いつの間に雨が止んだのだろうか?
さっきまで銀の矢のような細くて静かな雨の中を歩いていたはずだ。「通りゃんせ」のメロディが途切れたので赤信号の前で歩くのを止めて空を見上げると月が出ていた。
手にはさっきコンビニで買ったペットボトルのコーヒーと水と煙草が入った袋を持っている。
何も変わりはないはずなのにこの違和感はなんだろう。
そんな事を考えていた。
信号待ちをして5分以上は立っているのに青になる気配がない。
おかしい…信号が変わらないのもそうだけど人や車がいない。
俺はそのまま赤信号を渡り彼女の家に向かった。
周りをキョロキョロ見渡しながら歩く。いつもの町並みに変わりない。ただ、ただ静かだ。
その静かな町に踏切の遮断機の音がカンカンカンカンと鳴っているのが聞こえる。
踏切が20メートルくらい先で赤く点滅していた。
踏切の前に着いたが先程の信号と同じで電車が来るわけでもなく遮断機も上がらない。
仕方なくグルッと回り道をしようとした時に踏切の向こうで何かが動いていた。
踏切を渡るとすぐに神社があるのだがその神社の前に老人がいた。
「あのー!すみません!」
俺は声をかけた。この変な状況を確認したかった。
老人はこちらジッと見たままで動かない。聞こえてないのだろうか?
「あのー!すみません!ちょっといいですか?」
もう一度声をかけてみる。
それでも老人は動かない。俺は遮断機を跨いで向こうへ行こうとした。
「何やってる!こっちに来ちゃイカンよ!」
老人が口を開いた。
「戻りなさい!」
想像以上に老人の声が大きかったのでビックリして俺は跨ぐのを止める。老人の声は大きいと言うよりも頭の中に響いてくる感じだった。
老人は優しそうだけど怒っている。そしてすごい威圧感を感じる。俺は言われた通りに来た道を戻る事にした。
彼女の家に行くのをやめて俺は座りこんでさっき買った水を飲み煙草に火をつけた。
下を見たまま何が起きているのか考えているとキキィーと自転車のブレーキ音がなり声をかけられた。
「あれ?どうしました?飲み過ぎちゃいました?それとも体調が悪いですか?」
視線を上げると警察官が立っていた。
「ああ…お巡りさん。何かあったんですか?町に誰もいないし信号は止まっているし…」
「あー。それならもう大丈夫ですよ。ほら。」
そう言われた瞬間、周りには人が歩いていて車も走っていた。
何が起きたのかわからない。
「気をつけてくださいね。それでは私は戻りますね」
警察官は自転車に乗って行ってしまった。
そのタイミングで彼女から電話がかかってきた。
彼女はコンビニから出てきた俺を見て後を追ったけどすぐに見失ってしまったらしい。何度も電話をしたけど出なくてやっと出たと思ったらずっと無言のままで受話器の向こうから踏切の警告音が聞こえてたらしい。
今どこにいるのか聞かれたので彼女の家の近くの踏切を超えた所だと伝えると彼女は不思議そうに
「あのさ…ウチの近くに踏切なんてないよ?」
と言われた。
言われて気づいた。
彼女の家に向かう途中に踏切なんてない。どうして俺は踏切があると思いこんでいたのか。
とりあえず俺は電話を切って自宅へと帰ることにした。
次の日、職場の先輩に昨日の出来事を話した。
先輩は俺の話を真面目に聞いて一緒に考察をしてくれたけど何もわからなかった。
あの町は異世界なんだろうか?踏切を除けばこっちの町と全く一緒の町だった。
あの踏切は何だ?
声をかけてきた警察官はあの異世界にいたのだろうか?
たしかに自分は誰もいない町にいた。あの警察官はどこから来た?そう言えば何か言っていた。
「それならもう大丈夫ですよ」
たしかにそう言っていた。その言い方だと警察官は何か知っているのか?
