子供にとって1番身近で影響力のある大人って言ったら、大抵の人は親って答えると思う。
もともとの性格もあると思うけど、育った環境って子供にとってかなり大きい。
夫婦喧嘩が絶えなかったり、どっちかが不倫なんかしてると、子供はそういうの敏感に感じ取って心を病んだりもする。
特に親世代の人が色恋や欲に狂ってく様は、子供にとってどんだけ地獄だよって思う。
これから話すのは、そんな家庭で必死に踏ん張ってた親友とそれに関わった俺のその後の話だ。
人様の家庭に首突っ込むって事はやっぱりよくないんだなって今でも思うよ。
注意喚起の意味もある事だから、よかったら聞いてってくれ。
高校2年の時のクラス替えで、俺は柴田と言う男と出会った。
この頃の俺は色々な悩みが重なって完全に孤立してたんだけど、こいつは人懐っこく話しかけてくれた。
「俺、柴田ってんだ!
よろしくな」
「後藤、今日一緒に帰ろうぜ」
「お前いつも暗い顔してんなー!
もっと笑えよ!」
最初はウザい、いけすかない偽善者だと思ってた。
だけどしつこく話しかけられるうちに少しずつ「こいついい奴じゃね?」と思えるようになって来て、それから仲良くなるのは早かった。
なんでこんな明るくていい奴が俺なんかと?って考える時もあったけど、今思うと柴田自身も闇堕ちしそうだったのを俺に重ねてたんだと思う。
自分と同じように、人に言えない事で悩んでいるのがなんとなくわかったんだろうな。
俺達はよく話すようになって、一緒に帰る事も多くなった。
うちは母子家庭で母ちゃんはいつも仕事で家を空けてたから、ほとんどうちで遊んでたよ。
て言うか、柴田は絶対に家に行かせてくれなかったんだよ。
仲良くなっても家の事とか話したがらなかったし、きっと触れられたくないんだと思って特に何も聞かなかった。
そんな風にお互いに持ちつ持たれつ仲良くやってたんだけど、2年生も中盤に差し掛かって来たある時から柴田は目に見えて元気が無くなっていって学校を休んだりする事も多くなった。
どうした?って聞いても、
「なんでもないよ」
とか、
「ちょっとな…」
と相変わらず自分の事は何も話してくれなかった。
しばらくはそんな感じで微妙な空気感だったけど、柴田の休みが続くようになるとそうも言っていられなくなった。
メールでは相変わらず「大丈夫」とか「なんでもない」って返事ばかりで埒が明かない。
かと言って一度も行った事がない柴田の家の場所もわからない。
担任に聞いても「体調不良とお母さんから連絡が来てる」とあしらわれてしまい、俺にはどうしようもなかった。
そんな時、ほとんど話した事のないクラスメイトの女子に話しかけられた。
「ねぇ、あんたって柴田と仲良かったよね?
なんで休んでるか聞いてる?」
俺が「知らん」とぶっきらぼうに答えると、「そっかー、困ったなー」と大袈裟に両手で頭を抱え出した。
どうやらもうすぐ行われる文化祭で柴田が分担している作業があまり進んでいないらしく、このままだと間に合わなくなるとの事。
だからお化け屋敷なんて面倒そうなもの反対だったんだよ、俺は。
1人1人の分担が多くて、誰も彼も手一杯で柴田の穴を埋める余裕なんてなかった。
「私、柴田は小・中と一緒でさ。
だからみんなにどうなってるか聞いてこいって言われたんだけど、高校入ってからほとんど話してなくてさ。
だから仲良さそうなあんたなら何か事情を知ってるかなーと思って」
それがわからないから悩んでるんだよ…と思ったけど、こいつに柴田の家の場所を聞けばいい事に気がついた。
「あのさ、俺も心配なんだけど柴田の家知らなくてさ。
良かったら教えてくれない?」
その女子は助かる!と言って、手書きのメモと地図をサラサラっと書き上げて渡して来た。
柴田の家は電車と徒歩で1時間くらいかかる場所にあるらしい。
言い忘れてたけどうちの高校は〇〇二高って言って、ここらの地域では少しレベルの低い高校だった。
他所で落ちて滑り止めで来る奴が大半で、柴田もこいつも志望校に落ちてここに通ってるらしい。
