「カウンターに座る女性」

投稿者:仲川秀明(ヒデ)

 

名古屋市内の一角でバーをしております。この話しは自身の店での出来事です。数年前のある年の年末、クラブのママさんより忘年会の予約を頂きました。17名程だったかと思います。クラブの営業後、個別に当店に集まり、乾杯となったのが深夜一時半頃。営業後の為か、既に酔っている方もおり、乾杯後は各々自由に飲んで食べて大騒ぎな状態。彼氏や家族とメールををする人、SNS用の写真を撮る人、電話しながらなぜかキレている人、ママさんに褒められ泣いている人、そんな様々な人間模様を、私はカウンターから見ておりました。すると、男性がカウンターに。年齢は30歳半ばでしょうか。物ごしの柔らかい人当たりのいい方。面識はあり、この方はこのクラブの店長、Mさんでした。カウンター越しに そのMさんと飲み交わしながら、今年の景気はどうだった、年末は忙しかった、暇だった、などと互いの店の状況などの話しをしておりました。少しお酒が進んだ頃でしょうか。Mさんが『彼女さん』について話してきました。かなり長く付き合っていたのだけど結婚や子供の話しで意見が合わない事が多くてね、と話して下さいました。そんな相談を『とある女性』にしていたら、意見や価値観が合ってね。好きになってしまったんだよ。と。彼女とは長く付き合ってたし情もあったし。中々言えずにいたのだけど、やはり、日々会話する中で、彼女にもう気持ちがない事を確信してしまってね。その事を正直に話して、別れてほしいと頼んだのだけど、中々別れてくれなくて、凄い大変だったんだよ、本当に大変でね…と、かなり『モメた』のだろうな、という程の口調でした。
どうやら、彼女さんは別の店で働く女性、現在同棲しており、新たに好きになった人は今のお店の女性なのだとか。敢えて聞きはしませんでしたが、まさしく、その店の忘年会ですので、きっと今いる中に、その好きな女性がいるのだろうなぁ、と周りを見つつ話しを聞いていました。彼女さんはそのMさんの事が好き過ぎて、別れる位なら死ぬから、死んでも別れてあげないから、と、何やらドラマに出てきそうな、しかし、中々に物騒な話しすらしてきたそうです。説得に説得を重ねて、1週間くらい前にようやく別れてくれたんだよ。凄い大変だったんだよ、本当に、本当に大変だった、と先程にも増して力説されていました。私は『新しい恋が上手くいくといいですね!』と一言残し、ボックス席に座っている女性陣のお酒を追加したり、空いたグラスを片付けたりしていました。ふと気が付くと、先程のカウター席から少し離れた逆側の位置にMさんの姿が。隣には女性が座っていました。あの人が例の好きな女性なのだろうか、と、下衆な勘ぐりをしたのですが、私から見て女性陣のいるボックス席は右側奥、店長さんはカウンター左側の端から2番目、その向こう側、1番遠い場所に女性の2人だけ、という配置でしたので、左側ばかりジロジロと見るワケにもいかず。しかしカウンター上を見ると、グラスを持って移動して来なかったのか、女性の前に飲み物がありません。店長さんと同じビールだけお出ししようと女性の前に。コースターを置きビールを置き。女性は少し顔を上げ、どうも、といった感じで無言で軽く頭を下げてくれました。視線は私の目線までは上がらず、アゴ辺りまでという所でしょうか。しかし顔は見て取れました。メイクは派手過ぎず、いかにも日本女性という感じの目のキリっとした綺麗な方だなあ、という印象。ですが、どこか表情は暗く。隣ではMさんが同じく顔を伏せながら肩を揺らしていました。あぁ、フラレてしまったのかな、泣いてしまっているのかな、と余計にそちらを見ない様にと意識していました。ボックス席に追加のおつまみを出す為、仕切りの先にあるキッチンに入り2〜3分ほど。ナッツ系などを持って出てくると、カウターにはMさん1人だけになっており女性はボックス席の女性陣の中に戻ったのかと思いました。皆様、似た様な髪型(いわゆる、盛る髪型)、流行りなのか似た私服、カウンターよりも照明が暗めな事もあり、アノ人かな?この女性かな?