今からお伝えすること。本当なのか、そうではないのか。 皆様に判断していただければと思います。
とりあえず、一度目を通してみて下さい。
Aさんという方のお話です。
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俺は昔からホラーやオカルトが好きだった。怪談本やホラー映画を漁るように集めていた時期もある。 怖がりでもある癖に、そんなものばっかり集めていたものだから夜眠れなくなったり、一人でトイレに行けなくなったりすることもしょっちゅうだった。
社会人になって、友人と居酒屋で思い出話をしているとき幽霊についての話題になったんだ。
俺と友人は怪談話で盛り上がり、今から心霊スポットで肝試しに行こうってことになった。
どうせ行くのなら本格的にヤバい場所にしようってことで、あまり有名では無いけど本当に危ないって噂のあるスポットに行くことになったんだ。
二人でタクシーに乗り込みそこへ向かう。
途中、初老の運転手が
「あんたら肝試しにいくのか?本当に出るらしいよ」
って心配そうにしていたけれど、酒に酔っていた俺達は
「幽霊とか逆にレアだし見てみたいよ」
だとか何とか言って馬鹿みたいに笑っていたよ。
実際、そこのスポットで怖いことなんて起きなかった。本当になにも起こらなかったんだ。
所謂心霊スポットにいったことのある人は分かると思うけれど、実際に何も起こらないことの方が多いと思う。霊感とかそんなものがある場合は知らないけど。
それでも十分に楽しんだ俺と友人は、満足して心霊スポットを後にした。
ここからなんだ。そこから帰ってからのことなんだ。
いい感じに酒に酔いながら自宅に帰った俺は、ベランダで寝ることにした。
そのときのことはよく覚えていない。でもなぜかベランダで寝ることが正しいと感じたんだ。
翌朝、寒くて目が覚めた。
そのとき、初めて自分がベランダで寝てしまっていたことを認識した。
まだ昨日の酒も残っていて眠たいし、とりあえずその日は仕事が休みだったから家の中で眠りなおすことにした。
ベッドに潜り込んで、目を閉じる。
一度、目を閉じてみて欲しい。
目を閉じると暗いんだけど、何だかうねうねと動く白いものが見えるはずだ。何というか、ノイズのようにさ。言葉にするのは難しいんだけれど、実際に目を閉じて貰えば分かってくれると思う。
このうねうねと動くものが、妙に気になるんだよ。目を瞑っているのだからこう例えるのも変なんだけど、目の前でうねうねとして邪魔なんだ。
そのせいで眠れなくてさ。結局二度寝を諦めて、酔いを醒ますためにみそ汁でも飲もうと身体を起こしたんだ。
そのときに違和感を覚えた。ここ俺の家だよな? って。
アパートの一室。たいして広くもないよくある間取りの1LDK。
テーブルには読みかけの雑誌やら、ポストに突っ込まれていたチラシやらが散乱している。壁にはお気に入りの服やポスターが掛けられており、テレビの前にはゲームソフトやコントローラーが無造作に置いてある。どこをどう見ても、いつもの家だった。今まで生活していた俺の家だったんだよ。
だけど、なんだか違うような気がした。初めて会う人の家に来たみたいに落ち着けないんだ。
昨日飲みすぎたかなって思ってさ。この違和感は二日酔いのせいだろうって。
とりあえず気持ち悪さをこらえながら、お湯で溶かしたインスタントのみそ汁を飲んで、冷蔵庫に冷やしておいたスポーツ飲料をがぶ飲みした。
そしてそのまま温かいシャワーを浴びて、また寝ることにしたんだ。
酒が抜ければこの嫌な気持ちを消え去るだろうって思いながらさ。
気持ちを少しでも紛らわせるために、リラックスできる音楽を流してベッドに潜りこんだ。
ゆっくりと目を閉じる。
やっぱり目の前で白くうねうねしたものが見えるんだけど、さっきよりは気にならなかった。そのうちだんだんと微睡んできて。
──あ、今度は眠れそうだ
なんて思っていたとき
