もう10年程前の話になる。当時俺は社会人のバスケットボールチームに所属していて、練習終わりにはいつもチームの奴らと飲みに行くのが習慣になっていた。
ある日のそんな飲み会で、『夏だし怖い話をしよう』と言うことになったのだ。
ありきたりな心霊体験談でも場は盛り上がって、そうして次は、俺の隣に座る俺と歳の近いヒロの番になった。
「うーん、怖い話な…ちょうど最近起きた話があるんだけど…言うか迷うわ…」
そう言ってもったいぶるので、当然みんな気になって催促をした。すると本当に重たい口ぶりで、ヒロは話し出す。
「――ここから少し行ったところに、三角公園あるだろ?そうそう、心霊スポットだとか言われてるとこ。あそこの端っこに、電話ボックスあるの知ってた?」
その公園へ入ったことが無かった俺は知らなかった。そこは道路と川に挟まれて、三角形をしている公園だ。聞けば、コンクリート製の真四角の公衆トイレの隣に、大きな道路からは死角になるように、電話ボックスが建っているらしかった。
「昔からよくある、あのガラス張りの電話ボックス。先週の土曜日に、俺ツレと酒飲みに行ってて、酔っぱらったツレが『この時代に公衆電話なんかいらねえだろー!』って叫びながら、電話ボックスのガラス蹴って割っちゃったんだよ。で、急いで逃げた。あの辺店もないから監視カメラもないし、今んとこ、ツレにも俺にも、警察から連絡とかも無くて、セーフって思ってたんだけど…」
そのガラスを割ったツレであるAという男は、昔から酒癖の悪さで有名な奴だった。ヒロ含めて”The田舎のヤンキー”と言った素行なので、クソではあるが俺たちからすれば意外でも何でもなく、馬鹿だなあと皆でゲラゲラ笑ったのだが…ヒロが全く笑っていないことに気づく。中ジョッキの持ち手をぐっと握りしめて、何かを思い出して眉間にしわを寄せている。
「ネタにして一緒に笑ってたのに、3日後に急にツレから電話かかって来て、『俺やっぱり自首する』とか言い出したんだよ」
それはかなり意外だった。後先考えないタイプの奴だったからだ。
「お前らしくないからやめとけって、俺は突っぱねてさ。でもアイツおかしいんだ。なんか怖がってる?びびってる?電話してても『自首すれば助かるかも』とか意味わからんこと言って。自分でやったくせにそんなんだからムカついてきて電話切ったんだ。
それで、昨日ちょっと近く通りかかったら、その電話ボックスが青いビニールシートでぐるぐる巻きにされてるの発見してさ。割れたガラスとか危ないし応急処置してあるんだろうなきっと。それ見て、写真撮ってガラス割ったツレに送りつけて、またネタにしようと思ったんだ。少し遠くから、全体で写真撮って。それが、これ」
ヒロはスマホの画面を見せてきた。夕方の赤い空と薄暗くなった三角公園のなかに、ぽつんと、青いビニールシートとその上からガムテープを巻き付けてある四角い物体が写っている。それが例の電話ボックスなのだろう。なかなかにシュールな写真で、少し笑った。
「…な?ちょっとおもしれーじゃん。だからツレにも送ったんだよ。そしたら、あいつからまた急に電話かかって来て、今度は怒鳴り散らして怒ってるんだ。訳わからんから俺も怒鳴り返して落ち着かせたんだけど…あいつ、『そんな写真を送って来んな、お前もすぐ写真を消せ、やっぱりあの電話ボックス壊したのが間違いだったんだ』って、そういうことひたすら言うんだよ。馬鹿らしくって電話は切ったけど、あとから気になって写真見返してみたらさ…」
ヒロはみんなにスマホを回した。
赤い空。薄暗い公園。さらに暗い一角に佇む、青いビニールシートに巻かれた電話ボックス。
「電話ボックス。拡大してみ」
言われるままに拡大してみると、電話ボックスの上部15センチ程だけ、ビニールシートがめくれて奥のガラスが見えている部分があることに気が付く。そこに、
人の手が写っていた。