などと、ナッツを出しながらチラチラ見てはみたのですが、女性が多く、この人、という特定には至りませんでした。Mさんは変わらずカウンター席でうつむいておりグラスのビールも減らない為、フラレた上に酔って寝てしまったのかも?とも思い、声を掛けずにいました。更に時間は過ぎ、そろそろお開き。お会計をしていると、Mさんが顔をバッと上げ、残ったビールを一気に飲み干すと立ち上がりボックス席に。ママさんや女性陣に挨拶などをし終えると、カウンターに来ました。表情や目元から泣いた様子はありませんでした。『ありがとうございました』との私の言葉に、Mさんは『Hさん(私)、俺、やっぱりダメかも、もう、ダメかもしれないわ』と、笑顔で、というより不自然な程の不気味で満面な、ひきつった笑顔で、そして『ご馳走様』と言って先に帰られてしまいました。立ち上がってからそこまでの一連があっと言う間にでしたので、何も話せず、『あぁ、あ、ありがとうございました!』と繰り返し言う事しかできませんでした。『ダメかもしれない』。やはり、新しい恋はダメだったのか、フラレてしまったのだろうか、と考えながらも、お会計が済み、皆さんが帰り支度をしている中、会話に耳が向きました。『店長(Mさん)、誰と話してた?』や『店長、彼女、迎えに来てたの?』『店長の隣の人、誰だった?』などと、しきりに『あの女性は誰だ?』系の会話が飛び交っていました。何せ女性が多かったですし、古参もいるけど日の浅い新人もいる。仲の良い悪いや派閥などもあるのでしょう。全員が全員を把握している訳ではないのだろうな、と。私の口から、あの女性、実は店長さんの好きな人らしい、などとも言えませんし、聞き流していました。皆さんが帰られた後、片付けをし、帰る体力も尽きていた為、店で少し寝る事にしました。何時間か寝た後スマホ画面を見ると不在着信が多数。昨晩の女性陣の内の1人。古参の女性からの電話でした。忘れ物でもあったのかも、と折り返すと『あ、もしもし、Hさん(私)?』と。『あ、お疲れ様です。昨日はありがとうございました』と言うと、唐突に、
『あのね、店長、亡くなったの。』と。『え?店長って、Mさんですよね?亡くなったって?』『そう、うちの店長。あの後、朝の4時頃、ビルの非常階段から落ちて、亡くなったって。でね、うちの店とも関係ないビルだし、店長がそのビルに行った理由も不明で、自殺か事故か判らないんだって。で、最後はどこの店で誰と飲んでたのかって、店の子達が聞かれてて。Hさん、店長とカウンターで喋ってたじゃん。その時の様子を聞きたいから警察がHさんの店行くと思うんだよ。本当、ごめんね』と、そんな連絡がありました。昨日、というより、数時間前まで一緒に飲んでいた人が亡くなったって…ビルから?落ちた?何で?と、ショックなのと、何が何やら理解できずにいました。警察が来るかも、と言われていましたので、ひとまず店の鍵を開け、身支度を直し、昨日の事などを思い出したりしていると、ドアをノックする音が。制服警察官と年配の男性が入って来られました。制服の方は店の場所を案内した最寄りの交番の方で、年配の方はN警察署の刑事さんだと自己紹介されました。昨日来たお客の事で話しが聞きたい、と。Mさんの件は連絡があったので知っている旨を伝えると、いくつか質問されました。飲んだお酒の量や話した内容、様子、行動などを聞かれました。少し、おや?と思ったのは『何か、変な事を口にしていなかったか?』『変な発言をしていなかったか?』と聞かれた事でした。もしかしてMさん、薬物的なモノを摂取して酩酊してしまったのか?とも思ったのですが、責任感も強く、長年、一流のクラブで店長として頑張っていらっしゃる方。そんなモノに手を出すとも思えません。酔ってはいたとは言え、会話は成立していましたし、帰る時も特に大きくフラついてなどはいませんでしたので、その事を説明していると、目の前の刑事さんより少し若い刑事さんが店に入ってきました。同じN警察署の刑事さんだそうで、どうやら、店前の通りにある、街灯などに付けられている防犯カメラの位置と角度を確認してきた様子でした。