仕事の帰りに最寄りの交番の前を通ってみる事にした。
「どうかしましたか?落とし物ですか?」
交番の中から警察官が出てきて声をかけてきた。昨日の人ではない。
昨日会った警察官は50代くらいだったがこの人はまだ30代だろう。
「実は昨日、体調崩して座っていたらお巡りさんに声をかけてもらって助けていただいて…もしかしたらこちらの交番の方かと思って。通りがかったのでお礼を言おうかと…」
「そうでしたか。もう体調は大丈夫なんですか?わざわざお礼を言いに来てくださるとは嬉しいです。でも、もう1人の警官は今パトロールに出てましてね」
会話をしているともう1人のお巡りさんが帰ってきた。
昨日、声をかけてくれた人だ。
「あ、昨日の。あれから大丈
夫でした?」
「坂本さん、この方わざわざお礼を言いにきてくれたんですって」
30代の警察官、中村さんがお茶を入れながら「あ、どうぞ。せっかくですからお茶でも」
と声をかけてくれる。
交番の壁には賞状が飾ってある。坂本さんの物らしい。
「それ。坂本さんはね、家出人や迷子を見つける能力が高いんですよ。50人目を見つけて保護したときに贈られた賞状です」
「30年警察官やってたらこう言うのも貰えるときもあるさ…でもね、見つけられなかった人や子供もいるんだよ」
坂本さんはお茶を飲んで町並みを見つめている。
そこで今度は交代で中村さんがパトロールへ出ていった。
「昨日…雨が降っていたでしょ」
坂本さんが口を開いた。
「え?…あぁ、はい。気づいたら止んでましたけど」
「何か聞かなかったかい?」
「何かって…?何ですか?」
「鼻唄とかメロディとかさ」
坂本さんが真剣に聞いてくるので少し怖い。
「んーんん、んーんんんー。」
坂本さんが「通りゃんせ」の鼻唄を歌い出した。
それを聞いて鳥肌が立つ。
「それです!それ!通りゃんせが鳴ってました」
「やっぱりか。君も聞いたんだな。でも、変だろ?今の横断歩道に通りゃんせの曲は使われてないんだ」
そうだ…!この町の横断歩道で通りゃんせなんて聞いた事ない。
「雨が降った日ってのは不思議と人が消える。さっきまで一緒にいたのに…信号待ちしていたら気づいたら子供がいなくなってた。友達が突然消えた。そんな届けが多い。で、消えた人物が見つかって調書を取ると皆、同じ事を言う。通りゃんせが聞こえて…気づいたら誰もいなくなっていた。とね…」
この話は本当なのだろうか?でも、自分が体験したのと同じだ。そうか…昨日、坂本さんが「もう大丈夫」と言ったのは自分はこっちに帰って来る方法を知っているのか。
「じゃあ。俺が昨日、体験したのも…」
「そう言う事だよ。まぁ、嫌な事があっても思い詰めないほうがいい。気をつけなさい」
そう言われて俺は帰された。
俺は彼女のアパートへ向かう途中神社の少し前で足を止めた。
昨日、踏切があった場所だ。
当然だが今は踏切はない。
神社の手前には自販機が並んでいて逆側には公園がある。
歩き出して神社を横目で見るが普通の神社。昨日見た老人もいない。
彼女のアパートへ着いてインターホンを鳴らすが反応がない。
出かけたのだろうか?
そこへお隣さんが帰宅して話かけられる。
「こんばんは。もう、落ち着きました?もう、ひと月になりますね」
お隣さんは何故か気まずそうに部屋へ入っていった。
何を言っているのだろう?
あ〜、そう言えば彼女の家に来るのは1か月ぶりだ。
久しぶりですねって言いたかったのかな?
彼女がいないので仕方なく帰る事にした。
秋雨前線が発表されて数日が過ぎた。
彼女からはあれから連絡も来ないしこちらから連絡しても繋がらない。自分は何か怒らせるような事でもしたのだろうか?