「やッ……こ…………ッ」
耳に流れ込んでくる音楽に紛れて聞こえるんだ。 音なのか、声なのかは分からない。小さく雑音みたいに何かが聞こえるんだよ。
少し怖くなった。色々想像してしまったんだ。まさか昨日行った心霊スポットから、変なものを恐れてきてしまったんじゃないよなって。
一度そんな想像をしてしまうと、もう止まらない。 髪はぼさぼさで、目を見開き、口から血を流した恐ろしい女性が部屋に立っているんじゃないだろうか、自身の首を抱えた血だるまの男が俺を呪おうとしているのではないだろうか、なんて下手に怪談話が好きなものだから、色々と怪異を想像してしまって。
自分で恐怖を倍増させてしまったんだ。
「やッ……わ……やッ」
「こっ……わっ……」
「やッ……こっ……」
恐怖でぎゅっと目を閉じていると、流れている音楽や、聞こえてくる妙な雑音も遠ざかって消えていくような気がして、どんどん意識が薄れていった。
いつの間にか眠ってしまっていたようで、寒さに震えながら目が覚めたんだ。
俺はベランダで横になっていた。暖かいベッドではなく、寒いベランダで。
空を見ると、もう陽が傾き始めていた。
俺は身体を起こし、混乱する頭を整理していた。確かにベッドで寝ていたはず、いくら酔っていたとはいえ……。
とりあえず室内に入ると、自分が流していた音楽が延々とリピートされている。それを聞いて確信した。
おれは確かにベッドで寝たんだ。そしたら、目の前に白いうねうねするものが見えたり、変な雑音が聞こえたりして──。
室内は朝と変わらず妙な違和感が漂っていた。自分の家ではないような、居心地の悪さ。
考えれば考えるほどに怖くなったんだけれど、明日は仕事だし家を出ていくわけにもいかない。
テレビで明るい番組を流し、頭を空っぽにしてどうにかやり過ごすことにしたんだ。 今思えば本当に最悪な判断だ。
食事中も、お風呂に入っていても、精神は休まらなかった。棚から酒を取り出し、ひたすら胃に詰め込んでいったんだ。
明日は仕事だったけど、そんなこと気にしてられない。そうでもしないと正気ではいられなかったんだよ。外が暗くなるにつれて、聞こえてくるもんだから。
「──やッ……やッ」
最初は聞こえないふりをしていた。必死に音楽やテレビに意識を向けていた。でも、どんどん抑えきれない程に大きくなっていくんだ。
「──やッ……わ……やッ」
「こ──やッ……わた……やッ」
「ここ──やッわたし……やッ」
「ここ──しのヘやッ」
「ここわたしのへやッここわたしのへやッ」
金属音みたいな高い声でずっとずっと言ってくるんだよ。
聞こえないふりをして、何も知らないふりをして、酔いつぶれるまでひたすら酒を呑んだ。
その間も声は聞こえているが、酒を呑むたびにどんどん目の前が白くなっていく。
目を閉じたときに見えたうねうねが、いつの間にかまた現れていた。酔い過ぎて、今自分が目を閉じているのか、開いているのかも分からない。
白いうねうねは、どんどんと形を成しているかのように見えた。人の顔。表情の無い、冷たい人の顔のような。
その顔を見て、その場でぶっ倒れるように眠りにつくことができた。
翌日、頭を壊そうとしているんじゃないかってくらいに響く頭痛と、冷え切って氷の中にいるみたいな寒さで目が覚めた。
辺りを見渡すと、そこはまたもベランダだったんだ。
すでに昼を過ぎていて、会社からは馬鹿みたいに電話がかかってきていた。
それどころじゃない、仕事なんてどうでもよかった。
俺は昨日酔っぱらって寝た。酒を呑んでそのまま寝たはずだ。なぜ、なぜ、ベランダに。
急いで荷物をまとめる。
二日酔いで回らない頭でもしっかりと理解することができた。
“この家にいてはいけない”
割れんばかりの頭痛も、胸から込みあがってくる吐き気も気にならなかった。
早く、一刻も早く家を出ることで頭がいっぱいだったんだ。
まとめた荷物を抱え、逃げ出すように部屋から飛び出した。近所のネットカフェに行って、たくさんの人の姿を見てやっと落ち着けたんだ。