まるで電話ボックスの中から腕を伸ばして、シートの隙間から手を振っているように見える。普通に考えればあり得ない。これだけシートとテープにぐるぐる巻きにされて、人間が中へ入れるはずもない。かなり暗い一角で、普及し始めたばかりの頃のスマホの写真なので画質も悪いからそう見えるだけだと思おうとしたが…何度見ても、指が5本あるそれは、人の手にしか見えなかった。
酔いがすっとさめた気がして、みんな押し黙る。
「人の手に見えるよな。幽霊なんか信じてないけど、人間がこの中にいたとしてもこえーじゃん…ツレにも改めて話し聞いてみようと思ったのに、昨日の夜から電話繋がらねえし…」
「…お前、そんなガチの怪談すんなよ。その公園、俺の帰り道じゃねえか」
最年長の西さんが迷惑そうな声でそう言った。その瞬間みんなが嫌な予感がしたと思う。そしてまさにその予感は当たるのだが、「帰り、みんな西さんについて行って肝試ししてから解散しよう」ということになってしまった。心底行きたくなかったが、西さんには誰も文句を言えなかった。
深夜1時の片田舎の街中は真っ暗である。飲み会帰りには見慣れた光景なのに、今日は酷く気味が悪い。
だらだらと口数少なに20分ほど歩くと、その公園は見えてきた。三角公園。敷地内にたった一つだけある街灯が、あまり広くない公園を照らしている。タイヤ跳びやシーソーという地味な遊具と、見るからに不潔そうな公衆トイレしかなくて、日中でも子供が遊んでいるのを見たことがない。さらには藪のように雑草が生い茂って、これではヘビが居たって気づかず嚙まれてしまうだろう。
みんな公園の入り口で立ち止まった。街灯の光がわずかしか届かない公園の最奥に、青いビニールシートにくるまれた電話ボックスが見えたから。異様な存在感だった。電話ボックスは普通の状態でも夜中に見るのは不気味だが、その姿は言葉にできないような異質さで、重たくじっとりと、公園のいちばん奥に在った。
「……あれっす」というヒロの小さな声にも、誰も反応しなかった。みんな目を凝らして、そのシートの隙間から何か見えてしまわないか観察していた。
しびれを切らした西さんが、ちらりとヒロを一瞥する。ヒロは泣きそうな顔を一瞬したけど、何も言わずに先頭を切って公園の藪へ入っていった。俺たちも続く。
夏なので外まで匂ってくる公衆トイレや、街灯に集まっている虫の大群に顔をしかめながら、その横を通って電話ボックスへ近づいた。少し手前で改めて観察するが、やはり物凄い圧迫感だ。雨風のせいなのか、ヒロの写真で見た時よりも、上部のシートのめくれは大きくなっている。天井から30cmほど捲れてしまっていて、中の真っ暗な空間が見えているのだ。しかしここから見ても、”手に見えるようなもの”はどこにもない。ヒロがシャッターを切ったあの瞬間にだけ、虫や落ち葉が偶然写りこんだのだろうか。
全員が圧倒されていると、また西さんの提案で、じゃんけんして負けた奴から順に中を覗くことになってしまった。俺は一発目で負けた。死ぬほど嫌だったが、明日からチーム内で『ビビりだ』とからかわれるのはごめんだった。
電話ボックスのすぐ脇に背の高い花壇があって、それを囲んでブロックが70cmほど積まれている。ライトをつけたスマホを構え動画を回しながら、そのブロックへ上った。脂汗と動悸が止まらない。ゆっくり振り向いて、カメラを向けたまま首を伸ばして、シートの隙間から電話ボックスを覗く。
――真っ暗だ。光の入らない床近くは闇が淀んでいるようで何も見えない。
ほっと息をついた。こんなにビビって恥ずかしい、そう思って、もっと首を伸ばして中を覗く。まっくらだが、ずっと見ているとだんだん目が慣れて、中の物のシルエットが分かるようになってくる。
四角くて大きな電話。
それが置かれた棚。
そしてその下に、
背中。
「――っうわ!!」
目で見たものを理解するより先に、体が跳ねたせいで俺はブロックから落ちた。周りの奴らには、覗き込みすぎて落っこちたように見えたのだろう。げらげらと笑われながら、俺は混乱していた。