コンビニに買い物をして出たときに雨が降り始めた。
しまった…家を出たときは降ってなかったから傘を持ってこなかった。
仕方なく雨に降られながら信号待ちをしていると向こう側に自転車から降りた坂本さんも信号待ちをしていた。
何か様子がおかしい。
坂本さんはキョロキョロ周りを見ている。
そしてこっちを見て俺に気づいて何かを言っている。
何を言っているか聞こえないけど耳を塞げと言っているのだろうか?坂本さんがこっちに向かって自分の手を耳に当ててる。
んーんん、んーんんんー。
んーんん、んーんん、んんんんんー。
通りゃんせだ…
通りゃんせの曲が聞こえる…
上のほうから聞こえる。
自分の真上を見ると信号機の電柱に女が絡みついて俺を見下ろしている。目は真っ黒。髪はグチャグチャに絡み合ってる。
それが通りゃんせを唄っている。
一目で良くないモノだとわかる。
気づくとまた人のいない町に立っていた。
そして女の姿はもうなかった。
俺はまた静かな町を歩き出す。
すると、どこかで泣き声が聞こえる。
声の方に近づくと小さな男の子がしゃがんで泣いていた。
今回は自分だけじゃなく子供もこっちの町へ?
俺は声をかけた。
「どうしたの?お母さんは?」
「ゲーム…ゲームを友達に取られちゃって返してくれないんだ」
「じゃあ、返すように一緒に頼んであげるよ」
「ほんと…?でも、ゲームよりも一緒に遊んでほしい…なぁ…」
そう言ってこっちを振り向いた少年の姿はさっき見た信号機に絡みついていた目は黒目だけの女の姿に変わり飛びついてきた。ギリギリでそれを交わす。
「あぁぁぁぁ…ねぇ…アンタも辛いんでしょ…だったらおいで…」
四つん這いで追いかけて来る女から全速力で逃げすぐに距離を離せたが他にもあんなのがいるかもしれないと思うと怖くてしょうがない。
走って逃げて来たのはいいけどどこに行けばいいのかわからない。どうすれば元に戻れるのかもわからない。
そうだ。坂本さんを探そう。
あの人なら何か知ってるはずだ。
とりあえず交番に行ってみた。
わかってはいたけど坂本さんはいない。
代わりにあの女が前かがみになってこっちを見ている。
おいで… おいで…
俺はまた逃げる。できるだけ路地を曲がったり相手が自分を見失うようにジグザグに町を走りまくる。限界まで走った。
遠くのほうで踏切の音が鳴っている。
あの踏切だ。力尽きた俺は歩きながら踏切を目指す。
踏切に着いた俺は言葉が出ずに立ちすくむ。踏切の向こう側に彼女が立ってこっちを見ている。
久しぶりに彼女を見た。そんな感じだ。俺は声をかけた。
「最近、連絡が取れなかったけどどうしてた?俺が何か悪い事した?怒らせちゃった?」
彼女は何も言わずただ両手を前に広げているだけ。
踏切は鳴り続ける。
カンカンカンカン
向こうに行きたくても遮断機が下りたままだ。
そのとき後ろから肩をポンと叩かれた。坂本さんだった。
「見つけた。ここにいたのか。ここに居ちゃダメだ。戻るよ」
「坂本さん。俺、向こう側に行きたいんですよ。遮断機いつ開くんですか?ほら!あれ彼女です。もうずっと会えてなくて」
「ダメだ!向こうには行けないんだよ!ほら早く!」
そのとき踏切の警報機の音が止まり遮断機が空いた。
俺は一歩…一歩と前へ出る。
「ダメだ…ダメ!彼女をよく見ろ!ちゃんとよく見てみろ!」
ピー!ピー!
