3歳になる子供と嫁が、風呂上がりに紙パックの子供用ジュースを飲んでいる。なんでも、あの小さなサイズが飲み過ぎないくらいで、風呂上がりにはちょうど良いんだと。
俺も大好きだった。子供の頃は良く飲んでいた。
そう、それは過去の話だ。
今となっては、ミニサイズの紙パックをみるだけで、あの時のことを思い出してしまうから苦手だ。それがなければ、俺も3人で飲んでいたんだろう。
小3の春。
クラス替えで俺は、同じ野球チームのA・Bと同じクラスになった。
俺達はウキウキで教室に向かった。
Aが教室に入るなり
「Cもいる!このクラス最高だ!」
といって、まん丸の身体でニッコリ笑ってるCの元へ行った。
このCって奴が、当時の俺たちの中で人気者。イタズラ好きでいつもゲラゲラ笑ってるような奴だった。おまけに身体も大きく、そのまん丸とした身体は安心感のある存在だった。
俺とBもすぐに仲良くなって、俺達4人組は結成された。
5月ぐらいだったか、俺達はいつものように放課後に公園で集まって野球をしていた。
すると俺たちの所に、一台自転車に乗ったおばさんがやって来た。
そのおばさんは、チェック柄のシャツで、黒のスカートを履いた制服みたいな服装で大きめの保冷バッグを持ってベルをチリンと鳴らした。
髪を後ろに束ね、真っ赤な口紅をしていた。特徴的だったのは、大きく丸いメガネをしていたことだ。
B「あー!ジュースのおばさんだ!」といってそのおばさんの元へ走って行った。
俺達も後を追うようにそのおばさんの元へ走った。
A「おばさん誰?」Aは聞いた。
おばさん「こんにちは、喉乾いてない?おばさんジュース売ってるから良かったら買っていきな。」
おばさんは、バッグを開け、中にあるジュースを俺たちに見せた。
B「俺ん家、毎週買ってるんだ!ヨーグルトとかジュース!おばさんは初めてみたけどここで仕事してるの?」
C「おばさん!なんでこのジュース安いの?これスーパー行ったらもっと高いよ!」
俺達は質問攻めをしてしまった。けれどおばさんは笑って、
「おばさん以外にもね、こうやっていろんな人のお家回ったりお仕事してる会社に行ったりして配りに行くの。みんなで回るのよ。スーパーとよりも安いからお得よ。」
当時はわからなかったが、こういう販売員みたいな人が各エリアにいたんだと思う。
毎日数十円の小遣いをもらいながら遊んでる俺たちにとって、この「ジュースのおばさん」の存在はかなり嬉しかった。
A「おばさん!明日も来てよ!」
B「俺たちいつも公園で遊んでるんだ!ジュース買うから来てね!」
おばさん「あら、ありがとう。みんなの事覚えておくね!」
おばさんは、また自転車に乗っていった。
俺達は、すっかりおばさんの太客になりクラスでも話題になった。
1週間経った頃にはクラスの半分近い人数が公園に集まり、ジュースのおばさんの登場を待った。
おばさん「今日はこんなにいっぱい来てくれたのね。はい、いつものジュースだよ。」
俺達は大はしゃぎしながら、ポケットの小遣いでジュースを買った。
みんなで大騒ぎするもんだから、さすがのおばさんもやや苦笑いをしていた。俺達は、おばさんのリアクションをよそに、腕にくっついたり自転車のカゴを掴んだりしておばさんに甘えていた。
おばさん「はい、はいはい。ありがとうねみんな!また来るから、今日は沢山買ってくれておばさん嬉しいな、またね。」
おばさんは、また自転車に乗り、俺たちの元を離れて行った。
俺のクラス全体がジュースのおばさんフィーバーになり始めた頃、おばさんが公園に来なくなりだした。最初の頃は、平日は毎日ぐらいの頻度で来ていたのだが、ここ最近は、3日に1回、
平日1度も来ない、そんな事もあった。
Aは他のクラスメイトにきつく当たった。
A「お前らが一度に集まって騒ぐからおばさん、大変だったんじゃないのか」
B「次おばさん来た時はみんな静かにしなきゃな。」
そう話していたのだが、10数人集まってたクラスの奴らも、いつもの俺たち4人に戻っていた。
公園で俺達は、ジュースのおばさんに会えない寂しさをどこか感じていた。
C「おばさん、最近ぱったりだよなあ」
俺「一度にみんなが集まって騒いだりしたから、学校に連絡が入ったりとかめんどくさい事になったんじゃないかな」
ため息をつきながらキャッチボールをしていたら、かすかにベルを鳴らす音が聞こえた。
B「あれ…?おばさん?」
