「儀式」

投稿者:いわぶちかつのり

 

 私の父は、とある大学で教授を務めていた。でも、仕事の内容についてはあまり話したがらない人だった。思えば母が亡くなった頃から、残業や出張が増えた気がする。

「弥生、いつもすまないな…でも、お前のお陰でとても助かっているよ」

 出張から戻ると、父はいつも私に労いの言葉を掛けてくれた。

「お父さんこそ、忙しいのは分かるけど、あまり無理しちゃダメだよ」

 久しぶりに交わす親子の会話。ほんのささやかな親子の団らん。
 一通り荷物の整理を済ませると、ゆっくりとお風呂に浸かり、冷蔵庫からビールを取り出す。

「おっ、弥生、グラス冷やしといてくれたのか。お母さんに似て気が利くな」

 ニヤニヤしながらグラスにビールを注ぐと…。

「さてさて…一週間振りかぁ…」

 ゴクゴクと喉を鳴らし、美味しそうにビールを飲み干す。そんなひと時が、私にとって安らぎの時間でもあった。

 あの日までは…。

 そう、あの日出張から戻った父は、明らかに様子がおかしかった。顔は強張り、なにかに絶望したような目をしていた。私の事など目に入っていなかったと思う。力なく母の仏壇の前まで歩き、母の遺影を見つめながら。

「ごめんな…ごめんな皐月…」

 ポロポロと涙を流し、仏壇の前で泣き崩れる。しばらくすると力なく立ち上がり、うなだれながら自室の書斎へと入ってしまった。
 それから三日間…トイレ以外は書斎に入ったまま。ペットボトルの水を書斎に持ち込むと、食事は一切取ってくれなかった。私は書斎の扉越しに。

「お父さん、どうしたの…なにかあったの?。少しでもいいから食べて、お願い」

 日に日にやつれゆく父、今回の出張先でなにがあったんだろう。

「弥生、この世には信じられない世界がある…してはならない事がある…」

 この言葉が父から聞いた最後の言葉となってしまった。翌日、私が高校から帰宅すると、父の書斎の扉が開いていた。父の姿はなかった。
 数日後、警察に捜索願を申し出た。受理はされたけど、父の行方は未だに分かっていない…。
 ある日、一人の男性が自宅を訪れた。彼は父の生徒で〈夏川葉月〉と名乗り、学生証を私に提示してくれた。

「春本教授の娘さんでよろしかったでしょうか…」

 私が「はい」と答えると、夏川さんは神妙な面持ちで。

「教授…いや、あなたのお父さんの事でお話したい事がありまして…」

 私は夏川さんを自宅に招き入れ、話を聞いてみる事にした。

「あの…夏川さんは父からなにを学ばれていたんですか?」

 夏川さんは不思議そうに戸惑いながら…。

「まぁ、主に国内の民俗学や風習、伝承などについてですけど…」

 私は、父が大学でなにをしていたのか、職務について詳しく知らない事を正直に打ち明けた。

「そうだったんですね…あぁ、あの…葉月でいいですよ。夏川さんなんて呼ばれ慣れてないし、みんなも葉月って呼んでるんで。その方が俺も気が楽だし」

 夏川さんはそう言ってくれるけど…。

「苗字が夏川でしょ、生まれたのが八月、じゃあ八月の和名、葉月でいいかってね。俺の親って適当なんだよなぁ…でもね、俺、この名前結構気に入ってるんだ」

 葉月…素敵な名前だと思う。それなら私も。

「もしかしたら私もそうかもしれません、三月生まれなので。私の事も弥生って呼んで下さい」

 夏川さんは私より年上のはずなのに、なんかそれを感じさせない。うん、葉月って呼ばせてもらおう。ほんの数分の雑談で緊張が解けている。葉月にはなにか不思議な魅力を感じた。

