「オカイコ様」

投稿者:虚無僧

 

オカイコ様

今から30年程前、小学4年生の頃、私には一つ年上の友だちがいた。
名前はカナちゃん。
その年の冬休みのことだった。私はいつものようにカナちゃんちに遊びに行った。
その日はお絵かきを楽しんだあと、かくれんぼをすることになった。
2階のカナちゃんの部屋から「95−
、94…」といったカウントダウンを背に私は一気に階段を駆け下りた。
そんな時―
ガリッ…ガリッ…ドン…!
聞き慣れない音に自然と動きが止まった。
爪で引っ掻くような音の後、何かを叩くような音がすぐ側の壁から聞こえてくる。
ガリッ…ドン…ドン…ドン!
(この壁の向こうに部屋はなかったような…?)
ドン!!
一際大きな音がして、音は止まった。
壁の向こう側から生き物の気配と、自身の存在を主張する意思が伝わってきたように思う。
屋敷のほぼ中心に位置するここは少し薄暗い。北側に明かり取りの窓はあるが、あまり役目を果たしてはいないようだ。やはり音がした所は廊下の壁の中。壁に耳を近づけてみる。
しかし、先ほど飛び上がるほど大きな音を聞いたので、壁にしっかりと耳を付けてしまうのは躊躇われた。両手を壁につけ、壁の向こう側の音を拾おうと思ったのだが―
板張りの壁が氷のように冷たかったので、私は小さな悲鳴を上げた。
よく見れば、手をついたあたりに金属が埋め込まれている。壁と同系色に塗られた。ドアの取っ手だ。調べたところ回転取っ手といわれるタイプのもので、普段は壁に埋め込まれているが、指で押し込むと取っ手が飛び出してくる造りになっている。床下収納の蓋などに使われているものだが、それよりも少し大きい。
(隠し扉だ!)
カナちゃんの家は古民家と言える程歴史がある建物だ。そのため、隠し部屋のようなものがあってもおかしく
ない。
おそるおそる冷たい取手に手を伸ばし、しっかりと握った。
強めに引っ張るとギィギィと木の擦れる嫌な音がして、壁から扉の輪郭が浮き上がる。想像していたよりも扉はずっと小さく、子どもの背丈ほどの高さしかない。大人であれば身を屈めて入る大きさだ。扉が開くごとにカビや埃の臭いが濃くなって私はウッと顔をしかめた。
半分ほど開いたあたりで扉が床に擦れて開かなくなった。これ以上は開かないのだろう。
部屋の中を覗き込むと、少ない明かりでも隅まで見渡せる程部屋は狭い。居室ではないようで押し入れなどはなく、天井に照明もない。部屋にあるのは部屋の奥の壁にくっつけるようにしておいてある1メートルほどの古い木箱だけだった。
年代物であろうその箱には、大げさなくらい大きな錠前がぶら下がっていたが、鍵はかけられていないらしい。
隙間から布ような物がはみ出ている。
音の原因はあの箱だろうか。
一歩その部屋に踏み込むと、靴下の裏に分厚い埃の感触があった。思わず足
を引っ込めたその時、ぐい!と腕を後ろに引かれた。
「ここはだめ!」
振り返るとそこには真っ青な顔をしたおばさん(カナちゃんのお母さん)がいた。
「ここは掃除もしていなから汚いわ」
食器洗いの最中だったのか手には泡がついたままだった。どうやら少し離れた台所から走ってきてくれたらしい。おばさんの手をつたった泡が床に落ち、シミを作っていく。
「なんかここから変な音がしたから…ごめんなさい…」
私は情けないやら恥ずかしいやらで、床を見つめておばさんの次の言葉を待った。
「キコちゃん(私)は喘息でしょ?ここに入ったら発作が出ちゃうわよ」
当時、私は喘息持ちで常に吸入器を持ち歩いていた。たしかにこの部屋に数分いたら具合が悪くなりそうな気がする。
「もうしません。ごめんなさい」
その言葉を聞くとおばさんはホッとしたように笑った。
「4ー、3ー…」
2階のカナちゃんの部屋から聞こえるカウントダウンはもう一桁になっている。
「カナ、すぐにおやつ出すからかくれんぼは一旦終わりにしなさい」
その後、カナちゃんのお母さんが出してくれたのはドライフルーツがたっぷり入ったケーキだった。
花柄のティーカップの中にはレモンが浮かんだ紅茶が湯気を立てていた。
猫舌の私は紅茶に口をつけることができず、なんとなくカナちゃんに例の部屋について聞いてみた。すると、ケーキを口に含んだままこともなげに、
「あれはね、オカイコ様の部屋だよ」
と言った。
「あの白い芋虫?」
「違うよ。オカイコ様はねー
、うちの守り神なんだって。お父さんが言ってた」
テレビなどで何度か見かけたことのある河童のミイラのようなものだろうか。立派なお屋敷だし、旅館もしていたことから火事にならないようにそういったものを持っているかもしれない。
「あの部屋から大きな音が聞こえたんだけど何の音?」
「あぁ…あれは頭が欲しくて暴れてる音なんだって」
「あたま?」
頭が欲しくて暴れている、その言葉をなかなか咀嚼できずにいると玄関からガラガラと引き戸を開く音が聞こえた。
「ただいまー」
「あ、お父さんだ!」
面白いおみやげがあるかもしれないからとカナちゃんに腕を引かれて玄関へ向かった。
「おかえりー」
「お邪魔していま―」
(え?)