A「あ!おばさんだ!」
久しぶりにおばさんが俺たちの元に来てくれた。おばさんは、俺たちを見て微笑んだ。
おばさん「ごめんねぇ…最近こっちの公園来れなくてねぇ〜、今日はお詫びにサービスするからね」
そういっておばさんは、保冷バッグを開けた。
ジュースの他に、スナックやグミ、キャンディが入っていた。
おばさん「今日はおまけにお菓子つけるから、許してちょうだい。」
俺達は喜んでジュースを買った。
A「おばさん、ごめん。他の奴らが騒ぎすぎたせいでおばさん来なくなったかと思って」
おばさん「大丈夫よ、気にしないで。みんな元気いっぱいだからおばさん嬉しいわ。」
A「来なかったのはやっぱりみんなでいたから?」
おばさん「そんなことないわ。でも、あんまりお菓子やジュース買ったり騒いでたらお父さんお母さん心配しちゃう人もいるかもしれないからね…」
おばさんの顔は少し元気がなさそうに見えた。
C「今度から俺たちだけで遊んでるからまた来てね。ジュースいっぱい買う!」
おばさん「みんな優しいのね、どうもありがとう。また来るから、おまけのお菓子楽しみにしててね!」
おばさんは自転車に乗り、去っていった。
その日からおばさんは、またいつものように俺たちの公園に来てくれるようになった。
前と少し違ったのは、俺達がいつものメンバーで遊んでる時にだけ来てくれる事。
ジュースと一緒にたくさんお菓子をおまけしてくれる事。
大人数で公園にいる時は姿を見せなかった事だ。
夏の終わり。いつものように、おばさんが公園に来てくれた時のことだ。
毎日のように公園で遊んでいる俺達だったから、いつもと変わらない。そんなある日、おばさんは自転車を止めると俺たちにこう問いかけた。
おばさん「ねぇねぇ、みんなの友達にトウヤって名前の子いる?」
トウヤ?
初めて聞く名前だった。
俺らの同学年や学校に、そんな名前の子はピンと来ず、分からなかった。
俺「トウヤ…分からないや、おばさんの知り合い?」
A「おばさんの子供?」
Aの問いにおばさんは首を横に振った。
A「ううん、おばさんの子供はトウヤじゃないよ。みんな知らなかったら大丈夫。でももし知ってたらおばさんに教えてくれるかな?」
俺達はみんな頷いたが、その、トウヤが気になった。
C「なんでそのトウヤって子探してるの?」
B「もしかしてゆくえふめい?誘拐されたの?」
誘拐という言葉が出た瞬間、みんな一斉にビクッとした。
おばさん「あはは。違うのよ。そんな事件ではないから気にしないでね、みんなは心配しなくて良いのよ。」
俺達はホッとした。そこで調子に乗ったCが、
C「おばさん、そのトウヤを見つけたらご褒美くれる?」
なんてことを聞いた。
するとおばさんは目を大きくし、首を大きく縦に振り、
おばさん「内緒だけどね、このバッグの中に目一杯ジュースとお菓子詰めてタダであげるよ。」
と囁いた。
俺達は大きな声で盛り上がった。
しかし、土日にAと共に、学童野球のチームメイトに聞いても、自分たちの学校にはいないみたいで捜査は難航した。
A「諦めようぜ、トウヤなんて俺らの友達にはいないからしょうがねーよ」
俺「そうだな…でも、なんでおばさんはその子を探してるんだろう」
Aは眉間にしわを寄せて言った。
A「俺さ、思うんだ。トウヤは本当はおばさんの子なんだよ。」
俺「えっ?」
A「なんか前テレビで見たんだ。離婚したお母さんが子供を探してなんか、さいばん?とか起こす奴。」
俺はAの推理に何となく信憑性を感じた。
自分の子でもなかったらこんなに探さないだろうし、現時点ではトウヤの「お母さん」ではないだろうからだ。
おばさんの「私の子ではない」という言葉には納得がいく。
俺とAは、すっかりその気になって、また月曜日にみんなにこの推理を話すを事にした。
月曜日、教室でAは俺たちにその話をしようとすると、Cがニヤニヤしながら言った。
C「へへ。みんな、悪いがジュースとお菓子は頂くぜ」
俺とAはキョトンとしてるとBがすぐに突っ込んだ。
B「おまえ、まさかトウヤって奴、見つけたのか?」
Bの問いにCは、まあまあと言いながら余裕たっぷりに俺たちに囁いた。
C「俺の剣道クラブに隣町から来てる奴がその名前の友達を知ってるらしいんだ」
俺達は驚いたがその後、冷静になったAが
A「トウヤなんて名前他にもいるかもしれないだろ。下の奴かも上の、もしかしてら中学生にもいるかもしれないし」と突っ込んだ。
