「オーアン、イエ」

投稿者:赤戸青人

 

 クズな友人が無責任に女を孕ませたせいで、俺まで巻き添えで酷い目に遭った。本名を出すのも忍びないのでやつのことは仮名でサイトウと呼ぶことにするが、性格は終わってるのに顔だけは良くて、学生の頃からとにかく女にモテる。一方の俺はモテたことなどなく、童貞の僻みでやつのことを嫌っているが、なにせ幼稚園からの付き合いで、家も近く、お互いに勉強の出来も悪いもんだから大学まで同じになり、縁を切るにも切れず、とりあえず酒でも飲むか、という段になれば気楽に連絡を取れる間柄が継続していた。

 で、問題は、やつがモテすぎた結果、巻き起こった異常事態なのだ。一応先に断っておくと、いまから書くことは全部一週間前の出来事だ。俺がなぜこの文章を書いているか、その動機についても先に明かしておくと、これから先、何が起きるか、俺にもわかっていないからである。

 つまり、一週間後、いや、明日、俺が無事である保証がない。
 最悪の場合、変死を遂げた大学生として報道される恐れがある。
 だから、事の次第を、文章として残しておこうと思ったのだ。
 万が一、俺の身に何かあったら、この文章が真実を広めるために役立つと思う。

 どうせおちおち眠ることなどできない。少しでも気を落ちつけたくて筆を執った……というのも、紛れもない本音だ。深夜に思い立って書いているものなので、乱文、冗長、誤字脱字など見苦しい点も多々あるかと思うが、素人のやることと思ってご容赦いただければ幸いである。

 まあ、サイトウの醜態を晒すことにはなるが、そのぐらいの恥はかいてもらってもいいだろう。
 当然の報いだ。

 サイトウの様子がおかしくなったのは大学四年生になってすぐの春先のことだった。やつは経済学部、俺は文学部で、講義がある校舎は離れている。そのため普段から顔を合わせるわけではないが、昼休みなどは購買ですれ違うこともある。そのときには立ち止まって軽く話をしたり、一緒に飯を食ったりする。そのたびにやつが口にする女の名前が変わるのだから呆れる話だが、とにかく、ある女性と交際を始めたあたりから、少し様子が変だった。

 彼女の名前も仮名でナガノとさせてもらう。ナガノは不動産会社に勤めるアラサーだそうで、卒業生の伝手で出会い、大きなバストとふわふわした性格に舌なめずりをしたサイトウが、猛烈なアタックで短期攻略した女だ。いつものごとくサイトウが見ているのはおっぱいだけなので、もちろん結婚など視野には入れていない。それにもかかわらず、サイトウはナガノを妊娠させた。

 いつもはここに書くのもためらわれるような武勇伝を得々として語るサイトウも、今回ばかりは青ざめ、購買で出くわしたときも浮かない様子だった。珍しいことなので興味を持って話を聞こうとしたところ、やけ酒に付き合え、と誘われ、俺は嬉々として承諾した。あのサイトウが女絡みで大失態を犯したとなれば、しめしめと思うのが俺の性分なのである。うまい酒を飲ませてもらうつもりで、午後の講義を全てサボタージュして、サイトウが一人暮らしをしているアパートに場所を移した。ワンルームだが家財が少ないため狭く感じない。言動は放埓なくせに洗濯物は放置しないし、洗い物もすぐに片づける。いつでも女を呼べる部屋だった。

 俺は座布団に、サイトウは座椅子に座り、ローテーブルを囲んだ。買ってきた缶ビールや菓子類を並べると、俺としては楽しい時間の始まりである。しかしサイトウはどんどん落ち込んでいき、せっかく乾杯をしたというのに、酒にすら口をつけない。いくらなんでも様子がおかしいと思い、からかうのもそこそこに、何があったのか訊いた。サイトウは血の気の失せた顔で俺を見て、無理にビールを煽った。なかなか話し始めない。これはよほど痛い目に合っているに違いないと思い、たまにはやさしく付き合ってやるかと、気まぐれを起こした。

 他愛のない話をしながら夜までだらだらと飲んだところで、インターホンが鳴った。サイトウは大げさなほど驚き、死刑宣告でも受けたみたいに硬直した。応じる気配がないので、いいのか、と訊こうとしたとき、サイトウが俺の口を強引に塞いできた。あまりの狼狽ぶりに俺まで混乱させられ、ただ事ではないのを察した。