「あぁ、ごめんね、話が脱線しちゃったね。そうか…そういう事ならば、どこから話そうか…」

 葉月は順を追って丁寧に話を進めてくれた。私の知らない大学での父の姿、民俗学とはなにか、父の講義の感想、失踪に至るまでの父の様子の変化など。

「少し話し辛いんだけど…奥さんを亡くされた頃から、教授の様子が少しずつ変わってしまったんだ。ちょっとオカルトっぽい儀式や、地方の怪しい習わしまでも調べ始めてね」

 そうか、それで出張が増えたんだ…。

「みんな心配してたよ…中には儀式で奥さんを蘇らせようとしている、なんて言い出す奴まで現れて」

 あの日…仏壇の前で…。

 母の死因はくも膜下出血だった。帰宅した私が気付いて、すぐに救急車を呼んだけど…もう既に手遅れだった。
 父と母は本当に仲が良かった。それだけに、父の悲しみは計り知れないものだったのだろう。突然の別れ…私も父も大きな悲しみに包まれた。

「教授が失踪するであろう直前に、俺、教授に会ってるんだ」

 そう言うと、葉月はバッグから一冊のノートを取り出した。

「これを君に託す、その一言だけを言われて。中はまだ見ていない…いや、見る勇気がなかったんだ。教授のあの鼻を見たら…」

 葉月はテーブルの上にノートを置くと。

「このノートが一体なんなのか…そしてこのノートの存在を、君に伝えるべきかどうかはかなり迷ったよ。でも、このノートに全ての真実が記されているかと思うと…」

 さっき、確か…。

「ねぇ、鼻って?」

 葉月は一度私の目を見ると、ゆっくりと視線を逸らし…。

「うん、極端に小さくなっていたんだ。そのせいか、とても息苦しそうにしてたよ…」

 ほんの短い会話の途切れた時間が、とても長く感じる。

「どうしようか…見てみる?」

 正直、怖かった。でも…。私は「うん」とうなずいた。

「分かった。さてと、見てみようか…このノートに一体なにが書かれているのかを…」

 妻の皐月を亡くし、多くの人たちに慰められ、励まされた。私の調査や研究の内容について、妻にはかなりの心労を掛けてしまっていた事だろう。自分勝手に仕事に取り組んでいた事も、重々承知している。
 亡くなってしまった妻に、今更恩返しなど出来はしない。しかし、私の気持ちは晴れずにいる。では、妻が死後、私に求めている事はなんなのだろうか。
 考え得る出来る限りの事はしたと思うのだが、私は一つの結論にたどり着いた。妻に直接聞けば良いではないか。
 心霊などに詳しい訳ではないが、ユタやノロ、イタコなどの霊能者に依頼すれば、妻の声を聞いてくれるかもしれない。しかしそうではない。私は直接妻の声を聞きたい、私自身のこの耳で。
 民俗学とは、儀礼、信仰、社会、経済、伝承、文化、生活…。違う、駄目だ、民俗学だけでは解決などしない。より多くの儀式やまじないについても、より深く調査、研究する必要があるだろう。

 カルト、オカルト、私が生涯携わらないと思っていた分野だが、調べれば調べるほど興味深い。
 〈死者を蘇らせる〉〈死者の声を聞く〉など、夢中で検索を続けていると、大学のパソコンに一通のメールが届いた。メールに本分はなく、URLのみが記載されていた。
 匿名という事もあり、危険なサイトへの誘導かとも怪しんだのだが、私はそのURLをクリックしてみた。すると、とあるサイトが表示された。
 そのサイトには、ある儀式の動画が公開されていた。動画は三本に分けられ、儀式壱、儀式弐、儀式参とされている。
 儀式壱ではまず、とある集落の様子が映し出されたのだが、人の気配がまったく感じられない。続いて神社の外観が映し出されたのだが、神社の名称、なにが祀られているのかなど、不明な点が多い。
 儀式弐では、白い袈裟を着た男性二人が、儀式の準備をしているようだ。その後、ろうそくが灯されたその部屋で、二人の男性は神棚に向かい、ひたすらお辞儀を繰り返した。
 儀式参では、神棚と二人の男性の間に敷かれた座布団の上に、とても美しい霧が現れた。その霧は水面のように美しく、次第に人型を象ったのだ。
 さすがに作り物ではないかとも思ったが、私の気持ちは高ぶり、動画の内容に引き込まれてしまっていた。
 サイト管理者に連絡を取りたかったのだが、サイト内に連絡先らしき表記はされていない。このサイト名は〈蘇生〉。そして、儀式や動画についての説明は一切されていなかった。