C「その時は…その時よ!とりあえず知ってるってだけでご褒美くれるんだし、みんなで山分けしようぜ、ウヒヒ〜。」
上機嫌のCに、Bものっかり、俺とAは最初はう〜んという表情だったが、まあいっか。みたいな感じでまた公園に行く事になった。
公園で待っているとまた、ベルの音が鳴る。
おばさん「こんにちは〜まだまだ暑いね〜。」
おばさんはいつものように俺たちの元を訪れ、ジュースの準備をした。
Cは刑事になりきっておばさんに言った。
C「警部、トウヤのことがわかりました!」
Cはおばさんに敬礼のポーズをとった。
おばさんは、えっ!と声をあげ、しゃがみ込みCの両腕を掴んだ。
おばさん「ほんとう?ほんとうなの?ありがとう〜。さすが刑事さん。ご褒美準備するからね!」
おばさんは、Cの頭を撫でながら、
おばさん「ありがとうね、ご褒美沢山用意してるから一緒に運んでくれるかな?」
おばさんは公園の裏にある団地を指差した。
俺達も一緒に団地へ向かおうとすると、Cは
C「あぁ〜いやいや、ここから秘密捜査だからみんなはここで待っていろ。いいか、動いちゃダメだぞ」
といいながら、おばさんの服の袖を掴んだ。
おばさんは、フフッと笑ってその団地へCと向かい始めた。
残された俺達3人は、おばさんとトウヤの謎の推理を続けていた。
あそこの団地がおばさんの家だとしたら、そこに1人か3人?で暮らしていたのか、おばさんはどうして離婚したのか。そもそも本当に離婚なのか、トウヤのお母さんはおばさんなのか?
俺たち3人が一致した、おばさんの特徴が一つ分かった。それは、「少しだけ日本語が変」と言う事だった。カタコト?な感じがしたんだ。でも、アメリカ人や中国人みたいなわかりやすいカタコトじゃないから俺たちもそんなに気に留めなかった。
ここに来て、少しおばさんがどんな人か疑問を抱くようになった。
1時間ぐらい経った頃だった。
団地の方から全速力で走ってくる男の子がいた。
俺たち3人は、あれ?誰だ?と思っているとすぐにそれはCという事に気づいた。
Cは俺たちの元へ来ると思いきや、そのまま走り去ろうとした。Cはその時、去り際に俺たちに、
「逃げろ」
とだけ言って走っていった。
俺達はただならぬ予感を感じ、自転車や野球道具をほったらかしてそのままCを追いかけた。
A「おい!C!大丈夫か!?何かされたのか?」
Cは息を切らしながら言った。
C「あいつ…ヤバい…。」
B「おばさんか!?おばさんにやられたのか?」
C「ころされる…逃げる…」
Cの泣き顔が状況のヤバさを物語っていた。
そして俺は、ある気配を後ろの方に感じた。
まさかと思って振り返った時、心臓が止まりかけた。
公園から、あのジュースのおばさんが追いかけてきていた。
束ねている髪もほどけてグシャグシャになり、目も俺たちの方をジッと睨んでいた。
俺「ヤバい…おばさんが来てる…!来てる!」
A「くそ…おい!あそこに行くぞ!隠れ家だ!」
隠れ家とは近くにあるマンションで、雨が降った時の俺たちの遊び場である。そのマンション内の階段の一番下に子供何人かが隠れることが出来るスペースがある。
俺たち4人はその場所へ向かい、隠れ家へと身を潜めた。着いた頃Cは涙と鼻水で顔がグシャグシャになっていた。
B「おばさんに…何されたんだ?」
C「最初は俺の好きなお菓子を聞いてきたんだ、家に帰って詰めてくるからっていうからさ…でも」
C「自転車置き場で急に首を絞められたんだ、ここにトウヤを連れてこいって。」
C「俺は、知らない子だからできないよって言ったんだ、そしたらおばさん俺に顔思い切り近づけて」
C「お前をころすって言ったんだ」
俺たちは言葉を失った。
おばさんの力が強まる内に、団地の敷地内に車が通り、おばさんは手を離し、辺りを見回した。
その一瞬で、Cは全速力でこっちへ帰ってきたらしい。
俺「なんなんだよあのおばさん…」
B「なんも関係ないCを殺そうとするなんて頭おかしいよ…」
Bの話を突然Aが遮った。
A「シッ!」
俺たちは静まり返った。その時だった。
階段近くで足をダンダンさせる音が聞こえ、俺達は心臓が止まりそうになった。
荒い息遣いと足音がすぐそこまで聞こえてきた。
あのおばさんだということはすぐに分かった。
そのおばさんの口からなにやら呪文みたいな言葉が聞こえてきた。
「ジュンガァ…ジュンゴォ…!ンー!…」
ジュンゴ?ジュグァ?