 こんこん、と扉がノックされた。

「警察です、サイトウさんいらっしゃいますか」

 と、呼びかける声がした。

 俺は目を丸くしてサイトウを見た。サイトウはほっとした様子で息を吐き、「驚かせやがって」と舌打ちをすると、慌ただしく玄関へ向かった。何がなんだかわからない俺は息を潜め、玄関でのやり取りに耳を澄ました。しかしよく聞こえない。結局、警察とどのような話をしたのかは、サイトウが戻ってきて直接問いただすまでは不明だった。

 居間に戻って来たサイトウは崩れ落ちるようにして座椅子に尻を落とした。俺はいよいよ我慢ならず、何が起きているのかを詰問した。サイトウはようやく観念して話し始めた。
 曰く、ナガノが自殺をしたらしい。
 飛び降り自殺。
 遺書はない。
 俺は、なぜ自殺なんかしたんだ、と尋ねた。サイトウは頬を引きつらせて言った。

「あいつ、妊娠したんだよ」

 その一言で大方は察したつもりだったが、訊きもしないのにサイトウは「でも一回だけだ。一回しかナマではヤらなかった」と見苦しく言い募ってきた。さすがに俺も閉口し、淡々と先を促した。

 曰く、妊娠の事実を告げられたのは一か月前だった。サイトウは最初こそナガノの機嫌を取り、明確な発言を控えつつも、なんとかなだめすかした。のらりくらりと切り抜けるつもりだったのだ。

 だがさすがにそううまくいくはずもなく、責任を取るようにと迫られ、そこでしおらしい言葉のひとつでも吐ければまだ話は違ったかもしれないのに、こともあろうにこのクズ男は、逆上してナガノを激しく拒絶した。本人は詳しくは言わなかったが、おそらくそうとうな罵詈雑言を吐き散らしたことだろう。こいつはそういう男だ。一度自分の敵だと見なした相手には徹底的に悪意をぶつける。子どもを認知しろと迫って来るアラサーの女など、サイトウからすれば最大級の敵である。

 その結果、ナガノは絶望し、自殺に至った。

 サイトウ曰く、ナガノは仕事もうまくいっていなかったらしい。不動産の営業はナガノの温和な性格には合っていなかったようで、無理をして頑張っていたのだ。うまくいかないことが多く疲れていたはず。だからこそサイトウが容易に隙をついて近づけたという側面もある。ナガノにしてみればサイトウは癒しであり、救いだった。実家の家族にも年下の恋人ができたとうれしそうに報告していたらしい。初めての恋人がやさしい人で、毎日が楽しいんだ、と、電話で語っていたのを、近くでサイトウは聞いていたのだ。

 それにもかかわらずサイトウは冷酷に裏切った。ナガノにしてみればそれまで感じていた喜びが大きかった分、絶望はより深かったことだろう。仕事で疲弊し、男に見捨てられ、妊娠という事実だけを残された。実家の家族に相談できなかった気持ちも、わからないではない。それでいて、ひとりで抱えるには重すぎる。

 今回ばかりは俺もかける言葉を見つけられず、二人して無言でビールを飲んだ。山のように缶を空にしたところで、はたと思い当たり、さきほど警察と何の話をしていたのかと尋ねた。サイトウは急に「ひっ」と声を上げた。悲鳴かと思ったが違った。彼は笑ったのだ。

「警察と何の話をしたかって?」

 そう言うサイトウの目は据わっていた。酒のせいではない。俺は身構えた。サイトウは新しいビールのプルタブを開け、勢いよく飲んでから話し始めた。
 曰く、最近、不可思議な現象が続いているのだという。まず、夜中に奇妙な声が聞こえる。それはあどけない声で、

「オーアン、イエ」

 と聞こえるらしい。どこから聞こえるのか? どこからも聞こえるのだ。居間でも、トイレでも、風呂でも、ベッドのなかでも、突然耳元で「オーアン、イエ」と聞こえる。たどたどしく、震えるような声なのだという。一度聞こえ始めるとしばらく聞こえ続ける。どこへ行っても声はつきまとい、眠ることもできず、かといって外を出歩く気にもなれず、声が止むまでのたうち回るしかない。