 ここまで読み終えると、葉月はスマホを取り出し…。

「蘇生かぁ…Wikipediaや医療に関するものしか出てこないなぁ…」

 色々とワードを交えて検索を続けたけど…。

「それらしいサイトは見当たらないよ…」

 葉月は釈然としない様子でページをめくった。

 これなら妻の声が聞けるかもしれない。私は〈儀式壱〉の内容に注視し、場所の特定を急いだ。しかし、なんの情報も得られずに、調査は難航を極めた。
 ところが、調査を開始して三ヶ月が経とうとしていた頃、調査の協力を依頼していた江口から連絡を受けた。この江口だが、大学からの付き合いで頼りになる男だ。調査の協力を依頼してから一週間にも満たないだろう。さすが江口だ。
 江口の情報を元に、私たちは現地を訪れてみた。間違いないだろう…とうとう見つけたのだ、集落と神社を。動画が作り物でも構わない。儀式を行う価値はあるはずだ。
 私たちは一度帰路に着くと、再度動画を確認し、儀式に必要な道具を取り揃えた。江口が同行を願い出てくれたので、日程の調整を行った。

 再び現地に到着すると、私たちは集落の調査を開始した。特に気になる点もなく、私たちは神社へと向かった。明日は神社の清掃を予定している。今夜は早めに就寝するとしよう。
 朝を迎え、購入してきたもので朝食を済ませる。さて、妻に気持ちよく現れてもらう為にも、感謝の気持ちを込めて丁寧に清掃しなければ。
 一通り清掃を済ませたところで日が暮れる。すると、江口は神社の石段を駆け下り、車のトランクからクーラーボックスを取り出した。ビールやらワンカップなどが大量に入っている。しかもまだ冷たいのがありがたい。酒を酌み交わしながら〈蘇生〉の動画を二人で観直す。江口、色々とありがとう。とにかく明日だ。

 葉月は軽くため息をつくと。

「これから儀式が始まるみたいだけど、大丈夫?まだ続けられる?」

 正直怖かった。でも私は、父がなにを見て、なにを経験したのかが知りたかった。

「ありがとう、私は大丈夫」

 葉月は軽く微笑むと。

「分かった、じゃあ続けようか」

 と、ページをめくった。

 儀式当日、儀式の為の準備を始める。ここで一つの疑問が頭をよぎる。動画に映っていた神棚が祀られている部屋、この部屋で間違いないだろう。しかしなぜ本殿で行わないのか。そう思いつつも、着々と準備を進めた。
 儀式の開始だ。ろうそくに火を灯し、神棚と私たちの間に座布団を敷く。そして〈儀式弐〉にならって、神棚へお辞儀を繰り返した。
 しばらく儀式を続けたが、美しい霧は現れてくれない。私の妻への想いが足りていないのではないか、届いていないのではないか…。あきらめかけたその時だった…座布団の上に、あの美しい霧が現れたのだ。そして、綺麗な水面となり人型を象り始めた。私の想いが妻に届いたかと思うと、もう涙が溢れて止まらない…。
 しかし、妻の姿に変わる事もなく声も聞こえない。すると、その人型の綺麗な水面が黒く濁り始めた。

「そう…これだ…」

 と、江口が口を開くと、黒く濁った霧はまるで煙のように江口の口から体内へと入ってしまった。

「違う!俺じゃない!…なにを…間違えたんだ…」

 江口が慌てふためき外へ出ようとしたが、呆然と障子戸の前で立ち尽くした。戸が開かないと言われ、そんなバカなと障子戸を開こうとするが、戸に触れる事さえ出来ない。一体どうなっているんだ。
 障子を破る事さえ出来ずに、私たちは神社に閉じ込められてしまった。

「黒く濁った霧、人を閉じ込める神社、まともな降霊術じゃないのは確かだね」

 葉月が険しい表情で拳を握る。

「そうだよね、一体なんの為の儀式なんだろう…。お父さん、浅はか過ぎるよ」

 怒り、悲しみ、恐怖、困惑、疑念…。今、私の中で様々な感情が入り乱れている。

ー滞在四日目ー

 私たちは為す術もなく、神社内にとどまるしかなかった。まるで強力な結界でも張られたかのようだ。物音すら一切聞こえない。私たちはこのまま永遠に、この神社に閉じ込められたままなのだろうか。
 黒く濁った霧を吸い込んだ江口に、今のところ変化は見られない。ただ、精神状態が不安定なのは目に見えて分かる。注意深く見守る必要があるだろう。
 水も食料も残り少ない。なんとか早く解決策を見つけなければ。しかし、どうにもこうにも八方塞がりだ。