聞き取れず、よくわからなかったが、ジュゴンに似たような響きをボソボソ言いながら歩いているのが聞こえた。
俺達はすぐそこにある恐怖に怯え4人で震えていた。Cは顔を覆うようにして泣いているのが分かった。
しばらくその場をふらついたり階段を上り下りしたり、近くを行ったり来たりしていたが、足音もしなくなった。
身体を寄せ合い息を潜めていた俺達は互いに、
気配がなくなった事を確認し、その隠れ家から身を出した。
一瞬の出来事だった。
身を出したその先、あのおばさんが
「イタアアアア!!!!」と声を上げ
俺たちの前で目をガン開きにして耳を裂くような高い声で笑い始めた。
もう俺たち全員大声で泣き喚いてしまった。
殺されると思った俺達はごめんなさい、ごめんなさいと謝った。
大声で泣き叫んでいると、遠くから、
「コラー!うるさいぞ!マンションで騒ぐな!」
と、大人の声が聞こえてきた。
助けだ、助けを呼ぼう。
俺はそう決心し、助けを呼ぼうとした瞬間、おばさんはクルッと後ろを向き、動物の様な反応でどこかへと走り去っていった。
俺達は呆然と立ち尽くし涙が枯れるまで泣き続けた。
先ほど声を上げた大人の人がこっちに気付き、俺達を見るなり異変に気づいた。
その人は、このマンションに住んでいる人で、部屋に入ろうとしていたところだという。
俺達はその人に全てを打ち明けた。
ジュースを売りにきたこと、トウヤという子を探している事、Cが団地に連れて行かれ首を絞められた事。
そして、俺達を追い、ここまできた事。
その人は、完全にそのおばさんの異常性を感じ、すぐに警察へ通報してくれた。
駆けつけた警察2名に、一連の話をした。
事情を聞いた警察も危険さを感じて、帰りは俺たちを送り届けねくれる事になった。
俺達はそれぞれの家で両親に事の経緯を話した。
俺も両親からは、知らない人からお菓子をもらったり、ついていったりしない様にと、こっぴどく叱られた。
ついでに親父からは、あの団地の近くの公園にはあまり行くなと耳元で言われた。
次の日、学校に行くと朝一番に全校集会が開かれた。
内容はやはりあのおばさんの事だった。
「放課後、お菓子やジュースを売ってきたり配ってくる大人がいても断る事」
結局、あのおばさんは警察に捕まったりせずに済んだから学校で注意喚起がされたのだろう。
いつかまた、どこかで遭遇して攫われたりでもしたらどうしよう。
不安だった俺達ではあったが、あの一件からパッタリと、ジュースのおばさんに遭遇することはなかった。
俺達も徐々に安心して学校の周りで遊べる様になったし、親父の忠告もあって例の団地近くの公園で遊ぶのは避けてたけど、おかげでまたいつもの様にみんなでワイワイ遊べる様になっていった。
卒業する頃には、当時の怖かった思い出として話せるぐらい、俺達の恐怖心も薄れていた。
あの事件から5.6年ぐらい経ち、俺達は中学校3年、部活動の最後の大会を終え、夏休みを迎えた。
夏休みは、いつもの4人組で、近くのゲーセンに行ったり、形ばかりの受験勉強を始めたり、自転車で海に行ったりと充実した日々を過ごした。中学3年ということもあり俺たちの行動範囲も広くなっていた。
そんな長かった夏休みもあっという間に過ぎ、
夏休みの終わりまであと2.3日となったある日の事だ。
Aが、夏休みの最後になんか思い出でも作らないかと言い始めた。
俺もBも話には乗ったが、実際に何をして思い出を作るかはなかなか思い浮かばないものだった。
俺は捻り出し、クラスの女の子を誘ってプールに行く事を提案したり、BはBで、ジャンケンで負けたやつが好きな子に告白するとかそんな企画を持ち出した。
Aは、俺の案とBの案をミックスして
女の子と遊んだ帰りに、1人が告白するという企画にしようと言った。
