなミイラみたいなものがあるんだ。
それを粉々に壊して、お堂ごと燃やしてくれないか」

「もしかして、それがカエッコサマってやつなのか。
お前がここに戻って来た理由も、それを破壊するためだったのか」

今までの事と山代の言葉でなんとなくそう思った。
そして、それが達成できなくて山代が戻って来れないでいるのもわかった。
それでもこの異常な状況で判断力が鈍っていた俺は、理由がわからないので動けずにいた。

「なんでそんな事…
あれはなんなんだ?
罰を当てるとか生贄とか、そんなもんが本当にあるのか?」

焦って捲し立てる俺に、相変わらずの落ち着いた小さな声で山代は答えた。

「カエッコサマはこの集落に繁栄をもたらしてくれたものだ。
お供物と引き換えに願いを叶えてくれると言われていた。
それを作ったのは俺の祖先なんだよ。
集落の繁栄の為に、1族のまだ小さな子を騙して即身仏にしたんだ。
おかげで集落は豊かになったけど、その引き換えに住民は集落から出ることを許されなかった。
そして集落存続の危機に陥った時、本家筋3家からそれぞれ跡取りを生贄に出すことで災いから集落を守ってくれるんだ。
8年前にもダム工事の話が出て、その時は親戚のお兄さん達と俺の両親が生贄になった。
土砂崩れで計画はおじゃんさ。
そして今回生贄になったのは俺の婆ちゃんと、親戚のマキとヒデだ。
今回も土砂崩れで政府関係者が数人亡くなった。
集落は守られたけど、本来生贄になるのは俺のはずだった。
だけど俺の両親も婆ちゃんも、俺に生きて欲しくて自ら生贄になったんだ。
それで今も苦しんでるのがわかるんだよ。
だから、俺はカエッコサマを壊しに来たんだ」

興奮して来たのか、語気が荒くなってきた山代の話す内容に俺は圧倒されていた。
平成のこの時代に呪いだ生贄だと言われてもにわかには信じられない。
それに、山代の話の中で気になる名前があった。
マキと、ヒデだ。
もしかして…

「なぁ、マキとヒデってもしかして山代真希恵と山代秀樹の事か?」

俺が恐る恐るそう聞くと、山代は驚いたように答えた。

「…会ったのか?
そうか。
あいつらの魂はもうカエッコサマの手先だよ。
俺の所にも来たんだ。
その時は婆ちゃんのお陰で助かったけど…」

あの喋り方といい、不気味な雰囲気といい、やっぱりあの2人は普通じゃなかったんだ。
それじゃあ、あの2人を止めてくれた中年の男女は…?

「その2人にさっきここへ来るのを邪魔されそうになった時、中年の男女が現れて俺を守ってくれたんだ。
それにここへ来る道中を教えてくれたり、さっき俺を起こしてくれたお婆さんの幽霊もいたんだ。
あれってもしかして…」

「俺の両親と、婆ちゃんだな。
俺のためにカエッコサマの生贄の代わりになったせいで、手先にもなれず成仏もできないでいるんだ」

山代は鼻を啜った。
泣いているようだった。

「カエッコサマを壊そうとしたのを見られて、叔父さんたちにここに閉じ込められて暴行を受けたんだ。
俺は動けそうもない。
いきなりこんな事を頼んで本当に申し訳ないと思ってる。
頼む、俺たちを解放してくれ!」

俺はすぐに動き出していた。
ぐずぐずしていては叔父さんたちや住民たちが起きて来てしまうかもしれない。
早くカエッコサマを壊し、お堂を燃やし、山代を病院に連れて行ってやらないと!
屋敷を飛び出しそのままぐるっと周りを走って裏側に回る。
決して大きくはないが、異様な雰囲気を放つ古臭いお堂があった。
足元に落ちていた手頃な角材を掴み、歩き出すと後ろからあの声がした。

「なにぃ、してるのぉ」

振り返ると、真希恵とヒデ、それに黒い影がいくつかあってじりじりと俺に向かってくる。

「こっちにぃ、おいでぇ」

「そのほん、ちょうだぁい」

「そっちにぃいっちゃあ、だめだよぉ」

あのもったりと間延びした声で口々に俺に迫る。
情けないが、腰が抜けて動けなかった。
泣きそうになりながらそれらが自分の方へ迫ってくるのを見ているしかない。

その時、なにか温かいものが俺の両目を覆った。
誰かの手のようだ。
そして耳元に、優しい声が響いた。

「これでだいじょうぶよ。
そのままふりかえって…まっすぐ進んで」

先程聞いた、山代のお母さんの声だ。

「そのまままっすぐ…」

「とびらをあけて…」

左右の手も引かれ、左からはおそらくお父さん、右からお婆さんのこえがした。
言われるがまま歩いて行き扉を開ける。
目を塞がれているので何も見えないが、開けた扉の中から失禁してしまいそうになるくらいの禍々しい空気を感じる。
ガチガチと歯が震え、握った角材を落としそうになる。
そんな時に後ろから悍ましい何人もの声が重なって響く。