ー滞在五日目ー

 江口が息苦しいと訴えてきた。私は特に息苦しさを感じてはいない。しかし、どうにも江口の顔に違和感を感じる。この違和感は一体なんなのだろうか。
 そして事は起こった…私がトイレへ行っている隙に、江口がマルチツールのナイフで自分の太ももを何度も突き刺していた。私は江口を押さえつけ、マルチツールを取り上げると。

「ダメだ…こうでもしてないと気が狂いそうなんだよ!」

 号泣する江口の顔を見て、違和感の理由に気付いた。江口の鼻が縮んでいる…。息苦しさを訴えていた理由はこれだったのか。

ー滞在六日目ー

 江口の鼻は、ほぼ無いに等しかった。小さく鼻の穴が開いている程度だ。前にも増して息苦しそうにしている。いずれ、この鼻の穴も埋まってしまうのだろう。
 この異様な状況に、私自身も気が狂いそうだ。なにを試してみても、この神社から出る事は出来ない。助けが来る希望など持てるはずもなく、飢え死にさえも覚悟しなければならない。
 時刻の確認はスマホ頼りだった。当然既にバッテリーは切れている。時間の感覚さえないまま、江口の顔を見てみると…既に鼻は完全に無くなっていた。

 次のページをめくると…。

「あれ、何も書いてない…」

 空白のページが数ページ続くと、葉月はノートを胸に押し当てた。

「次からのページは…見ない方がいいかもしれない」

 葉月の気遣いは嬉しい。だけど、もう覚悟は決めたから。

「うん、ありがとう…でも、大丈夫だから」

 葉月も覚悟を決めたかのように、ノートを胸から離した。

 私は今、自室の書斎にいる。一体なんだったんだ、あの儀式は…。江口、本当にすまない…私はお前を見殺しにした。いや、助ける事など誰にも不可能だ。
 そもそもがあのサイト、〈蘇生〉を見た時から地獄は始まっていたのかもしれない。これから最終滞在日となった七日目に、なにが起きたのかを書き綴る事とする。

ー滞在七日目ー

「なぁ、俺の顔どうなってる」

 江口のその一言で目を覚ました。江口の顔を見た私は、言葉を失ってしまった。次に現れた症状は目だった。小さく丸くなり、黒目しか残っていない。そこからは症状の進行が早かった。わずか数時間後には、江口の目は完全に無くなってしまった。
 鼻が無いので言葉が聞き取りにくい。苦しい、見えない、助けて、助けて、と聞こえた。目と鼻の無い江口が、私に向かい叫び続ける。まさに断末魔だ。私は耳を塞ぎ、ただただ恐怖に震えるしかなかった。江口、頼むからもう止めてくれ。

 喉が潰れると、口内が血で溢れた。それでも江口は絶叫を止めなかった。血をまき散らしながら叫び続けた。私は江口がまき散らす血を浴びながら、目と鼻の無い江口の顔を凝視してしまった。そして、見えてしまったのだ。江口の両脇に佇む二人の男性の姿を。一体彼らは誰なんだ…どこから現れた…。彼らにも目と鼻は無く、血にまみれた口を大きく開き、舌を限界まで出していた。そしてその二人の男性は、カクカクとゆっくり前後左右に首を動かし始めた。もう駄目だ、気が狂いそうだ。

 そして江口は暫く沈黙した後、私の肩を掴み「殺してくれ」と懇願してきた。殺してくれ!殺してくれ!殺してくれ!殺してくれ!と、何度も何度も何度も何度も。江口と両脇の男性の声が重なり合い、不協和音のように人間の本能が拒絶する声となっていた。今でもはっきりと私の耳に残っている。
 私は恐怖に耐えきれず、事もあろうか江口を突き飛ばしてしまった。すると、江口の口から黒く濁った霧が、エクトプラズムのようにゆっくりと姿を現した。そして、私に襲いかかってきた。
 私はとっさに口と鼻を手で塞ぐと、無理を承知で障子戸に体当たりを試みた。なぜか障子戸を突き破る事ができ、私は外へと転がり出た。
 黒く濁った霧を注意深く探してみたが、確認する事は出来なかった。私は室内へ戻り、自分の私物を手に江口の元へ行くと、その顔からは口も消え、江口は既に息絶えていた。綺麗な平面の顔となって。
 無我夢中で神社の石段を駆け下り、車に乗り込んだ。そして、今に至る。