そんな中、Cはもっと面白い案があると俺達に言い放った。
C「昔俺たちを怖がらせたおばさんに仕返ししようぜ」
Cの強烈な案に俺達は息を呑んだ。
もうあのおばさんへの恐怖心はない。
だが、当時の記憶がフラッシュバックした今、素直に頷けない自分たちもいた。
C「なんだよ、ビビってんの?あんま面白くない?この企画」
C「女の子の企画は、それはそれでやろうぜ。
でもよ、これは絶対やりてえんだよ」
Cは俺達に捲し立てた。
俺「C、怖くないのかよ。昔Cが一番泣いてたんだぜ、殺される殺される〜なんて言ってよ」
A「そうだぞ、あの中で一番怯えてたのはCだったな。」
B「まぁそりゃこええよな〜、連れられて首絞められたりしたんだもんな。思い出してもあのおばさんの顔強烈だったわ」
俺達が当時の話を振り返っているとCは真剣なトーンで話し始めた。
C「だからだよ」
C「俺がビビってたのは事実だ。大人だろうが女にビビって泣きじゃくって何も出来なかった自分を思い出すと今でもムカついてくるんだよ。自分にもあのババアにも。」
確かに、今のCは昔に比べるとかなり威圧感がある。習い事の剣道も、中学では地方大会の上位に入るレベルだし、当時は丸くて可愛かったのに、今や俺たちの中で一番ゴツい身体をしている。Cとゲーセンに行ってる時は高校生のヤンキーにも絡まれることはない。
C「明日、昼過ぎくらいから団地行って張り込もうぜ。見つけたら速攻捕まえてやる」
Cの勢いに圧倒され俺達は集合の約束をした。
まぁ、万一何かヤバいことが起きてもCがいるから大丈夫と自分に言い聞かせた。
翌日、俺達は、あの公園に集合し団地へと向かった。Cの目がすでにギラついている。
俺は本当にボコボコにしてしまうのではないかとそっちの心配もしてしまった。
しかし、その張り込みから2時間経ってもおばさんの気配はない。汗だくになった俺達はやる気を失いかけていた。いっそのことジュースのおばさんにあって、ジュースをもらって仲直りでも良くないかとまで考え始めた。
ダラダラ歩いていた時にふと、Aが足を止めた。
A「ん?あれ…」
Aが、小さく指差した先には、40-50代ぐらいの女の人が買い物袋を持って歩いていた。
B「あれ、違くね?なんかもっと雰囲気あったじゃん。化粧とかさ」
Aが指差した女には当時のおばさんの、キリッとした感じというか派手な顔というかそんなイメージはなく、ごく普通の、メガネをかけたおばさんという感じだった。
しかし、Cはズンズンと歩き始めた。
C「アイツだ…アイツだ。」
Cはおばさんの元へ近づくなりまだ確証もないのに切り出した。
C「おいおばさん、何してんだよ。」
おばさんはハッと立ち止まって俺たちを見回した。オドオドした様子で、本当にジュースのおばさんか?と思うようになった。それでもCは続けた。
C「忘れてねえぞ、あんたがこの団地で俺の首を絞めたこと、追っかけ回してビビって泣いてる俺たちを見てゲラゲラ笑いやがったことも。」
Cはおばさんを睨み続けている。
おばさんは頭をペコっと下げ、話し始めた。
おばさん「当時は酷いことをしてごめんなさい。
学校のお友達にもお父さんお母さんにも迷惑をかけてしまって、何も言えません。」
あの時の形相はもう見る影もなかった。
元はと言えば、普通に優しいおばさんだったはずだ。トウヤとかいう探している子供の話が出るまでは。
Cは手応えのなさにため息をついてしまった。
C「なんだよ…結局あんた何がしたかったんだ?男の子探してたんだろ?見つかったのかよ?え?」
おばさんは下を向き、何の反応も示さなくなった。小さな声ですみませんと囁くだけだ。
C「そいつは自分の息子なんだろ?旦那に取られたか知らねえけど取り返そうとしてんじゃねえの?」
Cは続けた。