 ストレスによる幻聴。当然ながらその発想になり、心療内科を受診した。医師からは精神疾患を認めてもらったとのこと。薬を処方してもらい、飲み続けている。しかし「オーアン、イエ」は止まないどころか、夜中に玄関のドアノブが捻られたり、窓が不自然にがたがた震えたりするようになった。ついにドアが乱打され、明らかに幻覚ではないと考えるに至り、警察に相談した。何者かが執拗にいたずらをしている、あるいはストーカーの可能性があるということで、警察も対応をしてくれているのだそうだ。それで様子を見に来てくれたのが、ついさっきの訪問だったというわけだ。

 サイトウはそこまで語ると、弱り切って、「もう何日もまともに眠れてないんだ」とこぼした。彼の所業を擁護する気持ちにはなれないものの、目の前で憔悴されては、腐っても友人である以上、無下にはできない。

 今日は俺が泊まってやるから、しこたま飲んで、死んだように眠れ、と言ってやった。サイトウは一瞬泣きそうな顔をして、ありがとう、と殊勝なことを呟き、浴びるようにビールを飲んだ。俺もいつにないペースで飲み、買ってきた菓子類も片っ端から空にした。気づくとサイトウは机に突っ伏して眠っていた。俺もうつらうつらとして、しばらく意識を失っていた。

「オーアン、イエ」

 ハッと目が覚めたのは、夜中の十二時だった。どこからか声がした。とたんにサイトウも飛び起きて、落としそうなほど目を見張り、大口を開けて室内を見回した。「来た、来た、来た!」と金切り声を上げ、なりふり構わず俺に縋りついてきた。「聞こえたよな、聞こえたよな!」と騒がれ、俺はむしろ少し落ち着いた。自分よりも取り乱している人間がいると、なぜか冷静になる。

 幻聴だと思っていたものは現実に存在するものだった、となれば、仕掛けている犯人がいるということなのだから、室内から聞こえてくる声も隠されたスピーカーから再生されているに違いないと睨み、声の出所を探すために耳を澄ました。これはサイトウの女癖の悪さが招いた事件で、ひょっとするとナガノの親族が犯人なのではないか。恋人のナガノならば合い鍵を作る機会もあっただろう。その合い鍵を親族が拝借し、サイトウが留守にしている間にスピーカーを隠したのだ。サイトウも俺の推理を聞き、いくらか冷静になったようで、一緒に捜索を始めた。

「オーアン、イエ」

 と、また声がした。耳元から聞こえた。まるで後ろから囁かれたようだった。サイトウはまた激しく怯えたし、俺も自分の推理に不安を覚えた。例の声は明らかに耳の傍から聞こえた。隠されたスピーカーから聞こえた感じではない。

 するとどうなる?
 幻聴ではない、トリックでもない。
 じゃあ、この声は、なんなんだ?

 サイトウよりいくらかは冷静だったはずの俺もこの段階で理性を欠き始めつつ、躍起になってスピーカーを探した。

「話、続きがあんだよ」

 床に膝をついた姿勢で、スピーカーを虚ろに探しながらサイトウが言った。

「ナガノは、飛び降り自殺をしたんだけどさ、もう、すでにさ、けっこう、見てわかるくらいに、お腹、大きくなってたんだよ。なのにさ……ナガノの死体は、お腹がへっこんでたんだ」
「はあ?」俺は半ギレになりながら訊き返した。「何言ってんだよ」
 サイトウは卑屈に声を引きつらせて言う。

「だから、お腹がへっこんでたんだ。妊娠で、大きくなってたはずなのに。おかしいだろ。お腹の中にいた子どもは、どこに消えたんだ?」

 自殺時の衝撃で潰れたのではないか。そう思ったが、口に出すにはあまりにも残酷で、返答を渋った。サイトウはそれを予期していたのか、あるいは見透かしたのか、「潰れたとかそういう話じゃないんだ」と勝手に話を続けた。

「自殺か事故か殺人かわからないから、警察がよく調べたんだ。解剖ってやつをやったんだよ。そうしたらいなくなってたんだ」
「いなくなってた?」
「ああ。いなくなってた。出産した後みたいにな」
「まさか、本当に出産してたのか?」
「そんなわけねえんだ。どう考えてもまだ早すぎる」
「じゃあどこに消えたんだ」
「それがわからないって言ってんだよ。腹にいるはずの赤ん坊が消えた。死んだ母親の股ぐらから、自力で這いずり出たみたいにさ」