そしてゆっくりと、昨日からの出来事を思い返した。
ベッドで寝たはずなのに、ベランダに寝ている。
聞こえてくる妙な声。白いうねうね。
そして、荷物をまとめているとき部屋の中で俺をじっと見つめていた無表情で冷たい顔──。
俺はそれからあの部屋には帰っていない。部屋はすぐに解約した。
お金はかかったが、仕方がない。
もう俺は関りを持ちたくないんだ。あいつと。
あれは俺が連れてきてしまったものなのか、そもそも最初から部屋に存在していたものなのかは分からない。
ただ、もう嫌なんだ。まだ横になるたび、目を閉じるたびに視界に浮かぶんだよ。白いもやもやが。
これがあいつなのか、ただの幻覚なのか、そもそも今までずっと見えていたものなのかは分からない。
今はもうホラーやオカルトなんて好きじゃない。
あんな体験したら、好きなままいられるわけが無いんだよ。
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ともすれば作り話と捉えられるかもしれません。でも本当に体験したという事です。
Aさんはこの出来事は思い出したくないのだと嫌がっていましたが、どうにか教えて頂くことができました。
私にはAさんに無理を言ってでもこの話を語ってもらう必要があったのですから。
仕事も落ち着いてきて、ある程度収入も安定してきた私は、長年住んでいた古くて狭い安アパートから引っ越そうと計画を立てていました。
多くの不動産会社を周り、少しでも条件が良くて安い部屋を探し回っていたんです。
毎日のように足繁く不動産会社に通っているうちに、懇意になった方からある部屋を紹介してもらいました。
部屋の情報を聞いて驚きました。交通も便利で、築年数もそこまで古くない。部屋の広さも十分。
条件に対して、破格の安さで提供されているその部屋は、所謂『出る』と言われている物件でした。
それでも私は、この安さでこんな良い部屋を借りられるのなら多少のことは目を瞑ろう考えたのです。
良くある話でしょう。
『出る』と言われる部屋に、安さに釣られて入居を決め、怪異に遭う。
怪談にありがちなパターンです。正直私も思いました。フラグを立ててしまったかなと。
その部屋は借り手もおらず、長い間空き部屋になっているとのことでしたので、私は不動産会社の方にお願いし、一日だけそこの部屋に泊まらせてもらうことにしたのです。
実際に訪れた部屋は想像していたより綺麗でした。
この一日で何も起きなければ、入居を決めても恐らく怪異などと遭遇することは無いだろう、と甘い認識で部屋に入った私は、とりあえず寝るために簡素な毛布と布団だけを持ち込み、動画サイトを見ながら時間を潰して過ごしました。
結果、怪異など起きることも無く、普通に一日を過ごすことができたのです。
この時点で私はこの部屋に入居することを決めました。
契約もスムーズに進み、様々な手続きや引っ越しも問題なく終え、あっという間にその部屋は私の住居となりました。
条件も良い、家賃は安い、怪異なんて起こらない──良い物件を見つけたと満足して眠りについた、その夜のことです。
手続きや引っ越し作業で疲れていた身体をお風呂で癒し、浴室から出たときに違和感を覚えました。 言葉にするのは難しいのですが、誰かが部屋の中にいるような気がするのです。
確実に部屋の中には私しかいないはず。
もしやこれが……と少し気味悪く思いながら部屋中を見渡しますが、勿論誰もいません。
私は冷蔵庫から冷えたビールを取り出し、テレビをつけて何も考えないようにしました。
そのうち、その奇妙な気配も消え失せていったのです。
ああ、やっぱり気のせいだったんだ、と思いながら何事もなくその日は眠りにつきました。
翌朝。異様な雰囲気を感じ、目覚めました。
明らかにおかしい。言葉にするのが難しいけれど、気持ちが悪い。