とにかく家の場所はわかった。
俺は早速、放課後に柴田の家に行く事にした。
普段電車に乗る事があんまりない俺にとっては40分の移動はちょっとした冒険だった。
目的地の駅に着き、メモを頼りにしばらく歩くと似たような分譲住宅が建ち並ぶ一帯に柴田の家はあった。
だけど、他の家とは少し雰囲気が違う。
敷地内は草がボーボーに生えていて、ゴミ袋が玄関先に何個かまとめられていて少しだらしない感じがした。
すねくらいまで伸びた草の中を玄関まで歩き、インターホンを押した。
中から反応はない。
すると、玄関から右の方に見えるリビングの掃き出し窓の方からバンっ!と叩きつけるような音がした。
ビックリしてそっちを見ると、髪をバサバサに乱した中年の女性が両手と顔を窓に押し付けてこちらを見ていた。
柴田の家族の誰かなんだろうけど、さすがに不気味だ。
だけど、ここまで来たのに会わずに帰るなんてできない。
リビングの窓を見ると、もう顔はなかった。
もう一度インターホンを鳴らすが相変わらず反応はない。
俺は柴田に「見舞いに来たぞ」とメールしてみた。
返事はすぐに来た。
「鍵空いてるからあがって。
2階の奥が俺の部屋」
俺は少しホッとして柴田の家に入った。
階段の反対側にリビングがあり、なんとなくさっきの事を思い出してそっちを見てみる。
ドアのすりガラスになっている部分から誰かがこっちを見ていた。
両手と顔を押し付けるようにして。
ハッキリとは見えないがさっきの中年女性のようだ。
おそらく柴田のお母さんだろう。
正直気味悪かったけど、人んちの事情はそれぞれだと無理やり飲み込んで柴田の部屋に向かった。
「柴田、入るぞ」
ああ、と返事がしたので部屋に入る。
バスケ選手のポスターとか、流行りの漫画やゲーム機がある普通の部屋だった。
柴田は俺を見ると嬉しそうに奥のベッドから起き上がってヘリに腰掛けた。
無理するなって言おうとしたけど、柴田の方から口を開く。
「驚いたな、どうやってうちの場所を知ったんだ?」
俺がクラスの女子に教えてもらったと聞くと柴田はなるほどと頷いた。
それから少しの沈黙。
なんとか柴田の話を聞きたいと思った俺は、何を思ったかいきなり核心かもしれない事を聞いてしまった。
「あの、さ…
下でちょっと、なんて言うか、ちょっと変と言うか、少し妙なものを見たと言うかなんと言うか…」
自分でも何を言ってるのかわからなかった。
直接言うのも気が引けたし、かと言ってうまい言い回しも思いつかなくて訳わかんない感じになった。
「母さん、見たのか」
柴田は少し悲しそうな顔をしていた。
やっぱりあれ、お母さんだったのか…。
「いや、うん、見たっつーか、しょうがないよな。
きっとお前んちも色々あったんだろうしさ」
フォローしようとすればするほど深みにハマっていく。
これじゃあ俺が柴田の家で何かあったのを知ってるみたいじゃないか。
所詮高校生の頭ではこんなもんだ。
俺がどうフォローしようか1人でうんうん唸ってると、柴田はくくっと少しだけ笑った。
久しぶりに見たこいつの笑顔は、やっぱり少しやつれてた。
「うん、実は俺が中学くらいの時に親父が不倫してさ。
元々ヒステリックな母さんだったけど、今はあんな感じなんだ。
突然叫んだり、ものに当たったり、かと思えば鬱っぽい症状が出て全然話さなくなったり。
俺が家の事やったりしてなんとかなってたんだけど、ついに親父が相手の女の所に行っちゃってさ。
それからは母さんも更にひどくなって、俺も頑張ってたんだけどなんか疲れちゃってさ…」
溜め込んでたものをやっと吐き出せたからか、泣かないようにしてたみたいだけど最後の方は声が震えてた。
やっぱり柴田は俺に自分と似た何かを感じてたんだな。
俺が孤立してる理由も、父親が原因なんだよ。
昔から借金したりおかんを殴ったりのクズだったけど、俺が中学の頃になんとか離婚が成立して家を出てったんだ。
だけどそれからは近所の人達、果ては俺の友達たちの親にまでカネの無心をするようになったんだ。