 窓が震えた。

 俺もサイトウもびくりとして窓を見やった。風のせいだろうと頭では思う。でも違うのではないかと、こころでは感じる。窓は次第に激しく揺れ始め、明らかに風のせいではなくなった。

「オーアンイエ」

 と、幼い声がした。俺は脂汗を浮かべ、部屋中を見回した。スピーカーなど存在しない。では誰かが隠れているのか? それはスピーカーよりもあり得ない。でも声は絶対に室内から聞こえている。サイトウは俺にしがみつく。俺はサイトウを振り払い、玄関へ向かった。一度外へ出ようと思った。しかしそのときちょうど、今度は玄関で音がした。俺の目の前で、ドアノブが捻られた。誰かが外から無理やり押し開こうとしている。鍵がかかっているので当然開かない。外にいる誰かはドアノブをめちゃくちゃに捻る。ガチャガチャとドアノブが音を立てる。さらに扉が乱打された。ちょっとやそっとの鳴らし方ではない。一撃ごとに扉が壊れてしまいそうなほどの音を立てている。

 事ここにいたり俺も震えあがって居間に引き返した。サイトウに向けてわけのわからないことを怒鳴り散らした。何を言ったのか正確には覚えていないが、とにかく八つ当たりだった。お前のせいでこんなことになってるんだ、と、原因なんて何もわからないのに言ってやった気がする。サイトウは何も言い返してこない。頭を抱えて、何も聞こえないと言わんばかりに、「あー。あー」と声を発していた。そうしている間にも窓と玄関の扉から激しい音が聞こえてくる。俺は全身汗びっしょりで、肩で息をしていた。大の男が二人、揃いも揃って青ざめ、音が止むのをただただ待ち続けた。

 そして今度は停電した。

 パッと真っ暗になり、俺は悲鳴を上げた。同時にサイトウも絶叫した。気持ちは痛いほどわかるが、彼の叫びはどこか滑稽で、また俺の頭をわずかに冷静にさせてくれた。舌打ちをしながらスマートホンを出し、ライトを点けた。涙で顔中を濡らしたサイトウが照らされ、俺は憤りを覚えた。全ての現象はサイトウのせいだと決めてかかっていた。何が起きているのかわかっていないくせに、である。俺は泣きじゃくるサイトウを蹴飛ばし、警察に連絡しろときつく命令した。しかしサイトウは完全に錯乱していてそれどころではなかった。俺はテーブルに置いてあったサイトウのスマートホンを奪い取り、緊急連絡から110番にかけた。繋がると同時に俺は「助けてください」と叫んだ。すると電話の相手は、

「オ、オー、アン、イエ」

 と言った。背筋が凍りつき、サイトウのスマートホンを投げ捨てた。窓の音も扉の音も続いている。そんななか、風呂場から勢いよく水を噴射する音が聞こえてきた。さらに一瞬電気が点き、すぐに真っ暗になり、また電気が点き、まるで子どもがスイッチのオンオフをふざけて押しまくっているみたいに、電灯が明滅した。俺は完全に自制心を失い、サイトウに負けないほどの絶叫をした。カチカチカチカチカチと高速で明滅する電灯は、聞こえてくる声や音よりもずっと俺のメンタルをすり減らした。サイトウもうずくまり、耳を塞ぎ、「あー! あー!」と叫び続けている。部屋中から聞こえてくる異常な音に混じって、時折「オーアン、イエ。オーアン、イエ、オーアンイエ」と声もしている。声は少しずつ間隔が短くなり、そしてはっきりと聞こえるようになっていく。

「オオオアン、イエ、オオオオオアン、イエ」

 俺もサイトウも限界だった。俺は持っていた自分のスマートホンをぶん投げて、電灯を割った。明かりの明滅がなくなり、そして、急にぱたりと、あらゆる音が止んだ。残ったのは暗闇に響くサイトウの泣き声と、俺の荒い息遣いだけ。

 終わったのか、と思った。俺はその場にへたりこみ、闇の中で顔を覆った。常軌を逸している。ストーカーの仕業などでは決してない。現代日本に生きる人間として受け入れがたくはあるが、もはや霊障以外の解釈など不可能だった。