玄関で大きな紙袋をいくつも持ったその人を見て私は息をのむ。
(この人、本当におじさん?)
おじさんは日本人離れした容姿に、水泳選手のような逆三角形の体型を持つイケオジだったはずだ。
しかし、目の前にいる人物は―
全身ごっそりと肉が削がれ、骨と皮しか残っていない。
肌も土気色を通り越して灰色に変わっている。まるで死人のようだ。
それでいて目だけは爛々と輝いているものだから正直、薄気味悪いと感じた。
以前見たおじさんの姿と、今目の前にいる人物の姿が重ならない。
「久しぶりだね。ご家族みんな変わりないかい?」
「はい、みんな元気です」
私は動揺を悟られないように努めて明るく振る舞った。
「お父さん、お土産はー?」
「今、車から持ってくる」
私が驚いたことに勘づいたのか、おばさんが近づいて耳打ちしてくる。
「びっくりしたでしょう?最近忙しかったから随分と痩せたの。病気じゃないから安心してね」
どう見ても過労で痩せたと言うには無理がある。おばさんはああ言ったけど、もしかしたら大きな病気にかかったのかもしれない。
それから4人で居間に移動し、大きな袋に入ったカナちゃんのお土産を開封することになった。
カナちゃんへのお土産はスノーボードと最新デザインのウエアだった。
当時はまだスキーが主流。スノーボードは流行する前だったこともあり、カナちゃんの反応は今ひとつ薄い。
「カナちゃん、いいなぁー」
私の父も仕事でいろいろなところに行くが、お土産はいつもお饅頭で、気の利いた物なんて買ってきたことない。隣の青すぎる芝を見て、ほんの少し羨ましくなってしまった。
「じゃぁ、キコちゃんもうちのコになるかい?」
「わー、なります。なります」
調子の良い私はおじさんのボケに乗っかり、
「わーい、妹ができたー」
そこにカナちゃんも乗っかった。このやり取りに三人で笑っていたのだが、なぜかおばさんの顔は暗い。
「ダメよ…あなた」
「いいだろう別に。うちにいた方が楽しいんだから」
「ダメよ、この子は物じゃ…」
「うちの方がずっとずっと楽しいんだから。なぁ、キコ?」
爛々とした目が私に向けられると思わず息が詰まった。
「…はい、でも…」
おじさんの狂気じみた視線を避け、カナちゃんの方を向く。カナちゃんは何も言わずただ微笑んでいる。だが、その表情はどこか不自然だ。目尻を下げ、口角を上げたその表情はいつものカナちゃんの笑顔ではない。
「キコちゃん!おうちに帰りたいわよね?」
必死に私に訴えるおばさんを見て頷こうとした時―
「うるさい!!」
乾いた音が響いた後、おばさんが障子戸に叩きつけられた。
その勢いで障子戸が外れ、玄関の方に倒れた。
「お前はいつもいつもそうやって邪魔をする!俺が欲しいんだからいいんだ!!」
何が起きたか理解するまで数秒を要した。
(おじさんがおばさんを殴った?)