それを学校でいじられるようになって、カッと来ていじって来た奴らと喧嘩になってさ。
それからは俺に近づく奴もいなかったし、俺もいよいよ人を信用できなくなっていった。
だから、理由は違えど親のせいで子供ながら闇を抱える事になった俺らは出会うべくして出会ったんだと思った。
俺は今、おかんと2人でなんとかやっている。
柴田はその母親も壊れて1人で崖っぷちにいるんだ。
気持ちがわかる俺が手を差し伸べてやらないと、と思った。
「話してくれて、ありがとな。
うちも父親のせいで色々あったから気持ちはわかるよ。
俺らにとって、家と親って生きる世界そのものだもんな。
…つらかったな。
本当に、1人でよく頑張ったな」
言いながら俺も泣いてしまっていた。
それを見て柴田も堰を切ったように泣き始めた。
こいつを今1人にしちゃいけない。
俺もまだ子供だけど、出来る限りのことをしてやろうと思った。
「じゃあ、これからちょくちょく顔出すわ。
って言うか、早く学校に来いよ。
文化祭の準備もお前がいなきゃヤバイんだからさ」
少し経って柴田が落ち着いた頃、帰り際に少しふざけていつもの調子でそう言うと、柴田は弱々しくだけどフッと笑って小さい声で「ありがとな」と言った。
柴田の部屋を出て、深く深呼吸した。
子供にとって、家は世界だ。
その中でもがいてる奴を救い出すのは簡単じゃない。
どこまでできるかわからないけど、やってみよう。
無理やり前向きに気持ちを切り替えて階段を降りようとした時、俺の体はビクッと固まった。
階段の下、廊下側から柴田のお母さんが顔だけを出してこっちを見ている。
濡れたように何本か束になった髪の毛の間から覗く目は、生気を全く感じない。
その意図が読めずに固まってると、スッとその顔は廊下の方に消えた。
息を止めてた事に気付いて、はぁーっと深く息を吐いた。
「こりゃ、一筋縄にはいかないな」
柴田をなんとかしてやりたいって気持ちと、もしかしたら無理かもって気持ちで板挟みになりながら俺は柴田の家を後にした。
それから良くも悪くも事態が急変する、なんて事はなく柴田が休む日が続いた。
まず俺は、柴田の分の文化祭の準備を買って出た。
正直めんどくさいけど、他の奴も余裕がない以上俺がやるしかない。
あとは、少なくとも週に2回は柴田んちに行くようにした。
電車賃は痛かったけど、バイトしてたのでなんとかなった。
飯も食ってなさそうだったから適当にパンとか弁当とかも買って行った。
ゴミ出しをしてやったり、最低限歩ける程度に庭の草むしりもやった。
学生にしては俺、よく頑張ったと思うよ。
俺が行くたびに柴田は嬉しそうな顔をしたけど、会うたびに生気が無くなっていくのを感じて正直焦った。
それに、やっぱり柴田のお母さんが怖くて俺の心も少しずつすり減って行った。
俺が家に行くとリビングの窓からこっちを見てるのはもちろん、廊下の奥の部屋のドアを少しだけ開けて隙間からこっちを覗いていたり、柴田の部屋にいる時に視線を感じて振り向くとドアの隙間にギョロリとした目が覗く事もあった。
それは俺がドアの前に立って柴田には見えないようにした。
帰る時に下から覗いてたり、俺の靴が庭に投げ捨てられていたり、毎回毎回本当にしんどかったよ。
それでもなんとか頑張って柴田を見舞ってたんだけど、ついにそんな俺の心が折れる事が起こった。
その日はコンビニでハンバーグ弁当と三ツ矢サイダーを柴田とお母さんの2人分買って柴田の家に向かった。
俺が来る日は鍵を開けといてもらう事になってるので、リビングの方を見ないように玄関のドアノブに手をかける。
いつも通り開いていたのでそのまま家に上がった。
…なにかいつもと違った。
いつもは家に入るとすぐに感じる嫌な視線を感じない。
もちろんそんなの無い方がいいんだけど、いきなり無くなるのも不気味だ。
恐る恐る階段を上がると、柴田の部屋のドアが少し開いていて中からぶつぶつと何か聞こえて来た。
その声を聞くだけで全身に鳥肌が立つのを感じたけど、多分お母さんの声だ。