ベッドから身体を起こし辺りを見当たすも、何ら変わったところはありません。この異様な雰囲気以外は。
枕や寝具が合わないのかな、と改めてベッドを見直してみるのですが、どうみても普通のベッドです。前の家でもこのベッドを使っていたので問題は無いはずでした。
とりあえず一旦トイレを済ませ、冷たい水を飲んでもうひと眠りしようとベッドに向かったときでした。
誰かがベッドの上に寝ていたのです。黒くぼやけた人影が。
一瞬にして身体が動かなくなりました。そして、ゆっくりと何かが聞こえてくるのです。 その人影が歌っている鼻歌なのか、何か妙な音が。
一気に動悸が早くなり気が遠くなるのを感じましたが、ここで倒れてはまずいと思い、必死に声を荒げ、騒ぎました。
それからどのくらいの時間が過ぎたのかは分かりません。気が付いたときには異様な雰囲気と人影は消えていなくなっていました。
この部屋はやばい──。
流石にそう思い始めたのですが、引っ越したばかりですし、またすぐに新しい部屋を探すなんてことは出来ません。
とりあえず持っていた何かのお守りや、塩を持って、どうにかしようと頭を抱えていました。
そうこうしているうちに、またあの異様な雰囲気が漂ってきたのです。
私は心臓が縮みあがりそうなほどに怯えていました。頭の中は、こんな部屋借りるべきでは無かったという後悔で埋め尽くされていました。
ぼうっと、またあの黒い人影が部屋の中に浮かび上がってきます。それはゆっくりとベッドに横たわっていました。
私はそれから目を背ける事もできず、ひたすら気が狂ったように叫び続けることしかできませんでした。
意識を取り戻したときには、あの異様な雰囲気と黒い影は消え去っていましたが、私は何も考えることができず、ぼーっと立ち尽くしていました。
床がびっしょり濡れているのを見て、失禁をしたんだと気が付きました。
このままこの部屋で生活すると壊れてしまう、と感じた私は、両親に頭を下げてお金を借り、すぐにこの部屋を引っ越すことを決めました。
部屋を紹介してくれた不動産の方は、私の異様な怯え方を見て申し訳ないと平謝りし、家賃や違約金なども払わなくてよいと話をしてくれました。
そして私のために出来るだけ安く、すぐに入居できる部屋を探して紹介してくれたのです。
本当にありがたいと思いました。
それからしばらく経った頃、私は夢を見るようになったのです。
どうも夢の中の私は、ベッドで寝ている誰かを覗き込んでいる様子でした。私自身、なぜその人を覗き込んでいるのかは分かりません。
ただ、どうも面識もないその人に対して、私は負の感情を抱いているのです。
それが毎日続きました。眠れないとか体調が悪いということはないのですが、なんだか気持ち悪く感じていました。
これも、もしかするとあの部屋と関わりを持ってしまったからかもしれない──と考えた私は、部屋を紹介してくれた不動産の方に相談することにしたのです。
──そして、紹介されたのがAさんだったのですよ。
私の前にあの部屋に住んでいた人物。 Aさんがあの部屋で奇妙な体験をしてから、あの部屋には『出る』と言われるようになったのです。
Aさんは病院に入院しておりました。どうも夜眠ることが出来ず、食事も摂れなくなってきており、身体も精神も衰弱しているようでした。
そんなAさんにどうにかお願いして、冒頭の話を聞くことができたのです。Aさんは語りながらも、何かにおびえているようでした。
この奇妙な体験については謎が多いのです。
Aさんが何かを連れてきてしまったのか、最初からの部屋にいたものが、何かのきっかけで姿を現したのか、それとも全てに意味など無く、偶然、運が悪いというだけのことだったのか。
ただ一つだけ言えるのは、私もAさんも幻覚や夢などではなく、確かにこの奇妙な体験をしたということです。
Aさんから話を聞かせていただいて以降、私があの妙な夢を見ることは無くなりました。
改めて、Aさんのご冥福をお祈りいたします。