高校生の頃、彼女ではないけどバイト先で知り合ったサキとよく遊んでいた。
「サキとヒロ」お互い呼び捨てで呼び合うくらい仲良くなりバイトの帰りも自転車で一緒に帰るようになった。俺はサキの家の近くまで遠回りをしながら帰る。帰る途中に150メートルくらいの橋がありその橋を渡る前にサキは必ず自転車を停めて橋の向こうをジッと見つめる。
サキは霊感が強いと言っていたので「何か見えるのな?」と思ったけどそれは口にはしなかった。言ったら自分も何かが見えてしまいそうだったから。サキはしばらく橋の向こうを見つめて橋を渡りだす。
夏休みに入って8月を少し過ぎた頃バイト代が入ったのでサキとファミレスで夕飯を食べに行きその帰りに自分は初めて幽霊を見た。
橋の手前まで来ていつものように自転車を停める。この橋は2つの橋が平行に架かっていて1つは車用もう1つは歩行者と自転車用になっている。夜の10時にもなるとこの辺りは人も車もほとんど通らない。等間隔に並んだ外灯の白い明かりと橋の下を流れる一級河川の音が妙に目立っていた。
橋を渡り出してすぐに何かが耳を掠めた。それは声だった。糸のように細く、でもハッキリ通る女の声。自転車のブレーキを握ると同時にサキも自転車を停める。何か声が聞こえた事を言うとそれはサキにも聞こえていたみたいだ。
サキは目だけを動かして見えない何かを探っている。自分が何気なく川を見下ろしたときそれは川の上に佇んでいた。
「川を見ちゃダメだって!」
サキが止めようとするけど自分はもうそれを見てしまっていた。そしてサキも…
そこには和服の女が力なくこっちを見上げて
「聞いて…ください…聞いて…あなた様への…想い…」
とそればかりを繰り返していた。
サキは小さいけど力のある声で「戻って!早く!」と言い自転車を来た方向へと変えた。
「どこ行くんだよ!家と逆方向じゃん!さっきの何!?」
「今日は橋渡れない!今からお婆ちゃん家に行くから一緒に来て!」
あれが何だったのか。サキは答えずに自転車を漕ぐ事に集中してるようだった。俺はまだ後ろからあの女の声が聞こえてくる感じかして何度も後ろを確認していた。
祖母の家に着きサキがインターホンを連続で押してるとドアが開いて40代の女性が顔だけを出した。サキは残りのドアを勢いよく開け玄関になだれ込んだ。
「美菜子おばさん!どうしよう!私達ニシノカミノオタエ見ちゃったかも!」
美菜子さんは目を大きく見開いて
「ちょっとそこで待ってて!」
そう言って家の中に戻り持ってきた塩を撒きそのまま手際よく盛り塩を2つ作り玄関の前に置いた。
「美菜子?どうしたんだい?慌てて。あれ?サキどうしたんだい。お友達連れてこんな時間に」
お婆ちゃんと言うには少し若い気がするけどこれがサキの祖母だろう。
「お母さん。簪を用意して…」
美菜子さんの言い放った言葉がその場に緊張感を与えた。
簪?何に使うんだろう…
とりあえず何があったかを話した。
「あぁ…ニシノカミノオタエだねぇ。」
「やっぱり…」
サキが不安そうな表情になる。
お婆ちゃんは俺達を6畳くらいの仏間に通した。お婆ちゃんが鏡台の引き出しから簪を2本取り出してきた。
「お友達はこの簪を口にくわえてそこに座って。サキは隣に座って」
美菜子さんがサキの後ろに座り簪でサキの髪をゆっくりと丁寧に撫でる。お婆ちゃんは俺達の前に座り何やら唄のようなものを歌う。これが30分くらい続いた。美菜子さんに今日は二人共泊まっていくように言われたので家に電話してバイトの先輩の家に泊まると嘘をついた。
サキのほうは美菜子さんがサキの母親に電話で事情を説明した。
サキ、美菜子さん、自分の順番に布団を敷き枕元には簪を置いて寝た。
お祓いらしきものは終わったらしいけど明日は神社に連れていかれるらしい。
そもそもニシノカミノオタエとは何なのか?美菜子さんやお婆ちゃんは何者なのか?そんな事を考えているとコンコンと何かを叩く音がした。それは廊下を越えたさらに向こうの玄関からだ。誰かがドアをノックしている。音に反応して体を半分起こすとサキも音に気づいたようで簪を握りしめていた。美菜子さんに動かないように、そのまま布団を被ってるように言われた。