ドアの隙間からそっと覗くと、お母さんらしき人がベッドで眠る柴田の耳元で何やら囁いていた。
「なんで私だけが…
お前せいだ…
死ね…死ね…
シネシネシネシネシネシネシネシネ」
声を上げそうになるのを手で必死に抑えた。
なんだあれ。
自分の息子に向かって、呪いの言葉を吐いてる。
柴田を取り巻く状況は、俺が考えるよりも何倍も深刻だったんだとこの時初めて気付かされた。
とにかく離れないと…
物音を立てないようにゆっくり振り返ろうとした時、コンビニの袋が膝に当たってガサッと音を立ててた。
一気に汗が噴き出る。
もう一度、音を立てないようにゆっくり部屋の方を見ると、ドアの向こうのすぐそこにギョロリと睨む血走った目があった。
俺はどたどたと階段を下りて、勢いよくドアを開けて家から出た。
はぁはぁと息が上がる。
どうしようもないくらいに怖かった。
そして、俺にはもうどうしようもないかもしれないとも思った。
息を整えてから2階の部屋の窓を見ると、無表情な柴田のお母さんが窓に張り付き俺を見下ろしていた。
自宅に戻り、テーブルの上のコンビニ袋を眺めてボーッとする。
今まで差し入れたメシも、次に行く時には庭に捨てられてる事もあった。
柴田がちゃんとメシを食えてるとも思えないし、あんな状況ではもう一刻の猶予もない事は俺でもわかった。
もう自分1人ではどうしたらいいかわからない、そんな事を考えてた時に急にひらめいた。
「おかんに相談してみよう」
俺のおかんは市の総合病院で働く看護師だ。
そこには確か精神科もある。
おかんに相談すれば何かいい対処を教えてくれるかもしれない。
最初からそうすればよかったんだけど、そこは高校生だったからと許してくれ。
俺はすぐに家を飛び出した。
〇〇総合病院は市内一の大きさを誇り、小児科からがんセンターまで揃っていた。
俺は院内に入り、おかんが働く2階へ行くためにエスカレーターに向かった。
しかし平日だって言うのに、院内は激混み。
エスカレーターは列を作っていてぎゅうぎゅうだった。
俺も精神的にだいぶ疲れてたから、普段は乗らないエレベーターで2階へ行く事にした。
こっちは誰も並んでなかったので、俺は上ボタンを押してぼーっと上の階数ランプが降りてくるのを見ていた。
その時、誰かが俺の横に立った。
何の気なしに目だけそっちに動かすと、そこには柴田のお母さんが立っていた。
髪は後ろでまとめられていて服装も小綺麗にしてるけど、間違いなく柴田のお母さんだった。
俺を追って来たのか?とか俺に気付いてないのか?とか色々考えたけど、俺なんか見ずに節目がちに床を見ていた。
ポーンと音が鳴って我に返るとエレベーターの扉が開き、中には空のストレッチャーと看護師さんがいた。
「あれ?
あんた何しに来たのよ」
おかんだった。
予想外に会えたもんだから俺がキョドってると、おかんは俺の隣に話しかけた。
「あら、こんにちは。
これから検診ですか?」
「はい…」
え、知り合い?と俺がまたもキョドってるとおかんと入れ違いにお母さんはエレベーターに乗り込んで扉を閉めた。
「え、おかん、あの人知ってるの?」
色々話そうと思ってたけど、とりあえず今1番気になる事を聞いた。
「あー、あの人うちの科の患者さんなのよ。
ずーっと不妊治療で通ってる人で」
は?不妊治療?
確かにおかんが勤めるのは産婦人科だ。
「不妊治療?
え、柴田のお母さんが?」
「柴田?
あの人、そんな苗字じゃないわよ」
おかんのその一言で余計にわからなくなった。
柴田じゃないなら誰なんだよ!
俺は柴田って友達の事、その家で起きた色々な事、そして今起きている事を矢継ぎ早に話した。
ゆっくり説明してる余裕なんてもうなかった。
全て話し終わると、おかんは俺が落ち着くまで背中をさすってくれた。
「そっかそっか、あんたはその友達を助けたかったのね。
その子のお母さんを精神科で診てもらえないかって相談だったのね。
でもあんたは今の人が柴田くんのお母さんだと思ってたんでしょ?