「こっちをぉ、むぅけぇえええ」

その時ふっと俺の耳を誰かが塞いだ。
そして、塞がれた耳にもハッキリと声が聞こえた。

「おれたちを、かいほうしてくれ」

間違いない。
さっきまで話していた、山代の声だった。
俺はそれを信じたくなくて、叫びながら角材を振り上げた。

「うわあああああ!」

ドンっ

思い切り振り下ろした角材はほとんど感触がないまま床に叩きつけられた。
そのままの姿勢のまましばらく動けないでいたが、気がつくと目にも耳にも塞がれた感触はなく、後ろの気配も消えていた。
ぎゅっと瞑っていた目を恐る恐る開くと周りには静寂だけで誰もいなかった。
角材の当たった先に目をやると、そこにはボロボロに朽ち果てた腐った木の残骸のようなものが散らばっているだけだった。
これで終わったのだろうか。
とりあえず俺は山代との約束通りそれを燃やすために胸ポケットからタバコの箱に入れてあったライターを取り出した。(この時は未成年だったけど時効と言う事で)
火をつけようとした瞬間、背中の方でズボンに差し込んでいた例の冊子の事を思い出し手に取った。
これを欲しがる者はこれからもいるだろう。
真希恵と秀樹、山代の叔父さんがそうだったように。
もう2度とこんな事が起きないようにと祈りながら冊子に火をつけ、お堂に放り込んだ。
寂れて水分を失っていたお堂は一気に燃え上がる。
少しの間その炎に見惚れていたが、ハッとして屋敷へと踵を返す。
山代の元へ行かなくては。
走り出した俺の耳元に、

「ありがとう」

と男女とお婆さんの優しい声が聞こえた。

急いで山代と話した部屋の前へ戻り、乱れた呼吸を整える間も惜しんで障子を開けた。
そこに山代はいた。
後ろ手に縛られ、目隠しをされ、体中を傷だらけにして正座していた。

「山…」

声をかけようとしたが山代にはハエが無数にたかり、ところどころ蛆が沸いており数日前に事切れていた事は明白だった。
こいつは自分がこんな目に遭うかもしれないってわかっていながら、両親やお婆さんの為に悪しき風習と1人で決着を付けに来ていたんだ。
俺は、涙が止まらなくなった。
こんなに故郷の事を思っていた男が、なんでこんな理不尽な目に遭わなければいけないのかと。
進んで生贄になった真希恵たちも、本当はこんな事望んではいなかったはずだ。
俺は他人だけど、今回関わった人達の事を考えるとやるせない気持ちでいっぱいになった。
それでも、これからはこの信仰に縛られる人が生まれなくなる事を祈った。

「なんて事だ!
カエッコサマが!」

「きっとあのガキだ!探せ!」

なんだかお堂の方が騒がしくなって来た。
どうやらお堂から上がる火を見て住人が集まって来たようだ。
俺は山代の遺体に手を合わせると、音を立てないように屋敷から抜け出し暗闇を走り出した。
月明かりしかないので薄暗く、運良く誰にも見つからずに集落の入り口までやって来れた。
ふと振り返るとお堂の辺りの炎が大きくなり、山代のいる屋敷に引火したようだった。
燃え上がる本家の屋敷。
俺は、どうか縛られていた魂たちが成仏できますようにと祈り、手を合わせ集落を後にした。

それから俺はタクシーで来た道を半日以上かけて歩き、偶然通りかかった軽トラに拾ってもらい駅のある街まで降り、無事に帰る事ができた。

そして20年経った今、俺は再びここ立っている。
ここに来たのは近くで仕事があっただけで、本当に偶然だった。
今は無人となってしまった集落。
その後の住民がどうなかったかはわからないが、カエッコサマによって土地に縛られる事もなくなったので自由になったと信じたい。
そして2度の事故があった事で、この集落がダムになる事は永久になくなった。
自然がいっぱいで、動物や鳥の声が季節を感じさせる。
どこまでも広がる青空を見ていると、山代が人生をかけて守ろうとしたものが少しだけわかった気がした。

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計
毛利嵩志181818151584
大赤見ノヴ171616171783
吉田猛々161615161679
合計5150494848246