一瞬静かになったと思ったらヒタヒタと廊下を歩く音が床を伝わり布団を突き抜けて体を硬直させる。そして川の上に佇んでいたあの女の姿が脳裏に浮かぶ。
「返してくだ…さい…探して…くださ…い…」
女の悲しそうな声がする。すぐ近くにいるのが嫌でもわかる。すぐそこにいる。俺は怖くて被った布団をさらに力いっぱい握る。今にも布団をはがされるんじゃないかと不安で仕方なかった。
「殿方の涙も川に流れて累々と…川に流れて累々と…」
美菜子さんの声だ。女への返事だろうか?美菜子さんがそれを言うとヒタヒタと足音が廊下の方へ消えていった。
車内には数年前に流行ったロックバンドの曲が流れ美菜子さんはハンドルを握りながら後部座席の僕達を時折バックミラーを見て気にしてる。どうやら今から神社に行くらしい。
鳥居をくぐると一瞬で空気が変わる。高い杉や松の木で囲まれているせいか神社は何となく涼を感じる。お詣りをして御守りを見てると美菜子さんが簪の御守りを買うと良いと言うので買った。それは通常の簪を小さくしたキーホルダータイプの御守りで鈴やソーダライトの石などの飾りが付いていた。そしてそれを二人で交換するように言うので言われた通りに交換した。この御守りは異性から贈られる事で効果が強くなるらしい。常に持ち歩くように言われたので自転車と家の鍵を付けてるキーホルダーに取り付けた。
それから暫くは何も起こらなかった。ただ、あの橋を渡るときは怖かった。また声が聞こえるんじゃないかと、女を見てしまうのではないかと。
あの事が起きてお盆が過ぎた頃にバイト先の店は遅れて3日間の休みに入った。これと言ってやる事もないのでサキと遊ぶ事にした。二人の家の中間地点があの橋の近くにある公園なのでいつもそこを待ち合わせ場所に使っていた。公園の柵を越えて土手を降りると川が流れていて少し下った場所にあの橋が見える。俺は柵に手をついて川をぼんやりと眺めながらサキを待つ。太陽の光で川の水面がキラキラと波を打つ。その中に何かが浮いているのが見える。ここからは距離があるのと眩しさでよくわからない。ちょうどあの橋の下の辺り…一瞬あの女かと思ってヒヤッとしたがそうではない。何だろう…それに気を取られていてサキがこっちに向かって来ている事に気づかず急にサキが現れたのでそれでまた驚く。
「あまり川の方は見ないほうがいいって。また見ちゃうかもよ。ここに来るとき橋を渡らなきゃだからちょっと怖かったよ」
「そう言えばさっき橋の下の辺りに何か浮いていたんだよ。」
そう言いながら橋の下を指差すとサキも視線をそっちにやる。
「ん?何あれ?板?板じゃないの?」
板?板ならそのまま流れていくはずだ。でもそれはユラユラと浮いてその場所から動かない…
俺達はベンチに座り今日は何をするか話を進めた。
サキの首から簪の御守りがぶら下がっているのを見て異変に気づいた。簪の装飾の石の色が少黒く変色していた。
「なぁ、簪の石が変色してるけど…」と俺はサキの胸にぶら下がった簪を指した。
サキは御守りを外して確認さながら不安そうな表情をしハッとして「ヒロの簪は?」と俺を見る。自転車の鍵に付いてる簪を見ると…少し変色ていた。
偶然にしては何か嫌な感じだ。
美菜子さんに相談しようか迷ったけどとりあえず今は様子を見る事にした。その日は服や好きなアーティストのCDを買い夜はいつものファミレスで食事をしてサキを送って帰る。
橋を渡る前にいつものように自転車を停めて何か変じゃないか確かめる。声は聞こえない。大丈夫だ。そう思って橋を渡る。
橋を渡った後にコンビニがあってそこでサキと別れる。俺はまた戻り橋をもう一度渡って家に帰らなきゃいけない。スピードを上げて一気に橋を渡り終え後ろを振り向く。何もいないし何も聞こえない。良かった。でも、昼に見た板のような物が気になった。俺は川沿いの道に向かい離れた場所から橋の下を見た。外灯の明かりでうっすらと何かが見える。おそらく昼に見た板のような物。でも数が増えているように思う。何だろう…何か嫌だ。
家に帰り自転車を停めて玄関の方に回るとちょうど姉が帰宅して車から降りてきた。そして姉は俺にこう言ったのだ。
「あれ?彼女は?」