店長さんが店を出たのは1人だったのか、右に行ったのか、左に行ったのか、例のビルがある方向には向かったのか、タクシーには乗ったのか、などと店を出た直後の行動を何やら2人で小さく話した後、若手の刑事さんが『確認なんですが』と、写真を見せてきました。『この人でしたか?』と。そこには、仲の良い感じの男女が写っていました。一人は私服姿のMさん。もう一人は昨日、ビールを出した時に見た、Mさんの横に座っていたカウンターの女性その人でした。写真の中では、昨日と同様にMさんは笑っており、昨日は暗い表情しか見れなかった女性の楽しそうな笑顔がありました。何だか、更に悲しさが込み上げて来てしまい、私は、小さく『あぁ、はい、この人です』と答えました。すると、年配の刑事さんが『どっち?』と聞き返して来ました。『は?』どっちも何も、Mさんの事を聞きにきたのではないのか?と。しかし、確かに写真の2人共が、昨晩カウンターに座っていたのは事実。私は『あ、2人ともです』と答え、Mさん達2人の座っていたカウンター席の、正にその席を前に『こっちがMさんで、そっちが女性で』と手で指し示し、Mさんがこの女性と話し暗い表情だった、泣いていたのかもしれない、と説明しました。年配の刑事は若手の刑事と何やら会話し合図をした様子でした。再び若手の刑事が『この顔?』と写真を出し聞いてきたので、少ししつこいな、と苛立ちましたので、強めに『はい!Mさんは昨日はスーツでしたけどね、女性もこの人で!昨日もこの髪型でしたし…』と言った所で、私は『アレ?』となりました。クラブの女性陣はママさんを含め、皆さん髪をアップにし、セットされていました。それは店の決まりなのでしょう。着物やドレスという服装である以上、必然的に新人も古参も全員髪を上に上げた、いわゆる、盛る髪型。ボックス席には髪をおろしてストレートにしている人は1人もいませんでした。だからこそ【同じ様な髪型だらけだな】と、あの時思った訳なのです。しかしカウンターに座った女性は、髪はセットしておらずストレート。そして写真の中の女性も同じストレート。カウンターを挟んでいたとは言え、距離は1mほど。ビールを差し出した時に見た髪型と少し上を向いた時の顔が写真の中の女性と同一なのは間違いありません。それが更に、アレ?となりました。Mさんの横に座った女性が、Mさんが言っていた想いを寄せる同じ店の女性なら、なぜ髪をセットしていなかったのだろう?今は既に辞めている?それなら、忘年会に来るだろうか?色々な矛盾に、1人あれこれ考え、困惑している表情が伝わったのか、年配の刑事さんが、あのね、と話してくれました。『この写真の女性はMさんとお付き合いをしていた女性でね。1週間前に家で亡くなってしまっているんだよ。で、Mさん達、一緒に住んでたんだけどね。1週間前に事情聴取した人が、今度はビルから落ちて亡くなったでしょ。だから色々と調べてるんだよ』と。『えっ、と…女性は、自殺…とか、そんな感じなんですか?』と訪ねると、『んん、ま、ね…首を、ね。』と答えてくれました。私は背筋が凍りました。『いやいやいや、え、と、昨日、うちの店に来てましたけど!ビール出しましたし、どうも、って感じで会釈してましたし。そこ!そこの席座ってましたし、Mさんと会話してましたし!1週間前に亡くなってるとか、ないでしょ?他の女の子たちも見てますって!』と言うと刑事さんは表情を変えずに答えます。『他の女の子達も見ているよ。Mさんがカウンターで【しらない】女の人と喋ってたって、言うんだよね』『誰も【しらない】んだって。【しらない】って事は店の子じゃないよね?その人、いつ来たのかな?最初からいた?』と聞かれ、正直、気付いたら居た、としか答え様がなく。貸し切り、な訳ですから、他の客が1人入ってくるとも思えません。てっきり女性陣の誰かがボックス席から移動して来たとしか思っていなかった、と話すと、『じゃ、いつ頃帰ったのかな?』との問いにも、少しキッチンに入って出て来たらもう居なかった、ボックス席に戻ったと思っていた、と答えると、暫く黙った後、『Mさんが誰か知り合いをお店に呼んで、少し話したらすぐ帰った。