棒のように細くなった手から繰り出されたものとは思えないほど強力で、おばさんの体は倒れたというより、ふっとばされたと言ったほうがしっくりとくる。
目の前で起こった非現実的な光景に私は体が固まってしまった。
ほんの数分前までカナちゃんを羨ましく思っていたが、こんな父親、絶対に嫌だ。
ここのうちの子になんか絶対になりたくない。
その時、遠くから電話の受信音が聞こえてきた。
離れにあるおじさんの仕事場の電話だ。
おじさんは舌打ちをすると、仕事場に向かった。
おじさんがその場からいなくなると、いつの間にか止めていた呼吸を再開させた。
「おばさん、ごめんなさい」
おばさんが殴られてしまったのは、私がふざけたせいかもしれない。
しかしおばさんはがばりと起き上がると必死の形相で私に訴える。
「キコちゃん、早くっ、今のうちに行きましょう。出かける準備、すぐに!」
すでにいなくなったおじさんのことを気にしながら、
ハンドバックと一抱えほどの風呂敷に包まれた何かを持ったおばさんは、私とカナちゃんを車に押し込むと、車を急発進させた。
「キコちゃん、もう家には来てはダメよ」
何度もバックミラーを確認しながらおばさんは言った。
「えー!お母さん、何言ってるの?」
どうしてか聞くことはなかった。おじさんのあの様子ではそうするしかないと思ったからだ。
「もし来たら本当に帰れなくなってしまうわ。しばらく一人で行動しないで。家にも鍵をかけて…ギャァ!」
急ブレーキをかけると車はフラつきながら停止した。
車が停まったのは私の自宅からほど近い川にかかる橋の中央だ。
幅30メートル程の比較的浅い川で、夏場は子どもの遊び場になっているが、今の時期はトラックなどで運んできた雪を捨てる場所になっていて、両岸は雪に覆われていた。
おばさんは車を止めると、持ってきた風呂敷を川の中に捨てた。そうして荒い息のまま、震えた手でハンドルを握る。
「お母さん?」
「腕が…私の首に…」
しばらくおばさんの返事を待っていたが、その後の言葉は続かなかった。
おばさんは何かに気がついた様子で私の方へ振り返った。
「キコちゃん。おじいちゃん、今、家にいる?」
「いると思います」
私の家に着いてからも玄関の鍵をかけるまで、おばさんは警戒を解く様子はなかった。
出迎えた祖父の顔を見ると、深く頭を下げてこう言った。
「お話したいことがあります。どうか、お力を貸していただけないでしょうか」
急にこんなことを言われて祖父も困惑してるかと思いきや、祖父は鋭い目でおばさんを見下ろしている。
「…カイコのことか?」
「はい…」
祖父の言葉におばさんは驚いた様子だった。
「なんだか胸騒ぎがする。戸締まりを確認してくるから仏間に案内しろ」
明るく暖房の効いたリビングではなく、なぜ寒くて暗い仏間?と疑問に思ったが、言われたとおり、二人を仏間
に案内する。エアコンのスイッチを入れて祖父がくるのを待った。しばらくするとお盆にお茶を入れた祖父が来て、私の隣に座った。
「あれは願い事をした者だけに障ると聞いていたが?」
依然おばさんを見る目は鋭い。
「主人が願い事をして…頭を手に入れたんです…そしたらもう止められなくなって」
「…揃ったか。では、ご主人は…」
「…外からいくら栄養を与えても足りないようです」
それからおばさんは、ぽつりぽつりとこれまでのことを話し始めた。
おじさんがあの様になったのは、先代(カナちゃんの祖父)が亡くなってからで、その原因は家の守り神とされるオカイコ様にあるという。
オカイコ様は今から百数十年程前。カナちゃんの高祖父の代に家に来た。
知り合いから《福の神》だと聞いて譲ってもらったという。その見た目は福の神の姿とは程遠く、首と手足を切り落とされた子どもの胴体を模した木製の像だった。
持っている間は生活を豊かにしてくれるそうだが、