”背中”に見えた。背を丸めて蹲っている、大人の男の背中。その肩のあたりには、ぼさぼさとした気味の悪い髪の毛のシルエットも見えた気がした。でも、本当に一瞬のことだったから、時間が経てば経つほど自信がなくなってくる。床近くにもビニールか何かが丸めて置いてあって、それを見間違えたのだろうか。
「まだ酔っぱらってんすか!」
座り込んでいる俺の脇を通って、笑いながら最年少の堀田がブロックへ足を掛けた。止めようとしたのに、喉が塞がったみたいに、声が出ない。堀田がスマホのライトを中へ当てるように向けながら、俺と同じように覗き込む。へらへらしていた顔のままびくりと硬直した後、みるみる顔が青ざめていく。
「えっ」
そう言った後ふらふらと後ずさって、俺のように足を滑らせて転がった。みんなが驚いている中で、堀田が俺の方へ這って来て肩を掴みながら、「あれ見ました!?あれ何なんすか!?」と、ひどく動揺しながら叫ぶ。俺と同じものを見たに違いなかった。でも、俺にもさっぱり分からないのだ。恐怖が一気に湧き上がって、さらに俺は何も言えなくなった。
俺と堀田がパニックになっているのを見て、次の順番の西さんも怯んだ顔をして「何があったんだよ!」と叫んだ。泣きそうな声で、「誰かがうずくまってます!」と堀田が答える。
西さんは眉間にしわを寄せながら、俺たちをずっと撮っていたスマホを構え直しながら、ブロックへ足を掛けた。
ユウレイなのか?生きている人なのか?それとも、死んでいる人?
どれであっても恐ろしくて、覗き込む姿勢をとった西さんを見つめるしかできない。西さんのライトの光が、シートの隙間から内側の暗闇へさし込んでいって――
「――っっうおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!」
西さんが絶叫して、真後ろの花壇へ倒れ込んだ。俺たちは心臓が止まりそうだった。西さんはすこしその状態で放心していたが、大慌てで花壇から下りて、ヒロへ掴みかかった。
「お前!!さっきのこえー話やる前から、仕込んでやがっただろ!!俺をビビらせて恥かかせるつもりだったんだろ!?ふざけんな!!!」
そう言いながら服を掴んで今にも殴りかかりそうなのだ。俺と堀田でなんとか体を押さえたが、西さんはブルブルと震えてかなり興奮してしまっている。ヒロが声を上ずらせながら叫んだ。
「俺はまじで、何も仕込んでません!!なに、なにが、中にいたんすか!?」
「――っ男だろうが!!めちゃくちゃ笑顔の男が、立ちながらシートの隙間から俺を見あげてたんだよ!!お前の知り合いか何か知らねえけど、お前がやったんだろ!?」
その言葉を聞いて、鳥肌が一気に背中を這いあがった。俺たちが見た時うずくまっていたあの男が、西さんが覗いたときには立ち上がって笑ってこっちを見ていたというのだ。西さんに掴まれたまま、ヒロは「知らない、俺は知りません!!」と言ってもがく。
俺たちの真横で、電話ボックスは、沈黙している。
その時、俺たちが騒ぎすぎたために、川の向こうにある民家から怒鳴り声が聞こえてきた。警察を呼ばれたかもしれない行きましょう、と西さんを促すと、大きく舌打ちしながら西さんはヒロを地面に投げ倒してから、自宅の方へ歩いて行ってしまった。俺たちも、ヒロを支え起こしてから逆側へ走って逃げた。
全員何が起きていたのか分からず、そのままヒロの実家へ転がり込んで、先ほどの話になる。
「…ヒロお前、本当に何も仕込んでないんだよな?」
「仕込むわけないだろ!?あんな状態の電話ボックスに、人を入れられるわけねえじゃん!」
その通りだったが、ヒロがいちばん最初に撮った”手”が写る写真と言い、俺たちが見た”男の背中”といい、西さんが見たという”満面の笑顔の男”といい、中に人が居れば解決なのだ。でも、それが不可能なことはすぐ近くで電話ボックスを見てきた俺たちにはわかった。普通に考えたって、1週間近くあの中でじっと隠れていられる人間が、いるはずがない。
見直したくはなかったが、俺と堀田の撮った動画を確認することにした。