けどあの人は違う。
私や仲良くなった看護師だけに話してくれたんだけど、あの人不倫してるのよ。
既婚者の男性と、もう3年くらい。
その人との子供が欲しいって言ってたんだけど、うまくいかないって。
不倫なんか絶対ダメだけど、彼女の将来のためでもあるから不妊治療は応援してたのよ」
訳がわからなかった。
いや、本当はおかんの話でほとんどは腑に落ちていた。
けど、今の話が本当なら俺が柴田の家で見たのは、その不倫相手の生き霊…って事になる。
そう考えるとめちゃくちゃ怖かった。
俺は何回も顔を見てるし、俺の顔も見られてる。
それでも解決の糸口を見つけた俺は、柴田を親世代が起こしたくだらない因縁から解き放つために動く事にした。
「おかん、あの神社!
あの神主さんに連絡して!」
俺は電車に乗って、隣の市にある神社へ向かった。
そこの神主さんは霊とかは見えないけど、人との縁を切る事ができる人だった。
何を隠そう、うちのおかんがあのクズと別れられたのもこの神主さんのおかげだった。
だから、生き霊が相手ならなんとかしてやれる!って思った。
「後藤さんの息子さんか、よく来たね。
あれからお父さんとの関係は変わりないかい?」
小柄な初老の神主さんは俺のことを覚えていてくれたらしく、温かく迎えてくれた。
俺は何故か涙腺が緩んで、泣きながら今の状況を話した。
神主さんはうん、うんと話を聞いてくれて、話を聞き終わると少し待ってなさいと言い社務所へ入って行った。
少し経って戻って来た神主さんの手には小さな藁人形のようなものがあった。
「私は霊が見えないしお祓いなんかはできないが、代々受け継がれた作法で人と人との縁を切る事ができる。
君も知っているね。
生き霊と言っても、本体が生きていれば縁を切る事は可能だ。
この人形を友達の部屋に置くように言いなさい。
これを君の友達だと誤認させて、顔の部分に貼ってある紙が黒くなったら燃やすんだ。
それでその者との縁は切れるはずだから」
俺はそれを受け取ると、また泣いてしまった。
今度のは安堵の涙だった。
俺は何度も礼を言って、すぐに柴田の家に向かった。
柴田は初め、俺が何言ってるか全然わからないようだった。
だけど俺が見ていたのがお母さんじゃなかった事や、自分の体調がどんどん悪くなる事で腑に落ちたようだった。
ちなみに本当のお母さんは、今は鬱の状態が長く1階の奥の部屋でほぼ寝て過ごしてるらしい。
写真を見せてもらったら、あの毎回見ていた女性とは全く違う人だった。
俺から縁切りのやり方を聞いた柴田は怖い気持ちもあっただろうけど、同じくらい何かから解放されたように感じたみたいだった。
「本当にありがとうな、後藤…
怖いけど俺、頑張るからさ。
耐え切って生き霊なんか弾き返してみせるよ!」
絶対に元気になる、そう柴田は約束してくれた。
きっとすぐに柴田もよくなって、前みたいに笑いあえる。
色々大変な事もあったけど、友達の為に行動して本当によかったと思っていた。
それなのに、しばらく経っても柴田は学校に来なかった。
すぐにどうにかなるとは思ってなかったけど、1週間経っても2週間経っても柴田はよくならなかった。
不安そうなメールがたくさん届いて、俺もたくさん励ました。
神主さんから柴田を助けようとしてた俺も標的にならないとも言えないと言われてたから、あれからあの家には近づけなかった。
不安になった俺は神主さんに何度も電話したけど、もう少し様子をみろとか、なぜ効果が出ないんだ?とか無責任な事ばっかり言っていて余計に苛立つだけだった。
「何も見えないけど、変な声が聞こえる」
「寝てると誰かに見られてる気がする」
「母さんが全然部屋から出てこなくなった。
心配だ」
「藁人形の場所が移動してる。
今朝はゴミ箱に入ってた」
こんな感じで、あの日から柴田の状況はどんどん悪くなっていってるようだった。
そして、このメールが届いた。
生き霊との縁なんか全然切れてないってのがハッキリとわかるメールだった。
「部屋に知らない女がいる。
こわい
たすけて」
俺は担任に何も告げずに学校を飛び出した。
すぐに柴田の家に行きたかったけど、財布を家に忘れてたから電車賃を取りに急いで帰った。
家に着いて財布だけ掴んで急いで出ようとした時、遅番明けのおかんがちょうど帰って来たところだった。
「ただいま〜…
あれ、あんた学校は?」
俺がいいからどいて!と言ってもおかんはどかない。
息子が学校サボってどっか行こうとしてるんだから当然か。
時間が惜しかったけど、俺は柴田の家の事や神主さんから貰った藁人形の事を話して、柴田が今ヤバそうってのを伝えた。
「縁切りの神主さんのとこに行ったのはそう言う訳だったのね。
柴田くんの家の事に関係あると思って聞かないでいたけど、それならそうと何で言ってくれなかったのよ。
わかってればちゃんと話したのに…」
ちゃんと話した?