一点だけ絶対に守らなければいけない決まりがある。それは《オカイコ様に願い事をしてはいけない》ということだ。
受け取った当主はいいつけを守り、大切に保管していた。それから、しばらくして当主は使用人に襲われ片腕を失い、その後亡くなった。そして代を引き継いだ弟も片脚を失い、すぐに亡くなった。その次の代も、次の次の代にも似たような不運と不幸を繰り返し、亡くなっている。それらに共通しているのが怪我の直前にオカイコ様に願い事をしたからだった。そうして当主が死ぬたび、家はどんどん栄えていった。
先代であるカナちゃんの祖父はこういったことを恐れて何があってもオカイコ様を頼ることはなかった。
「もうオカイコ様の腕や脚は揃ってしまった。次は頭が欲しいのだろうが、俺は親父みたいになるのはごめんだ。近いうちに供養してもらうつもりだ」
と言っていたそうだ。しかし、その数日後、カナちゃんの祖父は急死した。
その後、徐々におじさんに変化が現れる。
なんかやたら油っぽい物を食べるようになり、量も今までの3倍くらい食べるようになった。それなのに体はどんどんと痩せていく。病院で見てもらってもどこも異常はない。
言動や行動が過激になり、次第に気に入らないことがあるとおばさんに暴力を振るうようになった。
そのうち、家族や周りの人もおかしくなっていった。おじさんから気に入られた人は、皆ニコニコと笑うばかりの
人形のようになっていったという。
私がこういったことに巻き込まれないように、おじさんが出張で帰ってこない日だけ私を呼ぶように調整していたが、どういうわけか今日は予定を切り上げて帰ってきてしまい、私と会ってしまった。私のことを気に入ってしまい、自分の家族にしたいと言っていたので危険だ。絶対に私を一人にしないようにしてほしい。こんなことになって本当に申し訳ない。本来ならば、少しでも危険だとわかっているのならば私を家に上げるべきではなかった。でも、私といるときのカナちゃんは元の普通の姿に戻ったので、縁を切るのを先延ばしにしてしまった
…と。
祖父は大きなため息をつくと、受話器をとった。
「俺だ。今、駒形屋(カナちゃんちの屋号)の嫁さんが来てる。カイコの件だ。もうどうしようもないところまで来てしまったらしい。今から行くから助けてやってくれ」
名乗りも挨拶もすっ飛ばして本題に入るあたり、電話の相手は随分と親しい仲のようだ。電話の相手はしゃがれた声で何やら叫んでいるが、祖父は「とにかく行くから、息子も呼び出しとけ!」と言って電話を切ってしまっ
た。
祖父は私達にも準備をするように伝えるとまた電話を取った。どうやらタクシーを呼ぶらしい。
外は重たいぼたん雪。祖父は車の免許は持っておらず、運転ができる他の家族は外出中。カナちゃんのお母さんはとてもハンドルを握れるような精神状態ではないのでその方が良い。
祖父からこれから向かうのは大倉さんの家だと聞かされ思わず「えっ」と声が出た。
祖父の昔からの飲み友達だが、口の悪い捻くれ者のためどちらかというと、(たいぶ)苦手な人であった。大倉
さんはこの地域の大きな神社の神主だ。嘘か本当か、祖父からは彼の様々な伝説を聞いていた私は、そこでやっと自分たちは何かの怪異に巻き込まれてしまったのだなとわかった。
大倉さんの家は先ほど通ってきた橋を渡って、山の方へ向かった集落の一番奥、大倉さんの神社で祀られている霊山の山道の入口にあたるところにあるらしい。
タクシーを走らせて数分後、橋に差し掛かったところでタクシーは減速した。
「お母さん!あれ…お父さん?」
カナちゃんが橋の下を指差して言った。
「止まるな、走れ!」
助手席に座る祖父が、運転手に叫ぶ。
しかし運転手は今救助しなければ凍死するのではとなかなか発進しない。
「お母さん!オカイコ様…何か生えてる…」
(え?)