 妻の声が聞きたい、聞く事が出来るだなんて、私はなにを勘違いしていたのだろうか。妻への愛に自信が持てていなかっただけではないか。今になってやっと、自分の心の弱さに気付くとは。今こそ自信を持ってここに残そう。私は誰よりも妻を愛していると。
 そして愛娘の弥生、本当にいい子に育ってくれた。ありがとう。ただ、弥生にはこれ以上迷惑を掛ける訳にはいかない。弥生、お父さんはお前の幸せを心から願っているよ。

 なぜ私が神社から出る事が出来たのか。それは、儀式を執り行った私と江口が、その役目を終えたからではないだろうか。黒く濁った霧は、今、私の体内に入っているようだ。障子戸を突き破る前に、既に入り込んでいたのだろう。どうやら時間のようだ。私も鼻が小さくなってきた。江口、すまなかったな。待っていてくれ、これからお前の元へ行くとしよう。

 春本藤桜

 言葉に詰まる葉月。多分、思っている事は私と同じだと思う。恐らく父は既に…。

「なんか…ごめんね」

 目を閉じた葉月に私は…。

「葉月が謝る事じゃないよ。葉月のお陰で真実を知る事が出来た。ありがとう」

 父の死は、覚悟していた事だから…。

「恐らく教授は、内容が内容だけに、娘の君には託せなかったんだと思う。だから、一番懐いていた俺に…」

 葉月はノートをテーブルの上に置くと。

「今日は、このノートを君にお返ししようと思って訪ねたんだけど、どうする?君のお父さんの最後の手記だ」

 私は葉月にお願いをしてみた。こんなノートは燃やしてしまった方がいい。なにかしらの悪いものが憑いているかもしれないので、お寺を紹介して欲しいと。
 葉月は快諾してくれて、日を改めてお寺に向かった。葉月も同行してくれたので心強かった。ノートは無事、お寺に引き取って頂いた。父もきっとこうして欲しかったと思う。

 ありがとう、葉月…。

ー数日後ー

 高校の授業を終え、校門から出ると…。

「弥生!」

 あっ…葉月…。

「えっ?…弥生、なになに?彼氏?ちょっとカッコいいんじゃない!」

 どうしたんだろう、なにかあったのかな…。

「違うよ、そんなんじゃないから…」

 葉月の元へ駆け寄ると。

「ごめんね、早く知らせた方がいいと思って。連絡先、交換しとけば良かったね」

 こうして再び、自宅で葉月との検証が始まった。

「やっと見つけたんだ、〈蘇生〉というサイトを」

 葉月がノートパソコンを開くと、既にサイトは開かれていた。サイト名、三本に分けられた儀式の動画。父はこのサイトを見たんだ。
 葉月のパソコンに家のWi-Fiを繋ぐ。儀式壱から順番に再生が始まる。儀式参まで再生が終ると、葉月は再び儀式弐を再生し始めた。

「これ、分かるかな…この右下に小さく表示されている文字なんだけど…」

 葉月は何度か巻き戻したりと、一番見やすいコマで一時停止をしてくれた。

「平顔の儀…?…へいがん?ひょうがん?なんて読むの?」

 葉月はパソコンの画面を見つめたまま…。

「それが、いくら調べてみても分からないんだ。当然、公にはされていない儀式なんだろうけど…。教授は、この右下の文字を見落としていたんだ」

 平らな顔…まさに父と江口さんを襲った怪異…。葉月は改めて、私が見やすいようにパソコンを動かすと、儀式壱と儀式弐の最後の部分だけを再生した。

「この二本の動画は、フェイドアウトしながら終わるんだ」

 次に、儀式参を再生すると…。

「この儀式参だけは、ブツっと切られたように終わっている。つまり、この動画には続きがある。それを、動画制作者は意図的に切った…黒く濁った霧へと変わる前に」

 謎の動画制作者、不明なままの制作者の意図、平顔の儀、なんの為の儀式なのか。

「一つだけ、ずっと引っ掛かっていた事があるんだ。教授の手記に書かれていた内容についてなんだけど、綺麗な水面が黒く濁った霧に変化した時の、江口さんが口にした言葉がね…」