「え?彼女?誰?」
姉が言うには車の中から俺の後ろに女性の頭が見えたらしい。俺は一人だと言うと姉は納得しない感じで「おかしいなぁ」と首をかしげる。
玄関を開けようと鍵を取り出すと簪の石の変色が広がっていた…
スッキリしたくてシャワーを浴びていると「ねぇ」と声が聞こえた。俺は「姉ちゃん?何?」と視線を向けると曇りガラスに女性がいた。だけどそれは姉ではないように見えた。姉はショートカットだ。でもガラス越しに映る影は長い髪に見える。それでも俺は姉だと自分に言い聞かせもう一度「何?」と返した。するとドアが少し開いて顔の半分だけが覗き込んできた。
それは生きている人間とは思えない青白い顔をした女だった。
「ねぇ…探して…」
そう女が呟いて俺は「うわぁぁ!」と大きな声を出してしまった。それを聞いて姉が浴室にやってきてドアを開けた。
「ちょっと!どうしたの?」
「さっきドアが開いて知らない女が覗いてたんだ!」
姉が玄関や窓の鍵を確認したがすべての鍵はかけられていた。
すぐに風呂から出てリビングのソファーに体を沈める。なんだか力が抜けてこのままソファーと一体化してしまうのではないかと思うくらいぐったりしてしまった。
「さっきヒロの後ろにいた女さぁ…お風呂覗いてたのと同じ人なんじゃない?」
「その後ろにいた女って見間違いだろ?俺は一人だったんだから」
「あんた女の幽霊でも憑いてるんじゃないの?」
ここ最近の出来事を振り返ると冗談では済まされない…
だけど…姉の言う事は間違っていないんじゃないかと思う…
翌日の午前中サキから電話をもらい待ち合わせの公園に向かう。この日は珍しく夏らしくない天気で朝から曇り空。
公園に行くとベンチに座ったサキが簪の御守りを見つめていた。どうしたのか聞きながら覗き込むと簪の石の変色が広がっていた。
昨日の出来事をサキに話して自分の簪を見せる。これは絶対におかしい。
「それに見て。また板みたいなのが増えてる」
「昨日、俺が一人で帰るときなも増えてたよ…」
昨夜よりも増えている。今日は板の数が増えている他にも川に太い木の幹みたいのが刺さっている。
それは木造で造られた何かが崩れたようにも見える。
今日はサキの祖母に行く事になっていた。祖母は簪の変色の事や俺の前に現れた女の事を何か知ってるかもしれない。それを聞きたい。
祖母の家に着くとお婆ちゃんが庭に出ていた。
「あぁ、やっぱり来たね。今日あたり来るんじゃないかと思ってたよ…何かあったんだね?」
お婆ちゃんの目が一瞬ギラっと何かを射ぬくようにこっちを見る。家にあがり俺達は何があったかを話して変色した石が付いてる簪の御守りを見せた。
「ちょっと早いね…」
お婆ちゃんが言うにはこの簪の御守りは悪い物が見えたり近づいたりすると持ち主の身代わりとなり装飾の石が変色していくらしい。けど普通は一年かけて少しずつ変色していくらしい。そしてお正月か節分の時期に新しい物に交換するのだそうだ。
サキの御守りの石は全体的にうっすらと黒がかっていて俺のほうは半分が真っ黒になっていた。
「これはダメだね…あんた達、今日ウチに泊まりなさい。美菜子が帰ってきたらあの橋へ行くよ」
予想してない言葉がきた。
あの橋へ行く?何しに?俺は不安になってきた。またあの女を見てしまうかも…いや、見ることになるだろう…
美菜子さんが帰って来る前に用意をしなくてはいけないと神社に行く事になった。
神社に着いて持っていた御守りを巫さんに預け新しい簪の御守りを買う。お婆ちゃんは通常のちゃんとした簪を5本買っていた。通常の簪は俺達の御守りとは違ってシンプルなデザインだった。
19時過ぎに美菜子さんが帰ってきた。お婆ちゃんが説明すると美菜子さんは座りテーブルに5本の簪を並べた。そして2本を手に取りサキの横に座る。
「今から簪で髪を留めるから見ててね。サキも一人で出来るように覚えてね。簪は昔から魔除けとしても使われているの。」
美菜子さんが器用に手際よく髪をまとめた。
俺は髪が短くて留める事が出来ないのでベルトとズボンの間に差すように言われた。
そして、美菜子さんとお婆ちゃんから聞かされる。今、何が起こっているのか、ニシノカミノオタエとは何なのか。