 早く帰りたい。この部屋から逃げ去りたい。俺はまだ震えている膝に鞭を打って立ち上がった。ライトが点いたままのスマートホンを拾い、廊下を照らした。

 そこには少年がいた。

 俺は悲鳴を上げた。ライトに照らされた少年は白いTシャツと短パンを着ている。無表情のままこちらを見て――いや、サイトウを見て、悲し気に唇を引き結んでいた。五歳ほどに見えた。いずれにせよそれが生きた人間でないことは肌で感じられた。少年は、腰を抜かした俺の前を素通りして、サイトウの前まで歩み寄った。サイトウが狂ったように笑い出した。事実、狂ってしまったのかもしれなかった。けたたましく笑い声をあげ、地団太を踏むみたいに床を拳で叩いた。少年は俺に小さな背中を向けたまま、「オーアン」と言った。舌ったらずな声だった。サイトウはエビぞりになって笑い転げている。少年は静かにサイトウの脇腹を蹴りつけた。サイトウは一瞬だけ呻いたが、たちまちまた笑い出した。少年は仰向けになったサイトウの腹を踏みつけた。そのまま馬乗りになり、サイトウを殴り始めた。

「オオオオオアンイエ! オオオオオオアンイエ!」

 俺はスマートホンのライトで、笑いながら殴られるサイトウと、淡々と殴る少年を照らしたまま、呆然としていた。次第にサイトウの笑い声が小さくなり、完全に止んだ。少年の左右の拳が勢いよくサイトウの横っ面を跳ね飛ばし続ける。何かが俺の足元に転がって来た。サイトウの血がついた歯だった。俺はハッとして、「やめろ!」と叫んだ。少年は俺を無視して暴力を続ける。俺は声を張り上げて少年に体当たりした。軽々と吹き飛ばされた少年は床に倒れた。そして恨みがましく俺を見上げた。その憎悪に満ちた目を見て、俺はこころの底から後悔した。助けずに逃げるべきだった。少年は明らかに俺をサイトウの仲間である――つまり、排除するべき存在だと認識したようだった。俺は恐怖に突き動かされ、少年の首を締めた。そうするしか思いつかなかった。力いっぱいに締めた。火事場の馬鹿力で少年のいたいけな細い首を圧迫する。青白かった肌が急に血の気を帯びて毒々しいほど赤黒く変色していく。首の骨が折れる感触もはっきりと手に伝わった。少年は骨の折れた首をぶらぶらとさせ、頭をぐらぐらさせながら、唇から血を噴き出し、飛び出しそうな目で最後の最後まで俺を睨み、涙を滲ませてぼそっと何かを呟いた。

 ふっと力が抜けた。

 突如、少年が消滅したのだ。

 俺はその場にうずくまった。玄関の方から、扉の開く音と、「すみませーん、すごい音がしてますけど大丈夫ですかー」という男性の呼びかけが聞こえてきた。その声は、サイトウの様子を見に来ていた警察官のものだった。俺はうずくまったまま、意識を失った。

 サイトウは顔中が腫れ、歯も抜け、血まみれになっていたが、一命は取り留めた。しかし魂が抜けてしまい、たったの数日で髪が真っ白になってしまった。俺だってひどく体重が減ったし、夜になると、わけもなく不安でたまらなくなる。人のことを気にしている余裕はなかった。

 あんなクズ、見捨てればよかった。とっさに助けようとしてしまったことを、いまでは死ぬほど後悔している。

 これからどうなるのかわからない。
 サイトウを助けてしまったときの……少年が俺を睨んだときの、あの憎悪に満ちた目が忘れられない。
 何もありませんように。
 もう、そう祈ることしかできない。
 どうかこれを読んでくださった皆さまも、俺の無事を祈っていてください。

 ちなみにその後、結局サイトウは自殺しました。
 遺書はありません。
 少年の言葉は成就したのです。
 オーアンイエ。
 舌ったらずだったその言葉の、本当の意味は、もう皆さんもおわかりだと思います。
 それこそ、彼のこころからの言葉だったのです。

 お父さん、死ね

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計
毛利嵩志151512151572
大赤見ノヴ171716171784
吉田猛々181716161784
合計5049444849240