「見るな!!」
カナちゃんの言葉の意味を探ろうと私が体を起こすと、助手席に座っていた祖父の腕が伸びてきて、私の頭を
押さえつけた。
「お父さんが…ねぇ、お母さん!お父さんがー」
「あれはもうお父さんじゃない!見つかったら殺される!」
これはただ事ではないと察したドライバーがアクセルを踏むと、圧雪をとらえられなかった後輪がスリップを起こし車体をぶらして発進した。騒然とした車内はその後、水を打ったように静かになった。それぞれがそれぞれの恐怖を感じ、言葉を失っていたのだ。
「帰りは大回りして帰れ。死にたくなかったらアイツを見ても絶対に車を止めるんじゃねぇぞ」
車を降りる際、祖父がドライバーにそう言うと、ドライバーは何度も頷いた。
大倉さんの家は神社だと聞いていたが鳥居などはなく、普通の家の隣に◯◯神社と書かれた看板がかかったお社がポツンとあるだけだった。
祖父が「おい、俺だ」と来訪を告げると、優しそうな大倉さんの息子さんに座敷に通された。座敷にはすでにダルマストーブが置かれていて、その上に置かれたやかんの口から湯気が立ち上っていた。
本日も大倉さんはご機嫌麗しく、祖父が持参した高価な日本酒を見ても礼を言うこともなく舌打ちで返してきたばかりか、私を見て祖父に咎めるような視線を送ってきた。
「あんまり子どもに聞かせる話じゃねぇぞ」
「そう言うと思ったんだけどな。連れてきてよかった。途中うちの近くの川で駒形屋の若に会ってな。この子を家に置いていたら厄介なことになってたかもしれん」
「川ァ?この季節にか?」
大倉さんは真冬に川遊びかとばかりに鼻で笑う。
「嫁さんがカイコを川に捨てたからだ」
「それを拾いに?…もうそこまでか…」
「俺と嫁さんと…こっちの、娘さんにはカイコの腕と脚と頭が見えた」
「頭?畜生、全部揃ったか。お前の孫は?見えたのか?」
大倉さんは私の肩を掴むと、ぐっと顔を寄せてきた。
大倉さんの瞳の中の自分と目があった瞬間、なんと言ったらいいのか、内蔵を撫で回されているような感覚があり、少し吐き気がした。
「おい、どうなんだ!」
「…じいちゃんが見ちゃダメって言ったから」
「…大丈夫だ。じいちゃんに似なくてよかったな。いっとき目を付けられたか首に引っかき傷くれぇの跡は付いていたが、血の繋がりが無いから引っ張れなかったようだな」
よくわからない会話はその後も続く。
「だが、そっちの娘はダメだ。あぁ、ひでぇな。目は濁ってるし、首に爪が食い込んでら」
私が首を傾げていると、大倉さんは少しめんどくさそうに説明をしてくれた。目が濁る、というのは良くない者にとって都合の悪いことは見えなくなってしまう状態。つまり、洗脳されているということ。お父さんがおかしくなってしまったことにも気が付かず、先ほどおばさんが叩き飛ばされたときもニコニコと笑っていられたのはそのせいなのだろう。そして、首に爪が食い込んでいるというのは比喩でもなんでもない。子どもの小さな手がその首をよこせとばかりにしがみついているという。
「あんまり怖がらせるな。大丈夫だ、このじいさんは口は悪いが根は優しい。きっとなんとかしてくれる。」
「馬鹿野郎、こんな酒程度でやるわけねえだろ!」
「…おい。俺の孫が関わってるんだぞ?」
祖父が今まで聞いたことのないような低い声で凄むと、大倉さんは少し言い過ぎたと思ったらしい。
「…まぁ順番に説明してやるから。茶が冷める前に口つけてくれや」
湯呑みの底が見えない程濃いお茶は、梅のような味がした。私達が飲み終わるのを確認すると、大倉さんはまためんどくさそうに話し始めた。
「あれはな、子どもの命を供物にして作るろくでもねぇ代物だ。日本中の金持ちの蔵の中に、ダルマだとか、福童子だとか、オカイコだとかそれらしい名前を付けて祀られているんだ。どこの家もだいたい手に負えなくなってウチに持ち込んで来るもんだから俺も何度か見たことがあるが…どこももっと早く手放すから俺もここまでになるとは予想できなかった。駒形屋にあるのはうちの者…といっても傍系の者だが…関西の商家から預かった物らしい。うちの者は時間をかけて供養するつもりだったらしいが、見習いで預かっていた者が修業の厳しさに嫌気が差したんだろう。あれを売った金を持って逃げ出したそうだ」
「…あれは子どものミイラか?」
「いや、あれは間違いなく木だ。不思議なもんでだんだんと質感が人らしくなるらしい」
「とてもそうは見えなかった。あの服だって…人形に着せるような綺麗な着物じゃなかった。着古されて汚れたボロだったぞ」