 私、全然覚えてないや。

「なんて…言ったの?」

 葉月は眉間にしわを寄せると。

「うん、確か『そう…これだ…』って。これって、まるでそうなる事を知っていたかのような言葉だよね。だとしたら、このサイトと動画を作ったのも、教授宛てにメールを送ったのも江口さんの可能性が出てくるんだ。それと、江口さんの二言目『違う!俺じゃない!…なにを…間違えたんだ…』この言葉の真意は…」

 もしかして、江口さんは父を騙そうとしていたって事なの…もしそうだとしたら、なぜ儀式弐の動画に〈平顔の儀〉なんて、危険な儀式だと予測させるような文字を入れたんだろう…。

「あくまでも可能性だよ…でも、少し気になったんで江口さんの事を調べてみたんだ。だけど、情報が一切出てこない…。教授の研究室を調べて分かったのは〈江口床也〉という姓名だけ。江口床也、一体なに者なんだろうね…」

 身元不明の人物、そんな人と親交があったとは思えない。父は江口さんの身元を知っていたと思う。

「最後になるけど、もし江口床也が全てを仕掛けていたならば、教授に見えてしまった、江口床也の両脇に現れた目と鼻の無い二人の男性は、この動画に映っている二人の男性の霊なんじゃないかな。この二人の男性も、なにかしらの理由があって儀式を行い命を失ってしまった。だとすれば、江口床也に強い怨みを抱いただろうからね」

 もし私がそんな顔の幽霊を見てしまったら、気を失ってしまうかもしれない…。強い怨みを抱いた幽霊…怖いし恐ろしい。でも、考え方を変えてみれば、とても可哀想だと思う…。死んでまで人を怨み続けるだなんて…。

「目、鼻、口を失い、のっぺらぼうのように平らな顔になる代償を払って…いや、生贄を捧げる事によって、江口床也は一体どんな恩恵を受けていたんだ…」

 葉月は納得していないような表情でパソコンを閉じた。私はその葉月の表情に、なぜか怖さを感じた。

「結局、仕掛けた人物の目的も、儀式の詳細も謎に包まれたまま。まぁ、世の中には知らない方がいい事だってあると思う。俺はもう、この件について調べるのを止めるよ。これ以上調べたところで、良い結果にたどり着く事はないだろうから」

 うん、そうだよ葉月…もういいよ。葉月の言う通りだと思う。これ以上は本当に、踏み込んではいけない領域なんだよ。なぜならば、江口さんも誰かに騙されていたような気がするから…。
 こうして私たちは、父にまつわる一連の出来事について、終止符を打つ事にした。

 あの日以来、葉月とは会えていない。

 高校を卒業するのを機に、親戚の手助けを受けながら自宅を手放した。あの家は私一人では広すぎる。それに、もう居たくなかった。叔父の紹介を受け、マンションにも入居する事が出来た。
 大学を卒業し就職が決まると、毎日充実した日々が続いた。今では素敵な旦那さんとも出会い、子供にも恵まれた。本当に幸せな毎日を送っている。
 ただ、毎年夏になると葉月の事を思い出す。会ったのはたったの二回だけど、あの時の私の気持ちは恋心だったんだなと、今更ながら気が付いた。

 葉月、元気にしているよね…。

「お父さん、お母さん、おはよう」

 仏壇のお参りから、私の一日は始まる。

「ママぁ!お腹すいたぁ!」

 そうだね、朝ごはんの準備をしなくちゃ。

「よぉーし!もう少し待っててね。あぁ、あなたおはよう。パンでいいよね?…」

《続いてのニュースです。〇〇県、旧江口集落の神社の一室で発見された、ミイラ化した顔のない遺体について、〇〇県警はDNA鑑定の結果、夏川葉月さんと…》

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計
毛利嵩志121212151263
大赤見ノヴ161717171784
吉田猛々161616171681
合計4445454945228