一体何を?
俺は嫌な予感がして生唾を飲み込んだ。
「あの不妊治療の患者さん、自殺しちゃったの。
あんたと病院であった日に」
俺は駆け出していた。
人にぶつかったりトラックにクラクションを鳴らされたりしたけど、関係なかった。
俺はバカだ。
ガキのくせに1人で何とかしようとして、大人に相談もしないからこんな事になった。
いたずらに柴田を安心させて、もっと怖い思いをさせてしまった。
女の生き霊は、あの日から死霊に変わっていたんだ。
縁切りなんて効くはずない。
きっと自分が愛する人の子を授かる事ができない事に悩んで、不倫相手の家族に呪いをかけて死んでいったんだ。
あれから3週間経っている。
女の霊は、もう直接的に手出しをして来ている。
頼む、間に合ってくれ!
俺は電車に揺られる40分間、下を向いて貧乏ゆすりしてるしかなかった。
柴田の家に着くと、異様な雰囲気は庭からでも伝わった。
怖い。
けど俺は勇気を出して、目を閉じて玄関のドアを開けた。
家の中は不自然なくらい静かだった。
いや、たった1つだけ音がしていた。
ギシ…ギシ…と規則的に何が揺れるような音。
もうこの時点で俺は泣いていた。
でも、ちゃんと確認してやらなきゃならない。
俺がゆっくり目を開けると、2階の階段の手すりから首を吊って揺れている柴田がいた。
俺のスマホのGPSを追っておかんがこの家に着いた時、俺は放心状態で泣きながら小便漏らしてたらしい。
それからおかんが通報してくれて、パトカーや救急車がやって来た。
俺も色々話を聞かれたけど、その間もずっと放心状態だった。
ただ、ずっと3週間前の俺を殴りつけてやりたかった。
柴田は自殺と処理されたけど、遺体はひどい栄養失調だったらしい。
3週間、きっと何もかも良くなるって1人で踏ん張ってたんだろうな。
それを考えるとまた、悔し涙が出て来た。
それから柴田のお母さんは入院する事になり、元凶の父親は行方不明と聞かされたけど俺はもうそんな事どうでもよかった。
あれから1年、俺は死んだように生きてる。
学校も辞めて、部屋に引きこもってガリガリに痩せて、無気力に生きて来た。
最初は心配してくれたおかんも、メシの用意だけして声をかけてくれなくなった。
でも、こんな生活ももうすぐ終わる。
もう道具は準備できてる、あとは実行する勇気だけだ。
柴田が死んだあの日、放心状態の俺の耳元で声が聞こえたんだ。
「あの親子を助けようとしてたなんて、許さない。
私だけ不幸だなんて許せない。
あんたも死ねば?
生きててもしょうがないでしょ」
それから毎日毎日あの女の声が聞こえる。
生きててもしょうがないとか、柴田が死んだのは俺のせいとか、ずっとずっとずーーーっと言われ続けると、そうなのかなって思えてくるんだよ。
だから、もういいんだ。
今俺は、最後に何か遺したくてこのビデオを撮ってる。
俺は失敗したから、他の人にはこんな思いして欲しくないんだ。
誰かを助けたい時は、大人を頼れ。
知識がある、力がある人を頼れ。
1人で出来る事なんて、本当にちっぽけで、勘違いや思い込みで失敗してしまう。
だから、周りを頼れ。
きっと君の周りには、君が思ってるよりたくさんの味方がいるはずだから…