C「チッ、、つまんねぇな。俺はな、トウヤを知ってんだよ。西町の四中にいるよ。年は同じか一個下でサッカー部。これでもういいだろ?」
おばさんは、Cの話がおわるとゆっくり顔をあげ、またお辞儀をした。
おばさん「すみませんでした。わざわざありがとうございました。ごめんなさいね、巻き込んで」
C「もういいよ、2度と俺たちには近づくなよ。そんじゃ。おい、帰ろうぜみんな」
呆然と見てた俺達は、我に返り、おばさんに軽く会釈をしてその場を後にした。あっけなく終わってしまった夏の思い出作りだった。
結局あのおばさんは自分の子供を取り返すために探していたんだろうか。
なぜか不完全燃焼に終わった気もした俺たちであった。
そして夏休みが終わった。
夏休みが明けて1週間が経った頃俺達は4人同時に職員室に呼ばれた。
呼び出した学年主任の一言は
「5年前に小学校であった、不審者の話を詳しく聞かせてほしい」という事だった。
俺たち4人は顔を見合わせながら、淡々と当時の話を記憶の限りした。
話を終えると先生が俺達に聞いた。
先生「その時から、君達はその人に会ったりする事はなかったか?」
俺達はドキッとしたがシラを切ろうとした。
先生は顔をしかめ、話を続けた。
先生「隣町の中学校で生徒が、通りがかった女に切り付けられる事件が起きたんだ。見つけた、見つけたと叫んでいたらしい。」
先生「本当に何も知らないか?」
先生の問いにCは、全てを打ち明けた。
Cは、自分の行いで、見ず知らずの生徒を巻き込んでしまったからだ。
先生は、俺達を事件の参考人として、警察立ち会いの元、その切り付けた女が当時のおばさんである事を確認してほしいと言ってきた。
先生と一緒に警察署へ向かうと、一室へ通され、そこであのジュースのおばさんと再び対面することになった。
そこにいたおばさんは変わり果てていた。
髪はボサボサになり、肌は真っ白で口紅が異様に塗りたくられやはり当時の呪文を同じように笑いながら唱えていた。
その時俺は、そのおばさんが何の言葉を使っているのかようやく分かった。
韓国語だ。少しカタコトだった話し方も、唱えている呪文みたいな言葉も、全部向こうの言葉だったんだ。
確認を終えると先生は、警察官と長い時間話をしていた。
話を終えた先生は学校に帰る前にコンビニへ寄り道した。
そこであのおばさんについて話し始めた。
団地には、男の子と2人で暮らす、韓国人のシングルマザーがいたらしい。
ある時、男の子が外で遊んでいると道路に転がっていたサッカーボールがあり、
それを取ろうとした際、通りかかった軽トラックに跳ねられて亡くなったそうだ。
駆けつけた母親は何が起きたか状況は理解できず、ただそこにあったサッカーボールだけ見つけた。ボールには、ひらがなで「とうや」と書かれていた。
逮捕されたおばさんの部屋を確認した際、そのボールが見つかったのだ。
母親はそれだけを頼りに、息子を死に追いやったボールの持ち主を探し、復讐すると決めたのだ。周りの大人に聞けば犯罪を疑われるのではないかと、ターゲットを子供達にしたのだという。
切り付けられた男の子も「トウヤ」自身なのか、それは分からない。ただ一つ言えるのはトウヤはあのおばさんの「取り返したい息子」でも何でもなく、「殺したいほどの復讐相手」だったのだ。
俺達は、その事件を2度と口にする事はなかった。その事件のメンバーだったみんなとも少しずつ距離が広まっていった。みんながどうなったか、トウヤがどうなったか、ジュースのおばさんがどうなったかも、俺たちは何も知らない。
そして大人になった今。
仲良く親子2人でジュースを飲んでいる嫁と子供を見ると、当時恐怖としか思えなかったジュースのおばさんも、今では悲しさを覚えてしまう自分がいる。
あのおばさんも、本当は息子とジュースを飲みたかったんだろう。