ビデオの中にはやはり、電話ボックスの床部分にしゃがみこんで、こちらへ背を向けている男が写っていた。画質が悪くとにかく暗いため分かりづらいが、男はスーツのようなものを着ているように見える。痩せていて、髪の毛はぼさぼさだ。闇が沈殿している電話ボックスの底で身動き一つせず、そこに居る。これが立ち上がって笑っているのを、西さんは見てしまったのだと想像すると――鳥肌と怖気が止まらない。
これが何なのかなんて、誰も分からなかった。それに、電話ボックスを蹴って壊したAは電話ボックスの中に男を見たわけではないのに、一体どうして怯えていたのだろう。
「…何なのか分からねーけど、キモいしもうあの公園行くのはやめよ。でも、ヒロはとりあえず言い出しっぺだったんだし、西さんには今度のバスケの練習で会ったら謝っとけよ。あの人怒らすとこえーから」
俺がそう言うと、ヒロは力なく頷いた。
翌日のことだ。仕事中に、高校の同級生からLINEが来ていた。その連絡は、『Aが行方不明になっている。情報を持っている人が居れば、警察かご家族へ連絡してあげてほしい』というメッセージだった。そのAとは、電話ボックスを蹴って壊した、ヒロのツレである。何か異様なことが起きていて、それにはあの電話ボックスの中の男が関係していると直感した。
数日後バスケの練習日になったが正直練習どころではなくて、ヒロと堀田と体育館の端で会議をする。
ヒロはAの家族と直接話をしたそうだが、Aの家族も何も知らないまま突然いなくなってしまったそうだ。ただ、「なにかに怯えるみたいに、様子は少しおかしかった」のだという。
Aのことも恐ろしかったが、なにより練習に西さんが来ていないということも、不安だった。チームに連絡もなく休んだことなんて一度もないのに。LINEの返事も帰ってこない。ヒロも堀田も青ざめていて、誰も何も言わないけれど、大変なことになったと、きっと全員が思っていた。
「殴られるかもしれないけど、会いに行ってくる……俺にキレてるから練習に来なかっただけなら、それでいいんだ」
そう言うヒロに、練習終わり、俺も西さんの家へついていくことにした。
出かけているかもと思ったが、窓からは電気が漏れているので家にはいるようだ。怒られることを覚悟で何度も電話を掛けると、やっと西さんはヒロからの電話に出る。少し緊張した様子で二言三言話して電話を切ると、「行こう」と外階段を上り始めた。
そしてヒロは、「……西さん、普通じゃないかも」と続けた。
鍵を開けておいてくれたらしい玄関扉を開けて、2人で部屋へ入る。なぜだか、トイレも風呂も押し入れも、全ての扉が全開の状態だった。開けっぱなしのドアの奥にベッドがあって、西さんはそこに腰かけて項垂れている。
「……西さん、俺が気味悪い話したせいで、すいませんでした。あの、何か、あの後あったんですか」
ヒロが言葉を選びながらそう声をかけるが、西さんは項垂れて黙ったままだ。ヒロと目を合わせて困っていると――ガサガサの声で、西さんはうわ言のように話し出した。
「…………お前らのとこには、来て、ないのかよ……アレ……あいつ……あいつがずっと……だから俺は、どこにも、行けなくて……」
「…何が…何が来たんですか」
俺が思わずそう聞くと、ふっと西さんは顔をあげた。急に老け込んだような顔で、落ちくぼんだ眼窩の奥の昏い目で俺とヒロを睨みながら。西さんは言った。
「あの、電話ボックスの中に、いた男だよ。アレがあの日の夜から、俺のすぐ近くに、ずっといるんだ。どこにいてもついて来てる。…いや、待ち伏せしてる?
――俺が扉を開けた先に、そこには必ず、アレがすれすれの位置に立ってて、満面の笑顔で、俺を見てる」
息をのんだ。全部の扉が開け放されて、カーテンも開きっぱなしの室内は。開いた扉の先にあの男がいるから、開くのが恐ろしくて開けたままにしているのだと気がつく。はっとしてゆっくり振り向いた。この部屋の中で唯一閉まっている扉。玄関扉。まさか。でも、もしかしたら、あの奥に今も?