耳元で大きな笛が鳴った。
坂本さんが胸ポケットにくくり付けている笛を吹いていた。
その音で一瞬俺の足が止まる。
「彼女を見てみろ!もう、生きている姿じゃないだろ!」
そう言われて気づく。
彼女の首は真横に曲がったままで腕と片足は変な方向へ曲がり一本足で立っていた。
「おいで…こっちにおいで…」
踏切の中であの四つん這いの女が俺の足を掴もうとしている。
(また来たのか!こっちに来るなと言っただろう!帰れ!)
あの時の老人の声が頭の中で響く。
坂本さんに力いっぱい腕を引かれて尻もちをつくとまた踏切の警報機が鳴り遮断機が下りた。
そして強い風と共に電車が目の前を通り過ぎて行く。
気がつくと踏切はなくなっていた。
戻ってきたらしい。
「よく耐えた。あー。良かった。とりあえず大丈夫だ」
坂本さんが軽く笑った。
何がなんだかわからない。
坂本さんからちゃんと話を聞く事にした。
坂本さんが一番最初にあの異世界に行ったのは30年くらい前だと言う。この町は秋の雨が降る日はやたら家出や突然姿を消す人が増えるらしい。
ある日、坂本さんは突然姿を消した中学生を探していると信号が点滅をして通りゃんせが聞こえたらしい。そして気づくと町は人が消えた状態になっていた。坂本さんは町の様子を探っていると公園で1人でいる中学生を発見。声をかけるとその子は突然姿を消した中学生だと判明。話を聞くとイジメを苦にして自ら命を絶とうとしていたらしい。どこで死のうかと町をうろつきながら考えていたら通りゃんせの曲が聞こえて誰もいなくなった。怖くなり家に帰ろうとしていた所に坂本さんに声をかけられた。そして現実の世界に戻ってこれたと言う話だ。
「これをきっかけに姿を消した人を探しに出ると度々同じ事が起きるようになった。異世界で行方不明者を見つけると一緒に帰って来れる。けどね、行方不明者を異世界で見つけても連れ戻せない人もいる。どんな人が連れ戻せないと思う?それはね…あの踏切を越えた人達だよ。俺が行方不明者を発見して近づこうとするとき必ず踏切を渡っている途中なんだ。俺が踏切に近づくと警報機が鳴って遮断機が下りる。そこで俺は現実に戻され踏切を越えた行方不明者は自殺で見つかるか未だに見つからないかのどちらかだよ…たぶん踏切は境界線なんだろう」
なんだ…この話…
ん?ちょっと待てよ…
俺は?じゃあ、俺は死のうとしていたのか?なんで?
彼女は?踏切の向こうにいた彼女は?
もう生きていないって事なのか?
あの変わり果てた彼女の姿を思い出して気づいた。
そうだ…そうだった…彼女は亡くなったんだ…
夏休みに帰省したときに轢き逃げにあって…
どうして、そんな事を忘れていたんだ…
「こんな出来事を繰り返していてなんとなくだがわかった事もある。あの通りゃんせを唄っているヤツは死のうか迷っている人の心につけ込む魔物だ。そして異世界へ引き込む。誰だって死にたいって思う事はある。ただ、苦しんでる人達も誰かに話を聞いてもらうだけで考え直せる人もいる。少しでも生きたいって思っているなら踏切を渡らずに済む。3日間会社を無断欠勤して連絡が取れない君を心配して捜索届けを出している先輩がいる。帰ろう」
秋の雨が止んだ夜の町を歩いて交番に行くと俺の顔を見て笑った先輩がいた。
俺は彼女の死を受け入れられなくて今でも生きていると思い込んでいたんだな。
そして自分でも気がつかないうちに死に場所を見つけていて会社を無断欠勤していたんだろう。
そこら辺は自分には記憶がない。
そう言えば坂本さんは死にたいって思っているのだろうか?
通りゃんせが聞こえるって事は坂本さんも…
それにあの老人は誰なんだろう。もしかしたら守護霊的な先祖なのかな?
今度、親に聞いてみよう。
帰省したときにでも。