女性も多かったみたいだし、来たのも帰ったのも気が付かなかった、そんな所じゃないのかな。けど、何だろうね、不思議な事って、あるよね』と。『色々とありがとう』と言うと、帰って行かれました。帰り際、『来た事にも帰った事にも気が付かないなんて事、ないですけどね』との私の言葉には、無言で、軽く会釈し、帰って行かれました。再び鍵を閉め、何だ?誰だったんだ?亡くなっている?1週間前?なら、誰が座っていたんだ?と色々と思い返す中で、徐々に思い出す事がありました。女性に出したビールが一口も飲まれていなかった事。Mさんは泣いた形跡がなかった。泣いて肩を揺らしていた訳ではなく、震えていたのではないのか?もうこの世にいないハズの女性(彼女)が隣に座り何かを話す。その言葉を聞いて『Hさん、もうダメかもしれない』と発したのではないのか?1週間前に別れたのではなく『死別』しただけ。別れた訳ではない、別れられてはいない?生前彼女が言っていた『死んでも別れない』と、そう言われたのでは?だから彼女が迎えに来た、もうダメかもしれない、そう言いたかったのではないのか?帰る時の不気味な程の笑顔、あれは、自分はこの後、死ぬかもしれない、もうダメなんだ、と諦めた、開き直りの笑顔ではなかったのか?女性陣の帰り際の、あの人誰?店長の迎え?店長誰と話して?…そんな言葉が出て当然だったのでしょう。彼女さん(だとしたら)は別の店。その店のスタッフではないのですから。それにしても私を含め大勢の目にとまっている女性が霊だとしたら、そんな多くの人に見える霊、カウンターに座り、どうも、といった感じで私の言葉に反応する、そんな霊は存在するのでしょうか?だとしたら、余りにも未練や思い、怨念的な何かが強過ぎるのではないでしょうか。あの、年配の刑事さん。女性が亡くなった現場に立ち会い、Mさんに事情聴取をしたであろう口ぶりから、写真の女性が亡くなっている事は知っていたハズ。なのに写真を見せてきた時の『どっち?』との言葉。なぜ、既に亡くなっている女性を【うちの店に来た】であろう【生きた女性】として聞いてきたのでしょうか。そしてその刑事さんの言う『不思議な事もある』と言われた時の私を見る表情と言葉。私には『昨日来て、そこに座った女性は亡くなった写真の女性。不思議な事もある。けど【女性は実在した。来てたけど帰った、帰った事に気が付かなかっただけ】という事にしておきなさい』と言われた様に感じました。普通、捜査の過程での聞き取りで、私がこんな突拍子もない事を話せば『そんなハズはない!その女性は1週間も前に亡くなっているんだから!』と全否定されて当然です。しかしどちらの刑事さんも、一言も『そんなハズはない、見間違いでは?』と、その女性の存在、出来事を、否定しなかったのです。『何か変な言葉、変な発言はしていなかったか?』と聞いてきた事にも薬物で云々ではなく、何か別の理由があるのかもしれません。そして、1番の疑問は、Mさんはなぜ彼女さんの事を一度も【亡くなった人】として話さなかったのか、という事です。普通『実は1週間前に亡くなってね…』と話すのではないのでしょうか?私には、大変だった、苦労したけど説得してやっと別れる事が【できた】、としか話さなかったMさん。Mさんの言う【説得】とは何だったのでしょうか。単に別れを懇願する説得ならばいいのですが。自ら命を絶たせる説得だったのか。説得できなかった為に自ら女性を手にかけた、その事を【別れられた】【できた】としたのか。そんな不謹慎な事も頭をかすめてしまいます。隣に座った女性にビールを出した時もMさんは気が付いていたのだと思います。要するに私にも【見えている】存在なのだと。Mさんが恐怖に震えていたのだとしたら、あの時、何を思っていたのでしょうか。考えは尽きないのですが、今はお二人のご冥福を心から祈るばかりです。

 

得点

評価者

怖さ鋭さ新しさユーモアさ意外さ合計点
毛利嵩志121212101561
大赤見ノヴ151516151677
吉田猛々181818161989
合計4545464150227