「職場の扉の奥にも、あれが居た。驚いてパニックになって、周りの連中にも言ったけど、『お前クスリやったんじゃねえか』って。誰も信じねえし、普通にもしていられねえから…それから、それから、ずっと家にこもってる…多分アレも…すぐそこに居る…。
なあヒロ、お前のツレもきっとアレに目つけられてたから、怯えてたんじゃねえのか……あいつ、今、どうしてんだよ」
俺たちはなにも言えなかった。『Aはいま行方不明になってます』、なんて。
それきり視線を落としてぶつぶつと聞き取れない独り言を言いはじめた西さんに、「お邪魔しました。食べもんとか飲みもんとか…買って来るから、欲しいものあったらまた連絡ください」そう声をかけて、俺たちは背を向けた。
短い廊下を歩けばすぐに着いてしまう玄関扉。ヒロが、ガタガタと震えながらドアノブを握って、そして勢いよく開けた。
その先には、なにもいなかった。
でも、後ろから、西さんの「わああああ」といって泣く様な声が聞こえてきて――俺たちはもう、振り返らずに外へ転がり出て、走って逃げた。
Aが行方不明になってから5日後。Aは隣県との境にある山の中で発見された。隣県へ繋がる山中の国道の脇に、川へ釣りをしに降りるための駐車場のようなスペースがあって、そこからAの運転する軽自動車が頭から落ちてしまっていたらしい。崖下はそのまま河原へ続いていて、硬くデカい石が無数に積み上がる河原へ車が突き刺さるように落ちているのを釣り人が発見して――そしてその運転席に、Aもいた。当然見るも無残な状態で。夜間のドライブ中に道を外れてしまったのではないかと言う話だった。行方不明になる数日前から様子や言動がおかしかったと言う話もあったし、Aは素行も悪かったため、クスリやら飲酒が原因ではないかという噂も流れた。
でも、俺たちだけはそんな事故ではないと分かっていた。“アレ“に、やられたのだ。
恐ろしかったが、西さんの様子をもう一度見に行かなければいけない…そう思っていた矢先。西さんがまた無断欠席をしたチーム練習の最中に、俺と堀田とヒロと西さんのグループLINEで、西さんからメッセージが来ていた。
【もうとびらをあけなくても、目の前にいる】
【ずっと笑ってしゃべり続けてて】
【なんでだ。そんなつもりじゃないのに。なんできめられてるんだ】
【お前らもおわっちまえよ。おれだけなんて。そんなわけない】
【しね】
そんな支離滅裂なメッセージの最後に、動画が送られていた。それは西さんが撮影していた、あの肝試しの時の動画だった。
――暗い公園。地面に座り込んだまま、パニックになっている俺と堀田。ブロックへ上ろうとする西さんの足。立ち上がり、ゆっくり振り向いた先に、青いビニールシートと電話ボックス。その隙間に差し込んでいくスマホのライト。そして、照らされた、目を見開いて満面の笑みをこちらに向ける、ガイコツのように痩せた男。
ぐるぐる巻きにされ閉ざされた電話ボックスの中で、歯を剥き出して笑うその男を見た瞬間、一緒に画面を覗き込んでいた俺たちは絶叫してスマホを放り投げた。
男が着ていたのはスーツではない。じっとりと重たそうな厚い生地の、そのボロボロの服は、おそらく喪服だった。
息を荒げたまま、はっとして放り投げたスマホを拾い上げ、震える指でグループLINEから退会した。もう2度とあんな動画を見たくなかった。俺を真似てヒロと堀田も慌ててスマホを操作する。
そして。スマホを慌ただしく触っていたヒロが、硬直したように画面に釘付けになった。空気が張り詰める。一向に動かないヒロへ、堀田が声をかけると――
「…あの写真消そうと思ったら、か、かわってる」
ヒロはそのまま尻餅をついた。手から離れたスマホを拾って見てみると。
真っ赤な空。暗い公園。青いシートに包まれた電話ボックス。めくれた上部。しかし15cm程の隙間から、写り込んでいたはずの手は無い。
代わりに、男の見開いた目と鼻筋が写っていた。げっそりと痩せた頬を限界まで持ち上げて、目を見開いて笑っている、あの男だとわかってしまった。
「……なんなんだよ。つぎは俺ってことなのか」
呆然としているヒロへ、かける言葉はなかった。