詳しい年号はわからないが昔の話になるらしい。
昔この地区全体を上町と呼んでいたらしい。川の西側を西ノ上町、東側を東ノ上町と別けていたらしい。
西ノ上町には美人で有名な「お妙」と名乗る町娘がいた。
お妙には正吉と言う想いを寄せている男がいた。正吉は東ノ上町で腕の良い簪職人で正吉もお妙の事を想っていたのである。
ある日、正吉は今までで一番出来の良い簪を完成させた。これをお妙に贈り一緒になろうと決めた。
二人はいつも夕刻に橋の真ん中で落ち合っていた。
正吉は仕事を終えお妙に贈る簪を持ち橋へと足を運ぶ。二人は橋で夕焼けを見ながらほんの少しの優しい時間を過ごした。正吉は簪をお妙に見せてお妙の髪にそれを差す。
お妙は恥ずかしそうに下を向き求婚を受け入れた。陽が暮れ辺りが薄暗くなり二人はそれぞれ西と東へ帰ってゆく。
二人が結婚の約束をして半月が立った頃の朝早く正吉に悲しい知らせがきた。お妙が橋から落ちて亡くなったと…
正吉はお妙の遺体を抱き抱え大粒の涙を流した。青白い顔は簪が取れて解れた長い黒髪を余計に目立たせていた。
正吉の両親は正吉とお妙が結婚する事に反対だった。ただそれを本人達には言わなかった。賛成してるフリをしてお妙を殺してしまおうと計画を立てていた。そして正吉の両親はある夜にお妙をこっそりつけて正吉が贈った簪を取り上げた後に橋からお妙を突き落とした。
お妙が亡くなってから暫くすると川の中に幽霊が立っていると噂が広まり仲の良さそうな男女が橋を渡たると川に引きずり込んだり橋が崩れたり悪い事が起きた。
幽霊を見た人の中には「あれはお妙だった」と言う人も数人いた。
お妙の祟りだと思った正吉の両親は怖くなりお妙から取り上げた簪を神社に奉納したと伝えられている…
先祖代々からずっとこの土地に住み続けてる家に伝えられている悲しい伝説。
橋の上で仲の良い男女がいるとお妙が怒って姿を現す
俺とサキが仲良くあの橋を渡ったているのを見てお妙が怒ったのだろうか…
話を聞いてから俺達4人は橋へ行った。橋の手前にお地蔵様が祀られておりその横に幅の狭い階段が川原へと続いてる。そこを下りて川原へ近づくと木材が浮いている。
これは…昔の橋が崩れた残骸…お妙が見せているのだろうか?
俺達は過去に来てしまったのか…
違う。上を見上げるとちゃんと新しい橋がかかっている。
橋の残骸の中にスーっと人の姿が見えた。それはあの時見た和服を着た女性だ。これがお妙なのか…。
「返して…探して…簪…」
お妙は佇んだまま同じ事を繰り返す。そうか…お妙は簪を今でも探しているんだ…でも、何で俺達に…
「ヒロ…簪を川に投げて」
サキがあまりにも落ち着いた感じで言うので自分も思わず気の抜けた返事をする。
「あ?ん?ああ…」
自分はベルトに挟んである簪を引き抜いてお妙に向かって投げた。すると橋の残骸らしき物はゆっくりと流れはじめ消えていった。
川からこっちを見てるお妙とサキが向き合っている状態。
お妙の表情は柔らかくなっていてサキも少し微笑んでいた。
そしてお妙は消えていった。
「うん。成功だ。これで二人はもう大丈夫。ずっと一緒にいられるよ。もうお妙を見る事はないと思う。」
美菜子さんが俺達二人に言った。
簪を川に投げた俺にお婆ちゃんが新しい簪をくれた。
「もう、大丈夫だろうけど一応この簪を家に置いておきなさい。」
これでこの話は終わりだ。
ただ…あれから30年が過ぎ46歳たが俺もサキも未だに独身だ。
新しい彼女が出来ても長続きせずに終わる。たまに霊感の強い人と付き合うとご先祖様なのか女性の人が私を怒りながら見てるから付き合えないと言い出す人もいた。
結局は彼女と別れてはサキと一緒に過ごしたりしてる。周りからは、もう二人は結婚しちゃえと言われるけど付かず離れず状態。
最近こう思う。もしかしたらあの高校生の頃の体験って意図的にかけられた呪いなのかな…って。祖母、美菜子さん、サキの三人が演技して儀式をやってたり…なんてね。
結局はサキのお婆ちゃんも美菜子さんも何者なのかわからない。お婆ちゃんはお亡くなりになったけど美菜子さんとは今でもたまに会う。
でも、怖くて聞けないんですよね。
終わり