「子どもの命を供物にするって言ったよな?あれはな……孤児や捨て子を連れ帰り、数日間贅沢を覚えさせ、その子の魂を器に移して、器にまたボロを着せる。そうすることで欲張りなカミサマを作るそうだ。昔、俺が見たものは…男物の着物と、女物の着物、薄い物や綿入りのなんかが何枚も接いで作られた着物を着て
いたな。それだけの数の子どもを使ったってことだ。作らせたヤツは福の神を作ったつもりだがとんでもない。それだけの子どもの怨念があれにはこもってるってことだからな」
「なんてひどいことを…」
横で聞いていたおばさんが耐えられないとばかりに涙を流す。
確かに母親であればとても聞いてはいられないような内容だ。
大倉さんは続けて話す。
「亡くなった先代の駒形屋さんはちゃんとあれがやっかいな物だってわかっていて、先々代が手広くやっていた事業を元の民宿一本に戻してからカイコをこっちに渡すつもりでいたんだ。それだってのにまたあの息子が勝手にスキー場だの、ホテルだのに手を出したもんだから借金返すまで手放すわけにいかなくなった。商売も軌道にのったこのあたりで渡してくれることになっていたんだ。…そしたらその知らせを受けてすぐ亡くなっち
まった。こんなことになるなら電話を受けたその日に引き取りに行くんだった。俺は何度も息子に言ったんだ。いずれろくでもないことになるから早くこっちに預けてくれって。だが、その話になる度、人が変わったようになっちまって、とても話し合いができるような様子じゃなかった。まぁ、それもカイコに憑かれていたからだろうな」
「アレはもう元には戻らんか?」
「…もう無理だ」
「そんなっ!」
おばさんは大倉さんにすがるような目を向けたが、大倉さんはおばさんを見ることもなく言った。
「申し訳ねぇけど、遅すぎたんだ。奥さんも、娘さんが大事ならもうあの家に戻っちゃダメだ」
「お父さんは、どうなるの?」
その答えは私を含め、ここにいる誰もが予想がついていた。
だがカナちゃんは諦めきれなかったのだろう。
「俺は嘘やまわりくどいことが嫌いだからハッキリいうぞ。…助からねぇ」
カナちゃんは大泣きしたが、おばさんは泣かなかった。
「だから言ったのに…」
おじさんへのメッセージはもう届くことはない。
「こんなこと言っても慰めにもならんが、それでもまだあんたたちはいい方だ。ああいったものに頼れば最後は一族みんなでツケを払わされるもんだ」
もうどれだけ頼んでも大倉さんの助けは期待できないと思ったのだろう、おばさんは消えそうな声で
「わかりました…」
と言った。
その後、真っ白な装束に着替えた大倉さんと、その息子さんにお祓いをしてもらった。私と、祖父、おばさんはお教のようなものを聞くだけで解放されたのだが、カナちゃんに憑いたオカイコ様の念はなかなかしぶとく、最終的に大倉さんに首根っこ掴まれたカナちゃんは井戸まで引きずられ、頭から井戸水をぶっかけられていたらしい。荒々しい儀式の後、カナちゃんに付いていたオカイコ様は外れ、カナちゃんの濁った目も元に戻った。しかし、これは一時的な対処でしか無い。またあの家に戻ればまた繋がりができてしまうという。オカイコ様の障りを祓うには、おばさんは離婚し、カナちゃんを連れて家を出るしかない。
数時間後、隣の県に暮らすおばさんのお兄さんが二人を迎えに来た。おばさんがおじさんから暴力を受けたと連絡すると、保護しに来てくれたのだそうだ。
またね、と言って別れた私達はそれから今現在まで会っていない。
おじさんはあの日から行方不明となった。
そして数ヶ月後。雪国の長い冬が終わり、雪が溶け始めた3月半ばに自身の経営するスキー場そばの山林で遺体となって発見された。
発見者の話では、ボロ布を背負うように縄で体に巻き付けたご遺体は首から上がなかったという。
首の断面から頭は動物に持ち去られたのだろうと判断されたようだ。
しかし、事情を知る私と祖父の考えは違う。
「持っていったんだなぁ…」
話をし終えた祖父は絞り出すように言った。
オカイコ様は持っていったのだ。おじさんの首を、魂を、自分たちの犠牲の上に成り立つ幸せを。
祖父はやりきれないとばかりに首を振ると、タバコに火を付け、視線を窓に向ける。
窓の外に何があるわけでもない、いつもと同じ曇り空が広がっているだけだ。
祖父はしばらく、何も言わずにその空を見つめていたのだった。

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計
毛利嵩志151512121266
大赤見ノヴ171715161681
吉田猛々181616161783
合計5048434445230