そして2日後。西さんが、自分の部屋で首を吊っているのが発見された。
遺書はなく、最期に連絡を送ったのが俺たちで、さらには近しいAが事故死したばかりだ。俺たちも警察から聴取を受けた。俺は正直に起きたことを話したし、ヒロも電話ボックスを破損させた現場にいた事から白状した。それに、酷く取り乱して怯える俺たちは薬物の検査まで受けた。
『男のユウレイに2人は殺された』とか『次は俺が狙われてるから保護してくれ』とか、そういう言い分は当然無視されて、2人の死は事件性なしだと断定されたのだ。
ただ、西さんのものや俺たちが見せた写真や動画を受けて、警察は早々にあの電話ボックスを調査したようだ。聴取の数日後には業者が来て撤去したようだが、法律で設置義務があるとかどうとかで、真新しいガラス張りの電話ボックスが再び建てられた。
あれから10年経った。結局ヒロも堀田も俺もピンピンしていたし、動画や写真は削除したし、スマホも買い替えていたし、あの公園や電話ボックスに再び近づくことも絶対なかった。俺は、もうほとんどあの出来事を思い出すことも無くなった。
ただ、居づらくなってしまった社会人バスケは辞めてしまったし、他の2人とも連絡を取っていなかった。
でもつい先月、ヒロから突然LINEがきたのだ。
【ひさしぶり】
【俺、もうだめなんかもしれん】
【あの出来事とか、あの男のこととか、考えないようにして過ごしてたのに】
【こないだ。風呂の扉あけたら、そこにいたんだ】
【西さんの動画の中に写ってたあのままの、すっげえ笑顔で】
【毎日少しづつ、出てくることが増えて、もう今日は】
【目の前に立ってる】
【ずっとぶつぶつ喋ってて。意味は分からんけど、『みんなかならず、そうだからねえ、みんなそうだからねえ、だれしもひとしく、ひとしく、ひとしく、ひとしく、ひとしく、ひとしく』って】
【死ぬのか。俺】
震えが止まらなくて、返信出来なかった。開けていられる扉やカーテンはすべて開けたままにした。俺が開けた扉の先にも、もしあの男が満面の笑顔で立っていたらと考えたら、正気で居られなかったからだ。
あのLINEから3日後に、ヒロが死んだ。飲酒運転による単独事故。自宅で飲んでいたらしいヒロがどこかへ車で行こうとして、街の外れの工場の塀に突っ込んでいたらしい。飲酒運転で死ぬなんて馬鹿なことを、とか、あいつは昔からろくでもなかったから、とか、いろんな話を聞いたけど、俺は『あの男から逃がれようとして、酔いに任せて車に乗ったんじゃないか』と思う。
そしてもうひとつ思うことがあった。
あの男は、『死の予感』そのものなんじゃないかって。あるいは『死神』と呼ばれるような。あいつが呪ったり祟ったりしてみんな死んでいったわけじゃなく、死が近づいて来る時そこに居る存在なんじゃないかと。
じゃなければ、10年も経ってヒロがあの男を見た後に死ぬ理由がわからなかった。
もしかしたらあの公園のあの電話ボックスは、違う次元と繋がる覗き穴みたいになっていて。覗いたことをきっかけに、俺たちはあの男がいる次元とチャンネルがあってしまって――自分の死の予感とあの男が見えるようになってしまったんじゃないかと、そんな馬鹿げたことを思うんだ。
でも、見えたって、それからは逃げられない。死ぬという事実から逃れない。扉を開けた先にあの男が立っていたら?何かを覗き込んだときにあの男の背中が見えたら?こっちを見て笑っていたら?そんなことに一生怯えて、そしていつかは必ず俺の前にも現れるんだと――そう気づいてしまった今、俺は正気で生きていける自信が無い。
でも、どんな人のそばにも、見えないだけできっといるんだ。これを聞いてくれたあんたも、俺たちが視てしまったチャンネルにきっと触れてる。
考えてみてくれよ。その扉の、ドアの、戸棚の、フタの、その奥に、引き攣るほど頬を持ち上げて笑ってる男が居たらって。
みんないつか死ぬ。自分の運命を知らないまま毎日死へ近づいていく。そしてどこかであの男に出会う。ひとしく。ひとしく。ひとしく。ひとしく。ひとしく。
俺一人だと思うと耐えられない。いっしょに、怯えながら生きてくれよ。